うさぎのつぶやき
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今日で、5月も終わり。
いよいよ六月に入るとすぐにしなきゃあならないことがある。そう、年末の“一万人の第九”参加申し込みだ。
昨年までとちょっと変わったことがある。 これだけインターネットが普及してきたこともあり今年からネットでも募集を始めるそうだ。 それだけなら、別にどうということもないのだが、これまでは先着順で参加できていたので、初日〜二日くらいに事務局に着くように 葉書を出せばよかったのだが、ネットと葉書両方の中から、抽選によって決めるとの事。
とにかく“くじ運”が悪い私。困ったことになったと内心思っている。 もう、10年以上参加している人は、優先的に参加させてくれればいいのだが、そういうわけにはいかないらしい。
どうかどうか参加できるよう祈っていて欲しい。
今日はちょっとうれしいことがあり、何となくウキウキしている。
明日は、娘が年休だそうで、お弁当もいらないので、朝もゆっくり起きれる。
そんなことを考えていたら、こんな時間になってしまった。もう寝よう。
24日、ネットで知り合ったフォークの仲間達とオフ会をした。
私は、今回で4度目の参加だ。 大阪駅のコンコースで待ち合わせ、一次会のカラオケBOXへ向かうべく、おじさん、おばさんが、連れ立ってめいめいにギターやその他、機材や、楽譜などの入った大きな荷物を抱えて人ごみの中を練り歩くさまは、年齢だけをはずせば、最近では珍しくもない光景であろう。
梅田の混雑した人ごみを、かぎ分けかぎ分け、やっとたどりついたカラオケBOXは、いつものお店である。 ここでは、私達のグループはカラオケがかかることは殆どなく70曲位歌った中で、3〜4曲くらいのものだったと記憶している。 あとは全部ギターを演奏して、それに合わせて皆で歌う、曲目も殆どフォーク、オールディーズという変わった(?)集団である。 およそ4時間弱その中で、歌いっぱなしに歌って、17:00過ぎに店を出て、一路二次会の行われる夙川へと向かった。
「ネットで、知り合った友人達」というくくり方をすれば、最近何かと話題に出る事件がらみの集まりに聞こえるかもしれないが、 (当初、実際私自身も、その危惧感を持っていなかったといえば嘘になる。)普段のやり取りから、自分の直感を信じて飛び込んで行った先は、とても暖かく穏やかな人たちばかりであった。以来仲間に入れていただいている。
私たちの青春時代を語るときに(多分大方の人が「絶対」という言葉を使うだろう)絶対はずせない「FOLK SONG」・・・。 その思いを共有できる友人が集まって仲間でいる、何て素敵なことだろう。ありがたいことだろう。
「フォークがすき」という通行手形やIDカードを持って集まる仲間達に乾杯!
ずっと気になっていた「宝箱のページ」をやっと今日UPすることが出来た。
作って下さったプレートやアイコン、それから頂いたものをUPするのに写真がネックになってどうしてもご披露できなかったのだが、先日の、写真のCD焼付けのお陰で、眠っていた頂き物も日の目を見ることが出来た。
トマトが直径1.5センチくらいの大きさになってきた。触っただけでしっかりトマトの匂いがしている。 今はっきりと実がついているものが3個、花がついているものが、10個くらいある。
可笑しいのは、ご近所の方たちである。殆どの人が「トマト大きくなったねえ〜」と声をかけてくださる。みんな注目しているのだろうか?
美味しく出来てもおすそ分けできるほどたくさんはならないと思うのだが・・・。
なんでだろう?
