自分の中の歯車がうまく回ってくれない。 とても変な感覚。
全体的にぼんやりとして境界線がないような。
遠い感情とだるい身体。
自分は自分でここにいるはずなのに ちゃんと話して笑ったりしてるのに
なんだか空回りしてる。
輪郭がぼやけて溶けてしまいそうだ。
わたし 此処にいるよね?
ちゃんと存在しているんだよね?
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ゆうなぎ
2008年05月29日(木) |
イヌカキデモ オヨグ |
自分自身が思っていたよりも わたしの心身は堪えていたらしい。
お通夜から帰宅した後 一気に体調がおかしくなって 長く起きていられず、氷枕が手放せなくなった。 PCも少し長くなると眩暈と耳鳴りがしてくるので メールチェックが精一杯。 後はもっぱら横になり携帯からネットに繋いでた。 それも携帯持ったままでいつのまにか意識失うように寝てたり。
好きな本(活字)を読む気にもなれず、 このところ途切れず出来てた洗濯もできなくなり 食事に関しても 長男に買い物頼み、半額値下げの 出来合いのもので済ます始末。 食育なんて言葉があったな・・食べ盛りの子供らに 栄養バランスとか考えてやらなきゃなのに ウチでは とにかく質より量の確保。
実家から電話があって受けたらしいのに覚えてなかったり 以前から確かにストレス的なものが強くなるとこの症状は出ていたけど 今回はまた酷かった。意識が常にぼんやりしている感じで。 気を抜けば 何かをしようとしながらでも眠っていたり。 覚醒と眠りとの境目がものすごくあいまいにぼやけていて。
やっと昨日から少しマシになってきて、意識がはっきりして 起き上がれる時間が増えてきたのでホッとしているけど。
今日は少し前に首筋を伝う冷たい寝汗で目が覚めた。 あまり気持ちの良い目覚めではなかったけど仕方ない。
睡眠障害状態は今に始まったことではないので これも仕方ない。
顔を洗い、このまま起きることに決めて、 夜中の3時からごそごそと台所で ビーフシチュー(正確には豚肉だからポークシチュー?)を 鍋いっぱいに作った。 作ったといっても具材を切り、市販のルーを入れて 少し味を調えるくらいだから、偉そうに言えるものではないが。 それでも出来そうなときにしておかないとね。
蒸し暑くなってきたので今日はできればクーラーの掃除を しておきたいと思ってる。 溜まってきつつある洗濯物もしておきたいところ。
まだ本調子とはいかないが でもこのレベルまででも 何とか戻って良かった。
しかし 薬が心もとなくなってきた。 内科の定期検査の前にクリニックの方にいかなきゃまずい。 できるだけギリギリには行きたくないんだけど ギリギリになりそうな予感・・・ふう・・・
仕事 こうなる前にあげられてて良かった。 クライアントさんに迷惑かけることが避けられて良かった。
あとは焦らず(これが難しいけど)少しずつまた 自分を再構築していくこと。
それにしても暑い。 身体の内側からの蒸されるような熱がキモチワルイ。 汗ばんだTシャツを何枚も着替える。
少しゆっくり・・と思っていれば次の何かが来る。 それに疲れ果てるけれど 哀しいかな 我が変な気力は 踏まれても踏まれても雑草のごとくしぶとい。 いっそ 恨めしいくらいに。
安らぎの日は本当にくるのか?
