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2007年06月29日(金) ナントカにつける薬はない、と言うけれど

読売新聞の人生相談欄を読みながら、「そうそう、そうなのよお〜っ」と激しく相槌を打った。三十代の主婦からの相談で、
「夫が台所の流しで手洗いやうがい、歯磨きをすることに抵抗があります。不衛生だからと注意しても直らず、洗い物が置いてあっても使うので困っています。どうしたら洗面所を使ってくれるようになるでしょうか」
というものである。
うちの夫もそうなのだ。外から帰っても手を洗ったりうがいをしたりはまずしない人だが、歯くらいは磨く。家中をうろうろ歩き回りながら。
「行儀悪いなあ。それに歯磨き粉が飛び散るやん」
「らいじょうぶ、くちあけてらいから(大丈夫、口開けてないから)」
と言いながら、デーッと歯磨き粉を垂らす。ほら、言わんこっちゃない。
が、それ以上にやめてもらいたいのが洗面所に戻らず台所で口をすすぐことなのだ。つけおきの鍋があってもおかまいなしだからとても嫌。
相談者の夫は「小さい頃から洗面所のない家で育ち、水を使うことは台所でするのが習慣になってしまっているので、つい……」ということだが、うちの夫の場合はただの横着。リビングで磨いた後、洗面台より流しのほうが近いからである。
食べ物や皿を洗うところで口の中のものを吐き出すなんて汚い、という感覚は彼にはまったくないらしい。このあいだも雑巾を流しで絞り、妻を猛烈に怒らせたばかりなのだ。

結婚して六年半。夫の面倒くさがりにはほとほとあきれている。
タンスの引き出しは開けたまま、服はあちこちに脱ぎ捨てる、濡れたバスタオルをソファの上にポイ、外が明るくなろうが暗くなろうがカーテンは開けない閉めない、トイレットペーパーを使い切っても交換しない……。
挙げるときりがないが、もっとも理解に苦しむのは手の届く範囲にゴミ箱がないと床にゴミを放置することである。
「ちょっとお、床にほかすのやめてよッ」
「捨てたんじゃないよ、いまゴミ箱がないからとりあえず置いてるんだ」
後で捨てたことなんてもちろんない。だから彼が座っていた周辺には紙くずやビールの王冠が転がっている。
我が家の夫婦ゲンカの半分は彼のずぼらさが原因だ。家の外では、つまり仕事が絡むと超がつくほど几帳面なのに、その反動か、家の中ではとことん労力の省エネをするのである。

そして、彼のだらしなさがマックスになるのが実家に帰ったとき。
縦のものを横にもしない父、面倒見がよく働き者の母を見て育ったからだろう、夫も義弟も家の中では本当になにもしない。義母や義妹、嫁が食事の支度をしている最中でも「お箸取ってえ〜」「ビールもう一本〜」。テレビを見ながら涼しい顔をして言うのである。
どちらかといえば私も世話好きなほうだが、忙しくしているときに頼まれるとかなりイライラする。だから自宅では「あのね、妻はいまごはん作ってて手が汚れてるの。だから自分でやってちょうだい」とはねつけるのだが、あちらにいるときはそうもいかない。私がしなかったら義母を動かすことになってしまうから。
帰省するとストレスがたまるのは、気を遣うからというより、ふだんにも増してずぼらになる夫が好きになれないことが大きい。
「私はあなたのお母さんのようにはできないし、そうなるつもりもないからね」
と私は家でよく言うが、義父の前で夫に、
「あなたね、家事はなにひとつ手伝わないんだから、せめて自分のことくらい自分でしたらどう」
なんて言えるわけはなく、同居なんかしたらたちまち神経がやられてしまいそうだ。


で、冒頭の相談に戻る。
今回の回答者は作家の出久根達郎さん。いつも人情味溢れるアドバイスをする人で、ぜひ私もよい方法を教えてほしいワと回答を読みすすめたら。
「かくいう私もその昔、台所を洗面所がわりに使い、妻に非難されたことがあります。でも流しは洗面所より広々としていて使い良いのですよ。いかがでしょう、この際、洗い物を置き去りにせず心置きなく流しを使えるようにしませんか?夫に改めてもらうより簡単ですし。我が家もいまでは妻公認で顔を洗ったりしています」
だって。
ナントカにつける薬はない、と言うけれど、横着者を治す薬もないみたい……。

【あとがき】
家の中をうろうろしながら歯を磨く人っていますよね。大学の時女の子の友達の家に行ったら、台所に歯ブラシがあったので不思議に思っていたら、そこで磨き始めてびっくり。ちゃんと洗面所があるのにどうして〜!?と思ったのでした。
ドラマでも男の人が歩き回りながら歯を磨くシーンを見かけるし、けっこう多いんでしょうね。でも私は歯磨き粉が飛ぶのでヤだ。




2007年06月26日(火) 隣人からの苦情

いくつか年上の独身の友人は数年前に3DKの新築マンションを購入した。入居したばかりの頃に遊びに行ったことがあるのだけれど、インテリアのセンスもよくため息が出るほど素敵な家だ。
その彼女がここ一年ほど上階の部屋からの騒音に悩まされている。先日会ったら、やはりその話になった。

その騒音というのは、子どもの叫び声と足音である。いまどきのマンションだから全室フローリング。走り回ったりジャンプしたりすると、ワー!キャー!どっすん、ばっすんがもろに伝わってくる。それが朝の六時頃から夜の十一時過ぎまで続く。
たまりかねて管理会社に訴えたが、「お願い」のビラを全戸に配布するという形でしか対処してもらえない。上階の住人はわが事と思わないらしく事態は一向に改善されないため、とうとう直接苦情を言いに行ったのだそうだ。
玄関に顔を出したのはご主人。状況を説明すると、すぐに「気づかなくてすみません」と返ってきた。その申し訳なさそうな様子に友人の怒りはかなり静まり、「平日の日中は留守にしてますので、気を遣っていただかなくても大丈夫なんですけど……」とフォローさえ入れた。
が、立ち去ろうとしたとき、途中からご主人の後ろで話を聞いていた奥さんが口を開いた。
「ご迷惑をおかけしたのは申し訳ないと思います。でも子どものすることなので……」
遊びたい盛りの子どもにおとなしく生活しろなんて無理ですよ、と言わんばかりの口ぶりに友人はカッチーン。
「なにもふつうに歩く足音に文句を言っているわけではないんです。家の中で運動会をするのは勘弁してくださいとお願いしてるんです。ここは集合住宅なんですから」

