今日のおたけび または つぶやき

2012年06月29日(金)  ましゃLIVE DVD 3タイトル



まだまだ最終話の余韻にひたっていたいドラマもありますが、

というか本意気で「リーガル・ハイ」のシナリオブックがほしいです。

いっそ第一話から好きなセリフを全部書き起こして復唱したいほどですよ! 

やらないけど!



それはともかく。

ましゃのライブDVD3タイトルが届きましたー。

おまけの3Dブルーレイと、超カッコイイポスター3種もついて。

(うちでは3D観れないけど。ポスターももったいなくて貼らないけど。なんという宝の持ち腐れ。)



まだごく一部しか観ておりませんが、

WOWOWを録画したのより音はずっと良くなってるし、映像も格段にキレイにカッコよく

編集しなおしてあり、見比べるとその差は歴然。

ちょっとフォーカスの甘い生放送映像だって充分オトコマエさんですが、きっちり編集して

選び抜かれたキメショット満載だともっともっとオトコマエ。当然ですね。



WOWOW映像はなんたってリアルタイムのライブ中継で、

それが観られるドキドキ感は何ものにも代え難いし、MCも暗転最中の映像も何でも入っているし

それはそれで大変貴重ですが、発売されるDVDはまた別モノですな。



3つまとめてどどーんと出してくれてヨカッタです。(そりゃお値段も×3にはなるけれども)

個人的にはシングル曲を入れないセットリストがすごく新鮮だった「無流行歌祭」が一番好きですが、

「LIVE BANG!! in OKINAWA」は、野外の青い空や夕暮れ時の雲、夜のライトにキラキラと光っていた

雨粒など、自然の演出も最高でした。



「稲佐山ライブ」のDVDを観た時も思ったけど、野外のましゃは本当にステキだー。

(もちろん屋内でも最高にステキだけれど)

自分が参加するとなると野外はもうツラいなー、とも思うので、DVDは本当にありがたいです。




発売日当日の27日水曜日はWSに出まくり。

ご本人は6月15日に上海上陸後、そのまま世界に旅立たれてまだ帰国されていないので、

各局どの映像もそれ以前のましゃですね。



映画の役づくりのためのダイエット効果がまだバリバリ持続中のようで、

細すぎじゃね?くらいに見えましたが、そんなビジュアルもトークも、いつも通りの安定感。



局ごとに違うアナウンサーに合わせ、全部違う話題で盛り上げていたのが、

観ている方としてはなんとも贅沢で楽しかったです。

ZIPでは枡アナの「アサリ」のお話に真剣につきあい、めざましでは「僕もこの仕事をしてなかったら

軽部さんのような体型になっていたかも」とか言ってくれちゃうなんて、まー優しいこと。

なりませんからっ! ←赤の他人が勝手に断言



で、いつ帰国なさるのでしょう?

明日のたまラジはシークレットベースからということですが、それは国内なのか海外なのか?

声が聞けるのが楽しみです♪







2012年06月27日(水)  リーガル・ハイ 最終話



終わってしまったー。

毎週、本当に楽しみだったなー。



最終話は、「さおり」の正体が明かされる部分は絶対、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるコメディ

だろうと確信していましたが、まったくその通りのザ・茶番が楽しかったです。

本編の不当解雇問題は、ひょっとして黛勝っちゃう? 勝たせちゃう? 勝っちゃうのかーーー!

なんて思いながら見ていたのですが、黛大健闘大善戦の末のコミーの完勝という、理想の結末。

やはり、コミーはまだまだ負けてはいかんです。



本当に洗練されたコメディでしたね。

コミーのキャラも、コミーと黛のやりとりも、裁判シーンも、ありとあらゆる場面で

大笑いさせてくれたのに、訴訟内容は身近な社会問題としてすごく勉強になったし。



殺人、売れないミュージシャンの著作権侵害、ストーカー被害、日照権、

政治家の収賄、有名人の離婚訴訟、子役の親権停止請求、遺産相続問題、

公害訴訟、そして不当解雇。

どれもこれもすごく現実的現代的で、本当に見ごたえがありました。

そして毎回大笑いしました。




堺雅人氏は息継ぎなしでいったいどれだけしゃべれるのだろう? と何度思ったことか。

あの無呼吸状態の弾丸しゃべりは、柔道や相撲などで相手とがっつり組み、

技をかけるときの無呼吸状態みたいな感じと同じなのでしょうか。(相撲も柔道も全然やったことないけど。)

コミーの言葉には、それくらいの爆発的な力強さをいつも感じていました。

言葉だけで相手を投げ飛ばし、袈裟懸けに斬り捨てるほどの迫力。



小ネタひとつ、なんてことないセリフのひとつにも、何かしらウラがあって、

それを推理するのも楽しかった。最終回ならたとえば、

「男のケンカが好きなの!」と言い放つ沢地の中の人はご主人が格闘家だし、

コミーと三木をゴジラとモスラに例えた人権派弁護士の中の人はかつて

「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」という映画に出演なさっていたそうですし、

王家の谷にいたこともある服部さんのエジプト料理を食べていたコミーの中の人は、

つい先日、NHKの大英博物館の番組で、古代エジプトのミイラや王家の谷関連の

ナビゲーターをしていらっしゃいましたよ。

どんだけ役者の個人情報熟知ですか!



そんなこんなで、毎回毎回、役者陣の凄さはもちろん、

脚本の素晴らしさに本当に感動していました。

こういう脚本を書ける方がいらっしゃると知り、どんだけ楽しみが増えたことか。

いつか、是非続編を!






