2006年02月28日(火) |
そうしてこんなふうに季節は巡っていく |
2月が終わる。あと数時間もない。
いつの間にか少しずつ重ね着の枚数も減っている。 今年は早めに花粉が飛んだのか 目の痒みと鼻のグシュグシュ、クシャミ。
手放せなくなってしまったアレルギーの薬に 先月 貰っておいて良かった目薬。
アレルギーの薬は一日2回だけど効果が切れる谷間 てきめんにグシュグシュとなる。 抵抗力が弱って体調があんまり良くない時には特に。
だけど3回飲むと抗鬱、安定剤と合わさって すごくダルくてたまらなくなる。すぐ横になりたくなる。 頭が重くなる。
子供達のことも色々。 実家のことも気になる。 せっかく入ってきた仕事 キッチリとやり遂げたい。 計画している仕事 諦めずに何とか進めたい。
ちゃんと動いてくれない頭と身体に苛立って焦る。
それでも季節は巡っていく。 ちっぽけなわたしのちっぽけな感傷なんて 時の流れの中にさらわれていくように。
明日からは3月。
本当の春にはまだ遠いけれど
また来る春を 信じて。
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ゆうなぎ
ゆらゆら揺れる 右に左に。 大きく傾いでそれでも戻る。 ヒトの心に似たような。
わたしのやじろべえは 今とてもバランスが悪くて 歪んで傾いだまま 泣きそうな顔をしている。
それでも落ちてしまいもせずに 変なバランスのまま 固まっている。
睡眠がおかしいのは以前からだし 食欲がおかしいのも今にはじまったことじゃない 躁鬱の極端さも薬で外に出なくなってくれたけれども 内側では相変らず。
でも それが最近 一段と極端になってきた。 眠る時は昏々と眠る。 起こされても起きれない。起きようとしても意識が沈む。 話しかけられて一応答えているらしいが 呂律がまわってなく意味不明らしい。 反対に眠らない時はまったく眠らない。 眠ってはダメだという変なブレーキがかかる。
食事の準備と最低限の子供達の洗濯だけは かろうじて・・だけど 自分の食事が連動してか過食と拒食が交互にくる。 過食の時はとにかく詰め込む。 食べることで安心を得るように。 拒食の時は食べる という行為自体が頭の中から消えるようだ。 子供達の用意はするし 側にいるけども オカワリの世話焼いたり出したり片付けたりして それで食べたような気になる。
躁という症状 これはちょっとうまく言えないけど 楽しいこと好きなことについて話したり書いたりするのは 好きだ。心底楽しいと思う。こんな時テンションはかなり高い。 だからこれは躁鬱の躁じゃないんじゃないかと思う。 わたしは元々 好きなことについてのテンションは高いし 単純でノリのいい性質をもっていたし。 これはわたしの自分への勝手な解釈であくまでわたしの場合だけれども。
鬱に関してはかなり複雑な状態になっているので うまく言い表せない。 ただ 疲労の度合いとそれに伴うダルさと虚無感が かなり強くなっている。 不安感も増しているが それを疲労感が覆い隠している。 この場合 それはかえっていいのかもしれないとも思う。
いろいろ書いたけど小難しいことや理屈はもういいんだ。 何度も書いてきたけど わたしはそんな複雑なことが 考えられるほど頭も良くなければ勤勉でもない。
確かに不思議と子供の頃から成績が良いように 見えては きたらしい。 けど 実際わたしの頭に詰まっていたのは本のこととか 色々な空想癖で実際のわたしの成績はいつも 中の下がせいぜいだった。
まったく大いなる誤解と買いかぶり。
昨夜の夢は 妙にリアルで懐かしくて滑稽で哀しかった。
その中でわたしは泳いでいた。そんな綺麗な海とかでなくて ヒトの沢山いるようなプール。 元々泳ぐことは余り好きでない。苦手。
なのにその夢の中のわたしは 仄蒼いような水の中を そう苦しくも感じずに泳いでいる。 ずっと泳いでいるのだった。
あの
藍
蒼
青
少し水苔の緑がかったような 懐かしい透明な。
わたしのやじろべえは 今とてもバランスが悪くて 歪んで傾いだまま 泣きそうな顔を して いる。
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ゆうなぎ
要領悪いし駆け引きとか そういうのは情けないほど下手。 不器用の一言で済むとは思わないけれども 間が悪かったり タイミングを逸したりは しょっちゅう。
ならば どうせのことに もっと鈍感であればいいと思うのに 繊細とかいう綺麗な言葉通り越して敏感赤剥け神経露出。
最近 言葉が怖くなってきている。 救いだったはずなのに 言葉の諸刃の剣を覚悟で それでも書く事をしたかったししてきたつもりだけど 少し疲れてしまったような気がしている。
小さなことでも不安は高まる。 そっとそっと気をつけて足を下ろしたはずでも 知らずに何かを踏みつけていたら どうすればいい?
雨降り日曜日 心は震える。
そんな上等なモノでないわたしは それでも進むという選択肢しかないのに。
今更 何を失くすのを怯える? どんな誤解に傷つく?
雨降り日曜日
応えはあるはずもなく ただ
雨だけが降り続いている。
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ゆうなぎ
ピンクが好きなわたしだけど 同じくらい 青 が好きだ。
硝子細工の青もいい。 何処までも澄んだような明るい青も 群青に近いような深い青もいい。 ひんやりとした青の透明な手触りに魅入られる。
少し紫がかったような青もいい。 何かを選ぶ時につい惹かれて手に取る色は この色が多い。
雨に濡れた紫陽花の色。 ナミダの粒をひと雫 加えたような セツナサと それでも どこか凛としているような。 美しい と 思う。
空の青 海の青 空が太陽なら海は月だろうか。 そんなイメージがある。
何をするにしても わたしはかなり極端になる傾向がある。 これを病気のせいだけにするのは間違っているだろうけれど 睡眠にしても仕事にしても食事にしても買い物にしても。 ああ・・それでも小心者なので常に逃げ道は確保してある。 そこが姑息といえば姑息。
頭の中のコワレカケた計算機がそれでもまだガタピシと動いている。
基本的臆病と染み付いた貧乏性は治らないだろうと思う。 精一杯思い切ったつもりでもセコセコと常に補填を考えてる。 でも それでいいのかもしれない。 特に今は。
いつか 青に抱かれて眠りたいと 願う。
その時には 焦りも怖れも哀しみも寂しさも全部置き去って
何も考えずに 丸く丸く小さくなって漂いながら
ただ 何処までも続く 青の夢が
見たい。
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ゆうなぎ
去年の年末に買ったお正月用の花。 その中に銀色に塗られた飾りの細い一枝。
これが なかなかに もって 他の花々が枯れてもそのままで だから捨てそびれて水入れた一輪挿しにさして置いてた。
1月が終わり そこに小さな若草色の芽が出てるのを見つけた。
へぇ〜って思った。 スゴイや って。 銀色に塗られた枝では息も苦しかろうに それでもそこから芽を出すしぶとさ。 でも 限度があるだろうな とかも思った。 だってこれじゃ息が続くまい。 枯れてしまうのかな・・と思ったけど 時々水替えしながら そのままいつか忘れてた。
2月 もうすぐ終わる。 ふっと見て今度こそビックリした。 そこには銀色の塗料にもめげずに あちこちから若芽が出ていた。 なんだか 嘘みたいだけど 根まで出てきてて あの 頼りなげだった小さな芽は 今ではすっかりと力強く其処に命を蘇らせていた。
自然の力 命の底力
そんなものを見せつけられた感じがした。
それも淡々と。 ただ当然であるもののように。
