++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2006年01月31日(火) 霧雨の朝

景色を白いスクリーン越しにみるような
深い霧に静かな雨が降っている。

子供達に朝食をとらせて学校に送り出せた。
当たり前のような この事が
なかなかスムーズにいかずに不安定なだけに
それが出来た時は尚更嬉しい。

子供の学校イキタクナイ病はやっと治まってきたように見える。
とはいっても まだどうしてもダメな朝というのはあるんだけれど
それは 仕方ないって思っている。
完璧に全てを・・と思うと親も子も苦しくなる。
ましてや大切なのは自分の中で道を見つけることのはずで
なんとしても学校にイカナケレバナラナイ ということでは
ないはずだから。

こう思えるようになったのは多分 自分もまた
まだ道を探し続けているから。わたしも同じだからこの子達と。


昨夜はお得意の手抜き鍋。

一応手抜きなりに昨日は鶏ミンチボール鍋、今日は豚肉と
バリエーション(っていうほどじゃない)

何よりもコレのいいところは次の日の朝。
あらかたすくって出汁だけ残ったのに味付けして
卵入れて雑炊出来上がり。

コレすると子供達はオカワリ連発ですごく食べてくれる。
土鍋いっぱいに作った雑炊は見事にカラッポになる。
だから お母ちゃんもついつい鍋好き(笑)


このところ どうにもやる気がでなくてダメダメぶりに
磨きがかかる一方だったけど 
ひとつ、自分なりに決めていた大きなチャレンジを
やり遂げることができて
何だか俯いていた顔が ほんの少しだけど 
あげられたような気がしている。



子供達が傘さして行く後姿 見送りながら
こんな霧雨の日には いつのまにか 思い出の中に
迷い込んでしまう。



そういえば 

いつも わたしは悪阻が酷くて妊娠2ヶ月目とかから
食べ物をほとんど受け付けなくなってしまうので
三人が三人とも入院・点滴のお世話になって
産むまでに10キロとか体重が落ちるんだけど
その後 盛り返して また妊娠すると悪阻地獄(苦笑)
で また10キロ痩せて・・

今?リッパにお肉のついたオカアチャンですが。
過食と下剤依存のヒト。

不妊治療も経験した。
あれも辛かった。でもわたしには必要なものだったんだろうなと。
だから子供達ともこうして逢えた。
子供のいるいないは それぞれの生き方だし 
どちらがいいとか悪いとかじゃないけど
少なくとも わたしには必要だったと思うから
授かったことに感謝している。
この子達がいるから今曲がりなりにも此処にいる。


過去を振り返れば いろんないろんなことがあった。
辛いこと苦しいこと多分思い出していけば
一晩中愚痴っても足らなくなりそう(苦笑)
不思議と人間って苦労したこと辛かったことは
忘れないもんだ。

幸せや楽しかったことも沢山あったはずなのに
傷の痛みのインパクトの強さで霞んじゃうのかもしれない。


でも

確かに優しい日々もまた その時々に寄り添ってあった。
それを 忘れてしまいたくない。



いっぱい抱えてるいっぱい背負ってる。
多分 みんなそれぞれの荷物。見えないだけで。

道は遥かに遠い。
この濃い霧の向こうの景色みたいに薄ぼんやりと霞んで
見えないばかりだけど。


さぁ 少しずつでも片付けなんかしてみようか。
雨だから・・って理由で洗濯の山減らすのは諦めて(笑)

相変らずのヘタレぶり全開。

でも 

今日もなんとか 
アタシ 

生きてます。 


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                               ゆうなぎ



2006年01月30日(月) ちいさな緑

何気ない いつものスーパーからの帰り道。
いつもの公園横 花壇。

とはいっても今の季節もあって その花壇には
ちょうど咲いている花はなくて。
紫陽花かな?なんだったっけ この枯れてしまったのを
春に向けてだろう先の方を切りそろえられているのは。

何気なく 通り過ぎようとして ふと足が止まった。




枯れ枝の先から ちいさな緑。

ああ・・
って。

なんか すごいよな って思った。

アタリマエの繰り返されることかもしれない。
だけど そのアタリマエのことの すごさ。

だって命が芽吹いているんだよ。

朽ちていく命から繋がっていく生まれてくる命。


枯れたって朽ちたって
そこからまた 命は芽生える。

その自然の摂理の逞しさ。


苦しいことある。
傷ならつけられてつけかえして
生きていく厳しさ。辛さ。せつなさ。

でも 息 を している。
今 こうしている時も。

生きて いる。


ヘタってもいい。
足掻いてもいい。


転んで起き上がって
また 足とられて転んで。

這いずって顔歪めて
泣きたくて泣けなくて。


でも 息 を している。
わたしたちも
あの ちいさな緑のように


確かに生きている。

生かされて いる。



少しだけ
ほんの少しだけだけど 顔あげた


あの ちいさな緑に
恥じたくない と 思った。

生きたい と 思った。


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                               ゆうなぎ



2006年01月29日(日) おもいで遊園地

とにかくも遊園地より無事帰還。

そりゃあもう その日の子供達ときたら
一番上の子はさすがに下の二人ほどハシャギはしなかったけど
それでも遊園地に到着した頃には結構ウキウキしてる様子で。

下の二人に関してはあれほど寄ると触るとケンカばかりなのに
みんなに向かって言い聞かせるように
「今日はせっかくの楽しい遊園地なんだからケンカは止めようね」
なんて まったく〜どの口がいうのかねぇ〜と吹きだしそうになる母。

この遊園地は・・さ・・

アノヒトが生きてる時に行った時には
まだ一番下の子なんて物心もろくについてない頃で。
真ん中もまだ小さくて。。
その頃 身長不足と年齢制限で乗れなかったジェットコースター
今回は乗るんだって張り切ってて。

一番上の子は 覚えてるから
わたしと一緒に「そういえば あの時は・・・」とか
ちょっとセツナクて懐かしい思い出話。

「お父さんがいたら絶対に生ビールとか買っちゃってるよね〜」
って二人して笑って

でもその次に 

そのひとの癖のある立姿が瞼の裏に浮かんで
不意に
胸が・・詰まった。


本当なら居るはずのヒトが
もう此処にいないことを改めて思い知らされる
そんな 瞬間。


遊園地はあの頃よりも寂れてしまってて
それは嫌でも時間の流れを感じさせて

ああ こんなふうに
否応なく時は流れていって。

ヒトトコロに誰も留まれないことは 
時に救いだろうが
時には無情だ。


ねぇ・・・って空をみあげて
心の中で呟く

さっさと逝っちゃったから遺されたもの背負って抱えて
力も無く器も無いのに投げ出す選択肢すらなくて
走ってるのか転がってるのかわかんない毎日だよ って。

多分 空の上で好きなビールでも飲んで
いい気持ちになってるねアノヒトは。

ちょっと苦笑。しょうがないねぇ・・って
口癖になっちゃったいつもの。



それにしてもジェットコースター続けて2つは効いた。
動き出して10秒で既に後悔。
「ぎゃーごめんなさいー降ろして〜ゆるじで〜〜〜〜!!」
目なんか勿論開けて無い。開けれる根性があるはず無い。
ひたすら補助具にしがみついて固まって途中からはもう
声にならない うぎゃあああああとかすごい叫び。

終わって降りた時はもう足元がフラフラ。
でもそれ以上に子供達の視線が冷たかったのが
堪えました。。ハイ。

チビがわたしの肩をひとつポンと叩いて
慰めるようにでもちょっと呆れたみたいに
「まぁ・・・誰でも苦手なものはあるから・・ね」
って

うううう・・・
いつもお母ちゃんお母ちゃんってべっとり甘えてる
きみにその台詞言われるとは・・・・・無念。

それでも付き合いましたよ。あたしゃ気力の全てを
振り絞って グルグルまわるのにも乗ったし。
これは初めは「さっきのよりマシじゃん!」とか
思ってたけど20秒ほどで後悔しました。
前言撤回。
気分わりぃ・・・・目は回るし顔に当たる風は異様に強く冷たいし
その上 ジェットコースターより時間長いでやんの(泣)
なかなか終わらねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!

降りた時にはボロ雑巾みたいになってたお母ちゃんであります。
子供達の視線はますます冷たいし。
ええ そりゃ 叫びましたとも!
うぎゃぁ〜とかひぇえええええとか叫びまくりでしたけど
文句あるんかいっ!!!


それでも子供達は満面の笑みで。
末っ子がしみじみと満足そうに
「あ〜めちゃめちゃ楽しいねぇ〜〜〜」
って
う〜この笑顔に弱いんだよな。

恋する男子の気分?(違)


帰り道 スーパーで買い物。
もうお菓子〜っていう子供達止める気力なし。
今日だけ特別ね!って釘だけさして
とりあえず 無事帰宅。

またまた手抜き夕食 許せ。

ばたんきゅー




あれからもう・・・何回季節が巡っただろう。
アノヒトが逝ってから初めての
おもいで遊園地。



そんなこんなで生きてるよ。
とにもかくにも何とか この日々を。

ねぇ・・ちゃんと見てる?空の上から。

ああ・・・酔いつぶれて眠っちまったか(笑)

らしいねぇ〜まったく・・・。


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                               ゆうなぎ     



2006年01月28日(土) 目覚まし3つ。がんばりまっす。

昼間 PC前で仕事してたら
学校から電話。

なんだろう・・ってよくよく聞いてみれば
どうも真ん中の子が学校でケガしたらしい。
あんまり痛がるから骨折してるかも・・の言葉に
青くなって家のこと全部放り出して急いで学校に直行。
そのまま先生の車で校医さんの所へ。

診察の感触じゃ多分打ち身で済んでるだろうってことで
少し安心するけどとりあえずはレントゲン。
結果 骨に異常なし。青痣紫痣残るかもだけどその程度。

その頃には子供の方もすっかり痛みがとれてたみたいで
明日連れて行ってもらうようになってる遊園地で
(おじいちゃんがタダ券を新聞屋さんから貰ったやつ。
それをわたしたちにくれたので)
ジェットコースターに乗ってもいいかとかお医者さんに
聞いてるし。

お母ちゃん ホッとしたので思わずヘナヘナと腰砕けだよ。
ったく〜
でもほんとに良かった。

病気も怪我もある程度はしょうがない部分はある。
とにかく大きなものでなくて本当に本当に良かった。

・・・・・・ということで大騒ぎの結末は
青痣紫痣でなんとか終了。

家に戻った頃はお母ちゃんヘトヘト。

(仕事と平行してちょこちょこしてた)
干すはずだった洗濯物 半分で挫折のまま。
掃除機も結局かけれなかったし
食事の用意に突入
(ああ・・ほんと手抜き鍋にしといて良かったよ。
ほんとは良くないんだろうケド)
食後はまたお仕事、たまに休憩でネットサーフィンしつつ
PC前カタカタ・・・
お風呂も入らなきゃな〜って思ったところで
いつしか意識途絶える・・・・

