++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2010年01月28日(木) *ネガイ

出会いや始まりよりも
別れや終わりを考えることが多くなった
今日この頃。

何かを新しく始めたり
誰かと出会って一から・・・とか
そういう事に対する気力が
まるで湧かない。

今 わたしの中にあるパワーは
とにかくあっぷあっぷしてるこの瞬間を
呼吸していくだけで使い果たされてしまってる。

考え出すと果てしなく落ち込む。

自分自身の生産性の無さが嫌だ。


ここ数年で身近な死を随分とみてきた。
従姉妹の死、夫の死、伯父の死、祖母の死・・・。
それぞれの生き様や死に様を目の当たりにしてきて
わたしは ちゃんと生きて ちゃんと死んでいくことが
できるのだろうか? と
ずっとそれを気がつくと考えている。

このままで終わるのは嫌だと思う自分と

どうしようもない虚無感と疲労感に目を瞑ってしまいそうな自分と。


怠惰なのか甘えなのか
そういう言葉でひと括りにできるものなのか。
そうならそうで 無理だろうが無茶だろうがさせて
心を消し去り何も考えさせずに有無を言わさず燃え尽きさせてくれ。


どんなみっともない姿でも
せめて生きることを全うして
先人達が開けてきたその終わりの扉を
わたしもちゃんと開ける事ができるように。

どれだけ怯えながらでも
最後まで諦めずに
生きる ことができる力を

カミサマ どうかわたしにください。


                        ゆうなぎ



2010年01月27日(水) *ゲンジツ

長男の受験、最終の三者面談で
担任は国立のA大学を・・・と推し
これは長男の通う高校が私立の進学校で
その中でほぼ3年間にわたり、クラスで1位の成績を
修めていたのだから無理もないといえばそうだろうけど。

実は長男の行きたかった大学は県外で遠い。
そこも国立で できればわたしもそちらに行かせてやりたかった。
この子はある程度 自分のしたいことのビジョンをを
はっきりと持っているので。

ただ どう考えても今の家の現状では金銭的にも
その他の諸々の事情でも彼を家から出してやれない。
自宅から通える大学にやれるのが精一杯。

今でも奨学金を受けながらの高校。大学に入っても
奨学金を受けながらになる(もう申請もしている)

長男は高校受験で同じようなパターンで県下一の公立高校を受けて
そして結果、私立の今の進学校に通うことになった。

正直、私立の学費は高い。何とか奨学金と貯金の切り崩し諸々で
三年間を過ごしてきた。
もちろん私立高校ならではの良さも充分にあって
長男は今まで塾というものに一切通ったことはない。
それくらいきめ細かな指導をしていただいてきたことに
心から感謝もしている。

長男の場合、やりたい道に進むためには大学進学はやはり必要。
でも もう私大にやれる余裕などは一切ない。
弟二人も後に控えている。そのことも考えなければいけないのだ。

親子で何度も話し合って最終的に決めたのは自宅通学できるC市立大学。
それを面談で話したわけだが担任はなかなか納得されず・・・
勿論、息子のことを考え、惜しいもったいないと思えばこそなのだけども

担任も家の事情をご存知だが それでもこういう場合だからだろう
なかなか引いてくださらない。

息子は
元々行きたかったB大学なら無理をしてでもなんとか・・と
思ったが そのB大学に行くのはどう考えても家の事情や諸々で無理。
それなら、自宅通学のできるC市立大学で学びたい、
という考えを話した。
彼にすれば 確かにA国立大学は県下一といわれるけれど
それが本来の自分が行きたかった大学でない上に そこでも結局
自宅通学できないのなら、この状態の家を出てまで行く気持ちには
なれない・・と。

この三者面談はかなり長引いた。結局 担任が折れる形で
市立大学を受験することに決定したのだけれど。

帰り道 わたしは過呼吸の発作を起こしてしまった。

面談では我慢に我慢を重ねていたけれども
心が砕けそうなくらいに辛かった。

誰が我が子の道を広げることは望んでも
狭めたり足枷になることを望むものか。

できる無理ならしてやりたい。
それができない現実に不甲斐ない自分に
それでもこんな自分でも”居る”ことで
できることもきっとあると。それだけ思って。思って。


例えば 今の自分の病気とか
歩いてきた人生とかに関して
自分自身が選択肢が限られていたとしても
結果的に自分で選んで
そうして今 此処にいるわけで。

トラウマになっている人達や憎んでいる人達
(敢えてこう書くけれども)嫌いな人達
は いる。

でもだからといって自分の人生をその誰かのせいには
したくないとずっと思ってきた。

ただの意地っ張りなのかもしれない。
強情ものの負け惜しみと言われるかもしれないけれど。

でも末っ子が学校で書いた詩 
こんな詩をみると

三人の息子達に
ごめんね と思ってしまうのだ。

永遠に欠けてしまった亡きものへの慟哭。

現実という名の 
望んだわけではない
母子家庭の 今。

母は強しではあるけれど
母は母であることを突きつけられた時
自分の無力さに
唇を噛んで

俯く。



「キャッチボール」

お父さんと公園で
キャッチボール。
球のいきおいがすごかった
とても楽しかった
九年前。
公園で。
ふしぎな感動。





                        ゆうなぎ       



2010年01月24日(日) *ナキカタ

いつからこんな風になってしまったのだろうか。

いや、元から 
強さと弱さ、しぶとさと脆さという極端さが
一見 落ち着いて見える
わたしというニンゲンのアンバランスさを露呈させ
エキセントリックにすら見せていたのは自覚していたのだけど。