自然は強い。 でも其処には人間(ひと)には考えられないくらいの 厳しさもまた あるだろう。
人間は弱い。 でも そんな弱い人間もまた自然の一部なのだということを。
ふっと。
悟りなんか開けない。 わかったように言ったって それは生きる為にジブンに言い聞かせているだけに過ぎない。
ちっぽけな上にまた一段とちっぽけなのが わたしというニンゲンだ。
それでも なんか 100万言の有難い言葉を聞くよりも この目に眩しいような若芽のコトバは わたしの心に響いた。
生きろ
と
ただ それだけ。
生きること
息 を 生きる を すること。
まだ わたしは 生きはじめてもいないような気がした。
いつか わたしも 生きたい と そう
思った。
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ゆうなぎ
時刻は真夜中を過ぎてもうすぐ明け方になる頃。
午前中 子供達を送り出し最低限の家事をなんとかこなし(たのか?) あとほとんどいつものソファーでグッタリ。 ここ2.3日は とにかく昼間から夜にかけて まったく自分が使い物にならない。
風呂にも二日入ってないし必然的に顔も洗ってない有様。 着たきりスズメ。 勿論 掃除らしい掃除もできずに子供達の食事関係だけ かろうじて何とか。 家は荒れ果ててる。
お陰さまで仕事が本決まりになって 今日もやっとこ起きてこれた夜からは それに集中していた。
たった今 一息入れてクライアントさんへの 連絡メールを書き終えた所だ。 まだまだ 先は長くて仕事は始まったばかり。 でも シンドクても わたしはこの仕事が好きだし 仕事があるのは本当に有難い。
まだ自分がほんの些少なりとも何かができるのだということを それで確かめられる気がしている。
不器用なので元々いっぺんにいろんなことができない。 心身が弱ってしまった今は特にそうだ。 だから 仕事が入るのは有難いけど家事は疎かになるし 子供達には寂しい思いをさせてると思う。
細々とでも仕事に繋げたいこととして試みていること それを元にして新しく考えている計画もある。 これもそれこそ休み休みだけど何とかして形にしたい。
正直 こんなに心身ボロボロで調子が悪いのに 馬鹿だなぁジブンって思う。
心は宙ぶらりんで寂しくて痛くて・・いいや もうなんか 痛みってモノ自体すら 何処か虚しいくらいに遠くて それが どうにも哀しくてモドカシクて。
何がやりたいのか 何をやってるのか 半分もうわからなくて でも とにかく往かなきゃ ってそれだけが心の奥から湧き上がる。 ひたすらにその一点だけ握り締めている。
答えは
いつか見つかるんだろうか それとも 答えなんて初めから無いんだろうか いらないんだろうか
わからないことばかりで トンネルは果てしなく続くように思われて。
でもとりあえず 立ち上がる。
足引きずってよろけてまた転んで 性懲りもなく同じ場所にケガしても。
力なんて出ないけど 根性もないけど
それでも とりあえず そう とりあえず この足で どうしてでも 立ちたい。
なんていうか気負うジブンに苦笑い。 でも これがわたしのやり方 なら
なら
往きたい んだ。
生きたい ん だ。
ちっぽけな勇気のカケラでも 抱えて。
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ゆうなぎ
2006年02月22日(水) |
Smile Again |
なんだかとてもとても疲れている。 頭も手も足も鉛のように重い。
それでも
自分の中の1%の希望。1%の生きる力に しがみつく。 しがみつくのを止めたくない。
それはわたしがわたしに誓ったことだから。 わたしに遺された責務だから。
いつか
Smile Again
その日を信じて。
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ゆうなぎ
わたしは多分 ヒトが考えているよりも 単純だし意気地なしだし何よりもそんなに強くない。
そんな綺麗なものでもなければ そんなに優しくもない。
わたしの内側なんて ほんの一言で粉々に砕け散るほど脆い。 実際に傷なら無数についてる。 ただ その傷を見せるのは苦手。 変なプライドでも不器用さでもどうとって貰っても かまわないけど苦手。
傷ならしょっちゅう付けられてる。 けど 見せないだけ見せたくないだけ。 それは わたしが わたしの心を守る為に覚えた術。 そうでないと生きてこれなかった。 生きていくというのを選択した時点で 生きられません はい サヨナラ なんて 甘っちょろいこと言える余裕なんて無かった。
人様がどうだかは知らない ただ それが”わたしの”現実だった。 それだけ。
誤解もボタンの掛け違いも ある程度まではそれでも修正したいと思うし 努力もする。 でも今のわたしにはそれ以上の努力をできる気力も余裕も 無い。
わたしもまたわたしを守るのに必死なんだ。 だから それを最優先する。
失くして 平気なわけじゃない。 痛くないはずが無い。
それでも生きていかなきゃならない以上は 仕方ない と 去っていく後姿を見送るしかないだろう?
それでも
傷ついた同じ分 傷つけていること
それだけは 自覚しているつもりだし 忘れてはいけないと思っている。
痛みは自分ひとりだけのものじゃないことだけは
忘れたくないと思っている。
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ゆうなぎ
「ある晴れた日に」
消したものではなく 消えたものでもなく
自然に溶けていけたらいいな
そうして 残るのは 優しい想い出だけがいい
暖かい春のこんな日に おひさまに目を細めて ふと
わたしを 想いだしてね
いつか
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ゆうなぎ
久々に遠方より親友がこちらでの仕事の帰りに訪ねてきてくれて 短かったけど とても楽しい時間が過ごせた。 その後 子供達と実家へ行って泊まり そうして夕方というか夜に帰ってきた。
週末が終わり また新しい週が始まる。
Kにかなり寂しい思いをさせていたから そこから ちょっとギクシャクがあった。 電話をして話した。 根本的なスタンスは変わらなくとも 話せたことはやっぱり良かったと思った。
ここ数ヶ月はわたしにとって辛い時期になる。 でも それも仕方がない。
ヒトは わたしが頑張っていれば好いてくれるけど 例えば ありのままの わたしを 死ぬほど欲しがって 執着してくれるヒトがいるかというと 今までもいなかったし今からもそんなヒトは現れないだろう。
わたしは白馬に乗った王子様を信じるほど もう若くないし お伽話を夢見るほど純粋でもない。
実際 望んだわけでなくとも こういう巡り合わせの人間もいる ただ それだけだろう。
人生はそんな公平なものじゃない。 これもまた今更 当たり前のこと。
有難いことにクライアントさんから返信をいただき 仕事になりそうな気配だ。 本当に有難い。人様からすれば 副業の域でも わたしには唯一自分が仕事としてできることだから。
また同時に仕事の変動もある。 基本的な内容に変わりは無いが 気持ち的に責任は増す。 より一層 貴重な収入源のこの仕事に力を注がねば・・と思う。
同時に新しい仕事の試みも時間はかかってもじっくりと 考えていきたい。 こちらも わたしにとって双璧をなす大切な取り組みだし 計画であるので。
不器用なので結局はこの全力疾走してぶっ倒れるの 繰り返しを止められない。 自分から休むことをするとダメになりそうな恐怖心は消えない。
仕方ない。 諦めているというよりも淡々とそう思う。
仕方ないことは世の中にいくらでもある。
なら 倒れて本当に動けなくなるまで 何度でも 全力疾走するしかないだろう?
