++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年11月30日(水) 黄金色(こがねいろ)の葉っぱ

読み返すとまぁ 昨日の日記ときたら 
そりゃもうわかっていたけど酷いもんだ。

瞬間 強烈に削除したい気持ちに駆られたけど止めた。
だってわたしが書きたかったのはキレイゴトだけじゃなかったはずだから。
ジブンってものの嫌な部分ダメな部分 全部ひっくるめて 
いや全部は見栄とかプライドとか恥ずかしさだのが邪魔して
曝け出せないまでもそれでも書きたかったからわたしは。

出来る限りありのままのココロの動きを。
時には露悪的に。
時には偽善的にも。
多分 両方嘘じゃなくて
でも100%を写しとるには無理だったとしても。

まったく自分と同じ考えだったり想いだったりってことは
あり得ない。それは当たり前。
100人いれば100通りのまったく違ったそれぞれの人生。

だけど例えば 重なる部分 共鳴する部分 そういうのって
ある気がする。
キミのあなたの貴女のわたしの気持ち100%はわかりっこないよね。
お互いに。

それでも何処かで重なって共鳴してその中で
微かな声でも
聴けたら
聴かせられたなら。

そんな


願い。
望み。




必要以上に露悪的でいたいとは思ってないんだよ。
共に必要以上のキレイゴトはもっとゴメンだ。
(この辺がアタシのカワイゲノナサ。偏屈モノ。理屈屋ぶり)


おい アタシ
何を恐れるよ?
これだけ失くして。

ちゃんとこの腕の中の大切なモノと向き合うことだけ忘れなければ
それでもういいじゃないか。
(ってでもそれがまた難しくてキリキリと胃を痛ませるんだけれども)
そう言い聞かせて。



あ〜どうも肩に力が入っててイケナイね。
少し深呼吸しなきゃイケナイね。


そうそう 今日スーパーからの買い物帰りにね
綺麗な葉っぱ見つけたの。

黄色っていうか
おっきくてね
日の光に翳すと黄金色に見えたよ。






しばらく見惚れてた。
なんか
ああ
綺麗だなぁって

道の端っこで
買い物袋提げたオバちゃん(アタシ)ひとり。
葉っぱ手に持ってボンヤリ日に翳してる情景。

間違っても絵になりゃしないけどさ。


持って帰ろうかなぁと思った瞬間 風にさらわれた。

でもそれで良いような気がしたんだ。
黄金色の葉っぱにはやっぱり風に舞う様が似合う。




自然に って 難しいね。
不器用ゴジラには 難しいよ。

それでも余計なもの少しずつでいいから削ぎ落として
この不器用さをみっともなさを少しだけ許せるように
なれたらいいな・・って思ったんだ。

黄色の葉っぱが日の光を浴びて黄金色に暖かく澄んでいくように。



ホントウのヤサシいモノ に 
いつか どれだけ時間がかかったとしても
なれたらいいなって

そう 
思うんだ。


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                               ゆうなぎ



2005年11月29日(火) カワイゲノナイ オンナ(猛毒注意)




これまさに多分きっとワタシ。

って言うと文章だけ読んで下さってる方の中には
そんなことないよ〜と言ってくださる方もいる・・かも・・かも・・
しれないけど。

いやアンタ文章読んでても充分可愛げとは遠いよって?
ん〜反論したいけどマジで納得しちゃうのが辛いトコ。

気 強いもんねぇ・・・。

一応 詩だの書いたモノ読んで下さった方から美しき誤解を受けることは
確かにある。儚げとか繊細とか そーいう風なこうありたい自分として
見てもらえるのは正直嬉しい。嬉しいけど実体は不器用ゴジラなので
なんかあんまりそう言われると申し訳なくなる。

っていうかねぇ・・憧れは本当に 
儚げで繊細な おっとりとした優しげな可愛げのあるひと。
儚げは まぁ儚くない方が幸せだと思うからいいし・・
繊細すぎてもナンだし
(わたしの場合なんて繊細通り越して壊れて歪んじゃったし・・(汗)) 
でも可愛げのあるオンナノヒトにはすごくすごくなりたかったし
今もなれるものならなりたい。

何ていうのかなぁ・・・
ダメなのは 多分 出来ない ってことを言えないからだと思う。
人間のタイプには 出来ないってちゃんと言えるヒトと
出来なくても無理してでもやらなきゃダメだって思うヒトがいる。

わたしは後者。それも筋金入りの。
でも 初めからそうだったわけじゃない。

だって 例えば あの時だってこの時だって
特に子供という守るべきものができてからは
できない〜とか わからない〜とか じゃ やっていけなかった。
亡夫はそういう意味ではもう一人の大きな子供だったから。

泣いてたって落ち込んでたって何も現状は変わらない。
王子様も天使もカミサマも助けてくれるわけじゃない。
倒れればそれでオシマイ。共倒れ。朽ち果てるだけ。

夫がいた時も問題解決を何とかって考えるのは わたしの役目だった。
やっと解決したら 次の問題をまぁ 何ともタイミング宜しく
実は・・・って切り出されて何回天を仰いだかわかりゃしない。

夫が病気になってからは勿論、逝ってからはもっと
それはわたしの役目になった。っていうか 
誰か何とかしなきゃいけないなら わたししかいないじゃん。

超がつくリアリスト。現実派。
泣いてて誰かが助けてくれるかね?
そりゃ 黙っていても泣き崩れるだけで誰かが代わってやってくれる程の
例えば美貌なり財力なりがありゃ別かもしれないが無念なことに
そういうのには恵まれていません故に。

甘えるとか頼るとか すごーーーく憧れる。憧れてる。
甘えられる頼られるってのが今までのそうして今の生活だから。

それでも思うんだ。何とかしなきゃって思うの放棄して
できませーん!もうだめです〜!って言えたら本当はその方が
周りにも良かったんじゃないかって。

例えば夫をダメにしたのはわたしじゃなかったのか という自問自答。
これ 実は文字にしたくなかったんだよね。認めたくなかったから。
認めると辛いから。
でも今 敢えて書くよ。此処に。

わたしがもっと可愛げのあるオンナだったら。
甘えさせてそれを許すんじゃなくて甘えてすがれるオンナだったら?
アノヒトハモットチガッタジンセイヲアルケタンジャナイノカ

親友にでもKにでも親にさえも そう。
わたしは甘えるのが下手だ。
どこかで気を遣って どこかで遠慮してしまう。
それは美徳のようで美徳なんかじゃないって思う。

本当は甘えたがりの寂しがりだ。
出来ないって放り出して肩代わりしてもらいたい。
そうだよ。ずっとずっとそう思ってた。
けど そしたら 誰が代われる?
堂々巡り。矛盾の迷路。

強くて脆い。
頑丈でヘタレ。


だったらさ・・・壊れるまで力の限り疾走するしかないじゃん。
パニクっても 限界値越えても気力で突き抜けるしかないじゃん。


誰がこんなこと 望んだかよ。
望むもんか。

寄り添って時に頼って甘えて 解決してもらって。

ねぇ なんでそこのアンタにそれが与えられてて
それでもアンタ 辛いけど頑張るワタシ ってのに酔ってて。
なんか道徳の教科書に出てくるみたいな台詞吐いて
頑張ろうとかいうわけよ?

アンタにゃちゃんといるじゃん。なんのかんの言ったって
守ってくれるヒトいるじゃん。


なんでアタシには無いのよ?


アタシだけ別に苦労してるわけじゃない。
アタシだけ世の中の不幸全部背負ってるわけじゃない。
アタシにも楽しいことも嬉しいことも喜びもあるよ。
わかってる。そんなこと アンタに言われなくても。

でも アタシがあたしのこと せめて こんなふうに思うこと
許してやらなきゃ 他にそれを許して甘やかしてくれるひとなんて
いないじゃん。
現実ってこの生活の中で。今まで今から生きていく中で。
それじゃ ヘタレのアタシは崩壊しちゃうんだよ。

アンタの尊敬してるお偉い苦労人の皆さんのように
苦労を苦労と思わず健気に頑張るっていうような清々しさは
アタシには無いの。 わかる?
こういうニンゲンもいるの。

間違ってますよって言われても現実と闘うのに こうならなきゃ
生きてこれなかったの。

開き直り だね。
うん 認める。

ああ なんか最低だね。
天に唾吐けば自分に返って来る。

でも
でもさ

敢えて アタシ 天に今 唾吐くよ。
此処に此れを この醜さをみっともなさを愚かさを
記しておく。



やっぱりアタシ 何処までも

カワイゲノナイ オンナ。






・・・ごめん。






*追伸っていうか蛇足っていうか 言い訳めいて でも*

これね キミじゃないよ、あなたじゃないよ、貴女じゃないよ。
優しいそのひと達が これ読んで自分に言えなかったこと?って
傷つくのは嫌だから。
それ本当に絶対に違うから。それだけは信じて。
だから 余計なこの最後の文章 此処に書いておくよ。

ごめんね。


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                               ゆうなぎ



2005年11月28日(月) 晩秋

やっと一番上の子供の酷かった風邪が治って今日から登校。
と 思ったら 今度はまた真ん中の子が朝「頭痛くて起きれない」
ついでに末っ子も同じようで。
・・・嗚呼!!

