「ありがとう」という言葉はあまり好きではない。
言っても言われても嬉しい。
だからこそ好きになりたくない。
「ありがとう」のために僕は生きてきたんじゃない。
そんな思いが心の奥底にヒッツイテル。
小学校、中学校、高校。
そして大学。
16年の学業を修め、何か変わっただろうか。
表面的な知識や方法だけではないはずだ。
曲がりくねった枝もある。
頑固に捩れてしまった枝もある。
でも、幹の部分は真っ直ぐに育ってきた。
照れくさくて、言えないけど。
今日は16年分のありがとうを送ります。
父へ。
母へ。
これからやっと、恩返しができそうです。
今まで通り、家では何も喋らないやろうけど。
だからといって感謝を忘れているわけではありません。
また、いつかの思い出話で盛り上がりましょう。
写真:『渡りきり』(岡山県備前市にて)
澄まず
濁らず出ず入らず
蛙はわかず
藻は生えず
魚が七分に
水三分
写真:『目に見えるもの』(京都知恩院にて)
華寿・・・60歳
緑寿・・・66歳
古希・・・70歳
喜寿・・・77歳
傘寿・・・80歳
米寿・・・88歳
卒樹・・・90歳
白寿・・・99歳
上寿・・・100歳
4月からこんな知識もいるみたいです。
研修で習いました。
「華と緑は古いほど喜ばれる。傘と米は卒業して白に上がろう。」
こんな強引な歌で覚えりゃ良いんですよ。
知識なんてそんなもんすよね!!
写真:『節々積重ね』(京都化野念仏寺にて)
学生生活もあと三日。
といっても日を跨いだから社会人というわけにはいかない。
出来ることだって限られてる。
でも、区切りというものはとても大切。
ブックエンドで区切られる4年間。
相変わらず「都会の似合う女の子」は好きだ。
そんなんやけど自分なりに変わってきたと思う。
写真:『HARESORA』大阪府枚方市にて
秀才は秀才止まり。
いくら頑張っても天才には勝てないし、カナワナイ。
同じように馬鹿は馬鹿。
馬鹿を演じても、本物には及ばない。
そして本当に賢いやつは、賢さなんかにコダワラナイ。
名誉や地位なんかに無関心なんだと勝手に推測している。
周りの人が気になったりしてたけど、最近全く感じない。
久しぶりに考えることがあったから書いてみた。
ARRSI!!
写真:『コマネチ・カポエラ!!』(京都松尾大社近くにて)
本日は私からお願いがあります。
頼むから、頼むから・・・
ヤンキーは母校に帰ってくれ!!
原動機付き自転車にまたがり、蛇行運転。
もちろん2ケツ。
思わず轢きそうになりました。
そういえば高校時代に4ケツで学校行ったことがアリアス。
といっても真夜中に。
あの頃の思い出は6年経った今でも鮮明に覚えているんですね。
おれらはワカカッタ。そしてバカダッタ。
写真:『going my home』(山形県新庄市にて)
2006年03月25日(土) |
イマダジョウショウセズ |
同情と愛情
眼に見えるものが全て?
幸せになるのが恐い
夢も現実も一緒になっていく
夢なら飛べるはず
イマダジョウショウセズ
写真:『思い出たち』(大阪府高槻市にて)
良い感じで日記が進んでいる。
溜まっていた50日分を一気に書く毎日。
しかも結構時間が掛かる。
書くことが無い日もたまに出てくるし。
で、今日がそれ。
なわけで読んだ本の印象的な箇所を書いておきます。
私の近隣には十九人の男が住んでいる。
そのうち十八人は馬鹿だが、残った男も大したことはない。
ベシー・スミス
写真:『その他大勢』(大阪府大阪市北区にて)
2006年03月23日(木) |
シャッターを切る勇気 |
昨日(2006年03月22日)の日記に引き続き、変な人写真。
なかなか勇気が要ります。
東京に写真旅行行った時は、こんな写真を結構撮っていた。
面白い被写体がいっぱい。
「TOKYO」という非日常空間で眼が新鮮になってるんかな?
気分はまるで戦場のピアニスト。
HOME(大阪・京都)では絶対できない。
AWAYやからこんな大胆なこともできるんです。
前のEXLIM−EZ30はもう少し隠し撮りしやすかったのに。
日本でこんだけワクワクできんのやったら、海外はどーなるんやろ。
おかしくなりそう。
守るものが無ければ、多分帰ってこなくなりそう。
いざとなれば、パスポートでも無くそう。
写真:『朝一の光景』(埼玉県さいたま市大宮区にて)
新聞配りのバイクが5時の早朝を破っていく。
そんなんで部屋の電気がまた一つ点いた。
最近足がよく疲れる。
足の感覚だけが鈍いのに重くて、寝付けない。
マラソン選手みたいに安全ピンで刺したら楽になりそう。
こういうのが「だるい」っていうのかな?
