Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 理容師の親友に髪を切ってもらう
2005年04月30日(土)

 今日は髪を切りに行ってきました。いつもは街の中心部にある、月〜木曜日の夕方4時までに入れば1500円の美容院で切ってもらうのですが、今日は小学校、中学と一緒だった同級生のシゲが店長を務めるお店で、しかもシゲ直々に切ってもらいました。

 シゲの実家は3件のお店を持つ床屋さんで、シゲも高校を卒業してから10年間もの間、東京で理容師の修行をしてきました。で、その修行が終わり静岡に戻ってきて、店を任されることになったというので、今日初めて切りに行ってきたというわけです。
 シゲは極めて温厚でまじめな性格で、昔から几帳面で根気強くひたむきな性格なのですが、何と彼は、理容師の全国大会優勝という輝かしい経歴の持ち主です。しかも!彼のお兄さんも理容師なのですが、そのお兄さんは何と世界チャンピオン!……いや〜、今まで知りませんでしたが、すっかり大物になってしまっていました。

 シゲが店長を務めるお店は当然「美容院」ではなくいわゆる「床屋さん」ということになる(だからカミソリが使えるのでヒゲも剃ってくれる)わけですが、街中にあり、お店も近頃の洒落た美容院のようにとても綺麗なお店で、床屋さんによくあるクルクル看板もないので、女性客も多いのだそうです。お店では店長のシゲの他に見習いの子が1人いて、彼がコーヒーを入れてくれました。

 何とこのお店では、コーヒーか紅茶をサービスで出してくれるのです!

 さて、いよいよ僕の番になり、待望のシゲ直々の散髪が始まったのですが、切ってもらいながら、とても感慨深いものがありましたよ。何と言っても、親友に髪の毛を切ってもらうんですからねえ。しかも日本チャンピオン!前々から修行を終えて静岡に帰ってきたらぜひ切ってもらおうと思っていましたが、ようやくそれが実現しました。
 で、シゲはもちろん10年間も東京で修行を積んで来て日本チャンピオンにもなったわけですから散髪の腕は言うまでもありませんが、このお店は、他にも人に優しいシゲらしい特色があるのです。

 シゲのお店は、散髪〜シャンプーの後のマッサージにかなりの時間をかけてくれるのです!

 普通床屋さんでも美容院でもサービスでマッサージをしてくれるお店はありますが、シゲのお店はそのマッサージにとてもじっくり時間をかけて、念入りにやってくれるのです。しかもそれはこのお店のモットーで、「ここではマッサージもしっかりとするようにしよう」というシゲのこだわりでもあり、ちゃんと肩こりのツボなども勉強し、見習いさんに指導しているのです!これは普段肩こりがひどい僕にとっては非常にありがたいことですね。なぜマッサージをそれほど念入りにしてくれるのかというと、このお店のマッサージはサービスではないからです。つまり、このお店のマッサージはシャンプーとセットの別料金というわけです。有料オプションのようなものですね。しかし、それでもシャンプー&マッサージで+600円ですから、全然安いんですけどね。このマッサージだけでも、クイックマッサージのお店などでは2000円ぐらいは取れるほどですよ。

 そんなわけで今日は親友と久しぶりに再会し、懐かしい思い出話などを交えながら、親友に散髪してもらい、さらに充実したマッサージまでしてもらって、見た目もさっぱりとカッコ良く(?)なり身体もリフレッシュできて、とても幸せな気分を味わうことができました。

 これからは、毎回シゲのお店で散髪するぞ!



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 F1、BARに不正の疑い
2005年04月29日(金)

 先週末に行われたF1サンマリノグランプリ決勝レース後の重量計測で、3位表彰台に登り今シーズン初めてポイントを獲得したBAR・ホンダのジェンソン・バトンのマシンが、最終的に規定の数値を下回ったにもかかわらずスチュワードが合法との決定を下したことについて、スチュワードを指揮するFIA自身がこれに控訴する声明を発表したようです。FIAはスチュワードの決定に満足しておらず、5月4日にパリで臨時の国際控訴院を開催するようスケジュールを組んだようです。

 通常FIAは、レース終了後に完走した全てのマシンを対象にレギュレーション違反がないかどうか、重量、寸法、その他ランダムな項目の車検を実施しています。サンマリノグランプリにおいても通常通り、FIAがジェンソン・バトンがドライブしたマシンの車検を行い、最低重量を含む全てのレギュレーションに合致していたことが確認されたようです。
 その後FIAは更なる項目のチェックをするため、燃料タンクそして全ての燃料系システムの中の燃料を抜き出すよう、チームに指示を出しました。そしてマシンの重量を計測した結果、全ての燃料を抜き出した状態では最低重量を下回っていたというのが、今回の騒動の始まりでした。

 これについてFIAから説明を求められたBARは、チーム側のデータ、そしてスチュワードが測定したデータをもとに、マシンがレース中のいかなる時点においても最低重量を上回っていたことを証明しました。そして昨夜遅くイモラサーキットにおいて、スチュワードがBARの説明とその証拠を認め、マシンがレギュレーションに適合していたことを認める書類(ナンバー49)を発行しました。
 ところが、英国時間4月25日の午前11時30分に、BARはFIAのセクレタリー・ジェネラル(スポーツ部)からFAXを受け取りました。その内容は、サンマリノグランプリ終了後のスチュワードが下した判定(ナンバー49)に対し、FIAが抗議するというものだったのです。

 BARに掛けられている疑惑はどうやら、「秘密の燃料タンク」を使用して最低重量を誤魔化していたというものらしいです。今回バトンのマシンは燃料等をすべて抜くと594キロであり、600キロと定められた規定に違反していることになりますが、最低重量に違反していただけならばバトンの失格&罰金程度の処分になると思われます。
 しかし、もし意図的な隠れタンクがあるとしたら、それだけで明確なレギュレーション違反となるだけでなく、極めて悪質な違反とされた場合、BARに対して高額な罰金が科せられるだけでなく、最悪今季のチャンピオンシップから除外(佐藤琢磨も含め)というケースもあり得ると噂されています。

