一月に一回くらい、「僕って何なんだろう」と思うときがある。
今日はちょうどそんな日だった。
別に何かあったわけではない。 何かあるような日常を送ってはいない。
それでも急に、そんな気持ちに襲われる。
病気といえば病気なのかもしれない。 普通はそんなことを思ったりはしないだろう。
自分には何かが欠けている。
その何かは、漠然とは分かっている。
自己を価値あるものとして肯定するために必要な何かだ。
でも、明確には分からない。
その何かは、複数かもしれないし、複数の何かの総体なのかもしれない。
ただ、はっきりとしているのは、その何かを手に入れることはもう今はできないということだ。
今できることは、その何かがないことをうまくごまかしていくことだけ。
自分はそのごまかしが下手だから、こういうことになっている。
いつか、仕事で悩んでいることを話したとき父親に「そんなことでは生きていけんぞ」と言われたことがある。
その通りだと思う。
もともと、生きる、ということに対して下手な人間なのだ。
生きる、ということにおいて、その何か、がとても重要だったのだろう。
いつまで今のようなごまかしが続けられるか、時々不安になる。
いつか、どこかに仕掛けられた時限爆弾が爆発して、破綻する気がする。
劇団黒テントの公演「作者を探す6人の登場人物」を見に行った。
こういう劇もあるのだな、と楽しませてもらった。
個人的な感想では、頭を使って楽しむ劇、という印象だった。
劇について言及する劇というか、理論的な劇のように見えたので、つい頭を使って「これはこういうことなのかな」と考え込んでしまい、頭がオーバーヒートを起こして劇中少し眠ってしまった。
この4月に東京に来てから、劇を見るのはこれで6つ目になる。
友人Tの影響からか、観劇がいつの間にか自分の一番の趣味になっている。
もう少し劇と早く出会っていたら、役者を目指していたかもしれない。
今、自分は劇をやってみたいという気持ちでいっぱいだ。
昔から、何かを表現したい、人を感動させたい、という気持ちは強い方だったが、それを具体化するときのツールとして、劇を演じることが自分には一番合っている気がする。
石川に帰ったら、ぜひどこかの劇団に加わりたいと思う。
入れてくれるところがあればの話だが。
週の半ばから、演劇を見たいという欲求が高まっていたので、休みとなった今日、早速行くことにした。
毎週末、東京では本当に多くの劇が上演されるので、どれにするか選ぶのには苦労したが、今回は自転車キンクリーツカンパニーの「ブラウニング・バージョン」を見ることにした。
六本木にある俳優座劇場での公演だったので、当日券を買うと、上演開始時刻まで、六本木ヒルズ周辺をふらふらと歩いて回った。
途中、「ROTI」というイタリアンの店に立ち寄り、昼食を取った。
最初、僕の他にはサラリーマン風の男性二人と、一組のカップルしかいなかったので気が付かなかったが、どうも外国人向けのお店であるらしく、僕の後から次々と増え出したお客さんは、全て外国人で、周囲から聞こえてくる言葉は英語を始めとする外国語ばかりだった。
久しぶりのゆったりとした休日を過ごしている自分自身にうきうきしていた僕には、そのことがかえって楽しく思えた。
食事も非常においしく、満足した気分で開演を迎えることができた。
劇は脚本、役者ともに素晴らしく、「ああ、劇っていいな」とあらためて思わせてくれる内容だった。
その夜、職場の同期たちと鍋を囲んだが、その鍋も逸品で、またお酒も各自が持ち寄った粒ぞろいのものばかりだった。
最近ではめずらしいほど楽しく、また充実した一日だった。
最近、まっすぐに歩けなくなる、という不思議な体験をした。
片方の足がもう片方より長い感覚に襲われて、自然に進む方向が曲がって歩きにくい、という感じだった。
そのことを職場の先輩に話すと、
「それはマジやばい。○○さん(この春に会社来なくなっちゃった人)と一緒の症状だよ。あーマジやばいわ。」
と笑われた。
いよいよリーチか、と自分でも思う。
何せ最近、他にも身体症状だけで
・平熱が37度。(毎日37.3分までは上がる) ・手が微妙に震える。 ・ものをよく落とす。 ・のどが渇く。
などがある。
そのうちぱったり逝くんじゃないか、と思うときがあるが、なかなかどうして人間は頑丈にできているので、そうはならないのだろう。
いっそのこと倒れて石川県に強制退去させられたいが、少なくとももうしばらくは今の状態が続きそうだ。
もういい加減暗い話題には飽きているので、たまには楽しいことを日記に書きたいが、こんな毎日ではそれも当分叶いそうにない。
2005年10月18日(火) |
うそをつけない心と体 |
毎日一生懸命働いている人には申し訳ないが、今日、会社を休んでしまった。
昨日から体調がよくないことは感じていたが、今日になって、体が動かなくなってしまった。
熱は37度くらいなので、微熱程度だが、とにかく体が動かない。
歩くのもふらつきがあり、節々に少し痛みがある。
せきは特にないが、かぜかもしれない。
