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Rei's column
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2004年09月14日(火) 危険信号

朝のニュースを何気に見ていました。

佐世保の女子小学生がネット絡みで同級生を殺傷した事件の公判を報じていて

裁判長の判決の中に
・・被告の少女にとって「死」は「いなくなる」ということと同等であり
反省の態度を示すも今だに命を奪ったことの重大性や家族の悲しみを実感することができないでいる 

というコメントを紹介していた。


相も変わらずコメンテーターは「なんでこんなことが・・理解できませんねぇ」というような
判で押したようなコメントをつけて見送り。


「理解できませんねぇ」では済まされない。
そういうオトナがこういうコドモを作るんじゃなかろうか。


この裁判長のコメントが気になったので判決についてのニュースをネットで引いてみた。

「〜(少女は)コミュニケーションが不器用で、交換ノートやインターネットが唯一安心して存在感を確認できる『居場所』だった」

交換ノートなどのやりとりが怒りを募らせ事件に結び付いたことについては
「〜女児の怒りの感情については、回避するか攻撃するかという両極端な対処行動しか持たないと分析した」 とある。

・・これはやっぱり精神分析の専門家のコメントを引用しているのだろうが
この程度の資料を見ても「理解できませんねぇ」と異常者扱いで問題を棚上げするような感性の人間が
コメンテーターなんてやっていること事態が世の中の危機だ。


〜女児の両親の教育態度についても触れ、両親が女児のことを
「おとなしく手のかからない子」という誤った認識をしたため「目配りが十分ではなかった」と。

親すらも自分の子供に真剣に向き合うことをせず
無償の愛情が何たるかを身をもって教えることが出来ない。

情報を発信する立場の人間が「ネットオタクで精神が異常」的な扱いで物事を済ませようとする。

・・最悪だなあ。


「おとなしくて手のかからない子」なんているわけがない。
子供はどんなに愛情と手間をかけてもらってもいっぱいいっぱいになって迷惑がることなんてないのだから。



今、読み解いている「性倒錯」に関する本にこんな記述があります。

・・家庭も人間も彼には硬化した灰色の事物にすぎず、しばし自分と世界の間には灰色のガラスの壁を感じた。


ナイフで刺せば相手が「消える」
煩わしさから「回避」できる。

世界のすべては「物質」で構成されていて血の通った「生物」ではない。

もちろんこれは、未成熟なコドモの極端な世界観の中で起こった悲劇ではあるけれども
多かれ少なかれ私たち自身もこういう「危機」と隣り合わせの環境の中で現代を生きている。


・・欝に苦しむ人たちが口を揃えてこう言う。
「自分が価値の無い人間に思える」

そもそも、人には「価値」などという判断基準があるのだろうか。
人の価値などいったい誰が決めているのだろう?
人は物質ではないのだから。


人や生物が「生きている」ということ
「心」があるということすら

認識するのに難儀を伴っているということは

そんなに「異常者の限定された世界」として切捨てられない事実なのではないかと思う。


Rei


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