++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2007年10月31日(水) とほほ。。のハナシ

う〜ん・・・

月一定期検査の採血のたびに今回は大丈夫か?と思っても
できる青ジミ。

注射キライで冷や汗ダラダラ、動悸バクバクなのは許して貰うとして
でも(本人なりに)頑張ってるわけです。
血管細くて定位置でなかなかすんなり取れなくても
手首や手の甲からの時も目を固くつぶって耐えましたとも!!!

で 無事に採血終わりましたよ〜の声にちょっとふらつきながらも
ホッとして血止めの綿花で押さえた後 小さな四角いテープ?貼りますよね。
その時はまだうっすらなのよ。
確かに ああ 針の先が血管傷つけたんだなぁとか思うけど
看護師さん泣かせといわれる この細い、するりと逃げる血管
そのご苦労を思えば文句なんてとんでもないです。

でさ・・安心するじゃん。
今回は青ジミにあんまりならずに済んだなぁとか。

そしたら日が経つにつれ 何故か広範囲に広がって
色も濃くなっていくわけです。
当日より次の日、次の日よりまた次の日。
25日採血したんですけども
現在31日 500円玉くらいになってます。
これがピークで後はいつものように薄くなっていくと思うんだけど。

要するに内出血なので押せばイタイけど
これでどうこうなるってもんでもないんだけども

見た目がねぇ・・
血とか痛そうな感じとかに弱い臆病タレなので
自分の腕を正視できないという情けなさ。

バンソウコウ貼ったりもしたのですが
マケちゃう。痒くなるけど掻けば痛くなるし・・・とほほ。

毎回こうだとさすがに溜息です。

血管の細さと身体の太さ(特に下半身)
換えれるものならとり換えて欲しいと切実に思う今日この頃であります。


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                               ゆうなぎ   



2007年10月30日(火) 誰 も 知 ら な い

「誰も知らない」

そこには入れない
立入禁止

覗いてはいけないよ

いろいろなものを
押し込めてるから
覗こうとしたとたんに

引き込まれてしまう
その先に
何があるのか誰も知らない

戻れなくなることを
覚悟してなら
覗いてみるかい?

叫ぶような
啼くような
あの風の吹く向こうを


ここまでなら 花園

だから
あの場所には
近づいてはいけない

ここからは 立入禁止

忠告を振り切って
覗き込んだのなら

もう戻れない
もう戻さない

誰も知らない

ワタシノ ココロノ ヤミ から


***


わたしはもう随分前から 他人に対して負の感情を あらわにしなくなった。
怒りや不満や苛立ちがあっても出さないか言葉を選びに選ぶし
声を荒げることは まず無い。

子供に対して大声を出すことはあるが これは「叱る」で
「怒る」のとは少し違う。
勿論、(そんな聖人君子じゃないので)怒ることもあるけど 
それでも怒りっぱなしにはしないし、したくないと思ってる。

我が子のことは例外だし、対人でも負の感情を持つことが無い
人達、自然に感情を抑えこまずにやりとりできる人たちも
数少ないがいてくれる。こういうトモダチがいてくれているから
わたしはポンコツながらかろうじて壊れずにこれたのだと思う。


わたしが他人に対して負の感情を出さない理由は簡単で大変利己的だ。
ソレを出せば結局 そこでイザコザが起きる。
喧嘩して本音をぶつけてわかりあえるというのもあるんだろうが
もうわたしにはそんな気力なんて無い。
これでもそのリスクを冒してもわかり合う努力を・・などと
考えていた時もあったが それが繰り返し徒労に終わるたびに
心は疲れ果て一つの結論に行き着いた。

わかってくれるひとだけわかってくれればいいし
こちらが我慢をすることでその場が治まればそれでいい。

とにかくこれ以上 傷つけられたくなかった。
その傷の上からまた傷を抉られるような痛みに比べれば
軽ろんじられて不愉快な思いや損をしたり
一太刀だけの傷を受けただけで済む方がずっと楽だから。


意外に思われるようだが わたしは人の好き嫌いがかなり激しい。
その分 ヘタレの癖にかなりの熱血漢?だったし
人っていうものをもっと信じてもいた。

元々人には愛想良く明るい対応を・・と躾けられてきたし
実際 その外面は一見 変わってないかもしれないが
昔を知る人が今のわたしと話したら 
また一段と穏やかに丸くなったねとでも言われるかもしれない。

可笑しなものだ。
穏やかなのは怒らないのは静かなのは
ただ諦めてしまっただけなのに。
自分を守る為にわたしは微笑む。それだけのことなのに。


何をどうしようとも今更思わないが どうしても許せない
忘れたくても忘れられない 消せない憎しみも ある。

こころの荒野に吹く風は今日も静かに冷たい。


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                               ゆうなぎ



2007年10月29日(月) どんぐりころころ




実家から帰ってきて週の始まり。

白状すると少し前からまたジワジワと過食がきている。
以前のような浮腫みまでには至ってないし、
体重も一度かなり落ちた分から極端にはリバウンドしてない。
ただそこから痩せもせず1〜2キロ太ったり痩せたりをウロウロしてる。

