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2005年09月30日(金) 書いてあることを、書いてある通りに。(前編)

村上春樹さんが映画について書いたエッセイ(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』所収「二本立ての映画っていいですよね」 新潮文庫)に後日付記がついていた。
「僕は映画のクレジット・タイトルを最後まで見ないで、ぱっと席を立って出て来ちゃうと書いたら、それについていろいろと抗議の投書が来ました。そういう映画の見方はおかしいんじゃないかということで」
というわけで、村上さんはその付記の中で、「僕は見ないと言っているだけであって、みんなも見るなよと言っているわけではないので、どうかそんなに怒らないで」と書いていた。

「だってさ、撮影助監督助手が誰で、キャスティング・アドバイザー補佐が誰かなんて、悪いけど僕にはまったく興味がない。そんなもの眺めて時間を消耗したくない。これまでいろんな国の映画館でいろんな映画を見てきたけれど、エンド・クレジットをこんなに熱心に観客が見つめる国は日本くらいだ」
と書いてあるだけである。これのいったいどこにそこまで感情的になる余地があるのだろう……。

エッセイを読んでいると、こういう場面------読者の誤解を解くべく、作家が以前に書いた話を補足したり釈明したりする------にしばしば出くわす。
そのたび、私はできるかぎり心を無にして読み直す。が、「この書き方なら読者にそう受け取られても無理ないわなあ」と思うことは少なく、「どこをどう読んだらそんなふうに解釈できるんだ?」「そんなひねくれた読み方しなくても……」と首を傾げることがほとんどである。
少し前に読んだ林真理子さんの夫婦別姓についてのエッセイにも後日付記があったのだけれど、いくつか挙げられていた読者の反論の中には文章を正確に読んでいないという初歩的なミスを犯しているものがあった。

私は不思議でしかたがない。どうしてそこにある文章をそこにある通りに読まないのか。そうすれば腹の立つことなどひとつもないのに、書かれてあることを読み飛ばしたり、書かれてもいないことをあるものと思い込んだりするから、無用の不快感を味わわねばならなくなるのだ。 (つづく


2005年09月28日(水) 出版社に行ってきた(後編)

※ 前編はこちら

「いまいくつか読ませていただきましたが……」
ごくり。
「いいですね。とても読みやすいです」
お!
「短くて」
ぎゃふん。

いやいや、それはいい。私は文章が短いと言われたことにとても興味を持った。
「短い……ですか?」
「そうですね、長くはないです」
タナカさんはそばにあった棚から文庫本を------誰でも名を知っている作家のエッセイばかり------何冊か抜き出した。
「見開きの片面に原稿用紙一・五枚分入るんですね。小町さんのは一話が六、七枚ですから、本にすると四ページ前後。さらっと読めちゃう量ですね」

目から鱗。いままで、長いと言われることはあっても短いと言われたことはなかった。
読み手の方に「どんどん文章が長くなりますね」と突っ込まれるたび、「自分でもどうにかならんかと思ってるのよー、好きで前編、後編に分けてるわけじゃないのよー」と言い訳したい衝動に駆られてきたが、そうか、私の文章は紙媒体向きだったのねっ(と満面笑みでポンと手を打つ)。

すると、タナカさんが言った。
「正式なお返事は審査会議の後になるのですが、共同出版という形で問題ないと思います」
えーと、それってたしか、出版社が費用を半分負担してくれるのではなかったっけ……。
「はい、共同出資での制作です。正確に言うと、制作費を著者の方に負担していただき、流通費を当社が持つということになります」
なんだ、折半ってわけじゃないのか。ま、そりゃあそうか、そんなおいしい話があるわけがない。
と納得したら、頭に浮かんだことがひとつ。

「あのう、流通っていうのは書店に並べるって意味ですよね?」
「そうです」
「素朴な疑問なんですけど、まったくの素人の本を誰が買ってくれるんでしょうか」

仮にも出版相談に来ておいてまぬけな質問だと思ったけれど、しかたがない。卑下でも謙遜でもなく、本当にそう思うんだもの。

「たしかに一般の方が書いた本というのは、ファンがいないのでむずかしいです。ただ、ターゲットを絞り込むことによって結果につながることはあります」
「ターゲットを絞る、ですか」
「そうです。小町さんの場合でしたら読者層は完全に女性ですね、それも三十代以上の主婦。客層にこういった人たちが多い書店にピンポイントで展開するとか、装丁もこの層に訴求力のあるものにする必要があります。文字を若干大きめにしてもいいかもしれません」

心の中でふうむと腕組み。「三十代以上」には頷けるが、「女性」「主婦」というのはどうなんだろう。いただくメールの比率は男女半々なんだけどな。それに育児話皆無で恋愛話多し、どちらかといえば主婦よりシングルの女性寄りではないかと思っていたのだけれど。
まあいいや、……で。

「それから、一番重要なのはターゲットの層から共感を得られる内容にすることです」

私はこの「共感」という言葉を聞いて初めて気づいた。「原稿を本にする」と「出版する」はまったく別物なのだ、ということを。
八百以上のテキストを書いてきたけれど、共感を得ようなんて考えたことがなかった。サイトにおいては読み手をたくさん獲得することより、読み手に好かれることより、「思ったことを思ったように書けること」のほうがはるかに大切だ。
しかし、出版となると「商品価値」が求められる。そりゃあそうだ、増刷までは期待せずとも初版で刷った分ははけるという見込みがなくては、出版社としては請け負えないだろう。
たとえば、子どもを持つ女性からは受けがよくなかったけれど、自分ではよく書けていると評価しているテキストがある。そういうのは私が採用したいと思っても、「これは別の話に差し替えましょう」なんて言われるのかもしれない。
口出ししてくれるな、私は自分の好きなようにやりたいんだという人は、自費で流通しない本を作るべきということなのだろう。

* * * * *


なんて考えていたら、肝心のことを訊いていなかったことに気がついた。私はそれが知りたくて、今日ここにやってきたというのに。
「ところで、共同出版ということでお願いするとしたら、こちらの負担はいくらくらいになるんでしょうか」