最近とても眠りが浅い。12:30〜1:00の間にお布団に入るんだけど、3:00〜4:00に目が覚める。 それから6:00頃まで、うつらうつらして、6:20には起きるんだけど、なんかぐっすり眠った感じがなくて意識が残っているような眠りだ。
お昼の間ずーっとPCの前に座っているもんなァ、体が疲れていないのだろう。ちょっと運動でもしなきゃあならないかも・・・。
2003年05月22日(木) |
◆ブクブクブクブク・・・ |
突然だけれども、
寝る時間がなくてそれがずーっと続いて、起きている間中、頭の中でお布団がおいでおいでをしている・・・ そんな経験をしたことがあるだろうか?そしてそんな時お風呂に入ったらどうなるか・・・
湯船に浸かっていると瞼がツーっと降りてきて閉じてしまう、とその瞬間顔がお湯の中にブクブクと沈んでいくのだ。 ハッと目が覚めて慌てて体勢を戻すのだけれど又同じことの繰り返しで、眠気に打ち勝つことが出来ず体を洗う力も失せていく。
昔必死で仕事をしていた頃、3時間くらいしか睡眠時間が取れなくて、そんな状態で一年くらいを過ごしたことがあった。 そのころいつもお風呂に入るとブクブク、ブクブク沈んでいたのだが、今日先ほど久しぶりに沈んでしまった。 別にそんな言うほど睡眠時間が不足しているわけではないのだが、とにかく眠くて瞼が閉じてしまう。 ひとしきりブクブクやった後、もう諦めてお風呂場からでてきて扇風機に当たってこの日記を書いている。 なんかふと昔を思い出してしまった。
今日の毎日新聞にのっていた「とんでもない事件」
埼玉県のある小学校での出来事。 4年生のあるクラスで、出張中の担任教師の代理をやっていた校長が、静かにさせるために「ドレミの歌」の替え歌を子供達に歌って聞かせたのだという。
「ドはドクロのド、レは霊柩車のレ・・・・・・シは死人のシ、さあ死にましょう〜♪」 おまけに校長が歌ったことや教わったことはいわないで・・・と口止めまでしたのだそうだ。
軽率だったと謝罪したそうだが、口止めをするということは、言ってはいけない事と認識していたからであろう。 だとしたら軽率だったという謝罪だけで片付けていいものだろうか? 市教委は適切さを欠いていると注意をしたそうだが、果たしてそれでいいのだろうか? 当事者の校長や又市教委は、それぞれの立場、おかれている環境、を一体どう考えているのだろう・・・。 考えると非常に腹立たしい。
そういえば、私が30歳ごろ、ある所で教育委員会の方々とご一緒したことがあった。その中に長と呼ばれるお偉いさんが一人いたのだが、 その店のたたずまいが、非常に良くてその話になった時 「ほんとに風情がありますよね。」と私が言ったのに答えたそのお偉いさん、 「君に風情なんて言葉が解かるのかね?」とのたもうた。 同行した委員会の人たちは目を真ん丸くしていたが、あとで謝罪して下さった。
それでも未だに教育委員会と聞くとそのときの言葉を思い出してしまう。忘れられない言葉だ。
2003年05月20日(火) |
◆花いろいろ -2- |
トマトが・・・先日からたくさんの花をつけていたのだが2〜3日前からいくつか枯れてきていた。 そして今日ついに花が終わった後に小さな青い実が、ついているのを発見した。完全に大きくなるまでにはもう少しかかるだろうが とっても楽しみになってきた。
今日はポーチュラカの苗を6本、コリウスを5本買ってきた。 おまけに大好きなチョコレートコスモスの苗を見つけたので一緒に買ってきて、お昼から植え替え作業をした。 古い土を乾燥させてあったのでそれをふるいにかけて選別しそれに赤玉土や肥料を混ぜ、土作りの後、植え替えた。
ご近所のおばあさん達は「ここを通るといつもきれいにしてあるから気持ちいいねえ〜」「何時も楽しませてくれてありがとう〜」 等といって下さる。お世辞でも嬉しいものだ。
先日初めて写真をCDに焼き付けてもらった。
デジカメを持っていないし、携帯はカメラつきではないので、試しに3年前に撮った写真のネガを持っていったら「出来ますよ〜」との返事。