月1の定期検査でも糖尿の数値が落ち着いているのは
かろうじて飲み物は水かお茶のみにしてて、食べたら下剤飲んでるせいか。

でもそれで良いわけない。
何しろ体重だって浮腫みが出ていた時が異常すぎたくらいだから
本当はもっと落とした方がいい。
体重的にみればまだまだ太ってる。

でも今はどうにもその気力が無い。
わたしのヘタレなのはこういう所だ。

糖尿内科の先生からは一度ある程度体重が落ちたんだから
後は焦らずにゆっくりといきましょうと言われてる。
リバウンドが一気にくる方が良くないからということで。


太りだしたのは確かに精神系薬を飲み始めてからだし
実際、病院の看護師さんからも「この薬飲んでたら太るはず」とは
言われたけどそれでも結局は自分次第だろう。

わたしの場合 昔からストレスを感じるととにかく唐辛子やコショウなど
激辛に走る。それに(ノンカロリーといえ)炭酸飲料などとにかく刺激で
自己確認?みたいな所がある。

糖尿がわかる直前までチョコレートなどの高カロリーの
ものをナニカの仇みたいに食べてた。
胃が張り裂けんばかりになってやっと安心するのだった。

それに加えてもっと良くなかったのは過食と拒食が交互にきてたこと。
食べる時はドカ食い高カロリーで食べない時は水を飲むのも億劫になる。
そうなると身体の方は食べ物が入ってきた時にしっかり溜め込もうという
仕組みに自然となる。太らない方がおかしい。

臆病者のわたしは無意識にこうやって自分を壊していたのかもしれない。
情けないほどゆるやかに間接的に。


そして今 また 過食の傾向。
原因はあると言っても良ければいくらでもあるし
そんなのは甘えだと切り捨てられれば返す言葉は無い。

ただどうしようもなく疲れていてダルくてシンドイということ。
こういう自分のコントロールが自分でうまくできないという焦り。


それでも時は確実に過ぎていき、こうして週の初め。
足掻きながら もがきながら それでも。


大ばあは子供に還りながら介護を受けながらも其処に居てくれている。
しみじみとありがたい。
両親、子供達、トモダチ、わたしの大切な大切なひとたち。

繋いでくれる手があるということは何ものにもかえがたい救いだ。


今年もこうしてどんぐりを拾えた。

どんぐりころころ 懐かしい土の匂い。

いつになるか相変わらずトンネルは長く昏く続いているが
こうして差し込むヤサシい明かりがあるかぎり

来年のどんぐりとも また 逢えるような気がする。


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                               ゆうなぎ



2007年10月26日(金) 長かった一週間の終わりに

いつもよりも長く感じた一週間ですが何とか週末です。

昨日の検査結果も落ち着いていて一安心しました。
ただ 改めて今 向き合っている心身の病気は
多分 一生つきあっていくことになるものなんだなぁ・・と。

それで落ち込むとかいう時期はもう過ぎてしまった気がします。
勿論 治したい。
薬を飲まないでいい、人並みの役目を果たして
人に怯えないで外にでることを楽しいと感じられる生活に戻れたら
どんなにいいでしょう。

でも今 それを考えすぎてしまうと気が遠くなるほどの疲労感と
絶望感に囚われてしまうから。
この「現実」の厳しさを誰よりも知っているのはわたし自身なのです。

だから心身の病気とも現実とも闘うというよりも
二人三脚で往けたらと思っています。

ヘタレたり落ち込んだり。
でもささやかな温かさに支えられ 
また少し息継ぎしながら。


週末は実家へと行ってきます。

子供達と大ばあの顔を見てきたいと思います。

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                               ゆうなぎ



2007年10月24日(水) こころ

朝 末っ子が学校に行くのを見送ってホッとして
こうしてPCの前。

長い長い一日から色々あったけど
とにかく末っ子はやっとまた山を一つ越えようとしている。

多分 兄弟の中では一番 口が重いというか不器用で意地っ張り。
だから自分の気持ちが自分でも上手く伝えられなくて整理できなくなると
それが他からみて気にするようなことではなくても
パニックになってしまうんだと思う。

先生ともそんなお話をした。
加えてわたしの状態も改めてできる限りお伝えした。


夫が亡くなった時に実家に帰ってきなさいと親からは言われたけれども 
子供達の学校と友達関係の事を考えて此処に留まった。
(それでなくともショック続きの中、慣れた環境まで変えるのは
あまりに酷いと思った)
結果的にそれでやっぱり良かったと思っている。

前後のことについてやそれからの流れについて
少なくとも継続して学校側は知ってくださっているから。



昨日
心が解けて口を開いた末っ子は
堰を切ったように甘えてきた。

わたしは敢えて一連のことは言わずに ただ受け止めた。
大盤振る舞いでピザを頼んで一緒に食べて
膝に抱っこしながらお気に入りのビデオタイム。
何度も繰り返し ちゅーしてぎゅうう。
挙句はトイレの後 ズボンとパンツ持ってきて「穿かせて〜」

勿論 穿かせましたとも。
自分でも照れたみたいに「甘えたい年頃なんだもん」って末っ子。

うん。なんかね・・わかる気がした。
安心したいんだよね。
大丈夫だって。 そして だけど そういうのは
何回確かめても受け止めて貰っても それで終わりにはならない。
何回だって確かめたいし答えて欲しいもんね。
大好きな相手には特に。

