++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2010年08月31日(火) *八月の終わり、今日の終わり

八月がまた今年も往き過ぎる。

夏の終わりというにはまだまだ暑すぎて
でもそれでも暦は確実にめくられていくわけで。

今日を生きるということの
命というものの
尊い重い意味と
儚さ脆さあっけなさ

この矛盾する二面は
でも人そのもののように
陰陽・裏表

けど 
何が陰で陽なのか
どちらが裏で表なのか。

命は重い
命は軽い。

吹けば飛ぶような儚さに気づかずに
生きていくことができたら
もしくは儚さを知りつつも
それから目を逸らさずにいられる
しなやかな強さがあれば
もう少しわたしは違った景色をみることが
できたんじゃないだろうか

なんて 戯言を うわ言のように
此処に書いてみたり する。

なんて重くて
なんて儚い
胸が詰まって喉が塞がれて
声が 出ない よ。


夏は暑くて苦手というより苦痛、嫌いなんだけど、
何処かいつも失くした懐かしい子供の頃の景色を思い出させられる。
瘡蓋になった傷痕を剥がす時のような 甘やかな痛み。

あったはずのものとか
できたはずのこととか

積み重ねた年月の中に置いてきてしまったもののことを
ふと 思い出して泣きそうになる。


なりたかったけどなれなかったのは
結局 なろうとしなかったからだろう。


それなりにそのときそのときを
精一杯生きてきたつもりだったけど
結局 空っぽなんじゃないだろうか。わたしは。



考えすぎないこと。
むしろできるだけ感情を閉じ込めて考えこまないこと。
特にこんな夜には。


往こうとしている懐かしい目をしたあの夏に

目隠しされて
包まれて

連れて行かれないように。



2010年08月23日(月) *孤独の肖像

両親からは一人娘だったせいもあり
愛されて育った と 思う。

ただ今思えば 
その分、期待と重圧
こうあるべきという縛りが常にあり、
親の価値観とその枠からはみ出る事は
許されなかった。

失敗をできるだけしないようにと
転ばぬ先の杖の過干渉。
意志が強く有言実行の父は
可愛い娘にはできるだけ苦労させたくないし
傷つけたくないと思ったのだろう。

挨拶、行儀、礼儀は祖母がいたせいもあって
かなり厳しく仕込まれた。
これには感謝しているが それにしても
幼い頃のわたしは子供らしい無邪気さというよりも
大人しい典型的な指示待ちっ子で
何に対しても親からそれで大丈夫といわれないと
安心できず、失敗を極度に恐れるようになっていた。

明るく素直で良い子だけども考えすぎて神経質すぎる。
よく言われてきた言葉であり評価。

明るく素直で良い子という評価は
わたしなりに周りの顔色を読み、望む反応をする という
努力をし続けてきて得たもので
そうすることで初めてわたしは愛されるのだ ということを
経験して学んだわけだ。

考えすぎて神経質すぎる というのは
それだけアンテナを張り巡らせてないと
ちゃんとあるべき姿が維持できなかったということなのだが
注意深さと考えすぎの境界線というのが
大変に難しくて(これは今でもそうだ)
長じるにつれ、頑張りすぎて自滅する というパターンが
多くなっていた。

まぁそういう決定的なアンバランスさはあったものの
大きく親に逆らうこともせずに
わたしは(年齢的には)大人になった。

両親には両親の夢がずっとあって
わたしの夫になる人に養子に入ってもらい
娘夫婦と一緒に住んでのんびりと畑仕事などする という希望。

でもこれをわたしはものの見事に裏切ってしまったことになる。
嫁に出て行ったわけだし、選んだ人もその家族も、
そうしてその結婚自体が波乱に満ちたというか
あまり幸せとは言いがたいような出来事を残し、
結末を迎えてしまった。特に両親にとっては痛恨の極みだろう。

期待は無残に裏切られ、心身を病んで病院通いの娘。
不憫はあるだろうけれども、要するに娘は失敗したわけだ。

残された新たな希望の星は だから今は息子たち。
特に長男はちょうど昔のわたしのような立場。

正直 わたしもいい歳なので 別にベトベトと甘えたいとも
甘やかされたいとも思いはしないけど、
たまに実家に行っても
わたしは空気のように存在を完全無視されたり、
こちらが普通に話しかけても答えてもらえなかったり。
特に父がそうで もうしばらくこの状態が続いている。
その上 最近は母ともぎくしゃくすることが多くなってしまった。