プランターの鉢植えが、とってもきれいに咲きほこっていたので、思わずカメラに収めた時の写真だ。
これから、徐々にUPしていきたいと思う。
これを疑心暗鬼と言うのだろう。
昨日明らかにされた、SARSの感染患者(台湾の医師)が関西に旅行に来ていた事実。 「暫くは、人ごみには出ないでおこう」と思っていた。 昔から宝くじには当たったためしがないのに、いやなことにはよく当たるたちなのだ。 もしかするとウィルスが大阪にも入ったかもしれないと思うと、うかうか外出も出来ない。
なのに・・・どうしてもミナミまで出かけなければならない用事が出来てしまったのだ。しかも今日は雨上がりの日曜日ときている。 人ごみの中に入っていかなければならない憂鬱と用事を天秤にかけたらやはり用事の方が重かったのである。
仕方無しにバスに載って出かけた。 バスの運転手は、マスクをしている。「あー私もマスクをしてきたらよかった!・・・」と悔やんだけれどもう遅い。
ミナミについて難波のあたりを歩いていると外人の団体旅行者らしき人達もたくさん歩いている。 「あッあそこにも、うヮここにも、ひャァ、いっぱいおるやんか・・・!この人ら、関空を通ってきたんや!」心のなかで、叫びながら、用事を済ませ、なるべく下を向いて呼吸も少なくして(笑)とっとと帰路についた。 周りの人たちが、ウィルスをもっているような気がして、恐らく私の目つきはヘンだったに違いない。
2003年05月17日(土) |
◆「テーマの付いた掲示板」 |
顰蹙をかったのだろうか・・・ あまりにもミーハーであきれられてしまったのかもしれない。
「テーマの付いた掲示板」今月のテーマで心に残ったシーンを書いて頂いていたのだが、先日の私の書きこみの後ぷっつりと途絶えてしまった。
TVドラマといえば、私の中では“東京ラブストーリー”が心に残っていて、未だにこのドラマの中での一コマ一コマが忘れられなくてご紹介したのだったけれども・・・。
ま、いいやどう思われようと私はリカとカンチが好きだったんだから・・・。(でも書きこみもして欲しいなあ・・・)
戦後の復興に向かっているイラクで、とんでもない事が発生したという。
イラク博物館が壊滅状態だそうだ。 メソポタミア文明を知る上でも欠かせない貴重な文化遺産が、数知れず展示してあったそうだが、これらの殆どが持ち去られたというのだ。
そもそも世界四大文明の一つであるメソポタミア文明はティグリス、ユーフラテスの二つの川にはさまれたこの地方(現在のイラク)で、紀元前3500年くらいに都市国家が成立していたという、世界で最初の文明である。
黄金の月桂冠をはじめとする金銀財宝、象牙といったおよそ3000億円の価値があるといわれているほとんどの展示品が持ち去られたのだそうだ。
一般の国民が、ホテルや公共の建物などに入り堂々と調度品等を持ち去る所の映像を何度かTVで見たことがあるけれども このイラク博物館の場合は、そういった強奪が始まる前に持ち去られた可能性が強いらしく強奪されたかのように見せるために故意に荒らしてあったという。 その上展示リストまで持ち去られ、何がなくなったのかもわからないということで現在各国の有識者が資料を持ち寄り持ち去られた品物のリストを制作しているとの事であった。
爆撃があった時職員は全員非難していたとかで、戻ってきて荒らされた後を見て泣いていた。 悲しいことに欲しがる者がいるから、供給する者が出てくるわけで、恐らくほとぼりが冷めた頃にヨーロッパの方へ流出するだろうけれども そのうちの何パーセントかは、日本で売買される可能性があると専門家は語っていた。
トップの写真にラグラスを飾った。 これは私の大好きな花(草)。通称バニーテールと言われている。
一体に尻尾の名をつけた花が好きである。「バニーテール」「キャットテール」「ポニーテール」皆ふわふわしていたりサラサラしている。
それから小花が好きだ。自分が大きくて頑丈そうだから、反対にちっちゃくて、こじんまりとした儚げな花が大好きである。
アリッサム、パコバ、かすみそう、こでまり、岩から草、などなど。憧れにも似た気持ちなのか・・・?
