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2023年10月25日(水) ピースサインとTPO

昨日のこと。息子の校外学習の写真を申し込もうと撮影業者のサイトにアクセスしたら、「顔認証機能」なるものがあった。ほんの数秒で全写真の中から息子が写っているものだけを表示してくれて、びっくり。
何年か前までは教室や廊下に掲示された写真を見るために学校に出向かなければならなかった。それがオンラインで注文できるようになってとても助かっているのだが、さらに便利になってもう長い時間かけて大量の写真を閲覧しなくてもいいのね!

とはいうものの、「ほんとに漏れなく選び出してくれてるのかなあ……」という思いもよぎる。だって全員同じ服装でマスクまでつけているのである、見落としがないほうが不思議だ。
そこで、その精度を確認することにした。いつも以上にていねいに写真をチェックしたところ、一枚漏れがあった。が、それは親の私でさえ確信が持てず本人に確認したくらい小さな後ろ姿で、ピックアップされていても注文することはないものだった。
次回からは安心して顔認証機能を頼ることにする。



ところで、その検証のために何百枚という写真を見たら、どっと疲れた。
目を皿のようにしていたからというのもあるが、ピースサインだらけの写真が延々つづき、酔ってしまったのだ。バスの中、班行動の最中、お弁当の時間、あらゆる場面でほぼ全員、先生までピースをしている。

日本人は本当にピースが好きだよなあ……。いやちがうか、好きとか嫌いとかでなく、そのポーズに意味もない。ただ、レンズを向けられたら反射的にピースサインが出るのだろう。
多くの人はシャイだから、シャッターが切られるまでの「じゃあ撮りますよ〜、はいチーズ!」の間が耐えられないのだ。自然にしていようと思えば思うほど表情はぎこちなくなり、手のやり場に悩む。ギャラリーにキメ顔を見られて「写りを気にしている」と見破られるのもはずかしい。
そのどぎまぎをなんとかしてくれるのが、ピースサインなんじゃないだろうか。それとセットなら唐突な笑顔もそうヘンではない気がするし、ポーズをつくることに意識を向ければ照れくささを感じにくくなる。手持ち無沙汰も解消される。

とはいえ、ピースサインが似つかわしくない場面もある。
郊外学習は広島だったのだが、原爆ドームの前でもピースをしている子がいたのには驚いた。ポーズにもTPOがあると思う。
たとえば、ディズニーランドでねずみの耳をつけた女の子たちのピース姿はとてもかわいい。でも、風光明媚な場所でのピースサインはつや消しで、せっかくの景色がもったいないなあと思う。式典などで正装しているときもピースは似合わない。

ところでうちにも高校生がいて、友だちとよく自撮りをしているみたいだけれど、やっぱりピースをするんだろうか。
すると、「どんなピース?」と娘。どんなって、ピースといえばこれでしょと人差し指と中指でVの字をつくって見せると、やらないと言う。
「ピース写真をSNSにあげないようにって学校で指導されてるんだよ。最近のスマホのカメラは高性能だから、三メートル離れたところから撮った写真からでも指紋を盗めるんだって」
指紋を複製されるとスマホやパソコンを乗っ取られたり、マンションのオートロックを解除されたり、銀行口座のお金を引き出されたりする恐れがある。そのため、みんな裏ピース(手の甲を相手側に向ける)にしているらしい。
たしかに、私が持っている並みのスペックのスマホでも驚くほどきれいな写真を撮ることができる。それは見方を変えると、うっかり背景に写り込んだ郵便物の宛先や電柱番号までズームで読み取られるかもしれないということ。
そうそう、女性がSNSにアップしていた顔写真の瞳に映った景色から最寄り駅を割り出され、ストーカー男に襲われた事件もあったっけ。

