何の気なしに図書館で手にした「深紅」という題名の本 今日の宅間守の死刑判決とだぶる内容だ この本は余りにも凄惨な方法で、両親と二人の幼い弟を惨殺された事件当時12歳だった少女の物語 阿佐ヶ谷一家4人殺人事件としてマスコミにも大きく取りあげられた 修学旅行に行っていて難を逃れたが、少女が自分だけ生きていていいのかとずっと苦しむ その中で裁判について、裁判とは被害者のためのものではなくて加害者のためのものだと言っている 確かにその通りだと思う 犯人が未成年なら死者(被害者)に人権など全くない TVでも雑誌でも未成年のプライバシーは保護されるが、被害者は何の落ち度がない場合でも氏名も写真も公表される その後 生き残った少女は、死刑判決の下った犯人にも自分と同い年の娘がいたことを思い出して近づいていく。だが 犯人も人の親でありその娘もある意味 犠牲者なのだ
それにしても 今日の宅間守の裁判でも感じたことだが、こんな男のためにいったいいくらの税金を使うのか 弁護士費用、被害者への国からの弁償金、校舎の立替費用、そして死刑執行までタダで食・住の面倒を見る訳だ たいていの人間は世の中の不条理と闘って生きているのだ いたいけな子供を殺めた罪は償いようがないのだ
それにしても後味が悪い 事件の起きた6月8日はダンナの誕生日 あの日、私は出かけていて何も知らず出先でケーキを買って帰った 夕食後にデザート的な感じでケーキを食べたけれど 事件にあわれた家族の方たちはどんな想いでその日を終えたのか・・
2003年08月22日(金) |
私小説 瀬戸内 晴美 |
いったい、小説家は「小説」の名において、どこまで自分や他人の心を描き出すことが許されているのか。逆の形で問えば、それを「小説」にしているのは、いったいこの人間の社会が「文学」に託しているどんな期待であり、希望であるのか。人間には当然人に知られたくないし、表現として残されたくない、さまざまの心の秘密があるはずだ。小説家、そして宗教家としての作者は、むろんそのことを知悉している。それでも、なおかつ、90代の老革命家の異性に対する狂おしいまでの愛執を描き出し、仲間たちを殺害した革命党派の女性指導者の、死者に対する罪の意識を問い詰めるのはなぜなのか。これは小説家のディレンマというより、むしろ「業」とでもいったほうが、この作家にふさわしいものであるだろう。もちろん、そうした「業」や「煩悩」といった言葉で、たやすく納得するわけにはいかないことなのだが。
現実にそって、刻々身辺の事実を羅列していって、いかにも真実を告白していくように見せながら、決して真実なんて本質の四分の一も語りつくせないものですよ。 そんなら私小説という手法を逆手にとって、いかにも私小説らしく嘘八百書いてやれといつか思うようになった。ところが、それも落とし穴だったわけ。逆手にとったつもりがいつのまにやら逆手にとられ、こっちが私小説ふうの枠組の中で振りまわされていた・・・。
私小説=死小説
2003年08月01日(金) |
天涯の船 玉岡 かおる |
内容 明治十七年、姫路藩家老のひいさまの身代わりになった少女ミサオと、大志を抱いて留学する青年・光次郎は、神戸からアメリカへ向かう船の上で出逢った。留学後ヨーロッパ貴族へ嫁いだミサオと、実業家として成功への道を歩み始めた光次郎は、再会して惹かれ合い、そして…運命の荒波に翻弄された。男はこの女の苦難にみちた人生のために。そして女はこの男との壮大な夢のために。たがいに一生をかけ、並んでここまで歩いてきた。ミサオ。自分は彼にそう呼ばれる女となるために、長い日々を航海してきた船だと知った。どうしてずっと一緒にいられないのか、問うてもしかたのない現実に、せめて今は狂わずにいられることだけが救いだった…。
私感 明治維新で日本が大きく変化していったなかでこんな女性がいたかもしれない、と思う。ミサオ・マルガレータ・ヒンメルヴァンド夫人。 家のために文明開化と称して許婚と別れてアメリカへ行かなければならなかったお嬢様のために 思いもかけず 身代わりとして酒井三佐緒になってアメリカへいった12歳の少女の波乱にとんだ生涯の物語。 子爵夫人となってもそのアメリカ行きの船の中で知り合った桜賀光次郎を忘れずにいたが、未亡人になってからやはり思い続けてくれていた光次郎と再会する。戦争とか子爵夫人としての世間の目を気にしながらも、自分の気持ちと正直に向かい合いながら生きていく。12歳のときに生き別れた妹の子供とも再会して自身は戦後、息子とアメリカに渡り余生を送る。
ミサオは架空の人物だとしても光次郎にモデルはいただろう。かなり読み応えがあって素晴らしい作品だと思う。
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