で 今さっき起きた。首が痛い。
どうもいつもの後ろ仰け反りポーズで
口開けて眠りこけてたらしい・・・。

薬もまだだったから今飲んだら 頭さらにぼんやり。

今日はいかんです。
どうもバタバタして気を張りつめた後は
倍返しでダルさと眠気がくる。

仕事作業中断。
布団に行こうと思います。

よく考えたら明日また遊園地だし=早起き=苦手な人ごみ
・・・・・・・健闘を祈っててくれ。

つうかもう既にほんとにダメ。。
実は昨日からオンナノコノ日というダブルパンチなんで
余計になんていうかその・・・マジで。

寝るよ
寝ます
寝てやる
寝るもんね。

目覚まし3つばかり。
ケイタイのもかけた。

うー がんばりまっす。


多分明日帰ったら
そのまま倒れこみそうだけど

うがー がんばりまっす。



とりあえずほんと良かった。
オオゴトにならなくて良かった。

うん。きみたちがとにかく元気でいてくれるのが
一番。

そういうこと。

そういうことさ。



目覚まし3つ。頼んだぞ〜

青痣寝顔の側に滑り込んで

今夜は寝ることにしようと思います。


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                               ゆうなぎ



2006年01月27日(金) 人魚姫の靴

やっと一つ 小さな仕事だったけど終わった。

いつも思うけど これは割りには合わない仕事だな〜とちょっと苦笑。
でも こういうの嫌いじゃない。
特に今回は大変ではあったけど楽しくもやれた。

クライアントさんに満足してもらえるのは嬉しいし充実感もある。
そんな悠長なこと言ってるほど余裕があるわけでもないし
キレイゴトじゃなくてお金もっと欲しいし必要。
でも 小さな仕事を丁寧に精一杯こなすことで
次の仕事へ直接ではなくても すぐにではなくても 繋がっていく。
そう信じている。

蒔かない種は出ない。これだけは言える。
わたしは誇張でも謙遜でもなくヘタレだし臆病者の
根性無しだけれど
(リアルを見られたらきっと納得されるだろう。
自慢にはならないが(苦笑))
受けた仕事だけは とにかくやり遂げてきた。
責任感なのか相手に怒られるのが怖いからか
(この辺 子供の発想みたいな感情。小心者)
でもそれだけは胸張って言える。

あ 他の自分のことで逃げ出したことなら数しれないので
そういう意味ではあんまり胸は張れないか。



結局 自分の中心にあるものは変えられない。
だって それを失くしたら自分じゃなくなってしまう。



それでも時には足に合わない靴でも履かなきゃならなくて
無理やり押し込んで走らなきゃならないこともある。

だけどそれはわたしの靴じゃない。
わたしはわたしでやっぱりわたし以外のモノにはなれない。
セツナクもイトシクも。

足はやっぱり痛い。強烈に痛い。
この幅広甲高の足に合う靴はなかなか見つからない。
耐え切れず裸足になって足をつけてみるが
すぐに砂利や硝子の破片でひ弱な足は傷つく。

合わない靴でも履いて足引きずって

でも時には靴脱いで 草っ原でその感触をそっと確かめる。
本来の形。アタシの足の。


ねぇ

わたしたちはみんな人魚姫の靴 履いてるのかもしれないね。
本当は尾っぽがあったのを無理やりに足に変えて
だから 多分靴がこんなに合わないんだ。

そのまんま 裸足で歩けたらどんなにいいだろうって思うけど
それは思いのほか難しくてアタシはいつも泣きそうなキモチになる。

それでも靴履け!の大合唱に仕方なく足押し込んで
引きずりながらノロノロ歩く。

でもやっぱりわたしはわたし。
中心にいるアタシが靴脱いで放りなげたいー!!!って
叫びまくり。


ねぇ

キミもあなたもアタシも
ココロの中心(此処)だけは変えられない。
ありのまま そのままで。


アタシはそんなキミが好きです。
アタシはそんなあなたが好きです。


いつか人魚姫の靴 脱げたらいいなって思う。
その時は思い切り裸足で駆け回るんだ。


どれだけ傷ついて血を流そうとも。


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                               ゆうなぎ



2006年01月26日(木) すれ違い。

Kが 苛立つ気持ちもわかるんだ。
ガクンと減ったわたしからのメールや電話。
ハッキリ不満や文句を言うわけではないけれど
Kの電話の声からは苛立ちが感じられる。

こんな考えは傲慢かもしれないけれど
もっとかまって欲しいんだろうなと思う。
申し訳ない と 思う。

ただ
正直いうと今のわたしに余裕は無い。

欲しいのは違うモノなのに
差し出されているのはまったく見当違いの別モノで。
好意に満ちているから尚更 気持ちの行き場が無くなる。

相手の望む反応ができないとガッカリされたり
わたしも今 必死で余裕が無いんだよ と言っても
すぐに 
でも自分だってこんなにしてるのに・・と
でも で 返されるともう何か言う気力が失われる。

多分 説明してもわからないと思う。
というか 状況については 話しているつもりだけれど
現実をその目で見ていない以上
実感は無くて当然だし これほどとは想像できないだろう。

気持ちは確かにあるし一生懸命してくれたことは心底有難い。
でも この切ないような モドカシイすれ違いを埋める手立てはない。

わたしは気づいていても気づかないふりをして手を握っている。
わたしにとってそれが必要なものだから。

けどKは?
Kはどうなんだろうか?
もしも このすれ違うモノに気がついた時
それに気がついているわたしに気がついた時

Kはそれでもまだ 
わたしの手を握っていてくれるんだろうか。

それとも仕方ないと諦めてしまうんだろうか。


わたしには わからない。



居なくなればきっと寂しいと思ってくれるだろう。
泣いてもくれるだろう。

けど。
それで諦められてしまうんじゃないだろうか。


どうしても離したくないんだと
しがみついてしがみついて
その為に必死になって

そんなふうにして欲しがられたいと思うけれど
それは 叶ったためしが 

無い。


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                               ゆうなぎ  



2006年01月25日(水) どうかアタシに。

咳は相変らずで体調は正直あまり良くはない。
身体のダルさと右足の微かな違和感のような痺れ。
得体の知れない不安感を振り払う。

でも そういう時に限って 仕事の方が入ってきたりするから
不思議といえば不思議だ。

とは言っても労力の割には金額が見合わないような仕事で。
でも これこそ疎かにはできない先へと繋がる仕事でもあると
わたしは思っている。

資金の無い技術さえ独学のわたしができることは
どんな小さなことでも骨身を惜しまず全力でやることしかない。

人中に入って働くことが今の自分には無理な以上 
とにかく必死になることしかない。

バカのつくような割の悪い考えかもしれないけど
今時 流行らないカッコ悪い足掻き方だけれども
そんなことにかまっちゃいられない。
ヘタレにゃヘタレなりの意地がある。

不器用なアタシは 一つに必死になると
家の中 グチャグチャだし
洗濯物の山 大きくなるし
食事は手抜き放題で
子供らには本当に申し訳ないって思う。

家の中 見渡して
子供らの寝顔見て

とてもじゃないけどダメダメな母親だと
ものすごく落ち込む。


それでもやるしかないじゃないか って
これは大ばあの勝気の血だろうか。
やせ我慢の虚勢張って それでも足踏ん張る。


何ができるだろう。
何処までできるだろう。

本当はすごくすごく怖くて不安でたまらない。


でも

でも って思う。

やってくしかないのが現実なら
倒れても起き上がるしかないじゃないか。


今日も始まる。
今日が始まる。

明日に繋げたい。
明日に繋げられますように。


どうかどうかどうか。

どうか
力を。




どんなことをしても
守りたいものがあるんだ

アタシ。


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                               ゆうなぎ    



2006年01月24日(火) 空を飛べるんじゃないか。

子供達と実家に行って両親や大ばあちゃんの顔見てきた。

心配していたけど思っていた以上に大ばあはしっかりしてて
落ち着いている感じでホッとする。
両親もやっと少し一息ついているようでこちらも少し安心。
といっても目が離せないことと大変なのには変わりがないだろうけれど。

大ばあきたよ〜というとニッコリ笑って
うんうん って頷く。
ちゃんとわたしの名前も認識してくれた。
手を握る あったかい。
じみじみとあったかい 大ばあの手だ。

今回わたしは何だか体調があんまり良くなくて
やたらと眠たくて疲れてて
相変らずしつこく止まらない咳を両親は心配して
レントゲンを撮ってもう一度 
内科で見てもらった方がいいっていう。

うん。でも咳止め飲んでてそれ効いてる時には
咳もあんまり出ずにすんでるから・・
これ以上続くようなら病院に行ってみることを
一応約束する。
正直言うと病院に行くこと自体 精神的にシンドイ。
今のクリニックに通う1ヶ月に1度さえ かなりの力を要する。
けどあんまり治らないようなら何とかしなきゃな。

実家ではとにかく眠ってばかりいた。

もっと大ばあのことで介護の手伝いもしたかったのに
どうにも身体がだるくて
じっくりともう一度読んで構想を練ろうと印刷して持ってきた
(一緒に立ち上げる仕事の案を書いてくれた)友人からのメールや
出さなきゃって思って日ばかりが過ぎてる手紙のお礼状も
ほとんど何もできないままで。情けない。

夜に自宅に帰り着いても眠気は続いたままで
とりあえずメールのチェックだけでも・・と
(実はちょっと仕事の方の新規の問い合わせもいただいていて
その返信もしていたので余計に)
PCの前に座ったのはいいけど 意識がいつのまにか遠のいて
キーボードの前にうつ伏して寝てしまってた。

もうこんな時間・・ああ・・もう・・

いろんなメールに混じって友人達からのメールが数通。
一通一通読んでなんていうか・・こういうふうな繋がりって
嬉しいなって思う。それぞれがみんな抱えてる背負ってる。
形違っても必死で足掻いてる。

傷を負って疲れて時には絶望して
へたばって・・・でも 往生際悪く 諦めてたまるかよ!って。

頑張るとか一生懸命とか なんか嘘っぽいって感じる人の
気持ちもわかる気がする。
けどそれでも頑張るしかなくて一生懸命やるしかないんだ結局は。
その時の自分にできる頑張りや一生懸命でかまわないから。
だってね・・それが酷いようだけどシビアな現実。