いや そんな疑問は考えまい。
犬掻きでもいいから泳ぐ
今は それだけだ。
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ゆうなぎ
伯母と別居中だった伯父が脳溢血で自宅で倒れて急死しました。
昨日の朝 報せがあってちょうど実家にいたので 父と駆けつけました。
見つけたのは様子を見に行ってた いとことその連れ合いで その時には既に息がなかったようです。
伯父と伯母には二人の子供(わたしにはいとこですね)がいて 一人は結婚、一人は独身で専門職についています。
破天荒な人生を生きた人で周囲には随分と辛い思いをさせ、 無茶も繰り返してきた人だったけど それでも人の死は 重い。
喪主を務める伯母はすっかりやつれていましたが それでも 周りをしっかりした子供たちとその連れ合いが支えているので それがせめて救いだと思います。 伯母の代わりに動いてとり決めていたから。 伯母にとってもどんなにか心強いことでしょう。
それと最期があっけないほどのものであったことも 今まで苦労をかけてきた家族への、 伯父のせめてものお詫びの心だったのかもしれないな・・と。
安定剤を多めに飲んで斎場へと向かって、斎場では気を張って いられたんだけど それでも正直きつかった。
ずっとフラッシュバックと闘っていました。
わたしの時は酷かったからね・・。 斎場の人との打ち合わせには夫の父親が同席したんだけど いっそ いなくてくれた方が良かったくらいだったから。 あまりに非常識なありえないことばかりいうので。 (湯灌しなくていい。部屋大きすぎないか。 お棺も霊柩車も最低のものを主張。花までケチる始末) 部屋とお花に関してはさすがにわたしと同情してくれたのか 斎場の方の口ぞえで何とかしたけど、それでも前代未聞だった)
経験した人はわかると思うけど 喪主ってやることが山のようにあるんですよ。 わたし、自宅介護と入院を繰り返し、 最期は危篤状態が1ヶ月近く続いた夫を看取った後、 引き続き 喪主として文字どおりたった一人で 走り回って手続きしたりとかした。 その時はひたすら必死で気が張ってたし、しっかりしなきゃって そればっかりだったから できたんだろうと思う。
お通夜も真夜中数時間、あちらの両親は家が気になるからと 帰宅して 独りで仏さんと二人きり。 うちの実家に子供たち見てもらっていたし 大ばあもいるし・・ 何より 娘の夫のこととはいえ 相手の両親、兄弟まで 居るわけだから うちの両親も差し出がましいこともできなくて。
仏さんと二人で怖いとかなかったけど 夫が哀れでしかたなかった。 実の親なのに・・兄弟なのに・・ 危篤の期間が長く続いたけど その最初に危篤になった時でさえ (その晩 逝っても不思議はないので覚悟していてくださいと いわれてた)わたし一人を残して、頼むといって帰っていった 人たちですから。
葬式後の四十九日もこないうちのやり様と 四十九日の未だ語り草になるような出来事。
消えないフラッシュバック。
実は今まで親戚にはわたしの病気(神経と身体の方)については わざわざしらせるまでもないと敢えて話してなかった。 もちろん(今は落ち着いたけど)子供の色々なことについても。
わたしは精神系の薬の副作用プラス過食で10キロくらい太った。 親戚とは特にここ数年、疎遠になっていて 神経を病んで薬を飲みだしてからは会ってない。
それ(太ったね)を言われることも嫌だったんだよね。 だから指摘される前に自分の病気について最低限 話した。 (子供のことは話してない。言う必要もないことだし お通夜の席に自分のことぺらぺらっていうのもね) まぁ・・・なんていうか 気力を持って諦めず頑張って治して!とかの励ましは 案の定言われたけど・・でも これは覚悟してた言葉だし 親戚にもわたしの亡夫の実家とのいきさつは知れているので あれだけあったんだから無理もない・・と 納得してもらえたのは良かった。
お通夜から自宅に戻ったときには呼吸の苦しさと耳鳴り、頭痛が 耐え難いくらいになってて。 留守番の子供たちに声をかけて薬を多めに飲んで氷枕して 倒れるように横になった。
それで今さっき起きてこうして日記書いてます。
人が逝くのを見送るのに慣れることなんてない。 遺されたものの辛さ、やり切れなさ。
ミスチルの「くるみ」の歌詞の中に
”時間がなにもかも 洗い連れ去ってくれれば 生きることは 実に容易い”
ってあるけど この歌詞を聴くたび胸が詰まる。
時間で解決できるものもあるけど そうでないものも確かにある。
自分自身 とにかく逃げ出したい、楽になりたいと 考えたこと、何度もあるけれども それでも何とか生き延びているのは 身近な人間の死と 一人の人間の生と死の狭間に居合わせる体験を してきたからだと思う。
遺されたものは答えのない宿題を 心に刻み付けられたようなもの。 消えることのない。痛みと共に。
遺った人間にできる最大の供養は 逝ってしまった人たちよりも1分1秒でも生きて その人たちが見ることの叶わなかった明日を 一日でも多く、見ることじゃないかって
そう 思っている。
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ゆうなぎ
今日から一泊で実家へ子供たちと。 この頃 週末実家は恒例になりつつある。
母が心配していて 週末だけでも顔出しなさいよ・・と言ってくれるし 子供らが何より楽しみにしているので。
せめて少しでも介護の手助け。 といっても情けないくらい たいしたことはできてないんだけど。
おかげさまで末っ子も順調なのと 子供たちもそれぞれ落ち着いてる。 (でもかなり、おっかあ陰の努力はしてます)
わたしの身体は相変わらず はっきりせず、疲れやすいし 神経の方は睡眠障害と健忘症?
