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2024年04月18日(木) 同窓会と大人の分別

夜勤で一緒になった同僚がインスタントのスープはるさめを食べていた。夕食はそれだけだという。
「お弁当忘れたん?私、非常食持ってるよ」
「ちゃうねん、いま節制中やねん」
今月中に二キロ落としたいのだが、同居している親にバレないよう職場での食事を減らしているらしい。
あら、どうして内緒なの。
「ゴールデンウィークに大学の同窓会があるねんよ。それでダイエットなんか始めたら、わかりやすすぎて恥ずかしいやん」

あはは、なるほど。……と相槌を打ってから、ん?看護大学の同窓会だったら女ばっかりじゃないの。
この十年で男性看護師は倍増したといっても、看護師全体に占める割合は一割に満たない。私が卒業した学校も男子は十人もいなかった。
「そうやねんけど、ひとり仲良かった子がおってん。その子は地元に帰って就職したからそのまま疎遠になってしまってんけど、こないだたまたま○○っていう病院のホームページで写真見つけてん」
“たまたま”ってことはないでしょー?というツッコミは我慢してつづきを促すと、その彼が職員インタビューのページで師長として看護観を熱く語っていたらしい。
「けっこうな規模の病院で初の男性師長になってバリバリやってるってわかって、ジーンときたというか。いい看護師になるやろうとは思ってたけど、すごいなあって……」

わかるなあ、それ。
私も大学のサークルの同期や先輩とはFacebookでつながっていて、投稿をよく読んでいるが、「生き生きしてるなあ、いい仕事してるんだろうなあ」と思う人がいくらかいる。
仕事関係の話題には同僚からいくつもコメントがつき、慕われ頼りにされているのがわかる。誰も肩書きなんか明かさないけれど、きっと出世しているんだろう。
そんな彼らはあの頃から「できる人」で、いまの姿が十分予想できたメンバーだ。「やっぱりな、さすがだね」と思うことはあっても、「へええ!あの○○君が?」ということはあまりない。

「あ、べつにやましいこと考えてへんからね!向こうはもちろん結婚してるやろうし」
私はなにも言っていないのに、先手を打って否定するのが可笑しい。とそのとき、彼女の顔がなんだかいつもとちがうような気がした。
……あっ、まつエクしてる!
「ちゃうちゃう、これは関係ない!たまたまキャンペーンで安くなってたから」
わかったってば。期待はするまいと思っていても、楽しみでしかたがないのよね。
ドラマみたいな展開にはならないかもしれないけど、LINEの交換くらいできたらいいね。

彼女を見ていたら、何十年かぶりに「ルンルン」という言葉を思い出した。
「ときめきっていいよね」と思う。キレイになれるし、なんでもない日々がキラキラするもの。
……とは思うけれど、あとにつづくのは「でもまあ、それより先はいいかな」。
いまから誰かと深く知り合って、好きになったり好きになってもらったり……というプロセスを想像すると、面倒くさくなるのだ。
飛行機で言うなら、滑走路を走り始めてからシートベルト着用サインが消えるまでの緊張感のある時間。そのふたりの始まりの部分が恋愛で一番楽しい時期かもしれないというのに、
「でもこの頃ってカッコつけたり気を遣ったり相手の言動に一喜一憂したり、エネルギーいるんだよねえ」
が頭をよぎる。軌道に乗ってからもいい関係をキープするには努力がいるが、それも疲れちゃいそう。「だったら仕事してお金かせいでるほうがいいかな」なんて身も蓋もないことを考えてしまう。
いくつになってもリア充のカギを握るのは恋愛、という人もいるかもしれない。でも、私はもう完全に「仕事」にシフトしている。幸せであるために「誰かを好きという気持ち」はマストじゃない。

とまあ、冷めた話をしたけれど、すでに知っている人が相手の場合はちょっと事情がちがうかも。
新たに出会った人とは互いを知るところから、まさに一から始めなければならないが、もともと好感を持っていたり共通の思い出があったりする人だったら“セーブデータ”があるから一足飛びに水平飛行に入れるような気がする。
それだったらまあ、いいかー。

