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コミュニケーション。
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2017年01月12日(木)



先に書いておくが、まだ生まれていない。
残り少ない胎内の時間を楽しんでいるかのような胎動だ。


息子のときは、朝6時に陣痛で目が覚めた。
そこから日中陣痛と過ごし、夕方に生まれた。
娘は朝9時に腰にずきりときた。
同じように一日を過ごし、18時ごろに生まれた。


なので、夜中に陣痛がくるとか、まったく想定していなかった。
今回は夫が特に仕事で忙しいので、
前2回のように出産の瞬間に立ち会えるのは厳しいだろうなぁ、と思っていたら、
いや、そもそも夜中に陣痛が始まって病院に行くタイミングまできたら、
子ども2人だけ置いていくわけにはいかないのだから、
夫に残ってもらうことになり、どうせ無理なのでは?と思い至ったのだ。遅い。



しかし希望も出てきた。
今回の出産・入院でいちばん気がかりなのは息子の朝の登校で、
夫は早起きがまったくできない(する気もない)ので、
息子は朝起こしてもらったら、ひとりで朝食を摂って準備をして登校することになる。
今のところ夫への不満第1位はこれだ。
子どものためなら起きて欲しい。娘のためだったら起きていたのでは?とちょびっと思うのもはがゆい。


起きさえすればできると思うが、
まだ8才なのにひとりの時間からの登校なんて寂しいものは、数少ないほうがいいと思えて、
(過保護だろうか)
なるべくなら1日でも多く彼を送り出してから入院したいのだ。


それでこれからのカレンダーとにらめっこすると、
今夜の深夜から陣痛が始まれば、明日の朝をなんとか送り出し、
土日で2日間しのげる。
入院期間は何事もなければその後3日間と思われるから、
これが現時点での最低日数だ。
だから今夜来てくれないかなー!と期待している。



思えば、息子にも娘にも、
「パパの仕事が終わるころに生まれて欲しい」だの、
「パパの仕事が休みの間に生まれて欲しい」だの思っていて、
2人ともその希望を聞いてくれて、立会い出産が叶ってきた。

陣痛中の大変なこととして「いきみを逃す」があるのだが、
そのとき夫の手を握っているのがいちばん気が楽なので、
夫にいてほしいと思っていたが、今は、
息子のためにいてやってほしい。
私は夫のジャンバーでも握っていようかと思う。

そうだ、夜中からなら、親に連絡せずとも言い訳も立つだろう(なんちゅう子どもか)
喧嘩しているわけではないけどあまり頼りたくもない。



息子のときは6日、娘のときは4日遅れだった(そういえば何故か2日と思い込んでいた)
ことを思えば、
10日予定日で17日出産もあるわけか。
それ以上になって点滴もあり得るだろうし…。
今できることは歩くことのみか…。
今夜は歩こう…。




2017年01月11日(水)





無事に(?)今回も予定日を過ぎた。
お腹の張りやら足の付け根の痛みやら予兆はあれど、
おしるしもなく(前2回もなかったし)、
私の焦りばかりが増している。


焦りというのは、出産前に片付けたい仕事の山で、
手芸計画は生まれてからでもいいかと諦めがついたけれど、
家の片づけや洗濯物が、5日間分きちんとされていないと、
家族が困ってしまうので、できるだけやろうと思ったら、
雨が降っただの、子どもと寝オチしただのして、
なかなか、これでよしいつでも行ける、という気分にならないからであった。


そんななか、予定日の近かった人の出産報告を見た。
友人でも顔見知りでもなく、
私のブログに「いいね!」してくれた人、というだけなのだが、
何故か、本当に何故か、
やりかけの仕事とはまた違う焦りが沸き起こった。



何の計画もなく妊娠して今のところ問題もなく、
出産を待つだけ、という、人様から観れば幸運な立場からでも焦りが沸く。
なるほど、不妊治療の人の焦りはこんなものではないだろう、と、
ほんの少しだけ、推察することができた。
今まではまったく理解ができず、
子どもがいてもいなくてもいい人生は送れるし、
いたからイコール幸せではないのだと溝を深めるばかりだったんだけど、
対象は何であれ、
こころの状況で、焦りや劣等感を感じることがあるのだ。
内容は関係ないのだ。受け止めるしかない。




***




明日は満月。
満月は生まれることが多いらしい。
前2回を調べて合致はしていなかったが、
実際に満月に生みましたよという人々には会った。

予定日を過ぎてもいることだし、明日生まれてもいいように、
今日がやはりデッドラインなのだろう(間違った使い方)
どうやら私はデッドライン症候群らしく、(知ってた)
締め切りが本当に目に見えないと、何もかも中途半端になってしまうのだ。

手芸計画などは、それを克服するための長期的な計画として考えていた。
私にしてはやれたほうだとも思うが、(多くはフェリシモのおかげ)
予定日を過ぎて70%の出来なので、まだ私には早かったのだろう。
もう生まれてしまうのでまた治療が長引くだろうが、
今度はもっと短期でやりたい。