熱は無い。でも上の子の風邪のこともあるから 
まんざら学校イキタクナイ病とも言い切れない。
こっちの頭が張り裂けそうに痛くなる。

学校に電話して休ませることにした。
っていうか もーダメだ。お母ちゃんの神経と身体が限界。。

とりあえず上の子送り出した後で 寝ました。
ぜーんぶほったらかして 昼近くまで親子三人で。

この頃なんか夢見が悪い。すごい嫌な怖い夢ばかり見る。
逃げる夢怯える夢でも夢の中でも考えてる。
逃げながら考えてる。どうしたらいいか。何とかしなきゃって。
必死になってる。
オイオイ 夢の中でまでもかよ。
気 張りつめて ピリピリして必死になって
でも力は無くて空回りの的外れ。

がぉおおおおおおお!
吼えたくなるよ。まったく。

昼になったら調子が良くなる下二人。
なんていうか歯車がうまく回ってない気がする。
それと低血圧なのもあるかもしれない。特に真ん中。
頭痛いのも嘘じゃないんだよね。きっと。

だから 朝をいかに乗り切るか。
休みの日は学校のことで気を張らなくていい分 子供達それぞれに
目を配らなきゃだし 平日は学校のことで気が休まらない。

どーすりゃいいのよ このわたし(古すぎ!?)

とりあえず 子供落ち着いてる間にそそくさと近所のスーパーまで
買い物に。




足元に落ち葉。
綺麗だねぇ・・・

そういえば・・・

見上げれば 青い空に紅葉・・。




もう11月も終わる。

もたせたいねぇ・・・この神経と身体。
とりあえず今週末まで。オネガイカミサマ

心療内科で貰った風邪薬飲んで。でも総合感冒薬だからかなぁ
鼻水止まりゃしないよ。鼻炎かなぁ〜
一緒には飲まない方がいいって言ってたけどセンセイ。
この際 ちょっと間 空けたしもう少ししたら飲んどくかね。

もう秋も終わる。

12月がまた来て1年が終わるのももうすぐ。

見当ハズレだったり的外れだったり要領悪かったりの生き方相変らず。
それでも生き急ぐように走り続けることが止められない。

仕方ないやねぇ・・・

これがアタシなんだから。




黄金色の枯葉一枚
日に翳してみる。

こうすると
まだ薄っすら光るよ。


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                               ゆうなぎ



2005年11月25日(金) 谷間の詩(うた) ひっそりと。 *12/2記す

  「谷間の詩(うた)」

真夜中2時を回った
いつもは薬を飲めばボンヤリしているのに
今夜は妙に目が冴えて眠れそうにない

怖くて堪らないんだ
きみへの心配と同時に
逢えなくなったらって想いで怯えて震えている

怖くて堪らないんだ
神経が焼き切れてしまいそうで
限界値をとうに越えたこの神経が


泣けなくなって久しい
今も震えても泣いてはいない

けどずっと啼いてる
ココロは軋み続けて今にも壊れそうなんだ


わたしは今 どんな顔をしてる?
多分 きみにも誰にも普通の顔に見えるよね。

わたしは いつからかこの仮面を外せなくなったよ。


今夜は特別に夜が静かだ
多めに流し込んだはずの薬も効かない


なんでこんなに怖くてたまらないんだろう


仕方ないシカタナイ と何度も何度も言い聞かせる
それでも聞き分けのないココロは軋んで震え続ける

震えは大きくなる

仕方ないシカタナイ と何度も何度も言い聞かせる
それでも何処かで誰かの声が聴こえないかと待ってる

震えは止まらない


胃がキリキリとまた痛む



誰もわたしに気づかずに往きすぎていく
誰も気づかれずにわたしは此処で啼く


能面の顔をして
声を出さずに

わたしは此処で
啼く



誰もわたしに気づかない

誰も わたしに 気づかない



わたしは少しずつ壊れていく
いつか人知れずに朽ち果てたら

その時は 
せめて 泣いてください


泣けなかった 

わたしの代わりに



                    2005.12.2 AM2:18 記す。



2005年11月24日(木) 真夜中の手紙

子供 結局明け方近くにあまりにも身体を痛がるので
救急病院へ連れて行って。
それから 朝を待って かかりつけ医院に連れて行った。

インフルエンザの検査もしてもらって点滴も。
結論から言えば陰性(かかってない)で
まずは心底ホッとした。

ただ 相変らず熱は解熱剤で抑えてるし
まだ2.3日はかかりそうだ。
身体の痛みは急激な発熱による筋肉痛だそうで。
これは時々ある 足がつったりするのと同じようなことらしい。
急激に熱があがるとどうしても身体が突っ張るというか
筋肉が緊張する。

わたしも以前入院中した時に
熱が急激に上がって文字通り全身が引きつるような感じで
ガタガタと大きい震えが止まらなかったことがある。
他人のそういう症状を見たときには正直、震え幅の大きさ?に
驚き そんなに止められない程なんだろうか と思っていたけど
あれはほんとに止まらないんだ。自分の身体が制御できない。

子供もそういう類のことだったらしい。
急激な発熱は年齢があがるほど身体に堪えるみたいだ。
むしろ赤ちゃんや幼児の方が熱には強いんですと
これはお医者さんの言葉。

とりあえずつったときに良くやるように神経の筋を伸ばしてやるような
感じで逆向きに。そうして押すようにマッサージ。
それで痛みは随分治まったみたいだ。

そうしてさっき 悪夢を見たらしい。
子供の悲鳴のようなうめき声に
寝ていたわたしが飛び起きると子供は汗をびっしょりかいて
ウワゴトのような錯乱したような状態で
正直 まさか薬の影響?とかものすごく心配した。

とにかく落ち着いて落ち着いて・・と自分に言い聞かせて
大丈夫 大丈夫 と
抱きしめながらバスタオルで全身の汗を拭ってやる。 
新しい着替えを用意して全部着せ替える。
すると落ち着いてきて。聞いてみるとすごく怖い夢を見たんだという。

うんうん・・と聞きながら
自分の名前と歳 簡単な計算を念の為 子供に聞いてみたら答えられたので
ホッとした。

汗かいたせいもあるんだろう。熱も下がっていて。
落ち着いた子供に水分補給させて。
今はすうすうと寝息立ててる。少し安心。

ただ 下の二人にうつらなければいいが・・と。
帰ってからの手洗いにうがいは徹底させてるし
定期的に空気の入れ替えも昼間にはしてる。

ただ同じ家に暮らしていればうつらない方が難しいくらい。
咳が出てないのが救いだが。

まだまだ気は許せない。

気が張りつめているからか眠りが浅い。
見るのは例のざらりとした嫌な感触の夢ばかりで。

ただ とにかくわたしが倒れちゃ何もかもがおしまいだから。
身体をもたせながら乗り切るしかない。

今までもカミサマのハードル転びながらもヘタリながらも
なりふりかまわずにとにかく乗り越えて何とかしてきた。

だから今度も負けない。
負けてたまるもんか
(イイキカセル ジュモン ミタイニ)

強がりでもなんでも
最後の気力の全て振り絞って
またKの所に還りつきたい。

それが休憩所への課せられたハードルだというのならば
力の限りしがみついてよじ登ってでも。

諦めの悪さが身上だ。



*こんな風なので 更新 メール 遅れるかもしれません。
でも どうか 心配しないで。
シブトサが取り柄のわたしです。

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                               ゆうなぎ




2005年11月23日(水) 満身創痍

昨夜は
書きたいメールも
しておきたい仕事もあったけど

真ん中や末っ子が
お母さんと一緒でないと眠れないっていうので。

今のわたしはとにかく一度横になってしまうともうダメ。
常用してる神経系の薬にプラス鼻炎の薬のせいもあるのか
なかなか起きれない。眠りが深くなってるんだろうか?
それでも夢・・それも悪夢ばかりはみるんだけれども。
詳しい内容は起きてしばらくするとぼーっとしている間に
忘れる。ただ ざらりと神経を撫でられたような嫌な感触ばかりが残る。
悪夢・・というよりも 哀しい 夢。

案の定 そのまま眠ってしまって。
さっき一番上の子に起こされた。

「身体の節々が痛い。ふらふらする・・」
慌てて熱はかると40℃近い。
とにかく氷枕に解熱剤飲ませて再度寝かせた。 
わたしはこのまま起きていて下の二人を学校に送り出したら
今日一番で病院へ連れて行くつもり。

インフルエンザの確立 高い・・・。
ものすごいショック。

心配はもちろんある。
ただ頭の中で次に考えるのはインフルエンザだったら ってこと。

ハッキリいって予防接種とかしてない。
となると わたしを含め家族みんなに既にうつっている可能性が高くなる。

最悪だ。全員共倒れでもズレて順番にかかっても。
それに・・・それは全ての予定がダメになりかねないことを意味する。

冷たい母親だと思われるだろうか。

でも現実問題 下の二人が遅れて発病すればそれだけ長引くし
わたしがかかれば看病する人間がいなくなる。
実家の両親には言えない。言えば心配して来てくれようと
するだろうが もしも万が一うつしでもして
それが高齢の祖母にでもうつることになったら大変なことになる。
だから言えない。言っちゃダメだ。