 BAR側はレース後の事情聴取で、ゴール後のクーリングラップで使用する燃料分を考慮すると、レース中のいかなる場合にもBARのマシンは最低重量を下回ったことはないと説明、スチュワードはこれを受け入れて失格の裁定を出さなかったようです。
 しかしFIAはBARのマシンの燃料タンクの構造自体を問題視しているというわけです。燃料タンクに関しては、「単一のゴム製袋型燃料タンク」という以外に明確な規定はないと思いますが、もしBARのマシンがもう一つの秘密タンクをマシンに内蔵していたとしたら、これはレギュレーション違反と言うことになります。さらにその目的が最低重量規定を巧みにクリアするため、ということになれば厳罰は免れないでしょう。

 とりあえずは、国際控訴院の判断が下される5月4日を待つしかありませんね。



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 のり弁はえらい
2005年04月28日(木)

 「のり弁」と言っても、のりPさんの使う方言のことではないだす。「のり弁当」のことだす。皆さんも一度は食べたことありますよね?あのおかかをまぶしたご飯の上にのりが一面に敷かれていて、さらにその上にコロッケ、ちくわの天ぷら、きんぴら、紅しょうがなどが乗っている、お弁当の代表格のようなやつですね。今日は久しぶりに、お昼にほっかほか亭で買ったのり弁を食べたのですが、つくづくのり弁はえらいと思います。なぜなら、そのネーミングが他の弁当に比べて、非常に奥ゆかしいからです。

 例えば、焼き肉弁当を見ると、その中身はあくまで焼き肉が主役で、これを「焼き肉弁当」と称するのは的を得ていますよね。つまり、「内容=ネーミング」です。

 ところが、のり弁はゲストのコロッケ、ちくわの天ぷらなどの方が食欲的魅力において主役である「のり」をはるかに凌駕しているにもかかわらず、あくまでも「のり弁」と称しているのが、何ともにくいではありませんか!つまり、「内容>ネーミング」ということですね。

 うーん、誇大広告の多い現代社会において、心洗われるような過小広告ですな!



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 DTM、放送されるらしい!
2005年04月27日(水)

 4月17日にドイツツーリングカー選手権(DTM)が開幕したんですが、昨年まで生中継してくれたスカパーのチャンネル「スポーツISPN」が、今年は生中継をしてくれませんでした。しかもスカパーガイドやスポーツISPNのサイトを見ても昨シーズンの再放送ばかりで、今シーズンの放送日程などはまったく書かれていなかったので、今シーズンは放送を打ち切ってしまったのか?というお話は4月17日のVoiceでも書きましたよね。

 ところが!今日スカパーガイドの5月号を観てみると!ありましたぞ今シーズンのDTM!どうやら今シーズンもスポーツISPNがレースの模様をちゃんと放送してくれるそうです!いや〜よかった〜!今年は元F1チャンピオンのミカ・ハッキネンが久々にDTMに現役レーサーとして復帰するのに、レースの模様を観ることができずにネット観戦だけだなんてあまりにも悲しすぎますものね!残念ながら今年は生放送ではないようですが、それでもハッキネンの勇姿を再び観られるので安心しました!

 4月17日に行われたDTM開幕戦ホッケンハイムの模様は、5月22日の夜10時30分から1時間放送されます。ハッキネンは残念ながらピットレーンで速度違反を犯してしまいペナルティを受けてしまいましたが、それでも怒濤の追い上げを見せデビュー戦を8位入賞で飾り、そしてハッキネンと同じく元F1ドライバーのジャン・アレジが優勝したレース、必ずMacでキャプチャーしますぞ!



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 勧誘電話の撃退法
2005年04月26日(火)

 今日、仕事中にこんな電話があった。

「あ、もしもし〜!白井と申しますけど、マコトさんいらっしゃいますか?」

 如何にも可愛らしさをアピールするような、浜崎あゆみが甘えたような若い女の声だった。しかし、僕には「白井」という名字の女性に心当たりはない。そこで、僕はこの手の怪しい電話ではすぐに「わたしですが」とは名乗り出ず、必ず聞く言葉を言った。

「どちらの白井さんですか?」
「あ、静岡に住んでる白井ですが、マコトさんはいらっしゃらないんですか?」

 この時点でほぼクロだ。とっさに地名が出る時点で、知り合いを装った何かの勧誘電話であることはまず間違いない。普通なら「どちらの」と聞かれたら「○○で一緒だった」などと具体的な素性を明かすはずだし、それが礼儀というものだろう。しかも、初めて電話してきて「マコトさんはいらっしゃらないんですか?」て……「いらっしゃらないんですか?」て……。なんて馴れ馴れしいヤツだ。
 しかしまあ、もしかしたら仕事の電話かもしれないし、僕自身が「白井」という名の女性のことを忘れている可能性もあるので、十中八九勧誘電話だろうと思いつつ、名乗り出ることにした。

「僕がマコトですが?」
「あ!マコトさんですか?初めまして〜!突然のお電話ごめんなさいね!私東京・渋谷にある『アクア』っていうウェディング・ジュエリーを扱っているお店の白井ともうします〜!」

 東京て……さっき静岡に住んでるって言うたやんけ。最初からそう名乗れよ。

「現在20歳以上の、お仕事をしていらっしゃる独身男性の方を対象に、キャンペーンのご案内をさせていただいているんですが、間違いないですよね?」

 この手の勧誘電話は、こちらの有無を言わさず話を進めようとする。なぜならこちらが思わず興味を示すようなオイシイ話題まで、早く話を持っていきたいからだ。こういう場合は、向こうがどんなに話を進めようとしても遮って、こちらの言いたいことをちゃんと言った方がいいのである。