今日は母の日。 昨日娘が「ママ、これ!」そう言ってバラの花束を持って帰ってきた。 彼女は、毎年プレゼントと一緒に必ずお花を用意してくれる。
今年は、エッセンシャルオイルの入った、リフレッシュの為のマッサージジェルをプレゼントしてくれた。 こめかみや、耳の後ろのツボにちょっと塗り込むととてもリラックスできるらしい。 「パソコンして疲れたときに良いよ」そう言って渡してくれた。 「ばんばん(田舎の母の事をこう呼んでいる)には送った?」そう聞くことも忘れない娘に心から感謝をした。
ちなみに実家の母には、紫陽花の鉢植えを送ったのだが、夕方とてもうれしそうに電話が入った。
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<徒然日記より 2003.05.11>
「母の日」によせて
今年も“母の日”がやってきました。 今回は、私の母について少し書いてみようと思います。
母は昭和4年、6人兄弟の末っ子として、この世に生を受けました。 生まれてすぐに母親が病気で亡くなり、父親は、そんな末娘を不憫に思ったのでしょう。 それはそれは可愛がり何かにつけても特別待遇だったと、姉である伯母から聞いたことがあります。 そんな父親は、おっぱいの代わりにヤギのお乳を飲ませ、農作業に出る時は、背中に背負った籠に母をいれ畑に連れて行き、日がな一日畑で過ごし、夕方になると又籠に入れ背負って家路を急ぐそんな毎日だったようです。
2、3年前の宮中歌会始めに「草」という“お題”が出された時がありました。 普段、短歌などあまり詠むことはないのですが、そのときふっとこの母の事を思い出し、スラスラっと出てきた歌がありましたので、思い切って応募したのですが、残念ながら採用しては頂けませんでした。 私は、秀作だと今でも思っているのですが(笑)ここで、ご披露したいと思います。
背負われし 幼き頃の籠の中 刈り干した草のかすかににほふ
母が子供の頃はとても活発で、足も速く、遊ぶ友達は男の子ばかりだったといいます。運動会の朝は父親が、「ミキ(母はこう呼ばれていました)これを食べていけ!」と必ず山芋を擦ってくれて食べさせてくれたそうです。お陰で足が速かったといいます。
いろいろなことを聞いてみると、母親がいなかったけれどもその代わり父親に、とっても大事に育てられたことがよく分かります。母の「慈愛の深さ」の原点ではないでしょうか。 そしてその「慈愛の深さ」は父と出会い結婚して私が生まれてからますます発揮されていくのです。
私の父はサラリーマンでした。 決して裕福とは言えませんでしたが、私達子供は少しもそんな思いをしたことはなく何時もこざっぱりとした格好をさせてもらっていました。 それは、全て母の手作りのお陰でした。余裕がないから既製服は買えないので、生地を買ってきて近所の親しいお宅でミシンを借りて、作ってくれたり、リフォームしてくれたり、肌着もパンツ以外は、全て手作りでした。 ヘアーバンドまで、作ってくれました。子供の頃の写真を見ると、何時も手作りの洋服を着た私が、笑っています。 でもそれを惨めだと思ったことは一度もありませんでした。 というのは、必ずレースをつけてくれたり、フリルが付いていたり又とってもおしゃれに作ってあったりと、他の誰より素敵なものだったからです。
私は小学校の4年生の時に転校したのですが、その時にミシンを買った母は、私達が学校から帰るといつもミシンの前に座っていました。 「今度は何を作ってるん?」と聞くと「○○さんからの頼まれよ」 「あんたのと違うよ」そう言って2〜3日で仕上げた後「ちょっと着て見る?」と言って私に着せてくれました。「やっぱりみどりちゃんのほうが似合うね。」・・・。 驚かせようと嘘をついて、よく私のものを作ってくれたものです。