今週末の真ん中の子との約束もこの調子だと無理だ。
来週のKと逢える日はどうなるんだろう。
長引けば無理かもしれない・・・・・。

酷い母親だね。
そんな色々なことが上の子を心配する気持ちと共に
頭の中に浮かんでる。
気持ちはどんどん落ち込む。手が震えだして鬱が忍び寄ってきそうな
気配に薬を引っつかんで水で流し込む。


どうしてカミサマはいつもこんな試練ばかり与えるんだろう。

Kと逢う予定が決まった前はいつもそうだ。
もう神経擦り切れてでも とにかく日にち決まったから
その日まで何とかって其処まで行き着くこと目標と支えにして。

そしたら決まって何かがある。まるでこのハードルを飛び越えれたら
休ませてやろう・・と言われてるみたいに。

もう限界ギリギリなのに・・・
それでも 何もなくは 休ませてもらえないんですか?
まだ足りないんですか?ねぇ カミサマ。


もうすぐとにかく朝になったら下の二人の熱を測って体調を確認して
学校に送り出してそれから 一番上のこの学校に休ませる電話をして
病院へ連れて行かなくては。
歩ければいいが・・。もう大きいのでさすがに背負えない。
なんとか・・なんとか・・。

私信:手紙書きたかったのに・・ごめんね。待っててね。
   何とかするしかないから・・・なんとか・・・

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                               ゆうなぎ



2005年11月21日(月) 迷い道くねくね

末っ子が満足したと思ったら真ん中の子が寂しいっていう。
それに応えてたら満足してたはずの末っ子が拗ねる。

一番上の子だってわたしに話したいことだってあるし
同じように書くことが好きな子だから
それを見て貰って意見を聞きたいっていう。
ものすごく好きなことしたいことがあるってことは
イイコトだって思う。
それが暗いトンネルの中に入った時の生きる希望(光)に成り得るから。

三人三様に
それぞれの気持ちは痛いほどわかる。

だからそれぞれに応えてやりたいけど身体はひとつ。
実家の方は実家の方で祖母の介護で大変だから
どうしても以外は できるだけ頼りたくない。
少なくとも心配かけたくない。

それでなくても本来ならもっとしてやれたはずのことが
今は支えあうだけで精一杯。

自分の無力さに何度も打ちのめされる。


少しでもいいから休みなさい と母はそれでも言ってくれる。
2ヶ月に一度 子供達を預けて行くことも許してくれている。
むしろ 安心するらしい。それ以外でリアルな友達と会うわけでも
オシャレしてお化粧して出かけるわけでもないから。
まだ そうわたしが言っているうちは まだ・・まだ 大丈夫だって
そう思ってくれてるんだろう。
申し訳ないと思う。鬱のことをカミングアウトした時も
どんなにかショックだったろうと思う。

それでも受け止めてくれた。無理もないよ・・と。
良く今まで・・・と言って電話口で母は絶句した。
わたしも言葉が喉でつかえて
ごめんね・・と 
それだけ 小さな声でいうのが精一杯だった。



十年近く。
そうして
子供達も一番甘えたい盛りの数年間を
極度の緊張と我慢と寂しさで過ごしてきた。
その最後の その後すら 
あんな・・心の傷を負わせることになってしまって。
それでも
あの悪夢の出来事についてさえ何も言わず。
一番上の子はもうちゃんとわかる歳だった。
下の二人だって幼いからわからなかったって問題じゃない。

離婚なら どんな父親だとしても その存在が生きているということ。
もちろんそれを経験していないわたしが一概には言えないことは承知。
いない方がマシな親だって確かにいるだろうから。

それでも それでも
父という存在がどんな形にせよ生きて存在しているという
その事実は子供にとって救いにはならないだろうか。

死別でもせめて想い出が楽しいものだけで懐かしいものだけで
あったなら。
子供達の心には 父親の死 という出来事と共に
あの四十九日での出来事が刻まれてしまっている。

何故 大人であり少なくとも子供達にとって祖母であったはずの人間に
それすらわからなかったのか。
それが情けなく哀しい。



今まで頑張って抑えてたんだと思う。いろんないろんなこと。

ちょうど わかるとわからないの間の年頃だったから
だから余計に下の二人には不憫なことだとそう思う。



今 わたしたちの年代は親の介護問題にさしかかってくる頃だ。

夫婦力を合わせてとか
兄弟姉妹力を合わせてとか 
そういうもので乗り切っていける人達を
羨ましいと思ってしまうわたしを
赦して ください。

わたしには無いから。
前向きにとかそういうの以前の嫌でも向き合うべき現実として
一人で闘わなければならないから。何処までも。

一人で背負って頑張ってる人はちゃんとそれでも頑張ってる。
そんなことは誰に言われなくても良くわかっていて

キレイゴト抜きの厳しい淡々とした現実。
どうしようもないことっていうのは仕方ないことっていうのは
確かにあるっていうこと。


諦めと覚悟は
これでも していて・・・してきたつもりで。

だのに わたしのこの背中はどうしてこんなに脆いんだろうか。
背負うそばから へたり込んで這いずりながらしか進めない。

ただ 背負ったものだけは降ろしたくないと
この腕が感覚を無くしたら
代わりにしっかり何かで括りつけてでも降ろしたくないと
降ろせないと

そう思うばかりで。



今日も迷い道くねくねと曲がる。
先は見えないけれど

どんなに脆かろうがみっともなかろうが
背負い続けることと生きることに執着する。
それを それだけは 自分に課したい。


せめて
せめて
せめて


ああ わたしは弱くなんかないね、きっと。

嫌になるほど 何処までも しぶとくて強い。



ほんとに

哀しくなるほど。






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                               ゆうなぎ



2005年11月20日(日) 週末 遊び倒しフルコース

この週末は 上の二人が実家へお泊りして
末っ子とふたり。

最近 もっともっとこっち見てよって信号。
反動でかなり家で荒れてたから。
甘えん坊のアマノジャクなので。
他の子にちょっと比重が傾くと寂しくなるんだろうなぁ。
でもそれも当たり前といえば当たり前
甘えたい盛りのはずだもの。

正直言うと今のわたしには結構ストレスかかる。
末っ子の場合 こうなると ちょっと待ってねってことが
きかなくなるから。
秒読み。10・9・8・7・・・・・0
で 間に合わなかったらお怒り。
拗ねる。半端じゃなく荒れだす。
もういい!って言い出して始めは拗ねていただけのはずが
いつの間にか真剣に泣き喚きだす。
でもそれだけ寂しいってことなんだろうと不憫。
だってベットリと かまってやるとニッコリいい顔して笑う。

だから今週末は末っ子デーで徹底的に甘えさせて付き合うことに
決めた。特別な日。

まずは とにかく街に出ることに。
イッチョマエに 腕を ん!とかいって出してくる。
腕を組んでいいぞ!ってことらしい。何しろデートなんで。

末っ子お気に入りのラーメン屋さんと甘味所をハシゴした後で
100均のお店でデカデカ風船と半端じゃなく大きな水鉄砲
(これだけ400円もした。レジで400円だけどいいですか?って
聞かれて よっぽど じゃあ止めときます って言いたかったけど
(鼻息も荒く今か今かと待ってる我が子「シールでいいです」とか
既に言ってるし)表情には出さずに はい。イイです。って言って
心で密かに泣いた母。トホホ)を買って
いつもの古本屋さん(中古ゲームソフトも置いてる)で
約束のゲームボーイのソフト中古500円也買って 
マクドナルドのハンバーガーとポテト抱えて帰ってきた。

それからがお楽しみタイム。
まずはお風呂。膝の上に抱いて頭シャンプーから身体まで綺麗に洗った後は
先にお風呂にドボンさせる。
そしたらさっそく水鉄砲でまだ髪とか洗ってるわたしを湯船の中から
乱れ打ちしてくる。おいおい ちょっと水は止めようね〜
せめてお湯にしてくれ〜お母ちゃん風邪引いちゃうよ〜
で 何とかお湯にしてもらうことに成功。
でも容赦ないんだから まったく〜
それでも きゃ〜止めてよ〜とかいいつつシャワーお返しにかけてやると
キャッキャと大喜び。

湯船でも抱っこ。くっついてタコさんみたいな口してチュウ。
のぼせるほど入ってて御満悦。
あがってバスタオルで頭と身体をしっかり拭いてパジャマ着せて
(完全に王子様状態)
バスタオル巻いてるだけのお母ちゃんはヘックション!!

