WORKS クリエイティブは何処から
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2004年12月25日(土) JOY TO THE WORDS

クリスマスの朝、
いつも、いろんな曲を奏でてくれるカーコンポを切って
『もろびとこぞりて』を口ずさみながらの出勤。
子どもの頃通っていた、教会のピアノ教室で、
みんなでおおきな声で唄ったこの曲が
大人になっても、やっぱり自分の中ではベストオブクリスマスソング。
たくさんあるクリスマスソングの中では、『もろびとこぞりて』が一番好きです。
『みんなあつまって唄おうよ』というのは、
JOY TO THE WORLDの名訳だなあと思いつつ。
今日は、会社で、私だけは大掃除の1日目。
職場が二ケ所なので、掃除も4日くらいかかります。

もう、十年以上も前に書いた、手書きの原稿などながめては、
大事にとってあった昔の仕事の殆どを、この暮れには捨てる予定です。
とくに読み返すわけでもないし、自分の中にあるものなので。
でも、全部は捨てきれなくて
どうにも記念になってしまったいくつかの仕事の分だけは
やっぱり残してしまいそうです。

主は来ませりー、主は来ませりー
主は、主は、来ませり。って、
何かに出会えると信じるからこそ、続けていけることがあります。


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2004年12月20日(月) そろそろ、いつか。

なにか、このことが、いつか、
地域への社会貢献に発展していくといいなーと思いつつ
商品開発を始めてみる。

昔、
青年海外協力隊に参加できる年齢を超えようとした時、
ふと振り返ると、
とりたててこれぞと言える技術を
何も身につけていない自分に気付いて
私の場合はきっと
この仕事だけじゃだめなんだなんて、思ったのだけれど、
そしていろいろやっては来たけれど
そろそろ、「いつかのなにか」を見つけなくちゃ。


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2004年12月13日(月) 嫌ったら

嫌いになったら、
きっと嫌われるだろうから、

『なるべく好きでいよう、仕事』

なんて、
思いたくなる日もあります。


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2004年12月05日(日) 憧憬は記憶の中に

 甥の亮太郎(現在小学六年生)が突発性難聴で入院し、その付き添いで一晩病院に泊まって来ました。今朝、病院から戻り、昨日締めきりだった原稿を一本仕上げてメールでデザインさんに送り、そしてこれを書いています。
 病院に泊まるのは、母が亡くなった日の前日以来なので、もう18年ぶりくらい。甥もモノ作りが好きなので、臨時出費にしては高過ぎたけれど、学研の「大人の科学」シリーズの中から「鉱石ラジオ」を買ってやりました。昨夜は最後の仕上げとして残っていたアンテナを一緒に作り、聞こえの実験をして、消灯前にNHKのローマ帝国の話を半分だけ見て眠り、自分も甥も朝早く目が醒めたので、母の闘病生活の話などして過ごしました。
 お年寄りが「昔のことは良く覚えているんだけど」というけれど、本当に、絵が上手に描けたら、そのまま紙芝居にできるんじゃないかと思えるくらい、時間を遡るほどにその情景が鮮明に甦ってきて、その当時のことや、そのことにまつわる自分の意識の変化など、余分なことまで話したような気がします。そうしているうちに、自分もまた、亡くなった祖母や母の、記憶の中にある情景の話を随分聞かされた事など思い出し、結局こうして代が変わるだけで、誰の人生も、同じような道筋をたどって時間は過ぎて行くのだなと感じました。
 時間や記憶というのは、自分がずっと心に思い続けているテーマのひとつで、なにかにつけては発想をそこへ着地させて納得しているのですが、しばらくぶりの病院宿泊もまたそこへ行き着いて、なにかしら記録しておきたいと思い、今日のこの日記になりました。
 いつか。それがいつのことになるのか、そういう日は来ないのかわかりませんが、夕べ仕上げた鉱石ラジオの実験で、ジ〜という音を拾って『聞こえるじゃん!』と言った瞬間も、紙芝居の一枚として甦えった時はいつも、甥は小6の、パジャマを来た少年なんです。


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