2012年06月26日(火)  鍵のかかった部屋 最終話



榎本・・・。



いやいや、前回のリーガル・ハイみたいな「やられたー!」感は全くありませんよ。

だって最初から最後まで謎めいた人でしたし。



むしろ、あの終始一貫ブレのない生き方が清々しいです。

榎本的美学を見せてもらったというか。

顧客がヤクザだろうが大企業だろうが、パートナーが敏腕弁護士だろうが、

きっちり仕事をこなす以外、取り入ろうとか後ろ盾にしようとか友情育もうとか、一切しない。

防犯のエキスパートとしての自分の知識と技術を頼りに「自由でいること」だけを選ぶ。



芹沢と青砥があんまり面白いものだから(特に芹沢が)、一緒にいる榎本も面白く見えて、

チーム榎本最高! みたいな気持ちになっていたけれど、

考えてみたら、榎本がこのふたりと特に交流があったわけではないものな。



意味もなく距離が近すぎる青砥に、ふつーにどぎまぎすることもあっただろうが、

青砥の犬への賛辞を自分への賛辞と勘違いして、勝手に喜んでその後勝手にご機嫌損ねたりも

あっただろうが、それだけだったし。



そして何より、どれだけ実像が謎めいていようと、

芹沢と青砥の強力な助っ人になりこそすれ、何の迷惑もかけなかった。

(ヤクザがらみのお仕事に関わらせてしまったことはあったけれども。)

最後の事件だって、榎本はやっちゃいけない何かをしたかもしれないけれど、

何かをしたという証拠は何も見つかってないですし。お見事と言うしかございません。



あとに残された芹沢と青砥が、急に寂しくなっちゃってかわいそうな気がする・・・

ような気がしたのは一瞬だけで、あのふたりはあのふたりだけで名コンビだし、

べつにかわいそうなんかじゃないか、と思い直しましたよ。



珍しく鋭い推理をして大得意の芹沢。その芹沢を盛大に持ち上げて、

「では、記念写真を撮ります」とかやってた青砥。

ふたりだけでも面白すぎる世界がしっかい完結しております。



そうそう! 最後の強敵・佐藤学(玉木宏)は、最初の登場シーンの表情では、

なんかもっとドス黒い印象だったのですが、全然ドス黒くありませんでしたね。

不運が重なった感じの生い立ちではあったけど、動機はわかりやすいし

冷酷でも異常者でもないし、ビジュアルはやっぱり邪気の無いオトコマエだし。

榎本の方がはるかにわかりにくいし、ずっとうわてでした。納得のエンディングでしたわ。



さ、今夜はコミーを見納め!





2012年06月24日(日)  福山蒸留所10か11 / BROS.TV第4回



適当すぎるタイトルで申し訳ございませぬ。

今はもう蒸留所12なので、どちらでの話題だったか忘れてしまったもので。

と、その前に、



昨夜のBROS.TV第4回目も最高に楽しかったですー。

何から何までましゃ尽くしの、おしゃれなましゃ’s BAR。



カッコいいマスターが「俺流」で最高のおもてなしをしてくれて、

しかもそのメニューたるや、食事とお酒のみならず、効果的なトレーニング、効果的なダイエットの献立、

上質のエンターテインメント(近々発売されるご本人のDVD3タイトルから人気上位3曲のご紹介と裏話)

