日記...abc

 

 

- 2005年07月31日(日)

叔母のことを思い出している。

暑い夏の日には、いろんなことが思い出される。



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叔母は、脳内出血で、まだ彼女の子どもたちが
学生の頃に
突然息をひきとった。

叔母と母は、どんな姉妹だったのだろう。


年の近い姉妹だったから、仲がよかったのか。
それともそうでもなかったのか。


私が知る限り、叔母と母は、よくケンカしていた。


30代、40代に入っても、
お姉ちゃんは、すぐそういうけれど…
アンタこそ、どうなのよ?
という
たわいのないケンカをよくしていた。

母は、優等生タイプ。
叔母は、あっけらかんとしたタイプ。


私の目からみても、あまりにも性格の違う二人である、と
感じていたけれども。

本当は、どうだったのだろう。


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- 2005年07月30日(土)

私の母親は、仕事を持って一見自立した女性のように振る舞ってはいるが、
実はそうでもなかったり、
言語メッセージと非言語メッセージが正反対であることが多かったり
と複雑な女性である。


最初にそれを感じ取ったのは、幼稚園の頃であった。


「このホットケーキを全部食べないってことは、お母さんのこと嫌いってことね?」
と迫られ、気分を悪くしながら、私はそれを全部食べた。


論点のすりかえだ、なんてことは言えない(わかってない)から
なんか違うなぁ、と思いつつも全部食べた。

ここには、私に愛されたいという母の切ない思いと
アンタ(=私)が○○しなきゃ私はアンタを愛さないよ
という屈折した感情が同時に存在する。


以後、私はこれに縛られ続けることになる。



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- 2005年07月29日(金)






母の問題は、共依存ということか。

ある種の機能不全、とまで言わないけれどもそれに近い環境で育った母は、
共依存状態にも陥ってしまったということか。

私は、しかしながら、母の共依存の対象にはなり得ないし
なりたくない。

そこに、私と母の主な葛藤があるのか。



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- 2005年07月28日(木)

夏風邪をひいて、私は機嫌が悪い。
自分でもどうしようもない。
具合が悪くて、ひどく疲れてイライラする。

そのイライラを、夜遅くに仕事から帰宅した*に、つい向けてしまい
「ごめん」と謝った。

「風邪で具合が悪くてつい、イライラしてごめん」と。


++++++

こんなときにも、思い出すのは母のこと。

いつも、母は、今の私のように不機嫌でイライラしていた。
外で仕事もし、帰って私の面倒も見て、疲れていたのだろう。
たまに笑顔を見せることはあっても、
すぐにそれは不機嫌に飲み込まれた。

そんな母が、今となっては、不憫。


でもだからと言って
自分の不機嫌をまわりに垂れ流すことは
止めて欲しかった。

中学まで、いや高校に入学してからさえ、
私はいつも母の不機嫌をぶつけられる役まわりだった。




だから、私は*のところに逃げたのよ、お母さん、と
言ったらどうなるのだろう。

母は当時
『降るようにあった縁談』のなかで
『一番条件のよくない人=*』と私が結婚したと
愚痴をこぼした。

そうじゃないのよ、お母さん。
一番好きな、一番一緒にいてほっとできる*だからこそ
私は結婚したのよ、と言ったらどうなるのだろう。

少なくとも、*は、私にゆえのない不機嫌をぶつけたりは
しない。それは今でもそう。


だから、私は安心してここにいられる。


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- 2005年07月19日(火)

疲れすぎて、眠れない。

布団を抜け出してソファーに寝ころび、
読みかけの雑誌を読みおえた。
でもまだ、眠れない。


今、一台のオートバイがもの凄いスピードで疾走していった。


眠りにいくのだろうか。


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- 2005年07月16日(土)

傷は傷として、残る。


私の身体には、手術の痕が、残っている。
お腹に、足に、残っている。

でも、痛みは消える。
傷跡も、薄くなる。
手術のときの辛さもだんだんに忘れる。



今日は、輝くような晴天。
のはずが、曇天。でも素敵な曇り空。



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- 2005年07月15日(金)

誰かを嫌い、という感情の根底には何があるのか。



今日会う人が、私はとても嫌い。

表面的には何気なく普通にしているけれども、
相手には伝わっているんだろう、と思う。


なるべく嫌いということを意識しないようにして、
嫌いと思わないようにして、
営業スマイルで、適当に。


とっとと、書類に書き込んで印鑑押して、
はい、さようなら。



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- 2005年07月14日(木)

母からメールがきた。

「ようやく私たちも元気になりました」とあった。

ああまたか、と思った。
母はよくこういう書き方、言い方をする。



その二日前にメールが来たときには
体調を崩した、ということなぞ書いてはいなかった。
気をつかえ、ということなのか。
それとも、私が「元気?」の一言を書かなかったから
後から怒りがこみ上げてきてのこのメール、ということなのか。
あなただけが、辛い顔して、私だって辛いのよ、と
いうことなのか。

ようやく、というのは、相当ひどかったということなのか。
長引いたということなのか。
そもそも、元気でなかった原因は何なのか。
風邪なのか。それとも他の何かなのか。