又、学校から帰ると必ずおやつが作ってありました。 蒸しパンだったり焼きおにぎりだったり夏は寒天のフルーツ寄せだったり、 そうそう冬はお餅の硬くなったものをあられに作ってくれたり・・・。 サツマイモがふかしてある日やとうもろこしがゆがいてある日もありました。
こう書くと優雅な家のお嬢さんみたいですが、只単にお小遣いをあげる余裕すらなかったと言うわけです。お金を持って駄菓子屋さんに走った経験は全くありません。 ですから、紙芝居は、おじさんにおっぱわれる方でした。 何か買わないと見せてもらえませんでしたから・・・。 でも母の用意してくれていたおやつは、何時だって美味しかったし、私達兄弟は、かなり満足していたような気がします。 料理もそうでした。 外食などした事がなく、いつもどんな時でも母が作ってくれました。
母親の暖かさを知らずに育った母でしたが、だからこそ「こうして欲しい」とか「こうだったらいいのに」といった子供心をよく分かっていたんだと思います。 今年で75歳になりますがいつまでも元気で明るい母であって欲しいと願わずにはいられません。 ’03.5.11
2003年05月09日(金) |
◆赤ちゃん (その2) |
生後7カ月の赤ちゃんの頭部を足で踏みつけるなんてことがなんでできるのだろうか?しかも2回も・・・。
先ほど見たasahi.comのニュースである。 「泣いてぐずったので頭にきた」と言う。
こんな親は同じような目にあってもらうしかない。寝ている赤ちゃんから見れば、22歳の大人が立ちはだかるとまるで怪獣のようだろう。 自分の顔より大きい足の裏が迫ってくる訳である。
ガリバーに出てきてもらうか、はたまたゴジラか、それとも両方に踏みつけてもらうのが良いかも知れない。
長いことチャットを利用していなかったからなのか、久しぶりに入ってみたら「NOT FFOUND」の文字が・・・。 強制削除されてるのかしら?と思って試しにやってみたら、普通に書きこみもできるし何の問題もなかった。警告かもしれない。
時々は利用しなきゃあと反省することしきり。以前チャット大会を企画したものの企画倒れに終わったので、あれ以来チャットルームから足が遠のいている。
も一度やってみるか・・。
今日近所の往来で見かけた気になる光景
生後半年くらいの赤ちゃんをベビーカーに乗せ若いお母さんが歩いてくる。 見るともなしに見ると、4センチくらいのヒールのサンダルを履き、足には真っ赤なペディキュア、勿論マニキュアも赤。髪の毛は金髪。 ローウェストのGパンをはき、腰周りは肌が見えている。 片手で、携帯電話中だ。大きな声でしゃべっている。必死でしゃべっている。
最近よく見る光景だ。・・・が咄嗟に何かあった時に赤ちゃんを守れるだろうか?身をなげうってでも守らなきゃあならない時に4センチのヒールで守れるだろうか?マニキュアを塗る時のあのシンナーの匂いは、赤ちゃんに悪くないか?それを考えて塗っているんだろうか?
回りのあらゆる危険から、自身では見を守ることが出来ない赤ちゃんを、守ってあげられるのは、母親であるはずだ。 若い人は、お化粧をしなくても真っ赤なマニキュアをしなくても、極端に言えばスッピンでも美しいと思うのだが・・・。
それより赤ちゃんを守って欲しい。切にそう思ってしまった。
なんと!“トマト”が・・・一晩で、15センチも伸びていた!