まったく見当がつかなかったが、本を出している日記書きさんはちょくちょく見かけることだし、それほど高くはないだろうと思っていた。海外旅行を一回我慢したらいいくらいの額かな?と。

「細かい条件によって違ってくるんですけれども」
「ざっとでいいです」
「そうですね、百五十万から百六十万といったところでしょうか」
「……きょ、今日はどうもありがとうございましたっ、ではでは失礼します!」(あたふたあたふた)



前回のテキストを読んで「私も同じことを考えてました。後編楽しみにしてます」と言ってくださった何人かの方、夢を破壊するようなことしか書けなくてごめんなさい。
でもそうだよね、個人が思いつきで出版できたりしたら、たちまち本の洪水が起きて本当に読まれるべき本が駆逐されちゃう。
だけど、他の方からすてきな情報をいただきました。ブログスペースを提供しているところでこんなサービス(こちら)があるそうです。参考にしてね。


2005年09月26日(月) 出版社に行ってきた(前編)

五十代のサラリーマンが「定年退職したら、女房とのんびり温泉でも行くか」なんて考えるのと同じに、私には日記をやめたあとの楽しみがある。
それまでに書いたテキストを残らずプリントアウトして、“文集”を作ることだ。小学生のときにクラス全員の作文を集めて作った、ああいうの。

日記書きという趣味にはピアノの発表会やテニスの試合にあたるような、大きな達成感を味わえる場はない。その代わり、こつこつと積み上げてきたテキストの山があり、たまに振り返って「おおっ、いつのまにかこんなに高い山になっていたのか」とじいんとすることができる。
しかしながら、それはサイトを閉鎖した瞬間、跡形もなく消え去るかりそめの山。もうすぐ開設五周年になるうちの標高もかなりのものだが、私が「エンピツ」との契約をやめたら、文字通り一瞬で平地になるのである。
家が火事になったらアルバムだけは持って逃げたいと本気で思っているくらい、“記念”に執着が強い私のこと。日記書きに投じてきた空恐ろしくなるほどの時間を考えたら、潔くさくっと……なんてことができるわけがない。

それに十年後、二十年後に読み返し、「三十代の頃の私ってこんなに幼稚だったのか!」と赤くなったり青くなったりするのも楽しそうではないか。
その“引退後”の楽しみを増すために、今日もせっせと書いている。



そんな私が先日、電車の中でふと考えた。目の前にあった出版社の広告に「あなたの本を出版します」の文字。
「へええ、本かあ。“小学生の文集”が本の体裁になったら、そりゃあすてきだよなあ」

それにはいったいどのくらいのお金がかかるんだろう。個人が本を作るなんて、どのくらい現実味のある話なのかしらん。
……と思った私は、帰宅してその出版社に電話をかけてみた。すると、ちょうどこの三連休に大阪で出版相談会をするのでお越しになりませんか?とおっしゃる。
「あ、いやいや、費用とかほんとにそんなことが可能なのかとか、ちょっと訊きたいなと思っただけなので」

あわてて首を振ると、電話では答えようがないという返答。
というのは出版形態には二種類あって、「自主出版」は刷ったものを著者がすべて引き取るため、内容がよほど反社会的なものでないかぎり受け付けられるが、「共同出版」は著者と出版社が共同出資で制作し書店に並べるものなので、ある程度の商品力が求められる。そのどちらになるかによって話が違ってくるので原稿を見てみないとなんとも言えない、ということだった。
ふうん、と頷く私。
「気軽な気持ちでいらしてください。明日の十時からならご予約お取りできますよ」
「そうですか、じゃあ伺います」
そんなこんなで翌日、その出版社に赴いた。

* * * * *


受付の人に案内されたブースでかしこまっていると、四十なかばくらいの女性がやってきた。
「出版プロデューサーのタナカと申します。それではさっそく原稿を拝見できますか」

ここ一年くらいで書いたテキストの中から二十本選び、ワードで原稿用紙仕様にして出力したものを渡したところ、彼女がいきなり読みはじめたからぎょっ。
こういうのって、「ではちょっと失礼」なんて言って別室で読んでくれるんじゃないのー?モニターの向こうで読まれるのには慣れているけど、目の前でっていうのはさすがに照れくさいわ……。
としばらくもじもじしていたのだが、タナカさんがまるで私が透明人間であるかのようにひたすら無言で読んでいるので、私はだんだん退屈になってきた。
しかたがないので、周囲のブースに聞き耳を立てる。やはり出版相談に来ている人たちの、
「ストーリーはまだ考え中なんですけど、ペンネームはもう決めてあるんです」
「わしがこれまで山で撮ってきた写真は千やそこらじゃききまへんで」
といった声が聞こえてくる。かと思えば、「あのう、原稿持ってきたんですけど……」と受付に人が訪ねてくる。
そうそう、今日だって朝一番の時間帯しか空きがなかったから、私は休日にもかかわらず早起きしなくてはならなかったのだ。

私はかなり驚いていた。
「もしかして、世の中には自分の本を作ることに憧れてる人ってけっこう多いの……?あ、そういえばうちの伯父さんも何年か前に『わが○○』って郷土史を出してたっけ」

心の中でひとりごちていたら、タナカさんが原稿を机に置いた。 (つづく


2005年09月22日(木) 悪口の心得(後編)

※ 前編はこちら

ファッションを見ればその人のキャラクターがある程度読めるが、「どんな服を好んで着るか」以上に明確に彼、彼女の内面を反映するのが、「どんな人を好きになるか」だと思う。
ごまんといる異性の中から、自分の人生観、美意識、モラル、センスといったものを総動員してたったひとりを選びだすのである。そうして“選りすぐられた人”というのは------結婚相手であればなおのこと------彼、彼女の価値観のかたまりであると言ってもおおげさではないのではないだろうか。

だから私は、配偶者なり恋人なりを赤の他人の前でけなす人に出会うと、「この人は、その相手を選んだのはほかでもない自分自身なのだということをすっかり忘れているのだなあ」と思う。
でなければ、どうしてそんな恥ずかしい真似ができるだろう?
ブティックの棚に服はたくさん並んでいたはず。その中からその一着を選んだのは、百パーセント自分の意思だ。その選び抜いたものをこきおろすというのは、「そんなのを選んでしまった私は見る目のない人間です」と言うも同じ。自分で自分を馬鹿にすることなのだ。