さらにデザートのこだわり甘味とコーヒーもあり、

一度足を踏み入れたらもう絶対帰りたくないBARでしたことよ。



すべて、マスター自ら日々実践し、効果も美味しさもちゃんと実証済みのものばかり。

ましゃという方は、こだわりを持たれた分野は、とことんまで極める方なのですね。

披露なさるからには、知識も技術もつけ焼刃ではなく、しっかり身につけていらっしゃる。

ぱっと見すごく多才だけど、多才というのではなくて、とにかく勉強家で努力家なのだと思いました。



最後の弾き語り「ひとりきり歩いてく帰り道で」も、PV映像みたいな完成度の高さ。

今回は本編も弾き語りも、セットの雰囲気がなんとも素晴らしくて、いったいどうしたことか。

例によってCMも全部ましゃで、キシリッシュやスーパードライなどの新CMも全部観れて、

ぜいたく極まりない、PC画面から一瞬たりとも目が話せない、素晴らしい1時間でございました。

再放送もいっぱいリピートしよ♪




さて、蒸留所10か11のお話。

「ずっと彼氏もいないし、ひとりの生活に慣れてしまったので、今から付き合うとか、

人のペースに合わせなくてはならない結婚とか、考える気にならない」という四十代女性からのご相談。



福「生き方の選択肢が増えたんですよ。文明が高度になったせいで、人間は

  ひとりでも生きていけるようになった。彼氏がいなくたって旦那がいなくたって、

  ひとりで生活できる社会になった。だから結婚しなくてもいい。

  ・・・でも、これでいいんでしょうか? というご相談ですね。


  人間にはふたつの悩みがあるんです。

  『ひとりじゃ寂しい』っていうのと『だけどずっと人と一緒にいるとわずらわしい』っていうのが。」

荘「そう。だから、自分が寂しいときはがっつり傍にいてくれて、でもそうじゃないときはほっておいてほしい、

  だけどそんな都合のいいこと許されませんよねー、みたいな気持ちがあるんです。」



そこから、お金があれば高級老人ホームもあるとか、僕らが70代くらいになった時は、

すっごい子どもが少なくなって老人ばかりがオラオラオラ〜って幅を利かせているのかな、とか、

でも、なにがなんでもひとりで生きていくんだ!ってガッチリ決めつけない方がいいよね、とか。



そしてさらに、ひとり暮らしが長いと、人と一緒にいるとすごく疲れる、というお話に。



福「俺もこの前、母親とアニキ夫婦とその子どもらと一緒にご飯食べたんだけど、

  やっぱりね・・・ 疲れるんだよねー。なんでそんなに疲れるのかなー、と思って、

  ま、慣れてないというのもあるのだろうけど、

  今みんなちゃんと楽しめてるのかな、とか、勝手に気を使っちゃうんだよね。」

荘「それはもともとの性格的なものもありますよね。」

福「一緒にいる人間に対して気を使いすぎて自滅するという。これはもう病気です。」



荘「この前も皆で飲んだじゃないですか。しこたまみんな飲んだのに、それでも福山さんは、

  俺とか今浪さんとかに、ちゃんと酒があるかどうか、いつも気にしてるじゃないですか。」

福「そう。それがイヤなわけじゃないんだけど、それで疲れてる自分がいるわけ。」

荘「気を使う立場でもないのにね。」

福「そう。で、気を使われるのもイヤなわけ。」

荘「面倒くさいなー。」



福「もし、うかつに俺に対して気でも使おうものなら、倍返しで気を使ってやるから。
 
  だから、だったらひとりでいた方がいいや、ってなっちゃう。」

荘「わたしも、福山さんが倍返しをしてくるのがわかってるんで、

  福山さんといるときは、絶対に気を使わないでおこう、という気づかいをしてしまうんです。」

福「あきひさのその気づかいが俺には見えるのよ。だから、あきひさに感づかれない、

  ギリギリの薄い気づかいをしよう、という・・・」

小「ややこしー。」

福「ステルス気遣いよ。そういう負の連鎖がおきるわけ、人といると。」

荘「結婚したら、奥様とそういうことになるわけで。」



福「だから、こういう仕事は向いてると思うのよ。接客業とかも。

  だけど、このサービス精神と協調性というのは別物。これは協調性とは言えない。」



福「人の気持ちを察しようとするあまり、面倒くさくなっちゃうんだよね。

  茶道みたいに、型が決まってればラクなのにね。もてなす主人ともてなされる客と、

  お互いに決まったことしかやらない、やっちゃいけない、みたいに。

  だから、だらしない人やいいかげんな人を見ると、ちょっとうらやましくなったりするんだよね、

  そういう人は嫌いだし、なりたくはないけど。」



だからましゃも、自宅でひとりでPC見たり飲んだりして、

知らない間に眠りに落ちてしまっているのがすっごい好きなんですって。



荘「ひとりでべろべろになってるんですって? 自分なら自分に気を使わなくていいですからね。

  もうねえ、スピーカーの向こう側からすすり泣きが聞こえてきますよ、哀れみの。ましゃ〜って。」

福「ひとりでPC観てたって非生産的なだけなのにね。でもそういう時間こそが贅沢かも、って。」

荘「ほら、またファンの方々のすすり泣きが聞こえてくる。」

福「だから(ご相談内容にもどって)、ひとりだからってあまり心配することないんですよ、ということです。」



「ステルス気遣い」の応酬には笑いました。

でも、お仕事できる方々の気遣いの凄さってハンパないですものね。

ひとりになって徹底的に気遣いを忘れる時間も必要ですわ。







2012年06月21日(木)  「シレンとラギ」@青山劇場



劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎『シレンとラギ』、19日に観てきました。

昼公演だったからどうにか台風もかわせたけど、夜公演(この日は昼公演のみ)だったら諦めてたかも。

あぶなかったわー。



暗殺を生業とする一族に生まれたシレン(永作博美)と、北の王国の若武者ラギ(藤原竜也)の禁断の愛。

と言っても、このお話は禁断の愛だらけなので、このふたりは画的にも雰囲気的にも

「一途でフレッシュで美しい」禁断担当です。いやもう、おっさんふたりの禁断なんて笑える笑える。



シレンもラギもとても魅力的でしたが、驚いたのは高橋克実(南の国の王・ゴダイ)の存在感とカッコよさ。

まともじゃない教義をふりかざしながら人心を掌握してゆく教祖様でしたが、

暴力的なのに慈悲深く見え、時にかなりセクシーでもあり、

あのハゲの魅力たるや(誉めてます)、ショーン・コネリーをちょっと思い出してしまったほど。



いつぞや、何かの舞台のロビーでおみかけした時も、身長はあるしスタイルもいいし、

TVで観るよりずっとかっこいいのでは、と思ったのですが(キャップ被ってて頭は見えなかった)←よけいなご報告

舞台上のお姿には本当に惚れ惚れしました。声もすごく良いしね。

まさかカッツミーをカッコいいと思う日が来るとは!(ちょっと敗北感)



あとはもちろん、大変重要な役どころでありながらお笑いでも最高のタッグをみせた

古田新太(キョウゴク)と橋本じゅん(ダイナン)とか、

登場するたびめっちゃ癒されたヒトイヌオ(犬として生きる自由を認められた人間)の河野まさととか、

若くてイイ男(ラギ)への迫り方が容赦なくて最高に笑えるマシキこと中谷さとみとか。

お笑い方面のこういう濃さ激しさは、やはり新感線ならではの魅力でございましょう。



ストーリーは1幕最後のクライマックス感が強烈で、そのせいもあったのか、

2幕に入ってからしばし中弛みっぽく感じたほどでした。



2幕では「愛(アイ)はコロシアイ」という言葉がしつこく繰り返されます。

教団の狂気と自暴自棄の象徴でもあるような言葉ですが、

その言葉がしつこく唱えられなくてはならない理由が、物語の展開上、あるのです。



だからその必要性はわかるのだけど、オウム指名手配犯の最後のひとりが捕まったという時節柄、

そういえばかつてあの教団も「ポア(殺す)することが救うこと」などと、

あきれはてる勝手な言い草を大真面目に唱えてたんだっけなー、なんてことを思い出してしまい、

それが舞台上のキモチワルイ教団の姿と重なって、ちょっとうっとおしかったですよ。

まさか公演期間中にこんな逮捕劇が起きるなんて誰も思わなかったしね。事実は芝居より奇なり。




でも、別れ別れになっていたシレンとラギが再会してからラストまでは怒涛の展開。

これどうまとめるのー? 刺し違えるのー? それじゃありきたりー、などと考えていたのですが、

そんな素人考えはちゃんと覆してくれたのでよかったです。



ふたりが刀を交えるところはゾクゾクしました。

ふたりの血しぶきが吹き上がるようにも見える中、倒れた人々が次々に立ち上がっていく

ラストの演出もよかった。



忌まわしいと思っていた自分の血が、人を殺すことしかできないと思っていた自分の血が、

「人を生かす」ことができるのだと知ったふたりが、再び生きる道を見つけたラストは、

ありきたりな言い方になってしまうけれど、確かな希望が感じられました。



だからといってふたりの関係の複雑さが何か解決したかと言えば全くそうではないのだけれど、

もうソコは問題にしなくてもよくない? みたいな気持ちになりましたし。



シレン役の永作博美さんは舞台では初めて拝見しましたが、ほんと小さくて細くて可愛くて。

狼蘭(ローラン)族は暗殺をなりわいとする一族で、シレンも幼い頃から毒使いとして訓練され、

その役目を忠実に果たしてきたのだから、あらゆる意味で腕の立つ凄い女なわけです。

なのにラギの腕のなかにすっぽりおさまってしまうほど小柄で華奢で。

自分が長身な女だけに、ああいう小さくて可愛い大人の女はほんっと憧れるわー。



狼蘭族と言えば、「蛮幽鬼」では、穏やかな笑顔を絶やさずに人を殺しまくるサジ(堺雅人)も、

舞うように殺す刀衣(早乙女太一)も狼蘭族という設定でしたっけ。

あのサジが今はあのコミーだよ。役者さんって本当にすごいですね。







2012年06月19日(火)  リーガル・ハイ第10話



はー。

まんまと騙されたわー。



黛大活躍! 我が身を賭して活路を開いた黛アッパレ!

