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2003年12月31日(水) 私の「今年の漢字」

新聞やテレビのニュースですでにご存知の方も多いだろう、先日、今年の世相を表す漢字が発表された。
全国公募の結果、もっとも多く票が集まった漢字に決定するのであるが、私は毎年十二月十二日の「漢字の日」に清水寺で行われるこの行事をとても楽しみにしている。なるほどなあ、うまいなあと唸らずにいられない、「まさに!」な一字が選ばれるからだ。
応募こそしないものの、「どの漢字が選ばれるだろう」と予想はする。しかし当たったためしがないばかりか、いくら考えても「これぞ」というものが思い浮かばない年も少なくない。自分がいかにぽけーっと暮らしてきたかを思い知るのもこの時期のならいである。
見よ、どれも膝を打ちたくなるものばかりではないか。

1995「震」

・ 阪神淡路大震災やオウム真理教事件
・ 金融機関などの崩壊

1996「食」

・ O-157食中毒事件
・ 狂牛病の発生
・ 税金や福祉を「食いもの」にした汚職事件が多発

1997「倒」

・ 山一證券など大型倒産の続出
・ サッカー日本代表が並いる強豪を倒し、ワールドカップ初出場決定

1998「毒」

・ 和歌山のカレー毒物混入事件
・ ダイオキシンや環境ホルモンなどが社会問題化

1999「末」

・ 世紀末
・ 東海村の臨界事故や警察の不祥事など「世も末」な事件が続出
・ 「末広がり」を来年に期待

2000「金」

・ シドニーオリンピックとパラリンピックでの金メダル
・ 金大中氏と金正日氏の「金・金」首脳会談
・ 国民的アイドル「きんさん」のご逝去
・ 新500円硬貨と二千円札の発行

2001「戦」

・ 米国同時多発テロ事件
・ リストラ、失業、デフレ、狂牛病との戦い

2002「帰」

・ 北朝鮮に拉致された5人が24年ぶりに帰国
・ 昔の歌がリバイバルされ大ヒット
・ ワールドカップと残業減らしでサラリーマンはまっすぐ帰宅


そして今年二〇〇三年は、「虎」。
理由は言わずもがな、「長引く不況、暗い事件や出来事ばかりの中、『虎』に勇気と感動をもらった。経済効果ももたらされ、久々に日本中が活気づいた」年だったから。
「ダメ虎」が「猛虎」になったように日本も強く変わってほしい、という思いも込められている。

一年前の今日、私は自分の「今年の漢字」について考えていた。
悩む間もなく、ある文字が心に浮かんだ。それは三十の年の私を見事に言い当てた一字だったが、残念ながら、来年も同じ文字を目指そうと思えるようなものではなかった。そして、私はこう書いた。

実は「二〇〇三年の漢字」はもう決めてある。来年の末にどうだったか、この場所で発表したい。「イイ線いったよ」と報告できるようがんばるよ!


その漢字とは「実」。充実の「ジツ」、実を結ぶの「み」。
しかし結果は、そんな立派な一字を目標にしていただなんて口にするのも恥じ入ってしまうほど、その境地には遠く及ばなかった。どうにかしなくてはならないある事柄について、なんの進展も見ることができなかった。一年前と同じ位置にいるのだから、これはもう「後退」というべきなのかもしれない。
私の二〇〇三年の漢字は「問(モン・とう)」だ。
「こんなことでいいのか」「どうすればいいんだ」「ずっとこのままだったらどうなるんだろう」を自分に問いつづけた一年だった。「探」もちらっと浮かんだが、事態打開の策を「探した・模索した」というには努力も忍耐も足りなかった。充実とは対極の、無為な年にしてしまった。

とまあ、総合的には情けない評価を下さざるを得ない二〇〇三年であったが、幸せなことにひとつだけ、「実(みのる)」で表すことのできる分野がある。日記関連の事柄だ。
上半期はアンケートものを何本もやり(「土俵の女人禁制」「『女性専用車両』を考える」など。この手をやるとかなりエネルギーを消耗するのだ)、新しい視点を与えてくれる意見にたくさん出会った。下半期は精力的に「モニターの向こう側の人たち」に会い、新しいタイプの日記の友人------ネットを超えてのつきあいができそうな------を得た。
夏休みには旅先から絵ハガキを送らせてもらったし、メールでは今年お目にかかった数の十倍くらいの人と話すことができた。ここを読んでくださる方もいくらか増えた。感謝の気持ちでいっぱいだ。
来年も『われ思ふ ゆえに・・・』と小町をよろしくお願いします。
みなさま、どうぞよい年をお迎えください。

【あとがき】
こりないねと笑われるかもしれませんが、「二〇〇四年の漢字」はもう決めました。「実」はちょっと高望みすぎたかな。来年はなんとか進歩したい。いや、ぜったいしなくちゃ。それではみなさん、どうぞよいお年を!


2003年12月29日(月) 男はなぜかくも横着なのか

夫の会社の同僚ふたりが九州から焼酎を手土産にして遊びにきた。
来客は掃除だなんだとなにかと面倒くさいものであるが、うちの場合はたまのことであるし、私もそういうのが嫌いではない。朝からはりきって買い物に行き、肴になりそうなものを七、八品作った。
夕方、わが家に到着した彼らはすぐに飲みはじめた。私も席に着いて一緒に話をしたのだけれど、いろいろと発見があっておもしろかった。
独身でひとり暮らしのAさんはまめに自炊をするそうだが、食器を洗うのだけは面倒でしかたがないという。たとえばおでんやカレーを作ると大量にできてしまうため、つづけて何食も食べなければならないが、そんなときは食べ終えた皿を洗わないらしい。彼曰く、「次もどうせ同じものを食べるんだし」。
これには思わず「そういうとこは男の人だなあ」とつぶやいた……と言ったら、世の男性に叱られてしまうだろうか。しかし、料理下手や家事嫌いの友人はいくらでもいるが、女性の口からこういうことをしていると聞いたことはない。
そうかと思えば、ほんの数分席を外してダイニングに戻ってきたら、テーブルの上がやけにすっきりしている。ふとシンクを見ると、空になった食器が積まれていた。
そのていねいな皿の重ね方、水にまでつけてあったことからも夫の仕事でないことは明らかだったが、はたしてBさんであった。既婚の彼が夫に言う。
「おまえもたまには皿くらい洗えよ。それが嫌なら、食器洗浄機買ってあげるとかさ」
へええと驚く。彼の奥さんは専業主婦と聞いている。なのにBさん、家でお皿洗ったりするんですか?
「もちろん。俺ね、汚れた鍋とか皿はすぐに洗わないと気がすまないの。テーブルの上とか流しにほうっておくの、気持ち悪いんだよね」
聞き終えるや否や、私はスポンジを引っ掴んだ。
男の人が家の中でどんなふうに過ごしているのかには興味がある。先日、テレビで『北の国から』を見たのだけれど、純と正吉のふたり暮らしの風景は私の目に新鮮に映った。自炊をすれば皿に移さずフライパンからそのまま食べる。鍋敷きはもちろんそこいらにあった雑誌だ。服を脱ぎ散らかし、上半身裸で片膝を立ててたばこを吸い、歯を磨きながら部屋を歩き回る。
男だけの生活というのは、だいたいがこんなふうにがさつでだらしのないものなんだろうなと思ったら、ふと懐かしい気分になった。学生時代、男の友人の家に遊びに行くたびに彼らの横着さ、もとい合理主義を目の当たりにし、あきれるやら感心するやらしたことを思い出したのだ。
コーヒーを入れてくれるのはありがたいが、驚くべきはその作り方。彼はマグカップに水とインスタントコーヒーを入れ、電子レンジにかけたのだ。たしかにケトルで沸かした湯をカップに注ごうが、「水+粉末コーヒー」を温めようが出来あがりは同じといえば同じよね……と思おうとしてみたが、やはりあまりおいしくはなかった。先入観のせいだろうか。
きれい好きで通っている男の子の部屋を何人かでスナック菓子を持って訪ねたところ、一人一枚チラシを配られた。皿の代わりにそれで受けて食べるようにということだったのだが、うちのひとりはポロポロとよくこぼしたため、ついに「この上で食べろ」とゴミ箱を差し出されていた。
また、別の男の子は食べ終えたカップ麺を持ってトイレに入った。どうしたのかと思ったら、残った汁をトイレに流してきたというではないか。「シンクを汚さなくてすむだろ?」には驚愕。そうそう、いちいち皿を洗わなくてもよいようにとラップを敷いた上に料理を載せ、食べ終えたらラップごと捨てる、そしてまた敷く、を実践している友人もいたっけ。
よくまあ、こんなことを思いつくものだ。生活からできるだけ手間を排除しようとして生まれたアイデアには恐れ入る。

