2006年08月31日(木) |
長雨・黒い雲・気の重いハガキ |
晴れ続きだったのが嘘みたい 雨 じっとりとした湿気に偏頭痛。
久しぶりに っていうのも何だか変な気がするけど うん。久しぶりに。
書きたいことがなかったわけじゃなくて むしろ色んなことありすぎて 気持ちに言葉がついて来れなかったっていうか その。
不器用ゴジラ健在。
昨日は心療内科と歯科の受診日で。 午前中に心療、その後 一度家に帰り子供ら連れてから 午後に歯科受診。 夕食の買い物して帰る。
これだけでももうクタクタ。
帰宅後にポスト見たらハガキ1通。
以前 趣味の関係でお知り合いになった年配の方から。 ご縁があり(といってもお顔も存じ上げないしお会いしたこともない。 たまたま作品を気に入ってくださってのこと) ご高齢らしきことからメールでなくお手紙などいただくようになっていた。
お礼状をだしたらお返事をくださる というのが続いて それもかなり頻繁になって文通状態になっていたんだけれども 正直 今のわたしには余裕というものがないし 気の張るお手紙のやり取りはものすごく疲れてしまう。
それで大変申し訳ないけれどもやんわりと 体調があまり良くないことと仕事の忙しさ余裕の無さを理由に書いて そのまま その後のお返事はしないままだった。
それからも数通お手紙をいただいたけれども どうにもこちらも余裕がなく・・・。
そしたらこのハガキ。
以前 その方の作品を送ってくださったことがあったが それがその一つしかなく必要になったのでできれば 早急に送り返して欲しいとのこと。
正直 唖然とした。
こちらからどうしても・・と望んで送っていただいたものではない。 あくまでもアチラ様の意思でお送りくださったものだと解釈していた。
というか わたしの感覚ではいったん相手に何かを贈った時には それを相手の方がどうしようとそれはその方の自由だという認識なので。
それを忘れた頃になって返してくれと言われても・・。 捨てては勿論ない。でも仕舞い込んではいる。 そうそう見るものでは無かったし。人様にいただいたものだから 粗末にもできまいと仕舞いこんだのは覚えている。 ただ その仕舞いこんだはずの場所を見ても無い。 冷や汗。 そんなバカなと思って焦るがその他の仕舞いそうな場所を 見ても見つからない。 あぶら汗。
溜息。
時々こういうことがある。 そうして諦めた頃にひょっこりと出てくる。 え?そんなとこに仕舞ってた?ってとこから。
一気に欝が酷くなる。 よりによってこの夏休みの終わりの忙しい日に。
加えて嫌なことまで思い出す。
昔 結婚したばかりの頃 義母から もう使わないから と 古い錆びたオーブンを貰った。
何度かはそれでも使った気もするがさすがに暫くすると 壊れて使えなくなって大型ゴミで捨てた。
それから数年経った時に あのオーブンだけど と 言われた時には???と思った。 あんまり使わないのなら返して貰えるだろうか と 言われた時には ものすごくビックリした。
いったん人にあげたものを 返して欲しいんだけど・・といえる神経。 それもすぐにならまだわかるけど こんなに時間が経ってから?
古びていようとどういうものであろうとその人にとって 大切なものというのはあると思う。 でも それなら しっかりと自分が持って置けば良い。 もしもコピーできるものなら コピーの方を送ればいいと思う。 もし 何かの拍子に ついあげてしまったというなら せめて すぐに返してくれと言って欲しい。
夏休みの終わりのこの日に なんでこうなるのかな・・。
下手すると当分 家中探し物 見つかって送り返すまで。 せっかちでらっしゃるようだから あまり間が空けば またハガキで催促されそうだ。
欝欝欝・・・
身体だるい。 頭痛い。
Please 薬薬薬・・
何もしたく・・ない・・
そんなわけにはいかないけど。
Wish. Help me.
そんなもの来たことなんてないのに
追い詰められた時にココロで呟くのは それでも
Wish. Help me.
誰が 誰が?
誰も。
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ゆうなぎ
「焦がれる」
闇の中から光を請うように 水の底から太陽に手を伸ばすように
欲しいもの 欲しかったもの でも 叶わないネガイゴト。
胸の奥に沈めたと薄く笑って見せる 言い聞かせてジブンをなだめようとする ウソツキ。
欠けたピースはそのまま。 埋まるはずは無い。 似ているものがあってもそれは別。
抉られた穴ぼこ 静かな そのまま。
胸の奥の奥 それでも 焦がれる
狂おしいほどに
触れることのできない
眩しさ。
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ゆうなぎ
自慢じゃないけどクジってものに当たったためしがない。 当たりたくない決め事のクジには当たるくせにね。
今更 大きな幸運がドカンと・・みたいな夢物語は期待してないけど せめて この先は ひきたくないクジに引っかからずに往きたいものだと切に。
今夜は何故か眠れなくて それでもあくる朝 末っ子 習い事に送り出さなきゃいけないから そう思うと そう効きはしない睡眠薬でも 万が一にも寝坊はできないと飲めなくなる小心者(汗)
メールの整理をして 仕事の段取りをつけて
そうしながら 一休み と ネットの海をボンヤリ泳ぐ。 あと数時間だから多分このまま起きてちょこまかしてると思う。
そんな 夜。
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ゆうなぎ
生きることから始まる。 生きることから始める。
命。
ただ生きてるだけなら屍と変わらないじゃないかと 何度も思った。
でも 違ってると今ならそう言える。 何が誰がどう言おうとも 何より自分自身が斜めに哂ってそう言おうとも。
苦しみ、掻き毟る、砕かれる、痛み。 理屈じゃない 感情。
希望持っては まだ苦い鉄の味。 噛み締めすぎた奥歯から。
それでも それはやっぱり生きている証。
だって今 確かに痛いって叫んでる。 声にならない声でも 吼えてる。 俯いて虚無に支配されそうになるってことは まだ 其処に 何か が あるからじゃない?
