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2002年01月19日(土) タイムマシンの功罪

読売テレビの『秘境とニッポン!交換生活』という番組を見た。
日本の大工一家が、「橋」がなくて困っている秘境の村を助けるためにパプアニューギニアに赴き、村人たちと生活を共にしながら橋を完成させる。一週間後、あちらの一家族を一緒に連れて帰り、今度は彼らに日本の生活や文化を経験させてあげるという内容であった。
日本人が単身で外国や未開の地に渡り、そこに生きる人たちとの触れ合いを通してなにかを見つける……そんなドキュメント番組は好きだ。われらが同朋が、豊かで安全な国で暮らすうちにすっかり忘れていたもの------人の温もりであったり命の尊さであったりに気づいたり、麻痺していた感覚を取り戻したりする姿には心を揺さぶられるものがある。
『世界ウルルン滞在記』も毎週欠かさず見るけれど、本当に毎回ウルルンときてしまう私だ。

が、しかし。この逆バージョンとなると、ちょっと事情が違ってくる。私は「お世話になったお礼に」とか「懐かしの再会」の名目で彼らを日本に連れて来ることには戸惑いを感じてしまうのだ。
「彼ら」というのが日本と変わらぬ物質社会に暮らす人たちであれば、「ようこそ!日本のいいところをいっぱい見て行ってね」と無邪気に思える。が、たとえば今日の番組に出てきたような人たち------雨水を飲み、手で火をおこし、年齢を持たず、裸に素足で生活しているような------をヒョイとつまむように私たちの国に連れて来ることが彼らにどういう影響を与えるだろうかと考えるとき、私は複雑な気持ちになる。
飛行機という名のタイムマシンに乗せて運んで来て異次元の世界を垣間見せることは、はたして彼らにとっていいことなんだろうか。今回もパプアからやってきたグヤム一家を見ていて、いくつかの場面でそのことを考えた。
初めての夜、家族は言った。
「こんな立派な家はもったいないので、私たちは外で寝ます」
私は「え、これが立派!?」と思わず笑ってしまったが、すぐに彼らの木の家を思い出した。
グヤムママが夕食におにぎりを一個しか食べない。「どうしたの?食欲ない?」と心配する日本の家族に、ママがつぶやく。
「おいしいものを食べ過ぎると、村に帰って懐かしくなってしまうから」
かの地ではとうてい手に入らない「便利」や「快適」を教えてしまって、彼らをいたずらに刺激することにはならないだろうか。このような生活をうらやむようになることはないと言えるだろうか。私は胸の奥がちくちく痛む。

しかし、そんな私を少しホッとさせてくれたのが三人の元気な息子たちだ。
遠くに見える観覧車に「でっかいクモの巣だなあ!さすが日本だ」と感動し、大きなビルを指差して「あれはなんという山ですか?」。マネキン人形を見て「あの人、死んでるみたい」と怯え、マッサージチェアが動き出すと「中にヘビがいる!!」と飛び上がって驚く。
環境の違いによるショックは凄まじいものがあったろうに、恥ずかしがることも萎縮することもなく、日本に来られたことを心から喜んでいる。彼らの楽しげな反応に、私はずいぶん気持ちが楽になった。
別れの前日。「村に帰ったら、日本でお父さんに教えてもらった大工仕事で家や橋を作りたい」と言う彼らのために、日本の家族は大工道具や筆記用具を買い揃える。どれも秘境の村にはないものばかりだ。
しかし、彼らは受け取らないかもしれないと私は思った。その地にはその地の暮らしがある。あれば便利で助かるけれど、彼らはそれを望むのだろうか。
それに私の中には、日本から持ち帰るそれらが無欲で素朴で平和な彼らの生活を変えてしまうきっかけになりはしないかという危惧もあった。「たかがノコギリや鉛筆じゃないか」と人は言うかもしれない。しかし、人間のほんのささいな行動がときに自然の生態系を狂わせてしまうことがある。
あなたは『ブッシュマン』という映画を覚えているだろうか。アフリカの砂漠に住むブッシュマンの家庭に、ある日天から贈り物が届く。その「贈り物」とは、パイロットが空から投げ捨てたコーラの空き瓶なのだが、ブッシュマンたちはなんだろうかと探っているうちに、それが木の実を割ったり脱穀したりするのにとても便利な代物であることを知る。
しかし、その「便利さ」が彼らを変えてしまう。「独占欲」が芽生え、それをめぐって、これまでケンカひとつなかった平和な家庭に争いが起こり始めたのである。そして困り果てた父親は、この贈り物を神様に返すために旅に出るのだ。
しかし、グヤム一家は受け取った。「村のみんなと大切に使わせてもらいます」と喜んで。その笑顔は私の考えが杞憂にすぎないことを物語っていた。
日本の家族があちらへ行って「もらって帰ってきたもの」と同じだけのものを、彼らに持ち帰ってもらえたかどうかはわからない。けれど、ものめずらしさだけが彼らの中に残ったのではないとは信じられる。
言葉でないと伝えられないことは、その人にとってそう必要な事柄ではないのかもしれない。本当に大事なことは言葉がわからなくても通じ合うものだ------別れの涙を見ていて、そんなことを思った。