あ、忘れていたけど自分のカーディガンの仕上げだけは完全に終わった。
と言っても残り15%くらいだったので一晩で終わった。



手芸計画残り メモ

・薄手おくるみモチーフ付け (毛糸が足らなくなり補充待ちしていた)

・退院時ロングドレス (セレモニーではないがフリフリしたもの・入院中にやる予定)

・胴着 2着 仕上げ (糸始末)



おふとんキルトは都合3セット溜めていて、ただこれは素材から、
真冬に使えるものでもなく、よく使うのは春〜秋であろうと気づいたので、
先送りにした。
ちなみに、
病名は知らないが、ストレス状況下で毛糸を見ると買ってしまう持病もあるので、
毛糸は増え続けている。
もうこれの治療は諦めている。



2017年01月06日(金)





39w健診を終えてきた。
何故かこちらの予定を聞かずに予約をブッコんでくる先生なので、
弁当を作って夫に子どもの送りを頼んでから、
8時半に病院に行くのに苦労した。
まぁその分、1時間遅れても何の咎も受けないのでいいのだが…
それでも遅れてはならないと思ってしまうのが日本人的なところだろうか。



さすがに先週より下がってきた気もするし、
恥骨は痛いし、産道の痛みもあるし、張りも前よりは感じるのだが、
内診してもらうと、
「まだ全然降りてきていなくて、頭にも触れない」
だそうだ。

娘のときは、予定日に近づいたときの内診で「2cm開いていて頭に触れる」と言われたと残しているので、
娘のときより遅れるのかも…
でも1週間後だと40w3dで、娘は40w2dで生まれているので、
まぁそのあたりか。
息子のときは40w6dで、あと1日遅れたら陣痛促進剤、だった。懐かしい。



手芸計画は、仕上げないと使えない、と思うと、
今は70%といったところか。
家も散らかっているし、
注文したベビー用品はまだ届いていないし、
今日明日生まれるのはちょっとバタバタするので来週あたりはありがたいが、
胎動とさよならなのは少し寂しい。
今日も、元気に動いている。

今朝は起床から出発までいつも以上に急いだので、
NSTのためにベッドに横たわるまで胎動を感じていなくてひやりとした。
しかもたまたま寝ていたようで、なかなか動かず…
結局、覚醒してくれてからは元気だったのでホッとした。


夫は仕事に追われていて3連休もあるようなないようななので、
申し訳ない気もするが、
この3連休で手芸計画をががっと進め、家を片付けよう。
子供達に、入院中のシミュレーションもさせなければ。
今日はパパの言うことをよく聞いてちゃんと行けたというので、
やっぱり私にはよく甘えてくれているのだろう。
いなければきちんとできるのだ。


今回も市からの補助券を使い切ってしまった。
いよいよという感じがする。




2017年01月05日(木)





あけましておめでとうございます。
年末年始はいろいろあってドタバタ現在進行中なので、実感一切なし。
まだ妊婦なので、区切り感がないのかもしれない。
いよいよ出産ともなると、産む前の仕事がぶわっと襲い掛かってくるうえに、
手芸計画もしたい、掃除もしたい、
という私のわがままが噴出中。


しかし、いよいよ予定日まであと5日。
遅れるかもとはいえ、一週間あるかないか…。
息子達の新生児期はあっという間に忘れ去ったため、
今頃赤ちゃん製品など見比べて、買っている。
ベビーバス、本当に1ヶ月くらいしか使わないのに、やっぱり必要だと再確認し、
その後も使えそうなかわいいタライにした。



前回の日記にも書いているけど、
子供たちの甘えん坊はますます加速中。
でもまたそれが可愛い。

息子が年末に熱を出したので、恒例の夫実家旅行はキャンセルにしてもらい、
年越しは息子と2人で実家にお世話になった。
娘がいないときの息子はやっぱり違って、素直で、可愛かった。
父は「妹がいるとカッコつけるんだろう」と言っていたが、
強がっているのは確かなんだろうと思った。

3番目に手がかからなくなるころ、息子は反抗期に差し掛かるだろうし、
可愛い息子との時間は本当に刻一刻と減っていくのを実感して悲しかったので、
結果論だけどインフルエンザでもなかったし、
2人でゆっくりお風呂に入れた年末で、本当によかった。



子どもには自分の人生を謳歌してほしい気持ちはもちろんあるけど、
自分の子どもへの依存もひしひしと感じる。
その反動や不安として編み物がある。

子どもを力いっぱい抱きしめるとき、肉体の違いが悲しい。
夫とは、違うからこそ愛し合えるし、セックスが楽しめるので違っていてかまわないのだが、
子どもとの肌うす皮1枚が遠くて辛い。
骨が折れるほど抱きしめても、魂までは抱きしめられない。
いつだったか海外ドラマで同じことをセリフで言われてびっくりした。

そのドラマでは、代わりに宗教で繋がるのだと説明していて、
なるほどそれも一理あると思った。
神を通して繋がるのだ。

日本に生まれて多宗教で育った以上、ドラマほど厳格にはできないが、
日常生活の全てがそうなのだと思うこともある。



さて、入院準備や赤ちゃん用品準備(と仕事)に戻らなければ…。




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