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2023年11月14日(火) 「人生の失敗」と離婚観

めずらしく定時上がりできた夜勤明け、バスを降りて時計を見たら十時二十分。「あら、まだこんな時間」とうれしくなり、マクドナルドで朝マックをすることにした。
若い女性三人組の隣に座ったら、先日再婚を発表したタレントの新山千春さんの話で盛り上がっていた。
「芸能人もマチアプで恋活するのか」「四十二歳であの浮かれっぷりはイタい」から始まり、お相手の人物分析を経て、「浮気されて終わる」というところに着地した。
いまはよくても十年後はどうか。五十を過ぎても一般人の同世代と比べたらはるかにキレイだろうが、夫はまだ三十代、やっぱり若い女性に目が向くだろう。それに相手の実家は一族で歯科医院を経営しているというお家柄、そのうち子どもがほしいという話が出る、という見立てだ。

世間のおおかたの反応もこういうものかもしれない。
職場の休憩室でこの話題になったとき、「磯野貴理子さんの離婚を思い出した」「いいとこ五年だね」という声があがった。私も「いや、そうとも言えないよ。足掛け五年も遠距離恋愛して、娘さんも後押ししてくれてるっていうし」などと言うつもりはない。
けれども、「ぜったいまた失敗するよね」「つづくわけがないのに」にはちょっと引っかかる。
失敗したらどうなんだ。つづかなかったらだめなのか。

うんと年上で離婚歴があって連れ子がいても「君がいい」と言ってくれる人がいて、自分も彼のことが大好き。だったら、目の前にある幸せをつかむべきでしょ。
もし子どもを考えないのなら、無理して添い遂げようとする必要もない。愛情があるから一緒にいる、というシンプルな関係でいられるだろう。
ウェディングドレス姿で弾けるような笑顔の新山さんを見ると、「未来はどうあれ、いまそれだけ幸せならいいじゃないの」と思う。
この先、彼が生涯のパートナーではなかったとわかっても、愛し合った事実があってキラキラした思い出がいくつか手元に残ったら、「再婚なんかするんじゃなかった」とはならないんじゃないだろうか。
いっときの幸福でもいいじゃないか、それまでハッピーに暮らせたら。失敗を避けてひとりでいるのを選んだらなんにもなしの人生になっちゃった、というよりずっといい。

他人の離婚を人生の失敗や汚点とみなす人は少なくないが、私はそれにマイナスのイメージはまったくない。それどころかポジティブなものを感じているくらいだ。
職場にはシングルマザーがたくさんいて、ばりばり働いている。自分の収入で子どもを養えるから離婚を決断できたという人だけでなく、離婚を選択するために看護師になった人がめずらしくない。
看護学校の同級生にも「離婚したいから手に職を」と入学してきた人が何人かいて、その中にはずっと専業主婦だったという女性もいた。その彼女が、
「苦労してとった資格だもん、使わないともったいない」
といくつになっても体力が許すかぎり仕事をつづけると言ったときは驚いた。学生時代は「働かずにすむなら一生働きたくなかった」と言っていたのに。
どんな経験も糧になり、人はこんなに変わるんだ。

離婚して誰もが前向きに生きられるわけではない。苦しい生活になる人もいるだろう。でもだからといって、他人がそれを不幸だ、失敗だと認定するのはおかしい。
結婚も離婚も再婚も一大事ではあるが、人生においては通過点に過ぎない。なにが幸運でなにが失敗だったかは、もっと先に一生という尺で見たときにはじめて、本人だけが知ることができるのだと思う。



35年累積合計離婚率は、二〇二〇年のデータで28%(日本経済新聞「くらしの数字考」)。つまり、四組にひと組の夫婦が結婚後三十五年以内に別れている。
ひとつの会社で定年まで勤め上げるという働き方はいまはむかしになり、転職が当たり前の世の中になった。もしかしたら結婚も何十年か後には「添い遂げる」が初期設定ではなくなっているかもしれない。

二年前、鈴木保奈美さんが離婚を発表したとき、真顔の石橋さんの隣で、鈴木さんは実にうれしそうだった。その決断に満足していることが伝わってきて、ネットニュースのコメント欄には「私も自由になりたい。うらやましい」「子どもが巣立ったら、自分のしたいように生きるべき」という声がたくさん載っていた。
結婚したことを「人生の失敗」にしないために、人は離婚という選択をするんじゃないだろうか。

【あとがき】
終身雇用制度がベースになっていた頃は、転職はいい印象を持たれていませんでした。仕事ができない(だからクビになったんじゃないか)とか、根気がない(次の仕事もつづかないのでは)とか。転職をする人が少なかったから、偏見があったんですね。
いまは転職前提で入社する新卒も多いそうです。たしかに、面接で「御社に骨をうずめるつもりで……」なんて言う若者、想像がつきませんね。
もし結婚が“再婚前提”の世の中になったら。プロポーズのときに「添い遂げる覚悟」まではいらなくなり、結婚式の誓いの言葉(「生涯、互いに愛し守り抜くことを誓いますか」)もなくなったりして……。