生きることから始まる。 生きることから始める。
今 生きていることを思い出せ。
ドンキホーテ 風車に向かって突撃でもいい。 痛みと愚かさをしっかりと知覚して 時には其処から目を逸らしてもいいから なぁ アタシ。
与えられた時間の最期の瞬間まで
いこう 往こう 生こう。
生きることから始まる。 生きることから始める。
今 存在しているということ。
この
命。
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ゆうなぎ
夏休みも後半へ突入。
お盆も過ぎていった。
涼しくなるまでにはまだまだ当分あるだろうけど 8月が終われば 一つの夏がまた終わる。
夏は苦手だけど 8月の終わりにいつも感じてしまう このやるせないような気持ちは何なんだろう。
季節の変わり目には大なり小なり心が不安定になるけれども 夏から秋にかけてのソレが一番わたしを落ち着かなくさせる。
冬にアノヒトが逝ったせいもあるのだろうか。 でも そんなこと言ってたら 春夏秋冬どの季節も辛くなってしまうじゃないか。
もうあれから何度も同じ季節を迎えてきているのに わたしの心はまだ落ち着き場所を見つけられずに 頼りなく揺らいでいる。
いや むしろ直後よりも彷徨い歩くように。
1年目は色々な手続きや事後処理で必死だった。 2年目は新しい生活を立て直していくことに追われた。 3年目を過ぎた頃からいろいろな事を考えたり思い出したり するようになってきた。
余裕ができたわけじゃない。 ずっとあれから走り続けなのに 走っていることがいつのまにか当たり前になって そうでなければ反対に落ち着かないようになって
走りながら考えることを覚えた。 たいした適応能力って 斜めに自嘲してるジブン。ヤダね。
ジブンというものへの無意識の自傷行為。 それで安心する自分。
生きる。生きる。生きる。 遠ざかりそうになるのを引き寄せる。 呪文みたいにすがる言葉。
こんがらがったままの糸。
かたむすび。
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ゆうなぎ
もう0:00を過ぎたから正確には既に月曜日だ。
気が重くなる1週間の始まり。
外の仕事でなくSOHOの端くれとして細々とでも仕事をしている分 おかげでかなり月曜日の恐怖は無くなってきてる方だと思う。
勿論 子供が習い事を始めた関係で夏休みと言えども 月曜日は普通の学校のある日と変わらない感じにはなるが。 それでも自分が外に出て行かないといけないのでは無いから まだ良い方だろう。
それでも 気持ちは重い。ナンデダロネ。
うまく気持ちの歯車が回ってくれない。 軋んでキイキイ言ってる。
心が混沌としている。
考え出せばキリが無い。 考えなければやっていけない。
頼りなく漂っている
真夜中0時過ぎ
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ゆうなぎ
子供たちはそれぞれに難しい年頃。
それぞれの個性。 それぞれの人格。 一人一人が世界でたった一人。
わたしも一人の人間。
親と子であると同時に 人と人。
だから当たり前だけど その度 色々と摩擦やすれ違いも起こる。
未熟なもの同士。 親も子も。
その年頃ならではの世界もある。 コダワリもある。
思えば 頑なに前髪の長さに拘ってたのを思い出す。 あの頃のジブン。 目に入りそうで今見ると大変うっとおしい その写真の中のわたし。 それでもその頃はとにかくそうじゃなきゃ嫌だったんだよね。
正直 何度ももう知らない!と思う。 理解不能!とか思う。 それでも また 怒りながらも 仕方ないねぇ・・と向き合ってる。
不思議だけどそれだけは どうしたったそうで。
これはこうして親というものになってみて 初めて知ったこと。
人にはそれぞれいろんな道がある。
それは本当に千差万別。 比べられるものじゃないと思う。 それぞれに嬉しいことも悲しいこともある。 選ばなかった道のことはわからないから わかるのは 今歩いているこの道のことだけだけど。
子供がいる人もいれば 子供がいない人もいる。
親になって知ることもあるけれども 親になっていなかったら知ったこともまた あっただろう。
要はその人が自分のその道をどう生きるかということで わたしの場合はたまたま親になって知ることができたことが あったというだけのこと。
子供たちにも願うのは 人様に迷惑をかけることなく(これは大前提!) 自分らしい道を歩いていってくれればいいなと。 それだけ。 その後はそれぞれの子供たちが自分で知って選んでいくことだろうから。
夜明けに 寝相の悪い一人一人のお腹に タオルケットかけなおしてまわる。
いつもの習慣(笑)
寝顔はみんなまだまだ無邪気。
いろんなことあるよね。 これまでもあって これからもあるだろうけど
もう少しまだ一緒に 歩いていこう。 きみ達がオトナになるまで。
この手をしっかりと握りなおして。
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ゆうなぎ
今年は特に異常気象が多いように感じる。
これはわたし自身の体調にも関係しているかもしれない。 体感温度が明らかに違っている。 体温調節機能がおかしい。
でもそれを差し引いてもやっぱり年々この世界の環境は 少しずつ歪んで病んできている気がする。