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ゆうなぎ
昨日は・・朝 子供らを送り出して 少し洗濯したけど 後は一度 横になるともうダメだった。 情け無いほど頭が重くてあがらない。 昼を過ぎ 子供達が順々に帰ってきて。 夕食準備しなきゃって思うけど どうしても起きれなくて。
一番上の子に頼んで近くのスーパーまで買い物に行って貰って ご飯だけ炊いてたから 出来合いおかずを買って来てしのぐ。 気力振り絞れども どうにも起き上がれない。
子供達に指示してるつもりの言葉も呂律が回らなくて 子供らから「お母さん 何言ってるのかわかんないよ」と 言われる始末。それでまた凹む。
いつもの夕食時間を1時間以上過ぎての夕食。 やっとのことで起き上がって一緒に出来合いのおかずにご飯。 気持ちインスタントラーメン付ける(あんまり意味無いかもだけど)
子供達寝かしつけてやっと動くようになった頭で こうしてPCの前にいる。
今日もお風呂持ち越しになると思う。 クライアントさんへのメールして仕事に入るための下準備も しておかなきゃだし 色々したいことやっておきたいことはある。
母に言わせると「身体壊しちゃ仕方ないんだから」ってことで それはその通りだし心配かけて申し訳ないな・・って思うけど これは性分もあるんだと思う。 何かしてなきゃ 動いてなきゃ ダメになりそうな。 止まったら自分が壊れそうな。
休みたいって誰よりも思ってるのに ものすごいその辺は矛盾で自分でもどうしてだろうと思うけど。
これは自分が何とかしなきゃどうしようもないっていう 目を瞑りたくてもどうしたって瞑れない現実ってものが あるからかもしれない。
泣こうが喚こうが時に手からぼろぼろと零そうが せっかく得たものを力不足で失くすことがあっても それでもとにかく選択肢は「生きる」なので。
気負うつもりはないけど っていうか その気力もないってのが現実だけど それでも とりあえず気負いでもなんでもしてみる。
哀しいとか苦しいとかキツイとか言葉を呑み込む様になったのは 平気になったからでも慣れたからでもなくて 口にすればしただけ それは余計に心を重くしてしまうからだ。
わたしの精神は強いようでもかなり脆いし それを誰よりも自分が自覚しているから すぐに傷つくココロに鎧を被せている。 脱げば確かに身軽になるだろうが その代わりに一つ一つに過敏反応してパニックを起こし 耐えられなくなるだろう。
だから鎧脱がない。 繰り返す言葉でまた傷つくから それならと呑み込む。
臆病者の小心者だと思う。 でも それがわたしで それを認めて 其処から往かなきゃ 結局どうしようもない。
本当は一番いいのは身動きを止めて ただひたすらにじっと息を潜めていることなんだ。 そうすれば 変わらない代わりに失敗することもないから 傷つくことも ない。
正直いうと 一人ならそうしていたかも って思う。
ただ たまたまだけど わたしはそうじゃなかった。 守るとか守らないとかも気負った言葉だし 別にどんな言葉で表してもいいんだけど とにかく わたしは その選択ができる立場じゃなかった。
ほんとうにたまたま。 この道にいたというだけだけれども。
だから 多分 これからもこの手からは ぼろぼろと 零して落として失くしてしまうんだろうなと思う。 そのたびに 傷つきもして でも なんかもう言えないから 下向いて呑み込んで。
勿論 返り血も浴びるだろう。今だって浴びてる。 痛みの印。
結局 矛盾だらけでも往くしかない。 往ける所まで。
さて また朝が来る。
明日を紡ぐ為に 今日を生き延びよう。
誰もがそうしているように
また わたしも。
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ゆうなぎ
後輩のコがお参りに来てくれた。 これは毎月一度 月命日の前後には ほとんど必ずと言っていいほど。
彼女はとても真っ直ぐでイイコだ。 責任感もあるし 気持ちも純粋でとても優しいコだ。 だから 遺されたわたし達が心配で堪らないんだろうし 自分の責務のように思ってくれてるんだと思う。
それは承知だけれども とても有難いことだと思うけれども
ただ 正直言わせてもらうと かなりシンドイ。 やっぱりお参りにきてくれるとなれば それなりに 掃除や片付けもしなきゃ・・となる。
いや それはまだ良いにしても 彼女 長いんだ。滞在時間がいつも。
今回も夕方4時過ぎに来て帰ったのは夜の10時だった。 お参りの後 お茶を出してお菓子出して。 写真見て涙ぐむのを 慰めて 聞いたり話したりして 6時になって子供達が帰ってきた時点で どうしようかな・・と 正直困った。
何気なく そろそろ夕食・・ってことを匂わせるけど 腰をあげる気配がない(苦笑)
「何も用意がなくて鍋だけど 良かったら食べていく?」って 言ったら 「ハイ!すみません!^^」って 元気のいい返事が返ってきた。
こうなれば・・と腹を括って 食べていってもらうことにする。 7時食事開始。
子供達はお姉ちゃんが来て楽しそうだ。 食事の後 一緒に遊ぼうとか 挙句の果てには 泊まっていけばいいのに とか恐ろしいことを言ってる。
わたしは内心クタクタだし 泣きそうな気分。 なんで余計なことを・・・と子供らを恨めしく思ったりしてしまう。
正直 今のわたしは よほど気心の知れたヒト以外は 家の中に長時間いられるのは どうにも落ち着かないし 気になってトイレにも(自分ちなのに)入れないような始末で はっきり言えばかなりのストレスなんだけど・・。
食事が終わったのが だいたい8時くらい。 お風呂もあるのに・・って気になるけど それから トランプとか始めてるから。
一応 「お姉ちゃんも明日お仕事があるから無理言ったらダメよ」と 言ってみるけど 「あ! 私なら大丈夫ですから!^^」と 元気のある返事がまた返ってきて それ以上言えなくなる。
さすがに9時になってくると わたしにも限界。。 本当は失礼なことだけど薬のせいも疲れのせいもあって 眠たいというかきつくて仕方なくなる。
耐えられず食卓にうつ伏せ状態。
でも 気づいてくれない(泣)
さすがに10時近くなった時点で 「もういい加減で寝ないといけないし お姉ちゃんも明日がお仕事だしね・・」と 声をもう一度かけて さすがに この時間 腰を上げてくれた。
外まで送りに出て 気をつけてね・・と言って車が 見えなくなったら一気にグッタリ。
結局一日PCの前に座れなかったから メールチェックだけでも・・と(仕事連絡の関係上) してるうちにウトウト・・・ 気がつけば真夜中過ぎ・・もうすぐ明け方・・ で そんな時に限って新しいクライアントさんから メールが入ってた。
クライアントさんへのメールは とにかくなるべく早くが原則。 多分 今日一日はグッタリして下手すると昼ぐらいまで自分が使い物に ならないだろうと思ったから こうなりゃ 早めにと返信を考えて 書き上げる。
クライアントさんとは最初が肝心なので かなり細かくわかりやすく メールを書くように心がけているので時間が小一時間はかかる。
で それが済んで・・もう此処まできたら 布団で眠ったりできる時間じゃない。
子供らの用意しつつ起こして ああ それにしてもお風呂入らなかったから (2日目だ・・)頭痒くて気持ち悪い・・。 多分 子供ら送り出して最低限の洗濯して寝れたらしばらく枕から 頭上がらないと思う。
それ思うと布団で昼寝できるか微妙だな。 起きれないと困る と思うとそこでセーブがかかって眠れなくなる。 かといって 眠剤飲めば 完全に昏々と眠って起きれなくなるから これは却下。それはマズイ。
難しいね。好意。 良かれと思って一生懸命してくれてるのが わかるだけに言えなくなる。 ハッキリと言わないと・・って言われても 何気なく匂わせて察してもらうように・・と それが わたしには精一杯で。
せっかくの気持ちを傷つけたくない というのはある。 わたし自身 彼女のことを好きだし せっかくの良い関係をこじらせたくない・・・ それに これは申し訳ないけど もうゴチャゴチャする気力がない。 言葉は難しいからこじらせてしまうと それでなくても限界の 神経を消耗させて疲れる。 利己主義な言い方になるけども わたしなんてその程度の 小心者だし。