と、単純に感動してたのに、またしてもコミーにしてやられただけという。

たしかに、黛のがんばりへの援護射撃と言えなくはないけどさ。



そうだよなぁ。今までだってずっとこのパターンだったのに、

10話まで来てもその手口に気づかないなんて、わたしも立派に朝ドラヒロイン的単純人間ですよ。

だがしかし、納得の敗北感。

ただの一視聴者にすら、これほどの満足感あふれる敗北感を味わわせるコミーおそるべし。



しかし、戦いに自分の全財産を惜しげもなくつぎ込んだ潔さはカッコよかった。

「家を売って勝てるんなら安いものだ。」 言えねー。安くねぇー。

そして、追い込まれて見せるコミーらしからぬ表情の数々はとてもステキだった。

負けを覚悟した哀しい眼差しはらぶりーだった。

黛へのハグも、とても人間味を感じさせるものだった。



それだけに、最後に医者との共謀が成功して、狂ったように喜んでいるあの笑顔を見た時の

衝撃と言ったら!

やーらーれーたーーーーーー。

それ以外に全く言葉が出てきませぬ。

三木先生の悔しさがほんのちょっとだけわかった気がします。



しかしついに黛はコミーのもとから卒業ですか。

苦戦して一緒にワタワタしたり、一緒にぐんにゃりしているふたりが大好きだったのに。

「差し押さえ」の札が貼られたタイヤにもたれる黛、椅子にもたれるコミー。

これが見納めなのか。寂しいわ。



最終話はコミーVS黛。

ええ、もちろんコミーの勝利を期待していますよ。

「真実はいつもコメディだ」の内容も楽しみすぎる。

でも寂しいなー。火曜日が寂しくなるなー。






2012年06月18日(月)  上海第二夜



先週土曜の夜は、たまラジの冒頭に上海から電話でご本人登場。

つい今しがたまで、レッドカーペットの上をスターオーラ全開で闊歩なさっていたのに、

ラジオでは普段どおりの気のいい兄ちゃんに戻って、そのつい今しがたの裏側を

色々教えてくれたのが、本当に楽しかったです。

これぞまさにメディアの醍醐味というか、時の人を追っかけていることを実感するというか。



有楽町のスタジオが一曲目に「最愛」をかけると、

電話のましゃが「これこれ! これ歌ってきた!」と、ご紹介。

あんなにしっとりカッコよく歌ってた人が、なんて無邪気にご報告なさること。



現地の新聞は早速福山づくしになったらしく、

それらの新聞も、ホテルのましゃのお部屋から、有楽町ニッポン放送の荘ちゃんのもとへ

FAXでただちに送られてきたり。




日本とは何もかもが違っていた、とおっしゃっていましたが、肖像権の扱いのユルさは

想像以上だったようで。

ご本人の画像や動画は、撮ったはしからとにかくすべてネットに上げられてしまうと。

本人の許可を取るなんてことも一切なく、夏にオンエア予定(現地のTVで)のインタビュー番組すら、

インタビューされてる途中ですでにその動画がネットに流れていたそうな。



しかも、撮ってる人たちが、メディアの人なのか一般の人なのか全然わからないくらい、

とにかく誰も彼もが撮っているのですって。

いつなんどき誰からカメラを向けられているかわからないから、こちらでは

「24時間ずっとスターを演じ続けなくてはいけない。でも、それがこの町の

エンターテインメントのあり方なのかな、と思う」と、中国のエンタメ事情を語っていらっしゃいました。



「もし、いきなりカメラを向けられたことに怒ったりしたら、その怒ってる様子だってすぐに

アップされてしまうだろう」って。



たしかに、ネットで拝見した画像や映像には、パーティ会場で人の隙間から隠し撮りしてるみたいに

見えるものや、これ明らかに監視カメラ映像ちゃいますの? みたいなものもありましたわ。



でも、ご本人はそういう環境をしっかり認識した対応をしていらしたようですし、

お留守番組にはかなりありがたかったのも事実ですし。

それでも、こういう環境の中にはそんな長く滞在してほしくないかもー、と、うっすら思いましてよ。



24時間スターを演じる必要があるなら、滞在も24時間か48時間くらいでよくないかい?

その間は完璧に演じて、今回みたいにスターオーラ出しまくってお仕事して、

終えたらすぐ帰ってきて、あとはいつも通りにオーラ消して、大好きな伸びる素材の上下を着て、

らくちんなスニーカー履いて、肖像権が守られている場所で過ごしていただきたい。



ま、しかし。

スター福山もカッコいいけど、ナチュラル福山も充分ステキだから、24時間狙われても問題ないか。

むしろナチュラル福山の方が人を惹きつけてやまないと思われる。



そんな上海をあとにして、今はどちらに向かわれているのでしょうね。

旅のご無事をー。






2012年06月16日(土)  ましゃ@上海上陸中



昨日の第18回上海国際テレビフェスティバル、

レッドカーペットに登場の瞬間から最高にカッコよかったですが、

現地の美女と一緒に堂々のプレゼンターっぷり。

井上鑑さんのピアノ伴奏だけでの「最愛」もステキでしたー。



リアルタイムのネット映像は、3秒ごとくらいに止まりまくりで鑑賞には難儀しましたが、

今日になったら映像も画像もあっちにもこっちにもアップされていて、なんともありがたく。

リハの様子までしっかりカメラが入っていて、鑑さんはもちろん、おなじみの最強マネージャー陣が

がんばってる様子もしっかり拝見できました。



しかし中国語はまったくわからないので、そもそも「福山雅治」の発音すら知らなかったのですが、

「ふーしゃんやーちゅう」と聴こえる音がそれっぽいことに、ようやく気づきました。

いいもん観たー。ネット社会ありがとう。



ご本人も中国語で挨拶したり、英語でちょっと会話したりしていましたが、

中国語は何しゃべってるかまったくわからないから全然気にならないけど、

英語はなまじわかるだけに、聞いてるとなんかものすっごく緊張します。

ま、ほんのひと言ふた言のましゃイングリッシュに何の問題もないですが。

それに、言葉以上に、国を問わず誰に対しても態度と笑顔がいつもとても感じがイイですし。




今夜の第15回上海国際映画祭にもましゃ登場だそうですよ。

(日本時間20:30〜 現地時間19:30〜)

日本からのゲストはましゃの他に常盤貴子さんと、堺雅人さんのお名前があるそう。



コミー! なんでこんな時期に上海行ってんのー!