二、三回洗濯しただけでほつれたり色落ちしたりして着られなくなってしまうような不良品------酒乱だとかギャンブル狂だとか浮気性だとか働かないだとか------も中にはあろうが、そういうのは特別だ。「なんか着心地悪いなあ」「ちっとも似合わないわ」と不満に思うことがあるとしたら、おそらくそのほとんどは相性の問題にすぎない。
自分にしっくりこないからといって、その服の品質が悪いわけでは決してない。世の中にはそれがよく似合う人もきっとおり、自分の場合はたまたま体型や雰囲気にマッチしなかった、というだけの話だろう。
購入時、長く着られるデザインかどうか吟味したのか。ちゃんと試着をして色味やサイズを確かめたのか。
「もちろんよ、店ではとっても素敵に思えたんだもん。なのにどういうわけか、家で着てみたらぜんぜんイメージが違ったのよ」
衝動買いでもないのにそういう事態になったのだとしたらアンラッキーな話だけれど、それでもやっぱり、店員のお世辞やフィッティングルームの嘘つき鏡を見抜けなかったのは自分の手抜かり。「組み合わせの失敗」の責任が服にだけあるかのようなもの言いは違うよなあと思う。

それに、「そもそも自分はどんな服でも着こなせるような抜群のスタイルをしているのか?」をちらっとでも考えたら、一方的にそれを出来そこないのように言うことはできないとわかるはず。それに気づかず、自分が選んだ誰かを貶める人を信用することができるだろうか。
既婚でありながら男性が野心を抱くとき、妻を悪者にして、寂しい思いをしているとか家に居場所がないといったことをアピールしたがるけれど、勘違いもいいところ。きちんと妻子を愛し、また愛されていることがこちらに伝わってくる「夫」のほうが、男性としてはるかに魅力的である。


「いったん選んだら、つべこべ文句を言うな」と言いたいのではない。
人はそんなに強くも賢くもないから、ケンカをすれば憎まれ口を叩きたくなるし、手ひどく振られれば恨み言のひとつも言いたくなる。そんなときのためにも友人がいる。

しかし、それはものすごくむずかしいことなのだということはわかっておかなくては、と思う。
夫婦間の事情、男と女の問題はどう話したところで他人に真相を伝えきることはできない。だから、相手を非難するようなことを言うと薄情な人間だと思われるリスクが高い。
たとえば、私は配偶者の悪口以上に親の悪口を聞くのが苦手である。友人の中に親を嫌って実家に寄りつかないのがいるが、彼女が父母を「あの人たち」と呼ぶのを聞くたび、かすかな不快を感じる。血がつながっているからといってうまくやっていけるとは限らない、一口に「親子」といってもいろいろあるのだ、とはわかっていても、どういう仕打ちを受けたらそんな感情を抱くに至るのかが想像できないため、「それでも家族じゃないか、育ててくれたことに対する感謝はどこへやった?」ともやもやした気分になる。
同様に、夫や妻と至ってうまくやっている人を悪口の聞き手に選んだら、親身になってもらえるどころか引かれてしまうかもしれない。

「それでもかまわないわ」という場合も、目の前の友人を困惑させる可能性があることは認識しておくべきだろう。
彼らは非常識な隣人や嫌みな上司、意地悪な舅姑についての愚痴には快く付き合い、全面的に味方になってくれるが、“身内”の悪口には同調しづらいものだ。


「どうしてわかってくれないんだろう。悲しくなっちゃうよ」
とこぼす元恋人に言う。
「でも、奥さんも同じこと思ってると思うな」

そうしたら、彼はものすごく不服そうな顔をした。


2005年09月20日(火) 悪口の心得(前編)

友人を待って喫茶店で本を読んでいたら、「むっちゃムカツクねん!」という声が耳に飛び込んできた。
思わず隣りのテーブルに目をやると、私と同年代と思しき女性がふたり。周囲の客の視線を集めてしまうほど威勢のいい声を出して、それほど腹に据えかねることがあったのだろうか。
聞くでもなしに聞いていたら、一方の女性が共通の知り合いらしき誰かについて、彼がいかに身勝手でデリカシーに欠け、自分を不快にさせる存在であるかということを友人に話して聞かせているようだった。

その口調があまりに攻撃的で可愛げのないものだったので、私はてっきりそりの合わない同僚か上司の話なのだろうと思っていた。だから、「そんな人と一生やっていけるん?」という合いの手を聞いて、ページをめくる手が止まった。
ということは、さっきから彼女が「ムカツク」だの「最悪」だの「人間性を疑う」だのと雑言を浴びせていた相手は自分の夫だったのか。へええ……。

そのとき、友人が外から私の背面のガラスを叩いた。
「出るわ」と合図をして立ち上がった私はぐずぐずとイスをどかせる振りをして、女性の顔を確認せずにいられなかった。

誰かと話していて、配偶者や恋人の悪口を聞かされることほど嫌だなあと思うことはない。
そのうんざりは自慢話や惚気話をされることの比ではなく、ときには「そんな話を聞かせて、私にどう反応せよというのか」と目の前の相手に怒りが湧いてくることすらある。
私は不思議でしかたがない。どうしてあれほど得々と夫や妻や恋人を悪しざまに言うことができるのか。
三年前、大学の同窓会に出席したときのこと。十年ぶりに再会した男性に近況を尋ねたところ、離婚調停中だと言い、“失敗”の理由をとうとうと語りはじめた。妻がいかに思いやりがなく、至らない女性であるかを。

「どうしてわかってくれないのかなあって悲しくなっちゃうよ」
と彼がため息をつくのを見て、可笑しくなった。
「どうしてわかってくれないのかなあ」はその昔、私自身が彼から何度となく言われた言葉だ。そうか、あの頃の私もきっとこんなふうに、自分の知らないところで知らない女に愚痴をこぼされていたんだろうな。
「それは大変な奥さんをもらっちゃったね」
なんて相槌を打つ気にはもちろん、まったくならなかった。 (つづく


2005年09月16日(金) ケンカはこりごり(後編)

