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2023年12月31日(日) 捨てられない理由

伊集院光さんがパーソナリティを務めるラジオ番組で「捨てたもの」というテーマで投稿を募集したところ、「卒業アルバムを捨てた」という便りが一番多かったという。伊集院さんは、
「捨てないものだと思い込んでるみたいなところがあって……」
と驚いたそうだ。

これを聞いて、少し前にテレビで菊川怜さんが「場所を取るから卒業アルバムを処分した」と言って、MCやほかの出演者に“非難”されていたことを思い出した。
「それは引きますよ」「最悪や、ひどいですって」と口々に言われていたが、幼稚園から大学までの分となるとけっこうかさばる。おまけに見返す機会はほとんどないから、断捨離の対象にする人がいてもべつに不思議じゃない。
ただ、菊川さんの「自分が写っているところは切り取って残しておく」にはへええと思った。
私が卒業アルバムを開くとき、見たいのは自分単体ではなくみんなの中にいる自分。
「○○ちゃんと仲よかったよなあ。いまどうしてるんだろう」
「そうそう、ここで部活やってたんだよねえ」
自分よりむしろクラスや部活の友だち、好きだった男の子や先生の顔、校舎を見て、懐かしさが込み上げる。
だから私の場合、自分の写真だけを残していても意味がない。トリミングして“周囲”をカットしてしまったら、卒業アルバムの機能は失われてしまうだろう。



思い出の品をためらいなく捨てられる人とそうでない人がいる。
若い頃、別れた人がくれたものや部屋に残していったものをどうしているかという話になると、
「売れるものはお金に換える」
「指輪や時計は使う。物に罪はないもん」
で、それ以外のプレゼントや手紙、写真はゴミ袋行きという人が多かった。
しかし、私は心の整理がつくまでその作業に取りかかることができないタイプ。かといって、“忘れ形見”に囲まれたまま暮らすのはつらすぎる……。そこで、とりあえずなにもかもを段ボール箱に詰め、目に触れないようにするため実家に送った。
マジックペンででかでかと「開封厳禁」と書かれたその箱は失恋するたび増えていき、いまも納戸のどこかにあるはずである。
帰省したら片づけようと思っているうちに二十年も三十年も経ってしまった。もう箱を開けてもセンチメンタルな気持ちになることはないから、なにかの拍子に見つけたら長年の決着をつけるつもりだ。

こんな私がなかば本気で「この先もずっと捨てられなかったらどうしよう」と危惧しているものがある。
中学一年から二十代半ばまで毎日日記を書いていた。とくに大学時代は書きたいことも時間も無限にあったから、大学ノートにびっしり、何ページでも何時間でもひたすら書いた。
その十数年分の日記帳はやはり実家の納戸で“開かずの箱”となっているのであるが、何年か前から「あれをどうにかしなくちゃなあ」が頭をよぎるようになった。
恋愛中のあれやこれやも書いてある、誰にも読まれるわけにいかないシロモノだ。自分の手で確実に処分しなくてはならない。
が、それはまさに言葉でつくったアルバム。開けばそこに当時の私がいて、生活がある。「読み返すこともないだろうから捨てちゃえ」とはならないのだ。

けれども、決心がつかないのは思い出が詰まっているから、だけではない。長い長い時間と手をかけて生まれたものだから、もったいなくて捨てられないのだ。
ブログの終活をしたことがある人にはわかってもらえるかもしれない。こつこつと書いてきた記事を削除することができなくて、ブログを閉鎖してもデータは保管しているという話はよく聞くもの。
ふんぎりがつかないということはまだ手放すときではないのかもなあ……なんて言い訳をして、今年もどうにもしなかった。

さて、二〇二三年も残すところ数時間となりました。
今年一年ありがとうございました。来年ものんびり書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
みなさん、良いお年を。

【あとがき】
二十代の後半からこうしてweb上で日記を書くようになり、かれこれ二十年以上になります。
私がアクセスの多い少ないにモチベーションを左右されることがない(だからこれだけ長いことつづけてこられた)のは、中学のときから十数年間、誰にも読まれない文章をノートに綴ってきた“キャリア”があるからじゃないかと思っています。いまも、私はひたすら自分が読むために書いているのです。


