++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年03月30日(水) 春に逢いに

ふぅ・・・数日仕事休む為に此処2.3日は徹夜。
できるところまでできるだけは進めておきたかったから
かなりのハイペース(こういう極端な所をKは心配するんだが)

お客さんにも休む事とその間作業とメール返信のできない旨を
伝えて有難いことに了解をいただいてある。

正直 ここ数日はある意味 気が張っていて
興奮状態というか緊張状態で 軽い躁状態に入ってるんだと思う。
だってものすごく集中して無理してるはずなのにあまり疲れを
感じてないもの。

(結局 遠足の前の子供と一緒(苦笑)それで肝心のときに
ふーっと気が緩んで眠たくなっちゃったり(笑))

ほんの短い短いお休み・・・
けどKの顔見ていっぱい話をして笑って美味しいもの食べて
お花見・・・じゃなくて 蕾見 になるかもだけど でも
のーんびりと 自分を開放して・・・
(あ 薬 忘れないようにしなきゃ)


もうすぐ・・・
もうすぐ・・・

春に あいにいきます。



2005年03月29日(火)

桜の開花は遅れているらしい。

それでも日々春めいてきて
確かに季節は移り変わってる。

もう少し あと少し

仕事 休む前までに少しでも形として提示しておきたいと
頑張ってる。
子供の調子もおかげで良くなって一安心。

このままでどうか無事にKに逢えます様に。

桜は蕾でも 暖かなお日様の光浴びて
一緒にのんびりしたい。

ほんの少し 休みたい。



2005年03月28日(月) ボタンの掛け違い

最近周囲で 
例えば 友達同士で
例えば 恋人同士で
なんだか ギクシャクしてしまってるのを
目にすることが多くて。

そういうのって傍からみていれば
どちらも相手のこと想ってて
でも その想い方の方向がそれぞれにちょっとずつずれてたり
ちゃんと伝わりきれてなかったり
そんなボタンの掛け違いなのに・・って。


けど 多分 やっぱりその場所にいたら

わかっててもどうしようもないこととか
わかってても変えられないこととか
わかってても譲れないこととか

そういうこと ある。

哀しいけど 確かに そういうこと ある。

みんな誰も悪者なんてほんとはいない。
みんなそれぞれの立場で
それぞれの想いで
何とかしたくて
良かれと思って

それで 掛け違ってしまうボタン。
傷つけ合ってしまう心

だから 

余計 せつない。



2005年03月27日(日) あっぷあっぷ

余裕の無いことおびただしく。
慌しいというかほとんどパニック状態で
色々なことをこなしている現状。
と いうか こなしきってなくて手からボロボロと
こぼれ落ち状態。情けない奴です>じぶん。

インフルエンザ治まり 薬の量がいつもの分だけに
戻ったのは有難いけど。
ふっと我が身を見ればまぁなんともすごい格好。

ボサボサ頭。顔もろくに洗えてない。
そういえばお風呂も入れなかったもんね。ふぅ。。。
食事もしたり 忘れたままだったり。
一時の過食が嘘みたいで それはむしろ良い事かも?

最初の頃は色々ネット情報や本で見て副反応 断薬におびえ
飲むのに抵抗あった抗鬱剤も安定剤ももう日常。
だって とにかく今 心と身体が動くことが全てなんだよ。

一人なら もういいや って言えても子供までそんなわけにも
いかない。何かこう書くといかにも良くできた母親みたいだけど
そういうカッコイイことじゃなくてさ
(むしろ わたしは文字通りのダメダメ母だ)
目の前にある現実として なの。

支えであるし いてくれて良かったと思う。
けど 思うようにならなかったり困らされたり
ほとほと疲れてそりゃ投げ出したくなったり
身一つなら どうとでもできることが身動き思うように
とれないことなんて日常茶飯事で。

なんつーか 例えばお人形ならただ可愛い綺麗なだけでも
人間ならそれだけじゃない。
でも それが生きてるってことなんだよね。
キレイゴトとかじゃなくて そういうのごと それでも
手 離したくないって思う。

クタクタに疲れて もう知らない!ってめちゃめちゃに腹立ててても 
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で「ごめんなさい」って
抱きついてこられるとぎゅううううって抱きしめて
ああ・・守ってやりたい って。
そういうことなんだ。結局。

だから 生きるんだ。
あっぷあっぷしながら
ほんと みっともなく。情けなく。

否応無しに 生きる。

とにかく 今日 命を繋げる。

例えば 

あの瞬間の このコの笑顔とか
Kの暖かな掌とか
約束の桜 とか

そーいう ささやかなキラキラしたご褒美の為に
(動機不純)

今日もあっぷあっぷ
生きる。



2005年03月26日(土) 雨があがれば

何とかインフルエンザの一番酷いときは乗り越えたみたい。
まだ薬は飲みきらなきゃならないけど でも子供もゲンキンなもので
遊びに今にも飛び出して行きそうで止めるのに大変。でもホッ。

副業。受けた仕事もお客さんにはこちらの事情は多少は話していたが
(連絡が遅れたりした場合に不安を与えないように)
それはあくまでこちらの事情でお客さんには関係のないこと。
理解を示していただいてるのは有難いがそれに甘えることだけは
絶対にしたくないし するべきではないと思うから 
とにかく一番きつい状態の時も懸命に進めてきた(現在進行形(笑))

この辺がKに言わせるとわたしの極端なところ になるらしい(苦笑)
そんなんじゃ身体壊すよって 心配していってくれるのはすごく
有難く嬉しいけど・・ でもやっちゃうんだろうなと思う。

Kはコツコツと自分のペースをきちんと守りつつやっていけるタイプだし
そういうのが本当は一番いいんだっていうのは わかるんだけど
でも 多分 わたしは不器用だから極端。ペース配分上手にできないから
全力を使い果たして疲れてしまう。
まったく生きるのが下手。しょうがない性分。

それでも
雨があがれば雲は晴れ 陽はまた射してくる

だから もう少し あと少し 頑張ろう 

わたし。




2005年03月25日(金) さくら

みんなインフルエンザ。参ってる。
とりあえず 子供の看病しつつ 自分も薬飲みつつ仕事しなきゃ・・と。
今のわたしが飲んでる薬の数 全部合わせて8種類。ふぅ・・。
咳がなかなか治らず血液検査 結果は2日後問い合わせ。
大丈夫だと思うけど。いや 大丈夫。治る。治す絶対。
子供も わたしも。

あと一週間。

四月一日 桜。
ずっと前からのKとのお花見の約束の日。
エイプリルフールになんかしない。

桜 今年も見たい。
Kと一緒に。

さくら さくら 待ってて。
あいにいくから

神様 お願い。



2005年03月24日(木) まだ 眠ってはいけない

真夜中。また髪ボサボサでパソコンの前。
仕事 まだまだ だけど今日のところはもう限界。
それでも何とか一区切りつけて。
後は明日また。

何とかね しなきゃね 頑張らなきゃね。
少なくとも外に出て仕事+人間関係に気を使うよりも
個人作業でメールで打ち合わせの方がずっとマシだ。
その分 削り取られるものはあるんだけどね。
それは わたしの知識が足りずにまだ未熟だからで。
未熟な分は水面下で死に物狂いでも足掻いて
ひたすら我が身を削るしかない。
不器用なようだけど それしかできないなら仕方ない。

明日のPTA会議は子供のインフルエンザの為
欠席電話しようと思ってる。
どちらにしても気の重いこと。
出なくて良くなってもその分 後でしわ寄せがくるのなら
どうしようもない。
けど とにかく 明日は無理。
もう余計なこと考えるな 自分。

自分自身の体調もはっきりしない。
咳が治りきらずにクシャミに目は花粉症?

Kに連絡することさえ忘れがちになっている自分がいて愕然とする。
疲れすぎていて なんだか。
それでも Kとの4月の桜の約束。それだけはまだ支えで楽しみで。
まだ かろうじて 楽しみだと思う気持ち。唯一感情というものの存在。


人には期待しない。
必死になって人にしても返ってくると思っちゃいけない。
返ってこないのが当たり前。
例えば 気の弱さからでも どうしても突き放せなくてでも
したのは自分で選んだのが自分なら 報われないことを嘆くな。

頼ろうとするな。
確かに頼って甘えてそれが許される人間もいるけれど
それは わたしじゃない。

約束を守らないでいられないのは性分。
だからって約束を忘れられても落ち込むな。

期待するな。
期待してどうなる?

