++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年09月26日(金) それでも頑張るっていう(しかないじゃん)




やっと顔を上げかかったら
また イジワルなカミサマから後ろ頭を踏んづけられて
再度、地面に顔面強打したみたいな気分・・・

今度は仕事上の問題。

まったく次から次へと何でかなぁ。


外は雨。

心も雨。


月の温もりが恋しい。



                             ゆうなぎ



2008年09月25日(木) 曼珠沙華




もうそんな季節になったのだな・・と。
吸い込まれそうな紅に思わず足を止めて魅入る。

色々色々あって
疲れ果てて魂の抜け殻みたいになって

それでも相変わらずのしぶとさで生きてます。





髪を切ってきました。

外に出るのは相変わらず怖かったけど
心いっぱいに溜まった澱と一緒に
少しでも切りおとしてしまいたくて。


もうだめだ どん底だ って
思ってきたし、今も思うけどそれでも
この身体(いれもの)を失くすわけにはいかない。

今は抜け殻みたいだけど
穏やかな魂が其処に戻れるような時がきたとしても
還る場所がなくては戻れない。

だから。



生きることは相変わらず苦しく辛いけど
それならせめて

この灼熱を身に秘めながら
精一杯 命を燃やすように咲く

曼珠沙華のようでありたいと 思う。



                           ゆうなぎ



2008年09月21日(日) 灰になるまで

 ※パソコンの調子が
  良くないので携帯から


検査日は朝から最悪だった。


ずっとお守りでしていた
翡翠のくり抜き指輪が
不意に粉々に割れてしまい。

何とか問題解決したはずのパソコンがまた不安定になり。

時間になり、
長男に付き添って貰い
出かけた出合い頭に
例の女社長とばったり。

アチラは全く何事も
なかったかのように
優雅な笑顔で
おはようございます。
こちらもさすがに
笑えなかったけど
おはようございます
と 何とか返した。
どんだけ図太い神経してるんだ
って悔しかったけど
こらえた。

こういうタイプのヒトには
何を言っても無駄。
亡夫の両親や兄弟で
嫌というほど学習済み。

どれだけこちらが正論言っても
自分が絶対 って考えだから
脳内で都合のいい理屈により
全て変換される。

女社長に会った時点で
わたしの精神状態は
駄目押しされた感じだった。

付き添う長男が
心配してるのがわかったけど
能面の顔につぐんだままの口。
少しでもこれ以上揺らせば 砕け散ってしまう。

バスに乗り病院へ向かう。

受付を済ませて
順番待ち。
しばらくして呼ばれて
検査。

実は検査の途中で
倒れてしまった。

それでなくても
病院という場所は
フラッシュバックを
起こしやすいし、
加えて最近はほとんど
食べれて無かった。
ストレスも限界値で
朝のが引き金に
なったんだと思う。

貧血にパニック起こして
しまい
意識戻ってもひどい有様。

検査技師さんがとっさに
支えてくださったので
頭を打たなくてすんだのは
幸いだった。

看護師さんが来られて
血圧を測る。
冷汗と脂汗が酷く
気持ちが悪い。

検査の続きはまた
日を改めてにしましょう
と言われるが
少し休んだら大丈夫だと
思うので とお願いする。
せっかくここまできて
検査半分まで済ませたのに
またもう一度の気力が
とても出そうにないし
この検査で異常が無ければ
一つ安心できる。

無理をいって
申し訳なかったけれど
主治医の先生に
希望を伝えて指示を
仰ぐことに。

少し休んで血圧が戻れば
様子を見ながら
残りは車椅子に乗って
続行ということに。

そして なんとか検査を
済ますことができた。

結果は異常無し。
心底ホッとした。

息子は待合室で
待ってくれていたのだけど

車椅子でぐったりして
帰ってきたわたしに
びっくりして。
また心配を
かけてしまったが
検査結果に異常が無かったのを報告すると
何度も
良かった、良かったと
言ってた。

