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2002年09月26日(木) ミステリアス路線

先日、ちょっとおもしろいことがあった。
ネットの友人と長電話ならぬ長メッセンジャーをしていたときのこと。web日記関係の話をしていたのだが、彼女は私が知らないある男性について、「○○さんを男にしたような感じの人」と説明した。
○○さんというのは名の知れた日記書きさんであるが、妙なことを言うものだ。「男にしたような感じ」なんて。だって、○○さんはもともと男性なのに。
「え!女性じゃないの?」
「なに言ってるの、男性だよ」
「うそー!私、いままでずっと女性だと思ってメール送ってた」
「ええええ。男だよ」
「信じられない。女じゃないのー?」
私がその方を男性だと言い張るのに根拠があるわけではない。しかし、いままで「女性かもしれない」と考えたことは一度もなかった。
なぜならテキストから伝わってくる気配というか匂いというかが男性のそれだから。ハンドルネームも「男」を連想させるものである。
が、おもしろいことに彼女もまったく同じ理由から女性だと判断したというではないか。
私はこういうことを見抜く目には少々自信を持っている。しかしながら、彼女とて昨日今日、日記を読みはじめた初心者ではない。しかもご本人とやりとりをしたことまであるのだ。
両者一歩も譲らない構え……とはいえ、私のほうが分が悪い。
「よし、プロフィールのページで確認しよう」
残念ながら、性別がわかる記述は見当たらず。いくら私が図々しいといっても、まさか本人に「つかぬことを伺いますが……」なんて無理だしなあ。その方も「まいったな、性別を間違えられちゃったよ」と笑い飛ばしてくれるようなキャラではなさそうだ。
もし「彼」が女性だったら、かなりショックである。長く読ませてもらっているから、私の中ではすっかり顔も出来あがっているというのに間抜けすぎる。おまえの目はふしあなかと壁にあたまを打ち付けたくなるに違いない。

性別を勘違いされていたという日記書きさんの話はちょくちょく耳にする。
シンプルなページデザイン、一人称は「私」、物腰の柔らかい文章、ハンドルネームは(意味がよくわからない)英語。この四つが揃ったらもういけない。読み手ははじめてそのサイトのテキストを読んだときに直感した性別を心にインプットしてしまう。
実は私、この「読み手に性別を感じさせない」というのに憧れている。私にはぜったいできそうにないことだから。
何の予備知識もない状態でどこかから飛んできても、トップページを開けば管理人が女であることは一目瞭然だし、男女兼用できるハンドルネームでもない。テキストを読めば、既婚の関西在住の女が書いていることはバレバレである。
テキストに持ち込む「私」の分量をコントロールできる人が、私の目にはとても素敵に映る。恋人や一緒に暮らす人について触れずとも書けるネタを持っていることにも感心する。私には居住地を隠すことさえむずかしい。性別を明かすまいと思ったら、明日から更新が止まってしまうことは確実だ。
「私」の露出を最小限に留め、「いったいどんな人が書いているんだろう」と読み手の想像をかきたてるミステリアスな日記書きさん。私もネットの中だけでもそんなクールな人になってみたかったなあ。
もしこの先、「小町」の名前を捨てることがあったら、次はそういう路線に挑戦してみようかなあ、なあんて。

【あとがき】
「性別を勘違いされていた」というのは、ほとんどが男性の日記書きさん。女性の日記書きさんが「男と思われていた」というのは聞いたことがありません。女性は恋人や夫の存在を隠さないし、中性的なハンドルネームをつけることが少ないからでしょう。