「我が人生最悪の戦い」の最中なんじゃないんですかー! ま、楽しみだけど。



そしてその後のたまラジはそんな上海上陸中のましゃとお電話を繋ぐことになってるそうなので、

なんとも落ち着かない土曜の夜になりそうです。







2012年06月13日(水)  リーガル・ハイ 第9話



サッカーの審判も終わり方もあんまりだったので、

次にこの審判員見かけたら呪いの念とか送ってしまいそうです。

とにかく負けなくてヨカッタ。



日本のゴールが脅かされる時でないと川島の姿が見られないので、

「もっとえいじくんが見たいです!」とは簡単には願えませんが、

昨夜はわりといっぱい見れて嬉しかったですし。



さてさて、そんなモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくれたコミー。

最後の凄まじい演説は、言葉の力、脚本の力、役者の力をひしひしと感じると共に、

なんとも耳に痛かったです。

おそらく自分も、ああいう立場にいたらあんなふうに「金じゃない」とか「誠意を示してくれれば」

とか甘ったるいイイ子(御しやすい棄民の老人)になってしまうだろうと思うと。

「もう年だから」「具合が悪いから」とか言って戦闘放棄するに違いないだろうと思うと。



「和解でいい。絆を再確認できたから」と言う老人たちに、

コ「黛くんよく覚えておきたまえ。これがこの国の『馴れ合い』という文化の根深さだ。

  人間は長い年月飼いならされると、かくもダニのような生き物になるのだよ。

  コケにされているのも気づかずに墓に入れるなんて、幸せな人生だ。」



コ「最初に申し上げたとおり、わたしは皆さんのような惨めな老人が大っきらいなもので。」

老「目上の人を敬うという気持ちはないの? あんたの倍は生きてんだ。」

コ「倍も生きていらっしゃるのにご自分のこともわかっていらっしゃらないようなので、

  教えてさしあげているんです。皆さんは国に見捨てられた民、『棄民』なんです。

 
  国の発展のためには年金をむさぼるだけの老人は無価値ですから、チリトリで端っこに集めて

  羊羹を食わせて黙らせているんです。大企業に寄生する心優しいダニ、それが皆さんだ。」



コ「そして今、土を汚され、水を汚され、病に侵され、この土地にはもはや住めない可能性もあるけれど、

  商品券ももらった、誠意も絆も感じられた、ありがたいことだ、本当にヨカッタヨカッタ。

  これで土も水も蘇るんでしょう、病気も治るんでしょう、工場は汚染物質を垂れ流し続けるけど、

  きっともう問題は起こらないでしょう。だって絆があるから!」


老「どうしてそんな酷いことが言える? 俺たちだって悔しくて仕方がないけど必死で気持ちを

  押し殺して納得しようとしてるんじゃないか。」

コ「なぜ? なぜゴミクズ扱いされてるのがわかっているのに、納得しようとしてるんです?」

老「俺たちはもう年寄りなんだよ。」

コ「年寄りだから何なんですか」

老「具合が悪いのにみんな頑張ってきたんだ!」

コ「だからなんだってんだー!(絶叫)

  だからいたわってほしいんですか? だからなぐさめてほしいんですか? 

  だから優しくされたらすぐに嬉しくなってしまうんですか? 先人たちに申し訳ないとは、

  子々孫々に恥ずかしいとは思わないんですか?

 
  誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、みんな仲良しで暮らしてゆけば楽でしょう。

  しかしもし、誇りある生き方を取り戻したいなら、見たくない現実を見なくてはならない。

  深い傷を負う覚悟で前に進まなくてはならない。戦うということはそういうことだ。

  グチなら墓場で言えばいい!


  金がすべてではない? 金なんですよ。あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せつける方法は。

  奪われたものと、踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を勝ち取ることだけなんだ。

  それ以外にないんだ!」 

 


コ「敗戦のどん底から この国の再繁栄を築き上げたあなた方なら、その魂をきっとどこかに残してる!

  ・・・はずだと期待した私が愚かでした。

  いいですか、二度と老後の暇つぶしに私を巻き込まないでいただきたい。

  心優しいダニ同士、お互い傷を舐めあいながら穏やかに健やかにどーぞくたばっていってください。

  それではみなさん、さようなら。」

 

老「先生よぉ、あんたなら幾ら取れるというんだ?」

コ「それを決めるのはあなた方だ。好きな金額を言えばいい。わたしが取ってごらんにいれよう。」

老「負けたらあんた責任取れるのか?」

コ「責任取るわけないでしょう!」(キッパリ)



とても全部は書き起こせないので、たぶんこれでも半分にもならないかも。



真実を的確に語る言葉には、揚げ足取りなんてまったく通用しませんな。

その真実をきっちり見据えることがあまりに大事すぎて、その真実があまりに重すぎて、

「ダニとかくたばれとか、そんな言い方は失礼じゃありませんか」なんて抗議は薄っぺら過ぎる。



しかしこれだけ叱咤激励、鼓舞、扇動、やるだけやっておいて、

「責任とるわけないでしょう!」が、さすがコミー。



この濃くて長い演説を一分の隙もなく完成させた堺雅人氏は本当に素晴らしかったが、

脚本の古沢良太氏はもっと凄い。でも、コミーの口を借りずにここまで言わせられただろうか、

これほどの説得力が生まれただろうか、と思うと、この両者の組み合わせの妙としか。







2012年06月12日(火)  ATARU第9話 /鍵第9話



・ATARU第九話

ここにきて俄然、沢主任(北村一輝)がカッコよくなってきましたよー。

ラリーや舞子ほど四六時中一緒だったわけではなく、むしろ一歩引いているからこそ

冷静にアタルの状態を見極めることができてるのかしらん。



言うべきことははっきり主張し、相当キビシイことも言うけど(顔の長い上司に対してのみ低姿勢)

口調や態度はあくまで冷静で穏やか。

でもその穏やかさとは裏腹に、熱い怒りをもって相手の心の非常に深いところまで

すーっと見通しているような、そんな印象です。



そして何より、今回あの濃いお顔、あの鋭い眼力が最高に威力を発揮していたのは!



