針の穴に通された光
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2006年02月23日(木) talk to talk

私はどちらかといえば、人と話すのが苦手である。
じゃあ、なるべく人と話さないようにしているのか、というと
ノーである。
本当は人と話したくてしょうがなくて、だけどそこに
苦手意識を持った人間であり、つまり意識とは逆の行動
を取っていることがしばしばあるのである。

果たしてこんな話をすると、大抵の人が興味を持つ内容であるらしく、
みなでああだこうだ話すうちに、つい自分を打ち明けてしまって、
しばしば意外な一面を見出すことがある。

そういう話は嫌いではない。
上下関係も無く、男女間も無く、ただただ一人の人間として
の自分がそこにあるからである。
自分が剥き出しになるかわりに相手も同じ立場となる。
相手を知るときは案外そんなときかもしれない。

結局のところ、会話が無ければ親しくもならなければ嫌いにもなれなくて、
最初から好きな相手、嫌いな相手なんかいるわけがない。

なぜこんな話をするかというと。
話さないままに嫌われているのはなんか悔しいと思うだけである。
もちろん、相手が同性、異性に関わらず、である。


2006年02月22日(水) らせん構造

どんな世界も直線の道は無くて、曲がりくねって
うねって先なんかまるで見えない。
それでも先へ歩いていくと、歩く意思がある限り
何かしらにぶつかって、そして青い空がそこにある。

螺旋を描くその道は、少しづつ上へ向かっているわけだ。
高い山を登ろうと思うなら、直線で進むのはきっと辛い。
高ければ高いほど、僕らは螺旋を描く。
そして共に登る人がいるならもっと楽しい。
自分の道が少しでも上に向かっていればそれでいいのだ。
焦ることはもうやめて、もっともっと周り道しよう。


2006年02月21日(火) モノの記憶

モノの記憶は、いつまでもそこにあって、
ヒトと接したり、世界と接したりした分だけ、
その影は形となって現れている。

だからなのか、モノに触れるときは、冷たさだとか
温かさだとかを感じてしまう。


2006年02月16日(木) ゴメンナサイ

某アルバムからではないが、「ごめんなさい」である。
ここのサイトにお金を払っていないのである。
すまん。
ほんとにすまん。
なかなか銀行に行けないのである。
許していただきたい。払う意思はあるのだ。
ただその余裕が無い。仕事はバリ硬で忙しいのである。
脳と体が忙殺されて今にも溶けそうなのである。
待っていただきたい。
待てばカイロのなんとやらではないか。

さて。
それはそうと。
簡単に言うと。
女心はほんっっっっっっっっっっっとうに複雑だと思う。
女心に比べればルービックキューブなど子供をあやすが如くである。


2006年02月05日(日) 焦る男

ここのところ、Sennheiserの最高峰のヘッドフォンを
手に入れたりして、かつてアルバイトで手にした一万円の
価値を忘れつつある今日この頃。
そうなのである。
自給650円で、3−4時間働いて手にした月3万ちょっとの給金。
少なくとも今よりは、金額と労働は対価だったように思う。
おそらくきっとそこには労働以外の「お金にならない仕事」があった
からだと思う。
その褪せない魅力は、きっとアルバイトをした人なら分かってもらえる
と思う。
果たして社会人、とりわけ会社に隷属する人種はその魅力を見出すこと
ができるのだろうか。
自分の仕事に埋没して焦る自分を反省して、
少しは「お金にならない仕事」でも探すとしましょうか。

会社はきっと学校と同じ。
好きな先生、先輩がいて、嫌な先生、先輩がいて。
そんな学校だって勉強なぞほぼ3割に満たないんだから。
だったら、「お金にならない仕事」だってきっと見えるはず。


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