左手小指の痺れは相変わらずとれない。 アレルギーの薬はすっかり常飲薬になってしまったし 今まで無縁だった頭痛薬や 避けてきた睡眠薬のお世話になることも多くなった。 咳までちらほらまた出始めたから 貰っていた咳止めを重宝してる。 命の綱とも言える抗欝剤と安定剤と同時に必要な 下剤(といっても市販のではなくて病院から 出して貰ったもの。厳密に言うと一般に市販されている 下剤とは内容が違う)も もう生活の一部だ。
この前 実家に行った時に たまたま飲んでいるのを見られたら そんなに沢山の薬を飲んでるの?と母が眉をひそめた。 確かに両親の知るわたしは薬なんかとは無縁の人間だったから 聞いてはいても実際に目の前で飲んでるのを見るのは 余計にショックだったんだろうな。
だから一応 繰り返してきた説明をもう一度した これでも薬はできるだけ抑えているから少ない方だということ。 今のわたしには最低限これらの薬がどうしても必要だということ。
納得してくれた というよりも 納得することで 少しでも不安を抑え込みたかったんだと思う。
ただ母からは数年前から毎年行っていたのに 今年は行きそびれたままの婦人科検診と共に (そこでは希望すれば同時にしてくれるから) 基礎検診もして貰ってきたら?と再度言われた。
うん、そうするよ と答えたけど 少なくともこの夏が終わって少し涼しくならないと 気力が出ない。
今 心療内科と歯科に通ってるだけでも かなり自分的に気力を振り絞っているので 少なくとも歯科通院が終わってから・・
ってこれはイイワケでもある多分。
亡夫に偉そうにいえないな(苦笑)
ガタがきている心と身体でもメンテナンスすることで 多少なりとも もたせることはできるだろう。 まだ子供たちがわたしを必要としている。 実家の両親の心労を増やすようなことは できるだけしたくない。しちゃいけない。
わかっているけど身体も心も重い。
この夏が終わって涼しくなったら・・と思うけど 季節の変わり目もまた不安定になりやすく 欝が肥大しやすくなる。
薬と気力で抑えこんではいるが どうにかするとまた壁に頭を打ち付けたくなる 自己破壊の衝動にかられる。
しない為に今度は過食。 食べても食べても空腹感が無くならない時があった。 今はまだそれに比べたらマシだろうけど 胃が破裂しそうなほど詰め込んでやっと止まる。
そして下剤の多用。 病院から貰った薬だから大丈夫 がイイワケ。
なにやってるんだ という憔悴感。
この夏が終わるまで待ってくれ。 涼しくなったら涼しくなったら 守れる自信のない約束。
今日は天気が荒れそうだ。
ゴミ出しに外に出たら横降りの激しい雨が 頬に痛かった。
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ゆうなぎ
やさしいうたをきいた。
それは ほんとうにほんとうにこころにしみいるような かなしくてやさしいあいのうたで ひとをせいいっぱいにおもうきもちであふれていて
わたしは ほろほろと いつのまにか とうめいのつぶを めからこぼしながら ききいっていた。
やさしいうたは ぜつぼうのうたでもあった。 でも どうじに きぼうのうたでもあった。 そうして いのりのうたでもあった。
だからなおさら わたしはそのうたを いとしいと おもった。
やさしいうたをきいた。
たぶん そのひとは それを やさしいうたとよぶと とてもかなしいかおをするようなきがしたから
ただ だまってしずかにきいていた。
それでもそれは まぎれもなく やさしいうた だった わたしには。
はかなくもろいこととやさしさはすこしにている。
そのうたをうたうひとのおもいを ただ そっとつつんであげられたらいいのに とねがった。
しょせん ぶきようなこのてでは こわしてしまうことがこわくて ふれることもできないけれど。
やさしいうたをきいた。
こんなふうにひとをおもえることが とてもとてもうらやましくて
めをつぶって ちいさなこえでいっしょにくちずさんでみた
できることなら
やわらかなまるい なみだのつぶに なりたいと
そう おもった。
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ゆうなぎ
2006年08月15日(火) |
8月15日のこの日に。 |
この日には特に過去の戦争についての論議が繰り返される。
それぞれの立場で。 それぞれの想いで。 それぞれの意見や訴え。
思えばどんなことでも同じだと思うが 立場が違えば見方も変わる。 それは当然だろう。
だからそこにただ一つの正解は無いように思うのだ。
あの戦争の時 わたしは産まれていなかったが それでも その時 多くのそれぞれの国の人々が 本当に戦争というものを望んでいたのかどうか・・といえば それは違う気がする。
自衛であろうが侵略であろうが 結局 人と人が殺し合い 傷つけあった。 もしも 共通の真実があるとすれば それだけだと思う。
国の為=家族を大切な人を守る為と信じ でも 酷(むご)いことを言えばその手で命を奪った相手にも 同じように大切なひともたった一つしかない人生も あったということ。 だからこそ 救われない。
だからこそ 人ではなく国でもなく 戦争 という悪魔に人々を駆り立てた実態の無い何か・・を憎む。
わたしたちが議論すべきは認識すべきなのは 本来 そういうことじゃないのだろうか?
命を落としていった人達が望んでいることは それが侵略戦争なのか自衛の戦争なのかとかいう そんな戦争という名の亡霊に縛られ、こだわり続ける事では無くて もっと もっと 違った議論なんじゃないだろうか?