そんなもんだ。
そんなもんだってことくらい嫌ってほどわかってるさ。


穏やかに笑え。
絶望を見せるな。


ああ・・なんだかとても眠たい。
風呂も着替えももういい。

ぐっすり寝ればもう目を覚ましたくなくなるから
このまま 少しだけ目を瞑ろう。

ほんの少しだけ。


まだ 眠ってはいけない。



2005年03月23日(水) でも まだ

子供がインフルエンザになった。
混んだ病院に半日がかりで連れて行き
それでも診察 薬を貰い 帰って来て
布団に寝かしやっとホッとする。
氷枕に冷えピタ貼って 水分補給をしっかりと。

仕事のメールも書かないといけなくて焦る。
やっと子供が寝た頃を見計らってパソコンの前に。

そういえば昨夜疲れて風呂にも入らず着替えもせず寝てしまったので
髪がボサボサで気持ち悪い。
ああ・・お風呂に入りたい が。

実家の両親も色々抱えていて心配だ。
こちらが何とかもっと力になりたいのに余裕がないくらいだから
なるべくこちらのことで心配はかけたくない。
頼るわけにはいかないと思う。

現実問題として
一人で頑張るしかないのだ。
当たり前のことじゃないか 何を甘えたことを・・と
いわれればそれまでだが。

そう思い知ることはやはりかなり堪える。

ああ・・子供が呼んでる。
側に行ってやらなきゃ。

ああ・・でも 仕事しなきゃ・・
少しでもお金 稼がなきゃ。

ああ・・疲れた・・・すごく・・疲れた・・・

でも まだ 休むわけにはいかない

いかないんだよ・・・



2005年03月22日(火) そうして静かに・・掌に握り締めていたものを開いてわたしは。

久々に副業の仕事が入った。
自宅でできてやり取りはメールだから
今の わたしにとっては有難い。本業にできるほどの
力がないのは不甲斐ないことだが それでも細々ながらでも
自身の状態があまり良くない時でも ここまでやってきたことを
とにかく手放さず諦めず・・なんとか と思う。

空虚感 疲労感 虚脱感 焦燥感 のようなもの。
常に漂っていてそれは常にまとわりついていて
それでいて感情が希薄になって言っているような
大きな極端などーんとした落ち込みの感情が薄れてきた替わりに
楽しみとか喜び感とかそういうものにも膜がかかってしまったような。

これは薬のおかげ?きっとそれでもこれでいいんだろう。

最近 自分の感情がうまく掴めないような気がしてしかたない。
人間の気持ちなんて不幸とか幸せとか そんな単純な尺度で
量れるものでも量りたいものでもないが
それでも ある意味 自分だけは自分の為に 自分の為だけに
自分の立ち位置のようなものを持って許していることで救われる部分が
あるような気がしていた。

それが今の自分からは失われていっている気がして仕方無いのだ。
自分の輪郭がどんどん薄れていくような。
自分が何処に立っているのかわからなくなっているような。

それでもそれがわかっていても今のわたしには
掌に握り締めていたもの わたしに残されていた
自分自身 を開いて
こぼしていくことしかできない 
そうしながらでないと 立ち続けていることができない 
多分。

装うことも繕うことも見せないことも
まだ できるのだから できてしまうから
できてしまうのなら。
握り締めていた自分という名のものをこぼしながら
輪郭を薄れさせながら それでも。それでも。
大丈夫 と笑うしかないじゃないか。

静かに・・・そうしてまた少し指を開いて
掌に握り締めていた自分の欠片をこぼす。

こぼしながら 今日を とにかく 生きる。



それでも一人なのだ。
友達がいてもKの存在や親や子供の存在でさえも。

当たり前のことだけど
わたしの身体も心も わたしにしかどうしようもないもの。

そうして 

わたしはやっぱり 本当の意味で
甘えることと頼ることが下手だし苦手だし
また 許されてもいない 人間なのだと

そう 思う。

思っていなくてはいけない と思う。

自分に言い聞かせないと欲してしまいそうで
手になど入るはずの無いものを。


頼るひとはいない。ずっとそうだ。
夢をみてはいけない。

これからも ずっと そうだ。



2005年03月21日(月) その日

わたしは疲れきっていた。
もう一ヶ月近くその緊張状態は続いていて
一人ぼっちの泊り込み。もう意識の無くなってしまった人の側で
完全看護の病室。
できることはただ ひたすらに 
そこにいて 死にゆくひとを見守り続けること だった。

疲れていた。
疲れきっていた。

心のどこかで もう終わらせてくださいと
願ってすらいた。苦しみに耐えられずに。


人間の感覚で一番最後まで残るのは聴覚と触覚なんだそうだ。
だから 触れて話しかけてあげてくださいと。

だから 話した。色々な話をした気もするけれど
何を話したのかよく覚えていない。昔の話。懐かしい話。
幸せだった頃の。それから

「大好きだからね」と言った。
手を握って。
でも
「愛してるよ」とは どうしても言えずにいたのだった。
なんだかそれをいうのは罪のような気がした。
愛してる感情は擦り切れてしまっていたのに
それに嘘をついて最期だからと「愛してる」というのは
むしろ許されないことのような気がした。
してはならない偽善のような気がした。

だから 最期まで言えなかった。
最期まで
「大好きだからね」としか いってやれなかった。

逝ったのは真夜中だった。

病室のソファでわたしは疲れてうたた寝をしてしまっていた。
ほんの数十分。それまで起きていたのに。

見回りの看護婦さんに起こされて
そのひとが一人で旅立ってしまったのを知った。


一人ぼっちで旅立たせてしまった。
手も握ってやれずに。
側にいたのに。

愛してると言って 手を握って・・・
どうしてそうしてやれなかったんだろう。
どうしてそうして見送ってやれなかったんだろう。
嘘つきでも偽善でもそんなことどうでもいいから。

だって 確かにそれでも
愛していたんじゃないか どんな形でもそんなことがあっても
それでもやっぱり。

そのひとの最期の顔はとても穏やかで
眠ってるようで

でも 一人で旅立ったのは
わたしへの最期の思いやりかそれとも諦めか・・

でも それなら わたしは
わたしは・・・。



わたしは

その日
重い荷物を背負った。

この荷物をどんなことがあっても
生きて一生背負い続けることが

見送ってやれなかった
優しい嘘すらつけなかった

そのひとへの
わたしができる

永遠の祈りのような気がしている。



↑エンピツ投票ボタン
My追加



2005年03月19日(土) ちいさな春

週末

子供がつくしを摘んできた。
袋一杯に。
ニコニコ笑顔で「今日はつくしの卵とじにしよう」って。
ハカマを取って綺麗な水で洗って下茹でして・・・
一緒に料理するのは楽しいね って顔見合わせて笑った。

ほかほか卵とじ 美味しいね。


ありがと。

ちいさな 春
ちいさなちいさな幸せ。

ちいさな でも 今 それに支えられている。

---------------------------------------------------------

夜のチャット。久しぶりにKと。
電話と携帯メールが主になっている最近。
チャットで話すのは妙に新鮮だったり。

ゲームの話や今度逢う時の計画の話なんかを
楽しく穏やかにして。
途中 電話で話しながらサイトを見たりして。

子供の存在。Kの存在。
わたしをこの世界に引き止めている 大切な。



薄く心を覆っている膜のようなもの。
何処か遠くで それでも 消えない 消えない
もどかしい様にずっと疼き続ける痛み。

泣かなくなった。静かな感情。
泣けなくなった。遠くて見ている。

守る為にはこのまま失くしていった方がいいのか。
感情という名の弱さ。
まだ 笑えてる わたしとして まだ。

けど。

確かめたくなって
何度も何度も

それでも

ヒツヨウダトイッテホシクテ
アイシテイルトイッテホシクテ

わたしを。


矛盾ばかりのココロ



↑エンピツ投票ボタン
My追加



2005年03月18日(金) 風の行方 (そして二度目の診察日)

  「風の行方(ゆくえ)」

 風が吹いている
 深い深い底で
 止まないその音を
 膝を抱え聴いている

 見えないものなら
 わかったと言わないで

 優しさの名前で
 満足しないで

 お願いだから
 わたしに触れないで

 失くしてしまうものなら
 与えようとしないで
 どうか


 今日も

 風が吹き続けてる
 深い深い底で
 止まないその音を
 膝を抱え聴いている

 聴こえない歌なら
 歌ったりしないで

 切なさの意味を
 一人合点しないで

 お願いだから
 そっと立ち去って


 風の行方は

 誰も知らなくていい


---------------------------------------------------------

心配していた子供の学校の面談の方は考えていた以上に
良い形で終われたと思う。
自然な形で今までの出来事や今の現状・わたしや子供の
状態などについて話すことができたし 
そういう話しやすい雰囲気を作ってくださった先生方に
とても感謝している。
根本的な解決には至らないまでも(それはあくまでも
自分自身の問題であるので)状況をある程度でも理解して
貰えれば そして理解した上での受け皿になりますからと
言っていただけたのはとてもとても有難いことだ。

正直 かなり立ち入った内容や古傷に触れる内容まで話すのは
ものすごいストレスだったし苦しかったが 
でも ここでこそ話しておくべきだし必要だと
思ったので自分なりに頑張って話した。

色々話したことで不登校相談機関へは今回は行かないですんだ。
打ち明けて話さないとわからないこともある。
だから 今回また内臓をさらけ出すように話したことは
きつかったけれど でも これで 良かったのだ と 思う。

子供も浮き沈みはまだしばらくあるだろうけれど
少しずつでも良い方向にいくように・・・笑顔で朝 学校に
行けるように・・・。

---------------------------------------------------------

午後からは心療内科の診察。
薬 内容は変わらなかったけど量は増えた。
と いうか 元々 最初の処方が副作用が出るかどうか
身体にあっているかどうかの慣らしのようなものだったから
本来の量になったということのようだ。

パキシル 20mg
メイラックス 2mg  各 夕食後 一日一回

あと 便秘の内服薬 酸化マグネシウム も
出してもらった(一日三回 毎食後)

今まで市販の便秘薬をほとんど常用していたのだが
それについて先生に相談すると
「身体の負担を考えるとこちらの方がいいと思うので
一日一回から試してみてください」
とのこと。