たしかに友人の言う通りである。「子どものすることだから(しかたがない)」は迷惑をかけられたほうが相手を気遣って言うことであって、迷惑をかけている側が自分で言うことではない。誰のすることであっても、ドタバタを一日中聞かされるのは他人にとっては苦痛以外の何物でもないのだから。
「で、その後どうなったん?」
「なーんも変わらん。あの奥さん、意地でも静かにしてやるかとか思ってるんと違うか」
ということだ。

* * * * *

私も十年間一人暮らしをしていたので、「騒音」は嫌というほど経験した。
とくに大学時代に住んでいた部屋はひどかった。学生向けのワンルームマンションなど外観はいっぱしでも作りは本当にちゃちで、壁は「ベニヤ板なんじゃないの?」と思うくらい薄かった。加えて、住むほうも仮の住みかでしかないという頭があるため隣人への配慮というものをしない。だから、「うるさい」のがデフォルトだった。
友人の男の子は隣人が連日連夜どんちゃん騒ぎをするのに腹を立て、壁を殴って穴を開けたことがあるという。ふだんは羊のように温厚な私も真夜中にギターの弾き語りに起こされるたびドンドンと叩いたものである。

だから、私が結婚前のマンション探しの際になによりも重視したのは「防音がしっかりしていること」だった。
一人暮らしのうちは家財道具は少ないし、家賃も知れている。「いざとなったら引越せばいいや」と思うこともできるが、夫婦で住む家となるとそうはいかない。それになにより、いい年をした大人が隣人と揉めるようなことはしたくない。
過去の経験から私は自分が近隣の生活音が気にならないタイプではないとわかっていたので、マンションの下見に行くと壁に耳をつけ、床を叩いて頑丈さを確認した。家賃も立地も間取りも申し分なしなのに、その一点に満足できないばかりに見送った部屋はいくつあっただろう。夫は「そこまでこだわらなくても……」とあきれていたが、しかし私はその種のストレスを抱えながら生活するのだけはごめんだったのだ。

だから、一階を選んだ。
私が避けたいストレスとは「騒音に悩まされること」だけではない。わが家にもそのうち子どもができるかもしれない。彼らが家の中を駆け回る足音や振動はじゅうたんや消音マットを敷いたところで防ぎきれるものではないから、私は階下に相当気を遣うことになるだろう。隣人と顔を合わせるたびに「うるさくありませんか、ごめんなさい」と詫び、「ご近所に迷惑でしょ!」と始終ガミガミ叱りつける親にならなくてはならないのはつらい。
と考えたら、防音のしっかりしたマンションを選んだ上に自身が一階に住むことで、「うるさいと思う側になるリスク」ばかりでなく「うるさいと思われる側になるリスク」も減らしたかったのである。
日当たり、ベランダからの眺め、なにより安全面を思えばもちろん上の階のほうがよかったが、住んでいるうちに階下への気兼ねがない気楽さは大きいなと思うようになった。下が駐車場ならビリーに励んでも怒鳴り込まれる心配はない。


マンション暮らしはいろいろと制約が多い。早朝から掃除機をかけたり深夜に洗濯機を回したりするとひんしゅくを買うし、ピアノもだめ。ベランダの桟に布団をかけて干すこともできない。が、それはもうしかたがない、集合住宅なんだから。
住人が少しずつ譲り合って生活をする。忍耐だって必要だ。苦情を言われて「子どものすることだから」と開き直ったり、逆に赤ちゃんの泣き声が我慢できないような人は一戸建てに住むしかない。

【あとがき】
というわけで、うちのマンションはとても壁と床が厚いのですが、隣人に与えたり与えられたりする迷惑というのは音と振動だけではないですよね。うちの上階の人は天気がいいと布団や玄関マットのようなものをベランダにびろーーんと下げて干すんですね。うちの部屋の中から布が何十センチも見えるくらい垂れ下げるので、うちのベランダに影ができる。これは正直言って気分よくないですよ……もともとベランダに布団をかけてはいけない決まりだし。上でバンバン布団をたたくと埃が落ちてくるのがもろに見えますしねぇ。それで苦情を言いに行こうとかは思いませんけど、ゴミの出し方にしろ自分チの前の廊下の使い方にしろ、「このくらいなら許されるだろう」という判断基準は人の数だけあるんですね。




2007年06月22日(金) 忘れ物はありませんか

ナインティナインの矢部浩之さんの会見をテレビで見ながら、「そういうこともあるんだなあ」と思った。
そういうこと、とは「結婚を申し込んで断られること」である。矢部さんはこのたび十五年来の恋人にプロポーズしたが、「いまさら遅いよ」と言われ、結局別れることになったという。
交際を申し込んで振られるというのはよくある話であるが、結婚を申し込んで断られるというのはあまり聞かない。そりゃあそうだ、「付き合ってください」は片思いの相手にするものだが、「結婚してください」は恋人関係にある人に対してするものだから、はなからリスクの大きさが違う。愛の告白を「いちかばちか」「ダメモト」ですることはあっても、プロポーズを玉砕覚悟でする人は少ないだろう。
そして矢部さん自身も断られるとは思ってもみなかったようである。いや、無理もない。両親公認で十数年間同棲生活を送っている相手が自分との結婚を望んでいないだなんて、イメージするのは至難の業だ。
「もっと早くプロポーズしていればこんなことにはならなかったと思う」
と言っていたが、たしかに彼は待たせすぎた。