「どうしてこの電話番号と僕の年齢や独身であることまで知ってるんですか?」
「あ、それはですね、調査会社に依頼して調べてもらったんです〜」
「……調査会社?それってマズいんじゃないの?」
「え?全然マズくないですよ〜」
「マズいでしょう!はっきり言ってプライバシーの侵害じゃない」

 すると突然!あら不思議!電話が一方的に切れてしまったではありませんか!たいてい向こうに都合が悪い話の流れになると、このように一方的に電話を切ってしまうケースが多いのだが、この程度でギブアップするとは、まだまだ未熟よのう。
 僕はこういった悪徳なやり方は大嫌いなので、先物取引などの勧誘電話などでも、時間に余裕がある時は受けて立ち、向こうの矛盾だらけの言い分を指摘してチクチクと言い負かすのが好きなんですが、今日はちょっと物足りなかったですな。



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 尼崎列車脱線事故
2005年04月25日(月)

 今朝は尼崎でショッキングな事故が起こってしまいましたね。7両編成の列車が脱線し、1両目、2両目が線路脇のマンションに突っ込み、へばりつくように潰れてしまうと言う大惨事で、死者が50人を超えるJR史上最悪の列車事故となってしまいました。
 今日は朝から晩までこのニュースで持ちきりでしたが、列車を運転していたのは23歳の運転士で、列車運転歴はまだ11ヶ月だったということでした。報道では事故を起こした列車に乗っていた乗客らの証言が紹介され、直前の伊丹駅でオーバーランしてしてしまったために1分半〜2分の遅れが出てしまい、その遅れを取り戻そうと運転士がスピードを出し過ぎてしまったせいで事故が起こってしまったのではないかという推測が成されています。また今回事故を起こしてしまった運転士は過去にもオーバーランをしており、運転技術が未熟だったのではないかとも言われています。

 こうした報道で一番恐ろしいことは、そのワイドショーやニュースなどを見た視聴者が、すぐに事故を起こしてしまった運転士を非難してしまうということです。もちろん直接的な原因は運転士にあったかもしれませんが、乗客らの証言も「いつもよりスピードは速かった」というものもあれば「スピードはいつもより速いとは思わなかった」などと様々です。
 乗客は気が動転していますし、実際1分半の遅れが出ていたこともあったので、事故が起こって初めて「そういえばいつもより速かったかも」という錯覚に陥りがちです。また特にワイドショーなどのように、事件・事故をよりセンセーショナルでショッキングに演出する傾向のある番組では、「いつもよりスピードが速かった」という証言だけを紹介するようなケースも少なくありません。つまり、より事件を印象づけるために情報操作を行ってしまうということもあるわけです。

 また23歳の運転士についてですが、まだ運転経験が11ヶ月しかなかったこと、さらに過去にもオーバーランをしてしまった経緯があったにせよ、それらはベテランの運転士でも経験してきたことであり、そのことだけでは今回の運転士だけに責任を問う材料にはなりません。何せまだ事故の原因は全く明らかになっていないのですから。

 こういった事故や事件では、最初の報道で世間の見方は大きく影響を受けますよね。過去にも松本サリン事件で、全く無関係の会社員が容疑者のように扱われてしまったというケースもあります。我々視聴者は事件・事故の第一報や初期の報道だけで判断せず、調査が進んで事故原因の全容が明らかになるまでは、不用意な判断はするべきではないと考えます。



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 F1サンマリノグランプリ予選・決勝
2005年04月24日(日)

 今回のグランプリは、午前に行われた予選2回目と午後の決勝で、2度驚かされてしまいました。まず午前に行われた予選2回目ですが、昨日の1回目の予選でキミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)、フェルナンド・アロンソ(ルノー)についで3番手につけたミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が、フェラーリの本拠地でしかも得意であるはずなのに珍しい凡ミスをして、何と14番手に沈んでしまいましたな。ザウバーのフェリペ・マッサがエンジン交換のペナルティで予選順位から10番手降格となり決勝は13番手からのスタートとなりましたが、それにしてもシューマッハのあのミスは意外でした。

 そして午後にスタートした決勝。ポールポジションからスタートしたライコネンが序盤は2位アロンソを引き離してレースをリードしますが、そのライコネンがまさかのマシントラブルでリタイヤ。その後アロンソがトップに立ちレースを引っぱっていきます。
 ところが、レース序盤はこの抜きにくいイモラサーキットの特性で13位からなかなか順位を上げられなかったシューマッハが、前につかえているマシンがピットインして視界がクリアになった途端、ライバル車よりも2秒も速いペースで猛追を始め、レース終盤にはジェンソン・バトン(BAR・ホンダ)を抜いて2位浮上、その後さらにペースを上げてあっという間にトップをゆくアロンソの背後まで追いついてしまいました。
 レースはそのままアロンソとシューマッハの激しいデッドヒートへと突入し、2秒以上速いシューマッハに対してアロンソはあえてペースを落としてシューマッハの抑え込みに徹し、抜きにくいサーキットで最後までミスすることなくシューマッハを抑えきり辛くも勝利を手にしました。

 しかし……2秒以上も速く走られたら、もはやフェラーリだけまったく別のカテゴリーのようですな。もしシューマッハが予選で失敗していなければ、おそらくシューマッハは今回、全車周回遅れにして勝利していたことでしょう。そして今回は辛くもアロンソが勝ちましたが、今後はまた昨シーズンのようにシューマッハの独走が始まり、最終的には以前僕が書いたように、やっぱりシューマッハがチャンピオンになってしまうんでしょうなあ。