それとついでに数日前からやっと治ってきた風邪と
入れ替わりみたいに目が痒くなってきたことも相談すると
アレルギー用の目薬も出して貰えた。

薬は今度は状態が落ち着いているということでか
1か月分 次回の受診も1ヵ月後となり予約して帰って来た。

今回の診察時間は比較的短めだった。
その後の状態や副作用の自覚のあるなしを聞かれ
こちらから出してもらいたい薬についてお願いするという形。

(実はあとから 肝心の睡眠薬をお願いするのを
忘れていたことに気づいたが。
ただ 後で薬局でパキシル・メイラックスについて
少しは睡眠作用のようなものはあるのかと聞いたら
睡眠薬のような速攻作用はなくても
熟睡効果のようなものはあるということだった。
それと自分的にもパキシル・メイラックスの量が増えた
(というか本来の分量になっただけだろうが)のもあり 
それに身体がどの程度対応するのかもわからないから 
いっぺんにプラス睡眠薬というのも身体がついていかなくて動くのが
だるくなってしまうとそれでは困るので。)

薬のせいか(風邪のせいもあったのかもしれないけれど)
過食に関しては不思議なほど抑えられている。
というか これが食べたい というような強い欲求のような
ものが無くなっている。

鬱的なものに関しても以前の意味もなく極端にどーんと落ち込むと
いうことがある程度抑えられてはいるが これもある意味
感情に薄もやがかかったような感じというか 感情の起伏が
平坦になってきた気はしている。

ただ 今日 午前中の学校面談と午後の心療内科受診を終えて
帰り着いてからは一気にぐったりとしていまい 本当に
最低限の食事の用意を這うようにしてするのだけが精一杯
(それも子供のものだけ作ったら あとはまったく食欲がわかず)
夜まで横になったまま ものすごい虚脱感で身体がどうにも動かなかった。

やっと今日は風呂もお休みにして子供を寝かしつけた後 また
倒れこみ 夜中まで意識無し。
先ほど起きてきて残っていた最低限しておかないといけない明日の用意を
済ませて今 こうしてPCの前に一息ついている。

何とか 今日という一日が終わった。

Kが心配してくれて何度も携帯メールをくれていたけれど
返信もろくにできず 申し訳なかった。
でも 夜少し電話で話して簡単に報告をしたら安心したようだった。
「とにかく今日は疲れただろうから ゆっくりとおやすみ」と。

ありがとう。
こうやって何とか一日一日を積み重ねていく。

多分 睡眠拒否も意味の無い過食も なんていうんだろうか
臆病者のわたしが それでも自分をもどかしいほど壊してしまいたくて
そんな衝動にかられてだった気がする。

今?今はそういう激しい凶暴な自己破壊の意志みたいなのは
かなり抑えられてる・・と思う。
ただ なんていうか どこか薄笑いを浮かべて自分を見てるような
そんな茫洋とした・・。
それがいいのか悪いのかわからないけど 今はそうするしかないのだと
いうこと。それが生きる為に必要なことなんだということはわかる。

こんな不器用な生き方しかできないけれど

それでもこうやってとにかく一日一日を
積み重ねていく。



2005年03月17日(木) 目を閉じて

すべて ありのままとは いかないけれど。
かけないこと。かいてないこと。かきたくないこと。
それでも こころのおくのやみ に しずんでいく
ほんとうのきもち を すくいあげて のこしておきたいような
きが した。

だから こうして きょうも かいている。
わたし という にんげんの
イタミ や ツヨガリ や ヨワネ や トオボエ 
ヨワイモノ ミットモナイモノ ナサケナイモノ ミニクイモノ
たくさん。

そしてそれから

すてきれない 
希望。

---------------------------------------------------------
 
今日の薬 今 飲んだ。
これで最後の薬。

明日は午前中 子供の学校。
そして 午後は心療内科の受診。薬貰える。

最後の薬 少しでも効いててくれよ。
何とか午前中の話終わるまで わたしの神経 耐えろ。

一人で抱え込まないで じゃなくて
頼むから そう思うなら 少しでももし楽にしてやろうと思うなら
PTAだのなんだのを取り除いてくれたらいいだけですから。
でもそんなの無理なわけでしょう?それで頑張ろうとしてるわけですよ。
心療に通って薬貰って薬の力借りてででも何とかって思ってるわけですよ。
だから 頼むから これ以上の善意(面談)という名の負担
かけるの止めてくれませんか?>学校関係の方々

そっとしておいて欲しいだけですから。
無神経に触らないで欲しいだけですから。

ほんと それだけなんです。

---------------------------------------------------------

K・・・ごめんね。
心配してくれてるのすごくわかる。
少しでも気持ちを引き立ててくれようと気がまぎれるように・・と
電話やメールで4月に逢うときには
桜 ちょうど きっと見ごろだよ って。


ああ・・・桜 見たいなぁ・・
きっと 綺麗だろうね。

綺麗だろうね。



2005年03月16日(水) そしてまた静かに崩壊していく

子供の朝の体調の悪さがまた出てきた。
これは仮病というのではなくて本当にぐったりと
具合が悪くなる。ただ 昼近くなると治まってきて
昼過ぎると普通の状態になるのでやはり精神的なものからでは
あるのだろうと思うし学校でもそう認識されているのだと思う。

今日もかなり調子が悪く結局学校を休ませて
かかりつけの病院へ行って結果 風邪用の薬と別に
軽い安定剤が処方された。子供のことなので
鎮静 安定剤のたぐいと聞くと心配になり尋ねたが
これはごくごく軽いもので習慣性や身体に無理が
かかるような心配することはないので安心してくださいとのこと。

本人もすっかり落ち着いて症状も消えて
明日は行けるからね というのでホッとしていた。
春休みも近いし 少しずつゆっくりと・・そう思って。

夕方 学校の担任の先生から電話。
今日の状況を話して一応こういうことなので・・と
いったのだけど明後日にでも一度学校に来てこの件についての
話を・・とのこと。要するにそういう登校拒否気味になっている
時などに親子で相談を受けられる機関があるから そこを
紹介するので行ってみたら・・ということらしい。

正直 苦痛以外の何ものでもない。

子供が調子を崩してるのは確かにわたしの不安定さゆえも
あるだろう。だけど そのわたしを不安定にして追い詰めているのは
結局PTAだったり父兄だったり学校という存在そのものなんだ。

先生の言われることも学校の対応も当然だろうし全部 善意だ。
お母さんが一人で抱え込む必要はないので だから 自分たちや
そういう機関が力になりますからみんなで考えて云々。

(そういうふうに内側に入ってこられるのが凄く嫌なんです。
それは逆効果なんです。そうされればされただけ反対に気持ちは沈んで
追い詰められるんです。
もしも わたしに一人で抱え込まないようにというのなら
PTAの押し付け役員 辞めさせて欲しいし そうしてあとは
そっとしておいてくれればいい。それだけでもどんなにか
楽になるんですよ)といえるはずもなく。

子供もわたしも
疲れてる。
わたしは ”子供の為にもお母さんが後ろ向きにならずに逃げずに
立ち向かわないと”
みたいな言葉で追い詰められて。
子供は ”お母さんに心配かけないようにしないとね”
みたいな言葉で追い詰められて。

わたしたちに必要なのは理屈や正しい言葉や叱咤激励じゃなくて
休息 なんです。
頑張らなかったわけじゃない。頑張ってきた。頑張ってきた。
必死で崩れそうな気持ち我慢し続けてきた。
だから
疲れてしまったんです。
だから
わたしも 子供も 休ませて欲しいだけなんです。

わたしたちのペースでゆっくり歩きたいだけなんです。

まだ足りませんか?それでも甘えですか?逃げるな ですか?

明後日 学校で話
それから 多分 相談所にいかなきゃならなくて
散々 精神の敏感な神経の部分を晒されて弄り回される。

子供の為に・・それはわかる。もっともなことだろう。
だから逃げずに。ハイソウデスネ。
でもその一連のことがまた わたしのストレスを大きく重くして
いって状態を悪くして 結果子供の不安感に繋がるってこと
わからないんでしょうね。

今月末にはPTA役員会 来月初めにも同じく役員会。
拒否反応ある人とも顔合わせるストレスだけでも
かなり酷くてやっと薬でその不安感抑えて何とか頑張ろうと
思ってたところだったのに。

昔 拷問で正座した上に大きな石積んでいく石抱きの刑?
ってあったけど いうならば また石の枚数追加・・
された感覚だ。ずしりと。

明後日 学校に行く日の午後は心療内科の通院の日。
だいぶ 落ち着いてきてるかなと思えたから
このまま何とか薬増やさずに・・と思っていたけど
薬の量 増やしてもらうように頼むつもり。

ああ 睡眠薬も。


あはははは。もう笑うしかない。

はい。どうぞ 好きにしてよ。

何とでもいってください。


行きますよ。話も聞きますよ。
逃げるわけにはいきませんから。

消えたいけど
消えることもできないから


好きなだけかき回すといい。

善意で。

わかったような顔で。

満足すればいい。
見当違いの解決。
したつもりになって。

そしてまた わたしは静かに崩壊していく。

大丈夫。まだそれでも完全には壊れませんから。

強いんです。あはは。
痛みで気を失うことも狂うこともできやしません。
できやしませんでした。今までも。今からも。

だから大丈夫です。

---------------------------------------------------------

K・・・

今年の桜 また一緒に見れたらいいな・・・
見たいな・・・
見れるのかな・・・ わたし。

見たいよ・・・一緒に 桜。



2005年03月15日(火) トンネル

この子も
トンネルの中にいる。

頑張りたいんだ。
何とかって思うんだ。
一緒なの。でも動かないんだよ。

わかる。痛いほどわかる。

何かあるの?じゃないんだ。
頑張らなきゃいけないことは知ってるの。

それでも今までいろいろ在りすぎて
小さな胸の中に一生懸命押し込めてきたんだずっと全部 だから。

この子も
わたしも
押し込めて封じ込めて駆け続けてきた足が
縺れて・・もつれて・・・モツレテ・・・

言葉にならない不安とか怖さとか心細さとか
シンクロする。

ごめんね。

ごめんね。


でも守るから。
母さん 絶対守るから。
母さんも弱いけど
それでも
それでも

だから一緒に歩こう。

トンネルは暗くて寒くて
出口が何処までいけば見えるのかもわからなくて
叫びだしたくなって恐怖で逃げ出したくなって

それでも
それでも

それでも

握り締める手の柔らかな温もりと見上げる小さな顔。
暗闇ばかりでなく時折ともる仄かな灯りを頼りに。

いつか トンネルを抜けよう。

煤だらけで這いずり回って でも
やっと抜けれたら
笑おうね。あの時 へっぴり腰で可笑しかったよって

お日様浴びて そして笑おう 一緒に。


約束だよ。



2005年03月14日(月) 凪ぎのひと

やっと体調がだいぶ戻ってきた。
喉 咳 鼻 目と散々だったのがやっと治ってきた。
ふぅ・・ホッと一息。

最近携帯メールと電話が主だったKが久しぶりにPCの方にメールをくれて。
それは今度Kと逢う予定の4月に お花見がてら行ってみようっていう
場所の提案や食事はここが美味しそうだよっていうような情報で。
何気ないメール。穏やかに笑うKの顔が浮かぶような。

