++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年03月31日(月) 伝言(つたえたいこと)

人間(ひと)は
そんなに強いものではないとおもう。

少なくともわたしは
痛みも知らず傷も負わず
それを
自分が正しく生きているからだとか
強い心を持っているからだとか
言い切ってしまえる人の方が苦手だ。


真摯に生きるひとほど
自分自身と向き合うから誰よりも自分を責め、苦しむ。

その震えている背中に
魂に
わたしはもどかしくも
かける言葉が見つからなくて
こうして ただ
此処にいるから と
伝え続けることしか。


人間(ひと)は皆
年月を重ねるごとに
色々なものを魂に刻んでいく。

善も悪も表裏一体。
正しさも間違いも見る位置を変えれば
まるで違う物語が二つ。


今までより
此処から

そして此処からの道とて
わたしたちは迷いも後戻りも躓きもしながら

だけどだからこそ
歩いていこう。その道が途絶える場所まで。


苦しみの方が多いこの世界を生きるということに
どうしてそんなにしがみつくのか と聞かれたら

わたしはきっと泥やら汗やらで汚れた
泣き笑いの顔をして

それでも見ることのできる限りの明日が見たいのです

そう つっかえながら
けれど精一杯
顔をあげて答える。


きみよ
あなたよ
どうかどうか。

きみの
あなたの
今のこの魂だからこそ
わたしは
きみに あなたに共鳴し
その心のカタチを
愛さずにはいられないのだとおもう。

そう おもうのです。



       ゆうなぎ



2008年03月30日(日) 約束の場所まで

実家にきています。
しばらく日記も携帯からになりそうです。
パソメールのチェックも
自宅に帰ってからになるので返信、反応など遅くなるかと思いますが、ごめんなさい。

色々あってでも今は文字に、言葉にするのもしんどい。上手くあらわせない。

ただ 今はまたあの休憩所へと
何とか辿り着く為に。
試練のハードルを必死に
越えています。

いつもそうなのです。
ほんのひと時の魂の安らぎさえ、わたしには闘って得るしか許されないのでしょうか、カミサマ。

約束のあの場所で
その時だけは
怯えることも
怖がることもなく
心を解き放せる場所で。

あの桜がみたい。

わたしがわたしでいられる場所に
また還りつけますように と
祈り続けています。


ゆうなぎ



2008年03月28日(金) ここにいるよ






あのね



わたし 

いつだって ここにいるから。



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                ゆうなぎ



2008年03月27日(木) 蒼い空





曇り空だと ほっとする


雨は繭のように

わたしを包んで許してくれる気がするから好き



眩しいほどのキッパリ青く晴れた空は苦しくて今は


雲の浮かんだ蒼みがかった空いろにだけは

少しだけ 安心する



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                 ゆうなぎ



2008年03月26日(水) わたしは臆病者



 
毎日 不安で震えてる
 
 大切なものを失くすのが怖くて怯えてる


 あたりまえの明日が

 あたりまえに来るとは限らないこと

 知ってしまったから だから



 わたしは臆病者


 「大丈夫」 なんて

 嘘


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            ゆうなぎ


***

なみだいろ 声が聞こえない夜は
困らせてしまうほど わがままになりたい

だいじょうぶ そう言ってみたけど
そんなはずないでしょ…

あなたの前じゃ 嘘つきよ
気づいてほしいと 思っているの
そんなに強いわけじゃないからね …アタシ

涙こぼさない 決めていたのに
困らせてしまうよね? わがままになれない

だいじょうぶ? なんてまた訊くけど
そんなはずないでしょ…

            「Namidairo」/ YUI 



2008年03月25日(火)




まだ冷え込む明け方に時々カーディガンが必要なように

これからもきみは迷いも後戻りもするだろうけれど

それでも今日のきみの勇気は
固かった蕾がほころんで
春が近づいていることを教えてくれた



季節の変わりめの眩しさに
少し目を細めながら


一緒に

巡り来る春を待とう


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              ゆうなぎ



2008年03月23日(日) 桜を待ちながら

学校に行き、先生方と今後のことについてお話してきた。
結果的にいえば とても意味のある話し合いになったと思うし
何よりも わたし達の声にしっかりと耳を傾けて
ゆっくりと先を見ながら一緒に考えていきましょうという姿勢で
いてくださるのが有り難かった。

先生方の血の通った対応、お心遣いに改めて心から感謝している。


行事参加よりもむしろ個人的に何度も学校に通うのは 
今のわたしにとって その度、必死の気力を要した。

ある時は(ワープロ打ちのだけども)手紙を書き、
ある時はつっかえつっかえしながらも
現状をわかっていただく為に懸命に話し。

先生方と電話連絡は ほぼ毎日するようにして
大抵の先生にはもう声だけでわたしと名前がわかるほどになってる。
子供と共に付き添って
時には朝に 時には昼に 時には夕方にと
保健室登校も続けた。

それでも今現在末っ子はまだトンネル迷路 出そうかと思えば
また入りでジグザク走行中なのだけど。


わたしは不器用な人間だし母親なので 回り道や迷い道の方が多い。
逃げ腰だったりヘタリたりは日常茶飯事だし(自慢にもならないけど)
その代わり 蹲らないと転ばないと気づかないままだったことや
痛みの意味がお陰でわかったことも事実。


ご苦労もどんなにか かけていると思う(現在進行形で)
それでも先生は「お母さん良く頑張りましたね」といって下さった。
これは何よりも救いになる言葉だった。嬉しかった。