* * * * *

結婚に至る道のりには私にも切ない記憶がある。
夫とは二十四のときに出会った。楽しい日々だったが、私にはひとつだけ気がかりがあった。それはいつまでたっても結婚話のケの字も出ないこと。
口にしないだけで、実はそういうこともちゃんと考えてくれている……と思いたかったが、彼にとって「結婚」がまだまだまったく他人事であるということはその言動から明らかだった。
彼は同い年であるから、女の私よりそれを意識するのが遅れることはわからないではない。けれども私の中にはいつからか、
「二十代なかばを過ぎた女と付き合っているという自覚はあるんだろうか」
という思いが芽生えていた。会社の同期や学生時代の友人の男の子と話していると、「アイツ(彼女)もいい年だし、そろそろ考えてやらないとなー」なんてセリフがしばしば聞かれる。私はうらやましくてしかたがなかった。いますぐ結婚したいというわけではない。ただ、将来的には可能性があるのかどうかということは知っておきたかった。それさえわかればやきもきせずに待てるのに……と。

その気持ちは付き合いが三年目に入る頃から急速に膨らんでいった。
「その気がないのであれば付き合い続けることはできないな。たとえどんなに好きでも……」
そんなことも心に浮かぶようになった冬のある日、彼から今年のプレゼントはなにがいいかと訊かれた。二十七の誕生日が目の前だった。
「だったら指輪がほしい」
私にはものすごく勇気のいる言葉だった。
それまで一度も彼に結婚する気があるのかどうか確かめられなかったのは、見栄やプライドの問題ではない。
「適齢期の女と付き合っているというのがどういうことか、ということくらい察することのできる人であってほしい」
という思い。そして私はやっぱり、結婚についてはこちらからせっつく形ではなく彼から言いだしてくれることを願っていたのだ。
しかし、誕生日に贈られたのはバカラのペンダントだった。
「リクエストに副えなくてごめんね。指輪ってやっぱり特別なもののような気がするんだ。結婚とかそういうときにあげるものっていうか」
男の人のこういう考え方は嫌いじゃない。でも、途方もなく悲しかった。

その数ヶ月後。いつものように週末に泊まって行った彼を朝、玄関で送り出した私はドアを閉めるなりつぶやいていた。
「あー、もう疲れちゃったな」
自分の声にはっとした。そのうち、きっとそのうち……と思うようになってどのくらいたつだろう。いったいいつまで待てばいいのか。
そしてふと思った。
「もしこのまま私から電話もメールもしなかったらどうなるんだろう?」
自ら別れを切りだして関係をリセットしてしまいたい、というほど積極的な衝動ではない。しかし、プロポーズどころか彼に結婚する気があるのかないのかさえわからない、宙ぶらりんの状況にもううんざりしていた。
私は思いつきのような気持ちでその日から連絡するのをやめてみた。
……そうしたら。
彼からの連絡も潰えた。まるで二人同時に同じことを思いついたかのように。
二年半の日々は不思議なくらい自然に、跡形もなく消滅した。


「おひさしぶりです、○○です。伝えたいことがあるので会ってもらえませんか」
彼からメールが届いたのは十ヶ月後である。
私はもう連絡すまいと決意した二ヶ月後にマンションを出、実家に戻っていた。共通の友人もいない私と彼の間に残る連絡手段はメールだけだった。
離れてからも私は彼を忘れられなかった……とは言わない。その頃には頻繁に会っている男の人もいたし、なにより「私はそこそこの年で結婚したいのだから、いつまでも彼に思いを残していたってしかたがない」と思っていたから。
だからそれを受け取ったとき、「いまさらなんの用なの」といぶかしく思った。彼は私以上に現実的なタイプ。過ぎた日を懐かしんで会いたいと言ってくるような人ではない。考えられるとしたら、転勤で大阪を離れることになったとか結婚することになったとかで、ちゃんと別れていなかったからけじめをつけようとして……ということくらいしかないと思った。
しかしそういうことなら私は会うつもりはない。さよならの言葉があろうがなかろうが、どちらが振ったか振られたか定かでなかろうが、十ヶ月も音信不通なら別れは成立している。あらためて確認するまでもない。
すると、また短いメールが届いた。
「そういう話ではないので、時間を作ってもらえませんか」

はるばる私の実家の最寄り駅までやってきた彼と喫茶店でお茶を飲んだ。
電話をしたら「現在使われておりません」のアナウンス、それでマンションに行ったら別の人が住んでいて、私が引っ越したことを知ったのだと彼は言った。
「それで今日こうして来たのは……忘れ物をしたことに気づいたからなんだ」
「私の部屋に置いてあったものは全部、宅配便で送ったはずだけど」
「ううん、そうじゃなくて。自分が人生の途中でとても大事なものを落としてきたことに気がついたの。だから取りに来た」
意味がよくわからず黙っていたら、彼が続けた。
「もう一度やり直したい。結婚を前提に付き合ってください」

その翌年、私たちは結婚した。


いつも当たり前にそばにあるものほどぞんざいに扱ってしまうもの。
でもあんまり放ったらかしにしていると、それをなくしたとき、いつどこでだったかわからなくなってしまうから気をつけて。
忘れ物は二度と戻らないことのほうが多いのだから。

【あとがき】
自分からはどうしても言えなかったんですよね、「あなた、私といつか結婚する気はあるの?」とは……。
どうして私と連絡を絶ったのか、その間どうしていたかは彼には訊きませんでした。他に気になる人ができていたのかもしれないし、自分にはまだ結婚する気がないのに適齢期の私と付き合い続けることが重くなっていたのかもしれない。そこのところはわからないけど、でもそんなの訊いたって意味がないよね。再スタートに必要なものは「やり直したい」と戻ってきた、その事実だけ。よく迎えに来てくれたなと感謝しているし(私が彼の立場だったらできただろうか?)、夫の(人間的な)たくましさはこの「忘れ物を取りに戻る勇気」にも表れているような気がします。




2007年06月19日(火) たまにはこんな日記はいかが?