綺麗に投げ出すか 最期まで足掻くか なら 
有終の美なんて飾れなくても
みっともなく足掻きまくりたい。

地面に激突する瞬間まで
空を飛べるんじゃないか って
信じていたいって思うんだ。

今日はとにかく寝るよ。
朝まで数時間。布団に入って子供のあったかな足に
足絡めちゃおう。


 私信1:
ありがとう。待ってて。わたしも構想練って形にすべく
考えてます。一緒に足掻いて絶対に実現させよう。

 私信2:
読んでくださってありがとう。
こんなわたしですがこれからもよろしくお願いします。

 私信3:
実は小須田部長のホントに最期のビデオを観ました。
ああ・・そういえばこんな風だったんだなぁ・・って。
あれをお笑いとしてみたらどうかっていう賛否両論あると思うけど
わたしもとても小須田さんらしい終わり方だって思ったし
わたしは好きでした。あの終わり方。



おやすみなさい。

とりあえず 今日は 
眠ろう。


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                               ゆうなぎ



2006年01月23日(月) たいせつなひと。

怪我や病気からこっち 心身の調子が戻らなかった祖母だけれど
ここにきて だいぶ落ち着いてきたみたいだ。

その連絡を電話で母から受けて少しホッとする。
それにしても大ばあちゃんはスゴイって思う。

歳が歳なだけにこのまま症状が進んでいっても
仕方がないかもしれないと周囲は正直諦めに似た気持ちもあった。
生きていてくれるだけで充分なほど 

大切なひとなんだ。

でも 大ばあちゃんは踏ん張った。
周囲・・両親に時には駄々こねたり困らせたりしながらも
大ばあちゃんは生きることに貪欲だ。
大ばあちゃんの人生は波乱に満ちていたし苦労も人一倍してる。

母が父という良き伴侶を得て幸せになったのを
誰よりも喜んだのは大ばあちゃんだっただろうし
だから わたしにも幸せになって欲しいと祈り続けていたのも
大ばあちゃんだった。

大ばあちゃんは 今のわたしの状態を認識していない。
でも それでいいんだとそう思ってる。

花嫁姿の幸せで溢れていたわたしのことだけを
ずっと覚えていてくれてたらそれでいい。


皮肉なもので奇しくも大ばあちゃんとわたしの人生は
家庭運の無さ という所で重なる。
それが全てではないけれど
祖母もわたしも本当はそれが一番欲しかったんだと
そう 思う。

シブトサと諦めの悪さと打たれ強さと勝気さは
祖母の血をひいてる(笑)

祖母ほど頑張りやでない根性無しの孫娘は
それでもヘタレなりにヨタヨタフラフラになりながらも
人生にしがみつく。
生きることに不恰好にしがみつく。


週末 祖母の顔を見に子供ら連れて実家に行ってくる予定だ。
顔見て 手を握って 繰り返される話を聞きたい。
あの唄を聴きたい。

両親の疲れている分 少しでも手助けになりたい。



大ばあちゃんの手は皺くちゃで関節は太く曲がっている。
それでも 握ったその手は変わらずに暖かくて
いつのまにかあの頃の小さなオンナノコに戻ったわたしは 

何だかとても
安心 するんだ。


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                               ゆうなぎ   



2006年01月22日(日) 眠りたい。

わたしは 強いニンゲンなんだろう たぶん。
肉体的苦痛にはまったく弱くヘタレでも
精神的苦痛なら耐性ができてるから。たぶん。



子供の友達が苛められていると
子供が友達を連れてきて話す。
何とかして とわたしに頼む。

正直言うと自分の精神状態だけでもこれだけ不安定で
自分の子供達のこと、実家の両親や祖母のこと、
問題はそれでも後から後から起きてくる。
冷たいようだけど他人の子供のことまで肩入れする余裕は
精神的にも肉体的にも今のわたしには 無い。

「帰ってお父さんやお母さんに話をしてみてごらん」と
言うと
「お父さんは それなら遊ぶなっていうしお母さんも・・・」と
口を濁す。

我が子は友達を盛んに勇気付けている。
飴玉やオヤツのクリームパンなんかを分けてあげて
一緒に勇気を出そう って言ってる。

とにかく
「おばちゃんも先生に連絡帳で知らせておくから。
でも 帰ってちゃんとお父さんお母さんにも話さなきゃね」

そう伝えた。

明日持って行かせる連絡帳に書いておいておかなきゃって思う。
そうなると先生からも事情を聞かれるだろうし
電話がかかってきて話さないといけなくなるだろうな・・と
ボンヤリ考える。



背負いすぎてもう潰れそうなのに
何故だか荷物が後から後から乗せられてくる。

わたしなら平気だと思うんだろうか カミサマは。



わたしも痛いって言いたい。
苦しいってもうダメだって投げ出してしまいたい。
心では叫んでるけど声は出ない。
出せるはずも無い。

だって わたしが壊れて叫んだら
守るべき世界が崩壊してしまう。


痛みに慣れることなんてない。
苦しみを呑み込むことは覚えても
胸の中で降り積もったそれは 
内側からわたしを侵食し続ける。



わたしは 強いニンゲンだ。
だから 大丈夫 だいじょうぶ ダイジョウブ
呪文みたいに何度も繰り返す。

バラバラに崩壊しそうな欠片を両手で必死で抱え込んでいる。



わたしは 強いニンゲンだ。
ダカラ ダイジョウブ

たぶん。


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                               ゆうなぎ



2006年01月21日(土) 漂う。

欲しい時に欲しいものが手に入った例(ためし)は無い。

それはいつもアタリマエのことで
だから わたしは少し俯いて
喉につかえそうになる塊をただ呑み込むだけだ。

埋めて欲しい場所はいつもポッカリと穴があいたままで
ひゅーひゅーと風の音ばかりしている。


泣けなくなって随分になるなぁ とボンヤリと思う。
納得して
それでいいと思って
それでも 胸の奥底は鈍く疼きつづける。


特別な日

特別な日だったあの子供の頃が
切なく懐かしい。


なんて静かなんだろうか。
なんで静かなんだろうか こんなに。


時は流れていく
ちっぽけな感傷なんて押し流して
おかまいなしに。
ああ なんて眩暈がするほどに淡々とただ淡々と。



夜のネットの海を独り漂いながら 
わたしは泣き方を何とか思い出そうとするけれど
やっぱり 

思い出せないで いる。



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                               ゆうなぎ



2006年01月20日(金) 朝と夜のはなし。

わかったような言葉が一番嫌いだった。

何もわかってないのに わかったようなこと
簡単に言うなって何度も心の中で思っていた。

多分
今も その思いに変わりはない。


ただ

ひとつだけわかったことがある。


それは
わたしの喜びも哀しみも関係なく
酷いほどに冷徹に時は過ぎていっていて
朝も夜も変わらずにやってくるってことだ。


朝は決して喜びに満ちただけのものじゃない。
夜が哀しみに満ちたものだけでなく安らぎを与えてくれるように。

それでも
夜は終わり朝がくる。

朝も終わり夜がまたやってくる。


淡々と
それは変わることなく
それだけは誰にも平等に。


要するに
そういうことだ。

それでも朝はくる。
それでも夜はくる。

時は動き続ける。


始まりも
終わりも


それがどんな形であっても
誰の上にも平等にいつかやってくる。


要するに
それだけのことだ。

笑っちゃうほど
ありきたりなことで
世の中はできてるっていう
現実。



でもだから尚更わたしは

反抗するように
しがみつくように
生きたい と
思うのかもしれない。

淡々と流れていく大きな時の渦に
逆らって。逆らって。逆らって。



どんなにもみくちゃにされても。

ちっぽけなブザマな姿晒し続けても。


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                               ゆうなぎ



2006年01月19日(木) それでも朝はくる

咳は長引いてなかなか治らない。


でも子供達は何とか頑張って学校に行ってるし
新たにネットの友人と何か仕事としてできることがないかを
一緒に模索している。構想は固まりつつある。
とにかく形にしたいと友人もわたしも強く思っている。

0を1にするということは考える以上に甘くもないし
大変なことだとそれは承知してる。
でも0のままで嘆くよりも1まで何とかして行ってから
嘆いても遅くない。だから。



人は生き
そうして
死んでいく。

当たり前のことだけれど
それだけはどんな人にも平等にやってくる。



闇の中手探りで明けない朝を探している。
探し疲れて 良くヘタるし座り込む。
蹲って 時には倒れ込んで肘や膝を擦りむく。
泣きそうになっていた時もあるけど
今は ただ ゆらりと起き上がって
傷口の泥を払い また 足を引きずり歩き出す。

泣いても笑っても 生きている限り時は過ぎていく。
どんなに絶望しても生きている限りそれは100%完全じゃない。
明日という日に何が起こるかは 誰にもわからないから。

それはある意味 とてもシビアなことだ。
その比率が人それぞれ違っていたとしても
少なくとも終わりの時は喜びも哀しみも
ただ淡々と公平にやってくる。

時という
大きな流れの中で。


でもだからこそ 生きようと思えるんじゃないか。

スイッチは相変らずオフのまんまで
アタシのヘタレ度は全開だけれども。
ブザマにヨロケながらでも とにかく0を1にしてみよう。

始めなければ
始まらないから



泣いても笑っても

朝はやっぱり来る。

それがどんな朝でも

それでも朝は 
くる。




ひとつ 


また・・・。


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                               ゆうなぎ



2006年01月18日(水) 闘う理由(わけ)

新学期が始まって毎朝 一喜一憂。
今日は大丈夫みたい とか ああ・・ダメなのかな・・
でもとにかくこの際イキオイでもって行かせる様に・・とか。

学校が全てだとか絶対逃げるなとか 
そんなことはまったく思ってない。
時には逃げる勇気も放棄する勇気も必要だってことは
自分が身をもって感じてること。

ただし だからこそ敢えて
簡単に逃げる ことだけはして欲しくない。

ハッキリいって逃げるのは癖になる。
一度 簡単に逃げてしまうと次から逃げ癖がつく。

だから逃げるなら闘うだけ闘ってからにして欲しいんだ。
自分自身と。


闘うのは苦しい。
口でいうほどそんなキレイゴトでも簡単なことでもない。
ボロボロにもなる。
でも闘って傷ついて自分で納得して逃げるのなら
それは闘わないで逃げ出す何百倍ものココロの財産になる。