わたしは人と直に接するのも話すのも(ごく一部のひと達を除いては)
基本的に苦手 というよりも できるならしたくない。
元々もそれほど社交的だったわけではないけど 
色々あり 心身を病んでからは一層酷く
対人恐怖とプレッシャーを感じるようになった。

子供達の手が離れたら 交わりたいひととだけ交流して
後は ひっそりと静かに干渉されず生きていきたい。
それが望み。



でもまだそうはいかないから
だから わたしはあっぷあっぷ溺れながらも
犬掻きでとにかく泳ぐ。



実は よりによってこの日 長男の具合が悪くなって
学校へ行く前に・・とかかりつけ病院へ連れて行ったが
病院から帰っても調子が思わしくなくて
一時は入院か?と肝を冷やした。

病院に電話して再度指示を仰ぎ、長男も何とか落ち着いたので
迷ったが予定通りに学校へ話し合いに出かけたという経緯。


泣きそう通り越してパニックになりそうだった。
何で次から次にこんなに色々あるんだろ とか もう。

でもそこの所が 強みでも損な部分でもあるんだろう。
周りが弱ったり、何かが起こった時 
わたしはわたしがしっかりしなきゃ と思ってしまう。
倒れたら終わりだ と思うと馬鹿気力が発揮される。
ほとんど強力自己催眠のセカイ。
限界値の針 振り切れてもそこまでいかなきゃと思えば
行ってしまう。

そこでふっと儚げにかよわく気を失ってしまえれば
いや それほどじゃなくても そこまでやらなくてもいいのにって
自分のことながら なんかセツナクなること多々ある。

世の中には儚げに気を失ってもちゃんと抱きとめて貰えて
後は任せとけ!っていってもらえるオヒメサマもちゃんといるのに。
そりゃできることなら そっち側がよかったと思うよ。


でなけりゃ ほんとに凛として強ければまだいい。
けど中身はヘタレ満載なのに なんでだ って。
結論 性分なんだろうな。だから仕方ない。


案の定 学校から帰ってからはグッタリ。
ただ 長男の看病があったので気が抜けず
自分も薬飲み飲み。

土曜日には長男落ち着き それ見届けたら完全ダウン。

長男曰く 寝ながら「うーん、うーん」と唸っていて
かなり心配したらしい。

それでも根が丈夫なお陰だと思う。
まだ頭痛や関節痛などあるものの こうしてPCに向かえているんだもの。



いつの間にかベランダからみる景色も春めいてきている。
桜の蕾もまだもう少しほころぶにはかかりそうだけど
3月もいつのまにかサヨナラの荷造りモヨウ。


巡っていく季節 でも二度と来ない時間(とき)

花粉症で赤くなった目を擦りながら

それでも桜を待ってる。


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                      ゆうなぎ
 



2008年03月20日(木) あしたの風

明日は学校に行き今後のことを先生方と話し合ってくる。

前日になってまで自分でも情けないが
今でも逃げ出せるものなら逃げ出したい。

むしろ先生方は親身に少しでもなんとか・・と
気遣ってくださっている。今回の話し合いにしてもその為のもの。

でもそれを充分頭でわかっていて、有り難いと感謝していても
別の部分で本能的な人に対しての怯えがどうしても消えない。

トラウマの相手もフラッシュバックの原因も
違うものに対してなのに どうして?と思うけど
理屈ではなくてただただ怖い。

右手の震えを抑えようとする左手が既に震えている。
普通に人が普通にできている”たかがこれくらいのこと”をするのに
滑稽なほどの覚悟と精神力を必要としてしまう。

ドウシテワタシハヒトガフツウニデキルコトガデキナインダロウ

自分への違和感。



今になってこの前の錯乱時に打ちつけたせいだろう。
左手中指が痛くてうまく曲げられない。
右膝も思い出したように疼く。
額の青ジミは前髪で隠せるので まだ良かった。

自業自得。



怖くて仕方ないし、胃はキリキリするし
だけど どれだけ逃げ出したくても
どうしても逃げ出しちゃいけない時というのは
やっぱり ある。

それが 人様には当然できるうちのほんの一つでも。
そのたった一つのことをするのにブザマに足掻きながら 
やっとしか 自分にはできなくても。

無茶じゃなくて無理は時にはしなきゃ 
前にも後ろにも進めないから。


とりあえず明日吹く風に身を任せてみるよ。


カミサマドウカ ドウカユウキヲ


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                        ゆうなぎ 
 



2008年03月19日(水) いくつもの眠れぬ夜を越えて

睡眠薬はほとんど効いてない。
というか 変なところだけ精神力の強い?わたしには
強く気にかかることがあると薬の力さえ無効になってしまう。

うつらうつらとしても薄昏いいつもの世界で哀しい夢ばかりをみて
搾り出すように叫びながらその声で現実に戻る。


末っ子の終業式とあと新学期に向けてのことについて
改めて学校へ行き先生方と話し合わないといけない。
正直 限りなく気持ちは重い。

どうすることが彼にとって一番いいのか。

色々な方法、接し方を模索しつつ実行しながら
ああ 随分良い方向に進んでいる感じだな と思う度に
(これはただとにかく学校へ行くようになることを
 良しとするとかでなくて)
見えかけていた出口を見失うような感覚を何度となく繰り返して
わたし自身が疲弊してきてしまっていることに焦りを感じている。

