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明日 咲く花
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2009年10月31日(土)  ひろみ〜♪

今日で10月も終わりだというのに、
掃除機をかけると、暑い暑い、信じられない。
これが関西?これは、温暖化?
とにかく、暑いのが苦手なので「ぶへー」って感じです。(ー_ーメ)


郷ひろみファンクファブ会報が届きました。
今回は、ウェンツ●●君とのツーショットが表紙♪
若者と並んで写っても輝いているひろみさん♪
もー、ラブラブ(*^_^*)
すっごい素敵に写ってる〜。
ここに載せたいけど、違法なのね。残念。(T.T)



その会報に、来年からのコンサートチケット取得についての「案」が
載っていて、オフィシャルサイトには、ちょろっと意見の書き込みが
ありました。

私的には、
当然か?という気持ちと、
これは困ったことだ。という気持ち。


かの「矢沢永吉」さんも、ファンクラブ優先座席のライブチケットを
とる際には、会員のみ。それも会場に入場の際には、顔写真付きの
ファンクラブカード?を提示しての入場とか。

郷ひろみさんのコンサートは、違ったのだよ。
ファンクラブ会員の人が一人いれば、
コンサートの申し込みは4人までOK。
つまり、ファンクラブ優先座席に、ファンクラブ会員ではない人3名まで
座れるって事です。


ここ数回、ひろみさんのコンサートにご一緒している、
いわゆるGO友さんも、私が会員なので、彼女は会員になる事はせずに、
「申し込み、よろしくお願いします」と頼まれてる。
もし「案」が通れば、来年からはファンクラブ会員ではないGO友さんは
後ろの席になるわけで…。
「案」が通った時の、GO友さんの、落ち込んだ顔が目に浮かぶ。

今まで、私の娘たちも、恩恵にあずかっていた。

娘たちと一緒にコンサートに行くとしても、座席がバラバラって事になる。

「そんなん、いや。じゃ、一緒に行かない」

絶対、言う。
娘らは、絶対に、そう言う。(ー_ーメ)



ごめんなさい、郷さんに興味のない方には、全く面白くないお話ですね。
でも、私的には、とーーーーーっても重要なのですよ。


私の心の裏側を吐露すれば、
ここ数回同行しているGO友さんも、
ファンクラブ会員になったら良いと思ってるし…。
何回も勧めたんだけど、
その気はありそでなさそで。
お金がかかる事だからね。





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「御利益」っての?

あれがあると思うの。

そう思うだけで、幸せな気分になれるでしょ?

何か良い事がおきそうな気持ちになるでしょ?(∩.∩)

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個人的意見としては、
優先座席は、1会場につき2名まで。(1名がファンクラブ会員ならOK)
ってのが、良いんだけどね。
自分の思ったように事が進むなんて、なかなか難しい。


現在のように、年間55公演がソールドアウトになるのは、
ひろみさんの人気も当然ながら、
ファンクラブ会員がチケットを入手する際、会員一人に付き四名まで
申し込めるという特典が重要ポイントになっていると思うのです。

次回「案」が通ると、年間55公演ソールドアウトは無理かも…と思う。
「もしかして良席かも…」と期待して、生粋のひろみファンと共に申し込む
「ちょっとファン」な方々が、「後ろの席なら行かない」と言いそうで。


今ね、BSでヤザワさんのライブを放映しているの。
還暦ですって。
年齢を感じさせない、パワフルなステージです。
きっと、ひろみさんも、(還暦まで健康なら←これ、重要)、ヤザワさんの
ようにパワフルなステージを魅せてくれると思います。

しかし、ヤザワさんは、大きなホールでしか歌わない。
それって、パワーを温存できるわけですよ。

ひろみさんは、毎年全国津々浦々、ガンガン歌ってくれる。
ファンにとっては嬉しい事だけど、
ひろみさんにとったら、
ヤザワさんのように、年に数カ所、大きなステージをこなす方が、
身体の負担が少ないわけで。

世の中、本当にうまくいかない。

もしも、ひろみさんが、年に数カ所しかライブをしなくなったら…、
私は、行くかな?
夫の冷たい目を背中に受けつつ、
行くかな?

行くよ。(^^)v





2009年10月29日(木)  思い違い

思いこみとは不思議なもので。

いつ、誰に教えてもらったのか定かではないが、
「とくダネ!」の小倉さんが、郷ひろみさんを嫌いだと思いこんでいました。
ところが、今朝の「とくダネ!」冒頭部分での小倉さんのトークで、
「小倉さんはひろみさんが嫌い」なのは、間違った情報かも…と、
考え直しました。

昨日は、勘太郎さんと愛ちゃんの結婚披露宴。
その時の様子を、小倉さんは話されました。

なんと、小倉さんと郷ひろみさんは同じテーブルだったっ。

披露宴の招待客の席順って、最も頭を痛めるところでしょう。
小倉さんのような大御所?と、大スターひろみさんを同じテーブルに
配するという事は、小倉さんは、ひろみさんを嫌がっていない証拠でしょう。
ね?
そう思うでしょ?


ちなみにその時、




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他のテーブルの方がうらやましがって、「代わってくれ」と言われたとか。

う〜ん、
ひろみさんは、ただでさえいつも綺麗な女性に囲まれているんだから、
それ、余計ですよ。←ジェラシーです

それに、その席の他の男性陣はみなさんご壮年なので、
キレイドコロの視線&心は、みんなひろみさんへ向かったでしょう。


あ〜ん。(T.T)

★初心者★



こんな感じに、タイルの上に置きました。



近所のおっちゃんに、
「それ、鉢が小さすぎやわ〜」と指摘された。
「それに、もっといい鉢に入れろや」と注意された。

おっちゃんがガーデニングに凝ると、とことん行くから、やかましい。

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2009年10月28日(水)  車って便利

いつもは徒歩生活なんだけど、
今日は夫が休みという事で、
休みだからって、いつも休みの日は車が出るわけもなくて、
「車が必要な時は、前もって言ってくれ。(心の)準備があるから」
 と言われてる。

それだからして、1週間前から夫の車を予約しておいた。

ミドリ電化とコーナンと駅のそばのATMと、ディスカウント酒屋参り。

おかげさまで、買いたい物のほとんどを入手できました。
ワンワンのリードとか、コタツ掛け敷きセットとか…etc。



なぜ、私の必要な物は郊外の店舗にしか置いてないのでしょ?

ほんとーーーーに、徒歩生活はこういう時に不便なのですよ。





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うんしょ、うんしょと作業をしていたら、好きもの?が寄ってきて、
あーでもない、こーでもないと、指南してくれました。
たくさん手伝ってくれました。
ご近所さんって、マジ、暖かい。(*^_^*)


近日中に、写真をupします♪



実は、ミドリ電化で一目惚れしちゃってね〜。

なぜ、今、これなのか?と、我ながらびっくり呆れるんだけど、
今は、ノート、それか携帯でしょ?と思うんだけど。


素敵なデスクトップパソコンを発見♪

お値段は、20万円に迫る勢い。

買えねーーーー。(T.T)


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2009年10月26日(月)  秋眠イケメンに勝つ

なんだか、ここのところ、眠たくて眠たくて。

せっかくの「東京DOGS」だったのに、途中で寝ちゃうし、
その後湯船でも寝ちゃうし、
髪の毛を洗ったんだけど、トリートメントしたかどうか覚えてないし、
顔を洗った覚えはあるけど、クレンジングして、、、洗顔フォームで
洗ったっけ?