+++++


気になって電話をしたら、父が出た。
一週間ほど、二人で風邪をひいて寝ていた、ということだった。

「大丈夫なの?お買い物とかは?」
と尋ねる私に、
「今のところなんとかなっている」
と父は答えた。
「どうにもならなかったら、連絡頂戴ね」


+++++


私は、残念ながら、呼ばれればいつでもすぐに行かれる
という状況ではない。
だから、父も母も私に遠慮しているのだろうとは思う。
でも、いきなり

「ようやく私たちも元気になりました」

というメールだけを貰うと、苛立たしさを感じる。

「ひどい風邪をひいたけれども、ようやく治りました」
など、書きようはあるだろうに。
しかもその二日前のメールでは、何も言っていなかったくせに。



「ようやく私たちも元気になりました」

これだけを投げつけられると、


あなたはいつも自分のことだけ考えて
私たちのことなんかこれっぽっちも心配してくれなくて
元気?と家を尋ねてくれることもなくて
だから私たちはあなたに迷惑になると思って
風邪で熱が高くても、我慢して暮らしているのよ
でも、私たちも、結構いい年になってきていて
そうそういつでも元気いっぱいというわけには
いかないのよ、その辺わかってるの?
親の面倒くらい、みなさい。
私なんて、まだ十代の頃からずっとおじいちゃんが
病気だったから、家のこともして勉強もして
アルバイトもして、働きづめだったのよ
あなたなんて全然働きもしないで
いいご身分だこと。


と言いたいんだろうな、
以前よくこういうことを言われたもんな、
何せ、ダブルバインドの得意な人だから、と
母のことを皮肉に考えてしまう。


父に、
「ようやく私たちも元気になりました」
というメールがお母さんから来たのよ
だからびっくりして電話したの、と言うと
父は苦笑した。

いかにも母らしい、と思ったのだろう。


そういうやり方で、私を非難しているのだ。
あるいは、そういうやり方で私をコントロールしたいのだ。


仕方ないから、私は知らんぷりを決め込む。
裏の意味は気づかないふり。

とっても、疲れる。


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- 2005年07月13日(水)

「どてかぼちゃ」と男子にからかわれたことがあった。

泣きそうになりながら家に帰り、母に告げた。
「ほんと。髪を切ってらっしゃい」とお金を渡された。
「そんなことないよ、かわいいよ」と言われたかったのだ
と今日気がついた。

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いじめにあっていたことも思い出した。
たいしたいじめではなかった。
口をきいてもらえなかっただけ。
それも、特定の二人にだけ。

でも、卒業して十年以上たった同窓会で、
またまるきり無視されたときには、
さすがにげんなりした。




なにもかも、なにもかも、なにもかも
忘れてしまいたい。

小さくちぎって風に飛ばしてしまいたい。



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私は、母にも嫌われるような子だから、
友達にも嫌われるの?


いまの私に、友達はいるの?
私は誰かに好かれているの?


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- 2005年07月10日(日)

なんだか、急にポジティブになった。
母親のことも、どうでもよくなってきた。
いい意味で。

毎日をなるべく心穏やかに楽しく生きていきたい。

2000年に始まった、それまで我慢してきた母への不満の噴出は
ようやく小さくなりつつある。
とはいえ、相手は母親である。
手強い相手である。
今後も、何かと私の生活に立ち入って
ぐさぐさと私を傷つける言葉を投げつけるであろうことは
容易に予想できる。
完全に終息することはないのだろう、とも思う。


一方、小さい頃から、ずっと私に問題があるのだろうと悩み続け、
母と祖母の間でバランスをとり続け、
祖母を憎むことで母との関係を修復しようとし、
失敗し、…
そんな頑なな私である。




…書いているうちに、まだまだ危ういような気がしてきた。
つかずはなれず、なんとかいい関係を保ちたいものだ。



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- 2005年07月09日(土)

楽しく生きる。普通の生活をする。美味しくご飯を食べる。


日頃こころがけていることは?
という入院質問紙に対する私の答え。

なんだか、幼稚園児みたいだけれども。



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- 2005年07月08日(金)

今日は、一日を楽しく過ごした。
精神的に安定しているからか。


朝6時半に起きると、*がまた、徹夜で仕事をしていた。


紅茶を煎れ、ビスケットを渡す。
7時前、ようやく*は寝に行った。


いつもなら、目の下にクマを作った*を見て、
私はがくん、と気落ちする。
体を大切にするということをよしとしない*の生き方が、私を不安にさせる。
生まれつき体の弱い*がこんな生活を何年も続けていて
大きな病気にかかったらどうしよう、倒れたらどうしよう、
できれば、80歳くらいまで、一緒に生きていきたいけれど
こんな生活をしていたんじゃ*は長生きできそうにないじゃない
と不安になる。


/////


キリスト教的なものの考え方には、
自己犠牲、というのが頻繁に出てくるようである。
自分の体をいたわる=使い惜しみしている=神への不敬
というような考え方があるようである。

*の実家の母親は、キリスト教徒だからか、
そういうところがあった。
それが、*にも伝わっていることをひしひしと感じる。

/////

でも、それもいい、と最近ようやく思えるようになってきた。
それでもいい、好きなことを好きなようにやって
それで本人が楽しいなら、それでいい。

そばで見ていなきゃならない私は辛いけれども、
私が辛いからといって、私の不安を解消するためだけに
早寝早起きをさせても、仕方がない。



食欲のない(であろう)*のために
美味しいご飯を用意するだけ。


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- 2005年07月03日(日)

私は、母に自分の奥底をさらけ出すことができない。
自分の奥底に触れられることが、我慢ならない。

母のところに顔を出すときには、体調の良いときを選ぶし、
必要以上に、元気だよ、というポーズをとる。


精神的にも身体的にも、弱い部分、痛む部分を母にみせることができない。
覚えているかぎり幼い頃からそうだった。
甘えることができない。
なぜなのだろう。

そう躾られたから、なのだろうか。
それとも、私がどこかおかしいのだろうか。
わからない。

心の奥に一回でも、自分から母に抱きついた思い出があれば、と
今日もまた、ぼんやりと半日を記憶の奥をさらって過ごした。


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