しばらく病院で
休ませてもらい
帰宅。

長男に付き添って
貰っていて良かったと
思った。
やはり 今の自分だと
行き帰りが情けないけど
心もとない。

帰った後は薬飲んで
氷枕にダウン。
それでも長男が
作ってくれた うどんを
食べれた。


今 わたしの心と身体は
ぐちゃぐちゃになってる。
混沌としていて
どうにも苦しくて辛い。

特効薬があるわけでもなく
また 治す以前に
後から後からくる諸々で
また混乱する。


此処でない何処かへ
いきたい

何度も何度も何度も
そう 思った。
今だって
そう思うことを
止められない。


でもそんな場所はない。

わたしは此処で生きて
此処で死んでいく。

この混沌が
いつまで続くのか
まったく未来は見えない。

けど
諦めたと何度口にしても
多分やっぱり
諦めきれないのだ。


結局 わたしはシブトイ。
みっともないほどに
あがき続けながら
でもそんな風にでも
生きることができるなら
それが わたしなら

灰になるまで

燃え尽きるまで。



     ゆうなぎ



2008年09月19日(金) 奥歯を噛み締める

昨夜からちょっとPCトラブルがあったり、
そんな時に限って子供らの歯車がうまく回らなかったり
もう文字にするのもきつい。

泣きたいのを通り越して放心状態みたいになってた。
生きながら心を砕かれるというのはこういうことなのかなとか
今更・・いまさら・・


検査の前日だというのに どうしてこんな時に限って
胃の痛くなるようなことがこれでもかとばかりに
重なって起きるんだろう。


それでもPCのトラブルはおかげで何とか解消。
今回は大きな問題ではなかったけど、一応
今後の為に検索かけて対応策を調べて印刷。

そんなことしてたらもうこんな時間。
もう眠れそうにないので
このまま、起きていて朝の準備をして子供たちを出した後
病院に行くことになると思う。


最近はめっきり食べれなくなった。
朝 水飲んで 昼だけ少し食べる 夜はまた水だけ。
薬が頼り。

わたしは精神的なことが何よりも堪えるタイプ。
精神的に脆いくせに変に我慢強い。
なんともアンバランス。

よく、強いと言われる。
そうだろうな。中身ぐちゃぐちゃだって
カラ元気や意地出さなきゃ 生きて来れなかった。
こんな身の丈にあわない強さモドキなんて身につけたくなかったよ。


今だって気を抜けば喚きだしそうなんだ。
口を開けば罵詈雑言を叫びながら
ヒステリーを起こし頭を壁に床に打ち付けてしまいそうで。


胸の此処が苦しくて息がうまくできない。


日々を生きることは辛くてたまらないけど
だからといって死ぬわけにはいかぬ。

死にたいと思うほどの悟りも開けてない。
何しろ 痛いのも苦しいのにも耐え難いという
まさに小心者、臆病者、ノミの心臓。



夜明けの薄闇にまぎれて
へたれた弱音を呟く

苦しいのはいやだよぅ

誰か助けてよぅ

この胸の重石を除けてよぅ

わたしだって

しあわせになりたいよぅ


諦めたくて諦めるわけじゃない。

1%の希望でもなんにでもしがみつきたい。

だってこのままじゃ

あんまり・・あんまり・・
やりきれないじゃないか・・・


これでもかこれでもかとくる

もういい加減 倒れちまえ!というばかりに

なんで変なとこだけシブトイんだろ。



奥歯を噛み締める。

それでも生きようとすることを 止めない。


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                           ゆうなぎ



2008年09月16日(火) 最後のヒトカケラ

久々の日記。その後と今を少し。



あの後、無事に長男付き添いで
クリニックに行って薬貰ってきました。

相変わらずの3分診察。
今回かなり勇気出して、
薬を増やして貰えないかって言ってみた。

ぶっちゃけ 今の量で何とかもたせながら
でも倍にしてもらえたらその分、
診察という名のストレスかかる薬貰いに
行く回数減らせるし・・とか思って。

薬は無いと困るけど今の診察に意味あるのか
って疑問だもの。

でもあえなく撃沈。

先生曰く
「色々薬飲んでるので これ以上、薬の量増やすと
身体に負担がかかって良くないですから」
だそうで。

確かに ごもっとも。



で 帰り、買い物して帰ろうとしてスーパーに寄ったんだけど
そこで昔の知人のオバサマに見つかり・・・

好奇心と同情と激励とオバサマの自慢話に
付き合わされること小一時間・・。

途中、数回長男共々 何気ない笑顔での脱出を試みるも
そんなことで見逃してくれるわけもなく・・
それでも根性でジリジリ後ずさりしつつ
何とか振り切ったけど。
その時には、もうわたしはフラフラ。