 さて、今回フェラーリだけが圧倒的に速かったというのも、僕的にはしらけムードです。もちろんアロンソが最後までシューマッハを抑えきって、さらに素晴らしいバトルを見せてくれたので今回のレースに限っては面白かったですが、そもそもフェラーリは自社サーキットが無駄になるという理由だけで、フェラーリだけが他の9チームが合意したテスト制限を無視して身勝手なテストを続けていますからねえ。これでは全然対等ではないですよね。明らかに不当なことです。こんなことを続けていたなら、スポーツとしてのF1は成り立たなくなるでしょうね。

 9チーム側が「30日案」を主張したのに対し、フェラーリは独自に「15000キロ案」を提示し、両者の歩み寄りは得られていないままシーズンに入っています。しかしフェラーリはこのサンマリノ前だけでもすでに7000キロは走ったとされ、今のペースでフェラーリがテストを続けていけばシーズン中に15000キロを超えるのは明白です。さらに驚くべきことに、これについて最近ロス・ブラウン(フェラーリ・テクニカル・ディレクター)は「タイヤテストとマシン開発テストとは別」と身勝手な主張をし始めています。

 あー……フェラーリ撤退してくれないかなあ……。



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 「ハイド・アンド・シーク」を観る
2005年04月23日(土)

 今日は時間があったので、今日から公開された映画「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」を観に行ってきました。僕が観た映画の中では2005年最初の映画です。この映画はロバート・デ・ニーロ主演の映画で、天才子役ダコタ・ファニングが娘役として共演している話題作です。

 デ・ニーロはもはや言うまでもなくベテラン演技派俳優ですが、ダコタ・ファニングはあどけない表情で観客を魅了しながら、とても少女とは思えない演技力で共演スターを食ってしまう“恐るべき11歳”と言われています。ダコタは、ショーン・ペンやデンゼル・ワシントンなど名だたる大物俳優と過去に共演していますが、今回の「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」では名優ロバート・デ・ニーロと、さらに6月29日公開の「宇宙戦争」ではトム・クルーズと共演しています。そんな華麗なる“男性遍歴”を持つ彼女が、今もっとも共演したいお相手はジョニー・デップだそうです。「彼の出演作品を観て、すぐに一緒に仕事をしたいと思ったわ」とラブコールを送ったそうですが、案外、そう遠くない将来に実現するかも知れませんな。

 さて、話が逸れてしまいましたが、今回観た「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」、絶対に内容は秘密にしてくださいと言われているので内容に関しては言えません。がしかし、なかなか面白い映画であったことは確かです。ロバート・デ・ニーロの演技の素晴らしさは言うまでもありませんが、ダコタ・ファニングは今回も恐ろしいほどの演技力を発揮していてデ・ニーロと対等に渡り合っています。この映画はむしろダコタ・ファニングが主役と言っても過言ではないでしょう。僕の評価は、100点満点中80点ですね。

 ところで、Yahooニュースのエンターテイメント欄を観てみると、今年の注目映画「スターウォーズ〜エピソード3〜」やスピルバーグ&トム・クルーズ&ダコタ・ファニングで贈る超大作「宇宙戦争」の話題が飛び交っていますよね。特に「宇宙戦争」に関してはこれまでずっと極秘を通してきたのでその内容や映像などが全く謎だったのですが、今日「ハイド・アンド・シーク」を観に行った時にこの2作品の予告編を観ることができました。
 やはり映画館に行くと、こういった近日公開作品の最新の予告編を観ることができるというのが良いですね。ただし、予告編はどの作品も非常に期待感をあおるような編集が成されているので、実際に観てみると対して良くなかった作品なども多いですから、「予告編だけは良かった」と思ってしまうこともあり、判断が難しいところもありますけどね。

 昔シルヴェスタ・スタローンの「クリフハンガー」の予告編を劇場で観た時、あの女性が崖の下に落ちていく衝撃的なシーンが使われていて、「こんな状態でどうやって助かるんだ〜〜?」などと思って期待していましたが、そのシーン、本編ではほんとの冒頭で出てきてしまい、なおかつ落ちた女性は助からなかったです。で、その後の展開は皆さんご存じのありがちな展開で、結局予告編で使われていたあの冒頭のシーンが最大のクライマックスだったんですね。いや〜あれには騙されました。



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 完成したB3広告(裏面)
2005年04月22日(金)

 昨夜は一晩中作業を続け、今朝7時頃に裏面を完成させました。

 裏面は、表面でイメージとして載っていた2車種の具体的な説明なのですが、クルマの前面は表面で見せているので、裏面ではクルマの後ろ向きの写真をイメージに持ってきました。2車種を上下に分け、左側からイメージ写真をグラデーションでぼかしていき、右側にそれぞれのクルマの内装や装備などを紹介しています。
 高級感を出すというのは色々な方法がありますが、今回は大胆に黒ベースを引いてすべての文字を白抜きにしてみました。こうすることで画面全体が締まり、シックでカッコ良くなったのではないかと思っています。さらにその下は白ベースで、その他の3車種を紹介しています。

 朝出来上がったものを提出しに行った時点では、まだ値段やスペックなどの原稿が入っていない状態だったのですが、午後の修正ではその追加原稿を入れる修正だけで、基本的なデザインはほとんど修正もなくそのままOKが出たのでほっとしました。

 もの凄くタイトなスケジュールでしたが、何とか無事に大きな修正もなく、いい仕事ができたと思っています。あーそれにしても、達成感と疲労感は、一緒にやってくるんですねえ……。



裏面(クリックで拡大表示)



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 完成したB3広告(表面)
2005年04月21日(木)