自分の気の持ちようで病気になる。
どんな状況にもたじろかない精神力を養うため、 僕はこれからも精神論者でいこうと思う。
妥協は許されない。
写真:『Merry Xday』(埼玉県さいたま市にて)
西院の交差点からの夕暮れが好き。
ひんやりとした朝の妙心寺が好き。
等持院の角に咲く朝顔が好き。
六角通りから四条通までは微妙に遠い。
三条を走る路面電車の凹凸が好き。
円町はなるべく春日通りから行く。
市場を抜けて、銭湯があって、行きたいと思っていた。
でも4年間では結局行かなかった。
通学路っていう響きも懐かしい。
また時間があればフラフラ歩き回ろうと思う。
写真:『ドンツキ左手』(東京大久保にて)
今の自分に誇れるものはありますか。
周りを見れば自分よりも幸せな人や凄い人がいっぱい。
だからといって周りを見なければ良いという問題でもない。
相手もそれを願っていない。
石は石、ダイヤはダイヤ。
適材適所に配してやれば、自ずとそれぞれが宝になる。
本田宗一郎
写真:『自ら気付かない』(滋賀県安曇川町にて)
100%満足しきって人生を終える人はどれくらいいるんだろう。
伸びきったゴムのような時間。
だからこそ、僕たちは前に進めれる。
轍に書いたことがあるけど、時間を切り貼りしたい。
そんな自分勝手で馬鹿げたことだってできるはず。
写真:『駆け出せ!!』(新潟県能生町にて)
2006年03月18日(土) |
一つの星座に1000万人 |
自己分析って結局は自分の理想像を想定して答えを選んでいる気がする。
選択肢もそれがどのように反映されるのか想像に難くないものばかり。
簡単なテストで自己発見とかできるわけもない。
タイプ分けしたり傾向を当てはめることで、 得られるものよりも失うものの方が大きい気がする。
深層心理にしても同じだと思う。
だいたいは万人に当てはまるようなことしか書いてない。
あなたは〜型って言われれば受け入れてしまうものだと思う。
「そういえばそうかも・・」って
写真:『右足か左足?』(東京渋谷にて)
宗教などにおいて何かと反語が多い。
それはさも悟りきったかのようである。
反語を使ってわかってそうなことを言うだけで、 あとは教養のある人が勝手に解釈してくれる。
それは往々にして指導者の都合の良い方向にである。
古館さんはこれに似たような感じだと僕は思う。
写真:『人の穴』(静岡県富士宮市にて)
心身ともに健全な22年間。
心の方は少し捩れてるけど・・・
そして最近考えることがある。
五感を感じる時、初めて第六感を感じるのではと。
それとも五感を補うために第六感があるのか。
いずれにせよ、幸せな話だと思う。
写真:『P245』(大阪府高槻市にて)
2006年03月15日(水) |
エコノミックアニマール |
きちんと生活していながら、自殺を望む人もいる。
理不尽とどのように向き合うのかが大切だと思う。
「怠ける」と「何もしない」は違う。
もっと人生と気楽に関わりを持とうと思う。
写真:『垂れ首、洒落首』(滋賀県米原町にて)
これまで頑張ってきたことを人に話したくなりませんか?
勉強やスポーツ、友達、旅行、バイト・・・
僕自身は優越感や自己満足が好きです。
でも、「自慢」って「自満足」ってわかっている。
だからなるべくは止めようとは思っている。
頑張ってきたことをみんなに知ってもらいたい。
そんな思いを持つことは少しヤマシイのかとも思う。
下心のない自慢をして、それに対する何らの詮索もない自己開示。
どうしたら痛い目を与えられるだろう。
こんなこと精一杯考えたくない。
写真:『数多の足跡』(静岡県熱海市にて)
未来は過去に似ている。
生まれる時も死ぬ時も、結局は一人。
始まりと終わりが似ているなら、その間も大したことは無い。
毎日違うけど、そう大きくは違わない。
人生という括りで見るとつまらないけど、 毎日という括りで見ても疲れるだけだ。
写真:『片栗の花』(京都大山崎町にて)
僕の写真は簡単なものが多い。
個の集合体を撮ったものや、その逆で全体の中の一つとか。
そして常に非日常なものに眼を向けている。
農村部に行った時のように今日では日常の風景が、非日常であったり。
その対比として東京を好んで撮ったり。
だから当たり前のような写真は少ないように思う。
スナップ写真もあんまり撮らないし・・・
でも、ただ単に風景を撮ってるだけな写真は大多数になってしまう。
プロの撮影場所に行き、同じカメラで、同じ設定で、同じ条件で。
完璧に同じとは言えないが、近いものは撮影することができる。
そんな風景の中に友達の姿があるだけで、唯一無二の写真に変わる。
盗撮(言葉を換えて『隠し撮り』)もサヨナラかもしれない。
いや、やっぱり続けていこう。
せっかく光学12倍買ったし。
写真:『東京自由旅行より』(東京新宿にて)
成果を出し惜しみできる人になりたい。
あの日の僕はまだ家出したまんまだ。
本当は帰りたい。
そう思いながら、今日も川べりで座っていた。
意味ありげなかっこ.