それからのスケジュールがまた盛りだくさん。
 
まずは デカデカ風船。
両手で抱えきれないくらいに膨らませる。
これなら夜でも音響かせずにボール遊びできるから
お布団敷いてその上でその位置から動いたら負けってルールにして
ぼよよ〜んとこれが結構感触が楽しい。

お次はトランプ。七並べにババ抜き、神経衰弱・・
二人だから 何だか盛り上がりには欠けるんだけど
でも もう一回 もう一回って
気がつけば夜中の0時回ってる。
お母ちゃんの方が疲れてもう瞼が落ちそう。

でも子供は 今日は特別 ってわたしの約束があるから 
じゃあ お布団に入って自分がするゲームボーイ見て〜って。

ふぅ〜やっとここまできたよ〜(ワタシの心の声)

二人で布団に潜り込んでくっついて
ゲームボーイするの見てたけど わたしの方がウトウト・・
そのたびに注意されるけど
お母ちゃんもう 限界です〜いつの間にか意識失ってぱたり。

で 朝 王子様は案の定 ネボスケしてた。
満足そうにふにゃぁって笑った顔のまんまで。

ああ 良かったなぁって思った。
それでもまだまだ足りないんだろうケド。
でも少しでも。あの笑顔。心底嬉しそうな幸せそうな。
楽しいねぇって何度も繰り返して。

ごめんねぇ・・いつも寂しい思いさせてるもんね。
お母ちゃんは一人で。
君達は三人で。

積み重なっていく寂しさの層が時々崩れちゃうんだよね。
足りないことばかりで
それはもどかしいくらいに。


お母ちゃんは 多分というか情けないけど
かなりヘタレなお母ちゃんで。
頑張らないって開き直るつもりはないしできないけど 
何処かズレてるし しょっちゅう最近じゃ
スイッチも切れるポンコツ母ちゃんだ。

でもとにかくさ やれるところまではお母ちゃんのやり方でだけど
やれるだけやりたいって思うんだよ。
カッコ悪いけどね。
でもこれだけは譲れないって所とか 伝えたいことっていうのは
お母ちゃんなりに あるからね。それだけは。


君たちも三人ともお母ちゃんの血を引いてか不器用だから
だから回り道も多いと思うんだ。みんなして。

それでも とにかく とにかく 日々を生きることから始めようね。
曲がり道 迷い道 寄り道 綺麗な道ばかりじゃない
泥道 ケモノ道 傷つく時には同じだけ傷つけているだろう。

ニンゲンはニンゲンだから苦しいんだろうね
寂しく哀しいんだろうね。
でも
だから嬉しさや楽しさがわかるのかもしれないね。


週末 遊び倒しフルコース
とりあえず第一部の終了です。

でも さっそく第二部が真ん中の子のリクエストで
来週に着々と計画中。


う〜〜〜〜〜〜〜〜


お母ちゃん とりあえず体力気力財力の続く限り頑張りまっす!

寝顔は天使。起きたら小悪魔?
それでも惚れた弱み?だもんねぇ

しょうがないや ね(苦笑)


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                               ゆうなぎ



2005年11月18日(金) 息切れしながらだけどそれでも

久しぶりになんか描きたくなって絵を描いた。

絵っていうかイラストっていうか妖精のフィギュアを見ながら。
エンピツで形とってボールペンで線決めて恐る恐るみたいに
小さな迷い線ばかりの輪郭。わたしらしい。

で とっておきの色鉛筆登場。
一つ一つの色に綺麗な名前がついてる。こういうの好き。
「白いテラスのレモネード」「傷心のティラミス」「長崎のビードロ」etc
イメージ、風景。いつの間にか夢中でガシガシ(この辺ゴジラ)描いてた。

描いて輪郭切り取って厚紙に貼って。
ハート(心)を膝に抱くわたしの妖精が出来上がり。




息切れしていて。
上手くいかない時って
何もかもの歯車が狂ってしまうようで
その現実にパニックになりそうになる。

なんていうか叫びだしたいのに喉の胸の奥に
重いカタマリが詰まっていて言葉が声が出せない。

それでも日々は過ぎる。否応無しに過ぎる。
もみくちゃになりながら自分を叱り付けたり騙し騙ししたり
とにかく生きることに専念する。




生きています。
ヘタリながらヨロケながら
でも何かに反抗するように挑むように
何だろうね・・・ぐちゃぐちゃな情けない生き様だけど
それ曝け出しても最期までしがみついて生きてやる って
これがわたしの矜持。プライド。




あのね・・中島みゆき 聴いています。
「エレーン」の生き様。
「ファイト!」のあの歌詞。
「狼になりたい」「悲しいことはいつもある」「春までなんぼ」
「二隻の舟」「あした」「かもめの歌」・・・

かみ締めるように聴いています。
ゆっくりと効いて来るお酒みたいに
ココロに沁みこんでいきます。



息切れしながらだけどそれでも


生きていたいと 思います。


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                               ゆうなぎ



2005年11月16日(水) この日

前日 ふとカレンダーを見ていて
そういえば明日はわたしの病院の診察日だったと気づいて。

子供らは相変らずやっぱりそれぞれに不安定で
反抗期と甘えたがりと仮病とは言えないとてもデリケート
休みがちな学校。

実家の両親もよりハードになった介護に疲れ気味だから
なるべく負担や心配はかけたくないけれど
一人置いて病院に行くわけにもいかず。
母に朝早く 申し訳ないけど・・と電話して来て貰う事にする。

とにかく病院行って薬貰ってこないともたない不甲斐ないわたしの神経。
先生は本当はもっと頻繁に診察日を・・と思われてるらしいけれど
状況やわたし自身の外に出て人に会う(病院へ来るの自体が負担)という
気持ちを汲んでくれている。 
それと人前に出ると ちゃんとする・・のスイッチがもう反射的に入るから
それもあるのかもしれない。まだ なんとか大丈夫だろうって。

実際 わたしのようなタイプの人間にはカウンセリングは逆効果だし
薬も一度増やして抑えることに縋りだすと坂道を転がり落ちるように
確実に依存するのは目に見えてるから。

先生もどうしようも無いと思う。
状況は改善できるわけもなく カウンセリングは拒否反応。
それでも薬があるお陰で 何とかもってる。
心療内科に勇気を出して通いだして良かったってそれは思ってる。

薬 増やすことも実は話したけど 先生も増やすとどんどんそっちに
依存していくだろうと危惧されてるんだと思う。
どうしても限界で辛ければ増やすことも考えましょう という結論。

過食と激辛モノ摂取。
で 過食の後はとにかく貰ってる下剤飲む。
睡眠ぐちゃぐちゃ。何かしながら ストンと意識が落ちて居眠り。
朝は起きてる。というかとにかく子供達に食べさせて
学校に無事に行ってくれるようにと毎朝 胃がキリキリと痛む。

完璧にとかじゃないけど 一日休んでも二日続けて休めば余計に
行きたく無くなる。そういうもんだ。それは大人も子供も変わらない。
学校行けば帰りは元気に帰ってくることができるんなら 尚更。
とても難しいサジ加減。何でもいいよいいよで逃げさせていいとは
思わない。逃げるなとは言わないけど 闘うことも大切。
だってどうしても逃げることのできない向かい合わないといけないこと
というのは絶対にあるんだから。

三人いれば それぞれに。
病院から 帰れば 末っ子のことでまた あちこちに色々と。
この子も甘えたいのと寂しいのと反抗期がいっぺんにきてるから。

電話 お友達のお宅へ数件かけて御礼やご挨拶。
それぞれの担任の先生にも今現在の事情や子供の状況を話して。

親なら当たり前のことなんだろうと思うけど 
今のわたしにはかなりキツイ。
気を遣い 神経が擦り切れる。

登校拒否の気持ちが身体に出てるのかそれとも本当に調子が悪いのかの
見極めもとても難しい。熱は目安になるが熱が無いなら気持ちだけの
問題だとも言い切れないから。

1対1ならもう少し何とかできるのにと思うことも正直多々ある。
自分でも正直 変に自分に感心したりする始末。
なんていうんだろう。ちゃんと振り分けて自動スイッチ入って
一応でもちゃんと対応して。できてるじゃん。

ただ 自分がしているという実感がないだけ。
身体がフワフワするというか 自分が話してる声なのに
自分の声のような気がしない。離魂感とでもいうんだろうか。

記憶力も悪くなってる。というか 記憶が抜け落ちてる時が
かなり多くなってきた。

ストンと意識が落ちて眠っていても
例えば電話とかあれば ちゃんと受け答えしなきゃって思うらしく
気の張った相手には頭を必死で動かしてとんちんかんなことを言わない
ようにしている。その意識はあるがもうそれはそれまで培ってきたものを
総動員しているような感じでボロを出さずに話せた ということは
認識できてるけれど そこまでが精一杯。

気の許せる親友やKからの電話では その緊張が解けるからだろう。
完全にとんちんかんになってる(らしい)相手も事情をわかってるから
また 後でかけるね ということになる(らしい)
なんで らしい のかというとその辺の記憶がまるでないからだ。