なんだか すごく心がふわりとなった。
なんだか ほわん と気持ちが柔らかくなった。

Kは ふっと 何気なく こんなふうに手を差し伸べてくれる。

K自身だって当たり前だけどいつも調子が良い訳じゃないし
疲れもする。この前そうだったみたいにそんなKにわたしが
不安になるときもある。

それでも Kは気づいてくれる。
そして面と向かって何かを言うとか それを突き詰めようとするとか
真正面からそれに対峙してくるという形でなく
突き詰めてしまいがちな わたしの強張った視線を
すっと逸らさせてくれる。

Kはいつもとても自然にそこにいてくれて
それが当たり前のような佇まいでずっとそこにいてくれて
それは多分 簡単にいえるほど簡単にできることではないのに。

ああ いてくれるんだねって 安心して泣き笑いしたわたしに
大丈夫って微笑んで頷いて。

そこにいてくれるのね?

決して強くは無い。
自分にできることとできないことも多分わかってる。

それでもKはそこにいてくれる。
それはやっぱりわたしの 希望で。救いで。

そこにいてくれるのね?


風が止まってとても静かだ。

ねぇ

少し 眠ってもいい?



2005年03月13日(日) 仮面

昨夜はダメだった。まったくのダメな自分だった。
薬を飲むのが遅くなって だから 
薬が切れて それでだったのかもしれない。

色んなことで気持ちがどんどん追い詰められて落ち込んで
せっかく週末Kと楽しく話したかったのに気持ちが落ち込んでいくばかりで
つい無口になってそんな雰囲気が伝染してギクシャクした(ような気がして)
それでまた気になって考えすぎて何も言えなくなって言葉が出てこなくて
変なふうになってKはどうしたんだろうと随分困ったと思う。

元々そんなにお喋りじゃないKなのに
そんなKを困らせてるとわかりながら でも
出なくなった自分の言葉と裏腹に 
ほんとは わたしはKから欲しい言葉があって。

言って欲しいのに言ってもらえなくて でもKにはわたしのその気持ちとか
どれだけ追い詰められた精神状態か・・とかは
言わなければ見えないこの状態だと伝わるわけなくて
だから それは当たり前で。 

だのに だのにそれでも
それが寂しくて寂しくて寂しくて。

電話で話していたら急に涙がこぼれてきて。
不安な感情や寂しい感情が一気に噴出してしまいそうになって
話したら泣き声になってしまいそうで息止めて黙った。

急に黙りこくってしまったから Kが困惑して心配してるのがわかった。

それでも 電話を自分から切ることもできないわたしと
様子がおかしいのを知りながらもなんていったらいいか
わからなかったんだろうKは1時間ぐらい 黙ったままそのまま
携帯握ってた。 もしもし・・って言われて
うん。 って答えて それだけ互いに
繰り返しながら電話切れないままで。

しばらくして 少し落ち着いたから 大丈夫だよ!って
わたし できるだけ明るい声で言った。
遅くまでごめん。なんか変でごめん。少し疲れちゃったんだと思う。
おやすみ。

Kは随分眠いのに我慢してたんだと思う。
そのまま寝落ちみたいになったと思う。

電話切ったあと 落ち着いたはずの気持ちがまたおかしくなって
辛くて苦しくて仕方なくなった。
Kの携帯メールに馬鹿みたいなメール 何通も打った。

消えた方がいいのかな とか
Kもいなくなる。みんないなくなって一人になる
自分はもう必要ない人間なのかな とか

笑ってしまうような陳腐な言い様だけど
発作的にボロボロ泣きながら携帯にメールして。

もう明け方近くKからのレスも当たり前だけどあるはずない。

そうしてメールしたあげくにすぐにまた 
「さっき変なメールしたけど全部読まずに削除して!」って
何やってるのかわからないような混乱したメールして。

まったくいい年して何してるんだ。みっともない駄々っ子だ(自嘲)


時々仮面がぽろりと剥がれ落ちる。

自分で持ち直していかなきゃどうしようもないのに。
しっかり付けたはずの仮面がずれて
ぐちゃぐちゃの泣き顔が見えてしまいそうになる。
そのまま 仮面叩きつけて泣き叫びたい衝動に駆られる。

しっかりしろ。
これが現実だ。
背負って抱えて仮面かぶって。
良いも悪いも無い。望むも望まないもない。
選択肢なんてない。
ちゃんと仮面被り直せ。


眠りたいな。頭を空っぽにして。

血をみるのも苦しいのも苦手だし 筋金入りの臆病者だ。
それに実際 命が消えていくのを目の前で見て命を看取れば
死を簡単には口にできなくなる。背負うものへの責任もある。

何より死んで楽になるとは思えないし死んで逃げられるとは思えない。
”死” に対して救いと夢を見れなくなるのがいいことなのかは
ワカラナイケレド。

ただ

無 になりたい と思ったりする。
眠る ただ 眠る。
丸くなってただ 透明の小さな泡になって

漂いながら眠りたい。

その時はきっと
仮面も必要なくなるでしょう

ね 

だから。



2005年03月12日(土) 言えない

友達からまた電話。友達も苦しくてたまらないんだろう。
恋愛問題、どれだけ辛いかってこと、いつも人の気持ちばかり考えて
何も言えないでいるのって泣いている電話の向こうの声。

うん・・うん・・そうね・・本当に辛いね・・ってひたすら聞きながら  
デモ ワタシダッテツライノヨ って
何度も浮かびあがってきて喉のところで固まった言葉、 
また飲み込んだ。


眠れなくてずっとネットのいろんなメンタルサイト見てた。
何かサガシモノしてるみたいにいろんなとこ検索したりふらふらと
リンク辿ったり。

自分と似たような気持ち手繰るようにすがるみたいに。
いろんなサイトがあっていろんな掲示板とかあって
いろんな人たちが色んな気持ちを書いていて。
それをずっと読んでた。

何がしたいんだろうわたしは。


寂しい さみしい サミシイ
話したい 話せない 話したくない
わからない わかるはずない わかって
虚しい 怖い 疲れて

助けて たすけて タスケテ
誰に 何を どうやって

気づいて と 思う
気づかないで と 思う。

探して わたしを 探して 見つけて

いいえ 探さないで このまま。

側にいて と思う。
本当は寂しくてたまらないの。


でも
言えない

どんどん 誰にも

自分が辛いと思うこと苦しいと思うこと
キツイヨ イタイヨ って
ココロの底の方で遠くの方で声がするけど
それももう・・・どうでもいいような気がして。

わたしは 
俯いて丸くなる。
丸くなって静かに此処にいる。
ほんの少し 泣き笑いみたいにココロを歪ませて。

ちゃんと話なら聞くから。
大丈夫だから。


もう いい
わたし

もう 誰にも

どんどん 誰にも

言えない
何も

もう何も。




イクバショナンテ ドコニモ ナイ。



2005年03月11日(金) 距離

別にいつもと何かが変わってるわけじゃないんだ。
誰だって疲れ気味になることはあるし
それで何か言われたわけでもないし
いつも通りの電話だったりメールだったりしていて。

だのにKの疲労の影みたいなものをふと電話の声に感じてしまって。
その小さなぽつんと落ちたインクのシミみたいな影が
心から消えなくて 怖くてすごく不安で。

今日は美容院に行って髪切ってさっぱりしたし
帰りに本屋さんで好きな本買ってきたし
風邪のせいで目が痒くてジガジガして擦って赤くなっちゃってるけど
目薬買ってきたし。
気の重いことあるけどそれは考えない考えないって呪文唱えて
薬飲んで。
とりあえずだましだましでも普通に気持ち維持できてるし。

今も電話で話して
ちゃんといつも通りで。
心配したメールへのレスも「大丈夫だよ〜」って返ってきて。

なのに どうして こんなに心が怯えてしまうんだろう。
きっとこんな時はそっとしておいた方がいい。
変に色々言われる方が余計重たく感じるだろうし
(というよりも わたしの存在自体が重くなったんじゃないの?)

それはわかってるんだけど
(そうなの?わたしに疲れたんじゃないの?)

