読書記録

2005年09月15日(木) 石狩平野         船山 馨

 明治初期、高岡鶴代の一家は開拓民として北海道に渡った。13歳の時、開拓使の役人伊住家の女中になった鶴代は、伊住家の息子次郎を愛するが悲恋に終り、妊娠したまま壮太と結婚して明子を産む。壮太との間に壮太郎という息子も生まれる。時代が変わって昭和という軍国主義の高揚してゆく中で鶴代は、夫の壮太をはじめ娘夫婦、孫娘夫婦、出征していった二人の孫を次々に失い、孫娘の遺児二人と共に残される。鶴代は77歳になっていた。


それにしても長い物語だった。

鶴代のように貧しくても自分の考えをしっかりもって、周りに流されることなく人を羨んだり愚痴も言わずに果たして生きていけるものだろうか。
自分の思うようにしてもそれが周りを傷つけるどこるか、周りをも前向きな気にさせていく。ほんとうに不思議な主人公だ。
息子が戦争を肯定するというか、むしろ戦争を起こす側に立ったときは人を苦しめる結果になるからと、息子に会うことをガマンすることで鶴代なりの世間への申し訳を表す。あくまでも自分に正直にそれでいて正道を生きていく。




『自分の気に入った仕事に就ける人間など、世間にそうざらにあるものではない。だが、たとえ不満でもそれを乗り越えて、与えられた仕事に全力を打ち込めぬような者は、どんな仕事にかかわったところで、結局は不平が先に立って、ものの役には立たぬものだ。そういう人間は、不満な仕事さえ失うことになる。身から出た錆で、やむを得んではないか。』

『日本を強引に中国との戦争のなかに投げ込み、いつ果てるとも知れない底なし沼のような過酷な運命を国民に押しつけたものの側に、壮太郎は立っている。たとえ彼がこれまでに果たし、いまも果たしつつある役割が、末端の端役に過ぎないにしても、彼が自分の思想と行動に責任を負わなければならないのは当然である。
だが、責任は国民の側にもある。ほんのひと握りの人々を除けば、国民のしたことは権力への盲目的な追随と、卑小な迎合だけである。しかも、その心理の裏には、自分たちの非力を逆手にとって、権力の側に下駄を預ける狡猾さがひそんでいる。軍国主義であろうと全体主義であろうと、権力が要求するものには逆らえないという観念をみずから固定化し、それを大義名分にさえして、その要求に先をあらそって同化することによって、他人より多く目先の利益を得ようとひしめきあっている。
事態がますます悪化することにでもなれば、その責任の一半はそうした国民の態度にもあるはずだが、その時は、彼等は自分たちの非力を免罪符にして、犠牲者面に早変わりするのは目に見えている。』

『子が自分の生涯を否定しなければならないとき、母親もまた、その子以上の悲しみと絶望のなかで、自分の生涯を否定しないではいられない。自分が産み、はぐくんで来たものが、みずからを存在すべきではなかったと裁断する結果に行き着いたとすれば、それを生み育てたものの生涯も、その瞬間に必然的に完全な無意味と化するはずだからである。
母と子は別個の人格ではある。しかし、それでもなお、すくなくとも母の側からは、さらに深い意味で同一の存在なのだ。なぜなら、彼は彼女から出たものであり、その意味で、彼の生命と存在は、彼女の生命と存在そのものだからである。』


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