友達とは遊びたいと思いだしたようで親しい友達を家に招いて
遊んだりしだしたことはいいことだと思うし
元々自然や犬などの小動物が大好きな子なので
環境や諸々の状態が許せば犬を飼ってそういうふれあいを
させることはプラスになると思うのだけど
生き物(一つの命)を飼う(共に生き世話をする)ということには
半端でない覚悟と責任を伴う。

ウチの環境もだけれど まずわたし自身が今新たに一つの命を
預かるという責任を負える状態にないことが一番大きい。

こうしてやれたら と思うことは多いが
できないことを約束して 無理してやって
(勿論 頑張ること、踏み出すことは大切だろうけれど)
それでわたしが立ち上がれなくなってしまったら
それこそ 何の為だったのかということになる。

多少の無理は必要でも それが無茶になっては何にもならない。

オーバーヒートしてるポンコツ頭でもそれだけは考える。

頑張りが足りない といくら言われたとしても
それで無茶して頑張った挙句 完全に壊れたら
誰が助けてくれる?

だから焦るなジブン。

いろんなことで頭グルグルだけど
とりあえず こうじゃなきゃ って呪縛から逃れてみよう
(しかし こう言い聞かせるのも何度目だろ。学習しないねぇ)

腹括ったはずだろう。
そりゃ基本的小心者だから どうしても震えが止まらなくて
へっぴり腰ではあるけど。


とりあえず ジブンのみっともなさを怖れるな。
世間の アタリマエ の声に怯むな。
たった一つの矜持だけしっかり持っていればいい。


ヘタレのわたしにはなかなか難しかったりするけど

ガタガタ震えながら往こう。

それでも 往こう。


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                        ゆうなぎ 
   



2008年03月17日(月) 餞(はなむけ)

ホームドラマのようにある出来事が
劇的に物事を(それも良い方へと)変えてくれるほど
現実は甘くは無い。

それでも あの出来事は子供らにとっては
少なからず ショック療法にはなった感はある。
兄弟喧嘩が心なしか少なくなった。

両親に関しては
あれから 避けられているようでまったく言葉を交わしていない。
それが 完全なわたしへの諦めなのか
錯乱をみたショックから目を逸らさずにいられないのか
それはわからないけれど 
どちらにしても 哀しいなとは思っても
責める気にはならない。

ただあの恐れを含んだ目は忘れられない。
年老いた親にあんな目をさせてはいけないよね。
わかっていたのに・・・ごめんなさい。
今度こそ誓おう。二度とあの姿は見せないと。



今日は真ん中の子の卒業式だった。
今までどんなことがあっても入学式と卒業式だけは出席してきた。
子供も 無理しなくてもいいから と口では言っていたけど
来て欲しくないわけがない。

幸い先生方のご厚意で会場の一番後ろに
席を設けてくださったお陰で
子供の卒業証書授与やお別れの言葉を見ることができた。

遅れて行って早めに帰らせていただいたのだけど
せめて 此処に居るよ とわかるように
ひな壇の子供に向かって大きく何度も手を振った。

わかったかどうか不安だったけど帰ってから聞くと
しっかり見えてたらしい。
「あんなに何回も手を振るから友達から冷やかされた」
と言った子供の顔は照れくさそうに、でも嬉しそうで。

ああ・・良かったなって思った。

ほんとだったら 正門の「祝 卒業おめでとう」の看板の前で
晴れ姿を撮ってやりたかったけど とにかく人と会うのが怖くて
終了前の正門にこそっと行って門と看板を撮ってきた。
せめてもの記念に。

色々あった真ん中の波乱の小学校生活も幕を閉じ
新たな中学校生活へと胸膨らませて突入する。
色々あったけどその分だけ 子供は苦しみもがきながらも
成長したと思う。

失敗なんていくらしたっていい。
悩み迷ってこそ見えてくるものもある。
これからも今だからできる迷い道をしながら
生きていく為の力 を自分自身の手で育てていってくれたらなと願う。

母がきみにいいたいことは それだけ。


見届けることができる限り 
いや もしもそれが叶わなくなった時がきても

わたしは此処にいて いつもきみたちを見ているよ。


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                       ゆうなぎ



2008年03月15日(土) さくらん 心象風景




力任せに床に打ち付けた頭がまだフラフラしている。



握り締めた拳で自分で自分を殴り続けて
髪を掻き毟って振り乱して
その姿は まさに狂人だったろう。

それでもこうして少し落ち着いてPCに向かっているのだから
持ち堪えられたことを良かったと思おう。

手に残る消えぬ鈍い痛みや額や頭のデコボコタンコブが
情けなさと自己嫌悪を苦く感じさせたとしても
それは罰だ。
両親と子供達の前でこの姿を見せてしまったことへの。



きっかけは両親の言葉だったけれど
それはあくまできっかけ。
わかってもらえない部分というのは
今更 嘆く次元ではないし望むべきことでもない。
それでも親は親なりに心配も思いもしてくれているのだから。
それに求めるのは酷というもの。そんなことわかっていたのに。

ただ 両親もいっぱいいっぱいのように
わたしもまた膨らむだけ膨らんで一刺しで破裂してしまう
風船のような極限状態で。


何がもどかしくて悔しいかといえば
子供達のことでも ひとつ良い方向に行きかけたら
間の悪い出来事が起きること。
今 これができたらこの子は一歩踏み出せるのに とか
ああ 今それを言ったらせっかくの気持ちをシュンと
萎ませてしまう・・とか
そのたびに 必死の思いで積み上げてきたものが
ガラガラと崩れ落ちていく。
何回も何回もそれを繰り返して それに疲れて。