なあんて冗談は置いておいて。
私も十年に一回くらいの頻度で同窓会に出て、かつて付き合っていた人や片思いをしていた人と顔を合わせる。いまもすてきでいてくれてうれしいなあ、私って見る目あったんだワと思う。
だけどそこまで。相手がここまでに築いてきたものを知ると、迂闊なことはできないとつくづく思う。そして自分にも大切なものがある。
ときめき以上恋心未満に留める、どんなに懐かしくても、その日盛り上がっても。それが大人の分別、かな。

【あとがき】
私が出席する同窓会は大学のサークルのものだけ。この先もつながっていたいと思う人たちだから。ほかの同窓会も行けばそれなりに楽しめるんだろうけど、その場で思い出話をするだけっていうのはいいかな、と。
次回はサークル創立五十周年パーティーだから八年後か。ひゃ〜、私何歳だ?


2024年04月12日(金) 食べたことがない名物料理と幻のふぐ体験

職場の休憩室に東京土産のお菓子が置いてあった。同僚が連休をとって旅行に行ってきたという。
「東京って意外と行く機会なくて、おのぼりさんしてあちこち観光してきたわ。月島で初もんじゃもしてきたで」
すると、すかさず「どんな味やった?見た目通り?」と声が上がり、「え〜、見た目通りの味やったらイヤすぎるやん」と笑いが起こった。

関西ではもんじゃ焼きはなじみがなく、私の周囲では食べたことがないという人が多い。私は二十年ほど前に初めて食べたが、それまでは作り方も食べ方もわからない謎の料理だった(いや、いまも自分では作れないし、食べ頃もよくわからない)。
「けっこうな値段するのにおなかふくれへんねん。あれは食事?それとも軽食?」
と同僚が首をひねっていたが、もんじゃ焼きの位置づけについては私も疑問である。
あれでビールは飲めても、白いごはんはすすまない気がする。しかし、もんじゃ焼きだけでおなかを満たそうとしたらかなり高くつきそうだ。
あちらではどんなふうに食べられているんだろう。私にとってたこ焼きは「おやつ以上食事未満」で「昼ごはんならいいけど、晩ごはんにはならない」という立ち位置であるが、そういう感じなんだろうか。

そこから昼の休憩室は「食べたことがない名物料理」というテーマで盛り上がった。
ジンギスカン、ふな寿司、わんこそば、馬刺し、丸鍋(すっぽん鍋)、北京ダック……と次々と挙がる中、私が思い浮かべたのは「ふぐ料理」だ。

いや、正確に言えば、「ちゃんとしたふぐは食べたことがない」。ちゃんとしていないふぐなら一度食べたことがある。
ある冬のこと、てっちりというものを食べてみたくて大学時代からの友人A子と下関に出かける計画を立てた。同級生のB君があちらに住んでおり、接待でときどき使ういい店があるからと案内してくれることになっていた。
が、直前になって彼からインフルエンザにかかったと連絡が入った。私たちのことはやはり下関在住のC先輩に頼んであるから心配ないと言う。
それで私たちは急遽、Cさんにアテンドしてもらうことになった。
……のであるが。

雑居ビルのかびくさいエレベーターに乗って到着したのは、場末ムード満点のスナックだった。
きょとんとしている私たちに、「ここのママには世話になってるんだ」とCさん。
ああ、なるほど、紹介がてら私たちを連れて来たのね。そしてちょっと飲んだら、ふぐを食べに行くつもりなのね。
そっかそっかと席に着くと、昭和な髪型をしたママが「大学の後輩なんだってえ?」と言いながらやってきた。「あ、はい」と答えながら、私の目は彼女が手にしている一口コンロに釘付け。
まさかそれ、このテーブルに置いて行くんじゃないよな……。
ドキドキしていると、私の視線に気づいたママはにっこりして言った。
「ふぐは初めて?」