2002年09月06日(金) 本名の威力

七月に短期契約で仕事をいただいていた某百貨店の配送お問い合わせセンターというところで引き続きお世話になっている。
中元期には何十人かいた派遣女性も、いまは私ひとり。毎日地味にのんびり働いている。
さて、私がいるのは進物をご注文くださったお客様からの「先方にはもう届いた?」や受け取った方からの「これいくらの品?」といった問い合わせに応対する部署。しかしながらフリーダイヤルのため、「それをうちに言われましても……」な電話もじゃんじゃんかかってくる。
そんなときはしかるべき番号を案内してかけ直してもらうのであるが、それができないのがクレーム電話のお客様だ。
「店で〇〇を買ったら接客態度が悪かった。おまえんとこは社員にどんな教育しとるんや。責任者出せ!」
配送センターの人間に怒鳴られてもどうしようもないのだが、とりあえず話を伺い、「担当の者より折り返しお電話させていただきます」と伝える。
が、興奮しているため聞く耳を持たない。そして激昂の末、こう叫ぶのだ。
「あんた、名前は!?」
管轄外の件でなら、唾の飛んできそうな勢いで怒鳴られようが、ループする話を延々聞かされようが、ちっとも平気だ。しかし、こういうシーンで名前を聞かれるのは本当に嫌。
相手かまわず怒鳴り散らすような人だ。名前をメモされたところでなにをされるということはないとは思うが、やはり気味が悪い。クレーム受付窓口で働く社員に業務用の名前を割り当てている会社があるという話を聞いたことがある。うちにもそういうのがあればいいのにと思うのはこんなときだ。
見ず知らずの人に名前を教えることにまったく抵抗のない人はいないと思うけれど、それでも私は人より敏感なところがあると思う。
私の旧姓はかなりめずらしいものだ。小学生の頃は先生にさえ一発で読んでもらえず、書類はしょっちゅう印字ミス、電話口でも正しく復唱してもらえないのが嫌でたまらなかった。姓だけでは電話帳を引くことができない「田中さん」や「鈴木さん」と違って、私の場合は個人を特定されるかもしれない。
ゆえに、必要もない人にむやみに知らせたくないと身構えてしまうところが少なからずあった。
そのため、ごくありふれた姓に変わったいまでも人に名前を教えるシーンではかすかな躊躇や引っかかりを覚えてしまう。これはもう、条件反射のようなもの。
この感覚は、平凡な姓で生まれ育った人にはピンとこないかもしれない。

こんな私だけれど、最近、「本名」が持つ力を実感している。
先月、私はオーストラリア旅行に出掛ける際に「絵ハガキ欲しい人、この指と〜まれ」と書いた。しかし、呼びかけておいておかしな話であるが、まず集まらないだろうと思っていた。なぜなら、それを受け取ろうと思えば住所や氏名を明らかにしなければならないからだ。
いくらサイトの中で二年間文章がアップされつづけてきたとはいっても、管理人の個人情報はなにひとつ記されていない。つまり、そこには「小町」という人間を信用するに値するなにも存在してはいないのだ。そんなネットの中の住人に、誰が大切な自分の情報を提供するはずがあるだろう。
が、フタを開けてみると、絵ハガキ希望のメールが何通も届いた。そのどれもが躊躇や不安などみじんも感じさせない、実に無邪気な文面で。いや、送信ボタンを押すときには多かれ少なかれ勇気のようなものが必要だったろう。
だからこそ、私はうれしかったのだ。読んでくださっている方々と現実の世界でクロスできる初めての試みだったということもある。が、それよりなにより、この人たちが「小町」という人間を信用してくれたことが、たまらなく。
本名を教えていただいたとはいえ、その方々とは絵ハガキの中でも、そしてこれからもハンドルネームでのお付き合いだ。しかし、以前よりずっと近しいものを感じるようになったのは本当だ。こういうこともあるんだとなにかを発見した気分だ。
来月、中国に行きます。また絵ハガキ企画やりますので、よかったら応募してね。

【あとがき】
「ラブレター・フロム・チャイナ」にたくさんのご応募、ありがとうございました!
今回は第2弾ということもあって、メールをばばん!といただきました。海外からのリクエストもなんと5通。わが日記が海の向こうでも読まれているなんてうれしいじゃないですか。あ、もちろん日本の方にですけど。
それともうひとつ、前回にはなかったなーというのが「家以外のところに送って」という男性からのご要望。そう、奥様の手前、というやつですね。会社宛てにとか郵便局止めでお願いというのがちらほらありまして、くすりと笑ってしまいました。
「希望者が殺到していたら、私のは次回にまわしてください」
「私のは一番最後でいいです。もしハガキが余っていたらお願いします」
「絵ハガキは楽しみだけど、それにとらわれないで旅を楽しんできてください」
と言っていただき、ありがたくてありがたくて。思わずモニターに向かって頭を下げてしまいました。
北京、西安、上海。どの都市から届くか、どうぞお楽しみに。