日曜の午後スーパーに行ったら、男爵いもの大袋が百五十八円というお値段。
「中国産のじゃがいも、とか言わないでしょうねえ?」
と確認したら、ちゃんと国産。魚料理にするつもりでいたのが、一瞬でコロッケの気分に切り替わった。

ふだん私は家でほとんど揚げ物をしない。台所の掃除が大変なのと、外食がちな夫の健康を考えてのことであるが、コロッケだけはときどき無性に食べたくなることがある。そんなときは大量に作って冷凍しておく。
合い挽きミンチ、玉ねぎと干し椎茸のみじん切りを炒めて塩こしょう、ウスターソースなどで味付け。茹であがったじゃがいもは熱いうちに皮を剥き、すりこ木で粗くつぶしたらミンチと混ぜ合わせて一個ずつ小判型に……なあんて、あらためて作り方を書くことまでもないほど簡単。
なのに千切りキャベツをたっぷり添えて揚げたてにソースをかけて食べると、三個くらいぺろっといっちゃいそうなくらいおいしい。



コロッケにはとても思い入れがある。
いま私が家で作るのはビーフコロッケ、カレーコロッケ、肉じゃがコロッケくらいのものだが、食品メーカーの商品企画の部署にいた頃は旬の素材を使ってありとあらゆる試作品を作った。コロッケにならないものはないんじゃないかと思うくらい、キャベツでもトマトでも豆でもほうれん草でもポテトコロッケになるのだ。
野菜以外でもたとえばこれからの時期であれば、ピリッと七味の効いたキンピラコロッケや豚キムチコロッケ。ビールに合うと人気だったし、原価が高すぎて商品化はされなかったものの南高梅を使ったものも酸味が爽やかで悪くなかったなあ。
じゃがいもの代わりに里芋で作った和風コロッケはあんまり売れなかったが、私にとっては一番の傑作。カレーソースやビーフシチューといった具をおにぎりのようにじゃがいもで包み込む俵型コロッケを考えるのも楽しかった。
そして秋、冬はクリームコロッケ。海老、カニ、コーンはもちろん鶏、ホタテ、サーモン、きのこ。これには毎回苦労したっけ……。
手鍋での試作では簡単にできるトロトロのベシャメルソースが、工場でロット生産するとなかなか再現できない。どうしてもぼてっと固くなってしまうのだ。十個、二十個を手で作るのと、三百、五百という単位で機械で作るのとがまったく同じにならないのは当然と言えば当然なのだが、これでは売れない。
「ベシャメル、もうちょっとこう、とろっと流れるようになりませんかねえ」
「無理やな。言いたいことはわかるけど、これ以上柔らかしたら成型できん」
「でもこれじゃあ“クリーム”コロッケとはとても言えませんよお!」
工場に入り込み、生産担当者とやり合ったのが懐かしい。

* * * * *

……とこのあたりで、記憶力のすばらしい方からは、
「あれ?小町さんちってコロッケは夕食のおかずにしないんじゃなかった?」
と突っ込みが入るかもしれない。
そう、うちの夫はコロッケが夕食のメインだといい顔をしない……のは以前書いた通りである(2005年2月18日付 「それは夕食のおかずになるか」参照)。
なので当時はミンチカツや一口カツも一緒に揚げていたのだが、いまはもうコロッケならコロッケだけ。
「えーと、今日はコロッケ(だけ)……?」
「ゴチャゴチャ言うなら食べんでよろしい」
二年の歳月が私を変えてしまいました。

(今日はちょっとグルメ日記風に……って写真を載っけただけだけど。いっぺんやってみたかったの)

【あとがき】
とはいえ、お肉屋さんのコロッケも最高においしいですね。ほくほくのじゃがいもの中にポツポツとひき肉が混じっている。そのひき肉はケースに並んでいる肉の切れ端をミンチしたものだから、ちょっぴりしか入っていなくてもしっかり旨みがあって。肉屋さんなんてこの頃とんと見かけないけれど、店先から漂ってくるラードのこうばしい香り、懐かしいなあ。




2007年06月15日(金) ないものねだり

一昨日の毎日新聞の投書欄に三十代の主婦の文章が載っていた。
同い年の知り合いの女性は既婚だけれどバリバリのキャリアウーマン。子どもがいないためか化粧やファッションにも手をかけていて、見るからに自立した女性という感じ。一方、自分は子どもの世話に追われ、おしゃれどころではない生活。
「私も子どもを作っていなかったら仕事を続けていられただろう。その分、趣味でスポーツをしたり夫と旅行をしたりという楽しみもあっただろう」
かぎっ子にしたくないという思いから専業主婦を選択したことは後悔していない。息子たちも可愛く、いまの暮らしに不満はない。それなのに彼女に嫉妬せずにいられない------という内容だ。