ひとり暮らしをしていた頃、つきあっていた人がティッシュペーパーの空き箱を分解し折りたたんでゴミ箱に捨てたのを見たときは感動した。母親がそうするのを見て育ったのだろうが、ああ、いいなあと思ったものだ。
先週末、義弟が泊まりがけで遊びにきた。翌朝目を覚ましたときには彼はすでに起きて新聞を読んでいたのだが、客間に敷いた布団はきれいに畳まれていた。
躾というほど大層でない部分がきちんとしている人ってすてきだ。
「寝食を共にする」という言葉があるけれど、誰かを知りたいと思えば「寝る(sleep)」と「食べる(eat)」を共有してみる、それがもっともてっとり早く、もっとも確実な方法である気がしている。
そして、その相手が異性だった場合。「寝る」にもうひとつの意味あいが加わるのは言うまでもない。

【あとがき】
私は人妻なのでよその男の人と「寝る」機会はないわけですが、こんなふうに一緒に食事をすると、いろんな男の人がいるもんだなあと思いますね。食べている横でカチャカチャと洗いものをされたら、手伝わなくて申し訳ないとかせわしない気分にさせてしまうだろうと思っていたのですが、Bさんには無用の気遣いだったみたい。彼は帰るとき、空になった缶やペットボトルを全部水ですすいでくれ、さらに私を驚かせたのでした。


2003年12月26日(金) 悪意の有無にかかわらず

作家の乃南アサさんが公共施設のトイレでしばしば出くわす「我が目を疑いたくなる光景」について書いているのを読んだ。
ある店で個室がひとつだけのトイレに入ろうと扉に手を伸ばしたら、ちょうど若い女性が出てきた。彼女に替わり中に入って驚いた。洗面台の中が泡だらけになっていたのだ。
席に戻りながら先客だった女性を目で探したところ、「いかにも清楚なお嬢さん」な彼女は隣の若い男性ににこやかにビールをついでいる。思わず「あの泡は全部私が洗い流したんだからね。誰が知らなくても、私が知ってるんだから」と心の中でつぶやいたという。
私は日本のトイレの清潔さ、美しさは世界に誇れるもののひとつだと思っているが、利用者のマナーの悪さゆえに閉口することはままある。洗面台に髪の毛が散乱していたり、トイレットペーパーが床をのたくっていたり、汚物がきちんと始末されていなかったりといった惨状は、多くの女性が目にしたことがあるだろう。
乃南さんはそれらに対し、「明らかに悪意を感じる。憂さ晴らしか、嫌がらせか、それとも悪戯のつもりか」とひどくご立腹。私はそこまでは思わないけれど、利用者のひとりとして不愉快に感じていることに変わりはない。
今朝もスポーツクラブのトイレでこんなことがあった。個室から出てきた女性が扉の外で待っていた私に気づき、そそくさと立ち去った。紙巻器の蓋を開けたら一片のトイレットペーパーがはらりと舞い落ち、その表情の訳を知った。
こういうとき、腹が立つより「なんなのだろう」という思いが先に立つ。ペーパーの予備は個室内の棚に置かれている。いまどきの紙巻器はワンタッチで交換できるようになっているから、ものの五秒で済む話である。にもかかわらず、そのままにして出てくる。
ロールの包み紙を剥がすのがそんなに面倒なのだろうか。わざわざペーパーを十センチ残してはさんでおくのは、「まだあと少し残っているから取り換えなくてもいいよね」という、後ろめたさをかき消すための自分への言い訳なのか。それとも、すぐ後にそこに入る人に対するものなのか。

街で目にするなにかを呼びかけるためのポスターや五・七・五調の標語に、「過保護だなあ、無意味だなあ」と思うことは少なくないが、トイレの壁に見つけるそれもまた例外ではない。
男性はご存知ないと思うが、婦人用のトイレには利用に関する「お願い」の文句がいろいろと存在する。たとえば「来たときよりも美しく」「いつもきれいに使ってくださってありがとうございます」といったフレーズであるが、それらの貼り紙の真下に使用済みの脂取り紙やペーパータオルが丸められて放置されているのを見ると、なんの意味もなしていないことがわかる。ちなみに私の職場のトイレには「トイレットペーパーを手拭きに使用しないでください」という救いようのない注意書きが存在する。
扉の外や列の後ろに控えている人に、「あの子はなにを考えているのだろう」と……いや、「なにも考えていないんだな」と思われるのは、私ははずかしい。シャワールームで湯音調節を「COLD」にしたまま出てくる人がときどきいる。うっかりしているとキャ!と叫ばなければならないわけだが、彼女のあたまには次に使う人のことなどまったくないに違いない。
悪気がないのはわかっていても、気のつかなさというのはけっこう傍迷惑なものである。

<追伸>
職場からここをご覧くださっている皆様へ。
今日でしばらくお別れになりますね。毎回長いテキストを読んでくださって本当にありがとう。
冬休みを満喫してください。そして(かなりフライングですが)、どうぞよい年をお迎えください。また一月五日にお会いしましょう。

【あとがき】
必ずといっていいほど貼ってある「トイレットペーパー以外のものは流さないでください」というあれ。そんなこと書かなくてもわかるだろう、いったいなにを流す人がいるというんだよ、と長いこと思っていたのですが、あれはポケットティッシュのことを指していたのですね。トイレットペーパーは水に溶けるからOKだけど、ちり紙は溶けないからやめてくれ、ということだったのだと気づいたのは恥ずかしながらかなり最近のことです。


2003年12月24日(水) クリスマスパーティー2003レポート(後編)

「ようやくメンバー全員が対面を果たした」で終わった前編から激しく話が飛ぶようだが、というか実際に飛ぶのであるが、まあ聞いていただきたい。
今年最後の日記関係のイベントを無事に終え、安堵と充実感に包まれて帰宅した私。寝る前にメールをチェックすると、数時間前に別れたばかりの江草さんからメッセージが届いていた。
「今日は人生最良の日でした。小町さんに出会えた幸せをしみじみ噛みしめています」
……とはまあ、どこにも書かれていなかったが、「お世話になりました。どうもありがとう」といった言葉がそこにあった。ああ見えて、とてもジェントルな方なのだ。
「お礼を言わなくてはならないのはこちらのほうです」
私は彼が住んでいそうな方角(わからないけど)に手を合わせ、心地よい眠りについた。
しかし、翌日。『江草乗の言いたい放題』を読んだ私は愕然とした。オフのあと、参加メンバーの日記を訪問するときは少なからず緊張するものだ。
「私のイメージを破壊するようなこと、書いてないでしょうねえ」
と思うからだが、江草さんはオフレポを書かない主義。なんの心づもりもなく読みに行ったところ……なんじゃこりゃ〜〜!
「喰って喰って喰いまくれ!」というタイトルのそれは「食べ放題」をテーマに書いたテキストであり、たしかにオフレポの体裁は取っていなかった。が、私が思わずジーパン刑事と化したのはこんな一節を見つけたからである。