言葉にならずに すごくもどかしい。 戦争を知らない人間のキレイゴトじゃないかと 言葉が上滑りしているのが もどかしく悔しい。
でも小さな声でも今はこうして声をあげることができる。 それぞれがそれぞれの立場で少なくとも自由に。
できることがあるのだと思う。 それはそれぞれが国や人種や主義を越えて。 言葉にすること。 それぞれが自分の思うことを自由に言葉にできること。
それこそが8月15日の意味なのではないかと
わたしは そう思う。
「祈り」
何もできないからと 諦めることだけはやめよう
小さな小さな声を あげることさえ 許されなかった時代(とき)が 確かにあったのだから
せめて
小さな小さな声を あげ続けることを 忘れないでいよう
そこからでも きっと 始められる
小さな小さな声でも 集まって 大きな想いになって
まちがいを繰り返さないような 力になることを信じて
この日に
いいえ
この日にも
・・・祈ります
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ゆうなぎ
2006年08月13日(日) |
信じること。諦めないこと。 |
久しぶりに泣いた。 ゲームして。 友達が送ってくれたゲームで選択肢はないから ほとんど本を読んでいる感覚。
でも どんな立派な話や感動的な話 聞いたり読んだりするより よほど心にしみた。
ある意味 伝えたいことはとてもシンプル。
信じること。 信じ続けることの難しさと それでもそれができた時に得られる強さ それに 諦めないこと。 最後の最期その瞬間まで あがき続け諦めないこと
どちらも口でいうのは簡単だけどその勇気をもって 実行にうつすのは決して たやすいことじゃない。 実際 この登場人物達だって何度も何度も失敗する 諦める。 ボロボロになりながら追い詰められる。
信じることへのトラウマ。諦めたくて諦めるんじゃない。 それほどに酷い運命と絶望。
でも 気付く。
それでも信じることの意味。 諦めずあがき続けることの意味。
それによって得られる強さ。 すごくすぅっと心に入ってきた。
久しぶりに泣いた。
何によってなのかは関係ない。 ただ 泣けたことが嬉しかった。
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ゆうなぎ
鬼灯を買ってきた。 お供え菓子のセットと果物のセットも。
今日は念入りに仏壇の掃除をしようと思っている。
左手小指の痺れが昨日からとれない。 左耳上の付け根 無意識に掻き毟った後が痛痒くて気になる。
朝 窓を開けるとトンボが一匹 ベランダにいた。
小さな声で
おかえり
と言ってみた。
「鬼灯(ほおずき)」
消えない炎を閉じ込めた 鮮やかな朱(しゅ)が
カラコロと 乾いた音をたてて ひっそりと風に揺れる
これは
還るひとが迷わぬように ともす灯り 遺されたものが想い出を 見送る灯り
精霊流しの日
天に昇る 白檀(びゃくだん)の煙と一緒に
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ゆうなぎ
この暑さのせいにしてしまいたい。
最近どうにも神経が過敏になってる。 過敏といってもそれは この薬のおかげで薄く張られた膜越しなので 他人(ヒト)には見せないで済んでいるんだけれども。
誰かのほんの何気ない一言が小さな棘みたいに いつまでもチクチクと刺さって疼いたり。 深い意味はないんだろう言葉の意味を考えすぎたり。 厚意の助言の言葉にすら それが出来るならとっくにしてる と心でイラついたり。
そして唖然とする。 自分の中に巣喰う得体のしれない昏く深い闇にまた絶望しそうになる。
気を抜くとダメだ。
定期的に全身神経が剥きだし状態みたいになってしまって 直に触れられるのが辛くなる。 反応できなくなったまま無意識に後ずさりする。 説明や言い訳すら そのうち しんどくなる。
それが他人(ヒト)からみれば身勝手な傲慢に映っても 当然だ。仕方が無い。 申し訳ないことと 心底思う。
それは急変に近いから尚更 タチが悪い。 全身の倦怠感・脱力感。 反面 その身の内で 昏く燻りながら燃える闇の炎。
深呼吸 を する。
何をいまさら怖れる 何をいまさら啼く
それでダメなら仕方ない。 そうやって幾人ものヒトが去るのを見送ってきた。
シカタナイコト。
寝言でまた吼えていたらしい。 最近こればかり。
アノ時いえなかった事を 夢の中で叫んでいる。 吼えている。
真夜中 長男に揺り起こされた。
アノ時の夢をみていた と話した。 寝言の内容で察していたらしかったから。
アノ時いえなかったから 夢の中で 言ってるのかな と わざと冗談めかして。
長男は ふっと哀しげな大人びた顔をして
無理かもしれないけど できるだけもう忘れた方がいい と 言った。 僕も もう忘れたいと思っているし忘れるから と。
そうだね と答えた。 じゃなきゃお父さんも可哀想だよね。
うん。
ごめん。
二人で下向いてしばらく黙って 弟達の健やかな寝息を聞いてた。
お盆のお供えとお花 今日 買いに行って来る。 形ばかりささやかでも。
忘れないことが供養。 想いだすことが供養。
だけど忘れてしまいたいことや思い出したくないことまで 一緒に絡み付いて頭から離れない。 どうしてアノ日に。どうしてアノ日に。
それはより強烈にわたしに刻み付けて遺していく為に アノヒトがつけた鎖?