自分のお顔プリントTシャツ。

とりあえず2枚拝見しましたが、プリントながら、なんと存在感のあるお顔。

平面なのにモノクロなのに、ぴょん吉(元祖プリントTですよね)よりもずっと存在感があるって、

やはりあの濃さは尋常ではないのだな。




沢、舞子、渥見らと馴染んできたアタルを見るのがすごく楽しい。

沢と舞子が少し言い合い気味になった時に、仲裁するような行動をとるアタルとか。

沢と渥見と「だるまさんがころんだ」的な行動を取るアタルとか。

なんかちょっと悪さしてるのを見つかって、固まって知らんぷりするのもらぶりーだが、

それがバレてるのもちゃんと理解して、自分から「はい」と反省するのがもっとらぶりー。

そしてそんなアタルを見る目がキモチワルイくらい優しくて嬉しそうな渥見がまたらぶりー。



渥見やっぱり最高ですよ! 

舞子を見る時はいつも唾棄するイキオイの視線なだけに、そのギャップが。

クイズを説明する渥見のカツゼツの良さにもホレボレでしたよ。



話は全然飛びますが、今朝からいきなりましゃ登場のキシリッシュ新CMにも、

渥見(or 冷泉@SPEC or田中哲司@本名)がイイ感じで登場なさってましたね。



しかし幼児虐待はドラマでもニュースでも本当にしんどいわ。

気分的にどーんと落ち込む。しかも、それでもそんな母親のことが好き、というのがもうね、

やりきれないよね。

そしてキョウチクトウにそんな毒性があるとは全く知らなかった。怖すぎる。

生木を燃やしちゃいかんのね。火災とかでキョウチクトウが燃えてたら近づいてはいかん、なのね。




・鍵のかかった部屋 第九話

昔はヤクザだったけど今はそうじゃない、と言いながら今も明らかに現役オーラがギラギラな、

会社の皆さんが面白すぎでした。

事務所の内装はもちろん、態度も言葉遣いも上下関係も、相手の脅し方も、今でも確実に

「そのスジ」なのに、そうなの? と聞かれると、「昔の話です」と言うか、黙るか。

この「黙る」っていうのが何よりソレっぽくて、何より説得力があって。



いかにもそれらしく見える役者さんを見事に揃えておられましたが、社長(岩松了)が妙にリアルでした。

その道のプロ(映像的に)の哀川翔さんよりも、はるかにそれっぽかったような。いい配役でしたな。



ビビリまくりの芹沢(敵前逃亡、ふにゃ走り)と、青砥(主に表情)もらぶりーでしたが、

なぜかまったく動じず通常業務続行の榎本との対比で、ビビリのおふたりのらぶりー度がさらに増します。

銃口を向けられても驚きもせず微動だにもせずの榎本っていったい。




次回から二週にわたる最終話には玉木宏登場ですって! これはカッコいいっしょ! ちょー楽しみです。






2012年06月10日(日)  福山蒸留所9 男のサガってやつですね


今現在はもう蒸留所10が配信中で、9は聞けませんが、

9がもうアホすぎて最高すぎて、語りたくて仕方なかったわけすよ。

FC会員限定配信というのが本当にもったいない。

でも、FC以外に無制限に聞かせるというのも、それはそれでもったいない。(どっちだ)



今一番タイムリーな話題は、文春七月号で市川亀治郎改め四代目市川猿之助との対談や、

襲名記念ポスターの撮影風景(カメラマン福山雅治もカッコいいっすよ!)だとは思いますが、

「9」のさわりだけでも!



「重たすぎるお悩み相談室」ということで、ラジオでオンエアするにはちょっと重たすぎる

相談を受け付けているのですが、「8」では、「自慰行為がやめられない女性からの相談」だったのです。

ましゃの一貫した主張は「他の人に迷惑をかけることではないので、やりたいだけやればいい」でした。

今回もその続きから次のようなことをおっしゃっていました。



福「欲望に身を任せるということではなく、自分で自分の性欲をコントロールするというのはすごく大事。

 お酒も依存症になったりするが、性欲だって『セックス依存症』というものがある。

 それは性を自分のものにできてないから。欲望のままに他の人を傷つけたりすることは絶対にダメ。

 でもひとりで行なう自慰行為で人に迷惑かけることはまったくない」と。



「性に限らずどんなことでも、自分で『コントロール』できて、初めて人間なんです!