そうして、真夜中に目がランランと冴える。(笑)


★牡蠣醤油★



最近こっているのは、牡蠣醤油。
このお醤油を使うと、煮汁の色が濃いんだ。
いまいちまずそうに写る。(^_^;

サバのみそ煮、サラダ、とんかつの卵とじ





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みなさんも、経験あるよね?

クローゼットから出してみたら、
「あら、これ、昨年普通に着ていたの?やだ、貧乏くさー」って。


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ユニクロ行ってこよ。




2009年10月24日(土)  つるべ落としの聖なる一瞬

野球が6面ほどできる運動公園が、近くにある。

いつもワンコとそこに行く。

大学生のサークルが野球をしている時は、注意が必要。
球がめっちゃ強いからね。
健康そうな男の子と、それに付随する女の子たち。
太陽の下の若者は、晴れ晴れとして、見ているこちらも明るい気持ちになる。

夕方の散歩。
日の暮れるのが早くなったな〜。

運動公園で、ぐるりと周りを見回す。
360度見回せる。
リラクゼーションタイム。
空や木々の『気』が、身体の中に入ってくる。

それにしても、今日の夕焼けは美しかった。

多分、こんなに綺麗な夕日は生まれて初めて。

明日も晴れだね。

そうつぶやいて、家路に急ぐ。

あっという間に日が暮れるこの時期。

日暮れの一瞬は、神様がくれた宝物。





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昔の人の言うことは、正しい。(*^_^*)

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2009年10月23日(金)  南田洋子さん、ご冥福をお祈り致します。

書かないでおこうと思ったけれど、書きたい気持ちが勝って…。

南田洋子さんが天国に召された。
ここのところの、ダンナ(名前を書くのもイヤ)の好き勝手ぶりには、
腹が立ち放題でした。
とても綺麗な女優さんだったのに、なぜ、痴呆症になった現在の姿を
テレビに出すかな?
それは、南田洋子さんは望まないことなのではないのかな?
ダンナは「僕はこれだけ頑張って介護しているんだよ」と言われたいのか?
テレビ放映されて、お金が入るからか?
全て、「カネ」か?

あ〜、気分悪い。

ドキュメンタリー番組でその様子を流していたらしいけど、
私は一切見ませんでした。
南田洋子さんのプライドを汚すようで。

だから、日本テレビのチャリティー24時間テレビ(26時間テレビ)も、
嫌いです。


今日、徹子の部屋で、在りし日の南田さんが出演した様子を放映してました。
50代も60代も70代も、綺麗でした。
上品で、凛として、頭が良くて思いやりがある性格が、見えました。

最後、ダンナが痴呆症になった南田さんの様子を公開さえしなければ、
南田さんは、綺麗な女優さんとして視聴者の記憶に刻まれた事でしょう。

大原麗子さんのように…。
大原麗子さんも、晩年、どんなにか寂しい辛い日々を送ったかは
想像できます。きっと、想像以上に辛い日々だったでしょう。
でも、南田さんは、大原さんのように、綺麗な姿を大衆に覚えてもらって
この世を去りたかったのではないかな?

どうして、南田さんのダンナは、そこんとこをわかってあげなかったのかな?

南田さんのダンナ、
マイナス1億万ポイント。
来世までマイナスポイント。




2009年10月22日(木)  病みそう。

今日も、いい天気。

お話の続きを書こうとしたけど、当時のことを思い出すと、
イヤな思い出ばかりがゾンビのごとくはい上がってきて、
気持ち悪いこと、この上ない。
続きを書いていると病みそうなので、しばらく休載。(ばく)

恨みつらみが盛り上がったら、続きを書くかも。(笑)



mixiのね、「サンシャイン牧場」を楽しんでいるって書いたでしょ?
あれ、ベータ版だから、そろそろ…と予想していたら、
その時期は思ったより早く到来。黒船到来。
「Kコイン」とかいうのじゃないと買えない物が、たくさん出てきた。
カードでチャージするんだって。
あ〜あ、せっかく楽しく遊んでいたのに、なんか、気持ちをそがれた。
無料でいつまでも遊べるとは思っていなかったけど、
「あら、もう?」って感じ〜。


ちなみに、ついこの前まではまっていた「クックパッド」の
プレミアム登録は、解約しました。
月300円ちょっとの出費が、もったいなくて。

あなた、月に300円とバカにしちゃいけないわ。
1年だと3600円よ。
Yahoo!のプレミアム会員も、解約しようかしら?
あれ、オークションのために登録しているようなものだけど、
オークションなんて、年に1〜2回しか使わないもんね。

クックパッドとヤフーで、年に7200円だぞ。
ひょー!(@_@)





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バカにできないと思うぞ。(・・)(。。)

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2009年10月20日(火)  ウィルスとの闘い

ダルイ…

いつもそうだ。
人混みにまみれると、その後2〜5日、
身体の中にウィルスが在中して闘っている気がする。
闘いに敗れたら、発熱。
でもたいていは、勝つの。

疲れがとれないうちに、また人混みに参戦すると、
負け率が上がるけど。


今日は、喘息の「ゼーゼー」な音と共に目覚め、
頭痛、喉痛、胃痛、下痢。

まぁね、二十歳になるまで月に一度は発熱していた事を思えば、
現在の状態は御の字なんだけど。(*^_^*)


パンパンっ。
明日は治ってますように♪

だって、明日はまたお出かけなんだもーん。




今夜のドラマは「リアルクローズ」。
視聴率は、10パーくらいかな?
ドラマの内容上、視聴者が限られてくるからね。こんなもんでしょう。




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テレビに踊らされてるわ。(^_^;


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2009年10月19日(月)  東京DOGS

不本意ながら、夕食にピザ。



前日、娘たちが伊勢Tの食料品売場で見つけたピザ3種類。
「どうしても食べたい」と懇願され、購入。
あと、菜っ葉のお浸しと、冷やご飯で炒飯。
ちなみに、炒飯の具(ウィンナ)も、「どうしても食べたい」と懇願されて
買った伊勢Tのウィンナでございます。(T.T)


新番組が続々登場〜。

今夜は、小栗旬君と水嶋ヒロ君の「東京DOGS」

※感想※

旬君とヒロ君にくっついている刑事さん役の方が、小栗旬君のミニマムタイプ。
似てる〜、似すぎ〜。もっと他の役者を使えよ〜。

セリフのテンポが速い。字幕をつけてほしいって感じ。
つまりは、若者向けのドラマってことね。月9だし…。
だから主題歌も「EXILE」なのね。

いや〜な予感がするのです。
重要な刑事さん役に、三浦友和さんが出てる。

確か、月9って、マンガや小説から脚本をおこすんじゃなくて、
オリジナルですよね?
まさか、「流星の絆」の再来ってことは、ないですよね?ね?




