読書記録

2003年09月29日(月) 二竿の箪笥          植村 清

 子どもの頃の戦争の体験を残しておきたいという著者の古希の祝いの自己 出版本。

現在、私の家の離れには古びた二竿の箪笥があります。何の変哲もない、ただの古い箪笥です。両親が亡くなってから、持ち主のいなくなったこの箪笥を何度捨てようと思ったかしれません。けれど、人が聞けばばかばかしいと思われるかもしれませんが、この箪笥には深い思い出があり、なかなか捨て切れないのです。この箪笥は戦火を逃れてきた物なのです。

人はなぜ、戦争をするのだろう。
戦いは人間の本能なのでしょうか。
戦争のために、どれだけ多くの人が亡くなり、傷つき、運命を狂わされてしまったことでしょう。敗者はもちろん、勝者の運命を狂わせてまで、愚かに戦ってきたのが、歴史の現実であります。私は最後の戦争体験世代のひとりとして、この文章を書き残しておきたかったのです。私の体験した第二次世界大戦では、日本とは明らかに国力が違うアメリカに対し、なぜ攻撃をしかけたのか、わかりません。本当に勝てると思っていたのでしょうか。
日本の軍人の中にも、外国の事情や国力の違いがわかる人はたくさんおられたことでしょう。それに、日露戦争当時にはアメリカが日本を助けてくれていたのです。破滅するのがわかっていながら、戦争に駆り立てられていく指導者の心が私には理解できません。
冷戦が終わり、長い年月が過ぎた現在も戦争の影は尽きず、テロを起こすような人も現れてきました。
現在、イラク問題が、北朝鮮問題が世界中を困らせています。アフガニスタンの戦争も多くの難民をどうすれば良いのか、大きな問題になっています。
一日も早く、地球上から戦争がなくなる日を祈り、期待して、この本の終わりにしたいと思います。(作者 あとがき)


昭和20年3月10日は東京大空襲のあった日である。
そして3月13日は大阪で大空襲があった。
作者の実家は大阪の浪速区で空襲にあい、奈良まで疎開した。大阪の空襲は生駒山を越えて奈良までその赤い炎を見せたと聞く。

作者は私の高校の先輩にあたるようだ。
ここでは書けないが 浪速区というのにも何かの縁を感じる。



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