Kとの間の物理的な距離。

こんな精神的に不安定な状態のわたしの近くで四六時中
一緒にいればそれこそ疲れたり、ストレスも溜まるだろう。
それでなくてもわたしはKに精神的に依存してしまっているのだから
そういう意味ではこの距離はKにとってむしろ良いのかもしれない。

それでも諸刃の剣のように
見えないことは不安になる。
声のわずかな調子やレスの返ってくるまでの時間や
なにげない言葉の意味まで。

見えないから勝手に想像してわたしは
不安の影を自分で大きくしてしまう。

自分で壊しちゃいけない。
見えない影に怯えて大事なものを失くしたくない。
それにはちゃんと保たなくては 自分を。

わかっているけれど

今はこの距離が 
たまらなく心細く 

辛い。

---------------------------------------------------------

それからもいつも通りのメールのやりとり。

でも疲れてる空気を感じたらわたしは
明るい元気なメール。俯きメールはしない。できない。

だって Kだっていつも元気ないのばっかりじゃ
疲れてきてしまう。当然だよ。
たとえ わたしが原因でなくてもシンドイ時に
暗い話題なんかより元気でる明るいのがいいのは
当たり前だもんね。

だからKの好きな話題や楽しい話して 
バカ話して笑って おやすみ!また明日ね!って。
ありがとね^^ って言われてホッとして。

少しでも疲れが癒せたら嬉しいから。
いつも支えて受け止めてもらってるからせめて。

うん。

でもね それと別のもうひとつの気持ち。
怖いんだよ。失くしたくないの。
Kにだから Kにだけ 言える。気持ちをこぼすことができる。
唯一 特別。

元々人に愚痴るより愚痴を聞く方。 

ほんとは風邪具合も良くないし
精神的にも今だってそんなに良い状態ってわけじゃない
色んなこと抱えて薬の力借りて何とか少し考えずにいられてるぐらいで。

ワタシダッテキツイノクルシイノシンドイノドウシタライイカワカンナイノ

今日も友達から電話あり。
愚痴や状況を聞く事 小一時間。ずっと相槌うって一方的に聞くばかり。
この頃 ずっとこのパターン。
気持ちわかるし だから聞いてあげられることは
聞いてあげたいとは思うけど
正直 わたしの体調悪いことも言ってるし 精神状態があんまり
良くないのも知ってるのに それまったく関係なしに
気遣いしてもらえないのは虚しかったりする。寂しかったりする。

結局 わたしはいつもそう。

自分の愚痴とかキツさとか言えなくなる。
わたしもキツイよ苦しいんだよって言葉 俯いて飲み込んでしまう。

友達は甘え上手なんだと思う。
そしてそれはそんな悪いことじゃないと思うんだ。

わたしがバカみたいに不器用なだけ。
不器用でココロが弱いだけ。

Kにすら甘えきれない。
全部を預けてしまってそのあげく
ふっと身を退かれたら・・って怖いんだ。

怖いんだよ・・・。



2005年03月10日(木) コレハワタシ

何処にも行かないよ と
ずっと一緒だよ。側にいるよ と
何度も繰り返して
大丈夫だから と。

わかってるけど
信じてるけど
それでも
怖くて寂しくて不安で

叫ぶように繰り返す
怖いの不安なのずっと側にいて

泣きじゃくってしがみつく身体を抱きしめて
抱きしめるしかできなくて

大丈夫。何処にも行かないよ。此処にいるよ。
何も怖くないよ。

大丈夫 だいじょうぶ ダイジョウブ。
言い聞かせるように この子に。わたしに。

小さな肩を抱きしめながら
柔らかい髪をゆっくり撫でながら思う

アア・・・コレハワタシダ

大丈夫 だいじょうぶ ダイジョウブ。
言い聞かせるように繰り返す。

何も怖くないよ。此処にいるから。側にいるから。
言い聞かせるように繰り返す
おまじないのように繰り返す

この子に。

わたしに。

---------------------------------------------------------

K・・・
決して器用ではないひとが
欠かさずくれる連絡と何気ない気遣い。

受け止めるということが 受け止めようとすることが
言葉で簡単にいう以上に
どれだけ大変なことかということを

わかっているつもりだから

だから
心配かけてばかりでごめんなさい。
そうして 本当にいつもありがとう

側にいてもいいんだろうかと
わたしの存在は負担でないのだろうかと
そう口にするとあなたは わたしを叱るけれど

こんなわたしでもあなたにとって
少しでも必要なものでいられたらいいと思う。

そうだと信じていてもいいのでしょうか?
 



2005年03月09日(水) ただひとつ 切なく懐かしい場所

夫との思い出の場所だとか家族で食事に行ったお店とか
そういうのには あれきり行っていない。

そこは 心の中で 触れるのが辛い 行けない場所 になってしまって
多分 もう二度と行かないだろうと思う。

ただ 一箇所だけ 例外と呼べる場所は一軒のラーメン屋だ。

そこには夫の入院時 付き添いに通っていた毎日帰りがけに
遅い昼食をとるために寄っていた。
どうしてそこに通うようになったかというと
そのラーメン屋が食券を買うようになっていたからだ。

味うんぬんの好みももちろん若干はあったけど
それ以上に わたしがこの店に毎日通いつめたのは
ここだとほとんど口を利かずに注文できたからだ。

飲み込んだ言葉、疲れきった心、張り詰めた気持ち・・・
背負ったもの抱え込んだものの大きさで鉛のように重たい身体を足を
引きずるようにしていつものカウンター席に座る。

カウンター席の隅に座ってぼんやりとラーメンが
出来上がるのを待つ。

人の気配がする空間。それでも必要以上に関わる必要の無い。

暖かなどんぶりが目の前に置かれてはじめて 
小さく深い溜息を吐く。
湯気の温もりで少しだけ気持ちがほどける。

今 ここでだけは
笑っていなくてもいい。
空元気ださなくてもいい。

普通に疲れた顔をして
ラーメンをすする。

知らない他の誰かに混じってぼんやりラーメンをすする。

毎日毎日毎日 まるで 他の選択肢をもたないみたいに
それは病院へ行く必要がなくなるまで 続いた。


あの 時間。

あの かえり道の。


今でも時々 一人ふらっと あのラーメン屋へと行くことがある。
同じカウンターのあの席に座って ラーメンを食べる。

外食することなんてほとんど無くなってしまって
ましてや一人でなんてもっとないのだけれど

このラーメン屋だけは 多分 ずっと。
ここだけは不思議と大丈夫。

ただひとつ 切なく懐かしい

仄かに暖かかった場所。



2005年03月08日(火) あの歌

心に圧し掛かってる重荷みたいなのは無くなるわけじゃない。
ただそれは まだあと少しだけ先にあることなので
(あと一ヶ月くらい猶予があるわけだ)
薬のおかげかあまりそのことを思い出さずに済んでる。
結局 そこから逃げ出せるわけもないんだから
それならその時まで鬱々としているよりも考えないようにして
忘れていた方がいい。
嫌なことが必ず来るならせめて。

日々が灰色に満ちている。
まるで色彩が薄い膜に被われているようだ。
感情までもがオブラートで包まれているようで
どこか自分がぼんやりと輪郭を失いかけている。

考えなければいけないことや日々の色々な問題事項
義務や役割。大切なもの。守りたいと思う気持ち。
遠くで自分が普通の顔をして話してる。現実。

自分の輪郭がどんどん薄れていって
世界はいつのまにかとても静かになっている。


もう あの歌も思い出せなくなってしまった。

とても好きだったのに あの歌。



2005年03月07日(月) 記憶

昔の・・・

閉じ込めていたはずの記憶がふっと流れ出す時がある。
不思議とそれは懐かしいような もの悲しいような
そういう変に静かなものになっていて。

記憶の中のその人はどこか申し訳なさそうな寂しそうな顔で。
茶色の帽子とマフラー 薄くなった肩に重たげなコート
小雪のちらつくバス停に立っている。

春 夏 秋 冬 繰り返し そうして春を待たずに。

苦しみも痛みも涙も憎しみさえ
どんどん浄化されていって優しいものだけになる。

ただ哀しみだけが刻印のように消えない。
透明になっていってしまう想い出の中で

ただ哀しみだけがひっそりと立ち尽くしている。

---------------------------------------------------------

薬を飲み始めて・・・どうだろう 目に見えて
はっきりとかそういうのは感じないけど
それでも大きく気持ちが落ち込んでないという気はするし
これからの気の重くなることにしても とにかく
今から考えまい 忘れていようという風に考えるようになってる。

正直効いてるのかどうかわからないにしてもこれ以上 薬を
増やしたくないという気持ちはある。
色々薬について読んだりして増やせば増やしただけ抜くときが
大変そうだし自分が何も感じない人間になってしまうのも
やっぱり嫌だと思ったり。

次回の診察でもできるだけ 大丈夫です。随分楽になりました。
と無理しても言わなくては・・とか考えてる自分がいたりする。
それでも じゃあ 薬無くても大丈夫なのかと言われたら
自信が無い。薬は欲しい。少しでも頼るものが欲しい。
おまじない お守りのようなもの。

無理しようと思えばできる。多分 
ちゃんと普通を装うこともできるはず。多分 
大抵のことは気力で抑えられる。元々それで
やってきたんだし 今は薬があるんだから。

例えば 他人の望む反応だったり 答えだったり
そういうのきちんとできるよ。わたし、そういう模範解答 得意。

寝たくないという反抗心みたいなのがだいぶなくなってきた気がする。
睡眠薬 頼んでみようかなと思ったり。

大丈夫なのか大丈夫でないのか
できそうなのかできそうにないのか

ほんとは 
わからないわからないわからない

頭の中は支離滅裂。



2005年03月06日(日) 感情

結局 夜は寝ないままで朝になって朝食や簡単な家事を済ませてから
横になった。
かなりすとんと眠れて2、3時間 夢も見なかった。
昼に起きたがやっぱり寝起きがなかなかぱっと起きれず
しばらく頭が重たい感じ。