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2009年10月18日(日)  郷ひろみさん、誕生日おめでとう♪

今日は、郷ひろみさんの54才の誕生日♪

ひろみさん、おめでとうございます。
きっと、どこかでゴージャスなお祝いをなされていると想像。( ´−`)
せっかくなので「友達コレクション」に、ひろみさんを登録しました。
もちろん私のキャラも登録してあります。
いつかきっと、ひろみさんと「お友達」になるんだ〜。(=●^0^●=)





お祝いに、自分に何か買おうと思ったけど、良いものが思いつかず。
とりあえず、次女と三女の三人で伊勢Tへ。

帽子が似合わない私ですが、自分なりにめっちゃ似合う帽子を発見♪
1まんえん。
う〜んと悩んで、買うのを止めた。
決断力のある私とした事が、、、いや、買わない決断をしたって事か。


4Fで、手作りグッズの期間限定販売をやっていて、(あと2日で終了)
そこで、かわいいブレスレットを見つけた〜。
1500えんなり。
これ、買った♪



ほんで、DVD-Rとかプリント用紙とか、あれこれ買っていたら
結構な金額になりました。
「締め」は、食品売場でのお買い物。
総菜部門ではなく、食材を買ったのに、5000えんを越えるお値段。
絶対、お高い。(T.T)


★今夜のご飯★



松茸ご飯、かぼちゃのグラタン、里芋とゴボウの煮物


というわけで、ひろみさんの誕生日は、散財の日となりました。(笑)





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2009年10月17日(土)  雑感あれこれ

録画していた、「不毛地帯」を観た。

早く観ないと次の回が始まっちゃうからね。
2回目が放映されたら、初回を観る気力がなくなりそうで。


重かった〜。
難しかった〜。
お腹の底にぐぅんとくるドラマ。
次も観よう。


シベリアって、私のじーちゃん、ばーちゃんが戦時中に住んでいた所だ。

ドラマの細かい感想は、いつかまた。



mixiの「サンシャイン牧場」をやっていると、個人の性格が見えてくる。
私?
私は、自分本位の性格ですよ。(笑)
良かったら、マイミクになって下さい。
「森 芽衣」というハンドルでやってます。
断っておきますが、日記の方は全く何も書いてません。
牧場をしてるだけです。(^◇^;)





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2009年10月16日(金)  ぶんぱっぱ、ぶんぱっぱ♪

mixiのアプリで「サンシャイン牧場」というのがあるんだけど、
レベル10になれたので、「畑」の他に「畜産広場」へ行けるように
なりました♪
名古屋コーチンとフランス鴨を飼ってます。
しかし、レベル10の次に目指すものがなく、これから何を目標に
暮らしていけば良いのかと、少々悩むところです。(ばく)

★好評★



じゃがいもとほうれん草のマカロニグラタン
パエリア
サラダ&牛肉のたたき



久しぶりにデジカメで撮りました。
意外に、思った以上に、下手くそな撮りっぷり。(T.T)

見た目よりはおいしいんだからね。





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ひろみさんの誕生日に、買おうかな。。。。


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2009年10月15日(木)  お話「その三」再開。

お勧めの「JIN-仁-」が、今度の日曜午後3時に再放送されるそうです。
「高視聴率御礼再放送」だそうです。
観ていなかった方は、是非♪(*^_^*)




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その三 借家暮らしと半袖と安月給
 

夫の実家で1ヶ月ほどお世話になった後、
やっと新しい住まいに引っ越した。
勤め先も住居も決めずに北海道から引っ越したので、
勤め先が決まるまで夫の実家に世話になっていたのだ。

そこは、築15年、いや築20年は経つと思われる借家だった。
知り合いの知り合いから紹介された借家は、お風呂がシロアリに食われて
腐っていた。
隣に住んでいた家主さんが、お風呂を作り直してくれた。
システムバスではなく、大工さんが作った木のお風呂だ。
4年後またシロアリに食われ、
大勢のシロアリたちがハネをばたつかせ、旅だって行ったのは言うまでもない。


五月。
まぶしい日差しの中、
ボロでも一軒家に住める事が嬉しくて、
半袖で汗をかきながら、引っ越し荷物を片づけた。


さあ、新しい生活が始まる。

私はこの土地で、うまくやっていく事ができるのだろうか?

軽い不安と期待。

そして、五月なのに半袖な暑さに、けっこうな衝撃。

ここは、亜熱帯地方なの?



1ヶ月かけて探した夫の職場は、洋風レストラン。
給料は、忘れもしない手取りで16万8千円。


あまりの給料の安さに不憫に思った姑が、毎月家賃を補助してくれた。


この時、初めて家計をまかされた。
北海道で暮らしていた頃は、夫が財布を握っていたのだ。
週に一度ほど、『食費』という名目で1万円渡してくれた。
そのお金で、食費以外にも洗剤やティッシュなど日用雑貨も買っていた。
「なくなったら言えや」と言われていたが、それがなかなか言えない。
意を決して「もうすぐ生活費がなくなる」と告白しても、すぐには
お金は渡してくれず、次の日かその次の日、1万円くれた。

その生活からも、さようなら出来る。

家計を任されるとは、そういう事でしょ?

とんでもない、
手取り16万8千円の生活は、週に1度1万円の食費をもらう生活より、
何倍も大変だった。
その事に気付くのに、そう時間はかからなかった。



こうして、私の「底20代」が始まった。

まさに、人生の底。

娘たちの笑顔が、唯一の救いの底だった。



ーつづくー


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2009年10月14日(水)  7の力で

毎日毎日、時の過ぎるのが早すぎ。

私の毎日。
掃除機、トイレ掃除、ご飯支度、それに伴う食器洗い、洗濯、犬の散歩。
これが基本。

あとは、
「できたらいいな〜」と思う家事を心に描く。
決して言葉には出さない。誰にも言わない。
それが達成できなかった時のために。
自分を守るために。


10の予定を立てたとして、達成できるのは7が精一杯。
できない時はゼロ。(×_×)
それはそれで、落ち込まず。
「あ〜あ、できなかった〜」で、すます。

10のうち7も出来れば、万々歳よ♪

今日なんて、お店の伝票整理と、お風呂のカビ取りと洗面所の配水管掃除二箇所♪
すげーぞー私♪って、褒めちゃう。
さりげなく家族にも自慢しちゃう。


今夜は「相棒」が想像以上に面白くなくて、がっくりこーん。(T.T)
ミッチー頑張れ!
私はあなたの味方よ!
来週に期待します。





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さ、
先にお風呂に入ろう。

あがったら、娘たちが仕事から帰って来るから、ゴハンしたくしまーす。
(出来上がったおかずを温めるだけ)

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2009年10月13日(火)  ココアがおいしい季節になりました。

秋ですね〜。

今朝起きたら、居間がホワっと暖かくて「ん?」と思ったら、
次女がエアコン暖房を入れて化粧してました。
エアコン暖房は、燃費が悪いんだよ〜。光熱費が。。。(T.T)

冬は、ガスファンヒーター。
便利&パワーと引き替えに、けっこうな光熱費なのだ。(×_×)

家族それぞれの「ごちゃごちゃ」が散財する居間にファンヒーターを
置くと、これまた、とっ散らかった居間がパワーアップすんだけど、
ぼちぼちファンヒーターを出すべきでしょうか?


あ、
それと、コタツとか電気カーペットはどうしましょ?
聞いたところによると、電気代がすごいらしいですね。

何も、いらんのんとちゃう?
私はいつも台所のイスに座っているから、コタツも電気カーペットも
必要ないしぃ〜。←自分本位


秋冬物の洋服も整理せなあかん。
お布団は揃えたけど、敷き布団もボアのにしたい。


季節の変わり目は、気ぜわしいわ〜。


‥‥……━★‥‥……━★‥‥……━★

寒くなってくると飲みたくなるのは、ココア♪

今年の森永ミルクココアのCMは、郷ひろみさんですよ♪

ココアでGO♪GO♪GO♪(音が出ます。注意してね)

この冬は、お子さんたちがみんなで「GOGOGO♪」とダンスする事
間違いなし♪(*^_^*)


森永ココアに対抗するのは、明治のココア。
はっきりいって、明治製菓の方が大手で、売上高も勝ってる。




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初めは「紀香さん、頑張って〜」と応援していたのにね。
女心と秋の空よ。


一応、これもリンクしておきます。

明治ココアのCM。これも音が出ます。注意してね。


サイトのCMのパターンが、両方とも似てるのだ。
どっちかがマネしたのかな?
それとも偶然?
それとも、ページを作成した会社が同じだったりして。(笑)


