- 2006年04月30日(日) 連休である。 ココロのどこかで、私の訪問を待っているのかもしれない、と 想像するだけで、私のココロはシュリンクする。 私は私のなかに、沈んでいく。 - - 2006年04月28日(金) 母との関係を築くのに失敗したのは、私の方なのか。 幼稚園の頃、母がぞうきんがけをしていたその後ろを通りがかると、 めずらしく、セーターが短かったのか、母の背中が出ていた。 私は、嬉しくなって、その母の腰の上あたりの背中を、小指で触った。 ママ、お背中出てる、とも言えず、 手のひらで、大胆に触ることもできず、 でも母と遊びたかった私は、小指でそっと触った。 あまりにそっとだったからか、母は気がつかなかった。 2、3回触って、でも母が気がつかなかったので、私は諦めて 台所へと向かった。 冷蔵庫の扉を開け牛乳をしまおうとして(私は牛乳を取り込む係りだったのだ) 異様な気配に振り向くと、 母がすごい形相で立っていた。 「なぜ、背中をひっかくの!」 ひっかいた? 私が? 触っただけなのに。 でも、言えなかった。言えない人間関係ができあがっていた。 私は、母の背中に触って遊ぼう、と誘ったことを後悔し、 ひたすらごめんなさい、を繰り返した。 「背中に触るならわかるけれど、ひっかくなんて。なんて恐ろしい子」 祖母がそんなことないでしょう、と取りなしてくれたけれど 母は、他の人の意見を聴くような人ではなかった。 私は、母の背中をひっかく悪い子、という烙印を押された。 それ以来、私は二度と自分から母に触れにいくことをしなかったような気がする。 自分から手をつなぎにいくことも 抱きつきにいくことも。 あのとき、ひっかいていない、触っただけ、ちょっといたずらに触っただけ、と 言えばよかったのだろうか。 失敗したのは、私なのだろうか。 - - 2006年04月24日(月) 母親に呼び出され、実家に行ってきた。 四月から退職したので、暇なのだろう、週に一度はメールが来る。 遊びにおいで、と書いてある。 母親に 「幼稚園にだってお母さんの付き添いなしで一人で 行かされていたのだから、あの頃から手離れさせられて いたのだから、いまさらでしょう。 (母親を必要としていたときにいなかったくせに 今頃私を必要とされても困るのよ)」 と言ったら父は大変切なそうな顔をしていたが 母は「そうよね、一人で通ってたものね」 と、いつものように私の裏の意味は受け取れず、 にこにこしていた。 父が気の毒。慟哭。 -
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