私は「これを読んだら『まったく勝手なこと言って!』と息巻くだろうなあ」と思いながら、友人A子を思い浮かべた。旅行代理店で企画を担当している独身女性であるが、以前彼女からこんな話を聞いたことがあるのだ。
根っからの旅行好きに加え、仕事にプラスになることもあって長期休暇のたびに海外に出かける彼女を見て、あるとき既婚の友人が言った。
「年に三回も海外に行けるなんて優雅よねえ。子どもがいたら、ちょっと友達とごはんってことすらできないんだよ。あー、私も慌てて結婚しないでもっと独身生活を謳歌すればよかった!」
「うらやましい」を連発されて、A子はむっとしたという。
「こういうことを言う人ってときどきおるけど、じゃあ毎日のように終電で真っ暗な部屋に帰ったり、深夜スーパーで買った弁当を一人きりで食べたりすることもうらやましいかって訊きたい。もし病気になったら?とか、老後はどうなる?とか、私は私で夫や子どものおる人にはない不安や悩みを抱えてるんや」
A子はこれまでに二度も会社が倒産するという憂き目に遭っている。「もしかしたら私は結婚できないかもしれない。一生働くのなら好きな仕事をしていたい」とアルバイトをして食いつなぎながら旅行業界での再就職をあきらめなかった。男も女もない仕事をしているだけに精神的にもきつい。ストレスから一人でカラオケボックスに通う時期もあったというし、真夜中に電話がかかってきて「いま帰ってきた。私、もう頑張られへん……」と泣かれたことも何度かある。
私はそんな彼女を知っているだけに「優雅なご身分ね」なんてぜったいに言えない。「オイシイとこだけ見て人のことお気楽モンみたいに言うんは失礼や」という憤りがとてもよくわかる。

けれども、A子が本当に腹立たしく思うのは「こっちの苦労も知らないのにうらやましいと言わないで」ということではないという。
「ほんまにうらやましいと思うんやったらやり直したらええやん。それをせえへんってことは本気じゃないってことなんよ、つまりはただのないものねだり。私、そういうのって図々しいと思う」
たしかにそうだなと思った。
自分がいまいる場所はたったひとつの決断や偶然によって与えられたものではない。瑣末なチョイスが何百、何千と積み重なった結果である。
そしてそのチョイスの大半は誰に強制されたわけでない、自分自身の意思によるもの。結婚を決めたのが自分なら、子どもを作ったのも自分。人生の舵取りは自分の手でしか行えないのだ。
が、それは言い換えれば、“船頭”の気持ち次第でどこへなと船を運ぶことができるということである。ぶちぶちと愚痴を言いながらもその場所から動こうとしないということは、結局は現状に納得しているということだろう。

とはいうものの、人生がある程度まで進むと来た道をそう簡単に引き返したり取り替えたりできないこともたしかである。……それならば。
阿川佐和子さんのエッセイに、「結婚しない十得、子どものいない十得」という話がある。夫や子どもがいないことをくよくよ考えるといくらでも寂しくなってしまうけれど、「この、身軽な自分だからこそできることがたくさんある」ことに目を向けてプラス思考で生きていきたいと書いている。
他人は実物以上によく見えるものなのだ。あれがない、これがないと自分に足りないものを探し出してわが身を嘆くのではなく、いまあるものに感謝し、その中に楽しみや幸せを見い出せる人はすてきだなと思う。
……え、そんなふうにはどうしてもなれないって?
ならば、人生を変えるしかない。

【あとがき】
……ん?なんかここんとこ、同じようなテーマの話が続いているな。どうしたんだろ。


2007年06月12日(火) 女性の敵は女性

同僚の妹さんが妊娠四ヶ月で最近退職したという。本人はぎりぎりまで働きたかったのだが、職場の雰囲気がそれを許してくれなかったらしい。
不慮のトラブルで迷惑をかける可能性を考えて、妊娠判明後速やかに報告したところ、上司は言った。
「あら、そう。で、いつまで来るの?」
お愛想でももらえると思っていた「おめでとう」の言葉がなかったことに動揺しながらも、何事もなければ○月いっぱいはお世話になりたいと思っていると答えたところ、「曖昧なのが一番困るのよね。もっと早めでいいんじゃないの?」。
たしかに使う側からすれば、予定が不確実なのはあまりありがたくないだろう。しかしその上司も妊娠、出産経験のある女性である。もう少し温かい反応が返ってくると思っていたのでショックだった。
が、彼女を落ち込ませたのはそれだけではなかった。同僚にも伝えたところ、「えらく気の早い報告だね」とまるでこちらがうれしがりであるかのように言われてしまった。
「体調が悪いときに迷惑をかけることになるかもしれないと思って」
「それって残業はパスとかそういうこと?」
「そうじゃなくて、もしかしたらの話」
「よかったぁ、人の仕事してる余裕なんかないもんね」
いつも一緒に行っていたお昼ごはんはつわりのために何度か断ったら、誘われることがなくなってしまった。意地悪をされるわけではないが、なんだかそっけない。日に日に居心地は悪くなり、このストレスは赤ちゃんによくないと彼女は退職を早めることにした。
「妊娠って無条件におめでたいことで、他人事でも喜んでくれるものと思ってた私が甘かったわ……」

私は同僚からその話を聞いて、妹さんはたしかにちょっと甘かったかもしれないと思った。
世の中には他人の幸せそうな様を見ると面白くない気分になるという人がいるし、そういうタイプの人でなくとも結婚や妊娠といった事柄は個人の意思ではままならない部分があるだけにやっかみを生じやすい。同僚という間柄だと誰かが仕事のペースを崩したり退職したりすると周囲の人がカバーをしなくてはならないので、なおさら気持ちよく祝福してもらえないことが起こりうる。
しかしなんにせよ、働きやすい環境を作ろうとしての妊娠報告が仇になってしまったとは気の毒な話である。

* * * * *

「女の敵は女やなあ」
同僚がしみじみと言うのを聞いて、私はふと少し前に読んだ「発言小町」のトピックを思い出した。
「披露宴でお出しするコース料理に私の趣味である手作りベーコンを使ったメニューを加えたいと考えているのですが、皆さんが出席者の立場だったら食べたいと思われますか?」(こちら
回答者はおそらくほとんどが女性なのだが、全部読み、私は「同性に対してえらい手厳しい人がいるもんだな」と思った。
私の感想は「ウェディングケーキが新婦のお手製って話はときどき聞くけど、自作のベーコンなんて意外性があって面白いじゃん。私だったら食べてみたいワ」というものだが、「食べたくない」派(のほうが多かった)の回答の中にも頷けるものはある。
「味の問題ではなく、素人が作ったものという時点で気持ち悪くて嫌」
「手作りと聞くと残せなくて困る。出席者に気を遣わせるのはどうかと思う」
「もし食中毒を出したら責任取れるんですか」
といった意見はわからないではない。そうね、いろいろな人が出席していることを思えば、披露宴の料理としてではなく新居に招いた際にごちそうしたほうが無難かもしれないわね、とも思った。