とりあえず そろそろ子供ら起こして 用意させて食べさせて それから無事送り出して。
ああ・・最低限の洗濯。 お風呂入りたいけど多分気力ないな・・。 少し横になれたらいいけども・・。
ということで 朝準備に行きます。
まぁ 日々色々あるってことです。
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ゆうなぎ
真ん中の子は朝が弱い。
元々虚弱体質で病気もよくしていたし 少し低血圧気味というか・・・ それもあったので朝の調子の悪さも 精神的なことだけじゃなく原因があるんだろうかと 総合病院の小児科で一通り検査してもらったことがある。
結果はやっぱりかなり高いアレルギー値が出て お医者様からもこれだけ高い値がでているし 他の検査結果からみても 本人がきつがるのも無理ないですねと言われた。
だから ガッコウイキタクナイ が出てくるときは それも関係してるんだと思う。 頑張りすぎた後 張り切りすぎた後 それに精神的な不安感とか寂しさが加わった時に それは出やすくなる。
ただ だからといって そのたびに無条件に休んでいいよ では やっぱりダメだと思うんだ。 時にはどれだけしんどくても頑張ることだって これからの人生には必要なことだと思うから。
その日も朝 起きれなくて きつそうだった。 でも熱を測ってみても熱は無い。 だから 今回はかなり厳しく言って強引に起こして 急きたてた。 それでも もう遅刻確実な時間。
本人は何とか休めるかなと思ったかもしれないけど わたしはそこで 「休むなら休むと自分で学校に電話をしなさい。 遅刻してでも行こうと思うならちゃんと自分でそれも電話して 先生に伝えなさい」と言った。
今までそんなことを言ったことは無かったから 子供もびっくりしていたようだったけど さすがにわたしの迫力に自分で電話をして遅刻することを 伝えていた。
ノロノロとだけどもコートを着て 食欲無いというので 牛乳だけでも飲ませて 靴履いて 元気ない声「いってきます・・」
わざとこっちは元気な声で「いってらっしゃい!」 で 「ちょっとお待ち」 って呼び止めて 頑張れるオマジナイのチュゥ
少しだけ笑顔。 足はそれでも重そうだったけども。
玄関を閉めて送り出したら 窓に直行。 見えなくなるまで小さな後姿を見送る。
それから大急ぎで学校に電話。 先生に今家を出たことを伝えて 朝の様子を伝えてお願いする。
これは子供には知らせないけど 影のフォロー。
何気なく食卓のテーブル見たら 丸められた小さな紙切れがある。 ゴミかな?って思って捨てようとしたけど その前に 大事なものだといけないから 確認。
”おかあさんへ
今日はいっしょにいたかった”
名前が書いてあって 多分言えなかったメッセージ。
いじらしくていとおしくて。 そうだね、お母ちゃんも一緒にいたいと思うんだよ。 でも でもね 今日はそれしちゃダメだって思ったの。
いつも無理しろとか頑張れとか言うつもりないんだよ。 だけど いつも逃げてばかりで良いわけでもないとお母ちゃんは思う。
今日は頑張らないといけない日だったからね。
そわそわしながら帰りを待って どうだったろうって心配していたら 元気な声で 「ただいま〜!!」
そうして照れくさそうに 「あれ 読んだ?」
うん読んだよ って答えたら 「でもお母さんが言う通りに学校に行って良かった」 って えへへ と笑った。
「今から 遊びに行ってくるね〜!」 だって。 まったく お母ちゃんはこんなにウルウルしてたのにさ!
でも良かったよ。
子育ては迷いばかり。 だけど やっぱりこんなお母ちゃんなりにでも 伝えておきたいことはある。
へたくそな字で書かれた紙切れメッセージは 未だ捨てられずに こっそりと
お母ちゃんの秘密の宝箱に
しまいこまれている。
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ゆうなぎ
また通じ合えた。
それが嬉しい。 それがただひたすらに嬉しい。
心を覆っていた重いものが拭い去られた。
単純と言われてもいい。
わたしは単純でいい。
失くして戻らないものはどうしたって戻らない。 けれど こうして解けていくものもある。
生きていてこそ だと 思う。 だからやっぱり生きることを諦めたくないんだと
諦めたくないんだと
わたしはきっと。
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ゆうなぎ
痛みのカタチは それぞれに違うから ある人には何でもなく気づかずに通り過ぎていくような風でも ある人には傷を負うようなカマイタチであり得る。
きっとだから 難しいのだろうな と思う。 意図せずにでも 人は人を傷つけられる。 誤解も思わぬ方向から不意打ちのように生まれる。
わたしは基本的に臆病な小心者なので 傷つけることもそれによって傷つくこともしたくない。 だから自分なりに一部の人からは考えすぎだとか 気を遣いすぎだと言われるほど神経を張り巡らしてしまうところがある。
それでも皮肉なことにそれが逆効果になることがある。 これはなんともやりきれない。 正直 とても堪える。
去っていく人は みんないつも わたしにその人たちの ”そうであって欲しいわたし”を重ねているように思える。
でも わたしはこの通りの不器用者のわたしなので 失望されるのだろうと思う。
わたしはわたしで はっきりいって何も変わっていない。 勿論 いい方向に変わっていきたいと思うし その為にできることはしたい・・しなければ と思っているし また そうでなくてはこの現実の毎日を生き抜いてもいけない。
だから その為のことはする。 わたしにも守らないといけないものがあるから。 その為に生きることにしがみつけているのだから。
痛みのカタチはそれぞれだと書いた。 だから 自分の痛みが一番痛いなんていうつもりはない。
でも わたしだって 痛いのだということ。 充分に傷つきも疲れもしているのだということ。
去っていったヒトにわたしはわたしの傷も見せてきたつもりだ。 それは相手のヒトもそうだったように わたしにとっても とても 苦しい辛いことだった。 でも わかりあいたかったから だから できる限り曝け出してきた。
でもみんな最後は「あなたには わたしの痛みは所詮わからない」と 言ってわたしに失望して去っていく。
確かに どれだけわかりあいたくても 100%いやもっとかもしれない。 心の闇の部分 痛みの部分 傷の部分を完全にわかりあうなんて その人自身にならない限り無理なことだ。
だから そのヒトたちの痛みがわかるなんて わたしには とてもじゃないが言えない。 でもただ 少しずつでもわかりあえたらいいなと思ってきた。 いや わからない痛みの部分を含めて 信じあえたらいいなと 思ってきた。
でもそれじゃ ダメだったんだろうな・・と。 必要なのはあくまで その”相手のヒトの思ったイメージ通りの反応をするわたし” なのだから。それは無理というものだ。
最初から言っているようにわたしはそんなにできた人間じゃないし 文字通り 小心者のヘタレだ。 だから せめて どれだけ不器用な形でも 馬鹿がつくほどでも自分を見せると決めたヒトには 出来る限り曝け出し真正面から向き合いたかった。
でも
みんな忘れてる。 みんな考えてはくれない。
わたしにも傷があること。 わたしも痛みを抱えていること。 わたしも今なお苦しんで病んでいること。
別にいいんだ。 それは もういいんだ。 いつも結局 わたしに求められるのは 受けとめる役だから。
それは思い知っているから。
だから わたしは受けとめられるものは受けとめたいと そう思ってやってきた。そんなことが出来ると考えること自体 自惚れた傲慢な考えかもしれないけれど。 それでも そうしたかったんだ。
そうして挙句 失望されて去られる。 最初から覚悟しては いる。 覚悟しての これが わたしだし わたしの生き方 だ。
けど最近になって 何だかとても疲れてきた。 力もないのに分不相応なことを思ったから カミサマから思い知らされたのかもしれない。
わたしの痛みの日を知っていますか? わたしもまた どれほどの消えることの無い傷の深さに苦しみ 今も闘っているのかをアナタは知らないでしょう?