前編中編からどうぞ。

もしあなたが私と会ったことがあるなら、私が自信に満ち満ちた顔で目的地と正反対の方向に歩いて行くのを目撃したことがあるかもしれない。
私はそのくらい方向感覚が欠如しているのだが、加えて、どの道も同じに見えてしまうという難儀な目の持ち主である。
電車は十分でテッシュに到着、駐車場を確認しに行った私はがっくりとうなだれた。現地に着いたら来た道を思い出してペンションに帰れるのではないか、とひそかに期待していたのに、宿の方角はおろか車の中から見た駐車場はここだという確信さえ持てないではないか。道路を眺めても、「そうそう、たしかにこの道通ったわ!」とはならなかった。
本当にこの駅で間違いないのだろうか。「巨大駐車場」があるのはテッシュだけという保証はどこにもない。もしかしたらツェルマットに隣接するどこの村にも用意されているのかもしれない……。
いや、しかし。仮にそうだとしても、それ以上手がかりを持たない私はどこへも行けないのだ。ペンションの最寄駅が「ここ」である可能性に賭けるしかない。

気を取り直して駅に戻る。スイスの主要な観光地には宿を探す旅行者のためのホテルの案内板が置かれている。まずそれを探そう。
どういうものかというと、ラブホテルのフロントにある部屋案内のパネルを思い浮かべていただきたい。ああいう感じで、近辺にあるホテルやペンションの外観の写真がずらっと並んでおり、一泊の料金、部屋の設備、空室の有無などが一目でわかるようになっている。
パネルのボタンを押せば選んだホテルの位置が地図に表示され、備え付けの受話器を上げてダイヤルすればそのホテルに電話がつながる。宿探しをするときに大変重宝するものなのだ。

テッシュはとくに見るべきものもない田舎の村だが、車で旅をしている人を当て込んだホテルやペンションがたくさんあり、案内板が設置されていた。
「助かったあ……」
なんせペンションの名がわからないのだ、もしこれがなかったらゲームオーバーになるところだった。
よおーし、宿の外観はかろうじて覚えている。それを頼りになんとしても見つけだしてやる。
「えーと、四階建てくらいで壁は白、バルコニーにはゼラニウムがすごくきれいに咲いてて、いかにもスイスって感じだったよな」
見覚えのある建物をパネルの中からピックアップしようとして……ガーーン!
そこに並んでいる写真の半分くらいが、同じ建物を角度を変えて撮ったんじゃないの!?と言いたくなるほどそっくりだったのである。つまり、“いかにもスイス”な見た目のホテルだらけだったのだ。なんてこった……。
「こうなったら片っ端から電話をかけて、夫の名前で予約が入っているところを探しだすしかない!」
案内板についている予約専用の受話器を引っ掴む。
……あ、あれ?呼び出し音もなにもしないぞ?
電話機が故障していた。


このあと、私は数時間歩き回ってやっとこさペンションを探し当てる。とっぷりと日は暮れ、駐車場にマイ・レンタカーを見つけたときは疲労と安堵でその場にへなへなと座り込んでしまった。
もしツェルマットに向かう車の中で駐車場の話を聞いていなかったら、あるいはテッシュの駅にホテルの案内板が置かれていなかったら、私はいったいどうなっていたのだろう。正真正銘、間一髪セーフだったんだな、と思う。
「あんな思いをするのは、もうこりごり!」
以来、旅先で夫婦ゲンカをすることはすっかりなくなった。

……と言いたいところであるが、物事はそう単純ではない。
しかし、駅からひとりで帰れるという自信がつくまではカチンとくることがあっても「道を覚えてから、覚えてから」と呪文のように唱え、ぐっと堪えるようになった。いざというときのために、ホテルにチェックインしたらイの一番にパンフレットの類いをもらい、ガイドブックにはさみこむ癖もついた。
ここをお読みのみなさんはもちろんそんな心配はないと思うけれど、旅先でケンカなんてするもんじゃないですよ、ほんと。


2005年09月14日(水) ケンカはこりごり(中編)

※ 前編はこちら

「落ちつこう、なにか方法はあるはずだ」
とりあえずキオスクでアイスクリームを買う。駅前のベンチに腰掛けて、頭の中にフローチャートを作った。

「私はペンションに帰りたい」

「でも最寄駅がわからない」

「じゃあ観光案内所で調べてもらおう」

「ペンションの名前もわからないのに、どうやって?」

「………。」

「私はペンションに帰れない」


頭を冷やしたらなんとかなるかも……と思ったのに、食べ終えるまでのあいだに名案はただのひとつも浮かばなかった。
アイスの棒を見つめながら、私は「ピンチ」という言葉をひさしぶりに思い出した。

しかしながら、置かれている状況のわりには焦燥感や悲壮感は薄かった。というのは、この期に及んで私は「人間、本当にしゃれにならない失敗なんてするもんか?いや、せんだろう」と呑気なことを考えていたのだ。
以前、空港のチェックインカウンターの前で、電車の中にパスポートと航空チケットの入ったバッグを忘れてきたことに気づいたことがある。「旅行がおじゃんになるかもしれない」と顔面蒼白で駅に戻ったところ、「もしかしてこれですか?」と駅員さん。折り返し運転になる前に誰かが気づいて駅長室に届けてくれていたのだ。
これまでに遭遇したピンチはすべて、そんなふうに間一髪のところで切り抜けてこられた。絶体絶命だと思っても、いつも絶妙のタイミングで「運」という名の救いの手が差し伸べられ、本当にどうにもならなかったことは一度もない。だから今回も「いやあ、一時はどうなることかと思ったよ、ハハハハ」ということになるはずだ、という妙な自信があったのだ。
たとえば、ここでこうしているうちに後ろから肩を叩かれ、
「小町さん、探したんだよっ、ほんとに山下りてっちゃうなんて!とにかく無事でよかった、ごめんよ、僕がなにもかも悪かったんだ。さあ、一緒に帰ろう」
なんていう展開になるのではないか……とか。

しかし、バーンホーフ通りを行き交う馬車を十台数えても、私の肩がノックされる気配はなかった。今度ばかりはそうはいかないのかもしれない。
「いまここに現れたら、許してあげようと思ったのに……」
私はいよいよ途方に暮れる準備をはじめた。