でもおかげさまで仕事は仕上がってクライアントさんからも 満足していただけた。 復帰後、初めてで不安もあったけど こういう風に喜んで、またよろしくお願いしますねと 言われるととても有難いし嬉しい。
ささやかでも細々でも まだ自分にできることがあると思えるのは救いだ。 人様からみれば たかがそのくらいのこと・・かもしれないが わたしからすれば命綱。
この頃は洗濯物の山も随分減らして 毎日洗濯をコツコツと。 自分で言うのもナンだけど他にも結構色々してると思うのだ が。 (それが人様にとっては普通にできていることだとしても) やってもやっても終わりが無い感じで それでいて一日を振り返ってみると記憶が霧の中のように ぼんやりしている。
たとえば実家からの電話とかでも かかってきた気がするけど・・とか。 話した内容も覚えてないし。 元々記憶力の良い方ではなかったけどここまでになると さすがに不安になる。
絶対に忘れてはいけないスケジュール的なものは カレンダーや手帳にメモしたり、携帯に登録していたりするのだけど それでかろうじて・・という感じ。
アタマはぼんやりしているのに張り詰めた神経は解けない。 気持ちがピリピリしてる。 そしてとにかくだるくてたまらない。
こんどの内科検診で念のためということで腎臓と肝臓検査が入っているが なんともなければいいなと思ってる。
大切なひとたちには相変わらず心配をかけていてごめんなさい。 自分でも自分のことがどうなっているのか正直不安です。
ただ これはむしろ病気のおかげで定期的な検査をするように なっているし、だから 先のことについてもできるだけ考えすぎずに とにかく今 この時を生きることに専念しよう と。
ボカンボカンとあちこちに大きな穴ぼこあいてて 失念していたり、やるべきことが全部できなかったりで それを思うとものすごく落ち込んでしまうのだけど。
今は生きるために最低限のことだけは死守すること。
トモダチ・・・
こんなわたしだけど ごめんなさい。
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ゆうなぎ
徹夜明け。
仕事&PCにソフト入れたり、必要なカスタマイズしたりで。
どちらも手順を決めて飛ばし過ぎないように・・と 自分も思い(後でドッと身体にツケがくるから) 周りからも言われていたのだけど。
実際、どうにもこうにもエンジンのかかりが悪く 頭はうまく働かずで焦りと疲れはピーク。
実は今回もある程度、メドがついたらそこまでにして いったん横になろうと考えてた。
でもそんな時に限ってポカミスをやらかす。 わたしは気性として中途半端で明日まわしにするというのが どうにも気持ち悪くてダメだ。
そんなこんなで ここまで、ここまでやったからもう後ここまで、 と 結果ズルズルと続けてしまう。
集中力があるといえば聞こえはいいが 区切りをつけるのが下手なだけ。
結果 確かに仕事は9割仕上がり、クライアントさんのOK待ちで PCの主なソフトもあらかた入れたけれど (でもカスタマイズは仕事関係の最低限のものは なんとか間に合ったけど、以前の状態に戻すまでには まだまだ時間がかかりそう) 首筋から肩にかけてはガチガチになって痛くて腕があがらないし 頭が重く、銀色のチカチカと耳鳴りがしだした。
まずいな。
そんな時に日記とかよせばいいのに って 自分でもツッコミいれてるけど なんかこれで〆みたいな感じなんだよね。 ブレーキ壊れちゃったときには こういう風な強制終了の方法。
匣の中 の意味 ふたつ。
ひとつはPCという匣の中のこと。