頭の回転もおかしく、いろいろなイメージが頭の中をぐるぐる回って考えがまとまらない。
近頃、体調がおかしくなるときは大抵そういう症状が出る。
他人から見ればさぼっているようにしか見えないだろうし、自分でも単なるさぼりではないかと反省するくらい、体がしんどい、という以外に症状がない。
肉体的・精神的に疲労がたまっているとしかいいようがないのだろう。
そう納得するより他にない。
もう今の仕事を続けていくことは無理なのかもしれない、と真剣に一日悩んだ。
待遇面で今よりいい職場につけることはないのかもしれないけれど、これ以上続けて心身がぼろぼろになるよりも、辞めてしまった方が自分のためかもしれない、と今は思う。
好きになれない仕事にこれ以上打ち込むことはできない気がする。
今日は仕事で久しぶりに石川県に戻った。
人事に東京での仕事・生活の報告を行い、これまでお世話になった人、前の職場などに挨拶して回るとあっという間に、5時を過ぎ、帰りの電車に乗らなければならない時間になった。
電車に揺られながら、東京に来るまでのこれまでの自分を人生を振り返った。
疲れていたからか、どうにも否定的に人生を見てしまった。
自分の人生なのに、自分の頭で、自分の思いで人生を選んでこなかった気がしてならなかった。
最近、自分が本当にしたいことが何なのかをよく考える。
したいことをしないと、人生は無駄に終わってしまう。
けれど、したいことはなかなか見つからない。
これがしたい! と思うものでも、「本当にしたいの?」と自分に問いかけていくうちに、「そうでもないかな……」と思ってしまう。
もう、いい加減自分の人生を決めなければならない年齢だと思う。
でも、決められず、ただ流されている自分がいる。 それが現状のような気がする。
本当にやりたいことが見つかったら、今度は迷わずに向かっていきたい。
少しでも仕事の足しになれば、という思いと、一度やってみたかったという思いから、今月から通信教育を始めた。
どこの通信教育かといえば、定番の放送大学である。
科目履修生として、2科目だけ履修することにしている。
今日、その教材が届いたので、少し目を通した。
すると、教科書に目を通す、という行為を通して、大学時代のたくさんの思い出が蘇り、そして何とも懐かしい学生の雰囲気が思い出された。
今思えば、学生時代に出来たことがもっと本当にいっぱいあったと思う。
自分がそれをできなかったのは、勇気がなかったからだ、ということが今はよく分かる。
その頃に比べれば、今の自分の方が少しは勇気があるかもしれない。
やりたいと思ったことをあまり深く考えすぎないで思い切ってやってみる。
今の僕には、そのくらいは、勇気がある。
その勇気を身に付けるのに、社会人として3年と半年働くという経験が僕には必要だった、ということだ。
通信教育の教材を見て、今日はそんなことを考えた。
風邪を引き、体調が悪かったため、一日お休みをもらった。
一日分仕事がたまったことを思うと気が重くなるが、仕方がないと諦める。
眠くて眠くて仕方がなく(風邪を引くといつもこうなる)、気が付いたら18時間ほど寝ていた。
体が重く、朝方はほとんど動くことも出来なかったが、咳等の症状はほとんどない。
体が動かない、という以外に症状がないと休むのも気が引けるが、自分しか体のしんどさを分かる者はいないと割り切ることにした。
これまでは、こういう日でも無理して出社し、結局まともに働くことができないためミスを連発身体的にも精神的にもダメージを負って帰途に着く、というパターンを繰り返していた。
今回のようにあっさりと休むことを決断してみると、やはりこれが正解なのだとあらためて感じた。
あいつは休んでばかりいる、と周囲に思われても、自分を信じて自分をコントロールしていくのが、結局は一番仕事ができる最善の方法だと思う。
今日は、高校時代からの友人Fの結婚式の二次会に出席した。
結婚式も二次会も、勤め先の関係で今Fが暮らしている大阪で行われた。
東京から新大阪まで、新幹線でおよそ3時間弱。 移動している間に仕事関係の書類を読もうと思っていたが、午前3時まで仕事をしていたこともあって、電車が動き出した途端急に睡魔に襲われ、結局、そのまま到着まで寝ること以外何もできなかった。
新大阪の駅に着き、他の友人と待ち合わせて二次会で渡すプレゼントを梅田のロフトに探しに行った。
大阪で暮らすのだからと、プレゼントは「タコヤキ器」にすることであっさり決定。ついでに「たこ焼」と書いたのぼりも付けることにした。
二次会は無事終了。
久しぶりに気の置けない仲間と飲むことが出来てすっきりした気持ちでホテルへ。
ホテルでは同じ部活だった友人Yと一緒だった。
夜中、二人で人生の悲哀について語る。 充実してはいたが、かなりディープな内容の会話だった気がする。
そんなこんなで一日が終了。 あっという間の、それでいて濃い一日だった。
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