しかしながら、へええ!そんなことを思うの!と心底驚いたコメントも少なくなかった。
「趣味程度のものを押し付けがましいなあと思ってしまいます」
「素人の趣味の品をこの機会に皆に褒めてもらいたいという人間性に引く。新郎側の招待客ならば『自己顕示欲の強い嫁もらっちゃって』と感じるかも」
「お料理上手と褒めてもらいたいのかな?とどうしても思ってしまう。自己満足に陥らないでと言いたい」
「自慢したいのね、褒めてもらいたいのね、口に合わなかったけど美味しいって言わなきゃだめよね、結婚前の忙しい時にわざわざ一週間もかけて作ったんですって、あらまーなんか嫌味ったらしくない?デキる女って思われたいのかしら……などなど、ひがみ魔の絶好のネタにはなると思います」
自作のベーコンを出すくらいでこんなにあれこれ思われるのか!とびっくり。
私も自分の結婚式の際に手作りのお菓子をお土産に持って帰ってもらいたいなと考えたことがある。そんな暇はとてもなくてあきらめたのだけれど、もし配っていたら鼻白んだ人もいたんだろうか。
それにしても、お祝い事なのに自慢げだのなんだの冷ややかな反応だよなあ……。


さて、「女の敵は女」と聞いて私がこのトピックを思い浮かべたのは、このトピ主が男性であると判明した途端、反応が違ってきたからである。
「正直なところ、新婦の手作りベーコンは“ノー”、でも新郎の手作りなら“オッケー!”です。なぜか新婦の手作りって、『皆さんへ気持ちを込めて……』より『これを作った私♪』を感じてしまうのですよ。でも新郎だったら話は違うかな」
「新婦の手作りならなにもこんなところで出さなくてもと思いますが、新郎の手作りなら興味あります」

新婦の作なら嫌味に感じるが、新郎がアウトドアの趣味の一環で作っているベーコンと聞けば「爽やかでいいんじゃない?」と好意的になるとはこれいかに。
女性の中には同性に対する潜在的な対抗心が存在するということなんだろうか。

【あとがき】
それと、女性には女性特有の意地の悪さというのがありますね。男性は女性ほど物事を斜めに見たり裏を読んだりしないんじゃないでしょうか。その代わりというか、男性は男性で女性にはあまり見られない特質を持っていると思うけど。たとえば妙なプライドとかね。
ところで、発言小町編集部の集計によると「食べたくない派、出さないほうがいい派」は51%だったそうです。私なんてなーんも考えずに「自作ベーコンなんて面白いじゃん。ちょっとしたサプライズにもなるし!」と思ったけど。




2007年06月08日(金) 「親身になる」ってむずかしい

朝、夫と一緒に家を出たら、いつもよりだいぶ早く会社に着いてしまった。まだ誰も来ていないだろうなと思いながら休憩室に行ったところ、A子さんがひとりでお茶を飲んでいた。
えらく早いねと声をかけたら、最近はこのくらいの時間に出社しているのだという。混んだ電車がつらくて……と言うので、家が遠いと大変だなあと思ったらそうではなかった。
「しばらく前から体調が悪くって。夜もよく眠れないし、動悸とかめまいもするし。なんにもする気が起きないから、会社に来るのがほんとしんどくて」
「えー、それ心配やん!病院行ったん?」
「ううん、たぶん更年期障害だから」
あんまり体がえらいので、七月以降の派遣の契約を取り消してもらえないか訊いてみようと思って……ということだった。
更年期障害の症状の程度は個人差が大きいそうだが、ひどい人の苦痛は大変なもののようだ。テレビで木の実ナナさんが自殺まで考えたことがあると言っていたし、私の母も乗り切ってから「あの何年間かは本当につらかった」と話してくれた。そういうことなら無理はしないほうがいい、今日にも会社に話してみたら?とA子さんに言った。

とそこに、B子さんがおはようとやってきた。
いつも一緒にお昼を食べる仲良しグループの中で一番若い女性であるが、なになに、なんの話?と訊くので、A子さんが「これこれこういうわけで六月いっぱいで退職しようかと思って」とさきほどの話を繰り返したところ、彼女は無邪気に言った。
「更年期障害ってよく知らないけど、生理が終わるやつだっけ?」
卵巣の働きが低下するために女性ホルモンのバランスが崩れ、さまざまな不快症状が現れる。じきに閉経が来るのでB子さんの言うことは間違ってはいないのだが、「私なんかすっごい生理重いから早くなくなってほしいわあ!」と続けたのには驚いた。
三十なかばの私にとっても更年期はまだ先の話という感じだから、二十代の彼女がそれを自分のこととして考えたことはもちろんないだろう。しかしそれにしても「生理がなくなると楽になっていいね」とはあまりにも思慮のない発言である。
私の友人に四十になった直後から更年期が始まった女性がいる。結婚後に夫と始めた店がなかなか軌道に乗らず、子どもを先送りにしているうちに更年期に入ってしまったのだ。彼女の「こんなに早く更年期が来るなんて思わなかった……」の裏側には私の想像など及ばない、さまざまな思いがあるに違いない。いや、子どもの有無にかかわらず閉経を迎える女性の気持ちというのは、B子さんがイメージしているような「はー、これでせいせいだわ」で片付けられるものでない場合も多いのではないか。
A子さんは黙って聞いていたが、
「ふうん、頭痛とか耳鳴りとかもあるんだあ、大変。けどそういうのって気のもんってとこもあるだろうし、仕事してたほうがかえって楽なんじゃない?」
とB子さんが言ったとき、
「でも、ほんとにつらいもんなんだよ」
と言って席を立ってしまった。