もうひとつはダンボールのハコを小机の代わりにしたんだけど その時になんにも中に入ってないと困るなぁと 使わないコンセントを重し代わりに入れて それから ふと考えた ひとつ(ひとり)じゃ寂しいよなって。 で 何かなんでももうひとつ 入れてやりたいなって 結局 1枚失くして使えなくなったトランプ入れた。 これで話相手ができて寂しくないよね?とか思った。 だって狭い匣の中 独りぼっちよりも誰かいたほうがいい。
ぼんやりアタマ いよいよ イカンようなので 支離滅裂日記 この辺で
ごめん。
疲れたって言ってもいいのかな・・・。
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ゆうなぎ
2008年05月20日(火) |
記念日にーあなたに出逢えてよかったー |
人と人の出逢いというのは不思議なものだと思います。
今のわたしは体調もあまり良くないし 相変わらずの不安定な精神と睡眠障害やら過食に 身体の病気まで抱えて 昨日なんぞはとにかくだるくてたまらなくて でもしなけりゃならないことや せっかくの仕事ご依頼の件もあって・・と 焦れば焦るほど頭は機能せず・・・ PCの前に座って作業しているつもりが 意識がいつのまにか遠くなり 椅子のまま後ろへズシンと倒れてしたたかに後ろ頭強打。 それでぼーっとしつつ意識回復。
もう きついのか眠いのか どれをどれからすればいいのか 疲れが溜まってるのかな〜 末っ子の登校は順調に続き、気は抜けないまでも 少し一息・・ってはずなのに なんででしょう。
実は今日は大切なひとと初めて出逢った日。
少し何かが違っていたら今のわたしたちはいなかった。 それぞれに大切なそんな出会いがいくつかあります。
少女の頃の夢は 花嫁さんだったりしました。 真っ白なウエディングドレスに憧れて 物語のハッピーエンドは永遠に続くものと信じていました。
あの頃の幼いオンナノコのわたしが今のわたしをみたら 失望して泣き出してしまうでしょうか。
それでもねぇ 伝えてやりたいことがあるのです。
この人生を歩いてきたから出逢えた大切なひとたちや 宝物のような想い出も確かにあるんだよ って。
しあわせ にはいろんな形があることを
それが望んだ幸せの形とは違っていても
見つけようと思えば見えていないだけで きっと見つかるから
それは小さな星でも
あなたの キミの
わたしたちの中で
確かに 瞬(またた)いているから。
奇跡のようにこの広い地球(ほし)の上で わたしというちいさなちいさな星の瞬きに
気づいてくれて
ありがとう
・・・・・あなたに出逢えてよかった。
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ゆうなぎ
*華胥(かしょ)の国* 中国古代の天子、黄帝が昼寝の夢に見たという理想郷。 人々は自然に従って生き、物欲、愛憎なく、 生死にも煩わされることなく良く治まっていたという国。
久しぶりにPCから。 ネットにも無事繋げて、還ってきたPCは とてもサクサクと動き、見違えるようだ。
入れなきゃならないソフトや設定などカスタマイズは 仕事で使っている分、色々あるわけで。 それを済ませて完全復活となるまでには もう少し時間もかかるだろうけど それはゆっくり・・と 思っていたりしたのだが。
これは大変有難いことに仕事のご依頼があり。 それもリピーターのお客様で 仕事自体もしばらく離れていた自分にとっては 程よい内容。
とにかく体調を少し壊していたもので・・と お詫びのお返事をして、 来週からなら仕事に入れますが それでもよろしいでしょうか? と お聞きすると 急がないのでゆっくりでかまいませんよ との こちらを気遣ってくださるお答え。
