- 2006年02月27日(月) 私は、自己評価が低いのかもしれない。 ものすごく大変なこと(私にとっては)を乗り越えたのに、 それによって自己評価が高くなるどころか、低くなってしまった。 自分をほめることに、慣れていないのか。 よくやった、えらい、がんばった、えらい、とってもえらい、と いくら言ってみても、なんだか、空虚。 どうしたらいいものか。 等身大の自分を認識すること。どうしたらできるのだろうか。 - - 2006年02月20日(月) 事実がどうであれ、私は母に愛されずに育ったと思い込んでいる。 私がそう思っているのだから、それが私にとっての事実である、と 思ってきた。 しかし、違うのかもしれない。 私の主観がどうであれ、母は、母なりに私を愛してくれた、 私は必要とされてここにいる、 そして、これ以上のことを母に求めるのはもうよそう、と いま、そう思った。 - - 2006年02月17日(金) 私は、自分がなぜパニックを起こすのか、あまり考えたことはない。 考えなくてもわかっていたからかもしれない。 - - 2006年02月15日(水) 猛反省。 せっかく親切に 「お風邪などひかれてないかと心配していました」 と言われて つい 「私滅多に風邪をひかないんです」 と、木で鼻をくくったような返事をしてしまった。 「ありがとうございます」の一言も付け加えずに。 時々こういうミスをする。 もう少し大人になりたい。 - - 2006年02月10日(金) 私は一人っ子だから、母は私の教育に随分気を遣ったのだろうと思う。 甘やかさないように、と。 甘やかすことと、愛情をかける、ということはイコールではない。 昨日、唐突に若くて不器用な母のはき違えが見えた気がした。 母は、不器用な人だ。 ただそれだけなのかもしれない。 - - 2006年02月08日(水) 明日、久しぶりに歯医者に行く。 私は歯医者が怖い。 怖い、という人は大勢いるだろうが、 私の場合、また違う理由で怖い。 私は、過呼吸を起こすくせがある。 それは大変辛い症状で、息を吸っても吸っても空気が入ってこないので 窒息死するのではないか、と思ってしまうほどである。 そのときに、激しい動悸めまいや発汗そして吐き気が起きる。 これを長年繰り返していたら、めまいや動悸や吐き気が起きると過呼吸が 起きるようになってしまった。 単純な条件付けであろう。 歯医者のみならず、美容院やスーパーへ行こうとしても、この発作は起きる。 私の毎日は、戦いである。 いつかは、治るのではないか、と待って待って20年たつ。 去年の暮れ、私はもう治らないのかも、歯医者にも行けないなら 生きていても仕方ないのかも、と思い詰めるまでに至った。 友達が、そういう人でも受け入れてくれるという歯医者を探してくれた。 心配なのは、もし歯科の治療中に過呼吸の発作を起こしたら、ということである。 私のことだから、そういう自分に嫌気がさして、また抑鬱状態に 陥ることだろう。 この数年、せっかくできるようになってきていた外出も またできなくなるかもしれない。 だったら、最初から過呼吸の発作を起こさないようにして治療をしては どうか、ということで、麻酔をかけて意識をぼんやりさせてもらって 治療してもらうことにした。 うまくいくといいけれども。 - - 2006年02月01日(水) ここの家に暮らして、もう8年である。 実家を出てから一番長く暮らしている。 ここに引っ越したときに家具やら電化製品やらカーテンやら、 大きな買い物をした。 業者さんの意見を聴きつつも、自分の納得のいく買い物がしたくて いくつかの質問をしていたとき、同席していた母が 「○さんがそうおっしゃるんだから、そうしなさい」と言った。 母のその発言の根底には、 他人の善意はそのまま受け入れるべき、 そうしないと、その人に対して悪い、 という考えがあることを 私は敏感に感じ取っていた。 それはちょっと違う、と私は思う。 専門家の意見は尊重する。 善意の忠告には、聞く耳を持ちたい。 でも、それがどうしても自分の納得のいかないことだってある。 そういうときには、自分を曲げて相手の意見を受け入れることは、 相手にとっても失礼なのではないか、と思う。 しかも、そもそも、この場合は善意のみかどうかもわからない。 ○さんにとって、これは商売なのだから。 こういうことを母に言うのも面倒だと思い、放置してきたのだが これから年を取るとともに、マズいことが起きるのではないか、と 最近考えるようになってきた。 面倒だと言ってる場合じゃないのかもしれない。 -
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