まず、最寄駅に目星をつけよう。
ペンションからツェルマットまで、宿の車に乗っていたのは二十分くらい。ということは、電車で数駅というところだろう。自分に問い掛ける。
「道中に観光名所的な建物かなにかなかった?」
「見てないねえ。ぽつぽつペンションがあったくらいで、あとは山と緑だったもん」
「そんなあ。それじゃあ今日は野宿になっちゃうよお」
「あ、でもそういえば……」
ペンションを出てしばらく走った頃に、右手にものすごく大きな駐車場を見たっけ。なんでこんな田舎の村に?と思ったら、運転手さんが「ツェルマットはガソリン車は入れないから、みんなこの駐車場に車を置いて、ここから電車で行くんですよ」と言ったのだ。

……あ!
そうか、あの駐車場の近くに駅があるのか。ということは、駐車場の場所がわかればペンションにだいぶ近づけるということではないか。
「あれだけ大きな駐車場だったら、地図に載ってるかもしれないっ」
急いでガイドブックを開く。そうしたら、「車で行く場合はテッシュの駅前にある巨大駐車場に車を停めて、電車に乗り換えよう」という一文が目に飛び込んできた。
路線図によると、テッシュはツェルマットの一駅隣りだ。車に乗っていた時間、「巨大駐車場」という表現から推測して、ペンションの最寄駅はきっとここに違いない。

いつまでも日は高くない。窓口で切符を買うと、私は消防車のように真っ赤な電車に飛び乗った。 (つづく


2005年09月12日(月) ケンカはこりごり(前編)

友人に台湾に行かないかと誘われた。
台湾は好きだし、「鼎泰豐」の小籠包にも惹かれないではないけれど、正月とゴールデンウィークに行っている。さすがに年に三回もはなあ。……と思い、だんなさんと行ってきたら?と言ったら、「彼は食べるほうに興味ないから」と返ってきた。
たしかに台湾や香港、韓国といった国には食いしん坊と行ったほうがぜったい楽しい。納得したら、彼女がこうつづけた。
「それに、だんなとは行きたないねん」
海外に行くと、どういうわけか必ずケンカをしてしまうからだという。気が進まないのは夫も同じと見え、ここ数年は行きたい場所ができると彼女は友人と、彼はひとりで出かけているのだそうだ。
そういえば林真理子さんのエッセイにも、同じ理由で「夫とは海外旅行に行かないと決めている」とあったなあと思い出す。夫や妻とは海外旅行をしたくないと思っている人は世の中にそれほどめずらしくないのかもしれない。

……とまるで他人事のように書いてみたけれど。
実はうちもそうなのだ。海外に行くと決まって、しかもかなりヘビーなケンカをしでかす。そのため、単独行動の日が一日や二日は必ずできてしまうのだ。
それでも、そのくらいで治まればどうということもないのだが、たまに収拾がつかないことがある。三年前のオーストラリアでは最終目的地のパースで派手にやり、私と夫の帰宅は一日ずれた。こうなると旅の思い出を丸ごと台無しにしかねないので、さすがにここまでの事態は避けねばならない。
しかし情けないことに、数ある旅先での夫婦ゲンカの中にはこれのさらに上を行くものがある。
私の中で“ワーストワン”の座に燦然と輝くのは、昨夏スイスでやらかしたものだ。あのときのことを思い出すと、いまでも顔に縦線が入る……。

* * * * *

マッターホルンの登山口となるツェルマットという村は環境保護のため、排気ガスを出すガソリン車の乗り入れが禁止されている。例によってレンタカーの旅だったので、私たちは途中で見つけたペンションに泊まることにし、そこの従業員に宿の車で村の手前まで送ってもらった。
そこから登山鉄道に乗り、四十分かけて終点のゴルナーグラート駅へ。ヨーロッパで二番目に高いところにある鉄道駅で、眼前にはマッターホルンがそびえ立ち、波の形まではっきり見える長大な氷河が広がっている。それはもう言葉を失うほどの絶景で、私たちは長いことそれを眺めた。

さあ、そろそろ下山しようかというときにそれは起きた。
みっともないにも程があるので原因についてはご勘弁いただくが、まあ、本当にしょうもないことである。しかし、標高三千八十九メートルの山の上で「勝手にしろ!」「勝手にするわよ!」という展開になり、夫は駅に向かってスタスタ歩きだした。
で、私はどうしたか。
憤然と彼とは逆方向に、つまり「一緒になんか帰るもんか」と歩いて山を下りはじめたのである。

といっても、まるで道のないところを草をかき分けて下山しようとしたわけではない。いくら頭に血がのぼっていたからといって、そこまで無謀なことはしない。
のぼってくるとき途中にいくつか駅があり、そのホームに下りの電車を待つ人がいたことを思い出したのである。ということはそこまでの道があるはずだ。そして、眼下にはそこに向かっているらしき人の姿がちらほら見えた。
三千メートルの山の上にひとりぼっち、クレジットカードはあるけどフランはほとんど持っていず、英語も心許ない……とくれば、心細くないはずはない。が、それも“一時休戦”にできない意地っ張りな自分のせいなのだから、しかたがない。
そう開き直り、マッターホルンと高山植物を眺めながらてくてく歩いていたら無事に途中駅に到着、麓まで戻ることができた。

が、順調だったのもここまで。
ツェルマットの駅で、私は大変なことに気づいてしまった。さあ、帰るかと電車の切符を買おうとして愕然とした。
「どこまで買ったらええのん……?」
ペンションは、ツェルマットに向かってレンタカーを走らせている途中で見つけ、ここでいいんじゃない?と適当に決めたところだった。一刻も早く出かけたかった私たちはチェックインだけ済ませると部屋にも寄らず、宿の車で村の近くまで送ってもらった。
その車の中で、私は“いかにもスイス”な風景に見惚れていたため、最寄り駅の名も場所も確認しなかったのである。電車で帰ろうにも、いったいどこで降りればいいのかわからない。
しかもヘマはこれだけではなかった。なんと、私はペンションの名も覚えていなかったのである。これでは宿の最寄駅を調べることも人に訊くこともできないではないか! (つづく


2005年09月09日(金) 妻の友人との付き合いは面倒ですか?

