2004年05月31日(月) |
人の好みは千差万別だからこそ |
「ちょっと聞いてよ、さっき駅でさあ」
職場の同僚が出勤したばかりの私をつかまえ、憤慨した様子で言う。
階段をのぼりながらふと顔をあげ、あっと声をあげた。前を行く若い女の子のジーンズのお尻の部分に十センチほど横に切れ目が入っており、肌がのぞいているではないか。
当の本人はまるで気づいていない模様。これは大変!と思った同僚は階段をのぼりきったところで女の子に近づき、「あの、ズボンが破れてます」とささやいた。
が、一瞬焦った素振りを見せた女の子にその箇所を教えたとたん、彼女は気色ばんだ。
「これは破れてるんじゃありません!」
同僚が「痴漢にでも切られたのだろうか」と思ったその穴は、なんとファッションだったのだ。
「信じられない、あれがおしゃれやなんて。だって、お尻の下のところがぱっくり裂けてたんやで!中身が丸見えやったんやで!」
親切心でしたことで思いがけず怒鳴られ、ぷりぷりしている彼女の話を聞きながら、私は数日前に新聞で見かけた投稿川柳を思い出した。高校生の男の子の作品だ。
「バアチャンが Gパンの穴 縫うてもた」
思わず口にしたら、彼女のご機嫌をさらに斜めに傾けてしまった。
人の趣味にケチをつける気はないけれど、ときどき自分には理解できないものを好む人がいて、驚かされることはたしかにある。
先日、夫の上司宅に招かれたときのことだ。キッチンで料理の盛り付けを手伝っていると、奥さんにフリーザーの中の里芋を取って、と言われた。
扉を開けたら、ポケットの白いビニールに包まれたなにかが目に入った。袋の上からなぞってみると、丸くてコロコロとした感触。里芋にしては少し大きいなと思ったものの、まあこれだろうとテーブルに置くと、「あら、それじゃないわ」と奥さん。
「それは、マウスよ」
きょとんとしていると、にっこり笑って「あの子のごはん」と言う。奥さんが指差す方向には大きな水槽。といっても、水は入っていない。底面に新聞紙が敷かれており、温度計がついている。おそるおそるのぞき込むと、伏せた植木鉢の中にいたのはとぐろを巻いたヘビであった。
そう、私がさきほど袋の上から触ったのは、これの餌になる冷凍ハツカネズミだったのである。私は手にしたそれを空中に放り出したい衝動を必死に抑え、あわててフリーザーに戻した。
「あ、あの、餌やるときって、やっぱ解凍するんですか」
「そうよ、電子レンジか湯煎で。人肌くらいに温めてやってね。でも湯煎は上手にやらないと、おなかが破裂して内臓が出てきちゃうのよね」
奥さんはそんなショッキングなことを、「コロッケってうまく揚げないとパンクするのよね」とまるで同じ調子で言った。私はとっさに「マウス解凍用の電子レンジ」を求めてキッチン内に視線を走らせたが、見つけることはできなかった。
生きているネズミであれば、私は怖くも気持ち悪くもない。百貨店の食品フロアで働いていた頃は、丸々と肥えたウサギ大のドブネズミがドタバタ走り回る中で閉店後のレジ閉めをやったものだし、毎朝、前夜に仕掛けておいたネズミ捕りにかかったそれをゴミ捨て場に持って行くのは、私たち新入社員の仕事であった。
しかしさすがの私も、カチンコチンになったネズミがふつうの食品と隣り合わせでフリーザーにしまわれているだとか、レンジで解凍されるだとかいう話を聞けば、ぎゃーと叫びたくなる。
「すっごくかわいいの。出してみる?」
「め、滅相もない!」
そ、そうか、これが「かわいい」のか。これを首に巻きつけたり、袖口から服の中に入れたりして遊ぶのか。ぜったい変わってる……。
と心の中でつぶやきかけて、いやいや、そんなことを言ってはいけない、と首を振る。人のセンスや好みが千差万別だからこそ、私みたいなのにもたまには好きだと言ってくれる人が現れて、幸福な青春を送ることができたんじゃあないか。
いや、もちろん、私はここまでキワモノではないつもりだけれども(彼らの名誉のためにもそう思いたい)。
【あとがき】 百貨店の食品フロアのネズミは本当にすごいです。お客さんがひけるとすぐに電気が消されるので、私たちは薄暗い中で閉店作業をするのですが、そうするとネズミが「ちゅるっちゅー!」と頭上やショーケースの上を躍りだすのですね。しかも彼らはイイもん食べてるので、むちゃむちゃでかくて、本当にウサギサイズなのですよ。で、それが朝になるとネズミ捕り(ゴキブリホイホイのお化けみたいなやつね)にかかっている。それを毎朝ジャンケンに負けた人間が、ゴミ袋に入れて捨てに行くわけです。重くてガサガサガサと音のするそれを。もう慣れちゃいました。
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