風邪具合 咳がなかなか止まらなくてきつい。
Kに心配されて早く休むように・・と言われたのに昨夜も
だし 時間があるとつい気になって ネットで
薬のことや他の人はどんな感じなんだろう
とメンヘル掲示板とかを見てしまう。

薬の副作用や習慣性 減薬・断薬時のことなど読んで
不安になったり鬱に対する甘え、逃げ議論を読んで
落ち込んでしまったり。

ずっと甘えることも弱音吐くことも頼ることもできずに抱え込んで
此処まできて壊れかけて でもそれでもやっぱり愚痴も弱音も
ダメで心療内科に行くことも結局は他力本願とか甘えや逃げに
なるのかなとか。
できないことでもできないといえなくて自分を
追い詰めてきたから もうできないことはどう思われても良いから
できないって言うんだって思うようにしたんだけど
それもやっぱり甘えになるわけかなとか。

実際 複雑な心境だが
人に頼るのも甘えるのも愚痴るのさえも この状態に
なっててもまだ苦手だしできないでいる。

例えばこの前 
夜中に体調が悪くなったから・・と近くに住む友人から連絡が
あった。救急車は躊躇するし命に関わることではないんだけど
不安なので申し訳ないけどわたしの車で
救急に連れて行ってくれないかと。
もちろん快諾して連れて行って友人はとても感謝してくれた。
役にたてたこと良かったと思い 同時に
とても自然な形でこんなふうに人に頼みごとをできて自然に
さらりと甘えることができる友人を言い方は変かもしれないけど
とてもいいなぁと羨ましいなぁと思った。

わたしにはこういうふうに上手に甘えるということができない。
わたしなら苦しみつつ自力でタクシーを呼んで病院に行くだろうから。
一見 しっかりしてるようにみえるけど そんなふうに必要以上に
何もかも抱え込んでいるから結局 疲れきってしまうんだろう。
それでも頑張れる力のある人はもちろんいるだろうけれど
元々の心の器がそんなに大きくないのに器以上のものを入れようと
するから溢れてしまうことになるんだろう。

愚痴もいうのはKにくらいでそれもすごく申し訳ないと思うから
なるべく言わないように・・と思ってしまう。
愚痴の類はむしろ他の友人から聞くことの方が多い。
愚痴や弱音を人に話すのは難しくてわたしはやっぱり
悪いからと思ってしまい
反対にいつの間にか相手の愚痴や悩み事を相槌を打ちながら
聞いてしまってるということがほとんどになる。

過度の甘えや逃げがいけないのはもちろんだろうけど
ただ 上手に甘えたり(それは持ちつ持たれつという意味で)
できないことを無理ですと言ったり 辛いことを辛いということは
やっぱり必要なように思う。
バランスよく人と付き合っていく力とでもいうか・・・。

それが極端にできなかったから わたしはオーバーヒートして
しまったような気がする。染み付いた頑ななものが 
結局 わたしを追い込んでしまったような気がする。
そして長年染み付いたものはなかなか簡単には変わらないから
それで厄介なんだろう。

      -------------------

薬の効き目か感情がだいぶ穏やかになってきた気はする。

言い方を変えれば感情が平坦になってきたともいえるかもしれないが。
浮き沈みの極端な幅がかなりなくなってきているようで
それは目に見えて・・ということでは無くてそんな気がする・・という
感覚だが。しかし 文章を書きながら不意に泣いてしまうとか そういう
感情の激しさみたいなものが治まってきているような気はしている。

これが薬の効き目なら怖いような気もする。
でも現実にこれから色々ある気の重い、でも逃げれない出来事に
立ち向かっていくにはある程度の感情の抑制化というか麻痺化は
やっぱり必要なことなのだと思う。

精神的にゆっくりと休むこと・・は不可能なのだから
たとえ薬の力を借りても結果的にそれがある意味 感性の摩擦に
繋がったとしても。

一人ならいい。でも守らなければいけないものがある以上
何かを犠牲にすることになっても壊れるわけにはいかないんだ。

心に薄い膜がかかってきているような気がする。
自己催眠もあるのかもしれないけどそれでもいい。

Kに昨夜結局眠れなかったことを電話で話してしまった。
案の定 風邪具合の悪さを思ってだろう心配されて
懇々と諭された。

もっともなことだし有難いと思う。
「とにかく風邪を治さないと・・」と言われて
素直に頷いた。

薬についての不安も
「まだ飲み始めたばかりなのだから あまり神経質に
なりすぎない方がいいよ」と。
「合う、合わないも副作用も個人差があるんだから」と。

しごくもっともでその通りで
わかった・・心配かけてごめんね ありがとうと言ったけど

心の隅の方で少し 今の不安感の理由とか根深さをやっぱりKにすら
わかってもらえないのかなという寂しさ・・みたいな感情が疼いた。

まだ感情残ってるんだなぁ とぼんやり思った。

---------------------------------------------------------

ずっと

もう少し頑張ろう・・せめてここまで何とか頑張ろう・・って
呪文みたいに自分に言い聞かせながら生きてきた。
心と表情を切り離す術もいつのまにか身についてて
ぼんやりしながら無意識に笑顔を作ってる自分に気がついて
愕然としたりもした。
 
正しいか正しくないかなんてどうでもいいから
逃げてるでも卑怯でもかまわないから

ただ 休みたかった。
甘えてみたかった と 思う。

できるばずもないけれど。



2005年03月05日(土) 迷路

結局 眠らないまま朝になっていつものように朝の支度して
子供送り出して。

それから しばらくしてやっと眠れるような感じがしたので
ソファで横になってそれから3時間くらい
珍しく結構深く眠れたかなと思う。

ただ目が覚めた時がちょっと頭が重いというか目が開かないような
そういう感じが少ししたけどこれが薬の影響なのかどうかは
何しろまったく初めてのことなので判断基準がわからない。

それと考えてみたら睡眠薬は出てなくて安定剤と抗鬱剤なんだから
飲んで眠たくなるというわけではないよな・・と自分に苦笑い。
ましてやその安定剤と抗鬱剤すらごくごく微量なんだから
目に見えて感じる効き目?みたいなのはなくて当然だろうし。

一つには今 風邪をこじらせ気味になってしまってて
体調的にあまり良くないということもある。
(薬は安定剤・抗鬱剤と併用可だったので一緒に飲んでいるが)
だから 諸々が薬の副作用なのか風邪の症状なのかがわからない。

今の精神状態はわりと静かに落ち着いている感じだと思う。
けどそれが薬のおかげなのかどうかはわからない。
病院へ行った薬を貰った飲んだ ということでひとつ拠り所の
ようなものを見つけて少し安心したということも
あるだろうし。

昨日一日は極度に張り詰めた ある意味興奮状態だったので
その後反動で虚脱感というかぼーっとなっているということも
あると思う。
揺り返しのようなマイナスの感情も実際 出てきているし
この辺は考え出すと整理がつかなくなって何もかもが
一緒くたになってしまって思考がぐるぐるまわりだしてしまう。

まだ自分自身 混乱しているような気がする。

考えないといけないこととか整理したいこととかあるけど
少し頭をからっぽにしたい。

ああ まず風邪を治すことか。

---------------------------------------------------------

3/4 PM 11:28現在

今日は昨日より早めに薬飲んだ。
当たり前だけどまだ全然眠たくない
(睡眠薬じゃないもんな)

昨日は病院へ行ったということで
緊張とある意味 高揚感みたいなのがあったと思うけど
それがおさまった今日 少しでも変化はあるのかなどうなのかな。

何かを集中して寝食忘れるほどに一気にやった後
(どうも わたしには熱中するとそういう傾向がある) 
ふっとその後でそれを見てすーっと気持ちが退くというか
その自分が集中してしたことがものすごくちゃちな
全然ダメなことのような気がして
なんだか いたたまれないような気持ちになったりする。
何もかもがどうでもいいような投げやりな気になったりする。

この日記にしてもそうだ。
長々と何書いてるんだ何やってるんだ 自分。

支離滅裂。疲れた。



2005年03月04日(金) 初めての心療内科 

   ”ねぇ くるみ
      時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば
             生きることは実に容易い”
              
                  Mr.Children「くるみ」より


もう日付が変わったから昨日の出来事になるんだな。

初めての受診の朝は落ち着かない気持ちのまま過ぎていって
結果 家を予約時間より随分前にでることになった。

バス停3つ分くらいをゆっくりと歩いて行ったのだけど
少しずつ病院に近づくにつれて酷く息苦しくなって空気の足りない
金魚みたいに何度も立ち止まっては呼吸を整えないといけない
有様だった。冷や汗が出てきて目が霞む。

病院が見えてきた頃になるとそれに心臓のバクバクと
軽い貧血のような眩暈のような状態が加わり情けないけれど
このまま一目散に引き返したい衝動に何度もかられた。
それでも足を文字通り引きずるようにしながら15分前には到着。

受付をともかくも済ませてまず女性用外来へ。
この時点で動悸と息苦しさはピークになっていて
かなり辛かった。
看護婦さんに問診表を渡されて簡単な質問などをされた時点で
不意に涙ぐみそうになってしまって気を抜くとパニックに
陥りそうなものすごい不安感を感じる。
いかん、いかん・・と気持ちをひたすら引き締めて
自己崩壊しそうな精神にカツをいれて何とか持ち直す。

