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2002年08月13日(火) 絵ハガキ好き

一度でも一緒に旅したことがある人には必ず言われてしまうことがひとつある。
寝相がどうとか、すぐ迷子になるとか、朝から食欲旺盛とか、そんなことではない。彼女たちが「変わってる」と口を揃えるのは、私が旅のあいだに大量の絵ハガキを書くことについてだ。
私は絵ハガキが好きだ。二泊三日の旅なら十枚は軽いし、新婚旅行中は四十枚書いた。
などと言うと、「観光にも出かけず部屋に閉じこもって書いてたんじゃないの」と言われそうだが、もちろんそんなわけはない。長い船旅だったため、どこにも寄港しない日は海の色が変わっていくのを眺めながらデッキで“執筆活動”にいそしんだのだ。
しかし彼女たちが私をあきれまなこで見るのには、量の多さ以外にもうひとつ理由がある。それは、私の書く絵ハガキの多くが自分宛てであること。どの旅でも、ポストに投函するそれの半分以上は宛て先が「小町様」となっている。
自分に絵ハガキを送る------それは私にとって土地の名物を味わうのと同じくらい立派な旅の楽しみである。
旅行から帰ると、私はそれは気合を入れてアルバムをつくる。コメントをつけるのはもちろん、訪ねた場所にしるしをつけた地図や旅館のメニュー、箸袋を貼り付けるのだ。回収されるはずの切符を駅員さんに頼んでもらってきたり、観光地のパンフレットをていねいに持ち帰ったりするのも毎度のことだ。
旅先で布団に横になる前に、その日あったことをさらさらーっと書く。このテキストを書くときのように力まないし、もちろん決まりごともない。体裁こそ絵ハガキだが、実際には日記なのだ。
それをアルバムにはさみこむ。すると後からページを繰ったとき、写真にも引けを取らないほど記念に残る存在となる。
肉筆はいい。文字の踊り具合で、「そうそう、これは電車に揺られながら書いたんだよな」とか「チェックアウト寸前に慌てて書いたんだったな」なんて記憶が一瞬のうちによみがえってくる。そのときのテンションが何年経っても色褪せることなく伝わってくるのだ。
だから、「切手代がもったいないやん。持って帰れば?」と言う友人にはわかってないなあとあきれ顔のお返しをする。
私は「文面」だけが欲しいのではない。その国の切手と消印にも値打ちがあるんじゃないか。異国の地でいったん手放した絵ハガキが何日もかけて海を越え、日本にたどり着く。わが家のポストに届けられたときにはインクがにじんだりよれよれになっていたりするけれど、その旅の軌跡こそ私が残したいものなのだ。
「よく帰ってきたねえ!お疲れさん」
伝書鳩が無事に手元に帰ってきたとき、人はこんな気分になるんじゃないかと想像する。
友人はこの楽しみが理解できないようだが、こんな素敵なことをどうしてしないんだろうとこちらが首をかしげたいくらいだ。私にとって「旅の友」といえば、地図でもガイドブックでもなく絵ハガキである。

さてさて、遅ればせながらわが家も明日から夏休み。南半球へ避暑に行ってまいります(わ、自慢げ。けど、うちクーラーないんだもん)。
というわけで、今回もまたどっさり書いてくるんだろうなと思っていますが、どんな絵ハガキなんだろうと興味を持たれた方がいらっしゃったら、お気軽にメールください。本日中に必要事項をいただけたら、近いうちにあなたのポストにびっしりと文字の詰まった一枚をお届けいたします。
これが出発前の最後の更新。次回の更新は八月二十三日の予定です。みなさんもよいお盆をお過ごしください。

【あとがき】
絵ハガキを書く人は案外少ないのかもしれませんね。海外旅行中でも友人が絵ハガキを書いている姿はほとんど見ないし、うちにもめったに届かないし。ふうん、私なんてなにを持って行き忘れても住所録だけは忘れないけどな。
ではそろそろ行ってきます。絵ハガキ希望された方、首を長〜くして待っていてね。


2002年08月11日(日) 色気のある人

「ほんとに色気のない女だなあ……」
夕食の後片付けを終え、くつろいでいるときに耳に飛び込んできた夫のつぶやき。ソファに横になってテレビを見ていた私はドキリ。あわてて足元をチェック。
が、彼の視線の先にいたのは私ではなく、『ショムニFINAL』の江角マキコさんであった。
ふだん女性の品定め的なことをほとんど口にしない彼が感極まったようにつぶやいたところを見ると、よほどのものがあったのだろう。江角さんになのか、坪井千夏になのかは知らないけれど。
そのときは「どこらへんが?」とは尋ねるまでもないような気がしたのでスルーしたが、ここ数日「そういえば色気ってなんだろう」と考えている。