でも逃げ出したら死んでしまったらそこで終わり。
わたしが消えたら後 遺された方はどうなる?
またそこで新たなトラウマと傷を大切なひとたちに残すのか?
そんなことだけはしたくない。

それに死にたいわけじゃない。
自分でも原因のないまま死を望む人もいるかもしれないが
多くは 何かから
この苦しみから逃げ出したくて悲鳴をあげて飛ぶんじゃないだろうか。



今回は本当に間が悪かった。

わたしの精神状態も落ちるところまで落ちていて
たまたま来訪した両親も疲れていて
子供達それぞれも それぞれの思いに揺れていて

そんな中で本来一番そうすべきではないわたしが壊れた姿を晒した。



さすがにこれではと思ったみたいで
下二人は両親と今夜は実家泊まりになった。
明日は帰ってくる予定だけど。
長男は学校のこともあるし わたしを一人にするのが
心配だとみんなが判断したのだろう 
わたしと自宅に残ることになった。



薬を飲んで今は随分落ち着いている。

興奮している時は痛いとか感じないけど
こうして萎んだ風船みたいになってみると
左掌痛いのが身にしみる とか 
額のタンコブ腫れてきてズキズキする とか
元々意気地なしの痛いの苦手な臆病者の癖に。
大馬鹿なわたし。



末っ子がね 昨日 ベランダから見える景色に
心がホッとする って言ってたんだ。
だから 昨夜は お月見しながら 狭いベランダで
子供達とあったかいうどんを食べた。
そんな穏やかな時間もあったのに。



今日も晴れていて 太陽の光が今のわたしには眩しい。

携帯で写真を久しぶりに撮った。

心象風景 なんてカッコイイものじゃないけど
ココロん中の切れ端みたいなの。

大丈夫。こんなこと書いたりしてるんだもの。
まだ もつはず。まだ 大丈夫。 
ほんとシブトイよね。



わたし 生きています。



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                     ゆうなぎ



2008年03月14日(金) 吼える

昨日新規の方から
仕事依頼の問い合わせをいただいた。

あくまで問い合わせで
これが本当に仕事になるかはまた別問題なわけだが
開店休業状態にしていてもこんなふうに問い合わせがくると
何となくホッとする。

フリーでSOHOなどと言えば聞こえはいいが 
わたしの場合は本当に細々とした内職SOHOだ。
確定申告の時に相談しても申告の必要ないですよ と
言われたくらいといえば想像してもらえると思う。

それでもあの数年前まったくの0から独学しながら
文字通り必死の思いで始めたことであるし
この年齢で心身に病持ちの自分が唯一得られる収入源として
微々たるものでもできる限り続けていきたいというのが切なる願い。



以前 知人の女社長にいいように利用された挙句
散々な目にあって つくづく学んだことは
よほどその人に信頼がもてない限り
(とはいえ、その時は わたしも女社長に対して
信頼できる人だと判断したのだから とんだ見る目無しの
オマヌケだったわけだけど)いや もてたと思っても
知人と仕事をするのは止めておいた方がいい ということ。

実際 知人であるがゆえに関わり自体を完全に断つことが
難しい現状があり 未だそれで嫌な目にあう。

こっちの方がほんとは文句いいたいこと山積みなんだから
顔合わすことを怖がるのはおかしいじゃないかと
自分でも思う。

だけどもうわたしは言っても無駄なことに費やす気力なんて
残っちゃいないんだ。
怒りがないわけじゃない。
ただ あれだけよくもまぁ 自分勝手、傍若無人に
人を踏みつけにするような失礼なことしておいて 
それでも平然と いやむしろ このうえ
まだ どの口がそんなこと言えるわけ?
どういう神経してるんだろう と思う
厚顔無恥な彼女に対して 拒否反応の方が強いだけで。

こういう人には過去何人か会ってきた。

一見サバサバ 姉御肌 でも 要するに自分の傘下に相手がいて
思い通りになっているときはご機嫌で大風呂敷広げるけど
(それでもこの時点でも こっちがおとなしいとみると
女王様気質全開、失礼なことしてもケロリとして平気)
それが(自分の都合による自分から招いたものであっても)破綻すると
逆切れの挙句 いつの間にか彼女の脳内変換ですっかり悪者にされる。
(女社長の場合 他の人に対してのこれをリアルタイムで見た)
こっちはもう関わりたくない だから 
もう勘弁と思って極力接点を絶つのに
何故か相手はそうは思わないらしく変につっかかってくるから 
とことん疲れる。



わたしはそんな良くできた優しい人間なんかじゃない。

基本的に争いごとになるのは疲れるから事なかれ主義だし
(好きなひとたち、大切に想うひとたちに対しては熱血?だけど)
その他 拒否反応の出る相手に対しては 冷酷なほど醒めていて 
(めんどくさいのでできるだけアカラサマにならぬよう)
キッチリ一線を引いて接する。

例えばまだ怒りを表に出したりしているうちは
その相手に対峙しているのだけど 
わたしの大嫌いな相手に対する最終形態は
”関わらない”なのだ。そして同じく相手にもわたしに触れて欲しくない。
できればきれいサッパリとわたしなどいなかったことにしてもらえると
有り難い。

誤解がないように書いておきたいのだけど 
トモダチや大切なひととでも自分の状況がしんどくて
連絡が途絶えることはある。
だけど それと この 関わらない というのは全然違う。
どれだけ一時疎遠になろうともトモダチや大切なひととは
繋がってると信じられるし相手もわたしを信じてくれる。