【あとがき】
よく映画や小説の中で、過去にタイムスリップした未来人が言うでしょう?「歴史を変えてはならぬ」と。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中でも、マーティはブラウン博士に「下手に動いちゃいかん。歴史が変わってしまう」と言われていた。私の中に、未開の地に住む人たちにそういったものを持たせることはそれに近いものがあるのではないか、慎重にすべきじゃないかという思いがあったのです。でも考えすぎなのかな。


2002年01月11日(金) ささやかな運命論者

「人はタクシーを止める瞬間、ささやかな運命論者になる」と言ったのは向田邦子さんであるが、たしかに私たちは心の中で“運試し”をしながら生きているように思う。
たとえば、映画館や新幹線で。まもなくやってきて隣席に座るであろう人を思うとき、私はいつも念じる。
「うるさいカップルは勘弁して」
「どうか太った人ではありませんように」
初めての美容院を訪れたときもそうだ。上手な美容師さんに当たってちょうだい、とまるでルーレットの玉が落ちるのを息を詰めて見つめているときのような、祈りに近い気持ちになる。
人は“いちかばちか”をするとき、心の中に「なるようになる」という楽観と「なるようにしかならない」というあきらめの両方を用意する。運を天にまかせることによって勇気を出しやすくなるということはたしかにあるし、たとえ失敗しても「しかたがない、そういう運命だったのよ」と早く立ち直れそうな気がする。占いの類には興味のない私も、こういう賭けなら心の中でしょっちゅうやっている。
いまでこそ先に挙げたようなささやかなものしかやらないけれど、その昔は恋愛事に関するけっこうヘビーな運試しもしたものだ。どうしても勇気が出ないとき、判断がつかないときに、
「もし明日の飲み会であの人と近くの席になったら、縁があると信じよう」
「週末までに彼から電話があったら、デートに誘おう。かかってこなかったら、脈がないと思ってあきらめよう……」
なんていう具合に。
中でもひとつ、忘れられない賭けがある。

別れて二年が過ぎても忘れられない……。そんな人がいた頃があった。
が、強がりな私にすでに自分のことを忘れて新しい生活を送っている相手に「やっぱり好きなの」とすがるような真似ができるわけがない。電話に手を伸ばしそうになるたび、「プライドを持て!」と気持ちをねじふせた。しかし、「前にも進めないし、後にも戻れない。私はいつになったらこのトンネルを抜けられるのだろう」と焦燥感ばかりが募る毎日だった。
が、チャンスは突然訪れた。何の因果か、私は彼の従兄と同じ職場だったのだけれど、その男性の父親が亡くなり、部署の者全員で焼香に行くことになったのである。
亡くなったのは彼の伯父だ。通夜に出席しないはずがない。会えるかもしれない……!期待と緊張で体が震えた。
通夜はその男性の自宅で行われた。いかにも旧家という雰囲気の古くて大きな家だった。
私は記帳しながら、玄関で弔問客に頭を下げる親族の中に彼の姿を探した。弔問客の長い列が表まで伸びていた。私たちは玉砂利の庭に設けられた焼香台に進むまでに何十分も待たなくてはならなかったが、私は彼を探して、探して、探していた。
ようやく焼香台が見える位置まできたそのとき。私はついに見つけた。前方の広い和室に庭を背にして親族が正座し、読経を聞いている。その中に彼がいた。
声をかけたら必ず届く、そんな距離に彼がいる。懐かしい背中に思わず涙があふれた。
私がこの庭を立ち去るまでに彼は振り返るだろうか。何かを感じて振り返り、弔問客の中に私を見つけるだろうか。
私は賭けた。もし彼が振り返ったら、私は彼に伝えよう。もし振り返らなかったら……彼をあきらめる。

それからかなりの月日が経ち、彼と話す機会があった。
「兄ちゃんに聞いたよ。あのとき来てたんやってな」
「うん」
「でも会えんかったな」
「うん」
それからまた何年かして。私は別の男性と結婚をした。

【あとがき】
「息を詰めて見守る」とはこういう心境をいうのだなと初めて知りました。私の焼香の番が回ってきて、私は心の中で叫びました。「いま、あなたの数メートル後ろに私が立っているのよ。どうか振り返って!」と。だけど、彼はついに振り返りませんでした。いまは思います。あのとき賭けをしてよかった。あれがなければ、私の中でいつまでも彼への思いがくすぶりつづけていたかもしれない。いまの幸せは手に入らなかったでしょう。ああいうシチュエーションが起き、私が「賭けをしようと思った」そのこと自体がめぐりあわせだったのかなという気がします。