大人のお母ちゃんだってそうだもの。
何かの拍子に不安は暴走してパニックになる。
泣きそうになる。

子供の心はとても柔らかくて脆いから尚更。
だから 思いっきりあまあまな日があってもいいよね。
何度でも何度でも「大丈夫だよ」って抱きしめてやることって
必要だと思うから。

でもそれとひたすら溺愛して、ただ何でもいいというのとは別。

とても難しいと思うし、子育てには明確な正解も不正解も無く
その時々で試行錯誤していくしかないけど 
その時にできる自分の全部で向かい合うことだけでも
せめてしていけたら。

それだけ
それだけでも。


下二人に関しては まだ気は抜けないし安定するまでには
越えなければならない山はまだまだあるだろうけど
(しかし 今 それ考え出すとクラリと眩暈がしそうになるから
考えないように)とりあえず 一息ついて身を横たえよう。


明日は総合病院で月一の定期検査の日。
心療内科や他の病院もまわって薬を貰ってこなきゃ。




心配かけてしまってるみんな ごめんなさい、ありがとう。
何とか今回も乗り切ることができました。
そういいながら次の瞬間にまた大きな波がきてあっぷあっぷしたり
するんだろうけど。

今回のもちょっと大きかったんで
まだグッタリで 反応、お返事、できそうにありませんが
見守っていて貰えると嬉しいです。

甘えてばかりで本当にごめんね。
でも みんなの気持ち ちゃんと胸に届いてるよ。

本当に本当にありがとう。


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                               ゆうなぎ



2007年10月22日(月) 長い長い一日

月曜日、末っ子のガッコウイキタクナイ病 再発。
土日と楽しそうに過ごしていたのに。
月曜日は大丈夫だよって指きりしたのに。

丸まって見えない硬い甲羅で覆われてて
どれだけ声をかけても答えない。
さすがに3日連続休んだ後、2日の休日。
連続5日の休みがあったわけで
今日は強引にでも行かせなきゃダメだって思った。

不登校という表面だけのことに対してじゃない
逃げるのも休むのも必要な時だってあるけど
それで ただズルズルと生活そのものをなし崩しにしていくのでは
逃げる意味も休む意味もなくなる。

逃げるなとはいわない。
休むなともいわない。

けど どうしたって
逃げ切れないことや向き合わないといけないことも
あるんだってことは知ってなきゃいけない。


話してとにかく一緒についていくからといって
玄関で靴を履いた後で
一瞬の隙をついて逃亡された。
あっという間に姿を見失う。

実はこのパターン真ん中の子からもやられてる。
素早さではかなわない。 
その時も探しても探しても見つからなくて
学校に連絡して警察に保護願いの電話もして。
胸が潰れるほどの思いで泣きそうになりながら探した。

最近は物騒な世の中で先日も近くの学校の生徒が
行きすがりの男にすれ違い様 刺された事件があったばかり。
他人事ではない。身近な恐怖。

今回もまったくといっていいほど同じパターンで。
思えばやっと落ち着いてきた真ん中がコトを起こしたのも
同じくらいの時期だった。

入れ違うように次の大波はやってきて
わたしは息をつく暇もなくあっぷあっぷと必死で溺れながら犬掻きしてる。


これもまた同じに同じような場所で
先生によって末っ子は見つかった。
何度もそこだって探していたのにパニックになっていた目には
見えていなかったのか。それとも行き違ったのか。

とにかく見つかってへなへなと力が抜けた。
見つからない時は良くない想像ばかりして不安が膨れ上がっていたから。
座り込んで抱きしめてただただ無事だったと安心して涙だけがこぼれた。

無事に見つかったことを警察に電話連絡して
学校に改めて報告とお礼の電話をして。
学校や先生とはまた明日話し合うことになるだろう。

アマノジャク王子はまだ素直になれずに黙ったまま
疲れて眠ってしまっている。

明日のことを考えるとわたしの胃はまたキリキリと痛む。

今気が付いたけどそういえば朝一番で薬だけは飲んだけど
何も食べていなかった。
だけど食べられそうに無い。
せめて薬を飲んで水だけは飲むようにしなくては。




そういえば子供を捜している途中でよりによって
連絡もないまま数ヶ月ぶり 例の下請け仕事の社長に会った。
ご主人に荷物を持たせて買い物帰りらしく。
かけられた第一声は無邪気な声で「元気にしてる〜?」だった。

こちらに依頼している継続の仕事のことは
キレイに忘れられているんだなと思って怒るよりも呆れ果てた。

資料も渡されないまま連絡無いまま数ヶ月だから途中放棄しても
文句を言われる筋合いはないと思っているが
(仕事としての報酬もきちんと支払って貰ってないので)
この宙ぶらりんの状態でも わたしが仕事を放棄してないのは
もうこれ以上のゴタゴタは嫌だからだ。