B子さんに悪気などないのはわかっている。けれどもA子さんがむっとするのは無理もない。
肉体的、精神的苦痛の渦中にあるとき、周囲に理解してもらえないことのもどかしさ、悔しさは誰にも覚えがあるだろう。下手にお気楽なセリフで励まされたり慰められたりすると、「なんにもわかってないくせに……」と言いたくなるものだ。すでにそれを克服した人の言葉なら説得力もあるが、更年期についてろくに知りもしない若い女性に「気のもん」と言われたら、そりゃあカチンとくるだろう。
あと十年、十五年して更年期を迎えたときのことを想像すると、私はいまから暗澹たる気分になる。ふだんから体調を崩したり心配事があったりで夫に不安を訴えても、「ふうん、そうなんだ」でおしまい。三十秒後には別の話を始めてしまうので、「この人はどうしてこうなんだ」とむなしくなることがしばしばあるのだ。
更年期障害で悩まされることになったとしてもなにかを期待することはできまい。


だが一方で、「親身になる」というのがものすごくむずかしいことであるのも承知している。他人の心を察するとか、悩みに寄り添うとか。それは口で言うほど簡単なことではない。
じゃあ同じ立場にあるとか同じ思いを味わったことがあるとかいう人としかわかり合うことはできないのだろうか?いや、そんなことはないと思いたい。
先日、電車の中でバッグにマタニティマークのキーホルダーをつけた女性を見かけた。そういうものがあることは知っていたが、つけている人は初めて見たなあと思っていたら、近くにいた女子高生のひそひそ声が聞こえてきた。
「なんでわざわざあんなんつけるん」
「さあ?うれしがりなんちゃう」
彼女たちはもちろん妊娠の経験などなく、つわりのつらさも満員電車でおなかを押される不安も味わったことがないだろう。けれどもう少し、「想像力」と「思いやる気持ち」があってもいいんじゃないか。
経験のなさはこの二つでだいぶカバーできる。

【あとがき】
「親身になる」ができてない人からのアドバイスや励ましって結局自己満足のようなもので、ありがたくもなんともない。人の気持ちを理解するってほんとむずかしいことだけど、私も「もし私だったらどうだろうか」と自分のことに置き換えながら、誰かの気持ちに近づければいいなあと思います。




2007年06月05日(火) 自己責任

夫とちょっとした言い合いになった。
先日の「中国製練り歯磨きに致死量の毒物」のニュースを見て、洗面所に走った私。夫は少し前から、この春台湾に行ったときに買ってきた歯磨き剤を使っているのだ。
台湾なら平気なんじゃないの、って?それがですね、私は北京のスーパーでも同じ製品を売っているのを見たことがあるので心配になったのである。
パッケージを確認すると、やはり中国語。製造元が中国の会社であるかどうかまではわからないが、こういう事実が発覚した中、正体不明のものを使い続けることはない。
……と思い、捨てようとしたところ。「まだ残ってるんだから捨てないでね」と先手を打たれた。
「もったいながってる場合とちがうやろ、もしこれがジエチレンなんとか入り歯磨きやったらどうするの。十数ブランドの製品に混入って言ってたよ」
「心配なら自分が使わなきゃいいじゃない」
「んなもん最初っから使ってへんわ。あなたもそんな得体の知れないものを使わんと、こっちのサンスターのを使い」
「そんなの僕の勝手だろ」
どこが僕の勝手、なんだ。家庭を持っている人が健康に気を遣うのは当然のことじゃないか。
しかし、手の中の“牙膏”が問題の歯磨き剤であると証明しないかぎり説得できる相手ではないので、引き下がった。

そういうことをあまり気にしない人にとっては「神経質だなあ」ということになるのだろう。でも、私は体内に入るものの安全性はかなり気になるほうである。
先日、実家の庭で焼き肉をしようという話になり、私と妹夫婦とで肉の買い出しに行った。が、あいにく国産のロースは売り切れ。
「ロースは食べたいけど、アメリカ産のは嫌だな……」
と思っていたら、私の心を見通したように「あっちにもう一軒肉屋あるから、ロースはそっちで買おう」と義弟。へええ、うちの夫だったらまったく気にしないよ!と感心したら、妹のところも輸入が再開してからもアメリカ産の牛肉は買っていないという。
「だってねえ、わざわざお金出して不安要素のあるもん買うことないやん?大丈夫かなあと思いながら食べてもおいしくないし」
まったくそのとおり。だから私は中国産の食品は一切買わない。
これまでに何度「安全基準値を超える○○が検出された」という記事を目にしたことだろう。何年か前に在籍していた会社で、全国のお得意様宛てにマツタケを贈った直後に「中国産のマツタケから殺鼠剤」というニュースが流れたことがあった。しばらくは問い合わせの電話が殺到して仕事にならなかったが、そりゃあ心配だわな、マツタケをごしごし洗ってから食べる人なんていないんだから。
以前報道番組の特集で、中国の農家の人が「日本出荷用の野菜は自分たちは食べない。食べるのは日本人だから(農薬の人体への影響も)気にしない」と言っているのを見たことがある。スーパーでドンコ(椎茸)の立派なのが国産の半値以下で並んでいても恐ろしくて買えない。
こんなふうに気をつけていたって、外食をしたり出来合いの惣菜を買ったりすれば確実に口に入れることになるのである。友人の中には野菜ジュースを買うのにもメーカーに問い合わせをし、原材料に中国産の野菜が含まれていないかを確かめてからというのがいるが、私はそこまではしないので知らぬうちに摂取してしまっている分がけっこうあるはず。
最近は中国産でなくても不気味なものがいくらでもある。添加物やら遺伝子組み換えやらポストハーベストやら。国産だから安心して食べられるというわけでもない。そう考えると、自分の意思で避けられる分くらいはせめて避けたい。