多分 人様に比べてわたしのトモダチは少ない。
でも その誰もが わたしという人間をちゃんとみて
それでも それでいいと言ってくれている。
これは何よりも嬉しいこと。

このひとたちが居てくれるから わたしはどれだけズタボロになっても
最後の最後で踏みとどまっていられるんだと思う。
  



昨日の夜 末っ子が 部屋に立てこもり 中で踏ん張って
他の皆を締め出し。

きっかけの原因はたわいない兄弟喧嘩。
ちょっとした気持ちの行き違いだったものが
いつの間にか意地の張り合いになり 大きな拗れになっている。

長男は末っ子のこういう行動が
わたしの心身へのストレスと負担になるのを知っているから
余計腹立たしいようだし
言葉を尽くしても末っ子に伝わらないもどかしさや
彼自身のストレスも加わって苛立つ。

次男は悪気はないのだろうけど 余計な一言が多い。
喧嘩のきっかけは大抵それからだ。
ただ この子もわたしのことを心配してくれていて
結局のところ タイミングが悪いだけだと思う。

末っ子は末っ子で今 自分の気持ちをうまく操縦できないでいる感じ。
甘えたいとかもっともっとかまって欲しいとか
今までを思えば無理もないのだけど その表現が
あまりにも不器用でアマノジャクだから兄達に対しても損をして
一触即発みたいな状態になっている。


三人ともわたしを心配し思ってくれているが
三人ともわたしへの不満もまたもっている。

三人ともそれぞれ必死で
三人とも迷って傷つきながら探している。

わたしにはそれがわかりながらも
今のこの不安定な家族の状態を立て直すことが
もどかしいくらいに力不足でできない。
それでも諦めてはいないし 諦めるつもりも無いが
正直 限界ギリギリでなんとか持ち堪えているような有様だ。


昨夜だって何度発作的にドアを開けて
闇へと飛び出したくなったかわからない。

死にたいわけでなくて 
ただどうしようもなく何処かに逃げ出したいと思った。


一応治まったとはいえ、まだまだ気は緩められない状態は続く。
何度天を仰いで幽体離脱しかかったかわからない。

今日も絶望とのせめぎ合いをなんとかやり過ごして
こうして此処にいる。



 ”こわしてしまうのは一瞬でできるから
  大切に生きてと彼女は泣いた”

     「MOON」/ REBECCA より




だから此処に いる。


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                      ゆうなぎ  



2008年03月13日(木) きょうのできごと

最近の記憶力のダメっぷりは壊滅的なものがある。


糖尿内科の定期検査 明日だと何故だか思い込んでいて
重要な予定は いつもカレンダーに書いておくようにしているのに
今回 書き込むのを忘れてた。 
保険的に携帯の予定リストに入れていたお陰で
(予定時間の1時間前と30分前にアラームを鳴らす設定)
今日だ!!!と 朝 気が付いて何とか間に合ったけど冷や汗かいた。

それで肝心の数値だがやっぱり悪くなってた。
といっても一番最初に受診した時の 即入院!的なほどには
まだ至ってはいないのだけど。
それでも以前を10として5まで戻したものが今7まできてる感じ。
がーっと落としてまたズルズルとリバウンド。
血圧も高くなってきている。
こういう病気はとにかく自己管理が大切。
なのに今 自分はその気力を失くしている。
まさにヘタレ。でも此処でなんとか踏みとどまらないと。

足先の痛みも主治医に伝えてみたが 一瞥しただけで
整形外科受診されてみたらどうですか と言われた。
糖尿病との関係や数値リバウンドからきてるのでは?と
さらに頑張って突っ込んで聞いてみたが
痺れや浮腫みが出てないのならそれは無いんじゃないかと
思いますけど でおしまい。

総合病院でちゃんと整形外科もあるんだから
糖尿内科からその科に電話してカルテを回して貰えないんだろうかと
思ったけど(今までかかった時は そうしてくれていたから)
主治医のあの言い方だと
玄関窓口受付から改めて自分でどうぞ ってことみたい。
頼むのも尋ねてみるのも気力がなくて断念。
ありがとうございました と挨拶して次の検査予約をして
診察室を出た。

数値が悪くなっていたので次の検査は少し早めにすることになった。
とにかくこれ以上数値を悪くしないようにしないと。


クリニックにも少し早かったけど薬を貰いに寄った。
薬だけ貰うつもりだったけど 今回から受診しないと薬は
出せないということになったようで。

そういったって 3分診察。
とにかく無理しないようにしてください。

またお待ちしていますね とか ご苦労様です
なんだから受診してもしなくても変わらないので
いっそ 薬だけ貰えた方がその分ストレス減るくらいで
有り難いんだけども あちらにもあちらの事情があるんだろう。


糖尿内科でもクリニックでも感じるのだけど
わたしはあまり省みられない患者なような気がする。
というか どちらの医者からも結局
大変だとは思うけど現状 どうしようもないしねぇ
と 半分投げられているというか。
糖尿内科では何とか薬飲まないで済みように踏ん張って!と激励され
クリニックでは今の薬でも色々出てるからこれ以上増やさないように
(でも減る見込みなし)何とか頑張って! ということみたいだ。