でも、断然、インパクト的に郷ひろみさんの森永ミルクココアのCMが
勝ってるわ〜。ヽ(^。^)丿

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2009年10月12日(月)  今期のドラマ

最近のドラマ視聴率低迷は、私にとっては残念な事です。

お医者さんと刑事もんのドラマばかりで、食傷気味って感じ〜。


嵐の相葉くんのドラマ「マイガール」も、あ〜ぁって雰囲気で。
ジャニーズって、現場でこなして実力をつけていく主義だからね〜。
相葉くんは、これからの人なのね。と理解しましょう。(T.T)


がっかりしていたら、朗報♪
電撃的ショックな面白いドラマが始まりました。

「JIN−仁ー」

昨日初回放映でした。
めっちゃおもろかった。
これを見なかった人は、人生を損したって感じ〜。





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当然のことながら、最後のが一番重要なんだけど、
やっぱり1と2がないと、どんなに3が良くてもあかんのだよね〜。


今から来週が楽しみ♪




2009年10月11日(日)  年賀状

まだ早い気がするけど、もう販売は始まってるのかな?

義妹(弟のお嫁さん)が亡くなったから、私は喪中ハガキでしょうか?

嫁いだ身なので、年賀状を出さなければならないのでしょうか?

夫関連の年賀状は、出すよね。
お店のも出さなくちゃ…だし。
年賀状を作るの、気が重いな〜。

喪中ハガキを書くのも、辛いものだ。

いっそのこと、来年の年賀状はぜーんぶナシっってことで。(笑)




結婚その二 北海道での生活
 第一子誕生



結婚して半年で、女の子が産まれた。
妊娠中でも共働きで、出産のその日まで働いた。
家事にも慣れないうちに、一児の母になってしまった。

もう、
夫をアイシテルとかアイシテナイとか、
そんな小さな事でくよくよしている暇はない。

初めての育児に大わらわだ。

夫は、一切育児の手伝いはしない。
掃除もしない。ゴハンしたくもしない。洗濯もしない。
なにをしていたんだろう???
仕事はしていた。
仕事がない日は、食べて寝て飲んで煙草吸って、友達とオイチョカブ。



最初、お風呂に入れるのを手伝ってくれようとしたが、
見ていると、あまりにも危なっかしくて、断ってしまった。
これは失敗だった。
そののち産まれくる子ども達のお風呂係は、全て私となったのだから。


毎夜、夜泣きされた。
それも、明け方に1時間は大泣きだ。

夫は「どうにかせーや」と背中を向けるだけだ。

ただ一度だけ、泣いている娘を抱いて外に出た事がある。
その事を、二十年以上も「勲章」にしている夫だ。


慣れない育児と家事で、ストレスがたまったのだろう。
じんま疹が、身体中に出た。
病院へ行く時間もないので、ほっといたら、そのうち治った。



長女、3ヶ月。やっと3ヶ月。私はもうヘトヘトだった。

仕事中、バイトの女の子に容赦せずに怒鳴りたおす夫。
どんどんバイトの子は辞めていき、夫ひとりでは店は回るわけもなく、
しょうがなく、私が手伝うこととなった。

無認可の託児所に娘を預けて、夫の店を手伝いに行くことになった。


朝から夕方6時まで託児所に預けた。

おじいちゃんとおばあちゃんがやっている、アバウトな託児所だったので、
預けられている子どもたちは、一つのスプーンでみんなの口にご飯を…。


当然といえば当然の結果だが、託児所の誰かが風邪を引くと皆が感染した。
娘は月に一度は高熱を出し、
熱に気付くのはいつも夜なので、
月に一度、必ず夜間病院へ走った。


もう、ただ無我夢中で子育てして、働いて、家事をして、
そうやって、気が付いたら25歳になっていた。


そんな忙しい暮らしをしていた時、
突然、夫が言い出した。

「ワシ、京都に帰ろうと思うんや」

「一生北海道で暮らすって言ってたのに、どうして?」

「ワシ、このまま洋食屋を一生続けるのはイヤなんや。
 調理師としてもっと成長したいんや。もっと料理の勉強をしたいんや。
 そのために、京都へ行くんや。京都やないとあかん。
 京都に帰ろうと思うんや」

何日間説得されただろうか?

とうとう私は「うん」と言ってしまった。

繁盛していた洋食屋を捨てて、京都へ引っ越すこととなった。




「結婚その三」は、すでに書いてあります。




ーつづくー




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2009年10月10日(土)  結婚

たまに道ですれ違う人がね、
その人も、ポメラニアンを連れて歩いているんだけどさ、
会うたびに、うちのワンコの顔を見て、
「あら、お顔に黒い所があるのね。ハゲてるのね。どうして?」と
関東弁で言うのだよ。

そのたびに、
「うちの犬、アトピーというかアレルギーがあるんですよ。
 もうこのハゲは治らないんです」と答えてる。

私と同い年か、少し下くらいの奥さまなんだ。

「ハゲてるのね」って言われたのは、今年はこれで4回目。

なんぼなんでも、痴呆症になるには若すぎる。
自分の吐いた言葉くらい、覚えてろー。

今度、
「ハゲてるの?」って言われたら、反抗してもいいですか?




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思い切り底意地悪く反抗したいくらい、腹が立ってるんだ。






20代 その十二
 結婚への道  結婚


1983年6月12日。
私は、結婚した。

妊娠4ヶ月だった。

愛が冷めてたと感じていても、身ごもるのだ。
恋愛とは、男と女とは、そういうものだ。
天が私に下した結論は、
「この人と結婚せよ」という指令だったのだ。

妊娠を知った時、そう理解する事にした。


式の1週間前、突然アイツの両親が和解してきた。
結婚を許すと。
結婚に反対されていたので、式は北海道でとり行う手はずで、
準備はすっかり整っていた。
挨拶が大好きな私の父は、披露宴でしゃべるのを楽しみにしていたのに、
その役は、当然アイツの父の役目となった。


披露宴のあと、町中の噂になった。

「ゆうさんは、ヤク○の嫁になった」と。




妊娠中だったので、新婚旅行はしなかった。
結婚式の夜は、アイツと私と、アイツの両親、兄とで、
温泉街の旅館に泊まった。
アイツは、「にーちゃん」と朝まで飲んで、部屋には戻って来なかった。

新婚初夜を一人で迎えたのだ。

一人で迎えた新婚初夜が、これからの私の人生を暗示していた。



「落ち着いたら新婚旅行に行こうな」

そう約束した。
結婚25年のお祝い夫婦旅行も、約束した。


結局、夫と私は、二人きりで旅行をする事は一生ありえなさそうだ。

夫と私は、縁があるのに縁がない二人、なのだ。





ーつづくー




2009年10月09日(金)  食欲の秋がやってきた♪

ここんとこ、今まで以上に家族の帰宅が遅い。

次女は、転職後、やっと正社員になれたのはいいけど、
正社員になれたとたん、残業がひどく多くなった。
それも、サービス残業が。
小さな会社は、そういうとこ適当(社長優位)だからな〜。
だからといって、また会社を辞めることもできず、

次女は、朝8時過ぎに家を出て、帰宅は0時前後。

倒れやしないかと、心配です。


★まだ鍋の中★



久しぶりに作った麻婆豆腐。
できたては、うまいぞ〜♪

20時に出来た。私一人で食べた。
21時に長女、22時に三女が食べた。
0時に次女で、
夫が食べたのは日付が変わって午前2時過ぎ。

こんなに時間が経っちゃ、うまい麻婆豆腐もまずい麻婆豆腐に変身しちゃう。



最近のテレビは、特番ばかりで面白くな〜い。

でも、世間ではバラエティの方が視聴率がとれるみたいですね。
ドラマ好きな私としては、残念な気持ちです。




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頑張ってほしいです。(*^_^*)