そんなもの無くても忘れやしないのに。 充分にもう刻まれているのにこの印は。 心配だったのかねぇ・・
そんなことを ふと考えて でも それじゃ そうだね アノヒトが可哀想。 違うよね?そんなこと望んでなかった。
ごめん。 ごめん。 ごめんね。
きっとこの暑さのせい。
嫌な夢も 昏い闇も
壊れかけているわたしも。
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ゆうなぎ
相変わらずの鉛のような身体のダルさにお腹から腰の重い痛み。
血液が身体の中心から はっきり知覚できるくらい抜けていく感覚には どれだけ繰り返してもいつまで経っても 慣れることができない。
ほんの数日前にあったことなのに 夢のように霞んで 自分がどんな顔をしてたかも もう霧の向こう側。 せめて と あの温もりの感覚を必死で想いだして引き寄せる。 こんなに暑いのに指先だけが冷たいのはどうしてだろう。
信じる 信じる 信じる
言い聞かせてないと崩折れる。 言い切ってしまわないと不安に怯えたココロが呑まれる。
大丈夫 は呪文。 唱えると誰よりもジブンが安心する。
そうだ アタシは まだ 大丈夫。
大丈夫 だいじょうぶ ダイジョウブ。
月の満ち欠け。
明日には少し体調もマシになるはず。
そしたら 少しずつでも掃除。 なんで毎日してるのに洗濯物の山は減らないんだろう。 ったく ねぇ。
手繰り寄せた温もりを何度もガム噛むみたいに 反復する。
アタシだけの確認作業。 アタシの輪郭が薄れて消えてしまわないように。
オナカイタイ。 イマスグココニキテアタシノアタマヲナデテダキシメテヨ。
目を瞑ってもう一度 唱える 大丈夫。
大丈夫。
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ゆうなぎ
昨日は歯医者の予約日だったので子供達も一緒に行って来た。
まだ 当分 通い続けないといけないようだけれども 歯茎の状態も少しずつ良くなっていっていますよ と 先生に言われて ホッとした。
こちらの先生のことは子供達も大好き。 本当に穏やかで威圧感の無い方。自然体。 でも しっかり丁寧な仕事(治療)をされる。 きちんとした説明も細やかにしてくださるので信頼感がある。
不思議なもので先生の雰囲気はこの病院のスタッフの方々にも しっかりと浸透していて だから わたしでも自分のペースで 続けて通うことができている。
しかし この日は体調が朝からあまり良くなかった。 歯医者さんから帰ってくるまでは何とか・・だったのだけど 帰ってきたらどうにも気分が悪くてだるくて。 汗ばんだ服を着替えるのが精一杯でそのまま寝込んでしまった。
それから仄暗いような細切れの夢。 目を覚ましてはまた引き込まれる。 熱っぽい身体に 生汗。 とにかく全身が鉛みたいで。
ふと あ もしかして・・と思ったら そうだった。
オンナノコノヒ
元々わたしは昔からこの時期 かなり体調が悪くなる。 貧血が酷く何度も授業中倒れたりでまわりにも心配をかけた。 漢方薬を飲んでいた時期もあるし 病院にかかっていた時期もある。
子供を産んでからはそれでも少し落ち着いてきていたので 体質が変わってくれたのかな・・と思っていたんだけど。
大きなことがあると体質は変化するのかもしれない。 自分自身の大病もしたし その後はかなり色々あったから。
加えて歳もそういう歳になってきたし。 仕方ないといえば仕方ないんだろうな。
自分のココロともカラダとも何とか上手く付き合っていくしかない。
またお盆が近づく。
たら れば は厳禁だって思うけど でも やっぱりお盆は お盆休みとか帰省だとか そんなイメージのもので せめてもう少しの間でも あって欲しかった。
仏壇が当たり前のように其処にあって。
掃除をしてお供えを買ってきて
盆提灯を出してお迎えの準備をする。
これが現実。
なのにまだ何処か遠い世界のことのようで あれからこんなに年月を繰り返し越してきたというのに。
自分が30代で喪主を務めるなんて考えもしなかったし ましてや 未亡人なんて呼ばれることになるなんてことは 想像すらしてなかった。あの夢と希望で満ちていた頃には。
望んでいたものは 本当にささやかな温もりだった。 愛するひとと子供たちと一緒に手を繋いで。
皮肉なものだな と思う。
でも そんなものなのかもしれないな と思う。
カミサマは時に残酷で気まぐれだから こういう運命の悪戯を仕掛ける。
所詮 わたしは 独りで生きていくことを決められていたということだろう。 それだけのことなんだろう。
全てが不幸せなんて言わないし 認めたくも無い。
わたしには(いずれ巣立っていくにしても)子供達もいるし かけがえのない大切な人達もいる。
この人生だったから出逢えた貴重な出逢いもある。
100%の幸せが無いように 100%の不幸せも また 無いと信じる。
今 この瞬間 息をしている以上 それは誰が何と言おうと 生きているという奇跡の重さ。 それだけは 絶対の平等。
そんなの詭弁かもしれない。
キツイものはキツイし 苦しいことは苦しい 絶望はそんな簡単に希望に変わりゃしない。
そんなこと 承知 承知 承知。
でも 詭弁でもやっぱり酷いほどの真実なんだ。
今 生きている ってことの重み。
それを認めて そこから始める。
認めることシンドイけど そういってるあたしだって 逃げ出したくてウズウズなんだけど。
失くすことの痛みと埋まることの無い空洞を知っているから 尚更 キミがきみが貴方があなたが 今 この瞬間 生きていてくれるのが ウレシイ。 其処にいてくれることに 心から アリガトウ。
蝉の声 いちだんと激しく大きく
夏の朝が またこうして始まる。
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ゆうなぎ
どんなことでも一生懸命頑張れば叶わないことはない?
それを否定しちゃったら希望は無くなっちゃうよね? だから否定はしたくないしできないって思うんだ。
だけど
どうしたってどうしようもないこと も やっぱり 確かに ある。
そんなことはもうわかってて。 嫌ってほどに思い知ってて。
だのに 念押しみたいに 忘れないように なのか カミサマは確認させる。
ばかだなぁ・・・アタシ。
あったかさも ヤサシい声も なんにも変わらないのに
堪らなくサミシクなって こっそり後ろ向いて 丸くなって 目 瞑った。
ごめん。
よくばりだね アタシ。 これ以上 何を望む?