昨日、田舎の母から荷物が届きました。
前日に「荷物を送ったからね。何が入っているかは お・た・の・し・み!へッへッへ〜」 と嬉しそうな声で、電話が来ましたので、私も心待ちにしていました。 開けてみるとあくまき(もち米を竹の皮に包んで、灰汁のなかに漬け込んだもので、べっ甲色のお餅のようなものです。触感は、わらびもちをもっともちっとしたような感じかな・・・)が8本、 きゅうりが5〜6本、母が庭で作ったしその葉30枚程、とうもろこし3本、そしてたけのこ(これは“こさんだけ”といって細い筍です)いっぱい、鯛の干物、鰤のみりん漬けでした。 お野菜はチャンと新聞紙を湿らせてやさしく包んでありました。
去年も同じようなことを書きましたが、実家は農家ではありません。父はサラリーマンでしたので現在は、二人で年金暮らしをしています。 ですから、市場で買って来て荷物を作ってくれるのです。 送ってくれるたびにありがたく感じます。荷物をあけるといつも優しい愛情がフワーっと広がります。
これは、私が大阪に出てきて会社の寮生活をしていた時から、変わりません。 大事に大事に育てた娘を手放し、寮生活でひもじい思いをしているのではないだろうか・・・ 寂しい思いをしているのでは・・・という母の思いがぎっしりとつまった荷物でした。 以来変わらず季節季節に母からの荷物が届きます。 そんな思いにどうやったら答えられるのか何時も考えるのですが、母にしてみれば、私が何時も明るく楽しそうにしていればそれで満足なのかもしれませんね。
来週は、「母の日」です。
2003年05月04日(日) |
◆花いろいろ -1- |
ここ数日の好天気にプランターや植木鉢の中も春真っ盛りだ。 なんと!
*トマト 一昨日に小さな小さな花芽を発見したのだが、見るたびに大きくなってもうはっきり花が付いていることが判るようになった。 丈もうんと伸びて、もう40センチくらいになっている。
*パセリ とても強いので、成長も早く昨日は、4〜5本ちぎって炒め野菜の仕上げのあしらいに使って食した。
*ナスタチイウム これは花芽が付いていることに気が付かなくて、今朝朱赤の花を見つけて驚いた。
*ミニバラ・・・Green eyes これはもう5年位前から、植えてあるのだが青虫に食べられ続け、はだかんぼうになっていたのに、いつのまにか青々とした葉をつけ、たくさんの花をつけ始めている。 これは緑色の花びらなのだが、薄ピンク〜ピンクへと色を変えていくので、結構楽しめる。
*アッツ桜 それこそ我先にと競い合っているかのように次々と土の中から芽が出ていたのだが、殆ど出揃ってピンクの可憐な花をつけている。
*チロリアンランプ これは私と相性が悪くなかなか花が付かない。 よその家を見てみると結構たくさんの花が付いて可愛いのだが、今回やっと小さなのが、ひとつ付き始めている。
*蝋梅 実家の母が、「チロリアンランプ」と共に挿し木をしてくれて、2年ほど前に持って帰ってきたのだがやっと今年立派に成長してくれたようだ。 青々とした葉っぱを四方に伸ばし大きくなっている。この冬には、花も付きそうな勢いだ。
今日は娘が、夕飯要らないというので、私一人だったから有り合わせを食べようと思っていた。
昨日デパートで美味しいお漬物を買ってきたので、それがあるし塩鮭でも焼いて・・・と考えていた矢先、外に出てプランターをのぞいたら、バジルの葉っぱがとっても大きくなっていたので、4枚だけちぎったらふとパスタを思い浮かべてしまった。
「そうだ、今日はパスタを食べよう」・・・。
でとっても美味しい食事をすることが出来た。
先日の“トマト”がもうすっかり大きくなって30センチを超える勢いである。
茎の横に支え棒を立ててあるのだが、新しく長いのに変えたほうが良いかもしれない。 “バジル”も葉っぱが大きくなってもう食べれるようだ。 今日あたりサラダに添えて食してみよう。 “タイム”はちっちゃなちっちゃな花が咲いている。“ローズマリー”と共にこちらも料理に使えそう。
xxxxxxx<'03.05.01の徒然日記より>xxxxxxx
◆一周年に寄せて 昨年春、パソコンを触り始めて3ヶ月の私は、何も判らないままにホームページを手がけることとなりました。 本当に何もわからないままでしたので、言ってみれば、「オーダーメイド」ではなく「レディーメイド」の出来合いのものでやり始めたのでした。 これは只、色々と質問してくるので、「はい」「OK」をクリックして、希望のものを選択していけばいつの間にか出来上がるという仕組みでした。