お母ちゃんも逃げ出したり放りだしたりしてきたこといっぱいある。
何しろ筋金入りのヘタレの根性無しなので全敗記録を更新中だ。
でも・・・でもね・・
少しでも闘ったから見えてきたものもある。
敗れてなきゃ見えなかったこともいっぱいある。

みっともなくていいんだと思う。
いや お母ちゃんなんて 
こうなりゃ ありったけブザマに足掻いて
最期までしがみついて生きることが目標だし
だからね
闘わないから負けのない キレイな滅びの美学 だけは
絶対認めたくない。認めない。


どんな形でもいい。
時には休むならそれでもいい。
でもどうか何もせずに逃げ出すことだけはしないでくれ。
それすると誰よりも自分が後悔するから。
後でもっと苦しむから。


疲れたら休もう。
それでも休んだら
ちょっとだけ立ってみよう。
また転んだらもう一度 座り込んでもいい。
もうやめた!嫌だ!って叫んでもいい。

でも諦めないで欲しいんだ。
足掻いてもがいて
往生際悪く 生きて欲しいと願ってる。


ああ・・・なんかいつの間にか
お母ちゃんってば 自分に言い聞かせてるみたいだね。

でも 

そう思ってる。
そうして生きたいと思っているし

きっとそれが唯一 
お母ちゃんが君たちに見せてやれる
闘いの姿で


闘いの理由(わけ) だ。


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                               ゆうなぎ



2006年01月17日(火) 夜明けの憂鬱

今日もこうしてPCの前で朝を迎えてしまった。

途中で子供が起きて来たので寝かしつけはしたけど
結局またPCの前に戻ってきて遅々として進まない作業を
ダラダラとやってた。
また風呂にも入らないまま。顔も洗ってない。

学校へ子供達を送り出さないといけないから
このまま起きていて用意に入るつもりだけど。

部屋の中はグチャグチャだし
洗濯物の山はまた大きくなった。

咳は相変らず止まらなくて
わたしは気が重くなる。

とりあえず 時間になったら用意をして子供達を無事登校させて。
何とか自分をリセットしなきゃいけない。
完全リセットは無理でも
とにかく少しでも這いずってでも何とかしなきゃ。

自己暗示をかけて躁状態になんとかもっていかなきゃ。
ムチャでも無理でも止まる事はできない以上。


片付けていかなきゃ 溜まった山は減らない。
疲れたと倒れこんだら それでオシマイだ。

眠りたくない病がまた始まっている。
眠剤は貰っているが数回しか使っていない。

それでも多分 次回の診療でも貰うと思う。
薬を持っていると思うと安心なような気がして。


焦る焦る焦る。
自分に苛立って苛立って

やらなきゃいけないことのいくらも出来ていないのに
宙ぶらりんで行き場の無い虚無感が
胸の中に広がる。

もう どうでもいい と投げ出してしまいような
憂鬱をやっとのことで呑みくだす。

身体がヤケに重い。


でも

いかなきゃ


往かなきゃ


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                               ゆうなぎ



2006年01月16日(月) 妖精のコトバ

実家の母から電話があった。

どうも この前 病気をしてから祖母が
病気の方は治ったのに
時の縦軸と横軸の混乱状態が ひどくなってしまったようで
わたしと もう一人の子供が わたしの所にいるはずだから
電話をして連れて帰ってくるように わたしに話すんだと
何度も言って両親を困らせているらしい。

だから電話をしたんだとすまなそうな母の声。


そんなことかまわないよ と言って
祖母に電話を代わって貰った。

祖母はもう耳が遠いから
なかなか こちらの声が聞こえにくいようで。
それでも わたしとちゃんと覚えていてくれて
認識してくれたから 嬉しかった。

ただなにぶん 祖母の中では 時が混乱してるから
わたしと もう一人 子供の頃のわたしのような存在が
そこにいるらしく。
その子は母の子供の頃でもあり
母の幼くして亡くなった妹のことでもあるようで。
「とにかくその子を早く家に連れてきておくれ」 と
何度も繰り返す。

わかったからね。大丈夫だよ。
ちゃんと一緒に連れて帰るから待っててね。
って
わたしも何度も言うけどなかなか伝わらない。

そのうち聞こえないことにイライラしてくるようで
それで母に代わるんだけれど 納得してないから
また電話を・・と言って それを何度も繰り返す。

母が電話の向こうで大きな声で説明してるのが聞こえる。

何度目かで少し気が済んだらしく
それじゃあ とにかく頼むよ と言って
再度母に電話は渡される。

疲れきった様子の母が
「昨日からこんな調子で困ってるの・・」と言う。

両親の疲労も当然だ・・と思う。
実際 綺麗事じゃなくて 介護というのは半端じゃない根気がいる。

アノヒトの末期の自宅介護の時もかなり意識の混乱があったから
身体の介護に加えて随分神経を疲弊させられた。


それでも本人にすれば それは まごうことなき現実の風景で
祖母にしても彼女の中ではちゃんと辻褄はあっている。
其処にやるせなさがある。

結局 周りの人間ができることは受け入れてあげることだと思う。
違っていても本人にとってはそれが真実のことなら
それを真実として対応する。
でもこれは口で言うよりも大変だしイライラもする。
何しろ 同じことを何度となく延々と繰り返されるのだから。
カミサマじゃあるまいし つい口調もきつくなって当然だろう。

わたしは一つ提案をしてみた。
 とにかくわたしがその子を連れて帰るから
 安心しておばあちゃんは待ってて
って言ってるから大丈夫 ってことを
紙にマジックで大きく書いて見せてみたらどうかな。

母は ああ!と初めて気がついたようだった。
無理もない。ずっと とにかく納得させなくては と
それで頭がいっぱいだっただろうから。
疲労が高まれば判断能力も鈍る。


もし 良ければ わたしだけでも子供達が学校に行っている間に
少しでもそっちに行って おばあちゃんと話してみようか?
と 母に言ってみた。

何一つ孝行らしいこともできない こんな有様のわたしでも
少しは役に立てるなら。

でも両親は両親でわたしの身体や子供達のことを心配しているようで
10分やそこらで行ける距離では無いから尚更に。


とにかく おばあちゃんが わたしに電話をしたがるなら
いつでもいいし何度でもいいから・・ということと
両親にも自身の身体にも気をつけて 難しいだろうけど
できるだけ無理をしないで と伝えた。

母がわたしを心配するから こっちは大丈夫だから!と
言ったけど そのとたんに咳き込んで
また心配をかけてしまった。情けない・・。


人間は歳をとっていくとどんどん子供に還っていくっていうけど
本当にそうだなぁ・・・って思う。
会う度に祖母はわたしには童女に戻っていくように思えてならない。

祖母が夜に突然歌いだす歌も
何度も繰り返される同じモノガタリも
あの 理屈の通らない駄々の数々も。

小さなオンナノコの地団太踏んでる苛立ちにみえて
切なくいじらしくイトシイ。


話を聞くことしか今のわたしにはできない。
父の話。
母の話。

そうして

祖母の 話。



結局 親不孝な娘です。孫です。

それでも だから あの妖精のコトバをモノガタリを
せめて聞かせてもらえるならば
何度でも
出来る限り
聞いていたいと思うんです。


妖精はきっと普通の歳をとったオンナノコの中に
棲みつくんだと思います。



そんな気がして ならないんです。


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                               ゆうなぎ



2006年01月15日(日) ダイジョウブ

風呂に入った。
髪を洗った。
仕事の下準備を始めて。
洗濯の山を少しだけ減らした。


バタバタしてて薬飲むのを忘れてた。
というか最近のボンヤリから飲んだつもりになってた。

パキシルの離脱症状は結構キツイものがある。
個人差もあるが少なくともこの薬を飲む時に肝心なのは
服用中はきちんと毎日飲み続ける ということ。
急に止めると反動で
眩暈、ふらつき、吐き気、頭痛、疲労感などが
出てくる。

わたしの場合も飲み始めてだいぶ経つが
以前にやっぱり飲み忘れた時があって

その時に案の定 酷い眩暈と頭痛、気分の悪さでフラフラになり
トイレに這いずっていくような羽目になった。

その酷い体験から飲み忘れがないようにと
それだけは肝に銘じていたはずなのに
また やってしまった。

景色が回る。銀色の星が目の前でチカチカする。
イヤな汗が出てくる。 ああ 最低。


薬自体はわたしに合ってると思う。
この薬は合わないヒトは本当に辛いらしいから。
わたしの場合 他に安定剤も飲んでるし睡眠薬も貰いだしたが
(プラス 下剤とアレルギー性鼻炎の薬と今は咳止めも
飲んでる。これは一日1回とかこれは3回とかあるので
今の頭のハッキリしないわたしには ややこしい)
どれもほどほどに効いてると思う。

それが証拠にあれだけ異常に起伏の激しかった感情が
すっかりと平坦になった。
いや 感情が穏やかにというのとはちょっと違って
なんていうかボンヤリとなった。
きっと感情を麻痺させてくれてるんだろうな〜と思う。

それでも抑えきれずに滲み出るように溢れてくるモノはあるが
そうしてもっと薬の量を増やせば それはきっともっと無くなって
いくんだろうけれども
きっと際限なくなっていくだろうから。

たとえ薄ボンヤリとした中でも残しておきたいものもある。
それを握り締めている限り痛みを伴うとしても
知覚全てを手放すことだけは やっぱりしたくないんだ。 



心配する子供達に大丈夫だからと言って
薬袋を引っつかんで もどかしく震える手で錠剤を押し出す。
たったそのくらいのことなのに力が入らなくて上手くできなくて
情けなくなる。

やっと取り出した錠剤を水で流し込む。
唇の端から水がこぼれて黒のタートルネックの胸を濡らす。

30分か1時間か
倒れるようにソファで寝てたら
だんだん 大丈夫になってきた。

まだ少しばかりシンドイがなんとか。


真ん中の子が
泣きそうな目をして
「お母さん お父さんみたいに死んじゃったらイヤだ」 って言った。
末っ子はさっきからぴったりくっついて離れないし
上の子も不安そうな目をしたまま黙ってる。

 馬鹿だねぇ〜アンタたち遺して そんなことなるわけないじゃん!
 薬飲み忘れただけだから 大丈夫!
 今 死んだりしたら 悔しくて母ちゃん化けてでるよ〜(笑)

わざとそんな軽口叩いたら
みんなちょっと安心したみたいに笑った。

みんなまとめて ぎゅううううってしたら
末っ子と真ん中は ぎゅうううって返してきたけど
上の子からは 痛いってば〜って ちょっと迷惑がられた(笑)