しかし、世の中にはバイキングの極意をちっとも理解していない客も存在するのである。できるだけ店に損害を与えるためには、金額が高い割に量が少ない食材を集中的に喰わなければならないのだ。その極意を理解していないまるで店の回し者のような律儀な客が存在するのだ。
先日オレは食べ放題・飲み放題のオフ会に出席した。いちいち食い物を奪取しに行く必要のないテーブルオーダー形式(座ったまま注文したものがどんどん運ばれてくる)の快適な店だった。しかし、メンバーの中にいきなり山菜炒飯やちまき、肉まんといった腹がふくれるものを注文する人がいたのである。


「店の回し者のような客」「いきなり山菜炒飯」------思いきり私のことではないか!
実家では誰ひとりアルコールをたしなまなかった。そのため、私は大学生になって家を出るまで飲み方についてはまったくの無知で、初めて部屋に遊びに来た彼に氷入りのビールを出し、唖然とされたこともある。そしてこの年になっても、居酒屋などではビールとご飯を一緒にテーブルに並べる。飲む人はおにぎりだのお茶漬けだのは締めに食べるものだと思っているようだが、私にとってビールは麦茶のかわり。唐揚げだのだし巻き玉子だのほっけだのといった「おかず」をご飯なしで食べることはできないのである。
というわけで、このクリスマスパーティーで利用した店でも真っ先に「主食」をオーダーした。しかも気配りの人である私はちまきや肉まんを人数分注文、「ちゃんと一個ずつ行き渡ってるー?」などと心を砕いてさえいたのである。
しかし、私は幹事としてあの場では「四川牡蛎炒め(単品八百五十円)」とか「牛サーロインの香味シャリアピンソース(千円)」を頼まねばならなかったのだ。
すぐにおなかは膨れるわ、いかにも原価率は低そうだわ、なものばかりせっせとオーダーしていた私は、「おまえは店の回し者かッ!」とそしりを受けても文句は言えないのである……。
「あの店には屈強なメンバーを引き連れてリベンジするつもりです」
その後届いたメッセージを読みながら、江草さんと席が離れていてよかったと胸をなで下ろす。もし隣になど座っていたら、このページには永遠に十二月十九日付けの日記が表示されることになっていたかもしれない。

とまあそんなわけで、メニューのチョイスにはいささか難があったようだが、人懐こいメンバーのおかげで会は実ににぎやかに楽しく進行した。
今回はめずらしく日記関連の話(ゴシップというやつですね)が少なめの、性格のいいオフであった。年齢も性別も立場も異なる初対面の者ばかりの集まりでも、「日記の読み書きが好き」という共通項さえあれば話はいくらでも湧いてくるものなのだなあと実感。
店員が制限時間の二時間が経過したことを告げに来たとき、
「一番最初に注文したサイコロステーキが出てこなかった」
「ラストオーダーで頼んだデザートがまだ来てない」
などと言い、オーダーを取りなおしてもらったのであるが、その際もともと注文していなかったものまでドカドカ追加した私たち。一年で一番の書き入れどきのサタデーナイトに個室を四時間も占拠、結局閉店まで居座ってしまった。
もう「秋田小町」の名では予約を取れなくなってしまったな。やむを得ない、では次回は「小野小町」でいこう。

<追伸>
藤さん、あぐりさん、江草さん、0142さん、しょうじさん、そして櫻屋の主人さんとサプリちゃん。
私の中にまたひとつ忘れがたい思い出が加わりました。楽しい時間をありがとう。またお目にかかりましょう。

【あとがき】
今年最後の日記関係のイベントが終わりました。今年は精力的に動き回ったなあという感じ。お付き合いくださった方々、本当にありがとう。来年もすばらしい出会いがたくさんありますように……クリスマスに祈りを込めて。


2003年12月22日(月) クリスマスパーティー2003レポート(前編)

夕食どきに外出先から帰ってきたら、マンションの入口でサンタさんとバッタリ。
なんのことはない、ピザの配達のお兄ちゃんだったのだけれど、赤い衣装と先端に白いボンボンのついた帽子がとてもよく似合っている。こういう人が「メリー・クリスマス!」と玄関に立っていたら、ドアを開けた子どもはどんなに喜ぶだろうか。
すれ違いざまに「ご苦労さま」とひと声かけることができたらな。そんなささやかな勇気が出ない自分がちょっぴりうらめしかった。
さて、そんな私のところにも先週末、一足早いクリスマスがやってきた。二十日は『櫻屋』の櫻屋の主人さんとダブル幹事で開催したクリスマスパーティーだったのだ。
クリスマス直前の土曜の夜という、独身時代の私なら「そんな日にスケジュールが空いてるわけないじゃない!」とすかさず突っ込んだであろう無謀な日程設定だったにもかかわらず、七名の(決して寂しいわけではないのだけれど、たまたまこの日だけ暇だった……のであろう)男女が梅田に集結、食えやしゃべれやの宴会をしてきた。
メンバーは、『e*toile』の藤さん、『王様の耳はロバの耳』のあぐりさん、『江草乗の言いたい放題』の江草乗さん、『我が道を行く 只今道草中』の0142さん、読み専門のしょうじさん、そして櫻屋の主人さんと私。

当日は十八時半に梅田の某場所で待ち合わせ。フライングでお茶をしていた藤さんと私が時刻ちょうどに赴いたところ、到着済みは櫻屋の主人さんと愛娘サプリちゃん、あぐりさんだけだった。
男性三人が揃って姿を現さない。江草さんを除くふたりは私たちの顔を知らないのだが、あたりに立っている男性たちは見るからに特定の人を待っているという感じ。こちらを意識していそうな人はいない。じきに不安になってくる。
櫻屋の主人さんが声をひそめて言う。
「もしかして、小町さんが余計なこと言ったから声かけてもらえないんじゃないの……」
余計なこととはなんぞや。
私は携帯を持っていないため、初めてお目にかかる0142さんとしょうじさんには人込みの中で私たちを見つける手がかりを与えるつもりで、「長身のセレブ系の女性ふたりを探してください」と書き送っていた。しかし、彼女はその「セレブ系」というのが彼らを混乱に陥れているのではないか、と言うのである。
たしかに店の予約時刻になっても現れないなんておかしい。初対面の、しかも複数の相手をこれほど待たせるものだろうか。
不吉な考えがあたまをよぎる。遠くから女性の顔を確認し好みでないと黙って立ち去ってしまうという、けしくりからぬメル友やテレクラ男の話をしばしば耳にするではないか。
「男性陣にブッチされました。理由を推測するに……」と涙にかきくれながら屈辱のオフレポを書いている自分の姿がちらりと脳裏によぎる。
と、そのとき。悲観に暮れる私たちの前に長身細身の男性が現れた。
「はじめまして」
「あの、えーっと……」
「0142です!」
安堵のあまり膝からくずおれそうになる私。が、そこは幹事、すぐに気丈さを取り戻し、指定の時刻にちゃんと来ていたと言う彼に問う。
「あなた、『どう見てもあれはセレブ系じゃない』っていうんでいままで声をかけなかったんじゃないでしょうね?」
これはきわめて重要なクエスチョンだ。回答如何ではこのあとの彼の処遇を考えねばならぬ。
「あ、あの、そういうわけじゃなくて、子ども連れてるって聞いてなかったから違うかなって……。いや、ほんとにほんとに」
あまりのしどろもどろぶりがちょっぴり気の毒になった私は、彼の言い分を信じることにした。
それからしばらく待ったが、やはり江草さんとしょうじさんは現れない。もしかしたら直行しているのかもしれないね、と店に向かうことにする。が、もしそうだとしたら、彼らはいまごろちょっぴり恥ずかしい事態に遭遇しているはずである。
というのも今回のレストラン、予約時に「小町」の名で取ろうとしたら、店員にフルネームでと言われてしまった。
困った、「小町」に苗字はない。「小」が苗字で「町」が名前だ、と言ってみようかと思ったが、静かに受話器を置かれてしまってもいけない。しかし、本名との組み合わせは口にするのもおぞましいほどの間抜けさである。で、私はやむなく「秋田」と答えた。
そんなわけで、もし彼らが先に店に到着していたら、「あの、予約のあきたこまちさん、来てますか」と店員に尋ねなくてはならないのである。
私は電話だったからまだ言えたけれど、面と向かってはとても無理だわね、くふふ。
なんて想像していると、前方から「小町さん!」と声が。あらまあ、江草さんがこちらに向かって歩いてくるではないか。その隣には若い男性の姿。
「いやー、待ち合わせの時間を勘違いしてましてね、やばいと思って直接店に行ったんですよ」
そこでやはり店に直行していたしょうじさんから声がかかり(またしても例の写真のおかげ。詳しくは過去ログ参照)、ふたりで待ち合わせ場所に戻ってくる途中だった、ということであった。
これでなんとか無事本日の参加メンバーが集合。私たちはやんややんやと店へ向かった。(後編につづく)