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追伸&反省

昨日の「お話」の最後の文章は、美空ひばりの歌詞のパクリみたいだった。




2009年10月08日(木)  岐路

私が郷ひろみさんのファンなのを知らない近所の奥さまたちが、
ひろみさんの噂話を,『私の前』でしていた。

「郷ひろみってさ、絶対、なにかしてるよね?整形かな?
 ヒアルロン酸かな? あんなにシワが少ないわけないもんね〜」


私は小さい声で、
「シワ、、、けっこうあるよ」と反論するのが精一杯だった。

もっと色々、ひろみさんについて語っていたけど、日記には書けない。
文字にしたくない。。。(ー_ーメ)


奥さま達にひろみさんのファンであると公表すると、ひろみさんに対する
生の声を聞けなくなる。それって、なんだかもったいない。(笑)

でも、後味が悪かったな〜。



20代 その十一
 結婚への道 その十一歩 岐路

「うちの家は、日本人の嫁は迎えへん」

そう、アイツの父親に言われたそうだ。

意外だった。
私は、在日韓国人の方達を上から目線で見ていた事に気付いた。
自分との結婚を反対するわけない。と。
とんでもない勘違いだ。
在日の方にも、昔から今までたくさんイヤな思いをし、日本に対して
恨みや確執がたくさんある。その中で歯を食いしばって生きてきたのだ。
日本に住んでいても、同族の血を受け継いでいきたいと思うのが当然だ。

私の中の偏見は、私自身がつみ取らねばならない。
まず、自分で気づけて、本当に良かった。




親子の縁を切られても私と結婚すると言ってくれたアイツだったが、
日が経つにつれ、私はどうにもアイツへの愛が薄れていくのがわかった。

結婚が決まり、
アイツは洋食屋を持つ事になり、あっという間に洋食屋は開店し、
私はそこでウエイトレスとして、毎日手伝っていた。

「アホ、間抜け」と、アイツに怒鳴られた。

その頃には、付き合い始めた当時のやさしいアイツはどこかへ消えた。
関西弁で流れるように怒鳴りたおすアイツの姿は、
私の愛するアイツではなくなっていた。

それでも、私は毎日洋食屋へ通った。

来年の6月に結婚すると、決まった。

親戚にも連絡した。

だけど、どんどんアイツを愛せなくなっていた。



店を閉めた後、アイツは私の目の前に座り、こう言った。

「お前の様子を見ていると、ワシの事を好きなようには思えない。
 もし結婚をナシにするなら、今の内だぞ。
 どうする?結婚するの、やめるか?」


私は、決断力があるのが取り柄だ。

というか、深く考えずに何でも決めてしまうクセがある。

洋服を買う時も、店員さんが「え?もうお決まりですか?」と驚くほど、
決める時は、素早く決める。


でも、さすがに今回は考えた。
確かに、アイツへの愛は冷めてきている。
こんな気持ちで、結婚しても良いのだろうか?
ここで結婚を止めたら、家を出るチャンスを失う。
もう、あの家には戻りたくない。
破談になったら、周りの人にも迷惑がかかる。
結婚の準備は、着々となされているのだ。


熟考すること1分。
私は決断した。

「いいえ、別れません。私はあなたと結婚します」

「そうか、それならええんや。仲良くこれからも頑張ろな」



私の人生は、私が決めた通りに動いていくのだ。
それが、なだらかな道か、でこぼこ道かは別として。





ーつづくー

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2009年10月07日(水)  事なかれ主義




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20代 その十
 結婚への道 その十歩 結婚への障害


  
店主が一肌脱いで電話してきたのだ。
たかが、若者の色恋沙汰に、店主が介入してきたのだ。

その頼みを断れず、アイツに会った。
その時点で、私の負けは決まった。


別れを告げられてから、どんなに悲しく辛かったかと、
アイツは語った。

「もう一度、付き合ってくれへんか?」そう言われた。

事なかれ主義で生きてきた私は、
「ま、いいか。他に好きな人もいないし、もう一度付き合おう」と思った。

なんという適当な性格だ。
我ながら、笑えちゃう。



それまでは、けして「結婚」という言葉を出さなかったアイツが、
「結婚」「結婚」と言うようになった。

魚に逃げられる前に捕獲しようと思ったのか?


恋愛イコール結婚だと思っていた私は、
「なんで今さら『結婚』という言葉を出すのだろう?」と不思議だった。
これまでも私は「結婚したら…」という話を何度もしてきた。
その時、アイツはいつも無言だった。

アイツは、それまでは結婚なんて考えていなかったのだね。


『結婚』は、ほとんどの若い女性の憧れの言葉。
その言葉は、魔法の言葉。
『結婚』すれば、それは幸せのゴール。
愛の実りが『結婚』。


な〜んて、思っているのは何歳まででしょう?
結婚が修行だという事を知るのは、いつからなのでしょう?




とにかく私は、
もう、この生活がイヤだった。
パチンコや麻雀に興じる父親も、
先の見えた自分の人生も。


私は見えた。
この田舎町で産まれ育って、結婚して、そして老いてゆく自分を。
この町から一歩も出ずに、生活に疲れ果ててゆく自分を。
大学受験を諦めた時から、自分の人生に夢なんて見なくなった。
ただ、流れて行く時に乗っているだけだった。



私が子供の頃、家の裏で泣く母を見た事がある。
その事を近所の遊び友達に「内緒だけど…」と話したら、
それはあっという間に近所の人たちの知れるところとなった。

私は、母にぶたれた事は、生涯3度だけだ。
その1度が、これだ。

母が泣いていた噂は、流れ流れて、母の元に戻ってきた。
母は私を手招きした「ゆう、ちょっとおいで」
何かと思って母の元へ行くと。

ガンっ。

お菓子の缶で、頭をぶたれたのだ。
当時、頂き物のお菓子は、紙の箱ではなくブリキの缶に入っていた。


全然、痛くはない。
力を入れて叩いてはいなかったのだろう。
ただ、ブリキゆえ、音は大きかった。
心のショックも、大きかった。


(内緒って言ったのに…誰がしゃべったんだろう?)と、
遊び友達を心の中で責めたけれど。

母のヒミツをしゃべった自分が一番悪い。
ブリキの「ガンっ」は、自分へのバツだ。



そんな母の苦労を見ているので、
私は、絶対に長男の家には嫁ぎたくなかった。




アイツは末っ子だ。
それも5人兄弟(姉2人兄2人)の末っ子だ。
アイツの申し出、『結婚』に、私は乗った。

結婚することで、
生まれてから現在までの自分とも別れ、
新しい人生が開けると思った。



「ワシの家にお前と結婚する事を、電話するわ」と、アイツが言った。

数日後、苦しそうな顔でアイツは言った。

「結婚には反対だと言われた。ワシは両親との縁を切った」


アイツと私の結婚に反対ですって?


どうして?