あんまり長く後ろ向いてたら 背中の温もりに気づかせちゃうから
それでなくても 今 振り向かせようとしてる その手はどうしてそんなにあったかいんだろうね。
嘘のつけないひとを これ以上 心配させちゃいけない。
だから
もう一回 ギュッって固く目を瞑ったあと 振り向いて
笑った。
ほら ね。 いつも通りでしょ? なんにも変わってない。
心配しないでね。 やさしすぎるひと。
アタシは大丈夫。
大丈夫。
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ゆうなぎ
2006年08月05日(土) |
それは一枚のコインの裏と表のように(ボクシング騒動に思う) |
わたしがスポーツに関心が無く もっと言えば体育会系ニンゲンに対して 苦手意識・拒否反応すら抱いていることは 此処でも書いたと思う。
だから 今 話題になっているらしい ”例の”ボクシングの試合も見てないし 亀田興毅 という選手も 今回の嫌でも目に飛び込んでくる ネットの活字やニュースでしか知らない。
ただ ひとつわかることがある。
それはメディアというか大衆心理の薄ら寒さ。 露出している(されている) 亀田興毅 という人の 言動や態度を見れば 確かに良識ある (と自覚されているその方々の自信の方にわたしは 言いようのないやり切れなさを感じるのだけれど)人達は 口を揃えて言いたくなるんだろう。
「あの試合はなんだ?」 「あの態度はなんだ?」 「常識を疑う!」 「これでは王者の品格があるとはいえない!」 「失望した」
スポーツニュースからの関連リンクなどでみた 日記やブログでもこの意見がとても多かった。 というかほとんどそれで占められていた。 少なくともわたしが読んだものは。
今さっきネットで見たニュースでは 今回負けた相手選手に
>「君が本当の王者だ」などと称賛、激励するメッセージが、 >同選手の母国ベネズエラにある日本大使館のホームページあてに >大量に送信され、3日までに約1500通に達した。
「スポーツ記事ニュース」より
らしい。
何度も言うがわたしはスポーツ自体に何の興味も無いし 体育会系気質みたいなものはむしろ嫌悪してきたと言ってもいい。 トラウマの上にトラウマが積み重ねられてからは特にそうだ。
だからむしろこの体育会系気質のド真ん中にいるような 亀田選手とその家族に対して今回の良識派の方々と 同意見でも良い筈なんだ。
でもわたしは
亀田選手云々とか試合が八百長だのフェアじゃないだの 態度がとか言動が とかで正義感で満ち満ちて嘆き、 攻撃(とはご本人達は思っていまいが)いる人達の その正義感が
とても恐ろしく思えた。
わたしたちが見ているのはメディアに露出された一部の ボクシング選手である”亀田興毅”ではないのか? それも多分に脚色された。
そうはいっても確かにそれも”亀田興毅”という人の 一部であることに間違いは無いだろう。
でもそれはあくまでも 一部 なんだ。
それなのにいつの間にか人々は それが良識あると自覚が強い 人達ほど その一部を全てのように錯覚し(いや、させられて?) 正義感を発動させる。
間違ってるとかは思いもしない。 だって その意見はしごく真っ当でタダシイのだもの。
そして一つ小石を投げる。 あくまでもそれは間違ったものを正す為。
でも その1人なら一つにしか過ぎない小石が 100人が投げれば100個に 1000人が投げれば1000個になること そしてそれで充分に人一人を殺してしまうことには 何故か気がつかない。
今回はたまたまボクシングだったってことだけ。 でもこれはどんなことに対してでも起こりえる。 いや 起こっていること。
人間なんてみんな 全部悪でも全部善でもない。
誰もが一枚のコインのように裏と表をもっている。 いやもっと言うならコインに裏表だけでなく厚みもあるように 見る角度によって光や形すら変わって見えるように。 それは当然じゃないだろうか。
わたしたちが見ている世界なんて 本当にほんの一部なんだよ。 なのにどうして そんなに全てを知っているかのように言い切れるの?
そして その評価のコインはあっけないほどに簡単に ひっくり返される。 昨日までのちやほやされていた英雄が 許されざるべき卑怯者になって石もて追われる。
大きな正義の名の下に。
でも 考えたこと無い? その群衆の中からアナタが弾き出された時を。 その線から向こう側の縁のない世界だと思っていた方に 投げ出される可能性を。
それが絶対に自分には来ないと考えている人達が わたしはとても怖いし やり切れない。
自分は良識をもっているから? ねぇ 良識って何? 正義の定義って何? それがどんなに頼りなく時に恐ろしいことか。
殺人犯にだって その人間なりの正義があるって言ったら アナタは哂うだろうね。 でも 主観としての正義ならあったって不思議はなくない? その人間にとっては正義。どんなにそれが狂ったものでも。
だから わたしは正義という言葉に恐怖する。
そんな頼りないものを自信たっぷりに信じられない。
でも考えたら正義を胸を張って妄信できるひとは 幸せな人なのかもしれない。
ぴかぴかに光るコインの表だけしか みたことがないということだもの。
気まぐれな運命に足をすくわれて コインの裏をみたら それがどんなに不安定なものだかがわかる。
わかった方がいいのか 知らないままいた方がいいのか
でも好き好んでそんな裏側なんて 見たい人間なんていないよね?
そちら側で正義を叫ぶことはとても安心できるだろうし 心地よいだろう。
でもね ほんの少しだけ考えてみて欲しいの。
ニンゲンってそんなに強いだけのものなんだろうかってこと。
アナタのその足元が絶対に永遠に崩れないなんて 自信と根拠を
ほんの少しでいいから
振り返ってみて 躊躇(ためら)ってみて欲しい と
そう 思うの。
思わずには いられないの。
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ゆうなぎ
「棘(とげ)」
誰にも見えない この小さな棘
抜けなくて
動くたびに チクチクとわたしを刺す
抜くことの出来ない 棘
抜けないまま 身体の中 ずっと ずっと ずっと
それでも
この痛みも わたし
いつしか
それごと全部
わたし というもの
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ゆうなぎ
美容院に行って来た。
相変わらず外は灼熱地獄で(わたし比) 空いてた時間がまた一番暑い時間帯の午後からだったから 途中で挫けそうになったけど 頑張って?行ってきて良かった〜
あー髪すっきり!
あのさ 髪の具合で体調とか気分とかも かなり違ってこない?