【あとがき】
チャイニーズの食べ飲み放題四千円。メンバーにはお昼抜きで臨むことを厳命、女性のドレスコードは「ウエストゴムのスカート」でしたからね。そりゃあもう楽しんできましたよ。後編を乞うご期待。


2003年12月19日(金) そうだったんだ。(後編)

過去の恋人について、みな同じくらい好きだった、平等に思い出すという人もいるのかもしれないが、私はそうではない。
彼らがそれぞれの時期の私にとってなくてはならない人だったことはたしかだけれど、来世でも出会わせてくださいと神様にお願いしたいのはひとりだけ。それほどの存在であるにもかかわらず、別れてからというもの------そう、赤ん坊が小学校三年生になってしまうくらい長いあいだ------私は「彼には会いたくない」という気持ちを持ちつづけてきた。
別れて何年か経った頃、電話で話したことがある。彼を思い出にすることはまだできていなかったけれど、そんなことはおくびにも出さなかった。とうに自分とのことを整理し、新たな人生を迷いなく歩んでいる彼に、こちらは忘れられずにいることなどぜったいに悟られたくない。
そんな心の内を知ってか知らずか、彼は私と別れて数ヶ月後からつきあいはじめたという五つ年下の彼女について無邪気に言った。
「自分のことをお姫様かなんかと勘違いしてるんとちがうかって腹立つで。この俺が振り回されてるわ。むちゃくちゃわがままでコドモでさ、おまえと正反対」
私は「そんな若くてかわいい子とつきあえるんだから、そのくらい我慢しなきゃ」と冗談めかして言い、明るく電話を切った。
そのあと布団にもぐりこんで号泣。正反対のタイプだというその彼女への嫉妬と不条理な怒りに苛まれて。
そして思ったのだ。たとえ太陽が西から昇っても、この人は私の元には戻らない。こんな話を笑顔で聞かなくてはならないのなら、胸のつぶれる思いをしなくてはならないのなら、私は彼には一生会うまい。
「日にち薬」とはよく言ったもので、私はようやく歩きはじめた。しかし、あれだけ好きだったのだ、会えば彼の恋人なり妻なりにいくばくかの嫉妬を覚えずにはいられないだろう。それがあのときほどドロドロしたものでなくてももうご免だ------私はずっとそう思っていた。

「二度と会わない。会いたくない」の訳が本当はそういうことではなかったのだと気づいたのは、そう昔の話ではない。共通の知人から、彼のところに子どもが生まれたと聞かされたときだ。
あの頃から「息子の名前は自分の一字を取って○○にする」と言っていたが、本当に男の子だったようだ。
「あいつによう似てる」
「ふうん、そうなんだ」
喜びも失望もなかった。祝福も動揺も。ただ、敗北感でいっぱいになった。
しかしそのとき、私は「あれ?」と思った。なぜなら、その「負けた」「悔しい」という嫉妬にも似た感情が彼の妻に向けられたものではないことに気づいたから。
彼の子どもを生んだ------それはその女性が私がどれだけ望んでも手に入れられなかった彼との将来を約束されたことの証明であり、私の中に起こる攻撃的な感情はその一点に向かうことになっていたはず。それなのに……。
じゃあいったい誰に対する敗北感なのか。
彼、だ。
九年前のあの日から、私の心の奥底で「ぜったいに彼よりも幸せになってやる」という思いが息づいていたのだと思う。だから、彼の操縦する飛行機が安定飛行に入ったことを知って、「私より先に幸せになるのか」と。私の飛行機はいまだシートベルト着用のサインが煌煌と点灯しているというのに。
いまも好きとか嫌いとか、連絡手段があるとかないとか、嫉妬がどうだとかこうだとか。そんなことではなくて。
私は負けたくなかったのだ。私は幸せになり、「俺と別れてよかったな」と彼に言わせたかった。その瞬間だけでも、敗北感を味わわせてやりたかった。だけど、現実は……。
だから、私は彼に会いたくなかったのだ。そう、そういうことだったんだ。

あなたはどんな女性を選んでいても必ず幸せになるでしょう。そういう人だから。
でも私は、自分を幸せにするのは自分とあらためて胸に刻むわ。
負けっぱなしではいないから。私が負けず嫌いなの、知ってるでしょ。

【あとがき】
結婚していなかったり仕事がうまくいっていなかったりすると同窓会に行きづらい、という話を聞きます。「みじめな思いをしたくない」という思いがそういう場を避けさせるのでしょう。私の「彼に負けているから会いたくない」とちょっと似ている気がします。


2003年12月17日(水) そうだったんだ。(前編)

職場の同僚からちょっと怖い話を聞いた。
テレビを見ている夫に話しかけようとして彼の名を呼んだ……はずが、どうしたことか昔の恋人の名を口にしてしまった。その彼とは結婚後は連絡を取っていないし、とくに気持ちを残しているわけでもない。そのため、その名がふいに口をついてでてきたことに彼女自身とても驚いた。
が、夫はそれを信じなかった。彼女に携帯を投げつけ、「いますぐ架けろ!」。電話がつながるや夫は携帯をひったくり、相手に「どういうつもりだ!」と怒鳴った。いきなりの無礼な電話に元彼も怒り、彼女は申し訳なさと情けなさで半泣きになりながら事情を説明し、詫びたという。
これまでにも、彼女の過去をやたらと知りたがったり自分と出会う前の写真を捨てさせたりといった話を聞いていたため、この夫ならやりかねないなと戦慄する。
それにしても、あなたも昔の恋人の番号をいつまでもアドレス帳に残しておくなんてミスったね。
「いつか架けるかもと思って、残しておいたわけじゃないの。ただ、これを消去したらつながりが完全に切れてしまうんだって思ったら、なんか消せなくて。携帯の番号くらいなら許されるかなとも思ってたし……」
それを聞きながら、携帯というものがあるがために切りきることができない関係がこの世にはたくさんあるのではないかなあと考えてみたり。
その点、携帯を持たぬ私は過去の恋人とは音信不通になるのが常。実にさっぱりしたものである。