確かにね・・・
でも今の主治医の前の先生はすごく温かさを感じる先生で
言葉に心がこもっていた(少なくともそう感じられた。
これって大事じゃない?)
患者というのは不思議なものでそういう言葉の感触を
とても敏感に感じる。
そうして それだけでどんなに救われることか。

糖尿内科の前の主治医とのお付き合いは長くはなかったが
あの先生は患者の視線で言葉をかけてくれた。
当たり前のような必要なことだけどでもなかなかそれができる
お医者様に出会うことは少ない。
病院や医者にトラウマを抱えているわたしは
ああいう先生にまた診て貰えたらいいのに と今も思う。


郵便局に寄って 買い物して帰ろうか迷ったけど限界だったのと
家に末っ子残してきたので 買い物は長男が帰ってから行って貰おうと
足を引きずるようにして帰宅。


クタクタで少し横になりたかったけど
せめてこれだけでも・・とやってたら寝そびれて・・

そうしているうちに次男下校。
で ちょっと目を離していたら 末っ子と大喧嘩。
最近この二人はよくぶつかる。
あまりにもひどくドタバタになるとまず引き離して
頭を冷やさせてからそれぞれの言い分を聞くようにしてるけど
これがまた かなり疲れる。 
放っておいてもいい喧嘩も勿論あるがそうはいかないものも多い。

そうこうしているうちに今日は早めに長男が帰ってきた。
彼が19時前に帰ることは珍しい。
それほど彼の学校のスケジュールは厳しい。
やりたい目標があるからできるんだろうな と思う。
咳が長引いているのが気になる。
うがい薬でうがいさせてトローチを渡す。
あまり長引くようなら病院へ行かせないと・・と考える。


一日は飛ぶように過ぎていく。短いようだけどしんどい。
バテバテの自分がいる。

先は相変わらず見えない。
不安と心細さは募るけど なんとか なんとか。

首筋から肩が酷く凝って頭が痛い。
後から湿布でも貼っておこう。

今日は眠れるだろうか。

疲れているはずなのに相変わらず薬を飲んでも眠りは浅く
薄昏いユメばかりみる。



ああ 今年もKとまた桜が見たいなとおもう。

ささやかな ねがい。


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                     ゆうなぎ



2008年03月11日(火) 道なき道

今 わたしたちはそれぞれに迷路の中にいる。

噛み合わないこと、すれ違うこと、それ以上に
見えているのに手が届かないもどかしさ



それぞれの迷路はそれぞれ自分の力でしか抜け出せない。
それは わたしたちが 
一人一人それぞれひとつとして同じものの無い存在だから。

こればかりはどんなに近しくとも想いがあっても
出口は自分にしか見つからない。


加えて出口は一つじゃない
無数にある。

最初から見えているものもあれば
途中で見つけるものもある
最後まで見えないままのものもあるだろう

壁と思っていたところにひっそりあったり
行き止まりかとガックリ膝をついたらそこにあったり


ただなかなか見つからないから辛い。
見つけるまでは七転八倒だし
見つけたと思ってもそこがまた別の迷路に繋がっていたりもある。



疲れ果てて今度こそもう動けないと何度も思う。
倒れて見上げた空の青さに鳥になれたらどんなにいいかと夢想する。


それでもわたしたちはにんげんだから。


絶望の淵からゾンビみたいにしつこく起き上がろう。
ボロボロ汚れまみれでも
身体に刻まれた古傷から
この前 盛大にすっ転んで増やしてしまった傷まで

みっともなくても間違いだらけでも
わたしは明日がみたい。

明日は希望に満ちたものばかりでなくて
今日よりも苦しいかもしれない。
でもじゃあ その次の明日は?
もしかしたら その時日差しは射すのかもしれない。

だから わたしは明日にしがみつこう。

しがみついても消えてしまう時は
消されてしまうのだから
だから だから なら 尚更。


ひとつずつ 生きていこう。
辛くない苦しくないなんて言わない。
このひと足、ひと動作、ひと呼吸すら 
声もでないほどの痛みを伴うとしても。

だから ひとつずつでいい 重ねていこう。


道なき道でも歩けば其処は道になる。

誰よりも今 自分自身に言い聞かせながら
今日も今日を 往く。


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                      ゆうなぎ



2008年03月10日(月) 写真

そうしてまた一週間の始まり。

今週これ以降は病院の定期検査やら卒業式やら
年度代わりの諸々のこと有りで
だから尚更 気分は重く重く沈む。

沈むけど沈んでばかりもいられないのが辛いとこで。

煙の上がってるポンコツ頭を振って
とにかくこれだけはシナクテハナラナイことをひとつひとつ

あとは逃げ道を探してる。
生きていくための逃げ道。

穴ぼこだらけなので逃げ道のつもりで迷路に落ち込んだりとか
しょっちゅうなんだけど。



久しぶりに少し整理をしていたら
偶然に子供達がまだ小さな頃の写真を見つけた。

ああ これは末っ子が生まれた時に病院で撮ったもの
まだ真っ赤な顔した赤ちゃんでその足をそうっと手で握ると
すっぽりと隠れてしまうほどだったっけ。
両隣で次男と長男が顔を寄せて無邪気に笑ってる。

次はもう少し大きくなったもの。
よちよち歩きの末っ子は天然パーマの髪を伸ばしていて
オンナノコみたいだ。
それでもいっぱしにその頃お気に入りだった
玩具の車にまたがって得意そう。
子供用ジャングルジムではてっぺんに長男。
途中のとこで振り向いた次男がピースしてる。