ごめんね。

大丈夫。
不安にさせてごめん。


気力だけではどうしようもないこともある。
実際 咳がなかなか止まらない不安もある。

でも わたしはしがみつきたい。
執着する。
どんなことがあっても最期まで。

明日はわからないし
今日で精一杯だけど

そんなキレイにアッサリと諦めることだけはしたくない。
そうでないと遺されたものが哀しすぎる。

そんなのは もう 沢山だから。



みっともなくなりふりかまわず
執着するんだ。

泣き言いう。
諦めるものは諦めてる。
だけど
どれだけ 握り締めたこの掌が痛くても

この痛みだけは手放すなアタシ。



言い聞かせる
繰り返して

誓う
何度も。









ダイジョウブ。




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                               ゆうなぎ



2006年01月14日(土) 誰も知らない。

実は 
一つ別の場所で書いていた所で(其処では仕事関係のことには
一切触れてなかった)ある程度自分の仕事について書いた。


これには正直 かなりな勇気がいった。
それは それを書いた時点でもう
その場所で わたしを知ってくれた人たちが
以前とは どうしても違った見方をするだろうなと
思ったからだ。
その場所はホントにわたしの影をまったく削ぎ落として
書いていたから 尚更。

じゃあ何故 自分の半分とはいえ曝したか。
それは正直ずるい計算もあったと思う。
フリーでやっている以上シビアなものがあるのは確かだから。

ある意味 一つの場所を失くすことになっても 
今はそんなこといってられないんだ。
何とかしていかなきゃ・・
手がかり足がかりにほんの少しにでもなるのなら
わたしは必死になる。


あの場所でのわたしには影のカケラもない。
奇妙なことだけど鬱で沈むだけ気が沈んでいても
むしろ突き抜けたように呆れられるほどテンション高く書いてる。

何だろう サービス精神?反射神経?
長年の習慣というのはたいしたものだ。
特に生身を知られていない浅いお付き合いだと余計にそう。
誰にも見えない透明の鎧が自動的に纏われて
パブロフの犬みたいに反射的に躁(そう)のスイッチが入る。
ほとんど無意識の自己催眠ともいえるのかもしれない。

水面下で溺れそうになりながら手足をひたすらに動かしている。
その癖
でもそれは人に見せるものじゃない という
意識の頑迷さ に苦笑する。




ただひとつ。

この場所だけは・・・
リアルなわたしを知るヒトタチは
誰も知らない場所。

そうして
多分
誰も知らないわたし が
ひっそりと いられる場所。

仄暖かくて
でも
何処か ひんやりとしていて
そうして

静かで。


ひとり
サミシサに包(くる)まることができる

何処までも丸まって丸まって浅いユメをみる。



此処は そんな

場所。



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                               ゆうなぎ



2006年01月13日(金) 記憶不鮮明

最近

うつらうつらするのはPCの前。
椅子に座ったまま仰け反るみたいになって口あけて寝てる。

身体に良いわけないのはわかってる。
痰がらみの咳は相変らずで 
昨日の明け方は自分の手を見てギョッとした。

なまっ白い肌から妙にはっきり透けて見える血管の色が
黒ずんだようなイヤな色。
疲れが溜まった時とかに
血管が浮き出るようになるってことは今までもあったけど 
この時は自分の手ながら 
どうしちゃったんだ って怖くなった。

暫くすると普通に戻ってたから 体調ゆえの一時的なものと
ホッとはしたんだけども。

今 わたしが入院とかになるわけにはいかない。
子供達のこともあるしお金もかかる。
万が一になっても充分なものを遺してやれない。

わかってるんだ。

今 わたしのやる気は0に等しい。
肝心のことは全然進んでない。
やるべきことも停滞しまくっている。
自分を叱咤激励してみるも心に力が入らない。
情けない状態で でも追われる様な不安感から 
書く ことだけしてる。
っていうか ただ憑かれたように書き散らしてるだけだ。


風呂に入らないまま3日目になった。
こんなこと 今まで無かった。
美容院でシャンプーしてもらってそれ以来だから
髪もさすがにキモチワルイ
(ちなみに確か美容院の日も髪を洗ってもらったから
それでいいやって思って風呂に入らなかった気がする)
顔もろくに洗ってない。歯だけは磨いてるけど。
なんともまぁ・・・。

何か ひと動作するのが ものすごく億劫になってて動けない。
記憶力も落ちていて日にちの感覚もぼんやりしてる。

洗濯物が追いつかなくて溜まってる。
掃除も ろくにできてない。
子供達がいなかったら食事も億劫になってると思う。
今だって手抜き料理の し放題だ。

薬すら飲んだっけ?まだだったっけ?と
わからなくなる時があるテイタラクだ。



これでいいなんて思ってない。
情けないって誰よりも自分が思う。

でも頭が動かない。
それどころか気を抜くと
そのままフェイドアウトしそうになってる自分がいる。


Kにメールするのもしたっけな?どうだったっけ って
ぼんやり考えて。
Kからのメールや電話で そういえばまだだったってことを知る。
体調が良くないから と それは半分本当だけど
半分はイイワケめいているなと 思う。

心配してくれるひとたちがいてくれるのに
ちゃんと応えられない。
かろうじて細い糸繋げて でもそれが精一杯で。


何もかもが薄ボンヤリと霞んでいくようで
それが今 とても怖い。


例えば薬のパッケージから一粒を押し出すということすら
スローモーションのようにノロノロとしかできなかったり。
その動作の途中で意識が他のところにいってしまったり。



それでも

ああ
それ・・で・・も



かろうじて残る意識の欠片が
しがみつけ!って言ってる。
どんなでもこんなでもいいから
みっともなかろうが だらしなかろうが
とにかく引き剥がされるまでしがみつくことだけは止めるな!って。
生きる ってことに。



記憶不鮮明。


よろよろと相変らず迷走中。

それでも一点一つだけどうしても手放さないと決めたものだけを
爪が食い込むほど強く握り締めている。

その痛みだけが
多分 最期に残された砦。



たったひとつだけど深く
我が身に刻んだ

誓い

だから。






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                               ゆうなぎ   



2006年01月12日(木) 迷路の中。答えの見つからない多すぎる問いに震えながら。

慌しい一日だった。

自分の病院で診察。
咳が続いてることを言って咳止めの追加をお願いする。
あんまり咳が続くようならレントゲンを・・と言われたけど
今日は子供の具合が悪いのでそちらの病院へも行くので・・
ということで診察終わり薬貰い 急ぎ買い物して家へ帰る。

帰りに小児科の午後からの診察の予約を入れておく。
これで午後一番で診察してもらえる。

ケイタイで電話して様子を聞きながら
帰宅すると二人ともしっかり眠ったせいか 
かなり良くなった様子で少し安心する。

昼食は暖かく消化が良いように煮込みうどん。
食欲も出てきてるみたいでまたホッとする。

とにかく午後から病院だ。
正直 かなり疲れていて少し横になりたかったけど
多分横になったらそのまま起き上がるのがきつくなってダメだから
我慢。

溜まってる洗濯物を少しでもと干しながら
実家へ電話。
祖母の容態を聞くとどうもウイルス性のものらしい。
点滴中とのこと。
これはうつるものだから手洗いをしっかりすることと
洗濯物も別にするようにって言われたらしい。
だから暫く子供らは実家には来ない方がいいだろうとのこと。

心配だからまた点滴が終わり家に帰りついたら
連絡をしてくれるように頼んで電話を切ると
もう 子供達の病院予約時間になっていて慌てて病院へ。

結果 二人とも風邪。
お風呂は今日はダメ。食事は暖かな消化の良い物。
シッカリ休めば調子が良く熱が出なければ
明日は学校に行けそう。
とりあえずは安心して急ぎ薬を貰って帰る。

末っ子の下校時間にもギリギリ間に合って良かった。


その後 もう一度 時間を見計らって実家に電話してみた。
母が出てちょうど今帰り着いた所だと言う。
祖母もだいぶ顔色も良くなり 一応は落ち着いたらしい。
ただ やっぱり食欲なく元気もないらしい。

今日のこちらの様子を聞かれ こちらはこちらで報告。
お互いに相手が心配だが自分の方で手一杯の状態。
両親の疲れも声からわかるだけに辛い。

とにかく何かあったらすぐに連絡をくれるようにということと
少しでも休める時には身体を休めて・・と言って電話を切った。


この頃になるとわたしもクタクタ。
たったこのくらいで・・・と情けないが
かなり限界。


夕食は困った時の鍋モノ。
魚と白菜とネギとキノコ類。
ポン酢でさっぱりと。

食後は忘れずに薬飲ませる。

明日の朝はこの出汁のとれた残り汁を使って
雑炊にすれば簡単だし子供達も良く食べる。


ここで 本当に限界。

眩暈と頭痛が酷くなったので子供らに声かけて
薬飲んで一足先に布団に潜り込む。

ケイタイの目覚ましかけておく。
昨日から仕事始めのはずがほとんどできてなかったので
今日ばかりは最低限のことはやっておかなきゃ。



で さっきやっと目が覚めました。

今から仕事少しでもしとかなきゃ。



身体を
とにかくもたせなきゃって思います。

実はわたし 数年前に一年間に3回入院して
全身麻酔するたぐいの手術受けてます。
病気自体はお陰さまで治っているんだけど
手術前や術後の苦しさ含めて
色々なことを知りました。

急に高熱が出ると身体が大げさなくらいガタガタ震えるのを
みたことあったけど あれって本人の意思ではなくて
身体が止まらないんですね。
寒くて寒くてたまらなくなる。
歯がガチガチいうのも震え幅の大きさも大げさでもなんでもなく
制御不能になる。

他にその時に一番しんどかったのは麻酔の時に入れられる
気道確保の為のチューブでした。麻酔から醒めてみると
余計にあの喉奥まで差し込まれたチューブが苦しい。

みんなは平気なんだろうか。
わたしが単に根性無しの我慢足りずかもしれないけど 
お腹に穴開けられてチューブ入れたままの手術前 数週間よりも
辛くて 看護婦さんが来られるたびに いつになったら
これが外してもらえるのか 頼むから外してください。苦しいと
半泣きで頼み続けました。あれだけはもう絶対嫌だって思う。

身体の調子の悪さは人の精神力も奪っていきます。
あの深夜の集中治療室のベットで
苦しさに気が狂うかと思った。我慢が足りないと言われれば
そうかもしれないけど でも
実際に その状態に置かれたら どんなに不安で心細く
耐え難いか・・・。