ーつづくー




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2009年10月06日(火)  雨の日は曼珠沙華




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20代 その九
 結婚への道、第九歩 孤独が好き

アイツに別れを宣言したからといって、
「別れたら付き合おう」と言われていた男性と付き合うわけでもなく、
静かな日々を送っていた。

週に1度の音楽サークル通いは続けて、帰りにはサークル仲間とお茶したり、
サークルが所属している青少年会館の催しごとに参加したり。

いたって真面目に暮らしていた。


私は真面目に暮らしていたが、家の中は普通の家庭とは違っていた。

父親は昼間からパチンコ。
夕方になると麻雀仲間が集まって来て、家の二階で麻雀が始まる。
そのまま徹マンする時もあるが、たいていは夜中にお開きになり、
麻雀仲間たちは、夜の町に繰り出す。
当時は、母も麻雀に加わっていたので、夜に出かける時は母も一緒だ。


私は、夜に家にいる時は、ぼーとテレビを見たり、本を読んだり、
化粧の研究をしたり、居間で行われている麻雀観戦をしたりしていた。

麻雀を後ろから見ている時の、男の人の背中が好きだった。
特に気に入っていた背中の男性は、私との結婚をご破算にした人だった。
破談になっても、相変わらずその人は私の家に遊びに来ていた。
何のこだわりもなく、私の事を呼び捨てにしていた。

その後、私が結婚してからも何度か彼と出会っているが、
いつも静かに「おぉ!ゆうか!」と声をかけて来ていた。
なんとも変な関係だ。



夜中の喫茶店で、照明を暗くして、大音量で音楽を聴くことも
お気に入りの一つだった。
音楽といっても、たいていはJpopだ。めったにクラシックは聴かない。
どしゃぶりの雨の日、窓の外を眺めながら中島みゆきを聴く。なんて、
最高に美味な時間だった。
山口百恵の「曼珠沙華」という曲が最もお気に入りだった。


そう、私は孤独が好きだったのだ。


たまに友人が遊びに来て、店が終わったカウンターで話し込む事もあった。
泣き上戸の友人がいて、その子との話は、最後はいつも泣き崩れて終了。
その子のお母さんは、ガンだった。
10年ほど患って、天国にいきました。
その子は、お母さんが入退院を繰り返していた家で、お母さんの代わりに
頑張っていた。いつもは陽気で気丈な彼女だけれど、お酒を飲むと
カギが開いて、哀しみがあふれ出ていたっけ。


そんな風に時をつぶしていたある日、電話がかかってきた。


アイツからではない。
アイツの勤めている洋食屋さんの店主からだった。


アイツは、私が別れを告げてから全く元気がなくなり、
本当にかわいそうなくらい意気消沈していると。
どうか、一度アイツに会って、話を聞いてやってくれないか。

そう、頼まれた。

私は、その頼みを断れなかった。




ーつづくー

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2009年10月05日(月)  つまり、飽きたってこと




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20代 その八
 結婚への道、第八歩 倦怠期


恋愛している男女間の隠し事といったら、まず第一に「浮気」。
その他、何があるかな?
お金?
親兄弟親戚の悪行とか?
おねしょ…とか?←けっこうあるかも…って思ってます。


アイツも、例にもれず、女性の影がちらほら。


アイツに言わせれば「お前と付き合う前のこと」だそうで、
私が怒ると「昔のことや、今はお前ひとりや」などと、
肩を抱き髪の毛を撫でてごまかす。

そう言われれば、「まあいいか」と許してしまう。


前々から思っていたのだけど、私はどうも情が薄いようだ。
人情が薄いのとは違う。
男女間の愛情が薄いのだ。
これは、幼い頃の育ち方に関係しているのかもしれないし、
根っからのものかもしれない。




あぁ、でも若い頃は赤ちゃんや子供を見ても「かわいい」と思えなかった。
子供が大人を見る瞳は、心の奥を見透かされているようで怖かった。
動物も、興味がなかった。
家で犬や猫を飼っていたけど、ほとんど世話をしなかったっけ。




そして、妙に自信家だったりする。
何事にも自信家というのとは違って、男女間の事だけに限って自信家。

容貌や頭脳については「並み以下だ」と落ち込むくせに、
こと恋愛については、
「私が呼べば、必ずアイツは来る」とか。
「なんだかんだいっても、アイツは私の事が一番好きなのだ」とか。
わっけわかんない自信。(笑)

そんな不可解な自信は、現在の私にはみじんもありませんけどね。

まさに「木っ端みじん」に消え去りました。
ある事件のあとからは、私は劣等感のカタマリです。




そう、そう、
アイツは、関西に置いてきた女と連絡をとっていた。
飲み屋の女とも、出来ていた。


男の人たちからは信望はないくせに、
なぜか女性、それも水商売の女性たちには、妙に人気があったのだ。
きっと、あの「あやうい雰囲気」が女性の心をくすぐったのだろう。


アイツの浮気も「ま、いいか」ですませ、
週に1度、会い。
恋愛関係を続けていた二人だったが、
付き合って1年もすると、秋、、、もとい、『飽き』がやってきた。


私は、アイツに対して以前のような情熱を持って愛せなくなっていた。
嫌いになったというのではない。
『イトシイ』と思えなくなっただけだ。



その時分のアイツへの愛情は、他の男性にも持っていた。
「あの男と別れたら、僕と付き合ってよ」と言ってくる男もいた。
けっこう本気でくどかれて、
私も、アイツと別れることを夢想した。



人間、「愛」だ「恋」だと綺麗な事を言ってるが、
結局、自然の摂理に踊らされているだけではないだろうか?

種の保存のために植え付けられた「勘違いの愛」と「性欲」。
それに動かされ、生きているのではないだろうか?

しがらみのない若者は、本能通りに行動する。

あっちと恋愛していたかと思ったら、すぐに別れて、
また新しい恋愛を始めたりする。
「半年も続いたら長い方」なんて、学生の頃、みんな、話さなかった?
それが、自然の摂理の真実。
より多くの種を、より多彩な子孫を残すために、動物たちはたくさんの
雄雌と交わるのだ。



そこで、
私は、アイツに別れを告げた。


「別れたいの」
「なんでや?ワシが嫌いになったのか?好きな男ができたのか?」
「そんなわけでもないけど…、あまり好きじゃなくなった。別れる」


一方的に告げ、さっさと別れた。

なんの未練もなかった。

哀しみもわかなかった。

私は、情の薄い人間なのだ。

愛を必要としない人間なのかもしれない。

愛がなくても生きていける人間なのかもしれない。



一人、二階の自室で本を読んでいると、窓ガラスがコツコツと鳴った。

そっと外を見ると、アイツが小さな石を窓ガラスに当てていた。

私を呼んでいた。外に出て来てくれと、小さな石が言っていた。

私は、それを無視した。

なんの迷いもなく、無視した。




ーつづくー

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2009年10月04日(日)  在日という事




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20代 その七
 結婚への道、第七歩 在日という事


アイツと私の付き合いは、町の周知の事となった。
小さな町の噂は、疾風のように髪の毛を舞い上げ、
退屈な町の人の言の葉にのぼり、酒の肴にされ、
さらにもっと退屈な町の人は、「親切心」という名のもとに、
話題に上った当人の両親へ噂話を提供しに出かけた。


ほとんどの話は、噂ではなく、本当の事だったのだけどね。


アイツは、私が何をしても何を言っても、全て許していた。
私の行動に、一切干渉しなかった。
初対面の軽率さは消え去り、
無口で、時には将来の夢について饒舌で、
男前で、
仕事熱心で、
私の愛するアイツだった。


