2007年07月31日(火) |
夫婦における個人の領域 |
仲良しの同僚何人かでごはんを食べながら、先の参院選の話になった。
同い年の女性の「私、選挙って行ったことないねん」発言にはあ然としたが、「ねえねえ、誰に入れた?」と無邪気に訊いてくる人がいたことにもものすごく驚いた。
……え、それってみんなでワイワイ話すようなこと?
誰に投票したかなんて人に教えることじゃない、と私は選挙権を持つ前から親に言われていた。だから父と母は互いがどこに投票しているのか知らないはずだし、私も「そういうもの」と思って生きてきた。
私がそれを人に訊かないのは、関心がないというより立ち入るべきでない領域という気がするから。好きな野球チームはどこ?誰のファン?という話とは違うのだ。たとえ家族であっても例外ではない。
結婚してまもなくの頃にあった選挙の翌朝、夫が新聞を広げて「昨日、誰に投票した?」と声をかけてきた。
どうしてそんなことを訊くのかしら……。私はけげんな顔をしたのだと思う。そうしたら「当選したかどうか見てあげるよ」と彼は付け加えたのだが、私は後で自分で見るからいいと答えた。
誰に投票するかを相談したり事後に報告し合ったりする夫婦も世の中にはいるのだろうが、私自身はこの件に関してはきわめて個人的なことだと思っているので踏み込まれるのには抵抗がある。
……と言ったら、以後投票先を訊かれることはなくなった。日曜の夜もふたりで選挙速報を見ながら、「うわ、こんな人が通っちゃったよ」「安倍さん、辞任かな」とおおいに盛りあがった。各党の政策や結果についても思うところをああのこうの言い合ったけれども、そこまでである。その先の「で、誰に入れた?」はなし。
こういう話を以前したら、
「パートナーの政治観を未確認だなんてありえない。じゃあ結婚後に夫が選挙に出たらどうするんだ、支持政党が違うからと応援しないつもりか」
と息巻いた人がいたけれど、ずいぶん極端な意見だなと思う。自分、あるいは付き合っている相手がどこかの党員になっていてなんらかの活動をしているような場合は別かもしれないが、そうでもないのに夫婦だからといってそれが同じである必要なんてあるかしら。
私はこの先もどこの誰に投票するかを人に相談したり尋ねたりすることはないだろう。
もうひとつ、親子といえども夫婦といえどもそれは個人の領域である、と感じることに「宗教」がある。なにを信仰するもしないも完全に自由で、誰かに妨げられたり強制されたりすることはあってはならない。
とはいうものの、現実には双方が異なる宗教の熱心な信者である場合は最初から夫婦になることはありえないし、一方は無宗教、もう一方は信仰を持っているという組み合わせだと結婚はできたとしてもその後の生活にはいろいろと厄介事が起きるみたいだ。
友人はクリスマスにケーキを食べ、正月には神社に初詣に行く人だが、彼女の夫は物心ついたときからある宗教に入信している。バリバリの信者というわけではなく月に一回活動のために出かける程度、「君は入信する必要はない。子どもにも強制しない」と言われたので安心して結婚したのだけれど、義父母からはしばしば会合への参加を迫られる。夫は結婚前からの「君は関係ないから」を守ってくれているが、将来彼の両親と同居になったときのことを考えると頭が痛いという。
私の親戚にもある宗教に入信してから法事や結婚式にも顔を見せなくなって付き合いがなくなった一家がいるので、家族の中で自分一人が未入信という状況に彼女が不安を感じるのは理解できる。
夫婦で政治についての考え方が同じであるべきとはぜんぜん思わないが、宗教に関しては無関心なら無関心な者同士、同じ信仰を持つ者同士というふうに“お揃い”であったほうが余計な気苦労なく平和に暮らせるのは間違いなさそうだ。
【あとがき】 新党日本から出馬した有田芳生さんの実家の両親は共産党員ということで、息子の出馬についてインタビューで「そりゃあ心中複雑ですよ。わが子だけど、立場上応援はできません……」と語ってました。親としては切ないものがあったでしょうけど、こればっかりはしょうがないですよね。 |