大阪・キタの曽根崎に露天神社(つゆてんじんじゃ)、通称「お初天神」という小さな神社がある。
地名を聞いてピンときた方もおられるかもしれない。そう、近松門左衛門の人形浄瑠璃『曽根崎心中』の舞台となったところだ。元禄十六年に天神の森で実際に起こった心中事件をもとに書かれたのである。
先日近くを通りかかったので、ぶらりと境内を歩いてきた。
堂島新地の遊女「お初」と醤油屋の手代「徳兵衛」は深く愛し合う仲だったが、徳兵衛に主人の妻の姪との縁談が持ち上がる。この話を断った徳兵衛は主人の逆鱗に触れ、大阪追放と徳兵衛の継母が主人から受け取っていた持参金の返却を求められる。 が、その金を友人の九平次に騙し取られ、窮地に立たされた徳兵衛は死を決意する。お初も愛する男と運命を共にすることを望み、ふたりは曽根崎の天神の森で抱え帯でからだをひとつに縛り、心中する。
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恋に殉じたお初と徳兵衛は「恋の手本」と謳われ、露天神社の境内には恋の成就を祈願する絵馬がたくさんかけられている。
しかしながら、私はどうしても腑に落ちなかった。どうしてここで恋の願掛けをする気になるのだろう。たしかに彼らの純愛には胸を打たれる。が、今生では結ばれなかったふたりなのである。かわいそうになあと思いこそすれ、彼らにあやかろうという気には私はならない。
世間からはとうてい認められることのない遊女と商人の恋。過酷な時代を生きた彼らに「生きてさえいればいいこともあったかもしれないのに」なんて言うつもりはない。「死ぬ気になればなんだってできたのでは」なんて言えるはずがない。ふたりにはそれしかなかったのだろう。
しかし、たとえそうであっても、死んでしまったらおしまいであることに違いはない。私は長いこと、「あの世に行かなきゃ結ばれないなんて縁起でもない」とさえ思っていたのである。
しかし、その思いはいつしか私の中で変化していた。心中、それはふたりが選び取ることができた中でもっとも幸福な「生き方」だったのだろうと思うようになっていたのだ。
主人に返す金を失い、「男の一分(体面)が立たなくなった」と死の意思を伝える徳兵衛に「わしも一緒に死ぬるぞや」と答えたとき、お初は決して不幸ではなかったはずだ。「苦界」と言われる遊女の世界。借金に追われ、病に冒され、若くして亡くなる者も多い。愛する人に「われとそなたは女夫(めおと)星。かならず添うとすがりより」と言ってもらい、来世で結ばれることを夢見ながら死ぬことができるとしたら、つらく苦しい日々を生きるよりどれほど幸せだろう。
愛する男との永遠の愛を手に入れられるのである。これ以上望むことが彼女にあっただろうか。
永遠の愛。それを確実に手に入れるには「死」に頼るしかないのかもしれないなあ。そんなふうに考えるようになったのはいつ頃からだったろう。
生きるとは、変化しつづけるということ。人は誰も同じ位置に留まっていることはできず、時の流れはすべてのものに老いを与える。恋心とて例外ではない。「不変」を可能にするのは、死だけなのだ。
互いへの思いが絶頂にあるときに、心中という手段で不滅の愛を手に入れる。もっとも美しく咲いた瞬間に摘み取り、水中花にした花のように。ガラスの中でそれは永遠に散ることも枯れることもない。
私たちは大きな幸せを感じたとき、「このまま時が止まればいいのに」と願うが、お初と徳兵衛はそれを実現してしまった。
誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞え。 取伝へ貴賤群集の回向の種。 未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。
『曾根崎心中』より
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しかし、それでもやっぱり私は生きて、この世で恋をしていたい。来世で恋の手本となるより、今生にしがみついて、思いのたとえ半分でも三分の一でも叶えたい。
私たちは江戸時代の遊女でも商家の手代でもない。自由な恋愛のできる時代に生まれ、国に生きている。それは、「いまいる場所」は己の意志で選び取ってきたものの結晶にほかならないということだ。気に入らなければ気持ちひとつでなんとでもできる中にあってなお「そこにいる」ということは、自分の選択に納得しているということなのだ。
ならば、たとえそれがどんなものであったとしても、私たちは自分の人生に落とし前をつけながら生きてゆく、それしかないではないか。
白無垢の死装束をまとったふたりが歩いた梅田橋から天神の森までの道行は三百年後、大阪・キタでもっとも賑やかな場所となった。
お初二十一歳、徳兵衛二十五歳。会うことすらままならなかった彼らがいま、まばゆいばかりのネオンの中を楽しげに行き交う恋人たちを見たら、なにを思うのだろう。