とは言うものの。思い出すことくらいはあるわけで。最近、学生時代につきあっていた男性について少しばかり真剣に考える機会があった。
先日名古屋を訪ねたときのこと。ひつまぶしを食べたあと、お茶をする場所を求めてひよこさん運転の車で栄に向かったのだが、後部座席で窓の外を眺めていた私は道路沿いの大きなビルに見覚えのあるマークを見つけ、息を呑んだ。
「ねえ、ここって○○駅あたり?」
「そうですよ」
私は大学を卒業した年の夏、思い出すといまでも胸がつまるくらいヘビーな失恋を経験している。同時に社会人になった同い年の彼の配属先は大阪ではなく名古屋だった。遠距離恋愛は長くは持たず、私は数えるほどしか彼のスーツ姿を見ることができなかったけれど、いつも左襟にそのマークがついていたのを覚えている。
そうか、ここだったんだ……。
「連絡、取らなかったな」
私は心の中でつぶやいた。
そんなの当たり前じゃないかと人は言うかもしれない。うん、まったくだ。別れてから九年も経っているし、私は結婚しているのだ。
しかし現実として、「既婚である」という事実や自覚だけでノスタルジアに起因する誘惑を苦もなくねじ伏せられる人がどれだけいるだろう。
たしかに私は彼と手軽にコンタクトを取るすべは持っていない。最後の音信は昨年の秋。「どうしていますか。このアドレス、まだ使っていますか」という短いメールが届き、署名には携帯の番号が書いてあったが、私はそのメールを捨ててしまった。アドレスもわからない。当時住んでいた独身寮にももういない。しかし、実家の電話番号はいまも覚えているし、会社のそれだってインターネットで調べれば三十秒で手に入るのだ。
にもかかわらず、私はどうして「今度そっちに行くの。食事でもしない?」と声をかけなかったのか。
私のことなど忘れているかもしれないとか、いまさら会ってどうするとか、それは後ろ暗いことだとか。それらも理由のひとつではある。
しかし、実家や会社に電話を架けるなんて真似を私にさせなかった最大の理由。それは「会いたくなかったから」だ。
そこまでするほど会いたいとは思わなかった、ではない。私の中の理性や良心が押しとどめた、でもない。まぎれもなく、私は彼に会いたくなかったのだ。(後編につづく)

【あとがき】
携帯の番号って「軽い」じゃないですか。自宅の電話は教えないけど、携帯なら初対面の人にでも教えられるってところがあるでしょ。存在としてはフリーアドレスみたいなものかな、なにかあったら変えることができるし……という気持ちがあるのでしょうね。昔の彼氏の携帯の番号をアドレス帳に残しておくことにそう後ろめたさは感じなかった、という彼女の言い分はなんとなく理解できます。


2003年12月15日(月) 名古屋ひつまぶしオフ(後編)

ひつまぶしはとてもおいしかった。
前夜のようなパワー炸裂どんちゃん騒ぎオフも楽しいけれど、おいしいものに舌鼓を打ちつつ小人数でじっくり語らうのも私は好き。実は先日東京を訪れた際にも、日記を通じて知り合った女性とランチし、日記関連だけでなくプライベートな話までたーんとしてきたのであった。
ごちそうさまをしても別れるのが名残惜しく、場を喫茶店に移して話のつづきをする。三膳分のご飯をたいらげたあとに『HARBS』のケーキを食べるという偉業(ここケーキはとても大きい)をなんの苦もなくやってのける三人。私が女の子っていいなあと思うのはこういうときだ。男性はたいていコーヒーしか注文しないため、一緒に店頭のショーケースに張りついてどれにしようかと悩んだり、一口ずつ交換したりする楽しみがないんだもん。
さて、ここでもいろいろな話をしたのだけれど、中でもへええと思ったのはひよこさんが勤務している小学校の話。運動会の三日前から場所取りがはじまるというのだ。ビデオカメラを回すのに格好の場所には水曜からレジャーシートが敷きつめられるのだそう。
すごいなあ。同い年のKKさんと「私たちの時代は八ミリだったよね」「うちはそれさえなかったけどさ」なんて言いながら聞く。
コーヒーをおかわりしながら二時間は話しただろうか。名古屋をいとまする時刻がいよいよ近づいてきた頃、私はひよこさんにあることを尋ねてみた。
名古屋に遊びに行くことが決まったとき、サイト上で「誰か一緒にひつまぶしを食べてくれませんか?」と声をかけた。そしてこのおふたりが手を上げてくださったのだが、KKさんとは以前からお付き合いがあったものの、ひよこさんとはこのときが初コンタクト。緊張しなかったのだろうか。
「そりゃあ勇気いりましたよー。でも、会いたかったから」
フォークを持つ手がとまる。私は自分を卑下する者ではないけれど、「私なんかに」という謙遜とは異なる気持ちが湧いてくるのをどうすることもできない。ありがたくてまぶたの奥が熱くなる。
「あなたに会いたい」------それは日記書きにとって究極の賛辞ではないだろうか。何年も同じ場所に日記がアップされつづけているといっても、現実には書き手はそこでなんの個人情報も明かしていない。その人物を信用するに足るなにも、そこには存在しないのだ。
にもかかわらず、「この人ならだいじょうぶ」を感じ、モニタのあちら側という安全な場所から出てきてくれる。会うことになると携帯の番号を、絵ハガキ企画をすると住所や名前を教えてくれる人がいる。そのたび、「いいんですか、私に教えて」と彼に、彼女に問いかけてしまいそうになる。そして、この信頼を傷つけまいと心に誓う。
書いたものを褒められるのはうれしい。その書いたものを通じて「私」に安心してもらえるのはさらにうれしい。それは一朝一夕に築けるものではないから。誰にでも抱けるものではないから。
少なくとも私が口にする「会いたい」はそういうものだ。それはサイトを通じて知り合った人に私が示せる最大限の愛情と信頼の証である。
「百読は一見に如かず」
これを実感することの多い一年だった。この場所で日記を読んだり書いたりしているうちは、ぽーんとなにかを飛び越えてしまう感じを求めて、私はまた誰かに会いに行くだろう。

【あとがき】
甘いものを食べる男性にはちょっとした憧れがあります。お付き合いした男性で甘いものが好きな人は一人しかいなかったので、誕生日やバレンタインにお菓子を焼くという楽しみがなかったんですよね。喫茶店で男性と一緒にケーキセットを食べる……ほのぼのとしていい光景ですね。


2003年12月13日(土) 名古屋ひつまぶしオフ(前編)

枕元の電話が鳴り、手探りで受話器をあげアラームを止める。
「えーと、ここは……」
見慣れぬ天井を見つめたまま、あたまの中のモヤが晴れるのを待つ。そうか、私は二日前から名古屋に来てたんだ。ああ、昨夜は楽しかったなあ……。
つぶやいたとたん、寂しくなる。そうだ、あのふたりは?(名古屋手羽先オフレポート参照)
真っ当な家庭人である彼らは早朝の新幹線に乗って帰阪することになっていた。時刻は午前八時、もう発ったのだろうか。
手早く身だしなみを整え、ロビーに下りる。この上なくエコノミーなホテルだったが、一応簡単な朝食がフロント前に用意されている。ソファに腰掛けてコーヒーでも飲んでいるのではないか。
「あ、小町さん、おはようございます。早起きじゃないですか」
「櫻屋さん、まだいたんだ!もう行っちゃったかと思ってました」
「そのはずだったんだけど、誰かさんが寝坊しちゃって。ねー、そうさん?」
「ははは、申し訳ない……」
こんな会話ができるのではないか、とちょっぴり期待して。
が、そこには誰の姿もなかった。私はクロワッサンには目もくれず、とぼとぼと部屋に戻った。
ホテルをチェックアウトし、地下鉄の駅に向かう。名古屋といえば、誰がなんと言おうとひつまぶし。「2002夏出産・・・の割に育児ネタが少ないKKの日記」のKKさんと「ひよこ日誌」のひよこさんとお昼に食べに行こうと約束をしているのだ。
ひつまぶしをご存知ない方はいないと思うが、そう、うなぎの蒲焼を短冊切りにしたものをお櫃の中のご飯にのっけたもの。食べ方がユニークで、一杯目は茶碗によそいそのままいただき、二杯目はあさつきと刻み海苔、わさびをのせて。三杯目は二杯目と同様にトッピングをしてからだし汁をかけ、お茶漬けにして。これが実においしいのだ。
今回私たちが訪ねるのは、『あつた蓬莱軒』の本店。ひつまぶしの老舗としては『いば昇』も有名である。なのにどうしてあつた蓬莱軒を選んだかというと、いば昇のそれは人数分まとめて大きなお櫃に入って出てくるため、茶碗に取り分けるときに、
「あっ、小町さんのほうがうなぎが多い」
「そんなことないよ、細かいこと言わないの」
「ひどい、私のが一番少ないじゃない!」
なんてことにならないように……というのはもちろん冗談で、いば昇では一度食べたことがあるから。そんなわけで、あつた蓬莱軒の本店のある伝馬町駅の改札口で十一時に約束をした。