自分も少しとはいえ経験してみて
また 不治に病む人を介護して看取って

改めて尚更 大きな何かを突きつけられた気がしてる。

わたしの精神力の強さと反面、情けないほどの脆さ。
多分 わたしは一旦崩れると誰よりも見苦しくみっともなく
足掻き乱れるだろう。


それでもそれでもいいから
それでも生きることにちゃんとしがみつけるのか?オマエは。 

自問自答を繰り返してる。


踏ん張って
闘って
でも
真の強さをもっているわけではないから。

ただ気の弱さやヘタレさや小心者さゆえの
精一杯の強がりと虚栄。


アノヒトですら 最期をちゃんと耐えていた。
それがわたしにはできるだろうか。
わたしの ソノトキ が来た時に。



ああ・・夜が更ける。
今はとにかく明日へ続ける為に。

持てる力の全てで
息  よう。


生き よう。


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                               ゆうなぎ



2006年01月11日(水) こんな日

昨日は髪を切ってきた。
たったそれだけのことだけとそれでも少し気持ちが上を向いた気がした。

今日は病院の日。
いつもながら 特に最近は外出自体 気が重いけど
とりあえず薬が切れるのが怖いのと
後 しつこい咳もあるのでその薬ももらえたら・・と思ってる。


実はこんなときに限って
昨日から気になる咳をしてた上二人の子がダウン。
熱は無いけどリンパ腺が腫れてる。
おたふくは してるし もしや髄膜炎とも思ったけど
(首が痛いって言ったので)他の症状が当てはまらないので
とりあえず学校を休んで寝かせてる。

自分の病院 日にち変更するか時間ずらしてもらうか
かなり迷ったけど 熱がないことと吐き気もないこと、
それと 本人たちがもう少し眠りたい といったのもあって
(かなり こっそり夜更かししてたからそのせいもあるだろう)
とりあえず 二人を家に寝かせてて自分の病院に行って来てから
昼から子供達は受診させることにした。

朝食もヨーグルトを食べれてあと水分補給だけはできたので
ひとまずはホッとする。といっても気を張ってないといけないことに
変わりは無いが。


それが重なる時は重なるもので今さっき実家から電話で
祖母が具合が悪いようで今から病院へ連れていくという連絡。
こちらも心配。

こういう時 何ともいえない無力感とやり切れなさ心細さを感じる。

でもそんなこと言ってる場合じゃない。

否応もないこと。
動かなくては。
いかなくては。

どうしようもない。
仕方がないこと。


あちらとこちらとむこうと

ああ・・・。

それでも。



まずは自分の病院に行ってきます。
予約時間そろそろだから。
買い物も帰りにしてきてそれから子供達の様子見て
病院に連れて行って
実家の祖母の様子も気になるから電話も後で入れなくては。
登校していった末っ子は今日から給食だからなんとか。



走らなくては
せめて
歩かなくては

だのに
それすら
息が苦しい。




頑張れ と呟く。
ひたすらにジュモンみたいに繰り返す。

胸の中で。


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                               ゆうなぎ



2006年01月10日(火) この線からムコウ

咳が思い出したようにまたぶり返してきてシンドイ。
頭痛まで加わって余計に気持ちが沈む。


わかりきっていたはずのことを改めて思い知る。
アタリマエで無理もないことだと
とうに諦めていることのはずでもそれはやっぱりセツナイ。
いや セツナイというよりも

ああ・・

と。

ただ静かに俯くような。
自分への苦笑。

馬鹿だなぁ・・

と。


それでなくとも遠く離れた場所にいるKに
未婚で勿論子供もいないKに
わたしの現実とか問題とかを
もっと理解して察して欲しいと思う方が無理というものだろう。

見せない部分。見せてもどうしようもない部分を
例えば話しても知らせたとしても
その現実を生きるモノでないと
実感が無いのが当然のこと。


Kは其処で生きていて
わたしは此処で生きている

間には線が引かれている。
Kはわたしの手を握ってくれているけど その線ごしに で
線を踏み越えてこちらにはこないし
わたしも手は離せなくてもその線を越えるつもりはない。

それが変わらない動かない続く現実。


ただ

それを承知でいても
悪気などこれっぽっちもなく
むしろ好意で言ってくれているKの言葉に
わたしは苛立ちと虚しさを感じてしまう時があるんだ。


 そんな悠長な余裕は無いんだよ。
 わたしの心身の状態はあなたが考えているよりも
 ずっと良くないし
 母子家庭として色々なものを一人背負い生きる暮らしは厳しい。
 あなたの前で泣かなくなったのは
 わたしがそれだけ追い詰められているってことだってことを・・
 こと・を・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


それを言ってどうなる?
どうしようもないことは世の中にアタリマエに転がっている。

Kは休憩所としてそこにいてくれているひと。
わかりきっているどうしようもないことを
伝えても理解できないだろうしお互い辛くなるだけ。
繰り返して そして だから 諦めたんじゃないか わたしは。

なのに今更。


Kは何かに気がついたように心配そうなメールと電話をくれる。
申し訳ないと思いつつ 
でも見ている場所が違うから寂しさは消えない。



わたしの周りには越えられない線がひかれている。
細い線なのにそれは不思議と透明な壁のようで
誰も入ってこれない。


この線を飛び越えて
この透明な壁を壊して
誰かが此処から連れ出してくれることを
密かに夢想する。

入れないんじゃなくて出れなかっただけだろう?と
力ずくで抱えあげて奪い去っていかれることを
それほど欲しがってもらえることを
どこかで切望していた。

そんなことは絶対に無いと知りつつ。



わたしは一人でこの道を歩いていくニンゲン。
ずっと一人でこの道を歩いていくニンゲン。

それでいいんだと決めたはずなのに

時々
無性に
ココロが疼いて

ほんの些細なことなのに
ココロが俯く


ひとり
という言葉が

胸に沁みて

イタイ。






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                               ゆうなぎ







2006年01月09日(月) 息をするように。

基本的に多分 書く(言葉を綴る)ということからは
離れられないニンゲンなんだと思う。

たとえそれがどういう形のモノであっても
空気が無くては生きていけないように
何処かで何らかの形で 書いてる。

白状するとだいぶ前から紙に文字を書くということが
億劫になってきている。
例えば詩が浮かんできた時 
以前なら紙に書き留めてとかあったし 
相手の方の顔を思い浮かべながら便箋を選んで
手紙を書くことも好きだったのに
それが何だかシンドクなってきた。

でも頭の中に言葉は溢れてくる。
書きたい という欲求。


実を言うとこの場所は親友たちにも知らせていない。
実を言うとこの場所の他にもわたしは大切な場所をネットに
持っているけれどスイッチが切れてしまうとどうにも
その場所で書けなくなる。放置と不義理が続く。

親友たちは そんなわたしをわかってくれているから
そんな時はそっと見守ってくれている。
とはいえ ちゃんとケイタイメールや電話で
生存確認してくれつつ。 
もう付き合いも長いからこの辺は心得たもの。有難い。

多分 この場所を知らせても黙っていたこと 怒りはしないって
そんな気がする。変な確信。でもきっとそう。


実は今 ネット内のまったく別エリアでもう1箇所
新しく 書く ということを始めている。
多分 此処を読んでいる人が其処を見ても
わからないと思う。完全に人格が違うから。

偽っているのではなくて明かしてない。
反対に其処を知る人が此処を読んでも
まさか同一人物だとは思えないだろう。

なんだか もってまわったような はっきりしない書き方だけども。
そのもう一つの場所で書いているということも
それこそ誰にも言ってない。

此処が自分の心の奥底まで踏み込んだ影の部分だとしたら
もう一つの場所は影というものを徹底的に取り払った
そんなノリで書いてる。
不思議とそれはそれで楽しい。

自分の心を注ぎ込むようにして書いているこの場所も
完全に切り離して書いているあの場所も
それができるのはこのバーチャルの世界だから。

PCが無かったら多分 わたしはもっと早くに壊れてた。
このどうしようもなく苦しかった年月を支えてくれたのは
この世界で言葉を綴ることで出逢えたひとたちだから。

だから

キーを叩くだけで言葉を紡げるこの機械を
わたしはアイシテイルといってもいいとさえ思う。


人様から見ればただの駄文の吐き出し場所でも
ヘタレの弱音でも
わたしは 書いていたい。
書かずにはいられない。

積み重なっていく屍のような 言葉の跡を点々と残しながら
それが ものすごく傲慢でエゴイストなことだとしても。


時には苦しくなっても多分 わたしは書くことを止められないと思う。

なんて・・・
そんな ご大層な意味のある言葉を綴っているわけでもないのに 
ちゃんちゃら可笑しい言い草だけども。



息をするように。



きっと死ぬまで書いてるんだろうなって思う。
キーが叩けなくなっても多分 頭の中で。

意味や理由はいらないのかもしれないって
この頃 そんなふうに思ったりする。

好きだと思うこと。
それは 何に対してでも

ただ 好きだから。

それでいいような気がしてる。


此処は
これは

長い長いわたしの遺書(遺しておきたい言葉)

まだまだ書きかけで当分続きそうです。


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                               ゆうなぎ



2006年01月08日(日) ももいろゆびわ

ピンクのビーズの指輪を貰った。


所々に白いビーズが使われてて散りばめられた雪みたい。
それはちっちゃな深緑のケースにイッチョマエに入ってる。

「手を出して」って言われて出したら
右手の薬指にはめてくれた。ピッタリだったのでびっくりしたら
「おばあちゃんにはめてみてもらって大丈夫だったから」
ってちっちゃな顔が誇らしげに言った。

カレはどうもこれに貰ったお年玉をつぎ込んだらしい。

なんていうかもう・・

確かに買ってくれるとか言ってて
好きな色とかリサーチされてて
でもまさか ほんとにこんなふうに買ってくれてたなんて
思わなかったから。

めちゃめちゃ嬉しかった。

「気に入った?」って
ちょっと心配そうに聞くから

勿論!!!ありがと〜!!!凄い嬉しいよ〜
って答えて思い切りぎゅううううした。
それから 暫し 熱いラブシーン チュウが交わされたのでした。



多分 今持ってる中で一番大切なお気に入り指輪になった。
水仕事の時はちゃんと外して大事にしまう。
後は指にはめてはウットリと見てる。

優しい色。それはピンクというより桃色と呼びたいような。
大好きな色。

満足げなカレが膝の上で微笑む。


いいの?使いたいもの他にあったんじゃないの?って聞いたら
「うん。でも 買ってあげたかったの」って。
どうもわたしに秘密でおばあちゃんと買い物に行って見つけたらしい。
あ〜あの時かぁ〜と今更ながら思い当たる。