アナタの傷の痛みのカタチをわたしが知らないのと同じように。
全部わかってくれとは言わない。 わかって貰えると考えるほど わたしはもう人間に期待はしていない。
だからそれでいいから それなら わたしにも期待をしないで。 わたしだって投げつけられた言葉に平気なわけじゃない。
失望したと引っ込める手なら最初から伸ばさないで。 わたしに必要以上に触れようとしないで。せめて。
わたしは こういう 人間です。
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ゆうなぎ
今夜は夜に子供らと久々にビデオタイム。 撮りためていた「サムライ7」を。
みんなで布団敷いた中に潜り込んで 両脇には末っ子と真ん中の子 ピッタリくっいて 物語にドキドキハラハラ。
26話完結で元は黒澤明監督の「七人の侍」 アニメ化ということでどんな解釈がされているのか 興味あったし とにかく一番上の子からの強烈な お勧めがあったので腰を据えて見ることにしたんだけど そのうちにわたしの方がすっかりとハマってしまった。 途中で一旦止めるつもりが結局最後まで一気に。
末っ子と真ん中は途中でくうくうと寝てしまったけど 一番上はわたしと一緒に熱心に観てた。
このアニメ、元の映画の魂のようなものはしっかりと 残しつつ それでも 思い切って背景設定を変えたことで より新鮮に物語として新しい命を吹き込まれたという気がした。 下手になぞろうとするよりも よほど「七人の侍」の魂が 描かれていて 暫し その世界に心が旅していた。
サムライも農民も商人もそれぞれが 生きて いて。 生きようと していて。 それぞれのやり方で それは 時に したたかに 時に 哀しいほど懸命に。
結末はハッピーエンドというには厳しく。 それでもニンゲンというものの逞しさと だからこその希望の欠片のようなもの。
わたしは最近では そういう その作品に入り込んでしまうようなものに関しては 本でも映画でもアニメでも避けていたんだけれども これは それでも観てよかったとそう思えた。
シビアな世界だ。
時代は変わっても人間が生きていく上で 形は違っても厳しい現実が あることには変わりは無い。 悩んで迷って躓いて転んで怪我をして 時にすれ違い傷ついて傷つけて。 そうしながらも それぞれに それぞれの道を それぞれのやり方で往くしかない。
息をするということさえも どうにも苦しくて 仕方ないような時もやっぱりある。
完璧からは程遠いニンゲンである以上 努力はしても全てを背負い込めるはずもないし そう思うこと自体が見当違いの驕り以外の何物でもないだろう。
ただ だからといってやっぱり最期の最期で踏ん張りたいと 諦めたくはないと 思うんだ。
わたしは わたしの道を 往こう。 この道は わたしにしか 往けない道だから。 わたしも 他の誰かの道を代わりに歩くことができないように。
潔くは なりたくない。 大いに ごねて騒ぎ立てたいと思う。 その気力さえなくなってもグジグジとしがみついてやりたいと思う。
この 生きる ということに。
わたしなりに。
最期まで。
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ゆうなぎ
色々な特別な日がある。
アノヒトに関わるそんな日は 懐かしさとか切なさとかいうには もっと まだ 生々しい。 わたしの精神を不安定にさせる。
また そんな日が近づいてくる。 もうすぐ その日がくる。
考えすぎるなとか もっと前を向いてとか
その言葉は多分 とても正しい。
けれど 正しいことがいつもその通りにできるとは限らない。
ニンゲンはそんなにキッチリと切り替えも割り切りもできないことを その言葉を投げかける人々も知ってはいるのかもしれない。 ただ他にかける言葉が無いからそういうしかないだけで。
末っ子は未だ 実はこっそりと甘えん坊で 一日何回も 抱っことチュウをせがんでくる。 実は 真ん中も まだまだ 甘えたくて 独占欲の強い末っ子の目を盗んで こっそりと 抱っことチュウをしてる。
それでも可笑しいのはどちらも外に向けては そんなこと おくびにも出してないことだ。 あくまでも これは秘密。 甘い甘い オカアチャンとの秘密。
さすがに一番上の子はそういうことはないけども この子はこの子で カエルの子はカエル。 書く事が好きで本が好きで。 しっかりとオタクの血は母(わたし)から受け継いでいる。 いつの間にか気の合うオタク仲間(笑) 一緒に気に入ったビデオを見ようとか書いたものを読んでみてくれとか そういう意味ではこの年頃にありがちな断絶は有難いことに無い。
三人三様。
大きくなった。本当に。
でもやっぱりみんなまだ子供。 下の二人にまとわりつかれて重くなった身体を抱っこ抱っこチュウ。 サンドイッチに挟まれて足を絡めて眠る布団の暖かさ。
この温もりに わたしは何度救われただろう。
心が疲れたときはすっかり重たくなった温もりをぎゅうううっとする。 ヨシヨシとまだ小さな手が背中を撫でてくれたりする。
抱っこ抱っこしてもらってるのは ほんとは わたしの方なのかもしれない。
小さなナイトたち。
ほっぺにほっぺをくっつけて髪に鼻をうずめて わたしは ひなたの匂いを嗅ぐ。
そして おはよう と 今日をまた なんとか始める。
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ゆうなぎ
考えすぎれば辛くなり 考えなければやってはいけない。
進めど退けども迷いは消えずに 恐れと不安は付きまとう。
焦る身体は鉛の重さ 逸る心は金縛り。
宙ぶらりんで この身は揺れる 運命(さだめ)の糸を絡ませて
生きる と書く手の 不器用さ
***
病院へ行っていつもの薬を貰ってきた。 いつの間にか慣れた手つきでパッケージから 出して確認して。 それは もう わたしの一部だ。
虚無に支配されそうになっている自分を かろうじて踏み留めている。
ゆうなぎ
2006年02月09日(木) |
いろいろなこと。それだけのこと。 |
今日は 昼間 ほとんど暇さえあれば眠っていた。
子供達を何とか送り出した後 水だけ飲んで顔も洗わずに。
PCの前に座ることもどうしてもする気になれずに ソファーに枕と掛け布団を持ってきて 読みかけていた現実世界とかけ離れた設定の ミステリー本 片手に。
こんな時は1時間もあれば普通なら読み終える本でも 数ページ読みかけて すぐに瞼が落ちる。 細切れの夢ばかりみて うなされては起きていたようだけど 思い出せない。
当然 掃除もできなかったし 洗濯物の山は相変らず減らないままで ごくごく最低限の下着とか靴下とかそういうものだけが 細々と干されてやっとこ乾かされている。
仕事メールのチェックしておかないとな とか 子供らの学校からきている手続き更新の書類を 書いて出すために役所に行ったりもしなきゃだし 郵便局に銀行 引き落としの確認と 引き落としにしていない分の払い込み。 年度末は色々な意味で神経を使う。
確かに母子家庭であることで守られている部分というのは あるし それはとても有難い。特に医療面で。
特にウチのように子供が多くてケガや病気が多い上に 母親の稼ぎが情けなくも充分でない場合は申請して受けれるものならば とにかく可能なものは受けさせていただく。
但し 行政もそうそう甘くはない。 当たり前といえばそうだけれども 更新は1年ごとだし そのたびに証明書類の類が必要になる。 証明書類をそれぞれにとってから 学校なり役所なりに提出する。 これをしなければ勿論 その援助なり免除は受けられなくなる。 忘れていました とか うっかりして・・とかいう言い訳なんか 通るはずも無い。
引き落としにしているもののチェックも定期的に ちゃんとやっておかなければならない。 下手をすれば二重取りということも現実にありえる。 現実に二重引き落としにあった時は あちこちに電話して確認して・・とややこしい目にあって 疲れ果てた。 が それでも1円たりとも 無駄に取られていいお金はないから それからは一層しっかりと確認が癖になった。
適正や状況や好むと好まざるに関わらず 自分が守らなければどうしようもない。 それは 守るものがある という現実を自分で 選んで生きる以上 有無を言わさずに目の前に突きつけられる。
正直 それでも 今日は動けなかった。 明日 病院の日なので その時に全部外向きの用事で 現在済ませられるものは まとめて済まそうと それを言い訳にして1日を過ごした。