子供椅子に座って食べながら眠りこけている写真。

神社の境内で三人座り込んでポーズ撮ってるのは
あのひとが撮ったものじゃないかな。
この日付は。



今じゃすっかり縦に伸びて眉間にシワなんぞ刻むようになった長男や
トンネル抜けてでもまだ実は少し甘えたい&反動で反抗期気味の次男とか
トンネル通過中 甘えん坊、独占欲全開中の末っ子

大きくなったもんだ。



正直 子供三人いて、それも現在進行迷走中となると
日曜祭日関わらず気の休まる暇はない。

自分のことなら自分で何とかできても
子供とはいえ 
自分以外の一人一人の人格が思い通りに動いてくれるはずもないし 
反対に完全に思い通りに動いたりしてたら その方が怖い。

でも やっぱり もし一人だったら もっと生活に余裕あった
とか 縛られなくて自由に行きたい時に行きたいところへ行き
生きていけたのに とか考えないわけじゃない。


それでも わたしの場合(あくまでわたしの場合)
なんのかんのといっても この子らいてくれて良かった。

ガックリ疲れても もーしらん!と何度叫んで怒っても
多分 この先も それ繰り返しても。



背負っているものは重い。
抱えている手は痺れて感覚ない。

だけど泣き言、弱音吐きながらでも背負い抱えていたい
自然にそれぞれが旅立っていくまで。





そうして

いつか だけど
いろいろなものから解き放たれた時

きみがそこに居てくれたらいいな とおもう。






写真が思い出させてくれたもの

わたしのところに
生まれてきてくれて

ありがとう


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                         ゆうなぎ



2008年03月07日(金) ホンノウ (その日 の為に)

一週間やっと週末に滑り込み。

なんやかやとあったし、
まだ なんやかやはあるけど
今はできるだけ考えないように。



今回 かなり本に逃げてる。
それも推理モノとか実生活とできるだけかけ離れた世界で
最後のどんでん返しがあったりするのがいい。

とはいえ なかなか優雅に読書タイムとはいかないけど。
末っ子が眠った後で布団の横で小さな灯りをつけてとか。

本は勿論、中古本をネットで購入するわけだけど
1冊105円とかの本でも数を買えば立派な浪費。
わかってるんだけどね。
それでなくとも趣味 読書だけど 
今回のは明らかに依存と逃げが入ってる。

それでもまだ本に逃げれてるからいいのかもしれない。

いよいよダメになったら本も音楽もダメになるから。
今もテレビはほとんどみてない。
新聞も活字で以前は隅々まで読まないと気が済まなかったけど
今はほとんど読んでない。というか読めない。
外の世界が怖いという感覚と同類のものかもしれない。
ヒトを表す記号も怖いみたいな。


掃除、洗濯、洗い物 以前から考えられないほどできてない。
お風呂、洗顔も同様。
過食しては下剤飲んでる。

でもとりあえず今は許すことにする。
こんなの良いわけないのは百も承知だけど
強引に許す。無理にでもいいことにする。

こんなダメダメでもどうしてもやらなきゃならないことは
結局やらなきゃ仕方ないからヒイヒイいいながらもやるし
それすらできなくなったら それこそオシマイだから。


生きること最優先。
わたしたち家族がまず生きていくこと。


一日ひとつ何かできれば良しとする。
できない日でも それはそれで 明日しようって思うことにする。

これ せっかちで”〜しなければ”気質のジブンとしては
ある意味 葛藤も焦りもするんだけど そこは頭を飛ばすってことで。


大ばあの言葉じゃないが 「生きてさえいれば」だものね。
生きてるだけで丸儲け って意味でお子さんに名前つけたのは
明石屋さんまさんだったっけ。
これ すごい真理だよなぁとか思う。




人は日々変化していく。
人を巡るものも時と共に移り変わっていく。
それは切ないものではあるけれど 反面 
救いでもある気がするんだ。

止(とど)まらないもの 動き続ける世界と時間。


だけど 世界の中の永遠はなくても
心の中に刻まれる永遠はあって。これも確かに救い。




混沌とした思考の中で
生きる本能だけは捨てずにいよう。

今は。


その日 の為に。


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                        ゆうなぎ




2008年03月05日(水) はいいろくもりぞらとぐるぐるあたま

朝方 少し日が射していたから
溜まってた洗濯物をベランダに出したんだけど。

雲行きがどうにも怪しく 
今にも雨が降りそうで。



オンナノコノ日の方は日が経つにつれ少しずつ
人並みの出血量になってはきているけど
しっかり一週間コースなのでもう少し辛抱。

風邪の方はお陰さまでかなり回復。
ただシツコイ咳と 
あとこれは風邪の名残か
いや、もともとのアレルギーに花粉症?プラス??
クシャミ 鼻水 薬が切れるとシンドイ。



それからどうも最近 また記憶が一瞬途切れるのが頻繁で
この前は食事中 味噌汁入りお椀持ってた時
次の瞬間 子供らの声で 気が付いたら手からお椀が落ちて
汁やら豆腐やらがジーンズの膝を濡らし 
お椀は何処だ?と見ると床に転がってた。

子供らの方がびっくりしてて
「どうした?」「大丈夫?」って言われて

味噌汁はもうそんなに熱くなかったしジーンズの上からだったから
やけどとかは大丈夫だったんだけど
う〜ん なんで手から落としてしまったのかがわからない。
眠たくて・・こっくりこっくりしてて でもないし
うっかり 手が滑ってとか でもない