こういう時 ああ、コツコツと細々とでも頑張ってやってきて 良かったな・・と思う。 わたしだから・・と信頼して依頼してくださる気持ちが 何よりも嬉しい。
ただ そうなると今度はPCの方。 少なくとも仕事に必要な環境を週明けまでには整えないといけない。
こうなるとわたしは寝食を忘れてしまう。 ついでに薬も忘れて その挙句 懲りずにゾワゾワチカチカの 洗礼を受ける。我ながらバカモンです。 急いで薬飲んで ひいひいふうふう。 30分くらいPC前で意識失い 少し落ち着いたので再開。
で 実は今日は午後から実家に顔出して泊まり 明日夜 自宅帰りの予定。
おかげさまで末っ子も軌道に乗ってきて だから 週末の実家行きはご褒美でもある。
実家にはもちろん?ネット環境などアリマセン。 だからね 徹夜して今までかかって (朝方 中断したけど)何とかかなりPC整えました。 とはいっても 本当に最低限最優先させるものが やっと入ったくらいなのだけどね。
でももうすぐタイムオーバーなので とにかく とりあえず 後は 日曜帰宅後 ということに・・。
相変わらず 眠りそびれてるなぁ。 せめて今日午後からと明日帰宅までは 実家にて眠剤入れて 布団に横になろう。 腰もヤバイし。
華胥の国 いいですねぇ・・ なんかゆったりしてて穏やかそうで。
そんな眠りが切実に欲しい 今のわたしです。
ゆうなぎ
末っ子は新学年から学校へ数日しか休まず登校している。
実はGW前後で後戻りしかかった時があって わたしはいよいよ壊れる寸前までいった。
それほどにショックだったのは 一番わかって欲しくて そうしてその為にわたしが必死でやってきた 約束の重さ と 大切さ が 末っ子に伝わっていなかったから。
伝わっていなかったというのとは ちょっと違うかもしれない。
要するにまだ諸々を甘くみていたし タカを括ってたということ。 わたし(おっかあ)に対しても。
彼は おっかあ が ここまでギリギリの崖っぷちにいるなんて 思いもしてなかった。
良くも悪くも おっかあ は しぶと過ぎた。 特に子供らの前では。
だから まだ大丈夫だと思ってたんだろう。
それは 末っ子に限らず、長男も次男も。
実際は おっかあは もうズタボロだった。 また この時期は小、中、高 とそれぞれの新学期。 提出物、手続き、申請・・・ それでなくても働かない頭は 馬鹿みたいに片端からメモしてもパニックを起こしてしまってて。
何より皮肉なことに 末っ子が休まず登校し始めたことで それまでの事情をよく把握していない 異動で一新された先生方の目には それが当たり前のことに映ったのだと思う。
実際にはそれ以前での試行錯誤やグルグル迷路をやっと抜けて まだまだ内側はむしろその分 張り詰めた緊張感と不安定だったのだけど。
だからこういう時に一番言って欲しくないこと 追い詰める言動を連発された。 これらは励ましの言葉だろうし強い口調で言われたわけでもない。
一番堪えたのは「弱気にならずにお母さん頑張ってください」 (弱気にならずに頑張る・・って・・・ 今までどれだけ色々な角度から子供にも働きかけ、 学校にも何度となく通い、話をしてきたと思ってるの? それでやっとここまできて、挙句にまだ こんなこと言われなきゃならないの?)
確かに新学年立ち上げのこの時期、 クラス一人一人の子供の事情まで 全部頭に入れていてという方が無理だし、酷。 こちらもそんなこと望んじゃいない。 ただ 最低限の押さえておくべき事情は 知っていて欲しかった。
何の為に前学年の終わりに学校へ出向き 事情説明の手紙を渡し どもりながらも何度目かのカサブタを剥がして 心の傷痕と現状を話したのか・・・。 こんなふうに異動があった場合の引継ぎの為だったはずでしょう?