ありがとね〜
ってほっぺにもう一度チュ。
トロケそうに笑う顔がイトシイ。


ああ
ねぇ
こんなことがあるから
生きたいって生きなきゃって

まだ思えるんだよね きっと。



単純な親バカでございます。

子供命なつもりではいても実質ハッキリ言って
苛立ちもするし重く感じることがないわけじゃない。
その程度のダメダメへタレ母ちゃんでございます。
けど
子供らがそれぞれにそれぞれの形で
わたしがわたしなりにわたしの形で


ハタからみたらそりゃ全然なっとらんと思われるだろうけれども。



ももいろゆびわを貰った。

今 指でダイヤモンドよりもキレイに光ってる。
優しい柔らかなちいさな明かりが

ここに 灯っている。





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                               ゆうなぎ



2006年01月07日(土) 秒読み 迷走 制御不能

爪をつむ。
髪を切る。

爪が伸びてきて
髪がボサボサになってくると
余計 どんどん鬱が酷くなるというか
何もやる気になれなくなっていく傾向が
わたしには ある。

反対に言えば
そうなってくるといよいよ本当に
無気力・何もかもが億劫になっている ということで。

鬱から自分を浮上させる第一歩は
まず いつも
爪をつんで
美容院に行くことから始まる。

ただ こんな時は たったそれだけのことにも
(情けないことに)かなり精神力を使う。
伸びてきた爪はキモチワルイ。
この辺は潔癖症みたいな感じ。
キモチワルサにイライラするけど爪切りを手にするまでが
何故か かったるい。
この辺が思い切り矛盾。

美容院も同じ。
髪がボサボサになるとキモチワルイ。
でも 美容院へ行く!と決めて家を出るまでが
なかなかできない。
家から出るのが ダルイ。
これも 矛盾。

両方済ませれば随分気持ち的にはスッキリする(はず)
エンストしながらでも
少しエンジンがかかるような感じになってくる(はず)



わたしは極端なんだと思う。
スイッチが切れている時と
スイッチが入って動き出した時のバランスが悪い。
一旦 動き出すと止まると二度と動けなくなる気がするから
猛スピードでひたすら走る。
確かにその時のイキオイというのはスゴイ。
ただ致命傷 制御できない。

それもそうして暴走するたびに
神経が磨り減っていく。
どうも年々 エンジンのかかりが悪くなってきて
いつ そのまま動けなくなるか わからないようになってきた。


今回 爪はつんだ。
美容院 行こうと思いたったのは年末だけど
まだ未だ行けてない。
日曜日には行きたいと思ってるけど
どうだろう。

友人達が心配して電話くれたりメールくれたりして
ああ ごめんね って思う。
電話一旦出れば 友人たちには普通に笑って話せてる。
むしろ機関銃みたいにすごい勢いで躁状態で話してる。

だのにまだ相変らずメールの年賀状の返事出せてない。
ケイタイ充電器の一件話した時に親友の一人から 
ネットでみんなが共通で見てる掲示板に書けば良かったのに〜って
言われて ああ そうだよねぇって思ったけど
そうして 新年の挨拶も書き込むよ〜 とか言ったのに
ナンでなんだろう まだ 書き込めてない。

その上 致命的なミス。Kの誕生日 すっかり忘れてた。
それもKから「何か忘れてない?」って言われて気づいた。
慌てて遅ればせながらのオメデトウカードメール送ったけど。
Kも少なからずショックだったと思う。
わたしも呆然となった。
だって こんなこと今まで無かったもの。


何もかもが
ぼやけている。
アタシ どうしてしまったんだろうか。


爪をつむ。
髪を切る。


爪はつんだ。

髪を切れば
髪を切れば

少しは焦点があってくるだろうか

この茫洋とした世界の。



まだ止まれないのに。
まだ止まっちゃいけないのに。


このタイセツナモノさえ
ボンヤリとしたまま
ぽろぽろと
手の間から零れ落としてしまいそうで。




それが今ものすごくコワクてたまらないんですアタシ。


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                               ゆうなぎ



2006年01月06日(金) ごめん。

完全に
ダラケてる日々。

勿論 良い訳ない。
でもどうにもやる気が皆無に等しい。

何もかもがものすごく億劫で。
それはまるで重力が倍になったみたいで身体がやけに重い。

外に出たくないのと
何か一つをすることすらものすごく時間がかかり
一つの家事を
例えば洗濯機を回しても一日がかりで
結局 風呂場に干すことになってみたり。

親がこれだから
子供もダラケてるし
こういう時の家はどこかダラシナサが漂ってる。

これではイカンと頭の隅で思うけど
どうにもこうにも気力が湧いてこない。
そんなこといってる場合じゃないっていうのに。


年賀状 数枚下さった方々への返事も書いてない。
というか 何だか 書けないでいる。
多分 なし崩しに出さないまま終わる気がする。

友人たちへもKへさえ かなり連絡を怠ってる。
一番大切だと思えるこれらの人々にすら 今のわたしは
ちゃんとした言葉が返せてない。

気にかかりながら でもどうにも頭が機能しない。
呆けている。茫洋と霞んでいる。
スイッチが切れたまま入らない。

咳が思い出したように出て酷い咳き込みが続く。
鼻がむずむずしてクシャミが止まらなくなる。

治ったと思ったし治まってる時は大丈夫なのに
なんでだろう。嫌になる。
病院で貰った総合感冒薬と鼻炎の薬を
抗鬱、安定、眠剤と一緒に交互に飲んでる。

うなされてるのと寝言は相変らずみたいだ。
実家でも母から心配して言われたけど
以前は起きた直後くらいはイヤナユメの感覚が
あったけど今はそれも茫洋として人ごとのように覚えてない。
それはそれでその方がいいような気もしてる。

疲れた。

後 1週間くらいで今年最初の診療日だから
その時についでに咳止めも追加で貰おうかとボンヤリ思う。


目標にしていたことや やろうと思っていたことの
期限はどんどん近づいているのに
一向にやる気になれない。
もういいや・・とすら思ってるジブンがいる。

どんどんと執着心が薄れていっているようでそれが怖い。

楽しいと思えること。
その為に動くという行為。

それがかろうじてでもできるうちは
まだ何とかもつと思えるけども
それすら希薄になりかかっているのがとても怖いんだ。


戻れるのか?
それとも
ほんとにゼンマイ切れちゃったのか。
コワレカケながらも動いてたそのスイッチが
とうとう完全にダメになっちゃったのか?


自分でもわかんないんだよ。
ただなんか
無感覚になったような何処までもぼんやりとした感じで
ここから 動けないでいる。


何もかもが何だかとても 
とても 遠くて

霞んで

見えないで いる。
ごめん。


白状するとね

わたし すら 
わたし自身 すら

遠くに薄れていって
見失いそう なん だ よ。



ごめんね。


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                               ゆうなぎ   



2006年01月05日(木) 迷子

ケイタイの充電器が迷子になった。

気がついたのは実家から自宅に帰った次の日。

それまでは神経質なほどに常に
充電してないといけないと思い込んでいたんだけど
一度 過重充電でケイタイの電池パックを交換してからは
(充電のし過ぎってのがわたしらしい。
心配不安性が高じて結局壊してしまう)
むしろ今度は反対に充電しすぎるのが怖くなって
ギリギリになるまでしなくなった。
その代わりに常に充電器をカバンに入れて持ち歩くように
なったんだけれども。

実家から自宅へと帰った夕方は何か妙にバタバタしてた。
慌しく荷物の整理して戻すものは元の位置に。
一応片付けて出てきたから子供らにも正月早々散らかさないようにと
口うるさく指示しつつ。

ふぅ・・と一息ついて自宅に帰宅のメールをとりあえず友達やKに。
それまでならそこで充電とかするんだけども
何しろ充電しすぎちゃまた壊す ってのが今度は反対に頭にあるから
まだ大丈夫。我慢我慢って充電したくなるのを抑える。

(この件ではKに 極端すぎ って言われた。
肝心の時に充電切れてたら困るよ って。
でもこれに限らず心配不安性のわたしはよくそれで失敗して 
そうなると今度は反対方向に怖くなって近寄れなくなる。
アタシって相手にとってウザッタイようなことしてたんじゃないかって
思ってしまったら 反射的にゴメンナサイと飛び退いている。
それ以上タイセツナモノに触れて壊すのが怖くなってしまう)



次の日
さすがにケイタイの充電サインが出てきたし。
いいよね。もうさすがにね・・と充電器探すも
見つからない。
っていうかこれはあり得ないくらいのことで。

何故ってわたしにとってケイタイと充電器っていうのは
ものすごく重要で支えで外の世界、大切なひとたちと自分を
繋ぐ大切な手段なわけで。
だからいつも常に何はなくとも確認してたから。その存在を。

勿論リアルでも住所も自宅電話も知ってて
いざって時の連絡はそこから何とかなるとしても だ。


そこからわたしは見事にパニクった。
持っていったカバンひっくり返す。部屋中のありとあらゆる所
探し回る。
でも 見つからない。

なんでなんでなんで?
そんなはずないのに見つからない。

もしかしてって実家に電話する。
充電器の形状を話して聞いてみるけど
見当たらないっていう。

それでもパニクってるからとにかく探してみてもらう事と
もう一度 こっちでも探してみてなかったら
日帰りでも実家に探しにいくことを伝える。

子供らにも聞いてみる。
見かけなかったかとか。
何しろ最近のわたしの記憶力は無いに等しい。
もう泣き出さんばかりのわたしの有様に子供らも半分呆気にとられてる。

それでも見つからない。
充電はいよいよ危うくなってきてる。

そうだ。 と とりあえずKにメール。
充電器が行方不明で充電できないことを伝える。

折り返し 
とにかく事情はわかったから安心して落ち着いて探してみること 
って返信がある。

それに わかった って返信して
でも もうパニックで半泣きになってる。

コワイコワイコワイ

その夜は思い出したように探しては 見つからなくて
どれほどジブンがケイタイに依存してるかを思い知る。

とにかく明日実家に行って探してみようと自分を納得させて
日記書いたりするけど頭の隅っこにはドウシヨウドウシヨウがある。

そうして今朝 いよいよ実家行って・・・って思って
最後にもう一度・・と実家に持っていった
黒いボストンバックひっくり返してみた ら

あった!