 やはり今夜は朝までかかりそうです。久々の徹夜なのでかなり眠いです。

 さて、とりあえず表面が完成しましたのでご紹介しましょう。イメージを含むジャン・レノ、プレゼントなどの写真はすべて支給されているのですが、メインイメージの右側の小さく写っている車種が違う車種だったので、別の写真から合成して入れています。さらにタイトル部分に茶色の透かしアミを入れています。それからジャン・レノは右側にグラデーションをかけ、カーボンファイバーのような黒いテクスチャーを作って合成しています。

 基本的にはイメージ写真を崩さないよう、コピーやタイトルは極力シンプルにするため、変に影やぼかしなどを入れずに白抜き文字でさりげなく写真に乗せています。また高級感や上質感を出すために、普通この手の広告などで使うような極太ゴシック書体は一切使わず、極力細い文字を選んで品良くしてみました。

 結局のところ、特にすごい技術をしているわけではなく、如何に写真と文字をシンプルにバランス良く配置するかというのがポイントですね。こういった極めてオーソドックスなデザインでは、それぞれの要素の配置バランスが最も重要になってくると言うわけです。



表面(クリックで拡大表示)



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 大きな仕事
2005年04月20日(水)

 今日は、大きな仕事が入ってきました。自動車ディーラーのB3広告(表裏)のデザインなのですが、とにかく高級感があって洗練されていて、それでいてシンプルでカッコイイデザイン、ということでした。
 内容は、表面は高級車のイメージが全面に入っていて、下の方でご来店・ご試乗・ご成約の各プレゼントが入ります。裏面はその高級車(グレード違いの2車種)の具体的な内装や機能などの説明、さらにその下にその他3車種のラインナップを入れるというものです。

 ただし、クライアントさんの意向は、とにかく今まで作ってきた広告の中で最もカッコイイものを作って欲しいと言うことでした。

 もちろん僕はデザインでも音楽でも、「前回よりも良いもの」を心がけて作っているつもりですが、さすがにそこまで強く言われてしまうとプレッシャーを感じてしまいます。しかもぜひ僕にやって欲しいというお話だったので、光栄ではあるのですが、下手なものを持っていったら全面やり直しもあり得るな、と身構えてしまいました。

 しかもこの仕事、何とB3両面を金曜日の夕方には印刷に入れなければならないと言う超タイトなスケジュールなのです。ということはつまり、遅くとも金曜日の朝には完成したものを持っていき、お昼ぐらいまでに修正指示をもらい、それを夕方までに直して印刷会社に突っ込むしかないというわけです。

 とはいえ、焦ってしまっては良いものなどできるはずもないので、とりあえず今夜は紙と鉛筆でラフを描いて、じっくりとデザインの案を練りたいと思います。こういう仕事って、大変だけどとてもやりがいがあるんですよね。頑張ります。



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 「MAZDAIRA」のサントラを聴く
2005年04月19日(火)

 ずいぶん前に、ちらっとだけご紹介した「マツダイラ」のオリジナルサウンドトラックですが、一応すでに全16曲は出来上がっているのですが、その曲順をどうしようかとずっと悩んでいたんです。MDに入れてクルマで聴いたり自宅で聴いたりして、何度も曲順を入れ替えて一番しっくりくる曲順を考えていたのですが、一応こんなもんかなという曲順が出来上がったので、最終的にCDに焼き、ジャケットも作ってようやく1枚のアルバムとして完成することができました。

 このアルバムは小説「マツダイラ」のイメージアルバムとして製作したのですが、曲調はエレクトリカルなものありオーケストラありジャズありピアノソロありと結構バラエティーに富んだ内容で、何かのオムニバスCDのような仕上がりになっています。オーケストラは静岡市民オーケストラの皆さんにご協力いただき、8人編成のオーケストラでレコーディングをしました。また主題歌とも言うべき「PowerGame」では、アメリカのポップシンガー、アニー・ブリュッセンさんにボーカルを担当していただきました。ご協力ありがとうございました。

 さて、実際CDを作ったはいいのですが、まだ著作権登録の手続きが済んでいないので、どこにも出せないでいるんですよねえ。もちろんネット上で公開することはできないのですが、著作権登録が済んだら、クラブなどに持ち込んでかけてみようかなあなどと考えています。
 僕はいつも「マツダイラ」を執筆する時には全くの無音で書き上げていくのですが、このアルバムはさすがにこの小説のために作ったものなので、これを聴きながら小説を書くと、結構ノリノリで書けてしまうんですよね。うーん、我ながらいい出来映えだ。

 1.Power Game(song by Anny Brussen)
 2.The Beginning of GrandPrix
 3.Tail to Nose
 4.Crush Out
 5.K-6
 6.Poker Face
 7.Cote d' Azur
 8.Good-bye Senna(song by Anny Brussen)
 9.The Fort in Bibry
10.Retreat
11.The Inheritance of VILLENEUVE
12.In the Factory
13.Michael SCHUMACHER
14.A Girl in Nice
15.The Final
16.The Top of the Podium

All Produced by Mako Hakkinenn



「MAZDAIRA オリジナルサウンドトラック」



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 モー娘。まりっぺ脱退の謎
2005年04月18日(月)

 え〜、僕にとってはどうでもよいことではあるのですが、モーニング娘。のリーダー・矢口真里(まりっぺ)(22)が14日、グループを脱退すると緊急発表しましたよね。これは15日発売の写真週刊誌「FRIDAY」にイケメン俳優・小栗旬(22)との連泊愛を激写され、その責任を取った形なのですが、まりっぺはファクスで自らリーダー失格とファンに陳謝。現在全国で展開中のモーニング娘。のツアーも辞退し、今後はソロ活動に入ると発表しました。