支えられつつ帰宅後、薬飲んでダウン。



今週は検診もある。
何事もなければいいと祈る思い。



日々に疲れていて

虚無感はどんどんわたしを蝕んでいて

自分の輪郭が揺らいであいまいになっていて

執着や未来みたいなものが薄く遠くなってしまっていってる。


でも それなら 
もう検診での結果もどうでもいいかっていうと
そうじゃない。

痛いのも怖いのも不安なのも苦しみも もう嫌。


矛盾 だけど。


こんな抜け殻みたいになってても
やっぱり最後のヒトカケラを捨てきれないんだろう。


なんかどこまでもわたしらしいなぁとニガワライ。



   ”勝つか負けるか それは分からない
   それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて
   あいつは海になりました”

            「ファイト!」中島みゆき より


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                             ゆうなぎ



2008年09月10日(水) 昨日のこと

もうこの時間だから昨日(だね)のこと。

わたしはあれから吐き気は酷いし頭痛は治まらないし
這いずってトイレに行っては布団に倒れこみ唸って七転八倒してました。
結局 うとうとしながら朝。

朝の散歩無理だ・・と思って末っ子の様子見たら
どうも変。バリバリと無意識にだろうけど身体中を掻いてる。
そういえば寝る前に学校で蚊にさされたみたいとかいって
掻いていたので痒み止めを塗ってやったのだけど。

起きたのみてびっくり。
これは蕁麻疹だと確信。
何しろわたし自身が蕁麻疹では過去2回ほど入院し、
一度は全身腫れて夜中救急車で運ばれた経験ありなので。
(蕁麻疹そのものよりも腫れが全身に広がることによって
皮膚呼吸ができなくなることの方が怖いことらしい)

で 学校に電話して病院に連れていくことにしたんだけど
わたしの身体が動いてくれない。というかなんとか起き上がっても
ふらふらしてる有様。

結局 長男が見かねて自分の登校時間を遅らせて
(事情を担任の先生に電話で話していた)
末っ子を病院に連れていってくれることになった。

わたしは保険証とお金を預けて頼んで また布団でうつらうつら。

真ん中は普通に登校。

で お兄ちゃんも末っ子連れて病院から戻り
(貰った薬をすぐに病院で飲んだら、帰って暫く経つと
おかげさまで蕁麻疹はほとんどひいてた)
それから自分の学校へ。

末っ子は休むように言われたので布団で休ませる。

蕁麻疹の原因は不明。
生もの食べてないし、焼きそばとかだったし、夕食。
でもとりあえず肉と卵は避けるようにとのことで。


そうこうしてたら 真ん中の子の学校から電話。
どうも調子が悪いらしく、早退させますがいいでしょうかとのこと。

しばらくして次男元気なく帰宅。早速 朝行った病院へ
今度は一人で大丈夫だというのでまた保険証とお金を持って行かせる。
薬貰って帰ってきたので飲ませてから寝かす。

親子三人、布団にダウン。 とほほ。

夕方になり、やっとフラフラせず起き上がれるようになったので
二人の様子を見て少しずつ家事。

後は兄ちゃんが帰ってきたのでごめんねとお任せ。


今日は末っ子病院に行って登校予定。
真ん中は様子をみてから登校か休みか。

わたしはまだ完全ではないがかなりマシになったので
昨日のようなことはないと思う。



あと昼夜逆転のことについて 昨日書きそびれたことひとつ。
このパターンが健全だとは思ってないです。
ただ 今のわたしの睡眠パターン自体がコントロール不能なのと
とにかく早朝散歩に出ようとするなら
真夜中2時もしくは3時くらいから起きてないと無理。
普通に最低限の用事済ませて眠ったとしても
ぐっすり朝まで・・とはいかない。
起きなきゃ、やらなきゃ と思うことがあると
気になって反対にまったく眠れなくなる。
精神的に追い詰められてしまってダメ。

正直いうと朝起きてとにかく子供たち全員つつがなく
登校させる っていう事自体、かなりプレッシャー。
何しろ一時、下の二人は学校に行くということ自体が
厳しかった時期があるので。
あれは親子共々 地獄だった。

今、末っ子の中で早朝散歩すること 
本当に楽しみになってるようだから
そうして早起き自体の習慣は決して他の子たちにとっても
悪いことじゃない。
毎日とまではいかなくてもスムーズに
朝をはじめられたら随分と違うから。


長男としみじみ話したのだけど
長男も わたしにできればこの状態で無理はさせたくない と。
でも無理しなきゃやっていけないのが現状。
だから 酷いようだけど踏ん張って欲しい って。
ただ 壊れることだけはないように、矛盾してるけどごめんって。

良くやってくれてると思う。
今週土曜日はクリニックに付き添ってくれるというし。
(もう薬切れ間近なので)


そういうわけで また今日が始まるわけです。

とりあえず、何とか乗り切ろうと思います。
なりふりかまわず。


まだここで倒れてたまるもんかい!って
ちょっとばかり強がってカラ元気でも いっときます。


まだ斃れてたまるもんかい!