そこで問診表を書き(かなり詳しく今の状態やストレスの原因と
思われることを書くようになってた)
女医さんと面談後 心療内科の方へと行った。

今回の場合 一番不安だったのは医師との相性というか
苦手なタイプの先生だったら萎縮してしまったり言葉が
出なくなりそうで怖かった。

だけど最初に話をした女医さんもまだ若いながら自然体で
話をきいてくれるタイプだったのでまずホッとした。
その後の心療内科の男性のC先生も威圧的な所の無い
変にテンションが高すぎも低すぎもせずにでも穏やかに丁寧に話を
して下さるタイプの医師だったのでわたしにとっては
それが何より良かった。

症状や今までの出来事は紙に整理して書いて言ったのでそれを
先生に見てもらってそれについての質問を受けるという形で
診察は始まっていった。

先生は終始穏やかに そうして話の流れの中で自然な形で
質問をしてくださるので有難かった。

とにかく落ち着いてできるだけ冷静にきちんと取り乱すことの
ないように話をするようにしたい・・とそれをわたしは
すごく意識していてそれは9割がたちゃんとできたと思う。

ただ子供のことに触れた話をした時に感情が溢れたように
なって言葉に詰まり涙が出てしまったこと それと
これは知らない人にここまでのことを話したということに対する
揺り返しのようなものかもしれないが自己嫌悪みたいな感情で
診療後に少し落ち込んだような虚脱したような気持ちに襲われたが。

先生からはとにかく長年の積み重なってきたストレスがあまりにも
大きくてずっと休まずに走り続けてきたような状態だったのだから
無理ないということ。

そういう どん底まで精神が疲れきっている状態だとどうしても
全てのことに関してマイナス方向にしか頭が回らなくなって
余計に悪循環で状態が悪くなってしまいますからね・・と
いうようなことを言われた。

そしてそこでわかったのが先生は内科が専門でその合間で
心療の方も一人でみているのだということ。
その為 ここでは簡単なカウンセリングと後は
どうしても薬による治療が主になるので最初それでやってみて 
なかなか好転していかない場合は
(わたしの症状は鬱に加えて睡眠障害や摂食障害に関しても
複雑に込み入っているので)
この専門分野では第一人者のO先生がNという病院にいらっしゃるので
その先生に相談してみるということも考えていきましょう、と。

過去にこの病気での通院がないということでもちろん薬の服用も
初めてになるので今回は弱い薬をごく控えめに出しておきますので
様子を見てみてくださいとのこと。

本来なら わたしの状態だとこの薬の量では弱すぎるけれど
何しろ薬に対する免疫?がないのであまり沢山にいっぺんに出すと
反対に副作用が出てしまって良くないだろうから・・ということで
抗鬱剤と安定剤のみ。睡眠障害はあるけれど今回の場合 わたしが
眠れないというよりも眠りたくないという屈折した状態で
あるから睡眠薬はとりあえず出さずにおきますということで

   @パキシル 半錠

   @メイラックス 半錠

のみ14日分処方された。

お薬については先生は泳ぐということを
例えに出されてこんなふうに言われた。

「薬にはどん底の精神状態の人の気持ちを海底から
一気に水面に出すような効果はありません。
でも海底にいた人を真ん中あたりまで浮かび上からせる
ことはできます。弱りきって海底に沈んでいる人が
自力で水面に顔を出すことはとてもじゃないけれど
難しいけれど 真ん中まで浮かび上がれたら 
自分の力で水面を目指すことだってできるように
なるでしょう?薬の力を借りてまずは真ん中まで
浮かび上がれるように少しずつやっていきましょう」

はい。と とても素直に頷けるお話だった。

そうして二週間後の同じ時間の予約を終えてから
わたしの初診療は終わった。

---------------------------------------------------------

AM 2:00に一日一回夜に・・と言われていたこれらの薬を
飲んだ。この時間になったのはこういう薬がまったく飲んだことの
無かった人間にどのくらいの感じで効いてくるのかわからなかったので
すぐに眠くなるのも困るかなと思いついつい時間が遅くなって
しまったのだけどAM 3:20現在 あまり変化ない・・・と書いていたら
やっと少しずつ効いてきた?身体の力が少しずつ抜けていってるような
感じがするようなしないような。

でもどうなんだろうか。
昨日は一睡もしないままで 病院から帰って夕方2時間ばかり
うとうとしただけだったのでそのせいもあるのかもしれないし。
なんとも言えない。

ただ こうして受診して薬を貰って飲んだせいか眠りたくないという
強い拒否感のようなものはかなり薄れてきたような気もする。

---------------------------------------------------------

Kにも無事に受診を終えたことを報告した。
とにかく一歩進めたことを良かったと言ってくれた。
焦らずにゆっくりと少しずついこう と言ってくれた。

病院やお医者さんの感じもわたしにとってはとても良い状況で
初めての診療を終えることができたと思う。

有名な専門医ではないけど今回診てくださった先生は
穏やかに丁寧に話を聞いてくださった。 
また 自分が専門でないことも患者(わたし)に伝えたうえで 
専門医の先生へとの連携に関して積極的に考えていることを
きちんと話してくださった。
薬についてもむやみやたらと出すのではなくてどうしてその薬を
出すのか量について・・などもちゃんと納得がいくように説明して
もらえたのも良かったと思う。

何もかもが不安でましてやまったく初めての人間にはそれこそが
一番有難い。信頼できると感じられないと特にこういう病気の場合は
なかなかうまくいかないんじゃないだろうか。

病院へ行った。薬を貰った、飲んだ。という安心感か
今 わたしの精神はかなり落ち着いて楽な状態に
なっているような気がしている。単純だ(笑)

---------------------------------------------------------

追記)

もう寝ようかとも素直に思えるのですが 
あと少しだけこのものすごく長くなってしまった
日記の続きを書きたいと思います。

今回病院へ行こうと決意してから ネットで色々なサイトを見たりして
ある意味 根強く残る 鬱=甘え のような意見も多々目にしたりしました。

このことについて書き出せばまた長くなると思うので
それはまた機会があればと思いますが
焦りとか自己嫌悪とか 甘えにしかすぎないんじゃないかとか
そういうのはこういう状態の本人が一番気にしているし
だからこそ この自分ではどうにもならないような状態を
何とかしたいと思い 病院を受診するという一歩を踏み出しました。

こんな長々とした独りよがりの日記ですので
読まれて不愉快になられる方も
おられることだろうと重々承知もしていますし申し訳なくも思います。

ただ 書かせてもらいたいのです。
見苦しい文章かもしれないけれど こうして書くことで
自分自身の心の整理にもなるし公開日記であることで
その分 少しでも感情に走るのを抑制する力にもなるのです。
どうか お許しください。

それと
付けたばかりですが掲示板は外そうと思います。

何かあったというわけではなく 自分はどうしたくて
掲示版をつけようと考えたのかなと思った時に
この自分自身の記録にすぎないようなものには
やっぱり必要ないんじゃないかと。

それでも読んでくださる方が一人でもいてくださるなら
すごく嬉しく有難いです。
わたしの方からはマイ登録告知ご遠慮していますが
マイ登録いただいた方の日記などはこっそりと伺って
読ませていただいております<(_ _)>



2005年03月03日(木) 欲しいものは何ですか? ・・・そして通院初日

      ”自由に歩いてゆくのならひとりがいい
          そのくせ今夜も ひとの戸口で眠る”

                       中島みゆき「友情」より



↑エンピツ投票ボタン

My追加

わたしはいったい何が欲しいんだろう。何を求めてるんだろう・・。

        ・・・なんだか自分に吐き気がした。

---------------------------------------------------------

追記)

3/3 AM 1:02現在 

もう”今日”になった。病院の予約日。
不安で仕方ない。怖くて仕方ない。
息が苦しい。

どうして普通にきちんとこの世界に違和感を持たずに
生きていけないんだろうか。
どうして辛いとか違うとか思ってしまうんだろうか。

自分が動かなきゃどうしようもないことも
タスケテ なんてどれだけ思っても何処からも助けなんて
こないことも骨身に沁みて知ってる。

”もっと前向きに考えすぎずに”
そうだね。その通り。
だのにどうしてそう思えないんだろうね・・・わたしは。

すごく疲れたな・・・
自分の全てがとてもみっともなく滑稽で虚しい・・・。

いっそ全てを諦めてしまえるならいいのに
どうしてまだそれでもどこかで期待なんてするのだ。

潔ささえ わたしには 無い。

---------------------------------------------------------

3/3 AM 1:55現在

みんなちゃんと生きているのに
どうしてわたしはちゃんと生きられないんだろう。

人の中に出て行き働くのが怖い。
久しぶりの短期の仕事は周りに良くしてもらえたせいもあって
ストレスはあったにせよそれなりにきちんと勤めを果たせたと思うし
実際 上司から契約が切れることを惜しんで 
「働きぶりはわかってるから別の課なら働いて
もらえるように話もできるけれどどうか」
とまで言ってもらえた(その仕事はかなり不規則で夜間も
あるので残念ながら辞退するしかなかったけれど)