こういうタイプの人はサッパリしているようで自信家なので
まず自分を正当化して明らかな間違いでも認めない。
相手に非を押し付けて痛いところを突かれれば逆ギレする。

亡夫の母がこのタイプの人だった。
それでわたしはボロボロにされた。

もう一度 このタイプの人と無意味な闘いをする気力は
わたしには残って無い。
そんなことに神経をすり減らすくらいなら 
その分 子供のことに使いたい。

だから「ごめんね。ちょっと調子が悪くてね」と言って
行き過ぎようとした。

その背中に向けて またも投げかけられた言葉は
「なんだか随分痩せたんじゃない?」
思わず失笑しそうになった。

色々話す気にもならないので振り返らずに
「体調が良くなくて病院通いしているもので・・」といって
会釈だけしてその場を後にした。
(多分彼女からみたら わたしにしては珍しく無愛想に映っただろうけど
そんなことももうどうでもいい)
 

そしてトドメのように
大切にしていたくりぬき天然石のオマモリ指輪が
家に帰りついた時 ドアに手を挟んで割れた。



こんな日は
こんなものなんだろう。

よりによって何もかもが一度にやってきて
わたしの精神を打ち砕く。

詰め物の取れたままの奥歯は噛み締めると鈍く痛む。
何もかもから逃げ出せるものなら逃げ出したい。
魂が抜け落ちていくようで力が入らない。

それでも

わたしは此処にいるだろう。



信念とか責任とか
そんなカッコイイものじゃない。

自分が諦め切れないから。
自分が失くしたくないから。

だからどんなみっともない姿を晒してでも
その与えられた期限がくるまで
生きる。

どうしても失くしてしまうものも
失くしたくなくても
不器用なこの手から零れ落ちるものもあるだろうけど。


カミサマや仏様や運命のせいにだけはしたくない。
いや 本当はそうしてしまいたい。
自分はついてなかっただけだと考えた方がまだ楽だもの。

ヒネクレモノなんだろうな。
だけどその方がなんか哀しい気がして。

だって例えば 辛いこと苦しいことの原因を全部押し付けてしまうのか。

そんなの自分たちのせいにされたカミサマや仏様や運命は
やり切れまい。


ヘタレの癖に変な 意地 だろうか。
でも大きな何かの力があるのだとしても

わたしはその中でどれだけもみくちゃにされても
わたしの精一杯をせめていきたい。


長い長い一日だった。

もう夜が来て
そしてまた朝が来る。

明日は希望に満ちたものではないけれど

それでもわたしは明日を生きる。


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                               ゆうなぎ




2007年10月20日(土) せめて小さな道標になれたら

大きく深呼吸をする。
心を決める。


それでも受話器を持つ手は小刻みに震える。
もう一度 深呼吸。
ゆっくりと だ。 大丈夫。だいじょうぶ。

途中 何度となく息が詰まり呼吸がうまくできなくなって
それを咳で誤魔化す。
受話器を持っている手の震えは止まらない。
震えと冷や汗のせいで落としそうになる左手の上から
右手で握り締める。

息継ぎを忘れないように。
舌がもつれる。ダイジョウブ。 
ゆっくりとだ。ゆっくりでいいから。



三日目になったガッコウイキタクナイ状態。
でも揺れているのはわかる。
多分 理由も。
学校が嫌いなわけじゃないし友達もいるから。

これはもっと心の深い部分からきてると思う。
うまくいえないけど
この年頃特有の根っこの不安感みたいなものに
絡まっている意識下に刻まれたトラウマ。

わたしは大人だし長男も其処を抜けてからだったから
きっとまだ抱えながらも何とかしてる。

でも下二人はそれを何とかでも抱えるにはまだ幼すぎるから
途方に暮れて泣きながら迷走しているように見える。
だからこそ 今 無理やり何とかしようとせかしちゃいけない気がする。


先生が心配してくださっているのはこのままずるずると不登校に
なってしまってはいけない ということ。
それはもっともだし、それでも 以前、事情を話しに学校へ行ったことで
(これはその当時でもかなりきつかったけど良かったと思う)
こちらの状態についてある程度の理解をいただいているから
学校側もただ問答無用に責め立てるようなことは無い。
ただ やっぱり我が家の遡った様々に出来事や複雑に絡み合ったモノに
関して(これは我が家に限らず)100%人様に理解して貰おうと
する方が無理だ。

でもだからといってそこで完全に背を向けてしまってもだめだと思う。
自分自身のことならまた別だが子供達には未来がある。



頼りないヘタレ母で逃げてしまうことで保っているような状態だけど
これだけは って所では根性(キライな言葉だが)振り絞って
向き合いたい。

どんな良くできた親にでもできることには限りがある。
ましてや足りないダメダメ親のわたしでは尚更。

子供の人生は子供のものだし 
人間誰もが自分の舟の舵をとるのは自分にしかできない。

ただ やっぱりそれでもせめて見守る小さな道標にくらいには
なれたらと思うんだ。

だから。



何とか 今の子供の状態と
だから月曜日まで時間をくださいということを伝えることができた。
先生もわかってくださった。


金曜日子供らと話をして
今は二人の迷走王子達はとりあえず落ち着いている。
それでもまだ不安定。 
そんな簡単にいかないのが辛いところ。
こちらも迷走や手探り状態しながら根気強くいくしかない。

でも少なくともこの週末。暫し張り詰めていたものを緩めて。

ゆっくりと。そう ゆっくりと。


またホットケーキでも焼こうか。
ワンパターンだけどジャム変えて。


わたしは多分 ツヨイ。
呆れるほどシブトイ。

だから

大丈夫。

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                               ゆうなぎ