2008年09月09日(火) 日々の暮らし

昼夜逆転の生活パターンになってる。


正確には、夜 眠らず朝まで起きて5:30に子供を起こし
そのまま、末っ子と朝の散歩(時にはコンビにまで)に出かける。

40分くらいのコースになるが
帰り道は普通に歩いているのに足がよれて
心臓はバクバク、息が苦しい。

前日までに子供たち関係の用意は全て済ませてあるので
後は、子供らにとにかく食べさせて学校行く準備の確認。

これらをしていると長男が登校する時間になる。
彼の高校は少し遠いので早めに家を出る。

それから暫くして次男。
それから末っ子 という順番。

三人が(特に下の二人が)無事に登校してくれると
心底ほっとする。

本当はこの時点で氷枕直行したいんだけど そうはいかない。

とにかく洗濯。洗うのは洗濯機がしてくれるけど
干さなきゃ話にならない。
男の子三人の洗濯物、これは半端じゃないので
干し終えると狭いベランダはいっぱいになる。

で 最低限水分補給と少しでも食べられたら食べて
朝の薬飲む。

この前の定期検査で数値が悪くなっていたので
水分(お茶やジュースでなくて水)だけはこまめにとるように。


ここいらで一度目のダウン。
氷枕に身を横たえて眠るというよりも
意識が途絶える。

掃除やらなきゃな〜とか洗い物溜まってるとか
考えるけど限界。

で 寝てると思うんだけど眠りが浅いのか夢ばかり見る。
昏いような夢ばかりで寝汗かいては目覚める。

正直いうと昼間、あと子供たちが帰ってくるまでの意識は
所々欠如しててはっきりしない。

電話には気がつかない時もあるし、取って応対を
したりしているときもあるようだが(後で聞かされて知る)
内容の記憶が無い。
一応起きて洗い物とかも中途半端にやったらしき痕跡が
あったりするがこれも覚えてない。


子供らが帰ってきてからはとにかく次の日の準備。

買い物は子供たちに頼む。

夕食は完全に手抜きになった。
自分が数年前まで パンとかケーキ焼いてたのが
嘘みたいだ。麺類でごまかしたり、レトルト、冷凍食品
なんでもありの現状。


それとあまり長い間、PCの前に座っていられなくなった。

頭痛とクラクラ眩暈がして脂汗がでてくる。

実は今も既にそうで薬を飲み足してきた が
どうも限界みたい。

明日の朝散歩何とかしなくちゃいけないのに。

朝の散歩は末っ子にとって楽しみになってるから
これしてると違うから。

だからなんとしても。

とにかくPC消して横になって朝まで起きているようにしよう。



2008年09月04日(木) さいごの蝉

ずっと体調悪くダウンしてました。

というか寝てばかりというわけではないんだけど
(というか寝てばかりでは生活できないので)
一つ家事だのしては氷枕に倒れこむような日々。

今月、いつもの定期検査と別の検査入ってます。
これも不安要素の一つ。

でもそれ以上に、心の方がしんどくて。
たいがいのことがあってもこれまで幾度となく
もう今度こそ駄目だと思いつつ
ゾンビのごとく何とかしてきたけど。

力が入らない。

記憶の欠落が酷くなってる。


子供たちはおかげさまで新学期良い滑り出し・・だけど
やっぱり土台がまだ危ういのでフォローは不可欠。

その他、いろいろとあるけど もうこの時点で
文章に書く気力がない・・・。
情けない有様です。


それでもとにかく今は
生きることにしがみつくこと 
とにかく とにかく。
なりふりかまわず でも。


まだ

斃れてしまうわけにはいかないんです。

だから。



そういえば 蝉の声が聴こえなくなったようで

ベランダの片隅にひっそりと
動かなくなっていたあの蝉は


このひと夏を精一杯に生きた

さいごの蝉だったのでしょうか。


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                              ゆうなぎ



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