それでも契約延長を何度かした後 1年近くなった頃からやっぱり
しんどくなってきていて契約が終了することになった時
正直言ってほっとしている自分がいた。

夫が亡くなった後のわたしは長年考えていたある夢を
ひとつの形として残すこともできたし独学で勉強して
なかなか本業とはいかないまでも副業を始めてもいる。

ナニモシテナイワケジャナイジャナイカ

自分に言い聞かせてみたりする。
けどだめだだめだだめだ。言い訳でしかない。
結局それだけのこと だ。
夢は結局夢でしかないし副業も本業にできる力がない。

地域や学校関係などは一層 苦でしかない
子供の学校行事参加ですら本当は気が重いわたしなのだ。

わたしの感情はどこかが抜け落ちてしまっているのじゃないか。

普通の人がそれなりにちゃんとやってきていることが
辛いと感じたり苦しいと感じたり違和感があったり

だめだ。思考がぐるぐると迷路に入って。
落伍者なのだろうか。どうしようもないダメ人間なのか。

そうだ と嘲る声と
諦めきれずにもがく自我とが
ぐるぐるぐるぐるまわる。

---------------------------------------------------------
3/3 AM 6:08現在

眠れないままにKに長いメールを書く。
書きながら涙が止まらなくなって。馬鹿だ。

朝だ。朝の準備して子供起こさなくては。

---------------------------------------------------------
3/3 PM 11:30現在

病院に行ってきた。

今日一日の出来事をできるだけ思い出しながら
記録しておこう。





2005年03月02日(水) 涙ばかり流れて

子供の風邪がぶりかえして発熱。学校休ませた。
わたしもうつったのか咳と頭痛が酷く 一緒に病院へ。
インフルエンザが流行っているせいもあって2時間待ち。
それでも何とか診察・インフルエンザの検査・薬を貰ってきた。
検査の結果は陰性で良かった。

熱も帰る頃にはさがってきて食欲も出てきたので一日休ませれば
大丈夫みたいでほっとする。

体調が悪いせいか気持が塞いでしかたない。
子供にも雰囲気が伝わるのか心細そうに甘えてくる。
大丈夫だからね って話をして抱きしめて
髪を撫でながら添い寝してたら安心したように眠った。

しっかりしなくてはと思う。守らなくては守っていかなくては。
寝顔をみながらここで壊れるわけにはいかない・・と思う。



↑エンピツ投票ボタン

My追加
 
本当は何もかもが怖くて身体の震えが止まらない。
何もかもが寂しくて何もかもが心細い。
心を閉じて丸くなってうずくまっていないと
真正面から現実に向き合ったら叫びだしてしまいそうだ。
一度 噴き出してしまったらパニックになって
叫び声が止まらなくなるだろう。

情けない人間。
弱すぎる人間。
何故もっと頑張れないのか。

ダメな人間。そんなことは誰に言われなくても
自分が一番わかっている。

人間が怖くてこの社会への違和感が消えない。
他人からは人当たりのいい人間だと思われるけれど
本当のわたしはいつも空気不足の金魚のように
口をパクパクさせて息苦しさに押しつぶされそうだ。

ただ涙ばかりが流れる。
重い塊が胸にずっとつかえていて消えない。


ただ涙ばかりが流れる。

---------------------------------------------------------

Kが心配して何度もメールや電話をくれる。
「体調が優れず気が滅入ってるんだよ。まずは風邪を治して
元気になろうね」

ごめんね・・と思う。
心配かけているのわかっているのに
こんな弱虫でごめん。
いい加減 嫌気がさしたってしかたないだろうに。

何とか頑張らなくちゃいけない。

わかってるのに
わかっているのに


ただ

涙ばかりが流れて止まらない

---------------------------------------------------------

追記)

3/2 AM.5.28現在

まるで眠たくない。

今までかかって心療内科へ持っていく紙に今の症状や今までの出来事・
気持ちなどをまとめて書き終えて印刷した。

体調が良くないくせにと自分でも思うし心配してくれているKに
話せば叱られてしまうようなことだ。
ただ 色々考え出すとちゃんと話せるか伝えられるか
すごく自信がなく怖くなってそう考え出すとたまらなくなってしまって。

医者に・・というよりも他人に期待してはいけない。
わかってもらえなくて当然、例えば見当違いのことを言われて
余計に嫌な思い傷つく思いをすることもあることをしっかりと
自覚していなくてはならない。
わかってもらえるかも・・と思うから失望するし傷つく。

ただ 自分を伝える為のできる限りはしよう。
それがなけなしの勇気をだして病院行きを決めた自分が
自分に対して今 できることだ。

挫けてしまいそうな心に逃げ出したい心に力を・・勇気をください・・

神様・・どうか。



2005年03月01日(火) 病院へ行こう*なけなしの勇気・予約電話*

子供の蕁麻疹は薬のおかげでありがたいことにすっかりひいてくれたので
朝 熱も無かったこともあって 念の為に学校の先生へ
こういう状態だったので大丈夫だと思うけれど何かあればご連絡ください
・・という手紙を持たせて登校させた。一安心した。

朝は相変わらずダメだ。子供を送り出すまでは何とか気力で動けるんだけど
その後 小一時間 部屋のテレビの前にうずくまったまま動けない。
どういえばいいんだろうか。ものすごい倦怠感。
それでも何とか少しずつ本当にノロノロと洗濯をしたり片づけをしたり
掃除機をかけたり・・これすらできなくなったらいよいよダメだという
強い強迫観念とやはり子供のことがあるからだろう。

今朝は病院へなんとか予約電話を入れよう・・と決意していたんだけど
それでも予約開始時間の8時になっても身体がいう事をきかない。

9時になったら・・とか自分で言い訳しながらぼーっと
してしまってる。
そうこうしてるうちに9時。このままじゃダメだ と
自分に言い聞かせて鉛みたいに重たくなってる身体
(大げさのようだし情けないけどそうなんだ)を動かして
電話する・・・けど話中。

何度リダイヤルしてもそうで やっと予約センターに繋がっても
「ただ今大変混み合っております・・」とテープの声。
どこかでほっとしたような このまま電話するのを止めようか・・
だって繋がらないんだから・・って
”繋がらないこと”を正当な理由にして済ませてしまいたい
誘惑にかられる。

でも それじゃダメだ。結局それじゃ何もならないんだ・・と
思い直し 半分ひたすら機械的にリダイヤルし続け・・・
やっと 繋がった。



↑エンピツ投票ボタン

My追加
正直 怯んでしまったけどここで電話切ってしまったら
何もならない。とにかく緊張による声の震えを抑えながら
予約をしたい旨を伝える。

何とか今週の木曜日に予約をすることができた。

やっとほんの小さな一歩だけど踏み出せた。
電話を切った後 手が小刻みに震えて
受話器を握り締めてるのに気がついて苦笑する。

Kに携帯メールで報告。
『なかなか繋がらなかったけど今何とか予約できたよ』
折り返し昼に電話があり「ともかく良かったね」と。
声を聞いてなんだか安心する。

これで木曜日の病院は決定だ。
不安は大きいしすごく怖くてたまらないけど
とにかく一歩踏み出してみるんだ。

木曜日までに自分の状態、症状、それに一応の過去のトラウマに
なっている出来事についてを簡単にPCでまとめて印刷しておこうと思う。
その紙を持っていこう。
そうでないと例えば苦手そうなタイプの医者だった場合
多分 わたしは萎縮して何も言えなくなってしまったりするだろうし
またそうでなくてもありがちな先入観と思い込みでまた
「ご主人は天国で見守って・・」云々を聞きたくないから。

---------------------------------------------------------

こうしてエンピツで日記を書くようになってからこのジャンルの
他の方々の日記も色々読ませていただいています(ロム・読み逃げ
状態でこの点 申し訳ありませんが)
  
               ***

その中で表現や言葉は違ってもいろんな方が叫びのように書かれていて 
わたしもとても共感したことは
”簡単に 甘えてる だの もっと頑張れ なんて言ってくれるな!”
ってこと。
”もっと辛い目にあって頑張ってる人もいるんだから”だの
いかにもわかったような顔をして(その実何もわかってないし
見えてもいないのに)”逃げたって何も始まらない・・”だの。

はっきりいってわかりもしない人間にアドバイスなんてして欲しくもない。
中には確かにものすごく苦労されながらも文字通り頑張って色んなことを
こなし前向きに生きてる人もいて それはすごく素晴らしいことだと思う。
でも そうばかりもなれない人間だっているんだよ。

動かしたいのに身体が鉛のように重くて胸に大きな塊があるように
息が苦しくて・・ 
どんなにタスケテって叫んだって誰も助けてくれるはず
ないことくらい嫌ってほどわかってるよ。

それでも「タスケテ」って天に向かって叫ばずにはいられない気持が
アンタにわかるか?

結局ね 痛みだとか苦しみだとか人それぞれで比べられるものでも
ないし 痛みに対する耐性は人それぞれ違う。

AさんもBさんも同じような苦労してたとしてAさんがそれでも立派に
前向きに生きてることはそりゃ素晴らしいことだろうけど
じゃあBさんがその心の痛みに耐えかねてどうにかしなきゃ・・と
思いながらも葛藤し続けて苦しんでたらBさんは甘えてるって
ことになるの?

わかってくれとは言わない。弱いダメだと甘えてると思うなら
そう思ってればいい。だから 頼む わたしの心に触るな。

これは わたしたちの血を吐くような叫びだ。


---------------------------------------------------------

死にたいとは思わない。
いいや 正確には 死んでも楽になるとは思えない。

3年間 ずっと一人の人間が死んでいく姿を
目の前でみてきた。命の消えていく最期を看取った。
命の重さとその意味を突きつけられた。

こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけれど
だから ある意味 死にたい と思える人が
皮肉でもなんでもなく羨ましい。

そこにいけば救われると信じられることが羨ましい。

生きることにとても疲れてしまって。
けれど死ぬことにも希望を見いだせないわたしは
宙ぶらりんのまま世界が灰色に侵食されていく様をみている。


 < 過去   INDEX  未来 >


ゆうなぎ [MAIL]

My追加