2007年10月18日(木) どうしたらいいんだろう

疲弊がピークに達している。


子供達のことや実家の両親のこと、自分自身の心身の状態。
それぞれの考えや思いはその立場に立てばわかる気がするのだけど
今は それが変な具合に絡まってしまっていて。

この中でそれを少しずつでも解いていけるのは
わたししかいないのはわかっているけど。

あちらの話を根気強く聞き、絡んだ糸をやっと解きかけると
こちらが絡まる。
今度はこちらへいってまた繰り返す。
寂しさを抱きしめ、不安に言葉を尽くし、
思い込みや誤解をじっくりと解す。とてもデリケートな心の問題。

安定はなかなか無い。それぞれの言い分。それぞれの気持ち。
加えてこの先 子供達と生きていく為に。
わかっているけど これが何処まで続くのだろうと気が遠くなる。



わたしだって病んでいるのだ。 
わたしこそ この神経をすり減らす細かな微調整役から
どれだけ解放されたいことか と
何度 心の中で叫んだかわからない。
何も見たくない、何も聞きたくない、
ただ そっとして ワタシニフレナイデ

みんな知っていてもわかっていないよ。
君達の母が、あなたたちの娘が、どれだけ苦しみ続けてきたかを。

夫がいた頃は夫に対しても同じ役割を担っていた。
夫が亡くなった後も わたしの役割は形は変われど同じ。



下二人が日替わりでガッコウイキタクナイ期間中。
実際に症状として頭やお腹が痛くなる。
かかりつけの小児科に連れて行ったら精神的なものがあるようだと。
それが実家の両親の耳に入ってわたしの方へと両親から電話がかかる。

学校の先生方も心配して何とか無理の無い形でもと色々してくださってる。
実情をお話してある分 気にかけていただいていると感謝している。

心配だからこそのそれぞれの言葉 だけど 今のわたしには辛い。

子供らにも子供らの気持ちがある。
それを頭ごなしに砕いてしまうようなことをしては
一番柔らかな時期の心を歪ませてしまうだろう。

学校に絶対に行かないといけないとか 
それだけにこだわっているわけじゃない。
ただ 匙加減は難しいと思う。


実家の両親も祖母の自宅介護でかなりイライラも疲れてもいる。
それがわかっていても子供達のことで頼らざるを得ないことも多々ある。
本来ならもっとこちらからできたこともあるだろうに。

だから わたしは両親には逆らわないように心がけている。
感謝の気持ちを常に表すように。
心配からくる思い込みや誤解があれば言葉を尽くして。

それでも皮肉を言われたり誤解を受けることもある。
子供達のガッコウイキタクナイ原因の精神的な部分。
母であるわたし自身が精神を病んでいて充分にしてやれて
いないからじゃないかというようなことを無意識にだろうけど言われて
(それに言い返せばヒネクレタ受取り方をして と問題を余計に拗らせて
しまうことになる)キツかった。

親だって人間だから 完璧なんかじゃない。
年老いてくれば尚更にだし。
この状況だ。無理も無い。



わかってる。
わたしがもっとしっかりできていれば。
みんなを支える力があれば。

そう思う反面

だってもうヘトヘトなんだよって。
わたしだって限界もう越えてるんだよって。


色々いろいろあって
傷ついてズタボロになって
踏みつけにされても我慢して我慢して

そうして心身を病んでも
まだ休ませては貰えないの?

そんな搾り出すような声にならない叫びが
心に木魂して 消えない。

イイコちゃんみたいなこと言ってても
結局 卑小な
ワタシノ精神。


混乱して揺れるのを必死で立て直そうとしているけど。

諦めの悪いのが身上だから。
せめて。


泣いても喚いてもそれでは何も変わらない。

一つずつでいい。
少しずつでいい。
だから
頼む 持ち堪えてくれココロ。


どうしたらいいんだろう?

今日も自問自答する。

答えは

みつからないまま。

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                               ゆうなぎ



2007年10月17日(水) 秋便り

*日記というよりも私信。お許しを*


やっと少し秋らしい涼しさを体感してきた気がしてます。
とはいえ、自分の心身の状態も相変わらずで・・

心配してくれているトモダチの
電話にも出れずにメールのお返事もろくにできてなくて
ごめんなさい。

みんなに甘えさせてもらってるなって思います。
普通だったら 何?これ?って呆れて去られても
仕方ないだろうに わたしの事情とか性格とか
わかってくれてるみんなだから見守ってくれている。
その気持ちがすごく有り難いし 救われています。

うまく説明できないけど 今の状況 
色々なことが もつれちゃった糸に似ていて
無理したら切れてしまうから しんどいけど焦らずに
なんとかしていきたいと思ってます。


正直言うと 泣き喚いて放り出して逃げ出したい衝動に駆られてるけど。
どっちかといわなくても精神的に弱弱だし、自慢じゃないけど
ヘタレ度満点。いや謙遜とかじゃなくて。