情けないけど頭が働かない。最近特にとても疲れている。
この日記を書くことで(それすら時にダルくなる始末だけれど)
何とか思考能力を保っている気がする。

子供達が少し落ち着いてくれたら・・と 思う。
実家のことも両親や祖母のことも心配でならない。



キミにあなたに・・手紙を書きたいのに
言葉にならない。
ああ・・・書きたいのに。
書きたいことは話したいことはこんなに胸の中に溜まっているのに。




今日 花を買って帰った。
仏壇の前に別に添えて線香を立て手を合わせる。
今日はアノヒトとの記念の日だったから。

そうだよ。忘れられるわけないでしょう。ねぇ・・。
覚えてたよ。覚えてるよ。ずっと覚えているだろう。

Kにも
親友にも
言わないけど言えなかったけど

この日。



沢山の想いが心に詰め込まれすぎてきて
その想いの中であっぷあっぷと溺れそうになっている。
現在(いま)


酸素を
空気を

イキガデキナイ





ダレカタスケテ





もうどのくらい繰り返し繰り返し
わかってる。返ってくるのは木霊だけ




この日
やってきて
また
過ぎていった。


この日。

また
くるけれど
もうそれは
あの日じゃない






この日

に。



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                               ゆうなぎ



2005年11月15日(火) 命の讃歌(おまけ)

日曜の午後。

思いっきり久々のバトミントン。
子供らと。




根を上げたのはお母ちゃんの方。
だって腰痛にギシギシ言ってる身体に湿布貼って頑張ってるんだよ〜
そろそろいいでしょうか〜?
チビ鬼コーチに聞くけどお許し出ない。

ふうふう・・ぜいぜい・・・

あと10回続くまでね って

無情のお言葉に腰砕けそうになりつつ。

アンタはムナカタコーチかね?
コートの中では・・・平気・・じゃないぞ〜
だってオンナノコだもん
(って もうごちゃ混ぜ)

頑張りましたよ。
近年稀にみる頑張りだったと思う。我ながら。

鬼コーチらも少しは満足されたようで。
良かったっす。

全身湿布状態のお母ちゃんはお陰で
自宅に帰ってPCの前で思い切り爆睡居眠りこいてました。
丸一日 ロボット歩きしてました。
二日経っても全身湿布臭いです(泣)


PCに向かってます。


私信:もう大丈夫 って言えないところが わたしの情けなさというか
   ヘタレさ加減を良くあらわしてます。それで良いと思ってるわけじゃ
   ないけど でも やっぱりわたしはわたしでしかいられないと
   そう思ってます。心配かけてごめんなさい。
   キミへあなたへ この空の下 繋がっている大切な心の友達へ
   でも 生きます。往きます。改めての今日も生存証明此処に。
   手紙の前に とにかく知らせたかったから。

   ありがとう。


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                               ゆうなぎ      



2005年11月14日(月) 命の讃歌(風景)

日曜日の朝。狭いベットに末っ子が潜り込んできて
ちょっとばかり寝苦しい体勢なれども
チビの方は御満悦だったので言うに忍びなく
甘いお母ちゃんは いつもの腕枕しながら寝たんだけど。

お陰で体中がギシギシいってる状態。
腰さすりながら早々と目が覚める。

そぅっと布団かけなおしてベットから出て洗顔、歯磨き済ませた後
外の空気吸いに。ちょっと散歩に。




朝日が
眩しかった。

空気が美味しくて。



朝露浴びて 花。




こんな所にも






美しい・・と思った。
ただとても素直に感動した。

もっともらしい言葉も何もかも吹き飛ばすほどの命そのものが
其処にはあって。
敵うはずないよなぁ。こんな大きなものに。


でも

だからって言葉がイラナイわけじゃないんだ。
ニンゲンは っていうよりも わたしは
だからこそ諦めちゃイケナイんだって。

拙い頼りないモノにすぎなくても
みっともなくてもズルくて時に逃げ腰でも
這いずり回って何処までいっても
人様のいう立派なちゃんとした生き方とやらは
出来なくとも。



山より大きな獅子ゃでやせんよ。



大ばあの言葉がまた木魂する。

一つ深呼吸して家に戻った。



2005年11月13日(日) 命の讃歌(掌)

土曜日。実家に子供ら連れて大ばあちゃんの顔見に行ってきた。

この前 病院では顔もかなり腫れてて色変わってて
歳が歳だからなかなか治らないだろうなって
そういうのもある程度覚悟していったんだけど
ビックリした。だって顔とかの青痣が目立たないくらいに
薄くなってる。食欲も少しずつだけど出てきたみたいだ。
相変らず夜中の歌は続いているし コルセットはめるのを嫌がったりは
あるみたいで両親は大変みたいだけど。

母と話した。
「大ばあちゃん スゴイね」って「さすがだね」って

生きる力。理屈じゃなくてなんていうか本能のような
そういう力強さ。

「大ばあちゃん きたよ〜」っていうと
まだちょっとばかりタンコブの痕跡のある薄っすら青痣の残る顔で
「ようきたねぇ〜」って嬉しそうに笑ってくれた。



祖母の手。苦労に苦労を重ねてきた手。




柔らかな暖かい 美しい手だ。



祖母は余計なことは語らない。
わかったような顔もしない。

厳しく躾けられたし叱られたし
けど振り返れば 一つ一つがちゃんと意味のあることで
今のわたしも同じようなことにこだわってやっぱり子供ら叱ってる。

一人一人が違う。
その中でそれぞれの形で生きる。
それを祖母ほど語らずにわたしに教えてくれたひとはいない。

どんな宗教よりも心の導き手とかいうナントカセンセイの
ありがたいお話とやらよりも

この手が 掌の温もりに触れることが
今こうして 命の炎を燃やして生きている姿 全てで
祖母はわたしに教えてくれてる気がする。
そうして その言葉でない言葉は わたしの中にとても自然に
入ってくる。



生きなさい。往きなさい。
山より大きな獅子ゃ出やせんよ。



うん。大ばあ。
そうだよね。



2005年11月11日(金) 週末に(私信めいて)

今日は土曜日週末。

相変らずの犬掻きしながら溺れながらみたいな毎日。
泣きたいほど時間が足りない。
身体が2つ3つあれば 少しは違うだろうかとか
馬鹿なこと考えながら。
焦れば焦るほど上手くいかなくて歯車が狂ってばかりで

苛立つ。
何に?
自分に。

とにかくここに生存証明。

今日 明日と子供ら連れて実家に行ってきます。
大ばあちゃんの顔を見に。



ちょっと更新遅れても心配しないでね。
帰ってきたらゆっくりと手紙を書きたいです。
無理して・・じゃなくてわたしも話したいことが
いっぱいあるから。

遅くなっても待っててくれると嬉しい。


ありがとう。

其処に
この連なる空の下に
キミがあなたが確かにいてくれるというその事実が
わたし自身が此処に存在しているのだということを
確認させてくれている気がしています。


いってきます。

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                               ゆうなぎ



2005年11月10日(木) 声に代えて(何処かの誰かへ 連なる空の下のキミへあなたへ)

言葉を綴るという行為は
わたしにとって息をすることに近いのかもしれない。

詩モドキであったり日記であったり自己流の短歌であったり
それはいつもまとまりの無い とても不器用なもので

それでも何かがあった時に
頭の中で無意識に文章を作っている自分というのに気づいた時
これはもう業(ごう)みたいなモノだな と思った。

例えば詩人だとか作家だとかエッセイストだとか
言葉を綴ることを仕事として日々の糧を得ることができるなら
それは苦しくとも幸せだろうと思うけれど
その力が無いことを自覚しながら いや それでも 多分
最期の瞬間まで 少なくともわたしは”書きつづけるニンゲン”で
あるのだろうな・・と。それが自分の心の中でだけでも。


わたしの全部をそのままに書くことはきっとできないと思う。
わたしには守るべきものもあるし 全てを書くことでそれを危険に
晒す覚悟はない。
いや それ以前に ヘタレなわたしにはわたしの全てを晒す覚悟が無い。

何処かで繕っている。不器用で繕えば繕うほどボロはでるのに。
でも 綺麗ごとだけを書くことだけはしたくないと これも
意固地なほどに思っている。
矛盾 なのだろうけれど。

こうできたらいいだろうなと思うことは確かにある。
何度も書いているけれど それを実践してそれを目指すことに
迷いの無いヒト達はそれでいいんだと思う。

ただ わたしが真っ直ぐにそれを見れないというだけ。
わたしには 宗教や精神的な先生と呼ばれるヒトの言葉で
感銘や影響を受けることはまず無い。
立派な言葉ほど わたしの気持ちを萎えさせる。
醒めた目でしか見れない。

良いこと正しいこと美しい行い。
それを目指して世の中は回っていくべきだろうし 
それが基準であることは必要なことだって思うんだ。

だけど その無邪気ともいえる迷うことなき正しさに
まるで駄目ニンゲンの烙印を押されたような気がして
傷つく人間もいるということ。
わかっていてもできないこと、努力とかそういう次元では
どうにもならないことっていうのが
生きていく中にはあるってこと。