2023年12月01日(金) LINEの返信が遅れる理由

バスに乗っていたら、後ろの人の会話が聞こえてきた。
「秒で返したのに既読がつかないってどういうこと?自分が送信した瞬間にトーク画面を閉じてるわけ?」
「いるよねー、いまのいままで携帯触ってたのになぜか一時間も二時間も未読のままになる人。ぜったいわざとだよ」
LINEの通知がきたからその場で返信したのだが、既読にならない。たった数十秒のあいだにスマホを置いて別のことをしはじめたとは思えないから未読無視にちがいない、と憤慨しているのだ。

「Twitterが更新されてるのにLINEは朝になっても既読ついてなかったから、ぶちギレて送信取消したわ」
「こっちの都合とかなんにも考えてないよね。そういう人なんだよ」
その剣幕に思わず身をすくめる。私も返信は決して早いほうではないから、なんだか自分が怒られているみたいだ。
降車ボタンを押しながらちらりと見たら、制服を着た女子高生だった。しかし、返信の待ち時間に敏感なのは若い人だけではないかもしれない。
先日テレビで、プロゴルファーの古閑美保さんが“生活の中でイラッとくること”というお題に「一日経ってもLINEの返信がないこと」と答えていた。すると、作家の岩下尚史さんが「そんな無礼者とは絶交するしかない」とアドバイス。
二十四時間以内に返信しないとこんなふうに思われるのか!と驚いた。口に出さないからわからないだけで、返信を待ちながらイライラしている人は実はけっこういるんだろうか。

私はスマホでゲームをしたり音楽を聴いたり動画を見たりすることがない。ここにアップする文章をスマホで書くこともない。
よって、リアルタイムでLINEを受け取ることはほとんどない。それだけに、できるだけ早く返信しようと思う。届いてから読むまでに時間がかかっているから。
……だけれども、いち早く通知に気づけるようこまめにスマホをチェックしようとまでは思わない。通勤電車の中や夜勤の仮眠時間に慌ただしく返事を書くこともない。私にとってLINEはメール寄りのものだから、手が空いたときに返信させてもらっている。
しかし、それをチャットの感覚で使っている人は「受け取ったらすぐに返すもの」という認識で、「返信が遅いのは理解できない、ありえない」となるのかもしれない。

タレントの北斗晶さんがある番組で、
「LINEを送ってもなかなか返事がこない人がいる。翌日に『昨日は仕事が忙しくて……』と届くと、『うそつけこの野郎!一日LINEを見ねえなんてことあんのかい!』と思う」
と怒っていた。
「大変なのはわかるけど、二十四時間働いてるわけじゃないんだから」
ということなんだろう。うん、たしかにどんなに忙しくてもスキマ時間はある。
だけど「だったら返信できるでしょ」は違うよな、と思う。
スマホを触ることはあってもLINEを見る余裕まではないとか、いまはYouTubeを見て息抜きしたいとかいうことは誰にだってあるだろう。私などハードな勤務がつづいているときは、子どもの学校の連絡アプリすら立ち上げるのが億劫になる。

仕事中は常に視界に入るところにそれを置き、食事中も画面の上で指を動かし、外を歩くときも手放さない。もう体の一部になっているんじゃないかと思うくらい、四六時中スマホを触っている人をときどき見かける。北斗さんもLINEやTikTokで毎日十二時間近く使っているそうだ。
しかし、誰もがスマホとその距離感でいるわけではない。それがマナーであるかのように二十四時間以内の既読や返信を求めるのは無理があるんじゃないだろうか。
仕事や家庭を持っていたら、“それどころじゃない”ときはいくらでもある。そのことをぜんぜん考えていないんじゃないの。
だから、自分のことしか頭にない残念な人間のように言われると、あ然とするのだ。

【あとがき】
スケジュール絡みだったり締め切りがあったりするLINEには即座に返信する、それは言うまでもない。でもそうじゃないLINEの返事、とくに長くなりそうなときは家に帰ってからパソコンから送ります。私、とにかくスマホの文字入力が苦手なんです……(時間がかかって誤字だらけになってイヤになる)。