みなさんのまわりにも、「色気がある」と評される女性がいるだろう。色っぽい女性と聞いて思い浮かべるのは、バストが豊かだったり、美脚だったり、むちむちしていたり、口元にほくろがあったり、ハスキーボイスだったりといったところではないだろうか。
しかし、私はいま挙げたような肉体的要素に由来するなまめかしさ、あだっぽさをあえて「セックスアピール」という言葉で表現し、「色気」とは区別して考えたい。
たとえば叶姉妹。あの胸から腰にかけてのまるでひょうたんのようなくびれ具合はたしかに眼福ものだし、彼女たちの売りがそれであることも間違いないが、私としては「色気がある」とは言わない。外見的特徴に依存するのではなく、あくまで内面的、精神的な要素から発生するもの。仕草、表情、言葉、文章------そういったものにおのずとにじみ出るものが私の思う「色気」である。
セックスアピールの上に色気が乗っかれば、それはもう行く道敵なしのオラオラ状態であろうが、そんなのはまれだ。ふつうはまあ女の子が十五人くらいいたら、どちらかを持っているのがひとりいるかどうかというところではないだろうか。
そして、私は「セックスアピール持ち」と「色気持ち」を勝負させたら、後者に軍配があがると思っている。
なぜなら、色気持ちはたいてい自分の中のそれを自覚していて、効果的に出したり引っ込めたりする計算高さを持ち合わせているからだ。もちろん本人はそんなことはおくびにも出さないけれど。
「美人は三日見たら飽きる」と言われるが、それに比べ、外からは窺い知れない部分が実は……というのは、異性をやたらとかきたてるものがあるような気がする。

私の友人にもう十年近く、男日照りが続いているのがいる。
どうしようもなく不器量だとか性格がねじ曲がっているということであれば納得もいくし、あきらめもつくのだが、彼女はものすごい美人である。
なのに、いまや堂々たる蜘蛛の巣城の主だ。なぜか。
色気がない。このひと言に尽きる。人目を引く見た目をしているにもかかわらず、そそるものがない。私はその原因を、彼女の「気のつかなさ」「男心の機微を読む力の欠如」によると分析している。
たとえば、ある合コンの席で。彼女は男の子から電話番号を書いたコースターを渡されたというのに、それをいつまでもテーブルの上に置いたまま。相手は照れくさい思いをしているだろうから、そういうときはさりげなくバッグにしまうのが受け取った側のマナーではないかしら。たとえ彼に興味がなくても、相手に恥をかかせぬだけのリアクションはするべきだ。
「営業先でもらった名刺じゃあるまいし、さっさとしまってあげなさいよ」
私はハラハラしながら見ていたのだが、結局、彼女はそれを店に忘れてきてしまった。そこまでの仕打ちをしておきながら、「まんざらでもなかったのに」なんて言うのだから驚いてしまう。
そんな彼女に「爪の垢を煎じて飲ませてやりたい」と私が思い浮かべるのは、大学時代のクラスメートだ。入学してすぐの初顔合わせの場での自己紹介で、私は彼女のひとことに頭をガツンとやられた。
彼女は無邪気にこう言った。
「私の特技は『甘いかぼちゃを見分けること』です」
スイカでもなくメロンでもなく、かぼちゃ。
私は料理が好きなんですよ、得意なんですよ、家庭的でしょ------彼女がどこまで意図していたかは知らない。しかし、これほど含蓄に富み、背景を読ませる言葉があるだろうか。
これは天性のものだ、と私は心底感心した。そして私の読み通り、その後彼女はモテにモテた。
「えっと、特技はカラオケマラソンです!」
と元気いっぱいに答えた私の行く末は述べるまでもない。

【あとがき】
私が色っぽさ最強だと思う女性は、峰不二子ですね。「そりゃないぜぇ、ふ〜じこちゃ〜ん」とルパンはしょっちゅうトホホな目に遭わされているけれど、不二子から離れられない。彼女が単なる美人、スタイル抜群というのでなく、頭がよい女性だからでしょう。でないと色気は宿らないと思います。私は色気のある男性が好きです。