だのに手紙は読まれてなく、わたしの心身の病気についても ご存じなかった様子。
だからだろうな・・ 「”生活習慣の改善”の働きかけをしてください」 「朝食を少しでもどんなものでもいいから食べさせてきてください」 これも以前から散々何とかと努力してきたこと。
ただウチの場合、高校生の長男は自分の夢の為 進学を目指し 日々 早朝から試験前になると帰りは夜の10時とかはザラ。 遅い夕食の後、また机に向かってる。 土日祭日も模試や検定でつぶれることが多く、 身体を壊さないかと気が気じゃないくらい。 でも奨学金援助を受けているので 本人も成績が落ちないように必死だ。
よほど広いお屋敷に住んでいるのなら別だけど 我が家は一人一部屋やれる余裕なんてない。 夕食は8時まで待って帰らない時には 下二人に先に食べさせる。 でも夜10時過ぎとかに玄関チャイム鳴って帰宅して それから長男夕食・・なんてしてたら あっという間に時間は過ぎる。
ご近所迷惑になっても申し訳ない (というか階下?からの夜中のチャイムが鳴るのが 怖いというのが本心) のであまり遅くなると風呂も諦めさせる。
話が長くなった上に逸れたけど
この状況でわたし自身、心身の状態が良くなくて 自分のコントロールもままならない今 一人で あちらもこちらもするには限界がある。 こうして文章にしても伝わりにくいだろうけど (というか伝えきれない)
お会いした先生は前向きで明るく気さくな方だった。 他の新しい先生方も同様。 決して教師としていい加減などではなく、むしろ真摯に教育に 取り組んでおられると思う。
ただ こういうと大変申し訳ないけれども 修羅場をくぐってないんじゃないかな と感じられるような (あくまでわたしの印象に過ぎないけど) すーっと上辺を流れていくような。
それならそれでもいいけど、それならせめて わかったような顔しないで欲しかったのだ。
それで普通はいいんだろうし、今まで問題なかったんだろうし 当たり前なんだろうけど そんな そちら側のヒト・・センセイのコトバや態度も重なって ものすごく・・・一気に・・・わたしは落ちてしまった。
疲れ果てて もう 本当に 何もかも 嫌だ って 思った。
今だから告白するけど 実は末っ子と心中とかも頭をよぎった。 いやいや・・実行に移すことはまず無かったろうし 自分以外の命を道連れなんてことだけは信条に反するし 自分自身すら臆病が幸いして まず正気が1%でもあるうちは 生きることにしがみつく所存だが。
それでも 車に引き寄せられるようにふらりとして ハッと我にかえったり 夜のベランダで長いこと夜空をただぼんやりみていたり
思えば一番この時が危なかった。
Kにも随分と心配させてしまった。 死ぬ勇気などないけど苦しくて仕方ないから もういっそ殺して欲しいなどと膝を抱えた部屋の隅で 電話を握り締め搾り出すように啼いた。 またね ではなくて サヨナラ と電話を切ってしまい 心配を増幅させてみたり 悲鳴みたいな甘えをした。
トモダチにも同じくらい心配をかけてしまった。 でも その存在や見守ってくれたこと、受け止めてくれたこと
わたしはこういうひとたちによって生かされている と 支え繋ぎとめてくれている。改めて、ごめんね。ありがとう。
そしてGW それこそ 一世一代の思い切ったことを。 でも そこは所詮 イイコちゃんから抜け出せないから ちゃんと裏では手を回し、計画して。
結果 これが功をそうして さすがに末っ子は深く考えたようで そして変わった。 とはいえ まだちょっと油断すると 気が緩むようだけど。
あれから学校へは順調で先生からも安心して嬉しいです との 連絡帳へのお言葉をいただいた。
もちろん ありがとうございます と 当たり障りの無いお返事を書いておいた。
だけど すみません。 多分 この 対 学校、先生への心の垣根はもう消えない。 子供がこのままいってくれれば 必要最小限の接触しか したくない。
あの時 最後の糸が切れたんです。
距離をとらせてください。 もう 解放してください。
ガッコウ センセイ ごめんなさい。
ダメ母を正当化するつもりはないけど ダメ母でも生きている方がいいと思うから。
そうそう、パソコン やっと修理から帰ってきました。 立ち上げて一通り動作確認などはしたけど Windows 立ち上がったロゴ見た時には胸が熱くなったなぁ。
ソフト入れたり、ネット繋いだり、 仕事もう一度 立て直したりの完全(とはいかないまでも) 復帰と呼べるまでには まだ当分かかりそう。
でも ゆっくりいくしかないものね。
腰の調子がまたあまり良くないし、内臓の方も・・ 来月には肝臓と腎臓の検査があるし・・ 欝もねぇ・・・今 過食と睡眠障害とに悩まされてます。
それでもこうして生きてるからね。
あの日々からすれば。
ひとつ一息つくと次のひとつが入れ替わりに やってくるっていうのは 相変わらずにしても。
長男はさっきもう登校していった。
次男をもうすぐ出して それから 最後が 末っ子。
相変わらず 慌しい朝。
でもみんなを送り出して洗濯物だけ干したら 薬を飲んで少しでも横になろう。