 人気アイドルとイケメン俳優の通い愛が掲載されたのは15日発売の「FRIDAY」で、182センチの小栗と145センチのまりっぺの凸凹カップルが都内のまりっぺの実家と、そこから400メートルしか離れていない小栗の自宅マンションを行き来する様子が激写されたようです。交際は親公認の状態で同誌によれば、2人は4月に入ってから毎日のように逢瀬を重ねていたといいます。
 まりっぺは11日に所属事務所に相談。ファクスによれば「自分の自覚のなさから引き起こしたこと。リーダーとしての資格がない。『モーニング娘。』を辞めさせてほしい」と申し出たそうです。“引退”も覚悟していたまりっぺでしたが、事務所側はソロ活動を提案。話し合いの結果、まりっぺが提案を受け入れ、急きょグループの脱退、ソロ活動開始が決まったそうです。

 さらにまりっぺは「私にとってモーニング娘。はすべて。今回の騒動で私は『アイドル』として自分を裏切っていたと思います。私自身の責任として『モーニング娘。』を辞める決断をし、所属事務所に相談しました」と心境を明かしました。ファンには「申し訳ない気持ちでいっぱい。本当にごめんなさい」と謝罪し「もう一度、一からやり直します。一つ大人になった矢口真里を見ていてください」と、ソロ活動での出直しを誓いました。

 さて皆さん、この一連の騒動を見て、ものすごく不思議に思いませんでしたか?……え?どうでもいい?……ですよねえ……まあ僕も冒頭に書いたように、とてつもなくどうでもいいことなんですけどね。
 ただ、なぜまりっぺは、たかが通い愛を激写されただけで、モーニング娘。を脱退しようと思い立ったのでしょうかねえ。

 リーダーとしての資格がない?アイドル失格?責任を取る?そもそも、謝罪なんて必要あったのでしょうか?何か悪いことをしていたわけでもないですし、たかが彼氏の家に連泊していただけでしょ?何でまりっぺはそれが発覚したことを、そんなに重く受け止めているのでしょうかねえ。
 報道を見る限りでは、親公認の仲だったわけですよね。それに、事務所としても特に謝罪や脱退を促したわけでもなく、まりっぺが独断で謝罪と脱退を決断したようですからね。歳ももう22ですから、いくらアイドルだからといったって、恋愛の一つや二つしていても、別に問題はないように思えるのですがねえ。モーニング娘。の歌でも、

 ♪こ〜い〜をし〜て〜〜(ウ〜ベイベ〜)
 ♪キ〜ス〜をし〜て〜〜(ウ〜ベイベ〜)
 ♪ラブレボリュ〜ション なんちゃらかんちゃら

 とか歌っていることですし……。

 もし仮に、まりっぺが本気で今回の騒動に関して重く受け止めていて、責任を感じて謝罪と脱退を決断したのだとしたら、ただ単に彼女が自意識過剰なのだと言わざるを得ませんな。あるいは、責任感は自分なりに持っているのだけど、その意味を著しくはき違えているか……。いずれにしても、「けじめ」の付け方が間違っていますよね。
 モーニング娘。のメンバーもファンもまりっぺの脱退に衝撃を受けていて、「小栗旬と付き合ってていいからモーニング娘。を辞めないで欲しい」というファンも多いそうです。ですからまりっぺがモーニング娘。を脱退することの方が、小栗旬と交際していたということよりもよっぽど裏切り行為に近いわけですな。
 まりっぺにとって、アイドルとは、モーニング娘。のリーダーとは、そして矢口真里とは、どうあるべきだったんでしょうかねえ。モーニング娘。はみんなのアイドル、だから特定の男性と恋愛するなんて、ましてや男の家に連泊するなんてことはもってのほか……などと考えていたんでしょうか。

 でも、もし仮に小栗旬との交際が発覚しなかったら、モーニング娘。も脱退していなかったでしょうし、小栗旬とも交際を続けていたんじゃないの……?

 もしかして、「FRIDAY」に激写されたから脱退するというのはこじつけで、実は他に理由があったのか?例えば、以前からモーニング娘。を脱退したかった、あるいはモーニング娘。のリーダーなんてプレッシャーのかかる立場にはなりたくなかった……とか。それで、都合良く「FRIDAY」に激写されたので、これを理由にしてモーニング娘。を脱退したのでは……。

 そう考えると、一連の騒動はすべて納得できますな。



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 DTMのテレビ放送はいったい……
2005年04月17日(日)

 はて、今日は確か楽しみにしていたドイツツーリングカー選手権(DTM)の開幕戦がドイツのホッケンハイムで行われたはずなのですが……テレビ中継ってどこでやっているんでしたっけ?確か昨シーズンはスカパーの「スポーツISPN」で全戦放送されていたはずなのですが、今シーズンはどこで探しても、放送スケジュールが見つからないんですけど……。

 今シーズンのDTMは、98、99年のF1ワールドチャンピオンで、2001年にF1を引退してからモータースポーツから遠ざかっていた、僕が最も好きなドライバー、ミカ・ハッキネンが復帰するので、絶対見たいと思っていたのに、何で放送されないのでしょうか。「スポーツISPN」をつけてみても、やっているのはWRC、スカパーの週間番組を観てもDTMはどこにも出ていないし、「スポーツISPN」のホームページを調べても、DTMに関する記事は一切書かれていないんですよね……。

 もしかして……今年から「スポーツISPN」はDTMを放送しなくなったのか?今年はミカ・ハッキネンと同じく元F1ドライバーのジャン・アレジ、ハインツ・ハロルト・フレンツェンの三ツ巴の対決が観られると思って楽しみにしていたのに、今年からはネット観戦しかできなくなってしまったのか?

 悲しすぎる〜〜〜ッ!