わたしはいつも自分に違和感を感じて生きてきた。
取り繕いきれない 当たり前のことから体半分はみだしてしまうような
ただ 臆病者で小心者で それを知られない為に必死だったから
むしろ わたしはずっとイイコだった。はみ出さないように
目立たないように身体を竦めるようにして。
それで何とか多分まだ それなりに生きてこれたんじゃないかな って。

けど 何だかずっと納得いかなかった。
感動する話も 頑張っているヒトの話も もっともな励ましも
なんかキレイすぎて 真っ直ぐすぎて 迷いが無さ過ぎて。
まるで何処か遠くの話みたいだった。


わたしは だから

迷いを 書きたいって思った。
苛立ちや不器用さやみっともなさや足掻く様を
だって それが わたしの真実と現実だったから。
それが人生の実感だったから。


真っ直ぐに迷い無く生きることはイイコトなんだろう。
きっとそれができれば一番いいんだろうと思うし
それができるヒトは幸せだと思う。

でも それは わたしの生き方じゃない。

失望されるのは辛い。
だから ”・・・じゃなきゃならない”ってずっと自分を
縛り付けて それから はみ出ることに怯えてた。
嫌われたくなかったんだ。あのガッカリしたような呆れたような目で
見られたくなかった。

けど 色んなことが本当に色んなことがあってそれから
もう・・いいじゃないか って。
仕方ないじゃないかって・・・それで去っていかれるのなら・・
この わたし というものに失望されるのなら。

苦笑いみたいに思った。
これ以上 何を怖れることがあるんだ?って。
傷ついて傷ついてズタズタになった。
その分 同じだけ傷つけてもきただろうけれど。

何度もトドメを刺されても死に切れなかっただけ
それは根性とか頑張りとかじゃなくて怖かったから それだけ。



それでもいいと言ってくれてありがとう。
きっと その言葉を待っていたの。
甘えて・・甘えたくて。甘えてみたくて。
甘えを承知で。



綴っていくと思います。
これがわたしの生存証明だから。

声に代えて。
想いに代えて。


伝えられることの限りを。





また 手紙 書かせてください。


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                               ゆうなぎ
 



2005年11月09日(水) 全部わたし

何とかしようと思えば思うほど上手くいかなくなる。
焦って必死になってでもかえって糸はこんがらがる。

ヒトを失望させてしまうことに怯える。
それが大事に思うヒトなら尚更 怖い。

所詮 見てくれてるのは幻想で
わたしはこの程度のヘタレでしかなくて
ズルクも卑怯でもあるし根性もないし
そんなことはわかっているけれど それでも
わたしというニンゲンに少しでも期待をしてくれるヒトの
その期待を裏切ることになるのがツライ。

それでもこれがわたしで
わたしの精一杯で。

繕(つくろ)い方すら下手で。
せめて不器用なら不器用なりに
もう少し分を弁えればいいのかもしれないけど
変な意地だのプライドだのお人良しだったり
中途半端で。

ああ もう 見てられないほどに 薄っぺらい
ワタシというモノ。

失望させてごめんなさい。

でもそんな薄っぺらさも醜さもみっともなさも
それで あなたがキミが去っていったとしても
わたしはワタシの中でわたしを足掻きながら要領悪く必死に
生きるしか今はできなくて。

全てを伝えきれるわけもないけれど

これが わたし
全部わたし


これも わたし
確かにわたし。






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                               ゆうなぎ



2005年11月08日(火) 戯言(タワゴト)・毒100%

胃の痛くなるような日が続く。

現実 胃の辺りがキリキリと痛むから
あまり酷くなるようなら一度病院へ行ってみなきゃなと思う。
とにかく今 わたしまでどうこうなるわけにはいかないんだ。
何とか もたせなきゃ ココロもカラダも。
子供らどうなる?両親どうなる?祖母はどうなる?

苦しい時でも心構え一つ、笑っていたら幸せはやってくるから 
とか
確かにそうだろう。
要は捉え方一つなのだという考え方はとても正しいし
健全だと思う。
けど それはココロが健全だからできることで。
少なくともそう言えてそれを心から信じれるヒトは
(現実の状況がどうあろうとも)幸せなヒトだと思うし
それで救われているのだからとてもイイコトだと思う。

思うけどそれをこちらに向けるのは止めて欲しい。
自分の心構えやいかにその道が正しいか、
それを実践しているヒトの素晴らしさ
聞いても悪いけど全然ココロに響かない。
苦痛以外の何物でもないし・・ごめんなさい 悪いけど
マジで すごい拒否反応。吐き気すらしてきてしまう。

正しいか正しくないかっていえば正しいのは ソノヒト達で
どう考えても歪んでるのは わたしだろう。

けど 目の前すぐそこにある現実。
今から1分後、数十分後のこの現実を実際闘うってことは
そんな余裕なんて無いってことなんです。

現実。
親友たちはいてくれる。Kもいてくれる。
まだ現実に会った事は無くともある意味 
今一番心の中を打ち明けて信じられると思える友達とも
此処で出会えた。

今のわたしを支えて動かしてくれているのは
そんな あなた で あり キミ だ。

でも みんな遠い空の下。
当たり前だけど それぞれの生活がありそれぞれの生きる道がある。


目の前の闘いに挑むのはいつも一人。
亡夫も一緒に剣を取って闘ってくれる人ではなかったから。

わたしはいつも一人で闘ってきて
いつしかそれは当たり前のことになっていて

なっていて 
なっていて
 
でも
それでも

ふっと

叫びだしたくなるような時があるんです。


それでも声はもう出なくて。
喉を塞ぐばかりでつかえて・・

呑み込んで空を仰いででも気を抜くとやられるから
必死でまた剣を振るう。


幸せを知らないわけじゃありません。
悲劇のヒロインなんてどう転んでもそんな柄じゃないし 
そんなの真っ平ご免です。
ちゃんと笑うことできます。
ちゃんと大切なものもあるし守りたいものもあります。


わかったから

わかったからさ
貴女や貴女の尊敬するヒトがどれだけ逆境の中
頑張ってきてるかは良くわかったから
素晴らしいと思うよ。スゴイことだと思うよ。

だから もういいでしょう。
頼むからわたしに話しかけないで。

わたしにそれを求めないで。




”この世見据えて笑うほど
冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで走るほど
心の荷物は軽くない
救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ”


        中島みゆき「友情」より





わかってる。
歪んでるのは

あたし だ。


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                               ゆうなぎ



2005年11月07日(月) 歌姫

コクリコクリと半分居眠りしながらPCの前 作業してた。
何気なく飛び込んできた文字に眠気が飛んだ。

彼女が闘病生活を送っているというニュースは知ってた。

多分 わたしたちの年代の人間なら尚更強い印象があるだろう。
それほど新鮮で斬新だった。
アイドルでは納まりきれない実力と熱意がミュージカル女優への
道を選ばせたのだろう。
たまに目に留まる芸能ニュースでも
一歩一歩確実に彼女が上っていっているのがわかった。
心底歌うことが好きなのだろうなと思わせるパワーが感じられて
すごくいい笑顔をしてた。

これから もっともっと という時の突然の休養はどんなに
無念だったろう。
でも伝え聞くニュースからは彼女の強い意志を感じていた。
必ず治ってみせる。歌いたい。 声高でないが静かな確かな闘志。


だから尚更 訃報に胸が詰まった。
38歳はあまりにも若すぎた。

心よりお悔やみ申し上げます。



夫が逝ったのは誕生日の一週間前でやっぱり30代後半。
若い人は治りも早い代わりに悪いとなるとその進行も早いですから と
そんな医者の言葉を苦く思い出す。


いつか また自分も送られる日を迎える。
それまでに どれだけの人を見送ればいいのだろうか・・。

目を瞑りたい衝動に駆られるけれど しっかりと目を開いて
それだけは それだけが せめてできることだから。

不安で止まらない指先の震えを 
爪が喰い込むほど強く握り締めて抑えて。

大切なひとたちの日々が続くことをひたすらに願う祈る請う。
天に。

おねがいですどうか。




私信:

この傷は
たぶん ずっと痛みを持ち続けるもの。
それでも この痛みは 手放せないものなのだと。
あなたになら キミになら この想い伝わる気がして。

縋りつくように 身勝手ながら わたしは今 思っています。

許してください。


                               ゆうなぎ   



2005年11月06日(日) ただ空を仰ぐ

金曜日 朝の子供との出来事で神経がすり減ったような状態で。
とにかく時間制限がある。子供達が学校から帰ってくるまでに
家に帰り着いていないといけないから余計に焦る。
それでもひと目顔見て安心したくて。

誕生日の近い祖母へのプレゼントや疲れてる両親へも
ささやかながらそれぞれにプレゼント選んで。
なかなか渡す機会がないから持ってきた。

祖母の入院している病院は総合病院で
総合病院はわたしにとっては辛い。
辛いというよりも怖い。

夫の闘病中、通院で付き添った毎日。
入院してから 看取った最期の時まで
気を抜けば崩れ落ちそうな気持ちを張りつめて張りつめて
通ったあの道を
わたしは今も通れないでいる。