底板の下になってた。
ちゃんと何度も見たはずだったのに
気がつかなかったのか隠れてたのか

とにかく あった。

ヘナヘナと力が抜けるような安心感。
もう一気にホッと。

実家に電話して。
Kに電話して。

探しモノってそんなものだよ。必死で探してる時は出てこなくて
ひょいっと見つかる って一番上の子がしたり顔で。

確かに。



迷子 見つかりました。


しっかりと
ケイタイ充電器で充電されてます。


でもこの場合
なんか
迷子になってたのは
充電器でなくて
アタシだったような 気が する。






迷子 見つかってよかったです。


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                               ゆうなぎ



2006年01月04日(水) 痛み。夜の話。ジブンの見苦しさを承知で。

実家で
子供達が眠った後で
両親と話す機会があった。

正直 実家のみんなを含めて
今のわたしたちは細い綱の上を綱渡りしてるみたいなものだから。

日頃はあまり考えないようにしているが
今 誰かに何があっても現状はかなり厳しくなる。

特にわたしは絶対壊れられない。

それを痛感した が
それを痛感することは
わたしにとっては かなり 
追い詰められる精神状態になるってことだ。

逃げ場がないことを実感するから。
一人闘わなければどうしようもないのだということを
思い知らされるから。


父の気持ちもわかる。
母の気持ちもわかる。
だから なおさら切ない。


酒飲みは嫌いだ。
楽しい酒ならいいけど
愚痴でも聞けるだけは聞いてやりたいと思うけど。
酒飲み独特の絡みだけは耐え難い。
こっちがどう答えても気に入らないし
ならばと黙っていたら無視してるとまた絡みだす。

多分気の弱い優しい人ほど絡み酒になりやすいのかもしれない。
アノヒトがそうだったから。
外でのストレスが家で出てた。
わたしも飲めないわけじゃないけど
結局酒がこの世から消えても困らない程度のもの。

ハッキリ言って素面のニンゲンが酒飲みに絡まれるのは
かなり堪える。
相手には理屈は通用しないし大抵は自分は酔ってないと言い張る。
それで突然キレる。理由が理解できないところでキレる。
本人にはそれなりの理由があるんだろうけど素面のこっちには
わからない。同じ話や嫌味をグチグチと繰り返す。
神経が焼ききれそうになるほど繰り返す。
それを10年近くも聞いてたら大概疲れ果てる。


父も酒を飲む。
アノヒトほどではないけれどやっぱり歳をとって諸々の心配事を
抱えてるだけにどうしても年々絡み酒になる

父の気持ちがわかるからなるべくわたしは
その話や愚痴を聞こうと思ってるつもりだ。
でも こちらはやっぱり素面だからアノヒトの時と重なる。
フラッシュバックをおこしてしまう。

この日はとうとう
「重なって思い出すからもう止めて」と言ってしまった。
父は『あんなヤツと一緒にするな』と吐き捨てるようにいって
わたしは たまらない気持ちになった。

アノヒトとだって幸せだった時はあったのだから。


いろんなことがあった。
本当にいろいろなこと。
入退院と手術、自宅療養を繰り返した闘病生活の時にすら
思いもかけない打撃がこれでもかというくらいに出てきて
何度 天を仰いだかわからない。

もう助からないと余命を宣告されたその後で
大きな問題が発覚した時もアノヒトを責めるに責められずに
何とかするから心配しないでと言って後は言葉を呑み込むしかなかった。
ニンゲンって本当に絶望したら涙も出ないんだ って
そう思ったのを覚えてる。
絶望って言葉の意味があれほどわかったことはなかった。

それでも漫才の相方のようで困らせられても見捨てられない弟のようで
だから 助からないと告げられた後もできることをして
看取ってやりたいと思った。

アノヒトね 言ったの。あの最後になった家族での出かけ先で
わたしの腕に細くなった腕絡ませるようにして縋って歩きながら
”苦労ばかりかけてきたけど元気になったら今度こそ恩返しするから”って
ほんと 遅いって。馬鹿だって。でも そう言ったの。あの時。


だから

だから 尚更 アチラ側のヒトタチのしたことが理解できないし
許せないと思ったし思っている。

何故 あの時 危篤で明日をもしれない息子を頼むと 
わたし一人を残して 家に帰れたのか。
何故 通夜の晩ですら 途中で数時間とはいえ 
わたしだけを残して 家に帰れたのか。
何故と問いかけたいことは山のようにある。
でもきっと
問いの意味すらわからないだろうと思うアノヒトタチには永遠に。

何故 遺骨を火葬場の骨拾いでこっそりと盗むくらいなら
こんな醜いお金の問題で
遺されたわたし達の傷口をまた抉るような真似が
あの時に 
その亡き人を安らかに送るべきあの場所でできたんですか?
子供たちのいる前で。あの日、あの時に。

そんなヒトタチにそんなふうに骨持っていられて
アノヒトが喜んでると思いますか? 




ぽつりぽつりと
その夜 両親に 
初めて少し 話してなかったことも 話した。

『どうしてそんな時 お父さんたちを呼ばなかったんだ』って
父は絞り出すような声で言った。

母をまた 泣かせてしまった。


でもお父さんたちもいっぱいいっぱいなのがわかっていたから とは
やっぱり言えなかった。
だって ねぇ・・・仕方ないことっていうのはある。
どうにかどうにかできるのは わたししかいなかったから。いないから。

どうしたって現実。




今はでも薬のお陰で随分楽になってるよ と話した。
確かに感情の起伏が平らになって離人感は付きまとっているけど。

まだ心療内科に行く決心するより前に
両親に 一度だけ すごい有様見せてしまったことある。
泣き叫んで髪掻き毟って壁に床に何度も何度も頭打ちつけて。
あれはもう絶対 見せちゃいけないって誰にも。そう心に誓ってる。

眠剤飲みだしたのを母は心配してるけど。
風邪までひいてしまって一時薬の量がかなりだったから。

でもこれで今日を生きることが出来てる。
気休めでも一生飲み続けなくちゃならなくてもかまわない。

わたしというニンゲンの存在する意味がある限り
見届けたいことや逢いたいと想うひとたちがいる限り。


わたしはどうしたって生きたいと思うし
諦めたくない。
明日はわからないけど
明日がわからないから 多分

わたしたち生きていけるんだと思うんだ。



いっぱいの抱えきれないもの
整理しきれないもの
抱きしめて
零して
失くして
また
拾い集めて

懸命に

それぞれが
それぞれなりに

今日も
今も

ねぇ

生きているよ
わたしたち


ほら。






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                               ゆうなぎ



2006年01月03日(火) 綿毛タンポポ

正月明けの自宅への帰宅は3日の夕方だった。


実家では久しぶりに子供達や両親、祖母を交えて
のんびりした時間が流れた。
PCから離れての数日間。
子供らとバトミントンして久しぶりの運動。
運動嫌いのわたしだけど珍しく楽しかった。
あと一緒にビデオみたり・・・トランプしたり・・・

三社参りには出かけなかった。
人ごみはどうしても苦手。
近所の小さな神社に手を合わせて済ませた。


自宅への帰り道、繁華街を通ったら案の定 すごい人・人・人・・。
ちょっといつものラーメン屋さんにでも・・とか思ったけど
並んでる行列見ていっぺんに挫けて止めた。

帰ってきて一応 仏壇に線香あげてみんなで帰宅の報告。

夕食はありあわせ。
麺類(ソバ)と炊き込みご飯のオニギリとか
そーいう 出来の悪いおかーちゃんでごめん炭水化物メニュー炸裂。

ついでにいうと今日はカレーだ。

じいちゃんばあちゃん家で御節ご馳走食べてるからいいよね?
とか子供らに言い聞かせてるお母ちゃんを許してオクレ
(でも反省の色 無しとはいわないが薄い(汗))

とにもかくにも 今年がまた始まった。

あんまり新年気分はないけど
薬も眠剤増えたし 風邪の残り咳がまたちょっとしつこいし
しなきゃってことしたいってこと まだできてない状態ではあるけど

とりあえず 今日生きる。
今日抱え込みきれなかったことは明日やってみる。

明後日のことはちょっと置いておこう。



帰り道に見つけた綿毛タンポポ。
飛ばそうとしているんだなぁ
こんな冬の寒さの中でも。

晴れた日はあるから。





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                               ゆうなぎ



2006年01月01日(日) あたらしい今日。繋がっている時間。

12月31日はそれこそ飛ぶように過ぎていった。
ハッキリいってやり切れずに諦めて年越しした掃除やら片付けやらは
過去最高だったと思う。う〜ん。。

何とかそれでもお正月飾りを玄関に。
もういいや と開き直って
ある程度 掃除のキリを(むりやり)つけた後は
一応 不充分ながら掃除した(バチアタリ。ゴメン)仏壇の前に
子供達と正座して手を合わせて今年1年無事に終わった報告を
線香あげてアノヒトにみんなでしました。
これだけは毎年してるさせてる。これはするべきことだと思うから。
形だけにこだわるのにはなんか反抗心が湧くわたしだけど
親と子 であったという絆は大切に持っていて欲しいと思ってる。
忘れて欲しくないこと というのはやっぱりあるんだ。

それから

子供らとお笑い番組の特番を見て
紅白とかも好きな歌のところだけ見て
年越しそばを食べてお風呂入って 
親友達に「今年もありがとう来年もよろしく」の携帯メール
(ごめんよ。今年は親友達にすらそれで精一杯だった)して
除夜の鐘 聞きながらKに電話して同じように挨拶して話して
(これも 例年ならもう少しちゃんとメールしたりしてるのに・・ゴメン)

子供達は「あけましておめでとう!」を連発して興奮しまくってて
まぁ でも 今日は大目にみることにする。
お正月 だもんねぇ。
実感湧かないけど(苦笑)

騒ぎ疲れてさすがの子供達も眠りました。
わたしも少し眠ろうと

(ここで意識途切れた 気がつくと 完全に朝だし・・(汗))


えっと

多分 今日の夕方から実家に帰省します。
帰りは三箇日過ぎてからになると思うので
此処もその間は携帯で覗くくらいで日記の方はお休みになります。


新しい年になったんだねぇ・・・
まだ全然実感湧いてないよ。
それでも また一つ歳をとり また今年という1年の最初が始まる。
不思議 だね。

たった一日境界線過ぎただけなのに・・・なんて変に斜めに見るように
思ってしまうわたしはアマノジャクなリッパなヒネクレモノになってる。
いかんよね。

新しい年になってもリセットできないモノは確かにあるけど
新しく作り出していけるものだって確かにあるんだから。


わたしたちは 今 この時間を 確かに 生きている。


そんなふうに時間は繋がって新しく紡ぎだされているんだと
それを改めて強く感じる今日。 

1月1日。

出さないままの年賀状に代えて。

”今年も宜しくお願いします”

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                               ゆうなぎ


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