日記...abc

 

 

- 2005年08月28日(日)


最近の私は、感情の起伏が激しくて、
自分でも手に負えない感じ。

なので、規則正しい生活をしてみたり、
たっぷり眠ったり、
きちんと食事をとったり。


基本に立ち返るつもりで。


しかし、一体どうしたわけなのだろうか。

原因を探っていいやら悪いやら。



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- 2005年08月26日(金)

自由でありたい、と思う。

自由は、自分の心のありよう。
自分を自由にするのも不自由にするのも
自分の心次第、と思っていても
なかなか自分の心は自分を解き放ってはくれない。


+++

他人から攻撃を受けると、
私は固く殻を閉ざす。
その頑なさがいや。
とらわれないでいたいのに。

すべてのことに、あらゆることに、
とらわれてばかり。



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- 2005年08月22日(月)

母は、甘えるのが下手な人なのかもしれない。

人との間合いを取るのが下手なだけかもしれない。


でも、それは私だって同じこと。


ゆく夏を惜しみつつ、空を見上げてスイカを食べる、そんな昼下がり。



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- 2005年08月21日(日)

当たり前のことだけれども、
人の悪意は、その悪意を向けられた当人だけではなく
悪意を悟ったまわりをも傷つける。



エイガ「魔女宅」の主人公が、
パイを届けた先の孫が届け主のおばあさんの好意を受け取らないのをみて
わがことのように傷つくように
私は、週末、疲れ果ててしまった。



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- 2005年08月16日(火)

母とは一緒には暮らせないな、とあらためて思う。


母にはきっちりとした基準があるらしい。
私がその基準より、少しでもラクな生活、
あるいは贅沢な生活をしていると感じるとき、
母は私を羨ましく思うらしい。
もっと言えば、ねたましく思うらしい。

自分はそうではなかった、と何度も口に出す。
あるいは、嫌味を言う。

そんなこと、今さら私に言われても仕方がないのだが。


母は、今現在は、貧乏な暮らしをしているわけではない。
しかし、娘時代の貧乏(祖父が大病を患った数年間の経済的困難さ)が
身に染みているのだろう。
そして、その当時、まだ幼かった妹の面倒を見て
祖母のかわりに家事をしなければならなかった自分を
いまだにかわいそうに思い、忘れられないのだろう。

その当時に、きちんと誰かに(祖父母に)褒められればよかったのに。

今や、祖父も祖母もこの世にいない。


私が母を褒めなければならないのか?
偉かったね、よくやったね、と言わねばならないのか。

お母さんに比べたら私なんて、全然ダメよ、何もできない、
お母さんはすごい、と言わねばならないのか。


だとしたら、やはり一緒には暮らせない。


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- 2005年08月07日(日)

母は、誰かに認められたいのだろう。
だからこそ、いつも自分を主張して止まないのだろう。

誰に認められたいのだろうか?


たぶん、自分の両親に認められたいのではないか。




いまだに現役の教師であり、
父との結婚生活も破綻せず
私という子どもを持ってさえ、
認められることを切望する母の気持ちの根底には、
社会的認知ではなく、その前段階であるところの
自分の属する小さなコミュニティー内における認知と、
そのコミュニティー内での充分な愛情の確保への渇望が
隠されているのではないか。

この場合の小さなコミュニティーというのは
家族、それも、結婚前の母のオリジナルな家族ではないかと
私は想像している。

なぜ、認められたいと思うのか。
答えは簡単。
認められなかったから、認められたいのだ。
なぜ認められなかったのか。

これは、誰にもわからない。



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- 2005年08月01日(月)

夏休み子ども相談を聞いていたら、
「親が怒ってばかりいる」という相談があった。


確かに、親は叱る。
悪いことをしたら、叱られる。
これは子どもにもわかっている。

叱られても仕方のないとき、子どもは親を
恨んだりはしない。
叱られたことに対し、不満を持ったりはしない。

問題は、
『悪いこと』の内容が、
親と子の間で、あるいは親自身のなかでも状況に応じて
ズレること、

そして、親が、しつけのためにではなく
叱るために叱る、自分のストレス発散のために叱ること、
にあるのではないか。



例えば、私は、中学のとき、成績が下がった、と叱られた。
当時は、学年で何番、とテストの成績が出る仕組みだった。
私は、わずかひとつ順位が下がっただけだった。
学年で11番だったのが、12番になった。

たったそれだけで、母親の目はつり上がった。
うなだれて正座して待っていた私に、階下からやってきた母は
10番以内に“毎回必ず”入っていなければいけない、
前回より順位を落とすなどもってのほかだ、と
こんこんとお説教をした。

私は、怒られるために怒られているのだ、という思いを
強く抱いた。

たった1番の違いがなんだというのだ、こういうのは
僅差で決まるのだ、大体メンバーが固定していて
そのなかでの順序づけに過ぎないのだ、
でも、次回、私が10番以内に入らなかったら
母は、決して許さないだろう、
ひとつでも順位を落としたら許さないだろう、
どうしたらいいの?

私は、逃れられない迷宮にとらわれてしまったように感じた。


あの異常な母の私への干渉は、
今になって思えば、叔母と何か関係があったようである。

何だったのか、今でも知らないが、
後年、事ある毎に「aなんか叔母さんのようになるんだから」
と吐き捨てるように言う母に、私はあの頃から、私を通して
あるいは、私のなかに叔母をみていた母に気づいたのだった。



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