週末まであと少し
倒れることだけはないように 頑張る。
ゆうなぎ
週末は実家で過ごした。
日々の想い、出来事 色々あるけれど ごめん。 今は、それを言葉に ちゃんと変換できない。
その代わりのように 最近、ケイタイカメラで よく写真を撮るようになった。
これまた自己満足のモノだけど この場所で今日も 生きているよ と キミにあなたに届けられたら せめて。
あのね、アザミの花が 咲いているのを見つけたよ。
空は眩しいほど青く ウグイスが語らうように 遠く近く鳴き交わし
風に吹かれながら わたしは 目を閉じて、ひとり
時間の無い空間に 佇んでいたよ。
ゆうなぎ
2008年05月10日(土) |
見えない明日を信じて |
雨が降っている。 肌寒い週末。
相変わらず日々は不安定で わたしはヤジロベエの様に 揺れているけど。
焦る気持ちも張り詰めた神経とも とにかく折り合いをつけて。
トモダチ 心配かけてごめんね。 メールの返信もできない状態が 続いているけど 待っていて。 きっと 帰るから。
パソコンが修理から返ってきたら わたしも心機一転。 今まで越えてきたものは 決して無駄じゃないはず。
これからもくじけるだろうし ヘタレるだろうし まわり道も迷い道にも 踏み込むだろうけど。
みっともなくてもいい、 生きること それができているだけでも 今はジブンを赦してやろうよ自分。
見えない明日だからこそ信じて。
ゆうなぎ
2008年05月08日(木) |
それでも やっぱり1%の希望を |
こうして この一ヶ月近くを振り返ってみると 色々あったと改めて思う。
まだ、落ち着いたというには 現状も心身も不安定だけど。
それでも、こうしてまた 日記を携帯から綴っているのだから 確かにひとつの山を越えたのだ。
目の前にはまた新たな山があり 真実(ほんとう)の、魂の休息 が 得られるのは いつなのか。 果たして そんな日が この命あるうちにくるのか。 それは 神のみぞ知る ということにしても。
嘘みたい、と当人が思うほどの 事実は小説より…を 地で行くような 突拍子もない出来事の数々から (これ、実際その立場に立った人ならわかって貰えるだろうが、泣くとか、喚くよりも まず呆気にとられる。 悲劇とか苦労とかは ドラマや本の中だから、美しくも感動的にもなり得るけど、現実、当人になったら、現在進行形。 もっと生々しい目の前のこと。時間は待ってくれないし、テレビを消し、本を閉じるように、疲れたと、やめられるわけでもない。これほどやり切れないものはないよ)
誰もが大なり小なり抱えている 問題や苦しみ (何ひとつ悩みが無いと言える人なんてほとんどいないんじゃないかな。 反対に悩み事のないのですら、悩みになりえるようだし。 羨ましいことだけど、退屈、平凡、刺激がない、というような)
人生の不公平を 感じてないのかと言われれば嘘になる。
わたしはそんなに 達観なんぞしてないし できる器でもないから いつも 「もう駄目、今度こそ限界」と ヘタレては弱音も吐けば、逃げ腰にもなるし。
わたしよりは普通に安穏に暮らしている (ように少なくともわたしからはみえる) すれ違う家族連れ、恋人達に、 なんであたしがそっち側じゃないのよ!と 羨望と怨嗟を心で呟き、 できることなら代わって欲しいと思う。
今回だってそうだ。 何で次から次にこんなに いつまで続くんだと絶望し、 消えてしまいたい、 放り出してしまいたいと何度も思い 実際、頭では 命全うの誓いを復唱しながらも 反して 身体は 気がつけばボンヤリとベランダで 遠く空をみていたり 横断歩道、赤、信号待ちの時に ゆらゆらふらりと身体が前のめりになってたり。
わたしが今 まだこうしているのは 決して、悟ってるからでも我慢強いからでもない 寧ろ 人一倍、臆病者だからに過ぎない。
本当にどうしようもなく 追い詰められて境界線を 越えた人達を誰も責めれないと思う。
だってよく 「なんでここまで思い詰める前に相談してくれたら」 とかいうけどSOSサインなら精一杯出してるって。 相談するのだって、 どれだけの傷を晒す勇気と精神力必要とすることか。 そして揚げ句、見当外れアドバイスとかで反対により追い詰められたり。
まさに 噛み合わない悲劇
でも それでも
本当にあろうが、なかろうが 強引だろうが、自己催眠だろうが 1%の希望はあると信じて。
今日 生きる。 明日 生きる。
とりあえず生き延びる。
だってでなきゃ 悔しすぎるじゃないか。
だからしがみつく。 力の限り 無理を する。
美しい生き様なんて イラナイ。
あたしだってね こんなもんです。
こんなもんなんですよ。
ゆうなぎ
2008年05月02日(金) |
正解なんてわからなくても |
食べるのは 寂しさの空腹を 埋め続ける手段
食べないのは 叫びだしてしまいそうな 心を閉じ込める為
どちらも、 ジブンを崩壊させないように 自分が見つけた イビツな防衛方法
どうあがいても どうにもならないこと は やっぱりあって
正解なんてわからない。
ずっと のたうちまわってばかりで 苦しくてたまらないんだよ ねぇ 知ってる?