それにしても初対面の人との待ち合わせというのは、どうしてこんなにドキドキするのだろう。
私は人見知りしないしあがり症でもないけれど、何度経験しても慣れることがない。「あの人かしら、この人かしら」ときょろきょろしている様子を到着済みの相手に見られるのがはずかしくてたまらないのだ。
ゆえにそういうシチュエーションではいつも早めに行き、やってくる相手をこちらから見つけることにしている。待ちの態勢でいるほうが心にいくらか余裕が持てる気がする。
そして、今回もそんなふうにしてKKさんとひよこさんと「はじめまして」のご対面。KKさんからは「全身黒ずくめのオバサン風の女性を探してください」と言われていたので、どんな老け顔の女性が現れるのだろうと楽しみにしていたら、思いっきり年相応のはにかみ笑顔がかわいいママさんが登場。
彼女と私は同い年であるだけでなく、夫の年齢や結婚した時期、ふたつ下の妹がいるところまで同じで、以前からとても親近感を抱いていた。そのためか初対面という気がせず、すっかりタメ口。
そこに「遅れてごめんなさああい!!」という叫び声が。見ると、階段を転がり下りてくる女性がひとり。あっ、ひよこさんだ。
その様子があまりにも私が思い描いていた「優しくて子ども好きで、ちょっぴりおっちょこちょいなひよこ先生」そのままだったので、思わず笑ってしまったではないか。(後編につづく)

■こちらのオフレポもぜひご覧あれ。
2002夏出産・・・の割に育児ネタが少ないKKの日記(KKさん)/12月7日付
ひよこ日誌(ひよこさん)/12月7日付

【あとがき】
一度だけメル友だった男性と待ち合わせしたことがあります(メール交換を始めて三年目に入ってからのことだから軽くないでしょ?と言い訳しておく)。あのときはそれはもう緊張しました。ドラマじゃあるまいし、こういう場面ではたいてい「……。」な人が現れて、「やっぱりそんな甘くないわよね」となるのがお決まりのパターンだと思うのですが、私に声をかけたのはかなり素敵な男性でした。「こういうときのあいさつはやっぱり『初めまして』なのかな?」と言われて、しどろもどろになってしまったことを覚えています。
で、その人とはどうなったかって?ははは、それはよしておきましょう、何年も前の話だし。まあ、私にもそんな時代があったのね、ということで。


2003年12月09日(火) 名古屋手羽先オフレポート(本番篇)

私はゼロ次会でそうさんと櫻屋の主人さんに相談していた。今日はどういうキャラでいこうかと。
このふたりにはすでにバレているものの、クリタさんと風太さんとは初対面だ。メールのやりとりから察するに、彼らはおそらく私に「落ち着いている」「まじめ」「しっかり者」といったお堅い系のイメージを抱いている。よし、ならばオフレポに「小町さんは僕が思っていた通りの、しっとりとした大人の色香を漂わせた女性でした」と書かせてみせようじゃないの。私だってたまには「あんまりベラベラしゃべるのでびっくりしました」みたいなのでなく、そういうオフレポを読んでみたいのだ。
しかし、そのもくろみは一次会がスタートしてものの五分で崩れ去った。乾杯の直後、私は不覚にも数年ぶりに再会した手羽先に「まいうーー!」と叫んでしまったのだ。
我に返ったときにはすでに遅し。なにか哀れなものを見るかのようなまなざしが惜しみなく私に注がれた。それはもう軌道修正がきかないことを物語っていた。

たいがいのオフでもそうだと思うが、座が盛りあがれば盛りあがるほど、メンバーが打ち解ければ打ち解けるほどオフレポで報告できることは少なくなる。それはなにも性悪な話ばかりしていたからではなく、プライバシーに触れる内容にまで話が及ぶからである。
そんなわけで一次会の席で私が感じたことをひとつだけ。
それは「この人たちは日記が本当に好きなんだなあ」ということだ。クリタさんが「血中日記書き濃度が滅茶苦茶高いメンバー」という表現をしていたけれど、日記の読み書きに対する思い入れ、自サイトへの愛着はたしかに相当のものがあった。
それを大切に思うがゆえの悩みやジレンマについても話し合った。そんな姿を「イタイ」と見る人もいるかもしれない。しかし私の目には、この世界に身も心もどっぷり浸かっていながら「たかが」「所詮」などという言葉を遣って自分のやっていることに自嘲的なポーズを取って見せる人より百倍すてきに映る。
いくつものオフに参加してきたが、こういう場で話題にのぼる日記はほぼ決まっている。今回も“時の日記”と言っても過言ではないある日記について手厳しい意見が飛び出したのだが、ああでもないこうでもないをやりながら、私はその書き手に対し、「たいしたものだなあ」と感服していた。五人中五人が読んでいるという事実も恐るべしだが、三十代、四十代という十分大人の、しかも昨日今日書きはじめたわけでない人間にこれだけ語らせる日記というのはそうはない。
自分のいないところで話題になるなんて、なにを言われているかわからないからありがたくないと感じる書き手もいるかもしれない。でも、その内容が肯定的なものであれ否定的なものであれ、名誉なことではないかなと私は思う。
誰かの日記を読む------それは書き手へのささやかな降伏といえるのではないか。頼まれてもいないのにいくばくかの時間とお金と手間を費やして、そこにある文章をわざわざ読みに行くのだから。「嫌いなんだけど読んでしまう」という話は耳にするし、「敵性読者」なんて言葉もあるけれど、読まずにいられないというその時点で、書き手の持つ魅力に屈していると私は思っている。
だから私は好きになれない書き手のテキストはまったく読む気にならないし、レベルが低いだのつまらないだのと難癖をつけながら、そのサイトに日参している某掲示板の住人たちを笑ってしまうのだ。