友人のリクエストで出かけたしゃぶしゃぶの店で、「今度は小町ちゃんチですき焼きしようよ」と彼女が言った。
友人はひとり暮らしのため、鍋物を食べるチャンスが少ない。以前、旅先でお土産に買ってくれたきりたんぽをわざわざ自宅まで届けてくれたのは、彼女が人一倍親切だから・・・ではなくて、「そのかわり、きりたんぽ鍋をごちそうしてね」ということ。まったくちゃっかりしている。そんな彼女が私は好きである。

「ええよ、じゃあ豆腐と野菜用意して待ってるわ」
「・・・肉は?」
「えっ、まさかあなた、手ぶらで来るつもり?」

なんて冗談でひとしきり盛りあがったあと、彼女が「結婚してる子の家って行きにくいもんやけど、小町ちゃんとこは気兼ねせんでええからええわ」と言った。
うちには子どもがおらんからね、と返すと、「いや、子どもがいてもいなくても、行きやすいところは行きやすいし、行きにくいところは行きにくい」と彼女。新居に招いてほしいなあと思っている新婚の友人がいるのだが、なんだかんだと断られつづけているらしい。

「その子、家に人を呼ぶのがあんまり好きやないんやない?」
「そんなことはない。学生時代はよく彼女のアパート行ってたもん。たぶん、だんなさんがそういうのを嫌がる人なんやと思うねん。披露宴のときも新婦の友人席には寄りつかんかったし・・・」

「子どもの有無より夫がどういう人であるかが、訪問しやすさしにくさを決める」という彼女の言葉には頷ける。たしかに、妻の友人との付き合いを苦手とする男性はときどきいるようだ。
数年前、週末に同僚の女性のマンションに何人かで遊びに行ったときのこと。何時間も話し込み、そろそろおいとましようかと腰を浮かしたら、玄関のドアがバタンと音を立てた。
てっきり彼女の夫が帰ってきたのだと思ったら、「タバコかなんか買いに行ったみたい」と同僚が言ったものだからびっくり。私たちがリビングで話をしている間、彼はずっと別の部屋でテレビを見ていたらしい。
帰り道、みなで、
「家にいるなら、ふつう顔くらい見せない?」
「『いらっしゃい。どうぞごゆっくり』くらいは言うよね」
と言い合ったものだ。苦手なんだか面倒なんだか知らないけれど、こういう場面で顔を合わせないですませようとする男性は仕事や人生でなにか厄介なことが起こったときも同じやり方で、つまりそれとまともに向き合わずにやりすごそうとするのではないか・・・。そんなことまでつい考えてしまう。
そして、こういう夫を持つ女性の家にはやはり「だんなさんに悪いから行くのはもうよそう」ということになる。

ではわが家はと言うと、私は「土日は夫がいるから」という理由で友人の訪問を断ったことがない。
夫は妻の友人歓迎の人だ。親戚や親の友人など人の出入りの多い家に育ったためか、知らない人と会ったり場を共有したりすることを苦にしない。妻の友人が来るからといって用事を作って出かけたり別室にこもったりせず、一緒にテーブルに着いて話に混じり、楽しそうにしている。夫がこういう人であるのは、妻としては大変ありがたい。
新聞の人生相談欄で「定年退職した夫がずっと家にいるので、友だちを呼ぶこともできない」なんていうのを見かけることがあるが、とりあえずこういう不満は持たずにすみそうだ。


ところで、彼女は来週、A子さんという友人とその夫とで旅行に行くらしいのだが、少々驚いたのは三人が旅館でひとつの部屋に泊まると聞いたからだ。
男性がそれをかまわないとするのは理解できる。また、私の友人が「ふたりさえいいのなら」と同室をオッケーするのもまあ理解できる。旅館でひとりだけ別の部屋というのはかなりわびしい。
しかし、A子さんの心情は量りかねた。自分の友人とはいえ、夫がほかの女性の寝姿を目にすることに対して「ちょっとヤだな」という気持ちはまったくないのかなあ?と思ったのだ。

いろいろな友人と旅行をしてきたが、隣りでものすごくアクロバティックな態勢で寝ているのを見てぎょっとしたことは一度や二度ではない。寝相はそこまでひどくなかったとしても、浴衣は例外なくはだけまくって悲惨なことになっている。そういう生々しい姿を夫の目に入れるのは、私はかなり嫌である。
世の奥さんはどうなんだろう。「だって私の友だちだし」ということで、べつに気にならないのだろうか。

ちなみに、私が友人の立場だったら、よそのだんなさんと同じ部屋に泊まるのは遠慮したい。
すっぴんや寝起きの顔を見られるのはものすごく恥ずかしいし、寝るときもいくら「A子さん」を真ん中にしての川の字だといっても落ちつかない。宿泊先には旅館ではなくホテルを選び、一日たっぷり遊んだあとは「じゃあおやすみなさーい」とあいさつして、隣りの部屋に引きあげたい。
私って水くさいのかしら。


2005年09月07日(水) あなたに壊れてほしくない

A子から映画のお誘いの電話があったのは当日の朝。すでにチケットも買っているのに一緒に行く予定にしていた相手にドタキャンされてしまい、困っているのだという。
「でも私、映画はあんまり・・・。ちなみになんの映画?」
「『容疑者 室井慎次』」

うん、やっぱり断ろう、と思ったそのとき。約束をキャンセルしてきたのはB子やねん、と彼女。B子というのは私とA子の共通の友人である。
「その件で、ちょっと聞いてほしい話もあるんよ」
ふうむ、そういうことならこれも友人孝行か。

* * * * *

喫茶店で注文を終えるなり、A子が携帯を突き出した。B子から昨夜遅くに届いたメールだという。そこには「用事があったのを忘れていたので、明日は行けなくなりました」という電報並みに飾り気のない一文があった。
「ちょっと感じ悪くない?」
温厚なA子がむっとした表情で言う。ドタキャン自体はしかたがないと思うことができる。そりゃあガッカリだし気分だってよくないけれど、人間うっかりすることもあるだろう。しかし、その場合は「ごめん」の一言があってしかるべきではないか。