病院もどうかすれば 気の重い要因になるが それでも良くも悪くもこの滑稽さすら伴う生真面目さ 予約した以上 行かねばならない という義務感。
そのおかげで外に出る回数を1回増やせている。
Kに逢った後は どうしても精神的揺り返しがくる。 それは多分 どれだけ楽しくてもそれがつかの間の休息でしか ないことをその時間が楽しければ楽しいだけ思い知るからだろう。 それでも其処で一時でも休ませてもらえるわたしは幸せなのだろうなと 思う。それを認めなければいけないのだろうな と。
休憩所がなければわたしはもっと早くに潰れてるだろう。 それでも休憩所は何処までいっても一時休憩所でしかないんだ。 それもいつまで在りつづけてくれるのかも定かではない。
いつも運が良ければまた行き着けるだろうか・・と思いながら その場所を後にする。 そうして わたしの戦場に戻る。たった一人これからも闘い続ける。
それと これは一応公開日記の場であるから お詫びの意味も込めて書いておきたいのだけれど これを他人様が読めば 大変傲慢不遜で不愉快になる部分も 多々あるだろう。
でも これは わたしの日記でわたしのモノガタリだから その辺は 読み飛ばすか こんなヤツの日記は二度と読まないぞ と 決めて心で静かに抹消ボタンを押していただければと思っている。
と なんか気負って書いてること自体が小心者の証拠というか なんというか 蛇足の親分みたいな感じだけども。
一日一日で気持ちは持ち直してみたり激しく落ち込んだりする。 原因の自分でもわからないような怯えや神経不安症に虚無感。 一応でも取り繕おうとしている仮面の下では 例えようのないような感情で 気を抜けば 全てを投げ出したい衝動に駆られていたりしている。
不安定に ものすごく不安定になる そんな時期なんだ って。 言わないし 言いたく無いし 気づいてくれない方がいい けれども そっとして欲しくても そっとはどうしてもして貰えない そんな。それは多分 わたしが生きている限り 続く こと。 だから。
諦めそうになって 何度も諦めそうになって いや ある意味 諦めては いて
それは誰がなんと言っても。 どんな正論を投げかけられても 感動的な言葉を述べられようとも
だって 口でいうのは簡単。 でも 消えない傷 というのは やっぱり ある。
それでも 選択した。 生きる と いうこと。
結局は それだけのこと。 それだけのこと
だね。
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ゆうなぎ
考えすぎるとか気にしすぎるとか気を遣いすぎるとか そういうのは若い頃から親に良く言われてきた言葉だ。
確かにどんなことでも しすぎると なんていうか そこで無理な力が加わって歪みが自分の中に出来てしまう気がする。 本来の意図して目指した方向から下手すると 真反対に向かってたりしてる。 で ふっとそれに気がついて唖然とする。 コンナハズジャナカッタ。
そこでまた落ち込む。 そこからまた考え出す。 流しておくとか一旦置いておくとかできずに 変に生真面目に突き詰めようとする。 自分で自分を追い込む。難しく難しくしていく。
負っても仕方の無い責任まで背負い込んでしまう。 それは一見 誠実そうだけれど 結局は自分の自己満足だろうし それができると思うこと自体が驕りでしかないと やっと少し思えるようには なってきた。
長年染み付いた習慣というか心の反応は そんな簡単に理屈通りに変えられはしないけど。
難しいな・・と思う。
生きることって難しいなって思って でも 生きることってもっと本当は シンプルなもののはずなのにね って そんなふうにも思ったりする。
親友たちにこの日記のことを打ち明けた後の 彼女らの反応 本当になんていうか やっぱり らしかった。今更 水臭いとか情けないとか 勿論 怒られた(笑) で 読んでくれてしっかりチェック入れて あそこのあれは?って突っ込まれた。 で 笑い飛ばす。仕方ないねぇ〜ったく〜って。 あ やっぱり?
彼女らとはもう6.7年にも及ぶ長い付き合いになる。 それこそ このネットの世界で出会って リアルにかなり頻繁に 会っているコもいれば 写真交換でお互いの顔は知ってても 電話とメールやメッセとで未だ実際には会えていない遠くに住むコもいる。
それでもお互いにこの長い年月、時には音信不通になったりが ありつつも不思議なことに親友で在り続けてきた。 今じゃお互いに血こそ繋がっていないけれど姉妹だと思ってる。
だからある時は真剣に怒ったり心配したりもする。 もちろん怒られたり心配かけたりもしてる。
わたしにとってこういう関係を築けることってすごく 珍しいというかめったにないことだ。 というのも わたしは心のガードがかなり頑なな人間だからだ。
気の遣い方の配分が下手で余計な力が入ってしまう・・というのは わたしのもう染み付いてどうしようもない部分で
だからそういう意味でこの親友、いやネットの姉妹たちとだって 最初はお互いにそういう部分がなかったわけじゃない。 それでも この長い年月で お互いにお互いのそんな鎧は いつの間にか解けていった。
本音でぶつかり合う。本気で心配するから 本気の言葉が出てくる。 でも それで手を離すかっていうと そうじゃない。 おかしなもので みんな どんなに怒ったりしてても 手を離す・・という選択肢が そこに 無い。 これってなんか スゴイなって思う。 信じて信じられているっていうこと。
もうずっと以前に わたしは学生時代からの親友 (とわたしは認識していた)に 連絡を途絶えさせたことやわたし自身の至らなさから 去っていかれたことがある。
それからも わたしという人間に失望して去っていかれた 人は幾人もいる。 みんな わたしにその人達から見たわたしを重ねていて でも 勿論 わたしは良くも悪くもわたしでしか在りえないわけで。
失望されて去られることは かなり堪える。 わたしは こういう人間ですよ・・と伝えてあって それを受け入れてもらえたと信じて心を開いてみたら やっぱり思ってた人じゃなかった・・って言われるわけだから。 これは かなり堪える。
わたしは 去っていくひとは追わない。 誤解があれば正せるだけ正したいとは思うのでその努力は 出来る限りはするけれど それでもわかってもらえなければ 仕方ないな・・と思う。 考えていたより以下の人間だったと言われれば とても寂しいし とても傷つきもするけど でも ごめんなさい と謝って見送るしかないと思っている。
わたしの今の最優先は とにかく 自分自身が生き抜く と いうことなので。
ネット姉妹たちとはこの長い年月お互いに支えられ支えあってきた。 お互い悪口?は公然と言い合ってるし 勿論筒抜けでそれも可笑しい。 それでも それは親身に心配したりこの年月でお互いのことを 見てきてわかりあってきたからこそできることなのだろうと思う。 みんなそれぞれに 壮絶な人生を生きてきている。 重荷も背負い 傷つきもし 痛みも知っている。
まったく腐れ縁だよというと大ウケして まったく!と 間髪を入れず返ってくる。 今更 手を離そうとしてもワイヤーみたいな太いロープで みんな繋がってるから無理だね!って言い合って 確かに!ってお互いに妙に納得してる。
例えばどれだけ怒ろうがケンカしようがこの手は離さないからね! そう言われて言って それが とても嬉しい。
不思議な吸引力で結ばれたこの絆に わたしは感謝している。
ちなみに歳の順なので わたしは長女になる。 頼りなくどこまでも危なっかしい長姉ではあるけれども。
これ なかなか照れくさくて面と向かってはいえないと 思うから此処に書いとくよ
あのさ
ありがとう。 そしてこれからもよろしく。
愛しの妹たちへ
心配ばかりかけてゴメン の ねーちゃんより
--------------------------------------------------------- ゆうなぎ
過ぎていく時間。
止められるはずもないのに。 それはいつものことなのに。
あと15分もしたら この席を立って それから一緒に改札を抜ける。 来た道をまた戻っていく右と左に。
クリームソーダ越し 浮かんでは消えていく泡粒の向こう そのひとの姿を頬づえをつきながら ぼんやりと見ていた。
*
わたしの不器用さは今にはじまったことではないし それでも自分なりに精一杯これでも気を張っているつもりだけど ポカっと とんでもない所で抜け落ちることが多い。
それでいいと開き直るほどの根性もなくて いつも自分の中の矛盾点で右往左往している。 滑稽なほどに心はパニックになる。