総合病院独特のあの雰囲気。
待合所の情景。病棟の廊下に白い病室。

祖母の入院しているのは別の総合病院だけれど
重なってフラッシュバックする情景に
指先が抑えても小刻みに震えているのが自分でわかる。

しっかりしろ と自分で自分に言い聞かせる。
幸い今回命に別状はない。
とにかく聞いていた病室を探して中へと入ると
両親が来ていた。

祖母の顔はかなり酷く面変わりしていて
それは転んだ時に顔面も拍子で強く打ち付けたかららしい。
単純に転んだというのではなくて 多分転びそうになった時に
何かにしがみつこうとしたのではないかと。
それでよろめいてかえって反動で顔面まで強く打ち付ける形に
なったのではないかと。

それでも思いの他 しっかりしていて安心した。
ちょうど昼食時で食欲は家にいた時よりもかなり落ちていたけれど
これでも少しずつ食べるようになったんだよ と母が言った。
入院した日にはとにかく一口も食べなかったそうだから。

せめて・・と母に代わって食事の介助をした。
おかゆを一口 おつゆを一口。少しずつ ゆっくりと。
顎の下にタオルエプロンをして小さな口を拭くタオルを横に用意して
自分でできるのにとか
こんなに沢山たべれないからアンタ食べなさいとか
思っていた以上にしっかり話していてホッとする。

祖母の中では時の感覚が行ったり来たりするようで
わたしに学校は今日はいいのかと言ったかと思うと
子供達(ひ孫)は元気かと尋ねたりする。
それにひとつずつ臨機応変に答える。
否定したり違うよという必要はないと思うから。

祖母の中ではただ時が順番に並んでいないだけ。
時を駆けてあちこちに行ったり来たりしているだけなんだから。

プレゼントを開けて見せると喜ぶ。
一応 お母さんに預けておくからね というとにっこり笑う。

太った太ったと盛んに言われる。
でも気にはならない。祖母の太ったねは 元気そうだ ってことだと
知っているから。

でも確かに昔のひょろりとしていたわたしより太った。
これは過食のせい。
ストレスが溜まるとどうしてもそういう方向に出てくる。
随分治まってはきたけど正直かなり気にはしてる。

ただ祖母には言われても堪えなかったのに
父からの言葉は堪えた。
元々 父は毒舌家で。家族思いは人一倍だし実際 
有言実行の人だがそれだけに少々キツイ時がある。

その時のわたしは黒のキャミソールの上に
薄いピンクのカーディガンを着ていて。
それは今まで首の詰まった全身黒ずくめみたいな格好の
わたしからしたら かなり頑張った方だった。
ちゃんと口紅もつけて控えめながらアクセサリーもつけて。
砕けすぎては病院だから でも黒ずくめよりも少しでも
明るい色を・・って色々頭を悩ました末に迷って決めた服装。

父から一言で切り捨てられた
「胸がそんなに開いててみっともない!」
「この前もおかしいから止めとけって言ったのに
まだこんなものを着てる」

病室でお説教。

母がフォローするように 今はこういう服をみんな着てるじゃないの
って言ってくれたけど。

そんな胸の深く開いたキャミソールじゃない。
Tシャツくらいの大人しいもの。
カーディガンの前はホックで留めてるから露出度が高いわけでもない。


なんだか・・・一気に・・気持ちが・・落ちた。

これくらいもダメなのかな。似合わないのかな。おかしいのかな。

朝から・・子供のことで神経と身体クタクタにして
でもおばあちゃんの顔見て安心したかったから
電話して 都合聞いて状態聞いて プレゼントも選ぶの楽しかったよ。
日頃 孝行らしいこと何もできないから。

一人娘には幸せになって欲しいと一番願ってきた両親や祖母に
結局 こんな姿しか見せられないままだったから。
せめて できるだけ 子供達のことや自分のことで
これ以上心配かけたくなくて 自分なりに一人で頑張ってきたよ。

夫も子供みたいなヒトだったから わたしは最期まで受けとめ役で。
結局 性分なんだろう。自分のこと話すのは苦手だから
ヒトの話聞く事になって。馬鹿だからお節介にもやっぱり心配して。

子供達一人一人のことも足りないながらも受け止めて。
あっちでもこっちでも でもだって 気持ちがわかる気がするから。
出来ることは聞くこと。受け止めること。
それだけしかないから。


たった 洋服のこと。
いつもは昔気質の父らしい皮肉と受け流せるはずのことが
その時は ものすごく 堪えた。

お見舞いして あんまり時間がないからと 病室を後にして
ちょうど両親も祖母が眠ったので食事をしてくるというので
一緒にエレベーターへ
急に無口になったわたしに父が 何不機嫌そうな顔して と言った。

申し訳ないけど・・・急ぐからとにかくこれで帰るからと答えると
疲れとぴりぴりしてる状態のときだから言い方が癇に障ったんだろう。
父の機嫌が目に見えて悪くなった。

つい抑えていた部分が出て わたしも今日は精一杯何とかって思って
来たのに・・・というと

極めつけは
「訳がわからない。今 オマエとゴチャゴチャ言いあってる余裕は
お父さんには無い。おばあちゃんのことでもいっぱいいっぱいなのに。」


もういいから。ごめん。わたしが悪かったから。
それだけ言って病院を飛び出した。


わかってるよ。わかってるからだから。
だから。


みんな
いっぱいいっぱいで必死で
だから
わたしも頑張るしかないんだ。
わかってるし思い知ってるし
当たり前のことで。

でも
ずっと一人で背負い続けて受けとめ続けて呑みこみ続けてきたものは
やっぱり重くて。
ココロが軋むほどに 重くて。


泣きたいのに
泣けなかった

あの時も
あの時も

そうして
あの時も
そうだったな・・と

ぼんやりとただ思いながら
人ごみの中を歩いていた。


仕方が無いこと というのは
どうしたって ある。
わたしは 頼ったり甘えたりそういうことの
上手にできる性分のニンゲンじゃない。

周囲の状況もそれを何とかできる余裕がない。


一人で考えて転んでも怪我しても一人でヨロヨロと立ち上がって
泣いても助けなんてこないし 結局自分が何とかするしかないってこと。


負けずに頑張りましょうとか前向きに生きましょうとか
そういうとても正しい真っ直ぐな善意の言葉は
わたしの胸を打たない。感動もさせないし影響も与えない。
むしろ イライラさせる。

そんな言葉はまだ 何処かに余裕があるヒトの言葉だからだ。
痛みを比べることなんて出来るはず無い。
それをわかってて でも やっぱり思わずにはいられない。
いや 言わせて下さい それこそ傲慢な歪んだ考えでしょうと
諭されるのを承知で。

貴女はまだ 幸せなんですよ・・と。


たった一人で 身にそぐわない剣。へっぴり腰でそれでも持って
ひたすらに闘い続ける。
昨日もそうだったし今日もそうだしきっと明日も
ずっとそうでしょう。

その絶望がわかりますか?

泣く事さえできなくなって
ただ 空を仰いで
でも 抱え続けて背負い続けて呑みこみ続けて
生き続けて来た 生き続けて往く人間の気持ちが
わかりますか?

生きるしかないんです。

キレイゴトでもなんでもなく
守りたいものを守る為には

生きるしか ないんです。



感動とか感激とかそんな余裕とかキレイゴトとか
ぶっちゃけ それで?って感じです。

泥まみれでグチャグチャで混乱しても
それでもしがみついてみっともなくも

生きる。

それが わたしです。



ただ空を仰ぐ。

そうしてまた

歩き出す。


ただ それだけ。

淡々と今日がまた始まります。


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                               ゆうなぎ



2005年11月05日(土) 混乱

金曜日の朝

まったくどうして今日なんだろうって
泣きたいような思いでぐずる我が子を見つめていた。

今日は祖母が骨折の場所にはめるコルセットが来るという日で。
病院で夜 歌を歌ったり聞き分けの無い子供のようになってしまっている
祖母に対して同室の人から寝られないと苦情が出たらしく。
コルセットができてきたら退院してもらいたいというようなことを
病院から言われていて。
両親はかなり参っているようだったから それも気になって。
だから今日は何とか子供達が学校に行っている間にトンボ帰りでも
病院へ・・とそう思っていたから。

大ばあちゃんが大変なことも子供らには話していて
だのに そこは子供。
子供らにもそれぞれの思いがある。 
末っ子はわたしを離したくない。
真ん中は末っ子に取られたようで寂しい。
一番上の子にもかなりの我慢をさせてる。

そんな中 治まりかけていた真ん中の子の学校イキタクナイ病。
行ってしまえば笑顔で帰って来る。それがわかってるから
なるべく行かせたい。休み前の一日なら尚更そうだ。
ましてや今日は。

