日記...abc

 

 

- 2006年03月27日(月)

先日、母の誕生日祝いをした。

私がすべてを仕切った。
お赤飯を炊き
材料を買っていって料理を作り
みんなで食べてきた。


端から見ると、よい関係に見えるかもしれない。


でも、申し訳ないことに
私の心が伴っていないのだ。

母を喜ばせたいからお赤飯を
何度も練習して炊いたのではないのだ。

心が伴わないときには、せめて形だけ、と
いつか誰かに教わったのだけれども
(聖書か?)
心が伴わない形ほど、空虚で醜いものはない。


慟哭。




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- 2006年03月26日(日)

私は、母が、いっそ何かの病気だったらいいのにと思う。

抱かれた記憶のない母親。
抱きついた記憶もない母親。
私の悲しみのシグナルに無関心だった母親。
察するのが下手な母親。

そんな母を、病気のせいにできたら、本当に気がラク。



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- 2006年03月24日(金)

よくよく思い出してみると、昔から
母は、風変わりな人であったのかもしれない。



他人の感情を推察する能力が少しだけ劣るような気がする。
気のせいだろうか。

私が、いくらいまはそっとしておいて欲しいという
シグナルを出しても、わかってもらえないことが何度もあった。

そういうとき、母は怒る。
あるいは、無理矢理私に笑顔を作らせる。
そうして自分の安心を確保する。




また、母の心の中をのぞこうにも、よくわからないことが多い。

笑顔で楽しそうにしているときにも
本心が見えないというか。
ああ、楽しかったね、本当においしかったね、と母が言っても
本心から言っているようには聞こえないことが多い。


そして、母は、いつもまわりを気にしている。
自分が場違いな振る舞いをしているのでは、とでも
思っているように。



父と私が冗談を言っていて、母がきょとんとしていることも
日常的にあった。
意味を説明したら、なるほど、と笑う。
でも、アタマで笑っているような、キモチでは笑っていないような。


ここまで思い返して、母に私を傷つける意図がなかったのかもしれない
と思い始めた。

「このホットケーキを全部食べないと、オマエはお母さんのこと
嫌いってことだからね」
幼稚園児の私は、それは大変、と泣きながら食べたのだけれど。

でも食べ終えても、当然かもしれないが、
母から、私のことが大好き、という言葉はなく、
私はあいかわらずひとりぼっちだったが。


母は、私に対して、愛おしい、という感情を爆発させたことがないのかもしれない。
少なくとも私は受け取った記憶がない。
自制心なのか。なんなのか。

もちろん、嫌われているとも思ってはいないが。





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- 2006年03月20日(月)


とても優しい人に会った。

その瞬間、優しさが私に向かって
どっと流れ出してくるのがわかった。
たぶん、体調が悪く弱っている私に同情したのだろう。
なんとかしてあげたいと思ったのだろう。

嬉しかった。


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- 2006年03月13日(月)

母が、もし、自分自身と私を同一視しているのだとしたら、

何を習わせてもものにならなかった
おまえはみっともないのだから、そのことを知りなさい

などと小学生の頃から私に向かって言われた言葉は、
そのまま母自身に向かって放たれた言葉ではなかったか。


何をさせても不器用な自分。
妹よりかわいくない自分。


そういう自身を、自身の分身である子ども、つまり私に
投影した結果ではなかったのか。



…そうかもしれない。よくわからない。
ただ、母は、家事全般に不器用である、といつもいいわけをしながら
生きている。
家事をきちんとこなすことができないのかしないのか、わからないが
いつもおどおどとしている。

お寺さんにお茶を出すときにも
お布施を差し上げるときにも
不調法で、と必ず言う。

ならば、それなりの作法を身につければいいのに、と思うが
母の頭のなかではどうなっているのか、
そういうことを下に見ているのか、
あるいは、本当に自分が不器用やってもできないと思っているのか、
身につけようとしているようにはみえない。

私の母は、他人の目を気にしすぎるのだろうか。

そして、確かにそういう部分は私にも、ある。


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- 2006年03月12日(日)

こんなに辛いなら、
母といてこんなに傷つくなら、
親子であることを辞めたいと思った。

親である、とはどういうことか。

私を生み育てた、ということか。

私を創造した、ということか。

だから、私とまだ渾然一体であると思っているのか。



昨日、捨てる決心をした。


捨てちゃいけないのだろう。
でも。親より自分が大事。


親の価値観に自分を合わせようとして今日まできたけれども
このままでは、私が壊れる。

もう壊れているけれど。

きっと母は、生まれたばかりの私を見たときから、
もっとこうだったらよかったのに
と思ってきたのではないか。
そしてそれを愛情と思って、私をよくしたいと思って
育ててきたのではないか。

私も、その希望に応えてここまできた。
でも、もう限界。

よかれと思ってのアドバイスを
私は、拒否、と受け取るようになってしまった。

こうしたらもっとよくなる、という言葉を
こうじゃないから、愛せない、と受け取るようになってしまった。


だから、もういい。

どうしたらいいのかわからないけれど、捨てる。
私自身を捨てる。
私の価値観も捨てる。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。


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- 2006年03月03日(金)

母は、自分で運命を切りひらいてきた人。
中学生のときに自分の一生の仕事に巡りあい、
それになろうと努力し、そしてなった人。
今でもその仕事をしている人。

しかし、私には、働くことも運命を切りひらくことも
許さなかったような気がする。
就職についての具体的、抽象的なアドバイスをもらったことも
ないし、私が本当にしたかった勉強は、当時は母の反対で
させてもらえなかった。


後に、大人になってから私はその勉強をしたけれども。


しかし、母は今でも
「働きもしないで専業主婦でいい身分」
「私なんて、苦労してここまでやってきた」
と私のことを皮肉る。


その態度からは、自分への誇りと同時に自信のなさが
見え隠れする。

自分に自信を持つということは、どういうことなのか。
自分の生き方に誇りを持つということはどういうことなのか。


私は本当はこんな風に、お花を育てて暮らすのが似合っているのよ
と言いつつも『それしかしていない人たち』を馬鹿にしているところがある。

それが痛々しい。



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