嘲笑(わら)ってくれていい
どんなにみっともなくても
それでも生きていくために それでも生きていくことを
約束 したから
だから。
ゆうなぎ
2008年05月01日(木) |
何度 カサブタを剥がして傷口を見せれば |
人間は忘れることができることで 救われている と いうけれど。
傷口は痛い。 それはカサブタになってさえも 時として思い出したように 深く疼き、心を金縛りにする。
傷口を自ら望んで晒したいなんて 誰が思うものか。 ましてやカサブタを剥がして 事情を説明する行為は その度 フラッシュバックを起こさせ 精神を追い詰める。
それをどうして 何度も 気力振り絞ってでもするかといえば 全て子供の為だ。
わたし一人のことなら もういい。
でも学校関係では 事情をある程度、打ち明けて (これでもある程度なのだ。実際、全てを話すのはキリがないし不可能)理解を得ることが必要。
何も知らなければ ただの怠慢や身勝手と 取られかねない事でも 話すことで、誤解や行き違いがかなり避けられる。
だから何度となく学校へも出向き、話をしてきたし 言葉足りずの部分は 手紙を書いて持参し 読んでいただくこともしてきた。
本当はわたしには 学校と病院に消せないトラウマがある。
でも そんなこと言ってられないから 精一杯、自分なりに向き合ってきたつもり。
学校側もそれに応えて 下さってきたと それには本当に感謝している。
でも 今回 今まで子供と関わってきた先生のほとんどが異動されてしまった。
そして新学年になってから 子供はかなり頑張って 今の所 週明けなどのグズリ以外は 遅刻してもほとんど休み無しで登校してる。
これを維持させる為に わたしはかなり神経を遣っている。
要するにまだ完全安定とはいかず いってみれば補助輪を 徐々に外していくための 練習をしているようなものなので。
ただ わたしもさすがに もう限界の限界ぎりぎり。
今日 わかったことがある。
新学年の先生は 新しく異動で来られた方なのだが 学期末に学校へ伺って、 話し、託したわたしの手紙を 読まれてない ということ。
あれは異動による引き継ぎ時の為に 少しでもわかりやすくと 書いたのだけど。
勿論、変に子供に対して 意識せず、真っ白な状態で 接していただくことには 異論などない。
ただ 表面は戻ったようでも まだ残る不安定さと でも これまで親子で暗中模索しながら ここまでやっときたことは わかっていて欲しい と。
認識の違い。 確かに知らなければ そうなるだろうな。
母親のわたしに対して 「お母さんも弱気にならずに頑張ってください」 は 別に至って普通の言葉かけ。 わたしが心を病んでいなくて 今までに何もやってこなかったのであれば。
子供と先生は今の所 うまくいっていると思う。
だから、わたしはその関係を わたしの感情で壊したくない。 子供は敏感だから 母親が先生への不信感や拒否反応を 無意識の態度でも見せれば影響を受けてしまう。 それだけは避けたい。
それに 一般的な目で見れば 明るい、感じの良い先生なのだ。
何とか もうひと踏ん張り、踏みとどまりたい。
でも 情けないが これ以上、傷口を晒す気力も カサブタを剥がす痛みに 耐えられる自信も もう…
だけど 何とかしなきゃ わたしの中の私 どうか 持ちこたえて。
お願い。
ゆうなぎ
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