ひたすら言って聞かせて説得。後は引きずるようにして
やっと学校へ。
もうその時点で出かけようとしてた予定時間は過ぎてる 焦る。

大急ぎで用意を済ませてとにかく病院へ辿りついたときには
すっかりクタクタだった。



2005年11月04日(金) おもいで

何故か思い出す情景は いつも夏で。

わたしは白地に苺模様の木綿のワンピースに麦藁帽子。
半分に切ってもらった林檎を齧(かじ)りながら
坂道を祖母に手を引かれて上っている。

またべつの情景は 
昔 実家にあった白い冷蔵庫。
セミの声が聞こえてる。
開けると中に薄っすら汗をかいた葡萄。一粒こっそりと摘んで口の中。
ひんやりとした皮の仄かな渋みと甘酸っぱい果実の味が広がる。
指先を染める青紫。

ふっと不安になって
まだ小さなオンナノコのわたしは
大きな声で「おばあちゃーん!!」と呼ばわる。

庭の畑仕事をしている祖母の応える声が遠くで聞こえて
ホッとして また一粒葡萄を口に放り込む。


クーラーなんてなくて今よりずっと暑かったはずなのに
思い出の中の夏の情景はどこか涼やかな風が吹いてる。


ぶーんぶーんと音のする扇風機、蚊取り線香の煙、
お気に入りのタオルケットをお腹にかけたのを手繰り寄せながら
いつのまにかウトウトと昼寝。
セミの声が遠くなっていく。


昭和という時代の
今ではレトロという言葉で語られるようになったそんな日々の
おもいで。


懐かしい
もう戻れない遠いそんな優しい風景の中に

いつか

最期に目を瞑る瞬間に

還っていけたらといいと
 

そう 思う。





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                              ゆうなぎ



2005年11月03日(木) 「籠の鳥」

「籠の鳥」

作詞 千野かおる・作曲 鳥取春陽


あいたさ見たさに
こわさを忘れ
暗い夜道をただ一人

あいに来たのに
なぜ出てあわぬ
僕の呼ぶ声わすれたか

あなたの呼ぶ声
わすれはせぬが
出るに出られぬ籠の鳥

籠の鳥でも
智恵ある鳥は
人目忍んであいに来る

人目忍べば
世間の人が
怪しい女と指ささん

怪しい女と
指さされても
真心こめた仲じゃもの

指をささりょと
おそれはせぬが
妾(わたし)ゃ出られぬ籠の鳥

世間の人よ
笑わば笑え
共に恋した仲じゃもの

共に恋した
二人が仲も
今は逢うさえままならぬ

ままにならぬは
浮世の定め
無理に逢うのが恋じゃもの


(この歌詞は作詞者の著作権が消滅しています)




昔 祖母が良くこの唄を口ずさんでいたのを覚えている。
祖母たちが生きた時代にも 沢山のままならぬことが
きっとあったのだろう。

時は移り変わっても ひとの運命のままならぬことには
変わりがない。


子供に還った祖母は色々な昔の唄を歌う。
病院でも真夜中に大きな声で歌いだしてしまうから大変らしい。
家に帰りたいとダダをこねて困らせていると聞けば
たまらなく切ない。



いつのまにか覚えてしまった「籠の鳥」を
口ずさんでいる自分に気がつく。


わたしは祖母の歌う声が好きだ。
少女のように繰り返し歌うその声は

懐かしい子守唄のように聴こえる。





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                              ゆうなぎ



2005年11月02日(水) 赤い缶かん

祖母が自宅で転んで腰の骨を折って入院したと実家の父から。

それは虫の知らせというわけでもないだろうけど
ちょうど朝方 また子供が学校行きたがらなくて
どうしたものかといつもなら心配かけるからと遠慮しておくのを
実家に電話したら出ない。心配になって携帯に電話 聞いた。

たった今 救急車に来て貰って病院へ行って帰り道らしくて
本当にそれこそ今 わたしに電話しようとしていたようで。

即 入院。幸い頭は打ってなく意識はあるということを聞き
少しだけ安心はしたものの もう歳が歳。
このまま寝たきりになってしまう可能性の方が高いと。


祖母は
わたしにとってはもう一人の母のような存在で。
自身が苦労もしてきた分 色々な面で
ただの甘いおばあちゃん じゃなくて躾にも厳しく良く叱られもした。
ケンカもしたけど でもそれはいつだって心配するがゆえのものだった。


気が強くていつもシャンとしていて頑固で。
そんな祖母が少しずつ歳を重ねるごとに小さく柔和になって
少しずつ子供に戻っていって・・。
それが切なくて愛しくて 心配をかけてばかりだったから余計に。

もう不足のない歳だから 覚悟だけはしておかないとと
そう皆で言ってはいるけれど それでも

たとえ寝たきりでもいい。
生きてそこに存在していてくれれば・・と。
祈るように・・・ただ ひたすらに祈るように・・・
そう まだ甘ったれてる。 でも縋るように願う。

すぐにでも飛んでいって顔だけでも見て安心したかったけど
子供らのこともあって簡単には動けない。
何とかと相談の電話を母にしたけれど逆に気遣われて。
大丈夫だから今は子供達をしっかりみていたらいいから
何かあればちゃんと連絡するから と。
無力な自分が心底情けない。

救いは祖母にわたしの夫が亡くなったという認識が無いことだ。
その前後のゴタゴタも とうとう神経を病むようになったわたしのことも
子供に還っている祖母は知らないから。

祖母の心の中では花嫁姿で笑ってるわたしで止まってる。
それでいいって思う。


何もできてない。
何もまだしてやれてないよ。ばあちゃん・・・。
心配ばかりかけて。


不安症の発作出た。
怖くて堪らなくなって手足が小刻みに震える。
子供らが寝た後 自室で丸くなって蹲って
震える手で薬 飲んだ。




「赤い缶かん」

おばあちゃんの お菓子の缶かん

学校から帰ってきたら
タンスの上の方から
降ろしてもらって

「早く早く!今日のおやつ なん?」

何が出てくるか ワクワク
魔法の赤い缶かん

「ちょっと待ち! 手 洗ってきたんね?」

「わかっとる わかっとる」

お小言も そこそこに
へへへ! 今日はおせんべだー!!

共働きの両親に
母親代わりのガミガミばあちゃん


赤い缶かん いつから なくなったんだっけ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりにおばあちゃんに会った

おこずかいにって くしゃくしゃの千円

「あんたに あげるのが楽しみなんやけ
 もらっときなさい」

母の声


ありがとう・・・って貰いながら
涙出てきそうになった

あの赤い缶かん
思い出してた

いつだって 貰ってばっかりで
何にも まだ返せないけれど

「おばあちゃん・・・・・・」

そっと抱きしめたら
しわしわの手が背中撫でてくれた 





まだ 早いからね・・ばあちゃん。

最後までわたしはワガママ言ってごねるよ。



おばあちゃん・・・。



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                               ゆうなぎ



2005年11月01日(火) はみだしモノの詩(うた)

強さと弱さなら両方持ってる。
不安定さとヘタレ度は人一倍。
それでも案外 負けずギライ。

この歳になってもジブンの立ち位置があやふやでしかない。
わたしとわたしが感じているこの世界との違和感。

なんで みんなちゃんと出来るんだろうといつも思う。
ちゃんと適応して 
少なくとも自分の立ち位置をしっかりと自覚しているように見えるから 
わたしはジブンのダメさ加減を思い知らされるような気がする。

わたしの強さは歪んだ強さだ。
強いんではなくてシブトイだけ。
それは弱さと表裏一体になっていて
いっぱいいっぱいになるとみっともないほど呆気なくひっくり返る。

弱さを開き直りたいとは思わない。
でも
シブトサはあくまでシブトサで強さじゃない。


その時々で精一杯の努力をして逃げずに立ち向かってきたかと
尋ねられても「はい」と言える自信は無い。

迷いなく真っ直ぐな視線で「はい」と言えるヒトが
本当の強さを持ったこの世界の真っ当なヒトなのだろうから
迷いばかりのわたしはやっぱりどこかで 世界とずれている。


いい母親にもきっとなれないままだろう。ごめん。
ダメ母、ヘタレ母ちゃんで。
それでも 迷い道曲がり道しながら世界からヨロケはみだしながら
生きて見えてくる世界だってあるんだよ と
これは負けずギライのイイワケかもしれないけれど。

放棄するつもりはないけど
やっぱりどうしてもわたしはわたし以外にはなれないから。



 「お願い」

伝えなければ
伝わらないと

それは
本当のことで
正しいことで

でも

伝えたいと
想いながら
下を向いてしまう

そんな気持ちも切り捨ててしまわないでね

弱いものや
勇気のないものも

小さな小さな胸に
溢れる想いを抱えて

それでも
懸命に
生きているから



だから

・・・お願いです






私信:此処で書くことで此処にいることを伝えたくて。
   わかってくれていると
   信じて・・いいえ 臆病にまだ怯えながらも
   願って 祈って 縋りつくように。
   相変らずヘタレな生き方の不器用ゴジラですが
   こんなわたしでも生きているから。
   生きることを許されているから。
   
   急に寒くなりました。
   どうか身体もココロも 無理だけはしすぎないで。
   
   遠いこの地から でも 連なる空を想い。
         
   
   待っていてくれると嬉しいです。
   また 手紙 書きます。

  
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                               ゆうなぎ


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