っていうか わたしの場合 髪は体調のバロメーターみたいで どうも定期的に切ることによって 髪が活性化される気がする。
ん・・とね・・・例えて言えば 水の吸い上げが悪くなって花瓶に挿してた萎れた花の茎を 水中で切ってやったりするとなんか元気になるじゃん。 そんな感じが一番近いかも。
帰り着いたら案の定 またパタリといったけどね。 でも 頭 軽い。うれしー
そういえば 帰り道 大変無謀なことをした。 いろんなことで節約したいこの時期に本買っちゃったのだ。 定価で。それも結構厚めのヤツ。
普通わたしは欲しい本はリサイクルショップで と決めてる。 もしくは めちゃめちゃどうしても新刊で欲しい本なら ネットショップ利用してポイント還元。
セコイかもだけど どうしても必要なら とにかく1円でも節約&還元できることを考えて購入する。 「1円に笑うものは1円に泣く。1円を侮るなかれ!!」 (by ワタクシが子供らに常日頃言い聞かせてる我が家のモットー)
そのわたしの信条に反する無駄遣い。 う〜ん・・・カットは貯めてたポイントがいっぱいになったので おかげで500円引きでしてもらえたし・・・ だからその分でさ〜・・ってそんなことじゃ意味無いじゃん〜!
反省の意味も込めて帰り道は久しぶりに歩いて帰った。 (ちなみに行きつけの美容室はバスで3つくらいの距離。 ゆえに昔はバスとか使わずに当然のように歩いてた。 さすがに今はもうバスに乗るようにしてる) が 100メートルも行かないうちに激しく後悔。 日傘さしても意味あるのか疑問なくらいの陽射し。 へへへ・・あはは・・ 嗚呼! あたしのおバカ! バス代くらい残しておけよ〜!!!!!!
そう・・わたしは時々 本当に衝動的なことをする。 冷静なジブンがそこにいたら あ!こら!このバカ!やめろって!!って言って 直ちに このへらへらと金額ギリギリの財布を開けて 本屋さんのレジへ直行してる自分を羽交い絞めにしても 止めただろうに・・・無念!
ホントに 他の必要以上に余分なお金持ってきてなくて良かったよ。 その辺は虫の知らせってヤツ?
で 結局
反省 というか 自分なりのツジツマあわせ というか 要するに自業自得 バス代無いもん っていうか
それでまた一段とフラフラよれよれで 家まで帰り着いたわけだけれども。
昨日の病院の時とは違って 結構 キツイながらも 機嫌良かったのさ。
髪 切った。 頭 軽い。 本 買った。
へっへっへっ! やったったで〜!!!
本はリサイクルショップ!!と口うるさく言ってる手前 子供には・・特に長男に言うと確実に なにやってんの〜?と呆れられるから 黙ってようと思ったんだけど つい・・本 自慢したくなって ポロリと。
案の定・・・呆れられた。 そりゃそうだわね。 息絶え絶えにぜいぜい滝の汗流しながら 不気味な笑みたたえてるお母ちゃん(ワタクシ)
着替えて汗拭いて 薬飲んで でもその間も買ってきた本は常に行く先に携帯。
だってこの本 長男も欲しがってたんだもの。 隙をみて 先に読まれちゃかなわん!
この辺は非情なのだ 我が家は!!
さすがに暫くちょっと横になることにして そこでも釘刺しておく。 「お母さんが読み終わってからだからね!」
え〜!だってお母さん今から寝るんでしょ〜?と ブーイング入るが一蹴。
当然じゃ〜! この汗と汗と汗と・・・要するに汗の結晶の本を この母より先に読もうなんて100万年早いわ!!
いつものソファーの下に入れてその上に横になる。 セコイ?へん! なんとでもいうがいいさ!ケケケ! 少年よ、人生はそんな甘いもんじゃないのだよ〜
ああ・・ねぇ なんか すごい単純と笑ってくれてもいいよ。 でもさ・・こういうのがあるからさ・・ メーター振り切ってもエンジン焼け付いても 走っちゃうんだろうなぁ・・・なんて。
日々 一歩先だってわかりゃしない。 けど だから とにかくこの一歩を。
それで いいじゃんよ。ねぇ・・あたし。
いこう。
うん。
いこう。
この いちにち。
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ゆうなぎ
文字通り流れ落ちるとかそういう状態。
それは ポタポタとかいうのを通り越して ダラダラと滝のように流れ続けて 時にわたしの視界を奪うほど。
日傘さして極力 影を選んで歩いて。 それでもタオル地の大き目のハンカチは もう絞れるほど汗を吸い尽くしてる。
試しに絞ってみたらポタポタと 熱いアスファルトに 見事に水玉を描いたから 思わず苦笑いしてしまった。
今年が尋常ではない暑さだからなんだろうか? それとも わたしの体調が良くないせいだろうか? 両方当たってて相乗効果?嫌な相乗効果だな。
マジに目の前が霞む。 この汗のせいと どうにも気分が良くなくて息苦しいのと キモチノワルイ浮遊感。
心療内科の診察日の昨日
正直 薬のことが無かったら 行くのを止めてたと思う。
でも今のわたしは例えばまる1ヶ月分くらいの薬のストックが 常にある状態じゃないと安心できない。
薬 切れると半端じゃなくシンドイ。 飲み忘れた時で体験済み。 薬飲んでいても副反応のダルさとシンドさは確かにあるけど 自分の血管を常に流れているこの薬が 切れた時のキブンノワルサの方が耐え難い。
精神を押さえつけるには今の量では本当にギリギリしかなくて もっと楽に押さえつけたいのが本音。 でも いったんタガが外れてしまった時のわたしは 一気に地滑り起こしたみたいに薬を唯一のものとして 加速度的に依存していくだろうから。 ソレハデキナイ。
どうしても済ませなくてはいけなかった郵便局での用事は 何とか済ませたけど して帰ろうと思っていた買い物は とてもじゃないが無理で。 でも座り込んだらそのまま意識が無くなりそうだったから ふらふらとしつつもとにかく自宅まで辿りついた。