黙ってりゃかっこがつく。
写真:『斜陽』(神奈川県江ノ島にて)
仲良くなるのに近道はない。
それはお客様とであったり、友達であったり、サークル仲間であったり。
年老いてから仲良くなる人もいる。
仲良く見えることを嫌う人もいるかもしれない。
だから離れていく人もいるかもしれない。
ずっと一人だった人が、遺言で「今までありがとう」
どちらかが死ぬまでにそれが伝われば良いと思う。
写真:『さぁ帰ろう』(京都谷山林道にて)
中華まん!!
寒い日にはきっと助けてくれる。
僕は信じてる。
子供はいつのまにか靴をはいていた。
マッさらな滑り台に上れなくなっていた。
そうやって僕らは大人になっていた。
写真:『大人の視線』(三条商店街にて)
またちゃんと報告はしますが、とりあえず配属が決まりました。
営業統括部 紳士・リビング営業部 リビング営業担当 家庭用品
8階でしゃかりき頑張ります。
三日坊主にならないように精進します。
写真:『ひらめき!?』(東京原宿にて)
2006年03月07日(火) |
better days |
よく自己嫌悪に陥ったりする。
でもそれはよくよく考えると、とてももったいないことだと思う。
せっかくの思考プロセスがそこで終わってしまう。
そこから先には進めなくなってしまう。
自己嫌悪に陥ることは簡単だ。
堂々巡りばかりで、何も生まれないことを知っていながら。
写真:『S・T・O・P』(東京中目黒にて)
僕の出身は立命館大学。
そこで文学部地理学科地理学専攻で学士を頂いた。
でも僕はもう一つ学士を持っている(つもり)。
それは旅学科の旅学専攻。
BEPALか何かで載ってた素敵な言葉を書いておこうと思う。
「自由な両手は未知への翼」
動けるうちに動いて、働けるうちに働こう
写真:『旅人』(熊本県阿蘇市にて)
2006年03月05日(日) |
自分の周りの人のために |
現代の医学は人間の生存条件に必死になって闘ってる。
どれだけ生物学的に引き伸ばせるかということだけに必死になっている。
心臓さえ動いていたらそれで良い。
体は生きていても、心は死んでいる。
そんなことわかっているでしょ?
そこに人間としての尊厳はあるんだろうか。
写真:『根深々と』(京都鞍馬寺にて)
子供をどういうふうに育てるか。
最近、教育ママの気持ちがわかってきた。
ちっちゃい頃から塾に行って、英会話もやって・・・
ピアノに習字、そろばん、水泳、サッカー。
そういうふうに育ててくれたらなぁと思ったこともある。
子供のことを考えるとどちらの方がいいのだろうか。
子供の子供時代を考えるのか?
子供の大人時代を考えるのか?
ただ単に将来安泰を望むわけではない。
英才教育でがり勉になって東京大学に入って欲しいとも思わない。
豊かな青年時代を過ごすために、少年時代を充てる。
あー。将来設計って楽しいなぁ。
ちなみに全ては「死」が起点。
写真:『陽が落ちて』(京都御所にて)
どんな金持ちも権力者も流れる時間はみな同じ。
だからこそ若さにこだわりたい。
順序は違うかもしれないが、若気の至りを今のうちにやっておきたい。
よぼよぼばぁちゃんも数十年前はイケイケだった。
いっぱいモテただろうし、色んな男と寝てきたのかもしれない。
だから電車の中で堂々とプロセスチーズ食おう。
チーズ食ってるぐらいでじろじろ見んなよ。
久しぶりに学校行って、いい気分になってチーズ食ってました。
やりたいように・・・
そんなんまともな人間なら無理だって。
写真:『秋の音階』(京都三条御幸町にて)
言葉の無い会話を楽しみたい。
欲を言うなれば、その前提を相手に伝えることも言葉無しで成し得たい。
それは一人で完結してしまう時もあるけど、そうばかりとは限らない。
確率論の話では全くない。
価値観の押し付けといわれても構わない。
でも今は、面と向き合って言葉を交わしたい。
だから今は、ほんの少しでいいから言葉が欲しい。
写真:『はちみついっぱい』(愛知県長久手町にて)
エイプリルフールまで残すところあと一ヶ月。
嘘はつきつ、つかれつ。
まるでマラソンのような言い回しになっちゃった!!
とは言っても一ヶ月半の間日記が滞っていたから、 これ書いてるのも04月02日なのです。
とりあえず30週遅れぐらいになってるから追いつきたいところ。
こうやって相対性理論は打ち破られていくのですね。
写真:『旅の最後』(京都花園駅にて)
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