スパイ映画には生体認証技術を使うシーンがよく登場する。私が大好きな『ミッション:インポッシブル』では指紋はもちろん顔、掌紋、声紋、虹彩、網膜といった生体情報によって、IMFのエージェントが指令を受け取ったり敵を探知したりセキュリティシステムを突破したりしている。
近い将来、現実の世界でも顔認証や眼球認証が一般的に利用されるようになるだろう。そうしたら、SNSにあがる写真はみんなこんなのになるかも……。




【あとがき】
私たちの頃とちがって、いまはダブルピース、たてピース、裏ピースなどピースにもいろいろな種類があるんですね。
自撮りをしている女子高生をどこででも見かけますが、指でハートをつくったり振り返ってみたり鏡越しに撮ったりと趣向を凝らしていて楽しそう。周囲の視線などまるで気にせずキメ顔やポーズをつくっていて、はずかしくないのかなあ……といつも感心(?)してしまいます。


2023年10月15日(日) 「本にカバーはおかけしますか?」

通勤電車で、斜向かいに座っている女性に目が留まった。
スマホを見つめている人がずらり横一列に並ぶ中、彼女だけが本を読んでおり、さらにそのブックカバーがレトロな雰囲気でおしゃれだったのだ。
店名らしきものが英語で書かれているが、読み取れない。どこの書店のものだろうと思ったら、ある友人を思い出した。彼女は全国の書店のブックカバーをコレクションしているのだ。
「本を買うともらえるあの紙のカバーって書店オリジナルでね、デザインも紙の感触もいろいろなの。企業とのコラボで期間限定だったりその地域ならではの図柄だったり小さなお店のは遊び心があったりで、眺めてるだけですごく楽しい」
出張や旅行に行くと、ブックカバー目当てにご当地書店めぐりをするそう。なんてすてきな趣味なんだろう。

ところで、こういうブックカバーは海外にはないらしい。
外国人が「日本に来て驚いたこと」として挙げているのをテレビで見たことがあるが、そうだろうなあ。そればかりか、カバンの中で開いて表紙やページが破損しないよう輪ゴムまでかけてくれるのである。過剰なサービスだと私も思う。
……と言いつつ、レジで「カバーはおかけしますか?」と訊かれたら、お願いしますと答える私。
本を買うとたいてい家に帰り着くのを待たず電車の中で読みはじめるのだが、私は自分がなにを読んでいるのか周囲に知られたくない。たとえば、『五十歳からの後悔しない生き方探し』『百人のお金持ちに聞いたお金の生る木の育て方』『子育てに迷ったら〜思春期の子どもの心を開く魔法のことば〜』なんていうタイトルが目に入ったら、誰だってなんらかの想像をしてしまうんじゃないだろうか。
いやまあ、私はこういうハウツー本には興味がないが、好きな作家や本のチョイスにはその人の状況や内面が反映されるから、ちょっとおおげさに言うとプライバシーをさらすようでイヤなのだ。
表紙を裏返して巻いている人もたまに見かけるけれど、あれは本をぞんざいに扱っている感じがして好きになれない。できるだけきれいに保ちたいというのもあって、輪ゴムや袋は断るけれどカバーはかけてもらっている。

しかし、人がカバーを必要とする理由はこれだけではないらしい。
私はエッセイしか読まないので知らなかったのだが、ミステリー小説は表紙のデザインが不気味だったりライトノベルだと萌え系の女の子がどーんと描いてあったりするものがあるという。「アブナイ人」と思われそうだから、表紙を隠したいんだそうだ。
また、こういう人もいた。
「読んでいる本を知られたくないというより、『こいつは“自分はこういう本を読んでいるんだ”というのをみんなに知ってほしがっている』と思われるのがイヤ」
ふ、深い……。

ちなみに、私がよく仕事帰りに寄る書店のそれは店のロゴがさりげなく入った素朴なデザインのもの。
電車の中で誰かの目を引くような個性はないけれど、落ちついた色柄は老若男女の手になじむし、本棚に何冊並べてもうるさくならない。“立場”をわきまえ、読書の邪魔にならないよう黒子に徹している感じが好ましい。
ブックカバーをかけてもらう派のみなさん、お気に入りの書店のカバーはありますか?