 ちなみにそのミカ・ハッキネンの現役復帰第1戦となった開幕戦ホッケンハイムですが、予選ではDTM3年目のジャン・アレジ(AMG・メルセデス)が5番手と好調でしたが、ミカ・ハッキネン(AMG・メルセデス)は15番手に沈んでしまいました。ポールタイムから1秒以上も遅れてしまったわけですが、まあ、デビュー戦だからこんなもんかな……。
 で、DTM2年目のハインツ・ハロルト・フレンツェン(スティーン・OPC)は何と全20台中19番手、うーん、ハインツは今年も苦渋に満ちたシーズンを送ることになってしまうのでしょうか……。

 で、決勝は大波乱の展開となったようで、ニュースによると5番手からスタートしたアレジは、1周目に起きた混乱(混乱って何だよ〜〜!気になる〜〜!)で6位に落ちたのですが、レースはアクシデントの影響で入ったセーフティカーが6周目までコントロールしたようです。そんな中、ライバルが早めのピットストップを行なう中、アレジは15周目までレースをリードし、7ラップ後に短い2度目のピットインを行った後、再び首位争いを展開した模様。最後はパフット(AMG・メルセデス)、シュナイダー(AMG・メルセデス)らと激しくトップを争いましたが、37周のレースをトップでチェッカーフラッグを受けました。さすがアレジ!開幕戦でいきなり優勝とは!

 一方、注目のミカ・ハッキネンはピットストップの際に80キロのピットレーン速度違反を犯し、ドライブスルーのペナルティーを受けて大きく順位を落としてしまった模様。とほほ……。最終ラップに前を行くムッケを果敢に攻めたものの大きくはらんでしまい、元F1チャンピオンのDTM緒戦は結局8位に留まったようです。まあ、デビュー戦でまずは1ポイント獲得したことだし、よしとしましょうかね。DTMにすっかり慣れてからのハッキネンの才能発揮に期待したいと思います。とりあえず、今年は学習学習。

 もう一人の元F1ドライバー、フレンツェンは、結局最後まで後方から抜け出すことなく、25周遅れの15位に終わりました。時間にすると約26分遅れ、レースの映像を全く見ていないので詳しい状況がさっぱりわからないのですが、何かトラブルでもあったんでしょうかねえ。それとも、マシンが良くないのでしょうか。

 あー、それにしても、ホントに放送されないの?



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 一週間遅い花見
2005年04月16日(土)

 今日は天気がよかったので、静岡市中心部にある徳川家康ゆかりの駿府公園(駿府城跡)へ、お花見に行って来ました。静岡ではちょうど1週間前の先週土曜日が満開だったのですが、その日はちょうどおばあちゃんの法事が重なり、さらにその後3日ほど雨が降り、今日行ってみたら、もうほとんど花びらが散っていました。

 しかし、駿府公園の中でも一番のお花見スポットでは、今日も芝生の上にビニールシートを敷いて、頭上に咲いている桜の木の下でお花見をしている団体がちらほら見られました。とても気持ちのいいぽかぽか陽気だったこともあり、桜は満開ではありませんでしたが、のんびりできて気持ちがよかったです。時折風が吹くと、桜吹雪が舞ってきてなかなか綺麗でしたよ。花びらが散る間際の切なさのようなものを味わいました。
 もちろん桜が満開の時にお花見をしたかったですが、当然そんな時は人でごった返しでしょうから、いい場所はすべて取られ、かなりにぎやかな雰囲気になってしまいますから、花がほとんど散ってしまったとはいえ、ちらほらと団体がいる今日くらいの方が、ゆっくりと落ち着いて心地いい気分を味わうことができます。

 ものは考えようですな。



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 Voiceを読み直してみる
2005年04月15日(金)

 2001年10月29日からスタートしたVoiceをすべて「エンピツ」に移植する作業が一昨日完了したのですが、その初期の記事からざっと読み直してみました。最初の頃は徹夜仕事が多かったなあ。2001年というと26歳ですから、まだまだ無理が利いていたんでしょうねえ。本格的に仕事を始めて4年目、ようやく仕事が軌道に乗って、レギュラーの仕事も確立し、しかし不況真っ只中なので、とにかくできる仕事はすべてこなして、ひっちゃきになって働いていたような気がします。

 そんな中でも映画を観に行ったり、どこかへ遊びに行ったり、HPを更新したり、小説を書いたり音楽を作ったり、仕事以外でも色々なことをしていて、忙しいなりに時間を作って、遊びや趣味もこなしていたように思えます。もちろん広告業界も全体的に不況でしたから、仕事がない時はまったくないわけでして、そういう時を趣味の時間に費やしていたのかもしれません。忙しい時は忙しいけど、暇な時はめちゃくちゃ暇、その差が激しい分、1年を通しての仕事と遊びのバランスが保たれて、メリハリのある1年を過ごしていたように思います。

 僕は仕事でストレスが溜まることはほとんどありません。もちろん、ずっとパソコンやシンセサイザーに向かっている仕事なので、肩こりなどは結構ひどいものですが、精神的にはいつも充実していて、仕事には常にやりがいを感じています。大変な仕事もありますが、それをやり遂げた達成感があるので、ストレスは感じないですね。だから昔のVoiceを読み直してみても、色々なことに目を向ける余裕もあるし、Voice自体もここまで書き続けていくことができたのだと思います。

 現在はだいぶ仕事の量も安定し、以前のようにしょっちゅう徹夜仕事をしなくてもやっていけるようになりました。定時(午後6時)で終われるような日も増えてきて、仕事以外の時間もより増えてきて、それと同時に趣味も増えていったような気がします。その分Voiceの量も増え、色々な物事をじっくりと書く余裕もできていったのでしょうねえ。初期の頃と今とでは、記事1件分の文字量が全然違いますからねえ。
 個人的な記事がほとんどなので、第三者がVoiceを読んでどうこうと言うことはないですが、自分自身の記録としては、非常に価値の高いものだと改めて思いましたね。この先、続けられる限り書き続けていきたいと思っています。

