綿霧岩
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2006年02月06日(月) ホラー

作文の授業の話をしよう。

小学生の時、書く作文書く作文、褒められて、学年通信に載せられたり、終業式などで皆の前で発表(!)させられたりしていた。
これは自慢話ではない。
それどころか無念、屈辱の話なのでそういうつもりで聞いて頂きたい。

私は不幸にも、どうやって書けば褒められる作文が出来上がるのか、熟知してしまっていた。
そもそもは、授業の中で先生が言っていたことを、素直に聞いてしまっただけなのだ。
先生は「〜したこと、あったこと、ではなくて、思ったことを中心に書きなさい」
と言ったのだった。
そして私は、日記でもなんでも、その通りに、自分の行動逐一にその時思ったことを付け加えた。
そこまでは別にいい。

しかし小学生に課せられた日記だの作文だのは、明日までにとか原稿用紙何枚以上だとか、とかく五月蝿いノルマに追われており、律儀な私は、規定期限を守るために、悪魔に魂を簡単に売った。

思ったことを書け、と言われても、そんなに簡単に自分が何を思ったか、人は言語化できるものだろうか。
いや、できぬ、と即断した私は、偽の「思ったこと」を綴りまくった。
たとえば、寒い季節にみかん狩りをした時、もいだみかんがあったかいような気がしただの、そのみかんが笑っていると思っただの、そんなことはあるはずがない、と内心思いながら、いけしゃあしゃあと大人が喜ぶ表現を書き連ねていた。

ノルマを果たす為なら盗作もした。
愛する飼い猫との出会いから別れを、不謹慎にもノルマ作文のテーマに選んだ私は、その作文のクライマックス「Kちゃんは、うちゅうよりも遠い所へ行ってしまいました。」という部分を、その頃読んだ、動物の死を扱った本からいただいた。

そして、そんなふうにして仕上げられた私の汚れた力作達は、悉く評価され、公に晒された。
私は心底、うんざりしていた。
自分はノルマの為に、魂まで売って文章を書いたのであって、その禁断の書はノルマを課した先生のみが見るものであり、それを人の目に触れるようにするとは、なんという辱めだろう、と憤りながらも意気消沈していた。

評価されると発表されてしまう。
その法則に気付いた私は次第に、どうにかして良い評価を受けないように、下手な文を書くよう心がけるようになっていった。
もはや「思ったこと」も「〜したこと」もない。全ての技巧を放り出し、自分でも意味が分からない文を、ただページを埋めるために無茶苦茶に書いた。
悪魔に魂を売っていた時は、かすかな良心の痛みを感じながらも、どこかで楽しんでいた作業が、本当のノルマに変わった。

以降、課せられて文章を書くことが、ただ手が疲れるだけの作業と化した私の時代は10年以上続くことになる。
まったく、作文の授業とは、難しいものである。
以上の私の体験は、愚かにもほどがあって自分で呆れるくらいだが、
最後に付け足すと、下手のフリをしていた私は、気が付いたら本当に下手になっていた。10年以上たって不意に文章を書いてみたいと思ったとき、私は途方に暮れた。
どうやって書いたらいいのか、さっぱりわからない。
それからずいぶん回り道をして、今もなお回っている。
人間、こうなりたいと強く思っていたら、それは実現してしまうのである。
これは、怖い話なのである。





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