2023年11月03日(金) カバンの中の「そんなもの」

以前から不思議に思っていた。彼女とは夜勤入りのときにロッカールームでよく会うのだが、いつも「いったい何泊するの?」と訊きたくなるくらい大荷物なのだ。
その日も私のトートバッグの三倍はあるスポーツバッグをかついで病棟に上がろうとしていたので、思わず「すごい量だね……」と声をかけたら、「よく言われるの」と彼女。
そしてその中身を教えてくれたのだけれど、耳栓、アイマッサージャー、むくみを解消する足裏シート、ブランケット、スウェットの上下、ペットボトル加湿器……と休憩時間のためのアイテムがいっぱい。
「そんなものまで持ってきてるの!?」
「私、ちゃんと仮眠をとらないと朝までもたないから」
体力に自信のない彼女が短時間で疲労を回復し、リフレッシュするための工夫がこの荷物なんだそうだ。

眠くならないのをいいことに、いつも休憩時間にサマリーを作ったり委員会の仕事をしたりしている私。疲労はミスを招くから一時間は横になるようにしているが、仮眠の質なんて考えたことがなかったなあ。



どこへ行くにも荷物は少ないほうがいいと考えている人は多いと思うが、私も余計なものは持ち歩かないほう。けれども、私のカバンにも「なんでそんなものを?」と人から言われそうなものがいくつか入っている。
ひとつはこれ。さて、なんでしょう?



人工呼吸用のマウスピースだ。弁がついていて、血液や嘔吐物の逆流による感染を防げるようになっている。
「ハンズオンリーCPR(胸骨圧迫のみの心肺蘇生法)」という言葉が聞かれるようになってから、
「人工呼吸はしなくてよくなったんでしょ」
「人工呼吸を省略しても救命率は変わらないんだよね?」
と思っている人が増えたという。が、それは正しい理解ではない。
目の前で誰かが倒れても、トレーニングを受けていない一般の人は「人工呼吸なんてできない」と尻込みしてしまい、CPR(心肺蘇生法)を開始できないことがある。しかし、脳は数分の血流途絶で不可逆的な損傷を受け、五分で致命的となる。そこで、CPRに対する心理的ハードルを下げるため、「胸骨圧迫のみでいいのでお願いします」という考え方が生まれたのである。
でも、私は医療従事者。窒息や溺水、喘息発作などで呼吸ができなくなって心停止に至った場合は、倒れた時点で血液中の酸素を使い果たしている。その酸素の含まれていない血液を胸骨圧迫で巡らせても、脳を守ることはできないのだ。人工呼吸なしでは助けられないとわかっていながら、自分の身を守るマウスピースがないためにそれをためらうという事態は避けたい。
それで、プラスチック手袋とともに携帯している。

で、もうひとつはこれ。



先日車で走っていたら、道路脇に黄土色のものが落ちているのが見えた。
「道端で猫を見つけて近づいたらレジ袋だった」
というのは猫好きあるあるだが、私も日頃、「あ!猫!」と思ったら帽子だったりマフラーだったり……ということばかり。そのため、今回もきっと違うわと思おうとしたのであるが、嫌な予感が消えない。
戻ってみたら、横たわっていたのはテンだった。かわいそうに、車に轢かれたんだろう。抱えて植え込みに移動させ(プラスチック手袋はこういうときにも使う)、手を合わせた。

もしこれが犬や猫でまだ息があったら、迷わず病院に運んだだろう。
命の分かれ目があるのは人間だけじゃない。街中でけがをしたり弱ったりしている彼らを見つけたとき、保護して応急処置ができるようフードと自力で水を飲めないときのためのシリンジ、タオルと洗濯ネット(興奮している猫を洗濯ネットに入れると落ちつくことが多い)をカバンに入れている。



マウスピースもシリンジもいままで一度も使ったことはない。でも、これからも「必要最低限の荷物」のひとつ。
冷蔵庫を開けたら生活が、財布を開けたら性格が見えるが、カバンの中の「そんなもの」からはその人が大切にしていることがわかる。

【あとがき】
TikTokを見ていたら、犬や猫のレスキュー動画がよく流れてきます。がりがりに瘦せて干からびた状態で道端や草むらに横たわっていて、抱き上げてもぴくりともしない。でもタオルに包んで保温し、水を口に含ませ、病院で酸素投与や点滴をすると蘇生し、動画の終わりには自力で食べたり歩いたりできるようになった姿が映るんですね。
あの状態から息を吹き返すことがあるなら、そういう場面に居合わせたときに見た目で「ああ、これはだめだな……」なんて決めつけては(命をあきらめては)いけないのだなと思います。