実家に帰省中、独身時代に勤めていた会社の女子会に出席したときのこと。なにくれとなく面倒を見てくれた先輩に会えるのを楽しみにしていたのだが、いつまでたっても顔を見せない。もしかして辞めちゃったの?と幹事に尋ねたところ、育児休暇を取得中で今日は欠席だと返ってきた。
「えっ、結婚したん!?」
「そうやで、こないだ出産しはってん」
三つ年上のB子さんは当時、「結婚に興味がない」と公言しており、休憩室で私たちが恋バナを咲かせるのをいつもあきれ顔で見ていた。仕事熱心で休日出勤も厭わず、そのことを誰かに言われると、「私はたぶん一生独身だから、まじめに仕事しとかないとクビにされたら困るもんね」と冗談めかして答えていたっけ。
しかし、私が本当に驚いたのはそんな彼女が結婚したことでも四十を過ぎて出産したことでもない。いわゆる「できちゃった婚」だというからだ。
といっても、「まさかあの人がねえ!」という意味ではなく、二、三年前から私の周囲で“でき婚ラッシュ”が起こっており、B子さんで五人目だったからである。
それをした友人知人は私と同世代の、つまりアラフォーの女性である。妊娠を機に結婚、という流れは同じでも、それなりに収入があり精神的にも自立している大人の女性の「でき婚」は従来のできちゃった婚、すなわち「子どもができてしまったので、結婚」とは別物のように感じる。
彼女たちの話を聞いていると、相手とのあいだに「お互い長い独身生活を送ってきたんだし、いまさらあわてることはない。子どもができたら、そのとき籍を入れましょう」という了解があったのだという印象を持つ。出産のタイムリミットが迫ってきたことで、それまで先延ばしにしてきた結論を出すに至った、ということもありそうだ。
でき婚はでき婚でも、「できちゃった婚」ではなく「できたら婚」という感じだ。
そんなことを考えていたら、隣席の元同僚が「B子さん、一生ひとりでいいとかさんざん言ってたのにねー」とちょっとからかうような口調で言った。
すると、「いやいや、あれはかなり強がりが入ってたね」「そんなんポーズに決まってるやん」と声が上がり、ほかのメンバーも「もしかして真に受けていたの?」と言いたげにくすくす笑った。
この反応は意外なもので、私は少々ショックを受けた。そうか、この人たちはB子さんの「結婚する気がない」を言葉どおりにはまったく受け取っていなかったのか。本人の前ではふんふんと頷きながら、心の中では「またまた、強がっちゃって」「ハイハイ」と突っ込みを入れていたんだなあ、と。
結婚しないと言っていた人がしたからといって、どうして「やっぱりあれはポーズだった」になるのだろう。宗旨替えはありえないことなのか。
たしかにB子さんの結婚はビッグニュースだったが、私にとっては「信じられない」というものではない。誰かに出会い、人生観ががらりと変わることがあってもちっとも不思議ではない。
そう思うのだが、「結婚に憧れない女性などこの世にいるわけがない」らしい。
私もこれと同種の思い込みに遭遇し、困惑したことがある。
娘を出産したときのこと。退院して家に戻ると、年上の親戚の女性から手紙が届いていた。何年かに一度、法事で顔を合わせるだけの私のことを気にかけてくれていたことに驚き、そして感激したのだけれど、ただひとつ戸惑ったのは、それが私が子どもができなくて悩んでいたという前提で書かれていることだった。
「小町さんが私と同じ思いを味わわずに済んでよかった」
ああ、それで彼女は我が事のように私のことを案じてくれていたのだなあと思った。
が、そのように私を“心配”していたのは彼女だけではなかったのである。私の出産を知った人たちから、しばしばこんな言葉をかけられた。
「おめでとう。念願の赤ちゃん誕生やね!」
気持ちはとてもうれしかったが、「念願の」という部分には引っかかった。「念願」かどうかは私が決めることよ、という思いである。「待望の」と間違えているのか?とも思ったが、「よかったねえ」のニュアンスから推測するとそういうわけではなさそうだ。
どうしてみんなそんなふうに思うのかしら……?
考えるまでもない。結婚八年目で初めて出産したからだ。
「結婚して二年もすると、すべての夫婦が子づくりをはじめる」と信じて疑わない人が世の中にいかに多いか。彼らは子どものいない夫婦がいると、気になってしかたがないらしい。
「どうしてつくらないの?ほしくないの?」
何度訊かれたか知れないが、私はそのたび正直に答えてきた。
「夫婦が未熟で土台ができていないから、子どものことはぜんぜん考えられないの」
しかし、この返答では満足できない人もいたようだ。結婚六年目の正月、夫の実家で一年ぶりに会った義弟の奥さんに「小町さんとこ、大丈夫なの?」と突然言われた。
「大丈夫、ってなにが?」
「だって結婚してけっこうたつよね。子どもができないってわけじゃないんだよねえ?」
子どもについては以前訊かれたときにも話したはずだが、そのとき三人目の子づくり中だった彼女には「いまは考えていない」という答えは納得のいくものではなかったのだろう。
「結婚したら子どもがほしくなるもの」と思い込んでいる人の目には、B子さんの独身宣言のように私のそれもポーズと痛々しく映っていたんだろうか。
だけどさ、自分の中ですでに答えを用意していて、なんと返ってきても「そうは言っても、ほんとは違うんでしょ」と言い換えるつもりなら、わざわざ尋ねる必要ないじゃないか。
とまあ、あれこれ書いたが、私もほかのことでは無意識の決めつけによって誰かをうんざりさせていることがあるに違いない。
人が物事を判断するときに、まずものさしにするのは自分の常識や価値観である。しかし、これらがつくりだした「先入観」を持ち出してくると、対象のありのままを見ることができず、結果がゆがんだものになってしまう。
私たちがこの世界をそれぞれのめがねで見ているのだとしたら、そのレンズはできるだけ度の弱い、色の薄いものであるほうがいい。そうできたら、日常の景色もだいぶ変わるかもしれない。
【あとがき】 最近知り合った女性が、夫の両親と離婚して戻ってきた義姉との同居だと言うので、思わず「大変ねえ」と言ったら、彼女はブンブン首を振り、「すっごくいい両親で、こんなに甘えさせてもらっていいのかって思うくらい。お義姉さんも娘をかわいがってくれて、ほんと恵まれてるの」と。「夫の親と同居したら、嫁は苦労する」------ハイ、これも立派な色めがねですね。 |