白状するけど実はそんな時 ものすごく傷つきもする。 バカみたいに傷ついて でもそれを知られるのが嫌で 平気なフリをする。
そのうえ単純だから 笑ってもらえたら それでまたコロリと ものすごく嬉しくなってホッと安心する。
これでいいとは思わないけど これじゃ全然ダメだと自分を責めだしたら どうにも前に進めなくなる。 それじゃどうしようもないから どこかで線を引くしかないんだと思う。
ただ 自分が凶器にもなり得ることを 自覚することだけは忘れずに。
失望も愛想づかしもそれならそれで仕方ない。 そんなふうにその目に見えるのなら その人にとっては それがわたしの姿なのだから。
信じて貰えないのならそれで仕方ない。 結局 それがわたしに対して出された最終結論なら仕方ない。
わたしはわたしにしかなれない。 欠点だらけで間違いだらけだけれども その中で足掻いて それでも精一杯に考えて考えて考えて そうして進んだり立ち止まったり時には 後ずさりしたり逃げ出したり 闘ったり。
わたしはわたしなりのやり方でわたしをひたすら生きるしかできない。
*
手を繋いで改札を抜けた。
エレベーターを上り いつものようにホームまで見送ってくれた。
繋いだ手を 強く握り締めた。
大丈夫だよ。 って言ったら うん。 って笑って 繋いでいた手を もう一度 強く握り締めた。
それからゆっくりと離れて 温もりはそれぞれに戻っていった。
温もりを握り締めてポケットに入れて 新幹線に乗り込んだ。
もう少し もう少しまた
頑張れそうな 気がした。
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ゆうなぎ
もうしばらくしたら今日は出かける予定だ。 でも少し時間があるから此処にふらりと。 ふっと書いておきたいことを思い出したので。
わたしは最近 新しく友人を得た。 仮にPさんとしておこう。
Pさんとは此処で無い まったく別の場所で知り合った。 最初の印象は とても明るいノリのいい人だなぁ〜というものだった。 本人のモットーも「何事もポジティブに!!」でその通りに 常に前向きに考える人だ。
さて 仲良くなるにしたがって当たり前だけど お互いに何モノであるか・・というようなことが どうしても話題になってくる。
わたしの場合 自己紹介は正直とても難しい。 簡単に言えば 夫を病気で数年前に亡くした未亡人 (って言い方もなんだかな〜と思うが)で三人子供がいます。だが それだけいえば返ってくる言葉は判で押したように同じで それは わたしの一番聞きたくないようなものなので それならいっそ と 言わないか 最近ではこの日記の存在を 教えて此処を見てもらうようにしている。
一つにはここは公開の日記であるということ。 だからむしろ昔からのわたしという人間を知っている 親友達(それこそもう既に姉妹のような関係の)に 打ち明けるのには近しすぎて勇気?を要したけれど あまりまだわたしを知らない人にはちょうどいい紹介場所なのだ。
もう一つにはメールで長々と説明・・というのも 説明下手なわたしには難しいし正直それだけで疲れ果てるし 気力が無い。 思い出したくないことをもう一度書く事も 耐え難い。
だからこの時も わたしはPさんにこの日記を教えて 自己紹介がわりに此処を見てくれたらわかると思うよ・・と いうようなことをメールした。
正直 共感はなくても流して見てくれるかな・・と思っていた。 だから その返事のメールが届いた時には本当にビックリというか なんでそうなるの?状態だった。
そこには 日記を読んだこと。でもまったく理解できないこと。 それから かなりズバズバと否定形の言葉が連ねられていた。
これには はっきりいって途方にくれたし参った。 というか すごく落ち込んだし悲しかった。 ああ・・こんなことなら 変に日記知らせずに 例の 未亡人 子供三人 夫病死 だけで いつもの反応に それらしく答えてれば良かった。すごく後悔した。
せっかく楽しく いうなればマイナスの要素を こそぎ落として 彼女と掛け合い漫才みたいにやりとりをしてたのに。
それに見当違いのことでの批判もあったので正直なところ ムッともした。ただメールの返事は冷静にと思って書いた。 誤解は正したかったし 受け入れてもらえないまでも それは違うと思うことには きちんと反論したかったから。 とはいいつつも この時のわたしは かなりというかものすごく 動揺していた。
元々小心者だし人と言い争うくらいならこちらが 言いたいこと抑えてもやり過ごしたい方だ。 議論みたいなのには ほとほと疲れてるのだ。 何しろ 亡き夫側の人々との一件もある。 未だトラウマは深く。人間不信も強い。 お陰さまで?鬱にもなったし病院通いと薬は手離せない。
それでも気力を振り絞って数通メールのやりとり。 それでもラチがあかない。いい加減疲れて限界だなと 思っていた時に
返ってきたメールには
ひっかかりましたね!ふふふ とあって 謝罪の言葉?と共に ワザとわたしを挑発していたこと。 わたしの本音というか本心を知りたかったこと。 人間**さんの生の声を聞いてみたかった・・というような ことが書いてあった。
鳩に豆鉄砲というか・・(苦笑) まさにビックリ箱を開けたみたいというか ビックリカメラで引っ掛けられたというか すっかり1本取られた形だった。 完敗。
っていうか正直腹が立たなかったかっていうと嘘になる。 彼女なりの好意というかわたしに吐き出させてやりたいというような (かなりの荒療治だと思うが)気持ちはわかる。
でもねぇ・・ と これは本人へのその返信に書いた言葉だけど こういうやり方って 鬱の人間には あんまりというか やっちゃいけないよ ってこと。
わたしなんてまだ シブトイ方だしゴジラだからいいけど 心に傷を負った人間にとっては致命傷になることもある。 だってわたしもパニックの発作出そうになってたもの。 種明かしのメール見て涙目になったもの。
極度の緊張感から立ち直るのには時間だってかかったし。
とまぁ そんな調子で でも この1件は無事に落着?して? わたしは ちょっと変わった(といってもいいと思うよPちゃん) 友人を一人得た。
本当にこういうタイプの人というのは初めてなので まさにイタズラ子猫に鼻づらを引っかかれて あっかんべーされた感じ。
このお話 書こうかどうしようかな〜って実はこれでも一応迷った。 (Pさんには無許可だしね) でも あれだけの思い切ったやり方でビックリ箱にしてやられたから こちらもちょっとばかり ビックリ箱を仕掛けて置くのもいいよねと そう思って。 子猫ちゃん、小心者のおねーさんをバカにしてちゃいけませんよ〜 伊達に世間に揉まれてませんからね。
さてさて これ読んだ彼女はどういう反応するだろうか? 楽しみでもあり 怖くもあり・・・
何しろ相手も一筋縄じゃいかないようなので(笑)
でも案外 笑い飛ばしそうな気もするな〜 但し 次のワナを密かに考えつつ。
さて 書くだけ書いたので出かけることにします。
今度はそう簡単にビックリ箱にはひっかかりませんので あしからず(笑)
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ゆうなぎ
難しいこと。 人と人。 気持ちと気持ち。
正解がないから 難しくて迷う。 すれ違って傷つく。
落ち込むだけ落ち込んで 凹むだけ凹んで 自分が信じていたものさえも 本当に信じていいのかわからなくなって。
考えて考えて考えて考えて そうして 思いました。
やっぱり1%の希望があることを信じたい と。
でも これは わたしがわたしに対して思うこと。 他の誰に宛ててでも強制するつもりもありません。
ただ わたしには それがやっぱり必要なのだということ。 それを信じるということが わたしが生きていく中で必要なのだということ。
だから信じたいと思います。 それは 正しいとか正しくないとか そういうのじゃなくて
うまくいえなくてすみません。
でも そう思うのです。
わたしが生きていく為にわたしに必要なことだから。
わたしは生きていかなければならないから。
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ゆうなぎ
2006年02月04日(土) |
誰でもない誰かへの手紙 |
何だかとても疲れている。
元々 わたしという人間は (何度か書いてきたけどお許し願いたい) あんまり弱音とか愚痴を人にいうのが得意ではない。 これは別に立派でも根性があるわけでもなくて その気力がない というか その気持ちをうまく 言葉にして説明するのが下手だからに過ぎない。 上手く伝わらない言葉は大切にしたいひととの行き違いも 引き起こす。