あっという間に二時間が経過、二次会のカラオケボックスへ。
ここでの経過はクリタさんのオフレポに詳しくあるので興味のある方にはそちらを読んでいただくとして、あえてひとつだけ書くとするなら、ル・クプルの『ひだまりの詩』のイントロが流れたとき、風太さんが「うわあ、この選曲、小町さんのイメージそのものだなあ!」と言って握手を求めてきたことだろうか。
「まあ、そうかしら」
思わず相好を崩したら、「会うまでの、だけどね」だって。いまニギニギした分返して。
その後、日付はとうに変わっていたが三次会に突入。一次会では五人で二時間、つまりひとりあたり二十四分間しか話していない計算になる。いくら倍速モードでまくしたてたとはいえ、話し足りるわけがないのだ。
ここでもいろいろ語ったが、印象に残ったのは「ハグ」の話だろうか。五人中三人(風太さん、櫻屋の主人さん、クリタさん)がハグ好きで、気心の知れた相手とはあいさつがわりにそれをするという話を聞いて驚く。
私などハグという言葉を知ったのがここ二、三年の話であり、過去に異性の友人とその名で称されるスキンシップをしたこともない。だから好きも苦手もないのだけれど、私はスキンシップと恋愛感情を切り離して考えることがうまくできないタイプなので、相手が外国人でもないかぎり、好きな男性以外との頬を合わせての抱擁は無理な気がする。
……という話をしていたら。
午前二時半に三次会がお開きになり、風太さんが関西組の私たち三人をホテルまで送ってくれたのだけれど、おやすみなさいを言おうと振り返ったら、そうさんとギュウギュウ抱き合っているではないか。
おお、これが噂のハグですね!櫻屋の主人さんなんて年季が入っているだけあってとても自然。ふうん、ぜんぜんいやらしくないものなのねーと思いながら見つめる。
で、私の番。ご、ごめんなさい、私、注射の列に並ぶ小学生みたいな顔をしていたのではないかしら。嫌とかノリが悪いとかそういうのではなくて、ただどうしていいかわからなくて緊張していたの。きっと棒みたいに突っ立ってましたね……。
私って妙に堅いとこあるんだよなあと思いながら眠りについた、あるすてきな夜のお話でした。

<追伸>
クリタさん、風太さん、そうさん、櫻屋の主人さん。楽しい一日をありがとう。また会いましょう。

■こちらのオフレポもぜひご覧あれ。
幹事クリタのコーカイ日誌(クリタさん)/12月7日付8日付9日付
BOKUNCHI(風太さん)/12月8日付
歯医者さんの一服(そうさん)/12月8日・9日付
櫻屋(櫻屋の主人さん)/12月8日付9日付10日付

【あとがき】
風太さんによると、私はそのときフリーズしていたそうです。やっぱりね……(恥ずかしい)。おいしいものと好きな日記書きさんに会えるオフがセットになってついてくる旅なんて最高。名古屋は本当に楽しかった。またどこか行きたい。九州とか北海道なんかいいなあ。


2003年12月08日(月) 名古屋手羽先オフレポート(事の発端〜ゼロ次会篇)

も、燃え尽きた……。
名古屋入りした金曜の午後から帰宅した日曜の夜までの間の私の睡眠時間は、なんと五時間。完全燃焼。
本日は真っ白な灰になった矢吹ジョー状態の小町が名古屋手羽先オフレポート第一弾をお届けします。

●○ 名古屋手羽先オフ 参加メンバー ○●
幹事クリタのコーカイ日誌』のクリタさん
BOKUNCHI』の風太さん
歯医者さんの一服』のそうさん
櫻屋』の櫻屋の主人さん
『われ思ふ ゆえに・・・』の小町


このオフが開催される運びとなったのは、十月終わりのある日、私の中で「『風来坊』の手羽先が食べたい!」という思いが狂おしいほどにふくらんだことにはじまる。
数年前、名古屋に出張中の夫を訪ねたときにあの外はカリカリ、中はジューシーな甘辛い唐揚げに出会い、以来忘れられずにいたのだ。
そこで、かの地在住のクリタさんにお伺いを立てた。
「かくかくしかじかで今度そちらに行こうと思ってるんです。もうひとり仲良しの日記書きさんがいるので、一緒にお目にかかれるとうれしいんですけれど……」
すると、「よし、それならば」と幹事を名乗り出てくださったのだ。
(クリタさんのオフレポには、「『手羽先を風太さんと一緒に食べる。ついでにクリタも参加せよ』というお達しがあり……」とあって言い分に多少食い違いが見られるが、気にしてはいけない)
というわけで、名古屋遠征があっさり決定。なんだか遠足気分だわと思ったら、頭の中に「新幹線」「シート向かい合わせ」「ポッキー」「トランプ」といった単語が次々と浮かんできた。道中をそんなふうに過ごせたら、旅はさらに楽しくなるに違いない。
そうだ、ひらめいた。いかに想像力のたくましい小町さんでもひとりでババ抜きをするのはちょっとむずかしい。そこで急遽、新大阪から一緒に乗ってくれる日記書きさんを何人かお誘いすることにした。
ひとりは歯医者のそうさん。その落ち着いたテキストと実直そうな風貌からは想像できないほどひょうきんでおしゃべりな方なのだ。そして、もうひとりは女性。人気のある男性日記書きさんをひとり占めして、彼らの女性ファンからカミソリ入りの手紙(古いか……)ならぬウイルス在中メールがドカドカ届いたら困るので、櫻屋の主人さんを道連れにすることに。
ところが、遠征二日前に緊急事態発生。あちらに住んでいる学生時代の友人から、「その前日に会おうよ。ひさびさに朝までカラオケってのはどう?」とメールが届いたのである。
行きずりの人とでも行けそうなくらいカラオケ好きの私(ものの例えです。行きませんから)。「新幹線でポッキー食べながらトランプ」もカラオケマラソンの誘惑には勝てず、私は一足先に名古屋入りすることにしてしまった。
友人と別れた一時間後、私は名古屋駅でそうさんと櫻屋の主人さんと合流。朝の七時までカラオケボックスにいて一睡もしていないと言う私に、櫻屋の主人さんが大げさに表情を曇らせる。
「やっぱり。道理で今日は化粧のりが……」
一方そうさんも、新大阪でふたりはすぐに出会えたかと尋ねた私に、「それが僕が待ち合わせ場所を勘違いしてましてねえ。携帯がなかったら大変なことになってましたよ。……おっと失礼、小町さんは携帯持たずでしたね」。
どうやらふたりは私が裏切ったことを根に持っているらしい。そんなに私と「のぞみでゆくからねー♪」の旅がしたかったのね(ごめん)。

まずは宿泊先のホテルにチェックイン。じゃあ十五分後にロビーでと約束し、荷物を置きに各自部屋へ。
そのホテルにはロビーにネットができるパソコンが設置されている。ふたりが来る前にメールチェックをしようと思い、早めに下に降りたところ、すでに先客あり。そこには見覚えのある画面(日記リンク集)を開いている男性の姿が。
「そうさん、あなたも相当きてますね……」
その後カフェに移動、ケーキを食べながら三人でゼロ次会だ。
そうさんへの「診察中ずっと目を開けている患者がいたらどうするんですか」という質問から、話題は「キスをするときに目を閉じるか否か」に発展する。私はその最中に目を開けていたことがないので、男性がどうしているのか昔から興味があったのだ。
そうさんは意識して閉じたりはしないと言い、ふうん、ドラマや漫画では男の人も閉じているのになと思ったのだけれど、櫻屋の主人さんまで「私もべつに目をつぶるものとは思ってない」と言うものだから、びっくりしてしまった。
物心ついたときから、そのときは目を閉じるものと信じて生きてきたので、「じゃあ見つめあいながらするの?目が寄りそう……」と思わず後ろの壁で試してしまった。
そんなどうしようもない話をしていたら、あっという間に二時間が経過。慌てて一次会会場の『風来坊プリンセス店』に向かう。
歩きながら、おふたりはどんな人だろうねという話で盛りあがる。どちらもサイトで写真を公開しておられるが、やはり楽しみだ。後から風太さんに聞いたところによると、このとき私たちは途中で彼を追い抜いてスタスタと歩いて行ってしまったらしい。風太さんは百八十センチを超える長身で金髪という、とても目立つ風貌をしているのにまったく気がつかなかった。私たちがいかに話に夢中になっていたかわかるというものだ。
そして、店の前で「ここだ、ここだ」なんて騒いでいるあいだに風太さんが追いつき、参加メンバーの五分の四が対面を果たした。写真そのままといえばそのままだったのだけれど、実際に目の前に存在しているのを見て、「本物だー」とちょっぴり感動してしまった私。
案内された座敷をのぞくと、クリタさんがすでに到着していた。こちらも写真通り。浅黒くテニス焼けした肌に、首から上はたしかに松方弘樹が入っている。あいさつもそこそこに「わー、似てる、似てる」と言いながら上がり込む。
これで今日のメンバーが揃った。ぐるりと見渡し、思わずうっとり。こんなゴージャスな面々と一堂に会する機会などそう持てるものではない。ったく誰だよ、このすばらしい人選をしたのは。グッジョブ!って私だし!
そうして幹事クリタさんによる乾杯の音頭で、待ちに待った「名古屋手羽先オフ」一次会がスタートした。(本番篇につづく)