両親共に歳を取って頑固にもなってきたし
元々プライドが高く、その基準が厳しいので
わたしから思うような反応がかえってこなかったりすると
イライラもするようだ。
思い込みも激しくなっているので対応が難しい。

実の親子なので遠慮がない分、あからさまに言われたり
態度に出されるのでかなり辛い部分がある。

なんていうか・・・これは昔からなのだけど
両親はわたしに対して
「これだけしてやってる」「これだけしてやってきた」のに
というのをよく口にする。
そして周りからも(世間、親戚など)
本当に良くやってあげてる と言われるのを好む傾向にある。

確かに いろいろな面でよくしてもらってきた。
愛情を注ぎ可愛がってもらってきたこと、
自分が親と呼ばれるようになってみれば
改めて心から感謝もしているし
尚更に不甲斐ない現状を申し訳なくも思っている。

けど わたしだってわたしなりに両親の知らないところで
一人、世間にも揉まれて頑張って乗り越えてきた部分がある。
それを、それすら 未だ認めてもらえないのが哀しい。
わたしという人間は両親にとって既に失敗作でしかないのか という
砂をかむ様な虚しさ。




恋人から何度繰り返し好きだといわれても
かけがえの無い友人達がいてくれても
信じているのに
信じているはずなのに

今 この手の中に残ったものは
こんなどん底のわたしからでも離れずに
ずっと寄り添ってきてくれたひとたちなのだから。

なのに どうしてなのか
埋まらない
消えない
この 
孤独感
この
飢餓感。


わたしは人を求めながら
無意識に拒絶しているのかもしれない。

どうして?

この 距離感は?
自らが置かずにはいられない

どうして?

こんなに
いつも飢えたように
寂しいのに
怖いのに
温もりが恋しいのに

信じきれない のか



わたしは 
つかまらない自分を
ずっと今も探し続けている気がする

独りで。



2010年08月14日(土) *こわれたラジオの音

次男が無事に退院。
退院が決まって直後、蕁麻疹(薬疹による)が
全身に出て退院延期になったりと最後まで心配したけど
無事に退院できて本当に良かった。
最初に、かかりつけ医→総合病院→救急車で大学病院に緊急入院
させたときには「正直楽観できません。重症です」と言われて
ものすごくショックを受けたけども。
乗り切れて良かった。本当に本当に良かった。

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最近はどうにも気力がなくて
たとえば数年前なら
もう少し頑張れたり我慢できたことが
全然ダメで。

情けないくらい 踏ん張れない。
逃げ腰。


何に対しても
もうこれ以上 無理 って
諦めて
手を離しそうになってて。

身体もきつい。
あちこちガタがきてるのは
今更だけど
ああ・・もう本当に若くないのだと
思い知らされてる気がする。

怖いのは長患いして苦しむこと。
それだけは嫌。
痛かったり苦しかったりするのを
少しでも我慢するなんて・・もうできそうにない。
元々そんな根性とかなかったけど
昔にも増して 駄目。


毎日が不安と怖いことだらけ。
なんでこんなにどんどん
景色から色が無くなっていくんだろう。

人間も元々苦手だけど
年々苦手範囲が狭まる。


一人が好きというよりも
対人で気を遣うことには疲れ果てたし
それで傷つくのも嫌。メンドクサイ。
身勝手は承知。
矛盾も沢山。

本当にまったくの独りぼっちになりたいわけじゃない。

だって元々寂しがりだし
だから当たり前のように 夢も みた。

子供の頃 未来の自分が不安だったけど
少なくともこんな風に怯えては無かった気がする。

まだ何かを信じていたから?




 ”好きやずっとなんて、
 ないことは、
 とっくのむかしから
 知っている。

 だから、わたしは

 毎日、小さなウソばかりついている。”

 ”こどものころから
 夕ぐれを
 ひとりであるくのが
 こわかった。

 だれかに手を
 にぎっていてもらいたかった。”

 ”すきな人を
 忘れてしまったのに

 恋をしているわたしは

 もうだいぶん
 狂っているのかもしれない”


     「パーマネント野ばら」西原理恵子 より引用





またひとつ
何かを諦めて

小さく笑って

こわれたラジオのような
心の波の音を聴く。


海にはもう いけない。


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ゆうなぎ [MAIL]

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