・・・と彼女はカチンときたのだけれど、感情を露わにするのもおとなげないと思い、もうチケットを買ってしまったのに、とだけB子に伝えた。
すると、返ってきたのは「それならチケット代は払います」というメール。これにも「ごめん」は見当たらなかった。
そこでA子はいよいよ腹を立て、「そういう問題じゃないんじゃない」と書き送ったところ、ようやくB子は自分の落度に気づいたらしい。不愉快な思いをさせて申し訳なかった、とメールが届き、機嫌を直したA子が「もういいよ、近いうちにまた会いましょう」と返して、この件は終わったそうだ。
しかし、A子はわだかまりとは別の、すっきりしない気持ちを引きずっていたらしい。再び私に携帯を渡し、「それ、読んでみて」と言った。

B子の話は以前書いたことがある。彼女はこの春転勤になり、地方でひとり暮らしをしているのであるが、慣れない土地での生活と仕事のストレスから数ヶ月でうつ病になってしまったのだ(詳細はこちら)。そして半年経ついまも、彼女は毎週末片道四時間かけて実家に帰ってきている。
メールには、病気のせいにはしたくないけどミスが増え、上司に怒られてばかりで仕事に行くのが怖い、大阪に帰りたい、不愉快な思いをさせてしまってA子には合わせる顔がない、自分は最低の人間だ------といったことが切々と書かれていた。
私の「あれから少しもよくなっていないのだろうか・・・」は杞憂ではなさそうだ。

三年前、私とA子が中国に旅行に行くとき、B子は関空まで見送りに来てくれた。そのとき、中国が好きで学生時代から何度もひとりでかの国を訪ねている彼女は餞別だと言って、私たちにトイレットペーパーを一ロールずつ持たせた。
なんの冗談かと思ったら、あちらのトイレには紙がないし、食堂などのテーブルもすさまじく汚いからポケットティッシュなんかじゃ追いつかない、重宝するから持って行け、と言う。
ちょっぴり感動した私が「わざわざ家から持ってきてくれたん?」と訊いたら、「なわけない。そこのトイレから失敬してきた」とすまして言ったっけ。
あの活発で明るい彼女がこんな文章を書くなんて・・・。悲鳴が聞こえるような気がして涙が出そうになった。


少し前までうつ病啓発活動のテレビCFを流していた製薬会社グラクソ・スミスクラインのサイトには、周囲の人に向けての「『今夜の夕食は何にする?』レベルの小さなことであっても、本人に考えや決断を求めることは避けてください」という注意書きがある。
そのくらい心を休ませることが大切ということなのに、いくら病院に通っているからといって、ミスに怯え、上司にびくびくする生活をしながらでよくなるものなのだろうか・・・。
私は彼女に壊れてほしくない。でも、彼女においそれと仕事を手放せない事情があることも理解している。
前方にしか道がなかったら、それがどんなに険しかろうと人は進むしかない。そのとき、周囲の人間は彼を、彼女をどう支えたらいいのだろう。

「今度、うちで集まろうよ。ちょっと早いけど、三人で鍋でもどう」
実際のところ、こんなことがなんの役に立つというだろう。だけど私にできるのは、その“こんなこと”しかなくて。


2005年09月05日(月) 私の知らないところで。

この十年間で私が読んだ小説はたったの四冊。が、それと同じくらい親しむ機会がないのが「映画館で映画を見ること」である。
テレビでちょっと面白そうな作品の予告を見かけても、「ま、レンタルでええか」「そのうち日曜洋画劇場でやるやろ」とあっという間に納得する。映画に関して“グルメ”でない私は生で見る迫力より、ソファにごろんと横になったり途中でトイレに行ったりできる気楽さのほうを選んでしまうのだ。
加えて、どうせ誰かと会うのであれば二時間黙ってスクリーンを眺めているより、おしゃべりをしていたいなあというちょっとケチな気持ちもある。

そんな私が先週の土曜、友人A子に誘われて映画を見に行ってきた。
「いつもは断るくせにどういう風の吹き回し?」については後ほど説明するとして、いやあ、びっくり。いったいいつの間に映画館はあんなに様変わりしていたんだ!
上映まで喫茶店で時間つぶしをしたのであるが、開場時刻の三十分前になってもA子はコーヒーを飲み終えない。
「そろそろ行かんと入れんくなるで。たぶんむっちゃ並んでるし」
とせかしたら、
「だからもうチケット買ってるって言うたやん」
とA子。
「チケットがあったって、定員オーバーになったら次の回まで待たなあかんやん」
すると、彼女は心底驚いた顔で言った。
「・・・もしかして知らんの?いま映画館って全席指定やん!」

「シネコン」という言葉は知っていたが、具体的にどういう映画館なのかは知らなかった。行ってみると、チケットカウンターがずらりと並び(以前はせいぜいふたつだった)、ファーストフード店まで入っている。広々としたフロアにはなんと七つもスクリーンがあり、いくつもの作品が同じ時間帯に上映されているという。
席に着いたら着いたで、シートはゆったりしているわ、ドリンクホルダーはついているわ、傘立てまであるわ、ですっかり感心してしまった私。友人曰く、私の記憶にあるような映画館は梅田にはもう残っていないらしい。

思わず「浦島太郎の気持ちがわかったわ・・・」とつぶやいたら、一番最近映画館で見た映画は?と彼女。
「『ターミネーター』やったかなあ・・・。いや違う、そのあと『タイタニック』見たわ」と答えたら、呆れのまなざしが憐れみのそれに変わった。

* * * * *

長いこと、コンビニのサンドイッチなんて食べられたものではない、と思っていた。
しかし最近、会社の昼休みにおにぎりが売り切れていたためやむなく買って食べてみたところ、なかなかどうして悪くない。冷蔵しているわりにはパンはふっくらしているし、玉子やトマトがボリュームたっぷりにはさまれている。何年もの間私がイメージしてきたパサパサでぺったんこで妙な調味料の味がするサンドイッチではなかった。
どうしてこれだけおいしくなったのだろうと思ったら、以前は商品の入荷は一日一便だったが、現在はできるだけ作りたてのものを提供するために何便かに分けて行われているのだそう。