玄関入って。 部屋の入り口で暫くぱたり。
子供らはそれぞれの用事でまだ帰ってなかったので良かった。
ほとんど這うように台所に行ってとにかく 冷やしていた水を何杯も飲む。 汗は流れ続けるけれども とにかく水分補給。
考えたら帰り道の自動販売機で水分補給すれば良かったのに その 財布を開けて お金を出して って動作をするのすら この足を今止めたらそこでへたり込んだままになりそうな気がして 出来なかった。
何杯飲んだか覚えてないほどガブガブ飲んで やっと落ち着いた。 動くとお腹が水の音でタプンタプンいってる。 汗もすごくてほとんど視界が雨降り状態だから とにかくこの全身びしょぬれの服を脱いで 身体をタオルで拭いてノロノロと着替える。
シャワーもすぐにしたかったけど ちょっと横にならないとマズそうっていうのがあったから とにかくクーラーをかけてソファーに倒れこむ。
目を瞑ったつもりは無いのに意識がすーっと遠ざかった。
子供が帰ってきたチャイムの音を遠くに聞いて目が覚める。 よっこら・・と身体を起こすとクーラーと水分補給のおかげか 少しまだふらつくが大丈夫。
慌てて玄関の鍵を開ける。
おかえり。
正直 昨日今日と外へ出てみて 自分の状態にかなり愕然とした。
暑さがダメなのはこれは昔から。
それでも ここまでダメになってたとは・・なぁ。
今日は美容院へ行って来たいし それは髪が伸びてキモチ悪くなってくると 余計に気分も悪くなるわたしには 病院へ行くほどの負担じゃない。むしろさっぱりするのだから。
週末 も 同じこと。
というか この美容院やKとや友人達と過ごす 2ヶ月に一度とかの時間すら 自分自身が しんどいと感じるようになってしまったら その時は 本当に最期の最期なんだろう。
この日記を書く ということも。
その時には既にできなくなっているだろう。
かなり弱っている。
ただジブンでいうのもナンだけど わたしの精神力は変な具合にかなり強靭なので。 焼き切れてもなお 進むのだ と脳が命令を出せば 雲の上を歩いているような状態の悪さでも それをほとんど出さずにいられると思う。
これはとても変な感覚。 自分の精神と肉体の二分化みたいな。 半分 幽体離脱してるみたいな。
ただ それが発動できるのは さすがに短時間に限られる。 そうして それを発動した後 ひとまずでも安全圏に辿りつければ 速やかに心身のシャッターが降ろされて意識はぶつんと落ちる。
とにかく
今日を駆ける。
理屈も理由も今は敢えて考えまい。 頭から追い出せ。 生きる という ただ その一点に集中しよう。
そうして
今日を
駆ける。
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ゆうなぎ
わたしは知ってる あたしの寂しさを。
わたしは知ってる あたしの孤独を。
わたしは わたしだけは知ってる あたしのココロにぽっかりと 果てしなく深く暗い穴が開いていることを。 その穴が決して塞がることのないことを いいえ。 あたし自身が塞ぐことを拒否していることを。
嘘をつくのが いつからこんなに上手になったんだろう。
期待しないこと。 求めないこと。
そうすれば世界はそれなりに回ってくれる。 少なくともその中で束の間でも わたしはあたしの欠片を見つけられる。 今のわたしには それが蜃気楼でも幻でもいい。 少しでも長くその夢の中にいられればいい。
夢からいつか覚めさせられる日がくるとしても その日が明日でなければいいと願うだけ。
薄く透明な誰にも見えない殻の中で だから あたしは 微笑む。
この後どのくらいかわからない時間を涙で無駄にしたくなくて
だから あたしは 笑ってみせる。 沢山 嘘をつく。
気づかないのか 気づきたくないからなのか きみは何も触れようとしなくて。
あんなにきみの前でだけは泣き虫だったあたしが あの日を境にぴたりと涙を見せなくなったことに。
あたしも当たり前のように初めからそうだったみたいに もう・・二度と。
それでいいんだと思ってる。 これでいいんだと思ってる。
だって あたしはきみがそんなに強くないことを知ってる。 怒らないでね。 でも あの時に確信した。 そうして でもそれは至極もっともなことだと そう思ってる。
むしろ今までそんなきみが そして今もそんなきみが こうしてわたしの手を離さないでいてくれていることだけでも 本当に感謝してる。
それほどに重いから この背に背負った荷物も 腕に抱えた大切なものも 降ろせないし落としたら壊れてしまう。
これを一緒に背負ってなんていえない。 そんなことをしたら確実にきみを壊してしまう。
そんなことはできない。 したくない。 ううん そんなきみを見たくない。
だから あたしは嘘をつき続けることに決めた。
自分で そう 決めた。
いつか 迎えにくるよと 本当は言って欲しかった。
嘘でもよかった。 信じさせてくれさえすれば充分だった。 守らない約束でかまわなかった。
応えられないのはわたしの方だったのだから。
でも きみは嘘をつけないひとだから。 できないことをできるとは言えないひとだから。
優しすぎるひとだから。不器用なひとだから そんなことが言える筈も無かった。
だから
あたしにできるのは微笑むことだけ。
夏 束の間 命を燃やす あの蝉のように。
鳴けずとも
キミの服を握り締めて 温もりに頬をよせて目を瞑って ただ 黙って。
あの日から
これからも
それが 許される限り。
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ゆうなぎ
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