ゴールデンウィークが始まったばかりのこの時期に完成して、いよいよ立ち上げの瞬間を迎えることが出来たのです。爽やかな風が肌に心地よい五月一日の事でした。
あれから一年いろんなことがありました。 最初は、GIF画像を取り込むことが出来ず、お気に入りのアニメーションも静止画像のままで使っていましたっけ。 二ヶ月ほどたってからyahooのアドバイザーに問い合わせをしてみたら、 IEが壊れているのではといわれ再インストールをしてみたところ、 ちゃんとアニメーションが動くようになったのです。 あの時の感動は、その後の素材やさんめぐりで片っ端からダウンロードして HPに貼り付けていった勢いで判っていただけたと思います。
これで順調に動き始めたと思ったのもつかの間でした。 文字化けを起こしたり、ファイルの整理をしていて移動させたファイルの 書き換えをそのままにしていて画像が、皆バッテンだらけになったり・・・。 JAVAアプレットでは設置がうまくいかず、ミスターさんとひげのおじさんに 教えていただきながら、やっとこさでUPにこぎつけることができたのでした。
そうこうしているうちにある日突然PCが立ち上がらなくなり、どうやっても動かず、あちこちに電話して聞き合わせたのですが、これはもうメーカーに任せるしかないということで、東京まで、運ばれていきました。
初めて迎えるX'MAS でしたので、素材もそれ用に集め、レイアウトも考え、 色々と用意しようと思っていた矢先の事でしたので、とてもショックでした。 決して安いものではないPCがこんなに簡単に一年もしないうちに壊れるなんて納得がいきませんでした。 しかもどうして壊れたのか何が原因だったのかをわかるように説明してくれる人もいなくて、メーカーの人も販売店店員も、わかっていない様子でした。 「よくあることです」とか「わからないけど壊れるんです」といった私にでも答えられるような返事しか返って来ませんでした。
無事に修理が終わって戻ってきたのは、12月も半ばに挿しかかろうかという頃でしたので、X'MAS用の飾り付けをばたばたとやって、それが終わってすぐにお正月の飾りに入り、何とか年を越すことが出来ました。
今年に入ってからは、トラブルもなく順調かと思えたのですが、私自身にトラブルが生じてしまい、どうしてもPCの前に座ることが出来なくなってしまいました。暫くのお休みの後、気持ちの復活ができて参加できるようになったのは、つい最近じゃあなかったかしら?
たくさんの方たちに支えられて、励まされて、応援されて何とか一年過ごすことが出来ました。
一番最初のお客様 miuraさん、それから、まうすさん、ミスターさん、ひげのおじさん、ともっち、みゆきちゃん、かおりちゃん、かんとりーままさん、 有元先生、まゆさん、黒い長靴さん、地の果てのうさぎさん、のはらゆりさん、うしモーモーさん、ヤマドルママさん、たぬきさん、 それから、ROM専のMIDORIさん、pollyさん、豊中のN.Sさん、小林の優子ちゃん、Aちゃんご夫妻、きょうかちゃんそして多分見てくれているEKKO、 又素材を提供してくださっている 葵さん、月兎屋さん、ホームページのおもちゃ箱さん、万華鏡さん、Holyさん、牛飼いとアイコンの部屋さん、画像のない素材やさん、月球儀工房さん、おはじきの庭さん、まったりほんぽさん、 RyanRyan Accessoriesさん、昼寝の時間さん、ベンチタイムさん、せっかくネットさん、CgiBoyさん、freeparkさん、 そしてそして、忘れてならないSUNちゃんの素材やさん みんなみんな本当に有難うございます。
皆様のお力がなかったら、とてもここまで来れませんでした。 心から感謝いたします。
でもこれもひとつの通過点だと思っています。 そしてこれからもっともっと楽しいページを作って行きたいとも思っています。 どうぞ何時までもよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。
★お名前の抜けてしまった方ごめんなさい。
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