ただそんなジブンが少しでも人から見て、芯が強そうとかに見えたとしたら
やっぱり子供達の存在と(でもそれがシンドサの元でもあるという矛盾)
何なんだろうなぁ・・結局はね・・
どんなに逃げ出したくても失くしたくないと思うことなら
諦めきれないものなら自分がどんな形にせよ何とかするしかないって
思い知らされて刻み付けられた記憶。現実。


結局 それに尽きるんだと思います。
臆病でそのくせ諦めが悪いから
やり方は不器用このうえないし、要領もよくない。
でも試行錯誤、暗中模索、四苦八苦しながらでも
他に代わりはいないから。
家族の中で。母親としての。


今回はまた時間かかりそうだけど
待っててくれたら嬉しいです。

手を・・・離さずに繋いでいてくれたら・・・。

なんていうと「そんなのわかりきったことでしょ〜」って
怒られてしまいそうだね(笑)


信じるということを思い出させてくれた

そういうみんなだから。

そういうトモダチだから。


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                               ゆうなぎ   



2007年10月15日(月) 土曜日 手を繋いで

このところ心身かなり参り気味。
気力を振り絞っても限りなく0で起動してくれない。
自分でも自分を叱咤すれども超短期起動やっとしてもフリーズ。

理由はいろいろあるけど それは置いといて。

とにかくそうなると家の中の空気というか雰囲気が
どうしても よろしくなくなる。
子供達がささくれ立ってきて兄弟喧嘩の割合が増える。
ガッコウイキタクナイ病も再発してどうにもこうにも悪循環。
下の二人の兄弟喧嘩に一番上の兄ちゃんがまたイライラ。
みんなが皆 カラマワリ。

下の二人の喧嘩は甘えたくてかまって欲しいのに
わたしの調子が良くなくて
それが満たされてない為の寂しさが
かなりの原因を占めてるっていうの感じていた。

だからちょっと提案をした。

まずは末っ子から土曜日にお母ちゃんと街へささやかなるデート。
その間は真ん中の子は今回は実家の方へ(来週はこの逆)
長男は静かな自宅で勉強や読書(試験が近いので本人の希望)できる。

ただし 予算は限られているのでコースはバスに乗って行き帰り
いつものラーメン屋さん→いつものハンバーガーショップ のみ。
他は寄らないで真っ直ぐに帰宅という約束。

正直に白状すると出かけるのしんどくてできることなら
家で寝てたかった←筋金入りのヘナチョコダメ母

でもその提案したら子供達大乗り気。
末っ子なんてもうすごい目がキランキランして。
「ほんとにラーメン屋さんとハンバーガーショップにしか行かないよ?
というか 予算やら体調もあるから行けないけど・・それでもいいの?」
って言っても
「お母さんと一緒に二人きりでいられるだけでいいの!」
とか なんともイジラシイお返事。


で 土曜日。
真ん中を実家へと送った後で早速 末っ子とお出かけ。



曇りだけど青空が見えてるっていうちょうどいいお天気。
でもカレの顔はとびきりのニコニコ。
左手に日傘、右手はしっかり末っ子が握ってる。
いつもだったら 外に出た時には(さすがに小学校も中学年になったので)
手を繋ぐの恥ずかしがって人前ではしなくなってたのにねぇ(笑)

傘もってあげようか とか 荷物重くない? とか気配り満点?だし
ちなみにデート用の服もカレが選んでくれた。
胸にチョコレート柄がプリントの黒いTシャツに
ペンダントは赤いハート。それにお揃いジーンズ。

どうかな〜? と聞くと
すごーーくカワイくてカッコイイよ!!! だそうで
単純なお母ちゃんは なんて愛いヤツ と顔がニマニマする。

バス停までの道のりもピッタリ寄り添って
バスに乗っても繋いだ手はそのままで
降りてからも なんと ラーメン屋さんに着いてからも
(横に座ったので)ラーメン来るまで手を繋いでて。

「美味しいねぇ」
「楽しいねぇ」

顔を見てはニコニコニコニコ上機嫌でいるカレ。

そういえば本当に久しぶり。
街にこうして出るのもここ数ヶ月は暑さもあって
全然こういうことして無かったから。

その後 ハンバーガーショップへ
ここでは冷たいアイス類食べる予定だったけど
食べ盛りなもので
「ハンバーガーとポテトもいいかなぁ〜」って聞いてきた。

「帰りのバス賃大丈夫?」とか気兼ねしてるから
「それは確保してるからOK!」って答えると安心したみたいで
カレはハンバーガーのセット。
わたしは糖尿のカロリーのこともあるからウーロン茶。



この時も顔を見ては
「楽しいねぇ」
「美味しいねぇ」の連発。

で ここでワタクシ生涯初の
長いポテトを両端から食べていってチュウ っていう
こっぱずかしいコトをやっちゃいました〜
もちろん カレのリクエスト。

あ あれもやったよ。
食べさせあいこ とか 飲ませあいこ (同時に!)なんてのも。

だってあのキラキラ笑顔光線受けて言われたらねぇ〜
親バカだけど胸きゅんです。

嗚呼 わたしってば 年下オトコの
こういう甘えやオネガイに弱いんだわ〜しみじみ(違)


帰りのバスでは揺れが気持ちよかったみたいで
肩にもたれて眠ってたカレ(でももう随分大きくなってるので
肩が重かった。次の日に右肩にシップこっそり貼った母です)