それにしても日に日に酷くなるような
この不安定さはどうだ。
今までなら隠しおおせていた感情を
隙間から溢れ出すような中途半端な形で
見せてしまうなんて。


泣くならば、
いっそ声をあげて喚き散らした方が
まだ 潔い。
泣かぬと決めたのなら、
もっと凛と覚悟を通せばいいのに。


声を押し殺し ただ涙のポロポロとこぼれ落ちるような
そんな泣き方しかできなくなってしまった自分が
とても 嫌いで
耐え難くて


その度、わたしは

どうしようもなく
わたしを消したくなる。


                        ゆうなぎ



2010年01月18日(月) *ツキアカリ

誕生日なのに
鬱が酷くて
せっかくの電話で泣いてしまったわたしに

恋人が
送ってくれた この曲

込めてくれた想いに
今度は温かな涙が溢れて止まらなくなったよ。

ありがとう





2010年01月17日(日) *サムイヨル

息ができないほどの淋しさは
どうしたらいい?

流れ続ける涙の止め方を教えて

どうしようもない孤独に
押し潰されそうな夜。



ゆうなぎ



2010年01月16日(土) *セナカ

セーターの背中に
ぽふっと
おでこをつけて

やさしい感触と
じんわりした温もりを

目を瞑って
ただ
ただ

じっと
ずっと。



あなたに あいたい。


                     ゆうなぎ



2010年01月14日(木) *キヨウビンボウ

美容院に行って髪を切ってきた。
やっとさっぱり。

爪といい、髪といい、長いのはわたしには向いてない。
髪はショートカットで
爪はギリギリまで切りそろえて。
それでやっと落ち着く。

多分 女らしさとか女っぽさに人一倍憧れていながら
そういう外見も態度も似合わない、合わない。

家事一般が得意で家庭的というわけでもなく
かといってバリバリ仕事ができるというわけでもなく

潔く捨てきれもせず、さりとて 積み上げていく気力もなく
何をやらせてもそこそこできるがそれだけ。
中途半端で極めきれない。

キヨウビンボウ という言葉そのもの。

根っこの部分で自分に自信が持てない。
他人様からはしっかりしているように見えて
自分も自分の不安や動揺を見せない(というか見せる術をしらない)から
ちゃんとやれてるようにみえるみたいだが
中身はボヤケて滲んで頼りなく揺れて
自身の輪郭すら見極められずにいる。

 ヤレバイイジャネェカ!ソレヲヤラナイダケダロ!
 ミンナチャントヤレテルンダヨ。
 ナノニナンデオマエニハデキナイ?

なんでわたしはできないんだろう。
なんでわたしはちゃんと・・・・・


だからいつも怖い、恐れている。

独り、声を出さずに震えているんだ。ずっと。



                           ゆうなぎ



2010年01月11日(月) *イタミ

明日美容院に行ってこようと思っている。
このボサボサで白髪が根元から出ている髪でいるのは
もう限界で耐え難い。
せめて少しでも身奇麗にしていないと
今の自分がいよいよ耐え難くなる。

考え出すとキリがないけど
考えないといけないことはあり
それなのにどうにもこうにも思うように
動かない頭と身体に何もかもが嫌になり。

もうどうでもいいと言いつつ思いつつ
心の底の底で諦めきれない想いとか。

要するにやっぱりどうしても
有終の美 とか
潔く とか
そういうのは無理なんだろうなと。

どこまでいってもみっともなくしがみつき諦め悪く

辛抱強いというには足りず
さっぱりというほど捨てきれず

そういう中途半端な自分をずっと持て余している。


今月はいよいよ間近に長男のセンター試験を控えて
気が気ではない。
親として力があればもっとやってやれたこともあろうにと
不甲斐ない自身に臍をかむ思い。

わたしの人生は少なくともわたしが選択してきたものであるけれども
子供らにとって父親のいないことは決して望んだことではないだろう。

長男は父親の病死後の一件の記憶があるだけに
落ち着いたしっかりものの優しい子に育ったが
根底に人間不信を抱えているのがわかって辛い。
次男と三男は反対に幼くて覚えていない分 救いでもあるが
ウチにもお父さんがいたらなぁと何気ない一言を聞くたび
やるせなさに胸が痛む。


一人ではないということは救いだけれど
抱えるものが大切であればあるほどに
その重みは脆弱な精神には時に耐えがたく蹲る。
手放せば飛べるかもしれないが
その身の軽さにもまた、わたしは耐えられまい。

キレイゴトを通すなら 通し続ければいいのに
本能のままに全てを振り捨てて生きる勇気がないならば
せめて。

それすらできずにこうして生きながらえている。

飾りきれず壊しきれず

わたしを今此処に存在させているのは何なのか
考えれば考えるほどにわからなくなってしまうから

今日も薬を飲んで目を瞑る。

とりあえず明日を生きることを目標に。


時計の音を聞きながら・・・
 
                 
                           ゆうなぎ



2010年01月08日(金) *グルグル

見つからないコトバが
弾けない泡になって

水面から
飛び出すことも叶わず。

グルグル
グルグル
息が、くるしい。
声が、でない。

グルグル
グルグル
目が、まわる。
頭が、おもい。

グルグル
グルグル

思考はマヨイミチを
さまよい

月も星も見えない
夜の空

溺れ続けて
居る。


     ゆうなぎ 


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