最初、私はそれが「てっさ」だとわからなかった。大きな丸皿に花の形に並べられていたのではなく、角皿に小山のように“盛られて”いたからだ。
しかも、ヘタをしたら一センチくらいあるんじゃないかというほど身が厚かったのである。ふぐの刺身というのは皿の絵模様が透けて見えるくらい薄く引くものじゃなかったのか……?
A子も同じことを思ったらしい。「これ、むっちゃ分厚ない……?」とつぶやいたら、ママは得意げに言った。
「でしょ。こんな厚いの食べさせてくれるとこ、ほかにないわよ」
なぜふぐは薄造りにするか。弾力があって身が固いため、厚切りだと噛み切れない。一度に二、三枚とって好みの歯応えにして食べられるよう薄くするのだと聞いたことがある。
私は心の中で「分厚いほうが得とかいう問題ちゃうやん!」とツッコんだ。

そんなふうだから、てっちりのほうも言わずもがな。まだ沸騰していない湯の中にふぐのあらをどかっと投入するママ。
ふぐというのは繊細な味らしいから、熱湯ではだめなのかしら……と一瞬考えたが、いやしかし、鍋の具材はふつう煮立ってから入れるものである。思いきって訊いてみる。
「あの、沸いてなくても入れちゃっていいんですか」
「蓋してたらすぐ沸くわよ」

しばらくしたら鍋がグツグツいいはじめた。するとママは、
「ふぐ鍋はね、ぽん酢をつけて食べるのよ」
とおごそかに言い、ミツカンの味ぽんを私たちの前にゴン!と置いた。



のぞみに乗って出かけた下関で、私はふぐを数切れしか食べなかった。
味の問題以前に「このふぐ、まさかママがさばいたんじゃ……」と思ったら恐ろしくて、どうしても箸が伸びなかったのである(ちなみにA子もC先輩も生きている)。
そんなわけで、あれは私の中で“ふぐ体験”としては認定されていない。

後日、B君にありのままを伝えたら、「次はちゃんとしたのを食べさせてあげるから」と請け合ってくれたが、しばらくして彼は東京に転勤になってしまった。
ふぐ料理店はこちらにももちろんあるが、友人と会って「なに食べる?」「じゃあふぐ」とはならないし、家族との外食時もしかり。「ここまできたら、初ふぐは本場で」という思いもある。
で、そうこうしているうちに幾年……。あー、また鍋の季節が終わっちゃった。

【あとがき】
ふだん食べている家庭料理に好き嫌いはほとんどないんですが、名物と言われている料理の中には素材のイメージと見た目で「無理だあー」と思うものがいくつかあります。
たとえば、すっぽん。丸鍋をごちそうすると言われても断るな……。すっぽん料理のコースでは生き血が出てくるそうで、「ワインやジュースで割ってあるから意外と大丈夫だよ」と言う人がいるけど、おいしいマズイの問題じゃない。仕事で人の血を見るのは平気なんですけどね。


2024年04月03日(水) 青春ソングと遠い日のあの場所

大学時代の友人と焼き肉を食べに行ったら、懐かしい歌が流れていた。思わず顔を見合わせ、同時に「恋心!」と叫んだ。
店のBGMは九十年代のヒット曲メドレーだったらしく、そのあとも「決戦は金曜日」「裸足の女神」「ロマンスの神様」「EZ DO DANCE」とつづいた。二年ぶりの再会だったが、こうなると近況報告どころではない。「ラブ・ストーリーは突然に」「SAY YES」で往年の月9ドラマについて語ったり、イントロクイズをしたりして盛り上がった。
……のだけれど。急に彼女の口数が減ったため、ふと見ると目が潤んでいるではないか。
「この人の歌、私の青春だったんだよねえ……」
「あなただけ見つめてる」が流れていた。大黒摩季さんの全盛期が私たちの大学時代にドンピシャで、私もよく聴いたものだ。「DA・KA・RA」「ら・ら・ら」「熱くなれ」なんかはいまでも空で歌えるかもしれない。
このところ家庭でいろいろあって心がしおれている彼女は、身軽でいられた頃を思い出して胸がいっぱいになったようだ。