夫が夕食を家で食べるのは週末だけ。出張先では毎日のように飲みに行き、たまにどこにも寄らずにホテルに戻る日はコンビニ弁当。そんな塩分、カロリー、アルコール過多の生活を彼は六年間も続けている。そしてこれからも続きそうである。
食事をないがしろにしていてもすぐにどうこうなるわけではない。しかし、いずれは自分に返ってくるのだ。
……ということを口をすっぱくして言うが、「今日の晩ごはん」という件名で送ってくる写真付きメールを見るかぎりではまったくわかっていなさそうだ。
奥さんが体のことを考えて作った料理を毎晩当たり前に食べている人とでは十年後、二十年後にどんな差が出るのかと考えると恐ろしい。

【あとがき】
安いものには安いだけの理由がある。と思います。静岡産の倍の大きさで半値以下で売っている中国産うなぎの蒲焼なんてぜったい買えません。


2007年06月01日(金) 既婚男性がモテる理由

一昨日の日経新聞夕刊で、作家の佐藤賢一さんが「男は未婚より既婚のほうがモテるのはなぜか」について書いたエッセイを読んだ。
佐藤さん曰く、既婚男性には「妻の目」というチェック機関があるために女性一般にも通用する身なりが自動的にできあがるからではないか、と。
「あなたがおかしな格好をしていたら恥をかくのは私なのよ」と妻は男の服装に手出し口出しをしてくる。言う通りにしていたら結果的に他の女性の目にも好ましい見た目になる、という分析だ……が。

え〜、そうかなあ?
たしかに世の中には服の買い物から毎日着るものの見立てから妻まかせにしている男性もいるだろうが、よほどセンスのいい奥さんでないかぎり好感度がアップするほど見た目が変わるとは思えない。そりゃあまあ、妻の目を通過していれば「なにあれ、ありえない」と言われる格好にはならないだろうが。
私としては、まだまだシャレっ気があってもいい三十代、四十代の男性が自分の着るものを自分で選ばないというのはとても不思議だ。特別オシャレである必要はないけれど、好みくらいないのかしら?と思う。だって母親が買ってきた服をなんの疑問もなく着る小学生みたいなんだもの。
「あら、そのスーツにはこっちのネクタイのほうが似合うわよ」
「じゃあそっちにするか」
なんていうやりとりは微笑ましいが、当たり前のように奥さんに着るもの一式をみつくろってもらう男性に男らしさを感じたり惹かれたりするだろうか……を考えると、どうしてもイメージが湧かない。彼が自分で服を選んでいるのか妻に選んでもらっているのかということ自体はわからなくても、その無頓着さ、こだわりや意見のなさは彼の価値観、言動全般に通じている気がするのだ。

既婚男性がモテるのはたしかである。しかし、私にとっては「妻によって女性受けするルックスに改造されるため」が理由ではない。
家庭を持つことでおのずと身にまとうようになる雰囲気のせいではないか、と私は踏んでいる。独身者のように自由気まま、身軽でいられない、地に足をつけざるを得ない。それが落ちつきや余裕、包容力といったものを感じさせ、女性の目に「大人の男」と映るのではないかしらん。
そして既婚男性でもとくにポイントが高いのが、奥さんを大切にしている人である。
以前勤めていた会社で、私の上司は本当によく仕事をする人だった。その人がある日、「外回りの後、直帰してもええか?」とめずらしいことを言う。もちろんです、たまには早く帰ってくださいと答えると、照れくさそうにぼそっ。
「今日は結婚記念日なんや」
その話をしたら、女性社員は「奥さん、うらやましい〜」と身悶えしていたっけ。
女性は「こんな人が夫だったら幸せになれるだろうなあ」と思わせてくれる男性が大好きなのだ。結婚指輪をしている男性が好評なのも、「家庭を大事にしていそう」「誠実そう」に見えるからである。


そもそも、既婚男性がモテるのは当たり前の話なのだ。
結婚相談所でお相手探し中の友人がいる。四十路を過ぎているので紹介される男性も四十代、五十代なのだが、彼女は「自分のこと思いっきり棚に上げて言うけど……」と前置きしてこう言う。
「四十過ぎてていっぺんも結婚したことがないって人より、離婚経験者のほうがある意味安心できる」
結婚歴のない人は十五分も話していると、その人が今日まで独身できた理由がたいていわかる。しかしバツイチの場合は「この人、いいかも」と思えることが少なくないという。
「そらそうやんな。結婚してたってことは『この人と結婚したい』と一度は誰かに思われたことがあるってことで、つまりそれだけの魅力を持ってるってことなんやから」

一理あるなと思う。
もちろん例外はある。私の友人にも見た目、性格ともに言うことなしなのになぜか縁遠く、いまだ実家暮らし……という女性が何人かいる。また、自らの意思で結婚しない人生を選択しているのもいる。同じように、「こんな人がいつまでも独身でいるなんてもったいない!」と思うような男性も世間にはいるはずである。
けれども、「素敵な人は女が放っておかない、よって既婚」という傾向は存在するだろう。魅力的な男性はいつまでもひとりではいてくれないものだ。
と考えると、家庭のある男性がモテてもなんの不思議もない。「既婚者ゆえにモテる」のではなく、「魅力があるから既婚」なのである。

ところで、既婚のほうがモテるという現象は女性には当てはまらないような気がするのだが、どうしてなんだろう。理論的には男性と同じのはずなのに。
「妻」の場合、「夫」よりも生活感がにじみ出やすいからだろうか(「人妻」という響きは悪くないと思うのだが……ブツブツ)。

【あとがき】
もし私が夫に服を選んでくれと言われたら、ものすごく困りますね。私は男性の服のことなんて全然わかりませんもん(男性の姿で一番好きなのはジーンズ姿ですが)。夫は好みがきっちりある人なので、そんなことは絶対言わないし、服ももちろん自分で買ってくるけど。