手に持ってて 次の場面が 手から落ちて床に転がったお椀で
落とす瞬間の記憶が切り取られたみたいに欠如してる。

ほんの一瞬だしぼんやりしてたんだろうとは思うが
こういうことが続くとやっぱりキモチワルイ。



ココロの疲れがかなりきてるのかな。

精神的なものが身体に及ぼす影響ってやっぱりある。
精神が蝕まれていくのが進むとそこから身体にも出てくる。
体調管理にも精神力が必要だと思うが
そこにまわす力が無くなってくるというか・・・
その他の諸々でいっぱいいっぱいになってしまって。

足先の痛みとかも結局 体調管理ができなくなってきたから
でてきたんだと思う。自己嫌悪。

せっかく数値治まって褒められてたのに・・・だめじゃんね。



今の自分の考える実行する容量は極端に少なくなってて。
それなのに 考えないといけないこととか実行しないといけないこととかは
変わらずか 前以上に増えてて(これは自分の処理能力が落ちているから
余計そう思うだけかもしれないけど)

何よりも全部が一度に解決できることじゃなかったり
答えのないものだったり、どうしようもないことだったりで
その灰色さ加減が わたしのココロを重く沈ませる。

いろいろなものが複雑に絡まりあっていて 
どうしても解けないものはあっても 
少しずつでも解いていかなきゃならないものはあるわけで。

それは気の遠くなるような作業で
それをやってきたはずだけど さすがにもうわたしはくたびれていて。

先が見えないということは疲労を加速させる。

この歳になって未来の自分自身のビジョンがまったく描けないことは
不安だしとても怖い。

今更 なのだけどね。
いっぱしに悟ったつもりでいてもココロは震え続けてる。




ぐるぐる煙があがってフリーズしかかった頭に
とにかくこれだけ再度インプット

とりあえず 生きます と

胸の内で呟く。


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                         ゆうなぎ



2008年03月03日(月) スプラッタ ダウン

オンナノコノ日が始まり
加えて風邪をひきこみ
抵抗力が落ちてるせいかアレルギーが強く出て 目が痒くてシバシバ

何しろ 下半身からの出血量が半端でないもので
体調的にもふらつくし 視覚的にもスプラッタ だけど
こればかりはどんなに苦手でも(長年のことなんだけどその度に
ギョッとするもんですね)交換作業は必須。

昨日はカミナリが酷くて
PCの元電源切ったりしてたので
今日はとにかくPCくんの無事を確かめる為に
(何しろPCも崖っぷちなんで)立ち上げてネットに繋いだ次第。

無事に繋がりホッ。

で 咳するたびに下半身から出血しつつ(これはっきりわかってすごい嫌)
この日記を書いてる と。

というわけで今日はこれにて ごめん。


私信:

公開日記を連絡代わりにして恐縮ですが
そんなわけで ちょっと数日反応が遅れたりすると思うけどごめんね。
どうか心配しないでね。


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                      ゆうなぎ



2008年03月02日(日) わたしははじめからわたしでしかないよ 



勝手に”わたし”というもののイメージを作られて
今度は 
そのイメージと 違っていた失望したと詰(なじ)られた挙句 去られる。

これは何度やられても堪える。


思い込みも失望も自由だけれど 追いかけはしないので
どうか安心して何も言わずにそっと遠ざかって貰えないだろうか。

だから始めから何度も言っているでしょう。
わたしは 小心で卑小な俗物に過ぎないニンゲンだと。
それでもいいですか?と。

それでもいいという言葉を止せばいいのに信じて
また 一人 失望させてしまう。

結局 その人からみえていたわたしの形と
近づいてみたわたしのカタチが思っていたものではなかったということで
わたし自身はずっとわたしなのだけどね。

だけど わたしにも感情はあるし、面くらい傷つくのですよ。


人を傷つけずに生きていくことなどできないし、
それができるなんて考える方が傲慢な驕りだろうと わたしは 思う。

ただ 傷つけたことに気がついたり指摘されれば 気づかなかった自分の
不甲斐なさ、心遣いの足りなさに申し訳ないと心から謝りたいとは思う。
但し それでも許せない失望した といわれれば 
それ以上はどうしようもない。

今のわたしは いっぱいいっぱいなので
誤解されても問い質されれば答えてそれを解きたいとは思うけど
自分からはそれはしないし深追いもしない。
申し訳ないけど そんな気力はない。


此処にきて、
この心象風景の中に立って、
この感情の中に身を置いてみれたら、
少しはわかって貰えるだろうかね。

そんな虚しい戯言を思ったり。


アナタが考えているよりもずっとわたしは崖っぷちで衰弱しているってこと。
それで?と言われればたったそれだけなんだけどね。

わたしはわたしでしかなく、わたしとしてわたしというカタチを保ち、
生きることだけで精一杯。




ただ 傷ついて傷つけても切れることない繋がりも
また数少なくとも存在する。

ありのまま を 受け入れて
それでもいい それでもこのひとが好きだなと いう きもち。

それは 恋であったり友情であったり
いや そういうもので括れない 言葉にできない
ひと が ひと を愛するという感情で
わたしにとっての 救いであり支えだ。




最近 ベランダからぼんやり空をみることが多くなった。
雲は流れ続けていて 空はその度 色を変えていく。

形や色が変わっても
雲は雲だし
空は空だ。




わたしも はじめから わたしでしかないよ。

ちいさなちいさな 
ただそれだけの 存在(もの)



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                         ゆうなぎ


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