【あとがき】
独身時代なら男の子と電話していて「あらー、朝が来ちゃった」とか、今なら家でインターネットをしていて新聞屋さんのバイクの音にハッとしたりとかいうことはときどきありますが、外で遊んで完徹っていうのは大学卒業以来です。ランニングハイという言葉があるけど、ああいう状態だったのかな。オフの日も3時まで飲んでいたけどまったく平気だったし。私もまだまだイケるわーと自信をつけてしまいました。


2003年12月03日(水) 私だって(たまには)怒るんです。

外で食事をしていると、料理が出てくるのが遅いだの接客態度が悪いだのと店員を叱りつけている客に出くわすことがたまにある。が、食事中にあの怒声を聞かされるほど不愉快なことはない。
その客の主張がもっともなものであっても、それを訴えんがために店内にいるなんの関わりも落ち度もない周囲の客を漏れなくげんなりさせるという点については罪深いものがあると思う。だから私はなにか腹に据えかねることがあっても、その場で注意したりすることはまずない。二度と訪れないという形で、つまり店にとってもっとも不親切な客になることでやり返してきた。
……のだが。

私たちはそれを食べたことはもちろん、実物を見たこともなかった。予備知識として持っていたのは、鉄板の上でお好み焼き状に焼かれたそれを小さなヘラで掬い取って食べるということくらいだ。
月島駅前の通称「もんじゃストリート」には、もんじゃ焼きの店が五十近く軒を連ねている。どこに行けばよいかわからないので、通りの入り口にあった月島もんじゃ振興会の方にお勧めの店を教えてもらうことにした。
ガラガラと引き戸を開けると、店内には帰り支度をしているカップルが一組いるだけだった。夕食どきなのに?と一瞬思ったが、落ち着いて食べられるからいいやと気に留めることなく、「当店イチオシ」の海鮮もんじゃを注文。
ほどなく生地が入ったボウルがテーブルに運ばれてきた。「見た感じはお好み焼きやなあ」と言いながら、店員さんが焼きに来てくれるのを待つ。
が、どういうわけか待てど暮らせど戻ってこない。鉄板は十分温まっている。もしかして忘れられているのか、と厨房の中でおしゃべりしているアルバイトらしき女の子たちに声をかけたところ、うちのひとりがテーブルまでやってきて「具を炒めてください」。それだけ言うと、厨房に戻って行った。
魚貝はすぐに炒まったが、店員は姿を見せない。再び声をかけると「汁気を残してキャベツを炒めてください」と言い、また厨房へ。
完成品がわからないため勝手に焼くこともできず、厨房に通うこと四度。「できました」「じゃあ次は」を繰り返した末、鉄板の上で丸い形に整えるところまでたどりついた。
しかし、食べどきがわからない。もう出来あがっているのだろうか、それとももう少し固まってから食べるものなのか。再び席を立つ。
「あれ、もう食べていいんですか」
「……え?どうぞ」
「なんだ、まだ食べてなかったの」がにじみ出たその物言いにカチンときたが、ぐっと堪える。友人もいることだし、食べる前に文句を言うと食事がまずくなってしまう。
ムカムカしていたせいでもないと思うが、おいしいんだかおいしくないんだかよくわからないそれを私たちは黙々と食べた。
食べ終えてお茶を飲んでいると、店員が鉄板の掃除にやってきた。こびりついた生地をコテでこそげ、焦げカスの山を残して、彼女は厨房に消えた。
「片づけだけは早々としちゃって」と思っていたら、やがて戻ってきて「もういいですか」。意味がわからずきょとんとしていると、「食べないんならいいですね」と言いながら彼女はその焦げカスを鉄板の淵から下に落とした。
そのとき私たちははじめて気づいた。それはカスではなく食べるものだったのだ(帰宅してからもんじゃ焼きの食べ方をインターネットで調べたら、最後のお焦げがおいしいと書いてあった)。
私の頭の中でぷちっとなにかが切れる音がした。アルバイトの女の子に言っても無駄だろう。レジに店長らしい男性がいたので、会計の際に言う。
「ここは自分たちで焼くお店みたいですけど、私たちみたいにもんじゃ焼きは初めてっていうお客には焼き方や食べ方をきちんと説明してください。混んでるわけでもないのに(思いきり皮肉)ほったらかしで、この対応はあんまりなんじゃないですか」
彼はどうもすみませんというようなことを口にしたが、広くもない店内にいて、私たちの困惑や彼女たちの働きに気づいていなかったとは思えない。どうせ観光客の一見さん、と思っていたのだろう。

駅に向かって歩きながら、彼女が憮然とした面持ちで言う。
「サービスのサの字もない店やったな。こないだランチした店とは大違いやな」
ん?なにか特別なサービスをしてもらったっけ。
「ほら、店員のお兄さんが……」
ああ、思い出した。カウンターで食べていたら、ウェイターが友人に「ごはんのおかわりをお持ちしましょうか」と声をかけたのだ。彼女はそれを「客に言いだしにくいことを言わせなかった」として評価しているらしい。
彼女らしいとふきだしながら、でもこれは紙一重だなあと考える。定食屋なんかだとごはんや味噌汁がおかわり自由というところはけっこうあるが、そういう店でおかわりは?と訊かれたら、私なら「見るからに食べそうだと思われたのかしら……」と心中複雑だ。しかしまあ、いつも最初から大盛りを注文する彼女にそんな発想はないのだろう。
彼女は以前わが家で夕食をともにしたとき、その豪快な食べっぷりで夫を驚愕させたことがある。私の披露宴では別グループの友人から「ワインを水のように飲んでいた」という証言が寄せられたし、職場のたこ焼き大食い大会ではいくつものチームから彼女の元にオファーがあったという。
男にまつわる武勇伝は皆無だが、食べ物に関するそれは尽きない。そういう大らかさが彼女のかわいいところである。
……ということにしておこう。

【あとがき】
更新後、いろいろな方に教えていただいたところによると、もんじゃ焼きって自分で焼くものみたいですね。大阪のお好み焼き屋やたこ焼き屋とは違うんだなあ、客が焼くところは少ないもん。いや、自分たちで焼くのは一向にかまわないのだけど、それで味が決まるわけだからきちんと教えてくれないと。ほったらかしたために客に下手なものを作られて「ここのはまずい」と思われるのは、店にとっても損失だと思うんですけどね。
それにしてももんじゃ焼きってああいう半生っぽいものなんだろうけど、よくわかりませんでした。ちゃんとした店で(できれば焼いてくれるところで)食べなおしたい。


2003年12月01日(月) クリスマスパーティー2003開催のお知らせ

今日からいよいよ十二月ですね。何を隠そう、小町さんの誕生月でありますよ!
……ってそんなこと知ったこっちゃないですね、冗談ですってば。

この時期のお楽しみといえばやっぱりクリスマス。というわけで、某美人人妻日記書きさんとこんな企画を立ててみました。
家族や恋人と過ごすクリスマスもよいけれど、こういうのも楽しいかも。にぎやかなのが大好きなあなた、ふるってご参加ください!