 野球のピッチャーだってボールコントロールができなきゃダメでしょ?」とも言ったりして、

「それを同列に語るのはどうかと!」と荘ちゃんからつっこまれたりもしていましたが。



で、ここからがアホすぎて楽しすぎる。

思春期の男の子たち全員に聞かせたいくらいですよ。

キミもおそらくやっていただろう、あるいはやろうと思ったけどやめただろう、

「俺ってヘンタイ?」と人知れず悩んでしまったかもしれない行為の数々。

それらはアホきわまりないことに変わりは無いけれど、

もはやこんなカッコいい大人の男になられた福山雅治だって、通った道なのだよ、と。



いや本当に、女にはまったくわからない世界。

本当は爆笑してはいけないのかもしれないけれど、昔話として語っているのだから、笑ってもいいよね。

馬鹿にして笑っているのではないのですよ。

そこまでアホな行動をとらねばならぬほど、少年期の性欲というのは切実なもので、

でもそれを他に迷惑かけることなく処理すべく、涙ぐましい努力をしている、その必死さ加減が、

なんとも愛しく、でもやっぱり爆笑ものの滑稽さでして。




でも、こういうお話はやっぱり苦手、という方は、ここから先はご遠慮ください。

わたしも、ましゃや荘ちゃんが語っているのでなければ、

そこいらのチャラいあんちゃんとかが下品なトーンで語ったりしているのであれば、

全然聞きたいと思いませんので。




自分がちゃんと性のコントロールができるようになるまで、「自慰行為」において、どんだけアホな

トライアンドエラーを繰り返したか、を克明に語り合うましゃ&荘ちゃん&松岡。

もちろん今は皆さん、きっちり「コントロール」できる大人な男たちですから、

少年(および若気の至りの青年)時代のお話なわけですが、



福「昔はねぇ、いろーんなところにつっこんでましたよ。」

荘「出たぁ!」

福「それまでいろんなトライをしてみて、『ここは違うな』というのを思い出したんですけど、

『ソファの肘掛と背もたれのすき間』とか。ぜんっぜんダメでしたね。」


松「果敢にアタックしてたんですね。探究心ですね。」

福「ラジオでも話したことありますし、ネット上では伝説とされてますけど、最終的に

『空中で射精するともっとも気持ちよいのではないか』という結論に至って、その瞬間に

空中にいようと思って、何度も試みた経験があるんです。跳ぼうと思ったんです。

でも、その時って、ヒザが立たないんです。」

荘「はっはっはっはっはっ! 確かに、力が入らないですね。」


福「だから、足を使わないで空中に滞在できてたらいいんだ、と思いついて、ソファから、

下に敷いてある布団に、その瞬間にゴロンって・・・」

松「ああ。せーの、ゴロン!って、ダイビングですね?」

福「そうそう。でも、ただ下に落ちただけで、全く気持ちよくなかったです。」

荘「それはかえって気が散りますね。」

福「そうですね。ま、それくらいの経験をして、今はコントローラブルな性が可能になったわけです。」



荘「わたしの中学時代の知り合いが、スピーカーのちょっと穴が開いてるところに入れて、

 ハードロックをかけてみたら・・・」

福「ひゃっはっはっはっはっ」(拍手してる)

荘「で、『おぉ、こりゃぁイイ!』と思ってたら、そういう時に限ってお母様がドアをコンコン・・・

 『うるさいわよ! 何やってんのよ!』って。で、アセって引き抜いてちょっとささくれが・・」

福「痛い痛い! でもそういう経験をして彼もね、性をコントロールできるようになるわけですから。」

荘「そいつはもう尊敬の対象でしたから。みんなから『オマエすげーな』って。」



福「俺も、『イモ』って呼ばれてる友達がいて、ある日『よしけん』って友達が『イモ』の家に遊びに行ったら、

 『イモ』が、なんとか自分で自分を咥えようとしていたと。」

荘「あぶないあぶない! みんな必ず一度はやろうとするんだ!」

福「そう。がんばってたんだって。『よしけん』がガラっと部屋のドアをあけたら『イモ』がそうなってたって。

  ひゃっはっはっは! でもそのくらい色々やって、

 我々オトコというのは性を自分のものにしていくわけです。」

荘「ね。女性から見たらバカに見えるかもしれませんけど。」



福「なんでもそうですよ。どんな発見だって、ノーベル賞だって、最初の発想は必ず笑われるんだよね。

 偉人の名言集などには必ず出てくるけど『アイディアを人に話してみて、笑われたら、

 それは大発見になる可能性を秘めている』と。笑われるくらいの内容や発想が、世界を変えるんです。

 『それいいじゃないですか』って言われるようなことは、結局、凡人が考えているということだから、って。


 だからやっぱり、ガラってドアを開けたときに『おわっ!』ってびっくりさせた『イモ』は、

 今でもレジェンドになってるわけです。 」




いつぞやのラジオで、中二の修学旅行での風呂場での「軽く揉んでふくらませてみた」の時もでしたが、

こういうお話の、野郎どもの楽しそうなことといったら!

どんだけモテたかとか、どんだけいっぱい女の子とつきあえたか、とかの武勇伝ではまったくないのにね。

アホ方面の武勇伝なのに、なぜか最高の地位にあるらしい。



オトコって! 







2012年06月06日(水)  リーガル・ハイ 第8話



コミーの子ども時代はせつなかったですねー。

まあ確かに鼻持ちならないイヤなガキではあったが。



父の理屈は間違ってはいないのだろうが、

常にああいう感じで自分の言動にダメ出しされ続けたらツラいわ。

父の理屈はもっともだし、もっともだと理解できる良い頭も持っていた子だから、

なおのこと反論も反抗もできないし。それでも「頭の悪い子は嫌い」って言われる。

そりゃしんどいわー。



ずっと一緒にいたら、極限までガマンした挙句に親父を刺すか、言うなりになって自分が精神を病むか。

そう考えると、離れるのが一番なわけですよ。

親不孝と言われようが、子育て失敗と言われようが、取り返しのつかないことになる前に、

別々の人生を生きてみるのが最善。

一緒にいて共倒れになるより、別々の道でもそれぞれが力強く生きていくほうが絶対いいじゃないか。



距離的にも心情的にも断絶したままだとしても、

親父は田舎を拠点に名士であり続けているし、息子は都会で弁護士として成功しているわけだし。



しかし、泥沼離婚裁判の時には元妻を刺客として呼び寄せ、

娘から母親への親権停止要求には、断絶している父親を呼ぶとは、三木先生もじわじわ攻めてきますね。

そしてその度に、コミーの知られざる人間性もじわじわと明かされてくる。

これがまだ布石だというのだから、クライマックスはいったいどうなるのでしょう。



ほんと、このドラマは毎回、現代社会の現在進行形な病理をうまく見せてくれますな。

フィクションとはいえ、ひょっとしてこれがモデルなのでは? な、事件や人物が、必ず思い浮かぶし。

大人の事情で言いたくても言わないでいる発言を、コミーはいつでもハッキリ言ってくれるし。



今回だと「成功する子役なんて二通りだろう。大人の金儲けのためにムチ打たれる哀れな操り人形か、

大人の顔色を見て手玉に取る、ませたクソガキか。」

「数年後にはチンピラタレントとできちゃった結婚するか、年寄りの愛人になっていることだろう」とか。



薄っぺらい正論を言いがちな朝ドラヒロインのご意見も、時にとても説得力があります。

最後の「サンタクロースは存在する」の考察とかね。

それを聞いているコミーが「超入門」の教科書を前に「きらきら星」をめっちゃ真剣に練習中とか、

もろもろらぶりーすぎる。最高すぎる。



コミー父が「木枯し紋次郎」だったということ、最後にちらっと聞けたテーマ曲で思い出しました。

このくらいの触れ具合も粋でいいですね。






2012年06月02日(土)  本能寺の変から430年



一昨日、最高にドラマチックな信長の最期を見たばかりなのに、

今日はその「本能寺の変」が起きた日だそうです。(天正10年6月2日)

あらびっくり。



今日の公演は、まさしく信長の命日の公演。

旧歌舞伎座だったらご本人の幽霊が出ちゃったって不思議はないくらいですね。

(以前、中村橋之助があるお侍を演じていたとき、花道にそのご本人とおぼしき

とても美しい武将姿の幽霊を見た、と、語っておられた。)




信長さまご本人にしてみれば、430年を経てもなお、カッコいい役者さんが

入れ替わり立ち代わり自分を演じ、自分の最期を再現し続けているというのは、

まったく予想なさらなかったでしょうね。

今でも本能寺の真相は想像の域を出ないのだから、ひょっとしたら

「本当はそのような筋書きではない」とか、ダメ出ししておられるかもしれん。



100歳の寿命も全然めずらしくない昨今でも、430年後といったら4代先。

「人間五十年」の当時だと9代先。なのに信長さま、まだまだバリバリ現役ですよ!