バスから降りて家に帰る道

まだ暑い暑いといいつつも木々の葉はすっかり黄金色で。



落ち葉を拾って記念撮影。パチリ。


たったこんなことかもしれないけど
たったこんなことでも
こんなに喜んで大喜びして幸せそうな末っ子がイトシクテ
そうして なんか・・なんか・・ごめんね って思った。

こんなことすら充分にしてやれてないことに。
出かけるってことじゃなくていいけど三人いればどうしても
一人だけに・・ってわけにはいかない。

それは仕方ないことなんだけど でも そりゃそうだよね
身体は大きくなってもまだまだ甘えたい歳。
ましてや下二人は 物心ついた時にはオトウサンは病気で
入退院と手術を繰り返しててオカアサンはそのことで
いっぱいいっぱいだった。

家族の思い出も数えるほど。
夫が逝った時に末っ子はまだ幼稚園児だった。



お母ちゃんはお母ちゃんなりにあれからなんとかやってきたつもりだけど
でも 全然足りてないことは自分が一番知ってるよ。

寂しい思いや不安な思いもさせてるって思う。
これからもさせてしまうと思う。

君達は大きくなっていくし 男の子だから
その分は親離れしてしまえばあっという間なのかもしれない。
今のシンドさも その頃には懐かしさや寂しさに変わっているだろうか。

それでも
それまでの日々。

泣いたり笑ったり怒ったりぶつかりあったり喧嘩しながらも
手を繋いでいこうね。


家族として。
親子として。

せっかくこうして出逢えたのだから。

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                               ゆうなぎ



2007年10月11日(木) 氷枕に頭を預けて

胃がキリキリ痛い。

考えないと生きていけないわけだが
考えすぎると息ができなくなる。


色々書いていたが全部消した。

うまく言葉にならなくて。



考えないと生きていけないから
考えることを止めることはできないが
考えすぎないように
考えすぎちゃいけない。

息を大きく吸って吐いて


まずは胃薬を飲んで
いつもの薬を飲んで

氷枕をして
横になろう。


お風呂また入れてなくて頭痒い。
掃除機かけてないし
洗濯物溜まってて
流しもお皿が重なってる。

ナンテダラシナイダメナ・・・

それでも抑えがたい衝動で飛ぶよりはいい。


生きるを最優先させろ。


壊してしまうのは一瞬でできるけど
壊してどんなに悔いても戻らないのが命というものだから。



まずは胃薬を飲んで
いつもの薬を飲んで

氷枕に頭を預けて
横になろう。


見たくない聞きたくない
何もかもから心を切り離して


今だけはただ横になろう。


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                               ゆうなぎ  



2007年10月09日(火) 秋待ち




連休は取り立てて何か特別というわけでは無かったけど
少しばかり一息つくことができて久しぶりにぐっすり眠れた。


だけど暫しの休息も日常の始まりと共に一瞬で
やっと溜めてもどしたしょぼいHPを限りなく0にしてしまう。
カミサマってば いつもながらなかなかシビアだわ。

今 あんまり穏やかな日々なんてのを長期に与えると
気が緩みまくって完全機能停止してボーっとしてしまうって
見抜かれてるのかもしれないなぁ。

それは確かに当たってるだろうけど・・
普通に平穏な日で充分なのでもうちょっとだけ神経そっとしていて
いただきたかったわん。

だって嫌でもまた月イチ定期検査やらその他病院の予定が
待ってるし・・・。

今日もバタバタ。
明日も区役所に学校関係の手続きに必要な証明書を申請しに行ったり
その足で学校に行ったりとわたしにしたらかなりのストレス、プレッシャー。
そうはいっても自分がやらなきゃいけないことなのでやるしかないんだけど。


やらなきゃならないことはやらなきゃ仕方ない。

しかしこの所 蕁麻疹がかなり頻繁に出るようになってて参ってる。
ストレスかかるとてきめんだからそのせいだろうけど
アレルギー薬の効き目が弱くなったように感じる。
長い間飲んでて慣れてきちゃったのかな。
あまり続いて 効き目がこれ以上弱くなったら
一度 心療内科の主治医に相談してみて
場合によっては糖尿内科の主治医とも相談した方がいいかもしれない。




もう暦では秋真っ盛りのはずなのに
ほとんど実感できてなくて日中は特に蒸し暑い。

早く涼しくなぁれ!



とりあえず ガンバレ ジブン


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                               ゆうなぎ



2007年10月07日(日) おやすみの日





なにもかんがえずにこわばっていたからだをのばして
ほんとうにひさしぶりにぐっすりとねむった。


やさしいじかんをありがとう
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                               ゆうなぎ