私の知らないアイツは、よくケンカした。

目が合えば、それは「ケンカを売っているということ」らしい。

「むこうがガンを飛ばしたから」と、手が出る足が出る、ポリが来る。

この町では、アイツはヤバイヤツで有名だった。


けれどけして、
そういうケンカっ早い素振りは、私の前では見せなかった。

夜の町で出会う、近所の本屋のおじさんとか、焼鳥屋の大将とかが、
私の耳元でささやいていた。
「ゆうちゃん、あの男はダメだ。早く別れな」と。

そう言われても、別れる気にはなれなかった。
なぜなら、アイツの「ダメな男」な状態を私は見た事がなかったからだ。
どうしても、町の人の助言を真実味を持って受け止められなかった




ある日、父が珍しく話しかけてきた。

「お前の付き合ってる男がどういうヤツか知ってるか?」

「どういうって?」

「あの男は、韓国人だぞ」

「どうして知ってるの?」

「お父さんは、役所に行って調べてきた」



知らなかった。
アイツと付き合って半年以上経っていたが、そんな話は聞いた事もない。


昔の、ゆる〜い管理体制の役所は、ちょっと戸を叩いたら容易に扉を開いた。

プライバシーなど、ないに等しかった。

父の甥っ子は役所勤務だ。
情報は、ダダモレだった。
蛇口をひねればあふれ出る水のように、
待ってましたとばかりに、ヒミツは流れて出た。




父にその事を聞いて、すぐにアイツに聞いた。
「韓国人だって聞いた。ホント?」

アイツは、返事をしなかった。

「ホントなの?」
「そうや、ワシは在日韓国人や」辛そうにアイツは答えた。
「どうして言ってくれなかったの?」

アイツは、何も答えなかった。



在日とわかった時点で、私が去ると思っていたのだろうか?
幼い頃からの、在日によるイジメで、心がすねてしまっていたのだろうか?
日本人に対して、信じられなくなっていたのだろうか?
とにかく、アイツは、私に対して隠し事をしていた。


父も母も、アイツが在日という事は私に告げはしたが、
だからといって「在日だから付き合うな」とは、
一度も言わなかった。
祖母も、同様だ。

たぶん、前回、両親が私の10代の頃の結婚話をつぶした事で、
罪悪感を持っていたのではないかと思う。
それゆえ、アイツとの結婚を気が進まないながらも許してのではない
だろうか?


人種差別その他に関しての偏見はないと、自分では自信があった。
だけど、その自負は、自己満足なもので、
その後、偏見を持つ自分に気付かされる事になる。

そしてまた、アイツの両親や親戚たちも、日本人である私たちに偏見や
恨みを持っていたのだ。


その事を知らさせるのは、もう少し後になってからの事である。

その話は、また今度。


そんな事より先に、
アイツが在日であるという事よりも、
私にとってはもっと重要な隠し事が、発覚したのです。




ーつづくー

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2009年10月03日(土)  A君と赤い薔薇

お天気がすぐれない日が多い。

お祭りの頃は、いつもお天気が悪い。

一雨ごとに寒くなる時期。


お祭りにまつわる家族の想い出もたくさんあるけれど、
現在は、三人娘とも成人しちゃって、
お祭りだからといって家族で出かけることもない。

静かなもんだ。




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20代 
 結婚へ向かわない A君と赤い薔薇


アイツと付き合いが始まってから、
春が過ぎ、夏が来て、とうとう秋になった。
北海道の秋は早い。
10月にもなれば、木枯らしがひゅーひゅーと泣き出す。

雪が降れば、この町は休眠に入る。
町のほとんどの住民は、農家だからだ。

11月末、町の青年団が、イベントを計画した。
青年団の幹部と知り合いだった関係で、私はイベントに参加した。

あれこれ名目はつけてはいるが、このイベントは、
明らかに「集団お見合いパーティー」だ。
出会いが少ない町の青年達に、恋愛の機会を与えるためのイベントだ。


付き合っている人がいる私が、こんなイベントに参加しても良いのか?
アイツとの付き合いに反対だった母は、「行ってきな。行ってきな」と
大乗り気。誘ってくれた幹部さんは、昔からの知り合いなので義理がある。


青年団のイベントは、町の公民館で開かれた。
立食パーティーだ。
たくさんの若者が集まっていた。
よくこれだけ集められたものだ。
知り合いも何人かいたので、一緒に参加した友人と知り合いで、
楽しく会話し、食べ、時間を過ごした。


あ、
A君。。。。


A君も、参加していた。

少し離れたところに、A君を見つけた。

友人に「A君がいる」と報告すると、「わーー、かっこいいねー」と。

A君の周りには、女の子が集まっていた。
「Aさん♪」「Aさん♪」と、モテモテだ。


やっぱりね〜、私が好きだった人だわ〜。もてるのね〜。
自分がもてているわけでもないのに、得意な気分になった。


会場では、A君と、軽く目で挨拶。

友人と会場を出て喫茶店で話していると、そこにA君グループが来た。
またもや、かわい子ちゃん達を引き連れていた。

さっきは得意な気分になったが、
しばらくA君のモテモテぶりを見ていると、イヤな気分になってきた。


「帰ろう」


「帰るの?」と、A君に聞かれた。
「帰る。じゃあね。。。。あ、私、もうすぐ誕生日なの♪」
「知ってるよ」
「そう。じゃあね」



12月5日。
私の誕生日。
うちに、大きな花束が届いた。
片手では持てないほど大きい、真っ赤な薔薇の花束。
送り主は、A君だった。
「Happy Birthday」とカードが添えられていた。


それを見た母は、相当喜んだ。
「ゆうに、気があるね。絶対、そうだね。気があるね♪」


真っ赤な薔薇の花束は、しばらくの間、喫茶店の一番目立つ場所に飾った。

A君には、3度、プレゼントをもらっている。
高3の誕生日、
A君がアメリカから帰った時のお土産、
そしてこの花束。
最後にもらったプレゼントが、赤い薔薇だなんて。
気障なヤツ。


後日、A君にお礼を言った。

その時、はっきり言われた。

「もう、ゆうちゃんとやり直す気持ちはないから。恋愛する気はない」


以前、Christmas cardにも「君は君の道を歩いて下さい」って書いたね。

A君、
人生で二度も振ることないじゃない。

というか、私もA君のことを二度、振っているんだよね。
A君がアメリカにいた時、私からの返事が届かなかった時、
アメリカから戻って来て私にお土産を渡した時、「もう彼氏はいる」と
言った時。

お互い様か。(笑)



結婚後、夫からも数回ほど花束をいただいたが、
もらう前も、もらった後も、いつも「花はいらない」と、言い続けている。

A君からもらった花束の印象が強すぎる。
花束は、あの薔薇の花束だけで、お腹いっぱい。

もう、一生誰からも花は、いらない。


その昔、10代の頃、
A君とデートした時の会話が甦る。

「ゆうちゃんとは、結婚できないよな〜」
「そうだね〜、私、農家の嫁は勤まらないよ。身体、弱いし…」
「そうだよな〜、農家の嫁は体力勝負だからな〜」


今の農家のお嫁さんも、やっぱり健康で働き者でなければ勤まらないのだろうか?




ーつづくー

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2009年10月02日(金)  その六 本当の別れ

★色が悪い★



卵とレタスのスープ
若竹煮
インゲンの胡麻和え
餃子

発色が悪くて、うまそうに見えない。(T.T)
実際、まずいって?
食ってから言え〜!





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20代 その六
 結婚への道、第六歩 本当の別れ


いつものように、夜にアイツのアパートへ向かった。
親には、音楽サークルの集まりに行くと言ってある。
実際に、週に1度サークルの集まりがあったのだが、
アイツと付き合うようになってからは、しょっちゅうさぼっていた。
サークルを欠席して、アイツのアパートに入り浸っていた。


トントン
部屋をノックした。
アイツが、そっと少しだけ部屋のドアを開けた。

え?