【あとがき】
電車の中で読書をしている人をすっかり見かけなくなりました。大人はたいていスマホを触っていて(電子書籍で小説を読んでいる人もいるでしょうけど)、本を開いているのはもっぱら高校生。といっても読書ではなく、参考書や英単語帳とにらめっこ。通学時間まで勉強に充てるなんてすごいなあ……と毎朝思います。


2023年10月04日(水) 熟年再婚

同僚のA子さんは車通勤であるが、夜勤のときは夫が送り迎えをしている。
「自分で行くからいいって言っても、帰りに眠くなったらどうするんだってきかないんだよね」
と彼女が言うと、「愛されてるなあ!」「だんなさん、なんでそんなに優しいの」と声があがった。A子さんは五十代後半。結婚して何十年経ってもそこまでしてくれる夫がいることにみなが驚いたのだ。
すると、
「いや、うちは結婚してまだ五年なんだよね」
と彼女。えっ、そうなの?
「籍を入れるつもりはなかったんだけど、息子が『老後ひとりでいるよりいいじゃないか』って」

そこから昼の休憩室は熟年離婚ならぬ、「熟年再婚」の話になった。
この先シングルになったとして、出会いがあって子どもが成人していたら結婚を考えるか。そうしたら、その場にいた五人全員が「考えない」と答えた。
「結婚は向いてないってわかったから、もう一生ひとりでいる」
「子育てがやっと終わったんだから、もう誰のためにも家事とか世話とかしたくない」
「その歳で結婚したら、相手の親の介護がもれなくついてくるんだよ。無理でしょ」
「生活の面倒をみてもらわなきゃならないわけでなし、恋人のままのほうが自由で気楽」

そうだよねえ、いまさら妻だの嫁だのの役目を負いたくない、と私も思う。
一緒に暮らし、家族になっていく過程で得られるものがあることはわかっているが、生活を誰かに合わせたり、ときにはケンカをしたり悩んだり、それがもう面倒くさい。住み慣れた街を離れる気はないし、親戚付き合いが増えるのも億劫。もうそういうことに時間や神経をつかいたくない。
それより仕事がしたいし、友人と会いたいし、保護猫活動のボランティアがしたいし、犬を飼いたい。
結婚は一回経験したら十分だ。



「三十年もかかっちゃったけど、遅くなったな、ようやく籍を入れられるな」
先日再婚した貴乃花さんの相手は、十七歳のときに交際していた初恋の人だそう。彼女との初デートについて語った貴乃花さんのインタビュー動画を見た女性が手紙を書き、三十数年ぶりの再会につながったと記事にある。
女性は「死ぬまでにもう一度だけ会ってみたい」と思っていたというから、自分との思い出が「いまでも心の支え。それがあるから、少々のことがあっても耐えられた」なんて聞いたら、いてもたってもいられなかっただろう。

ある人を思い出すとき、私はいつも不思議な気持ちになる。
「本当にこのまま終わっちゃうのかな、もう一生会うことも話すこともなく……?そんなことってあるかな」
この先二度と人生が交わることはないとはどうしても思えないのだ、どれだけときが経っても。
もしいつか、「長いこと待たせてごめん。……怒ってる?」と顔をのぞき込んで言われることがあったなら。
「なにが『二年でかならず迎えに行く』よっ!」
で、さっき書いたことはちゃらになっちゃうんだろうなあ。

【あとがき】
以前、「初恋の女性との思い出がいまでも心の支え」と語ったという記事を読んだとき、「この人、メディアにこんな話するんだ?」と意外に思ったのでした。「五十歳手前でひとりになって、何の違和感もなく慣れてしまいました。本当にひとりの生活が快適です」と言いながらも、心のどこかでは思いが彼女に届けば……と思っていたんじゃないでしょうか。
いまは「貴花田」だった頃に戻ったような気持ちで彼女と過ごしているんじゃないかなあ。いろいろあった人生だろうから、これから青春を取り戻して幸せになってほしいです。