それを何度か繰り替えすうちに それくらいなら 何も言わない方がいい・・という いってみれば逃げの体制というか変な諦めみたいなのが すっかり身についてしまった。
それに感情を上手に説明することはとても疲れる。 相手にとっても愚痴下手(と敢えていうが)の愚痴を 聞くのは苦痛だろうし・・とそこまで深読みもしてしまう。
だから 多分 この日記を始めたこともあると思う。 じゃあ 一人で日記帳に書けばいいのに・・と思われる人も 当然いるだろう。
でも このところのわたしは特に文字を紙に書くという行為にすら 疲れを覚えるようになっていて。 あんなに手紙を書くことが好きだったのに今では便箋を使うことは すっかり稀だ。
字を書くという行為は疲れるけれど 頭の中は言葉や文章で溢れている。 だから このPCというツールはわたしにとっては すごく救いになるものだった。 Web日記もそう。 遺しておきたいこと。覚えておきたいこと。 その時々の感情や想い。
それに此処にいると たまに声をかけていただくこともある。 日記を読んでくださってのことなので共通の想いも多く そのお陰でお友達になれた方もいて感謝している。
ただ 言葉を文字にすることの難しさ。 言葉足りずや不器用すぎる言葉がヒトに対して 誤解を呼び そんなつもりはないのに 傷つけてしまうこともある。
これはどうしても避けられない諸刃の剣であろうと思う。 それは自覚しているつもりだし だから細心の注意をはらって自分なりに書いてきた・・ つもりだ。
それでもやっぱり 行き違いや誤解は起こる。 仕方ないことだと諦めてはいる。 意図しなくてもわたしの書いたものを読んで 傷つけてしまったひとには 本当に本当に申し訳ないと思う。
ただ 言い訳かもしれないけれど わたしもやっぱり精神的に今 あまり良く無いので わたしという人間に失望されて去っていかれることは 仕方ないこととはいえ かなり・・・とても堪える。
こういうことをここに書くと もしもそれを読んだひとを また傷つけてしまうことになるかもしれないが それは許して欲しい。
わたしにはどういわれようとこういう形でしか 今の自分を保つ術がないんだ。
優しい親友達・・理解してくれて見守ってくれている友人達・・・ みんな・・・ごめんね。
みんなの暖かさや支えがなければわたしは本当にもっともっと 早くに潰れていたと思うよ。 これは信じて欲しい。
ただ不器用モノのわたしには うまく言葉にできないことが 沢山あって。
後ろ向きばかりじゃないのはみんなも知ってくれてるよね? ヘタレのわりには笑っちゃうくらいにシブトイし。 気も強いから負けてたまるか!とか運命とかに無謀な勝負 挑んじゃうようなところもあるし 基本的にお調子者だし単純でもある。
どこか 自分には滑稽さが付きまとっていて それは本当にずっとコンプレックスだ。 悲劇のヒロインにはなりたくない っていうよりも 悲劇のヒロインにはなりたくてもなれないキャラクターだから。
でも こんなわたしだけど やっぱり それなりに平気なばかりじゃない。 人から嫌われるのが怖くて 人から去られるのが耐え難くて 人から失望されるたびにやっぱり傷つく。
強い弱いって良く言うけど 多分 誰だってどっちの顔ももってるよね。 だから 自分が強いばかりとも弱いばかりとも 思わない。
ただ ごめん。
わたしも弱っているんだ。 かなりのガタがきてて 神経は多分 みんなが考えている以上に 脆くなってしまっているんだと思う。
許して欲しい。 こんなわたしを。
去っていかれるのは仕方ないと常に覚悟しているつもりだ。 失望されて去っていかれるのには慣れているつもりだ。 結局 信じてもらいきれない ということだろう。 とても哀しいけどそういうことならしょうがない。 ただ 一方的に言葉を投げつけられて去られてしまうのだけは たまらなく哀しい。
追っていって説明はする。誤解を解きたいとも思うからその努力もする。 けれど 今のわたしには それにも限界がある。
それを努力不足だと言われてもどうしようもない。 どう受け取られてもしかたがない。 本当にどうしようもないんだ。
これがわたしの精一杯。
どうもわたしはあまり病んでいるようには見えないらしい。
今まで負ったきた傷、痛み、苦しみ・・・ それは確かに深く刻まれていて消えはしない。 ただそこにあり続ける。 それに目を向けてくれる人はいない。 いや いないと言わせてくれ。 たまにはこんな風に。 もしもそれで誰かを傷つけたとしても。
ねぇ こんなに心の中身は朽ち果てているのにおかしなもんだ。 誰もそれには気がつかない。
でも きっとそれはいいことなんだろう。 それで いいんだろう。
でも でも
時々 とても なんだか とても
堪らなくなる。
何処にも行き場がないようで。
ごめんね。
とてもとても 疲れてしまいました。
生きているけど。 生きて いくけど。
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ゆうなぎ
わからなくなったことが沢山ある。 いいや 今までだってわかっていたわけじゃない。
それでも
そんなつもりでなくても そんなふうに受け取られることがあるんだということ。 そんなつもりではなくても 細心の注意をはらっていたつもりでも この不器用な不恰好なゴジラの指は爪は 知らずにでもやっぱりひとを 大切なひとさえも 傷つけてしまうのだ・・ということ。
それを思い知った。改めて。
昔 観た映画に「シザーハンズ」というのがあった。
両手がハサミのままの時に作った博士が亡くなってしまった 人造人間の青年。
大切なひとを抱きしめたくても抱きしめるとその大切なひとを 傷つけてしまう。だからいくら愛していても彼は彼女を 永遠に抱きしめることができない・・・。 そんなどこかおかしくも哀しいお話。
思い出していた。
繊細な優しい柔らかな指が欲しい。
泣きそうな 泣きそうな気持ちで そう 思った。
そう 願っていた
わたし。
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ゆうなぎ
2月2日の日記を消しました。
ごめんなさい。
ゆうなぎ
週末にKと逢えることになった。
無事に何事もなく逢えたらいいなって思う。 だっていつも何かしらアクシデントがハードルみたいにあって 大抵そこを飛び越えてからしかわたしは休憩所に着けないから。 カミサマはそう簡単に休ませてはくれない。
それでも結果的には休憩所にふうふうと言いながら 息も絶え絶えにでも辿りつく。 もしかしたらカミサマはわたしの持久力を試してるのかな。 まだイケルかどうかとか。 だったら 既に限界値は越えてますから>カミサマ この辺で勘弁してやってください。
何も考えずに たとえ ひと時でも 誰かに自分を預けられるのは とても救われる。
手を引かれてぼんやりと街を歩く。
二人とも見知らぬ街だったその街は もうすっかりお馴染みのものになったけど 未だにわたしは道を全然覚えていなくて
Kはそんなわたしに呆れて 冗談で
「此処で手を離して置いていったらどうする〜?」 なんてイジワルを言う。
そりゃ決まってるわよ〜確実に行き倒れるね〜 答えると 呆れ顔して噴きだしてる。
でもほんとだもん。 ここで放りだされたら多分確実に方向音痴の上に ぼーっとしてるわたしは迷子だな。この歳にして。 う〜む。それヤダな。
手を引いてもらってボンヤリと街を歩く。 本屋さんに雑貨屋さんにPC家電店とか いろいろ一緒に見て歩いて 疲れたら喫茶店とかバーガーショップとかで 一休みしてお茶にする。
なんてことないような ささやかなるひと時。 でも 背負っているものや抱えているものを一瞬でも降ろして ただの わたし という一人のニンゲンに戻れるこの時間が わたしを救ってくれている。
まだこの休憩所に辿りつきたいと そう思えているうちは わたしは何とかやっていけそうな気がしてる。
休憩所は休憩所で いつまでそこにあるのかはわからないけれど また あの場所に辿りつく為に もう少し あと少し
頑張りたいとそう思ってる。
だから 手を繋いでいてください。 しっかりと。
迷子にならないように。
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ゆうなぎ
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