2007年10月05日(金) ゴムの精神力

歯車が噛み合わない時というのはこういうものなんだろう。
何もかもがギクシャクして押し寄せて、わたしは呆然と途方に暮れる。

ただ 今は、連続して叩き込まれる言葉の拳を
足を踏ん張りできるだけ無に近くなって受け止めるしかない。

そんな歪んだ自己犠牲めいた考えはただの自己満足にしか過ぎないと
人様からは言われるかもしれない。

それでも実際こうするしかないんだ。
こうしてできる限りキャッチャーミットで有り続けるしか。

上手く説明できない。
あまりにも色々複雑な事柄や感情が絡み合っているから。
そうして それは一時的なものでなく、過去の出来事と繋がっているから。

説明しようとしても中途半端な説明では誤解を招くだろう。
下手するとわかって欲しいことの真反対の解釈をされかねない。
わたしには その方が辛い。


そういいながらもヘタレだから
何度も駆け出してベランダから飛びたくなる衝動を
掌に爪が食い込むほど強く拳を握り締めて我慢している。

駆け出して弾みつけてそのままなら怖くない・・とか
ここまで追い詰められた気持ちでも まだ充分臆病者だ。

だから 大丈夫。
衝動はあっても飛びはしない。大丈夫。


ぼんやりは してる。
半分幽体離脱してるみたいだ。
哀しいとか
苦しいとか
辛いとか
そういう感情が心の奥で揺ら揺らとしているのがわかるが

今はそっとしておこうと思う。



そんなことを続けていたら壊れてしまうよ と
したいようにもっと感情を表に出したらいいのに
見ていてイライラしてくる と
親切な人から以前 言われたことがあるけど

全ての感情を爆発させて言いたいことを全部吐き出して
その結果 楽になれるとは限らない。
そんな簡単なことで何とかなるならとうにそうしてる。

誰かがそれを呑み込み受け止めることで保っている世界だってある。
その世界を崩壊させたく無いんだ。
わたしにとってはとても大切な世界だから。

だから。



鋼の精神力は持てないけど
ゴムの精神力なら何とか持てるかもしれないなんて思ってる。

カミサマアトスコシダケチカラヲ




この連休は少し休みたい。
何も考えずにひたすらボンヤリとして

ユメを見ずにただ 深く眠りたい。

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                               ゆうなぎ



2007年10月03日(水) 誓い。

昨日から月のお客様到来。

今回はここ数日色々とあって精神的に参ってしまっているせいか
元々 軽い方でないのが一段と酷く、出血量、生理痛も半端じゃなくて。

昨夜はいつもの薬メニュー+痛み止めと眠剤を飲んで横になっても
痛みで寝付かれずに結局 夜中に起き出して眠剤追加。
うつらうつらしてるうちに朝になったので ボンヤリする重い頭で
何とか子供達送り出したけど 後はもう痛み止めを追加して
氷枕してひたすら丸くなってた。

いつのまにかそれでも眠ったみたいで。
頭は相変わらず重く頭の芯が鈍く痛むけど
子供らが帰ってきたチャイムで目が覚めた。


そして今 また眠れずにこんな真夜中に日記なんぞを書いている。


10月に入ったけどこれでも10月?と思うほど
少し涼しくなったというのに わたしには暑く
秋を実感できてない。

去年はもう少しこの季節には鬱状態もマシだったように思うのは
そう思いたいだけだろうか。


鬱をはじめとする精神疾患というのは 
他人には理解されにくい病気だとつくづく思う。

当たり前だけど心の中というのは見えるものではない。


鬱が酷く弱りきっている精神状態の時にはたった一言が
崖っぷちに立っている背中をドンと押す手になる。

どうして?なぜそのくらいで?とはよく聞く言葉だけど
それで揺らがずにすめばこんなに苦しんでいない。

病としての鬱に至るまでにはそれなりの理由がある。

それをわかってもらえないヒトにまで理解して欲しいとか
そんなつもりは無い。
心を切り開くことができない限りそれは無理なことだから。

鬱病のことだけじゃなくてもその立場にならないと
わからないことは沢山ある。

それを自覚しているかしていないか。
自分の中の正義に絶対な自信をもっているヒトは苦手だ。
悪意すらなく微笑みさえ浮かべて自覚の無いままに
言葉の刃物で刺されるのが一番堪える。
刺した本人は気づいてもいないし もし言ってもわからないだろう。


裸足で夜のベランダに出て

ぼんやりしたまま遠くに見える街の灯りと空のお月さんを見ながら
下を見て 今なら誰も居ないから 迷惑かからないかな とか考えて 
次の瞬間 夜風の冷たさに
自分を繋ぎとめてくれているひとたちを思い出して 
ハッと我に返る。

何やってるんだ って
こんな幕引きは絶対にらしくない。
自分でジブンを裏切ることじゃないかって。



日々が劇的に好転するわけではない。
心身の病とも一緒に折り合いつけながら歩いていくしかない。

人様からみれば全然なってないダメダメ人間だろうし
それは一番自分が不甲斐なく思ってる。

言葉はイイワケにしかならないかもしれないけど
それでもやっぱり生きることにしがみつきたい。



生きたくても生きられなかったひとたちがいる。
それを知っている。

だからどんな醜いみっともない生き様でも
生きることを最優先して与えられた期間を生き抜く。


ヘタレで忘れそうになるから何度も言い聞かせる。

手放してしまいそうになる誓いを
繰り返し 胸に刻む。


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                               ゆうなぎ   



2007年10月01日(月) 「再生」




「再生」

わたしを使い果たし
わたしを空っぽにして
わたしは消えていくけれど

それでも
何度でも

わたしは形づくられ
わたしは満たされていき


そして


わたしは再生する


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                               ゆうなぎ


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