もちろん、他にも時空を超えて現役な方々はいっぱいいらっしゃいますが。



「人間五十年」と言えば、信長がこれを謡いながら舞うシーンは有名ですが、

もちろん「WARRIOR」にもありました。


 人間五十年

 下天のうちをくらぶれば

 夢まぼろしのごとくなり


 ひとたび生を得て

 滅せぬもののあるべきか



これを謡いながら舞う信長は、やはり最高にステキ。詞もいかにも信長にふさわしくて。

この一節を含む「敦盛」の詞は、そのままロック調の「侍ロマン」(曲:森崎博之、テツヤ)という曲になって、

カッコいいシーンに効果的に使われていました。

ナックスのリーダーって原案・演出、そして作曲までするのか。凄いな。







2012年06月01日(金)  TEAM NACS 「WARRIOR」@赤坂ACTシアター


TEAM NACS ニッポン公演 WARRIOR〜唄い続ける侍ロマン

31日の昼公演を観てきました。

北海道の札幌公演を皮切りに、本州・四国・九州と全国18ヶ所をまわり、

最終公演地・東京での2日目。

わたしにとりましては、初のNACS本公演でございます。



今朝のZIPでもお稽古風景などが見られましたが、

「今、もっともチケット入手困難」な舞台のひとつで、7万人分即日完売だったとか。

そんなことも知らぬまま久々に訪れた赤坂ACTシアターのロビーは、

その凄まじい人気を裏付けるかのごとく、各方面から贈られた花で埋め尽くされておりました。

ざっと数えても50本はあったかと。




わたしが観た舞台は、安田顕氏の「スマートモテリーマン講座」とか、

大泉洋氏の「大泉ワンマンショー」とか、おフザケお気楽路線のものだけでしたし、

あとの3人は、TVでお見かけしても「ナックスの人だー」くらいの認識度で、

その5人が揃った本公演というのがいったいどんなものなのか、まったく想像がつかなかったのですが、




甘く見ていたわたしをお許しください。(土下座)

NACS△ーーーー!

NACSちょーかっけーーーーーー!!!

5人ともキラッキラの舞台人で、5人5様の強力なオーラがびんびんに飛び交っていた最高の舞台でした。




織田信長(戸次重幸)、豊臣秀吉(音尾琢真)、明智光秀(大泉洋)、徳川家康(安田顕)

柴田勝家(森崎博之)って、その配役はフザケすぎだろう! などと実は若干思ったりしていたのですが、

いやもう、誰も彼も魅力的で。

映画やドラマでお見かけする時とは比べ物にならない、圧倒的なパワーを発する役者さんたちでした。




パンフがまたカッコよくてね。最初にこの5人をひと言ずつで表しているのですが、それが



天辺から地を見ていた者。   (信長)

どん底から天を見上げていた者。(秀吉)

影となり光から逃げていた者。 (家康)

秘めた想いに命を懸けていた者。(光秀)

信じる道を突き進んでいた者。 (勝家)


すべての思いがここに通じる。


「コノ国ヲ、守ル。」




この通りの、それぞれの抱える苦悩や虚無もドラマチックに描きつつ、

クライマックスの本能寺、そしてその後を、2時間20分ノンストップで描きます。

もちろん、史実ではこの5人が揃うということはなかったのですが、それを一緒に立たせるために

「そういうこともあったかも」な、歴史ミステリーも上手に絡めています。




NACSですから当然、ドラマチックな中にもお笑いが随所に。

「実は雨男」な光秀(洋ちゃん)には笑ったわー。らぶりーだったわー。




舞台装置は、舞台上に設置された大階段と、背景がモノクロ映像で映し出されるのみ。

でも、5人の個性と存在感に引き込まれて、舞台上が寂しいということは全くありません。

階段を縦横無尽に駆け回る激しい殺陣は素晴らしく見ごたえがあったし。

というか、あの階段舞台であの激しい殺陣は、

八百屋舞台(奥に向かうほど高く傾斜をつけた舞台)よりはるかに危険なような。

よく怪我なくやってこれたものだわ。




洋ちゃんとヤスケン以外のお3人を、生で拝見するのは初めてで、

舞台ではどういう役者さんなんだろー?と、それも楽しみでしたが、




いやもう、信長(戸次重幸)のカッコよさに目がくぎづけ。

テレビでたまーに拝見するお顔は、たしかに美形寄りではいらっしゃいましたが、

こんな威圧感は微塵もなかったはず。いわゆる普通の「やさ男」の印象しかなかったのに。




煌びやかな衣装を纏った、カリスマらしい色っぽさと畏怖を感じさせる佇まい。

朗々と響く深い声、舞も殺陣も最高に美しくて。

本能寺での最期には、史実で伝えられている以外の解釈が加えられていましたが、

その方がより信長らしく感じられて、なんとも粋で見事な最期でした。




「WARRIOR」というタイトルは、もちろんそのまんまの意味もありますが、

叫び声の「うぉりゃああああああ!!!」でもあるそう。

追いつめられて手も足も出ないとき、震えるほどの怖さに押しつぶされそうなとき、

「うぉりゃあああ!」と腹の底から声を出して自分を奮い立たせ、突き進む姿が

5人それぞれに描かれております。

なんかね、その声と一緒にこちらの心も震えるような気持ちになります。




カーテンコールではひとりずつご挨拶。

秀吉の音尾くんは最前列の一角を「肥溜め」扱いしたことを詫び、(肥溜めが出てくるシーンがあるのです)

光秀の洋ちゃんは舞台途中(もちろん出番じゃない間)トイレに行った時の、衣装との悪戦苦闘っぷりを語り、

信長の戸次氏は出演者のひとり(他に家臣役など客演が15人いた)のモノマネをしてすべり、

家康の安田さんは「好きな言葉」と「座右の銘」で、いつものようなお下品な言葉を選び、

勝家にしてナックスリーダーの森崎氏がそれらすべてを詫び、感謝と今後の宣伝もするという、

ほんとステキなチームワーク。



NACSカッコいいっす!




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