「まずいんや…」アイツが小声でささやいた。

「なに?まずいってどういうこと?」

少しだけ開いていたドアが、ぐっと大きく開いた。
アイツの後ろにいた人がドアを押したのだ。

B君だった。

B君は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔で立っていた。
向き合った私は、呆然としていた。
間にはさまれたアイツは、居心地悪そうな顔で黙っていた。


「とにかく、入れば?」と、B君が言った。

おずおずと私が入り、床に座った。

B君は、私とアイツを見比べて、
「じゃあ、僕は帰るよ」と、去っていった。

一瞬で全てを理解し、出て行った。

これ以来、B君とは一度も会っていない。
狭い町なのに、B君とすれ違う事は一度もなかった。

これまでも、何度も「バイバイ」と別れを告げたB君だったが、
とうとう本当に、B君と別れたのだ。


そして、アイツはこの土地・北海道の十勝の田舎町で、
唯一心を開く事ができた友達を失ったのだ。
たった一人で、関西から北海道に出て来たアイツ。
さぞ心細かったことだろう。
その時、寂しい気持ちを盛り立てて賑わしてくれたのはB君だった。

その後、アイツは何人かの友人が出来たが、
ケンカしたり裏切られたり、お金を盗まれたりと、
ろくな友人が出来なかった。
当時北海道で仲が良かった友人で、現在アイツが中年になってまでも
付き合い続けている友人は、一人もいない。



1980年の9月に関西から北海道へ出てきて、12月に私と知り合い、
翌年1981年2月には付き合いが始まり、
4月に、やっとできた心のより所の唯一無二の友人をなくしたアイツ。



そう、時は4月。
A君がアメリカから帰って来る4月だ。
噂で、A君が帰って来たと聞いてから数日後、
店番をしていた喫茶店に、A君が現れた。


まさか来るとは思っていなかった。


2年ぶりに会うA君は、以前にもまして精かんでたくましく見えた。


「久しぶりだな。元気だった?」

「うん、元気。A君も元気そうだね。アメリカから戻ってきたんだね」

カウンターから一番遠い席に座ったA君は、コーヒーを頼んだ。

コーヒーを持っていくと、
包みをテーブルの上に置いた。

「これ…」

「なに?」


A君の前の席に座り、包みを見た。

「ゆうちゃんにふられた僕としては、渡すのをやめようかと悩んだんだけど、
 やっぱり渡す事にしたわ」

「ふられた?誰が誰に?」

「僕がゆうちゃんにふられたんじゃないか。手紙が途中で来なくなった。。
 ゆうちゃん、他に彼氏ができたんだろ?」

「なにを言ってるの?手紙の返事をくれなくなったのはA君でしょ?」

「え?」

「え?」

どうやら、アメリカの郵便局員がちゃんと配達してくれなかったらしい。

と、手紙の件は解決しても、A君との件は解決できない。
だって、私はすでにアイツと付き合っていたのだから。


お土産は、ネックレスだった。
透明のハート型のトップが、きれいだった。


「彼氏、できたのか?」

「うん、出来た。ごめんね」
当時の私はアイツとの恋愛に夢中で、A君のことなど眼中になかった。


「そうか、、、じゃ、元気で」


A君、さよなら。
あの時、あの手紙がちゃんと届いて文通が続いていたら、
A君との付き合いも違ったものになっていたかな?
私の人生は、違う道を歩んでいたのかな?


B君とは二度と会わずに現在に至っているが、
A君とはその後また出会うことになる。
思いもかけない場所で、A君に出会う。
思いもかけないものを、A君にもらう。

その事は、私の人生の中で甘く華やかな画像として保存されているのです。




ーつづくー





2009年10月01日(木)  一品(ひとしな)で、どうでしょう?

手抜き★



昨夜のおかずです。
豆腐チャンプルー。

夫が飲み会のため、手抜きおかずです。
次女も外食という連絡が入り、料理する気力が全くわきませんですた。

そう、一品だけしか作りませんでした。(^◇^;)



木綿豆腐、エノキダケ、マイタケ、玉ねぎ、牛肉、卵等々を入れたので、
手抜き料理といっても、材料的にはほどほどの量だと自負しておりますが。

たったヒトシナです。それがなにか?
それでいいでしょ?←開き直っている



20代 その五
 結婚への道、第五歩 裏切りの指輪



私は、すっかりアイツに夢中になった。

夢中になったといっても、アイツは仕事が忙しく、
会えるのは、週に一度だけだった。
レストランのコック見習いは、労働基準法違反しまくりの過激労働だ。
毎夜、帰宅は午前1時を過ぎ、朝は8時にはアパートを出ていた。



速度違反と公務執行妨害あれこれで、運転免許を失効していたアイツ。
関西に住んでいた頃、
あまりにもめちゃくちゃな生活をしていたので、
ヤク○さんからスカウトがかかるほどだったらしい。

そのヤク○から逃げるために、関西から北海道へと流れてきたという
街の噂だった。


アイツと会うのは、いつもアパートだった。
たまにでかけても、バスに乗って隣町で映画とか、近所の居酒屋で飲むとか。


つまり、私はアイツとの愛欲の虜になったのだ。
あれこれ言い訳して否定したいが、結局そうなのだ。
会うのはたいていアパート。
会ったら抱き合う。
会話は、ほとんどナシ。だ。



私は貧乏だった。

家事手伝い。

大学進学を夢見ていたが、それも叶わず家事手伝い。

父親が遊び人で「娘の進学に出す金があったら、自分の遊ぶ金に使いたい」
という考え方だったからだ。
自営の喫茶店も、人を雇うより娘に手伝わせた方が人件費節約になると、
そう思っていたのだ。

喫茶店は、たいてい母と私の二人で切り盛りしていた。
手が足りなくなると、道路を渡った所に建っているパチンコ屋へ
父親を呼びにいったものだ。
もしくは、家の二階で麻雀に興じている父親に声をかけた。


当時の私の小遣い?は、月2万円。
食費はいらないとして、月2万円で、洋服を買ったり化粧品を買ったり、
友達とお茶したり飲みに行ったりしていたのだ。
当然、そういう機会を少なくし、家で大人しくせざるを得ない。


B君との付き合いは、ほとんど割り勘だった。
割り勘ゆえ、B君への気持ちが「友達」から進まなかったのかもしれない。

アイツとは、全てアイツのオゴリだった。
気前の良いヤツだった。
それが、アイツを好きになった一番の理由だったと確信している。
そう、私は、お金になびいたのだ。


でも、けしてアイツにおねだりはしなかった。

唯一ねだったのは、「指輪」だった。


薬指にする指輪は特別なものなので、
小指にする小さな細い指輪が欲しいと。


すぐに、アイツは買ってくれた。
私が一緒に買いに行って選んだのではない。
アイツが勝手に買ってきた。

とても嬉しかった。

「これ、どこで買ったの?ひとりで選んだの?」

「Bと一緒に買いに行った」と、アイツが言った。

「B君と???どうしてB君と?」

「どこで買ったらええかわからへんかったし、Bに付き合ってもらった」

「私への指輪を買うって、B君に言ったの?」

「そんなこと、言えへんわ」




私の事を好きだと言ったB君。
私とアイツが付き合っている事を知らないB君。
そのB君を連れて、宝飾店で私に贈る指輪を買ったのだ。


いくらなんでも、私は呆れた。
呆れたけれど、指輪をもらった喜びの方が大きかった。

B君の気持ちは、深く考えなかった。
それが、恋愛の冷酷さだ。



そして、あの日が来た。




ーつづくー





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