最後に接したときの印象で私が敬遠している物事の中には、私の知らないうちに、知らないところですっかり進化していて、世の人はとうにそれに気づいて恩恵を受けているのに、私だけがそれを見直す機会を持たぬまま今日に至っているという事柄がきっとまだまだあるに違いない。
これは「人」についても言えそうだ。「いけ好かない奴だ」と近づかないようにしている人とも、時間の経過とともに互いが少しずつ大人になっていたなら、いまなら案外うまくやれるかもしれない。


どうして私が突然映画を見に行くことになったか、本題はそこからなのだけれど、長くなったのでつづきは次回


2005年09月02日(金) 旅館の仲居さんに心付けを渡しますか

ドイツの土産を渡そうと友人に会ったら、彼女もお盆に旅行に行っていたという。
付き合いはじめて半年になる彼と箱根に二泊してきたらしい。ふだん忙しくしているふたりなので外出は近くの土産物屋をひやかすくらいにして、部屋でのんびり過ごしたのだそう。

……ちょっ、ちょっと待ったあーー!!
「なんだ、前回と同じ文章じゃん」と戻るボタンを押そうとしているあなた、早まらないでっ。ちゃんと更新されてますってばー。
ではどうして文章を使い回しているかというと。
前回、本当はまったく別の話を書く予定だった。が、冒頭の三行のあとに「なにを隠そう、私は過去に恋人と温泉に行ったことがない」と続けたばかりに話が脱線、ああいう展開になってしまったのである。
そんなわけで、今日は四行目まで戻って軌道修正して書かせていただきます。

* * * * *

さて、その旅館で驚いたというか残念なことがあった、と彼女。
部屋に案内してくれた年配の仲居さんに心付けを渡したのだが、その女性の顔を見たのはそのときだけ。食事を運んだり布団を敷いたりと面倒をみてくれたのは別の仲居さんだったという。その人からは「さきほどはお気持ちをいただいたそうで……」といった言葉はなかったそうだ。

「部屋に案内しただけで担当でもないのに、黙って受け取るなんてありー?」
と彼女が憤慨するのも無理はない。
海外のホテルやレストランで支払うチップがサービスへの謝礼であるのに対し、心付けは「これからお世話になりますのでよろしく」という挨拶だ。ささやかとはいえなんらかの見返りを期待してするものだから、宿に着いたら早めに、それも部屋付きの仲居さんに渡さなければ意味がない。
だからもし友人が言うように、ぽち袋の中身が彼女たちを部屋に案内しただけの仲居さんの懐のみを温めたのだとしたら、客を馬鹿にしているなあと思わざるをえない。

ところでこの“心付け”、あなたはどうしておられるだろうか。
先の友人は「いつもはしないけど、今回は彼と一緒だったからちょっといい格好してしまった」そうだが、私はこれまで渡したことがない。
というのは、なんとなく卑屈な気分になってしまうのが嫌だから。
後払いのチップと違い、心付けには「お世話になります」の気持ち以外にも、「よく計らってもらおう」という下心がどうしてもこもる。もちろん、それはまずいことでもなんでもない。ただ、最近読んだ林真理子さんのエッセイに仲居さんに心付けを渡すべき理由として、「料理の運び方、ためになる情報もみんな彼女の胸先三寸。きちんと挨拶してし過ぎることはない」とあったのだが、それこそが私に“卑屈”を感じさせる部分なのだ。

予想外のちょっとした幸運に出会うたび、「これって特別?うちらだけ?」が頭をよぎるのはちょっとさみしい。散策に出掛けるときにおにぎりを持たせてくれたり、夜食に果物の差し入れがあったり、仲居さんの愛想がよかったりすることを「心付けの効果かも・・・」とはちらっとでも考えたくはない。
私は客として、サービス料込みの宿泊料金をきちんと支払う。その中で期待できるサービスを受けられれば十分。もし思いがけずなにかありがたいサービスを受けることがあったなら、そのときは「ありがとうございました」と帰り際に渡せばいい。

……というふうに私は考えているのだけれど友人もそうだとは限らないから、いつも「どうする?」と尋ねる。しかし、「そうだね、いくらか包もうか」と返ってきたことはいまのところない。


もっとも、こう毅然としていられるのは旅行レベルの話だから、なのであるが。
先日、新聞の投稿欄で「父が入院したとき横柄だった主治医は母が謝礼金を渡したとたん、えびす顔になりました」という四十代の主婦の文章を読んだ。
私も法事の席で、親戚が「付け届けしたらコロッと態度変わってね、あれにはびっくりしたわ。やっぱりしとかんと怖いよ」と話しているのを聞いたことがある。
心付けのあるなしで患者への接し方を変えるような医師は医療従事者として失格だ、なんてことはわかっているが、実際にそういう医師が存在するのが現実らしい。

友人は出産のとき、担当医に心付けを渡したそうだ。病院のパンフレットには「一切受け取りません」とあったが、気持ちだけは見せておこうと思い、差し出したところ、あっさり受け取ったという。
もちろん、ここできっぱり断るモラルある医師もたくさんいるとは思うが、こういう話をちょくちょく見聞きするということは本音と建前を別にする医師もそうめずらしくはないということだろう。

同じ「どうか手を抜かず、くれぐれもよろしくお願いします」の気持ちを込めた心付けでも、旅館の仲居さんや結婚披露宴の介添えさんに渡すそれと医師に渡すそれとでは切実さが違う。
する、しないで治療や手術の内容に差をつけられるなんてことはまさかないだろう。……とは思っていても、それを受け取る医師がいる限り、患者やその家族には心付けが“打てる手”のように見えてしまうに違いない。これは非常に酷なことだと私は思う。それをしない、あるいはしたくてもできない人たちが不安を抱くのも無理はない。
「入院、手術費用の他に心付けまで必要となれば、負担が大きすぎる。医療のあるべき姿を訴え、渡さないように言ったが、手術前で弱気になっている母は『理想と現実は違う』と言い、渡そうとした」(女性・四十五歳)
なんていう投稿を読むと、胸が詰まる。