いま読んでいる渡辺淳一さんのエッセイの中に、「おじさんの見る夢」というタイトルの文章がある。 こういう場合、現実の女性なら、ほとんど夫を捨てて家を出るだろう。これほど好きな男をムザムザ逃して、あまり好きでもない夫と、いままでどおりの退屈な田舎暮らしを続けるとは思えない。
ちょっぴり自慢っぽくなるのだけれど、前回の日記にはたくさんのメールをいただいた。ウフフ、一晩で一生分の口説き文句を聞かせてもらっちゃったワ、とご機嫌でこれを書いている。 文章を読んでちょっとその気になったら、口説いたらOKもらえる確率ってのを何となく想像するものです。で、OKもらえそうにない場合は口説きません。それが男の典型的パターンでしょう。小町さんの本意かどうかは分かりませんが、誘ってもOKもらえないように感じているのは正直な感想です。
ある事柄を経験したことがないとき、私たちは自分のことを「○○童貞」「○○バージン」と表現することがある。
この事件について書かれたものを読んでいると、「愛が高じた果ての犯行」という言葉によく出くわすが、いつも違和感を覚える。もちろん筆者は定の行為を許されることではないとしているが、しかしそこまでひとりの男を愛したという点については一目置いているような印象を受けるからだ。 私はあの人が好きでたまらず自分で独占したいと思い詰めた末、あの人は私と夫婦でないからあの人が生きていれば外の女に触れることになるでせう。殺してしまえば外の女が指一本触れなくなりますから殺してしまったのです。 石田は始終「家庭は家庭、お前はお前だ家庭には子供が二人もあるのだし俺は年も年だから今更お前と駈落する訳にも行かないお前にはどんな貧乏たらしい家でも持たせて待合いでも開かせ末永く楽しもう」と言って居りました。然し私はそんな生温いことでは我慢出来なかったのです。 男に惚れた余り今度私がやった程度の事を思ふ女は世間にあるに違ひないのです、ただしないだけのものだと思ひます。恋愛の為止むに止まれず今度私のした様な事件になるのも色気違ひばかりではありません。
『永遠の恋物語』(テレビ朝日)という番組がある。「歴史に残る大恋愛」をテーマに、これまでの放送では太宰治やマリリン・モンローの恋を取り上げてきたが、今回は「阿部定」。
妻は夫が家を不在にしている時間が長いことに不満を持つのではない。
土曜の夜、めずらしく腰を落ち着けてテレビを見た。テレビ朝日開局四十五周年記念ドラマスペシャル、山田太一原作の『それからの日々』だ。 大企業の部長職にあった檜垣史郎(松本幸四郎)は社内の派閥争いに敗れ、定年まで二年を残して解雇されてしまう。
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