九十年代の歌の中でも、私にとって一番の青春ソングは槇原敬之さん。
ふだん音楽はメロディで聴いているが、槇原さんの歌は別。なんてことない日常やちょっと女々しくて不器用な男の心情が描かれたピュアな詞が好きだった。いまもときどき聴くけれど、優しい気持ちになれる。
そしてもうひとつ、懐かしさと同じくらい切なさが押し寄せて胸が締めつけられるのがチェッカーズだ。
若い人は知らないだろう、八十年代から九十年代にかけて絶大な人気を誇ったバンドで、七人のメンバーはやんちゃでオシャレでチャラめのルックス。とくにボーカルの藤井郁弥さんは小柄で童顔なのに色気があって、めちゃくちゃかっこよかった。
そのフミヤに大学時代に付き合っていた男の子がとてもよく似ていた。飲み会の二次会でカラオケに行くといつも女子にリクエストされていたから、彼らの歌を耳にすると甘酸っぱい感情がよみがえる。
「あの頃の私、本当に幸せだった……」
とホームシックのような気持ちになってしまうのだ。

「背が高くて顔がフミヤって最強やん」と言われることもあったが、心配されることのほうが多かった。「意外」とは言われても「お似合い」とは言われなかった気がする。
「昨日一緒に歩いてた人、まさか彼氏?」
「そうやけど。その“まさか”ってなに」
「いや、ちょっとびっくりというか……」
モテるだろうになんであんたなん?というニュアンスもあったのかもしれないが(失礼だな!)、遊んでいそうな雰囲気の彼とお堅めの私とではキャラのギャップが大きかったのだと思う。
不思議はない。私自身、知り合って一年経った時点でも「こういう人と付き合う女の子は苦労するだろうなあ。ぜったい女関係で泣かされるよね」と思っていたくらいだから。
「こういうタイプ、私はパス!」
が初めて会ったときの印象。ゼミの顔合わせの場で、彼の自己紹介がとても軽薄だったからだ。
ノリのいい誰かの提案で「恋人持ちは正直に申告すること」というルールになり、彼も入学当初から付き合っているという彼女について触れたのであるが、そのあと女子に向かって「でも募集は随時してるんでヨロシク」と言ったのだ。
みなはヒッドーイ!なんて言いながら笑っていたが、私はそういう冗談がキライ。よって、私の中で彼は「チャラ男」に認定された。

悪いヤツではないということはじきにわかったが、遊び人のイメージは覆らないまま一年ほどが過ぎたある日、私が社会人の彼とうまくいっていないことをぽろっと話したら、とてもまともで温かいアドバイスが返ってきた。あれ?「さっさと別れて新しい男探せよ」で片づけられると思ったのに。
それから気をつけて見ていると、男同士でこれから誰それの部屋で麻雀しようという話になっても「たぶんメシつくってくれてると思うから」とあっさり帰って行ったり、休日の予定を訊いたら「あいつをどっか連れてってやらないと」と言ってみたりとけっこう優しい。
「ふうん、もしかしてこの人、見た目やポーズからイメージするほど不誠実な人じゃないのかしら……」
それからまもなくある出来事があって私たちは付き合うようになったのだけれど、そうしたらすぐにわかった。彼女はぞんざいに扱われてなんかいなかったんだ。



いくつになっても何度でも青春はできる。だけど、その時代限定の青春もある。
これからもどこかでばったりチェッカーズに出会ったら、私の心は遠い日のあの場所に戻ってしまうだろう。でも、しばし幸福感に浸ったら、「さて、と」と言ってちゃんとここに帰ってこなくっちゃ……ね。

【あとがき】
コンパや打ち上げの飲み会のあとは必ずカラオケでした。大学のそばに何軒もあって、ほんとよく行ったなあ。いまはタダみたいに安いけど、当時は部屋代(ワンドリンク代だったかも)プラス一曲百円だったから、けっこうしましたね。
通信ではなくレーザーディスクカラオケで、分厚い目次本から曲を選び、マイクはもちろん有線。でも、歌詞のテロップと一緒に映る背景映像が歌の雰囲気に合ったドラマ仕立てになっていて、人が歌っているときにそれを眺めているのもおもしろかったなー。