 そういえば、僕は1997年からネットを始めたのですが、最初のうちは友達や仕事でメールをやりとりする程度で、当たり前ですけどそれほどネットに依存していなかったんですよねえ。それが99年に「F1速報」で掲示板デビューし、その頃からどっぷりとネット生活に浸かってしまうようになりましたね。その頃ネット上で知り合った方々には、今でもお世話になっています。
 その後2000年の6月に自分のホームページ「M−NEST」を開設したのですが、掲示板を設置したのが2000年の11月ですから、それまでの1年5ヶ月もの間、掲示板もVoiceもないままHPを運営していたんですよね。つまり、サイトとしてはこちらがコンテンツを公開するだけの一方通行で、管理人である僕と訪問者とのディスカッションの場がなく、コンテンツの感想などは直接メールで送ってもらったり、別のサイトの掲示板に頼っていたわけですね。今ではとても考えられないような状況です。

 実際に顔を合わせてご飯を食べたり飲みに行ったり遊びに行ったりする、いわゆる「リアルな友達」ももちろん大切ですが、ネット上で知り合った、ネット上でしか知らない友達も今では多くいますが、とても貴重な存在ですよね。仕事で夜遅くなったり、徹夜仕事をしたりしていても、ちょっとした息抜きの時に掲示板を覗いてみれば、必ずどこかで誰かが書き込みをしていますし、どこかのサイトの日記などを読めば、その人の存在を知ることができます。

 もしインターネットがなかったとしたら、夜遅くまで仕事をしたりしてなかなか友達と会えない僕は、きっと孤独だっただろうなあと思います。



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 今年はアインシュタイン・イヤー
2005年04月14日(木)

 アイ〜ン!

 今年はあの「相対性理論」を打ち立てたアルバート・アインシュタイン没後50年、そして「光量子論」「ブラウン運動」「相対性理論」の三代論文の発表から100年の節目の年なのだそうです。知っていましたか?
 アインシュタインは1879年(明治12年)3月14日、ドイツ南部の町ウルムで、ユダヤ人夫妻の長男として生まれました。幼い頃のアインシュタインはあまり目立たない子供だったようで、独りで考え事をしていることが多かったそうです。5歳の時に、父親にコンパス(方位磁石)を買ってもらい、見えない何かが磁石をいつも一定の方向に向かせることを、非常に不思議に思ったというエピソードが残っています。未知なるものや、それを解き明かす科学への好奇心を、子供の頃から持っていたようですね。

 ところが、アインシュタインは決して優等生ではなかったようです。代数や幾何などの数学は得意でしたが、外国語と博物(現在で言うせいぶつに近いもの)は全くダメ、暗記が大の苦手でした。さらに、物事をじっくりと考えるタイプだったアインシュタインは、先生からの受けも悪く、級友からは「のろま」というあだ名を付けられてバカにされていたらしいです。
 当時のドイツは「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクのもと、富国強兵政策が推進され、厳格で画一的な軍国教育が行われ、知識の丸暗記と団体行動の徹底が重視されていました。このような雰囲気はアインシュタインの自由な精神に合わず、彼は15歳で学校を退学してしまいました。天才科学者も、最初は落ちこぼれだったんですね。

 そんなアインシュタインも別の学校に編入して、18歳で名門大学であるスイスのチューリッヒ工学大学に合格しました。しかし大学でも彼はあまり授業に出ず、自分の好きな勉強の没頭していたため、全般的な成績は中の上だったそうです。
 大学を無事に卒業したアインシュタインでしたが、彼が望んでいた大学の教師になることはできず、しばらくは臨時教師や家庭教師などをしていたそうですが、最初の妻ミレーバと結婚したこともあり、当時の生活はとても厳しいものだったようですね。
 1902年に知人の紹介でスイスの特許局に就職し、ようやく安定した収入を得られるようになったアインシュタインでしたが、彼は特許局での「申請された特許書類の検討」という1日のノルマを午前中に済ませてしまい、午後はこっそりと物理や数学の本を読みふけっていたそうです。職場の人たちがアインシュタインのさぼりに気付いていたかは定かではありませんが、このお役所の寛大さが、相対性理論を生み出したと言えるかもしれませんね。なぜなら彼は、就職して3年目の1905年、若干26歳のしがない公務員であったにもかかわらず、彼が書いた3つの論文が科学界に大きな衝撃を与えたのですからねえ。

 アインシュタインは「光量子論」「ブラウン運動」「相対性理論」の3つの論文を1905年に立て続けに発表し、1905年は「奇跡の年」とまで言われるようになりました。そして彼はこの3つの論文で博士号を得ることができたのでした。



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 全Voice完全移植完了
2005年04月13日(水)

 皆さん!褒めて下さい!ついに全Voiceの「エンピツ」完全移植が完了しましたぞ!2001年10月29日から書き始めたVoiceが、すべて閲覧できます!しかもキーワード検索もできます!Voice開始当初はまだ題名がなかったのですが、移植するにあたってすべての記事に題名をつけました!これでだいたいどんな記事か題名で判断することができます。

 移植作業が終了したところで、「ALL LIST」ですべての題名をズラーッと並べてみたのですが、いや〜圧巻ですねえ!よくここまでまあたくさん書いてきたものです。もちろん時々抜けていたりはしますが、我ながらこんなにたくさん書いてきた自分がえらいなあと思います。やはり継続は力なり、ですな。

 それにしても、今までいろんなことがありましたよ。移植作業をしながら読み直したりしていたんですが、その当時にあった出来事や考えていたことなど、今読むと懐かしいものばかりでした。自分自身忘れていたことなども多く、逆に新鮮に思えるようなこともありましたね。やはりこういう文章って、貴重ですよね。




 桜が散ったのは……
2005年04月12日(火)

 わたしのせいではありません。

 今年の桜の開花は例年よりも遅く、毎年4月上旬に徳川家康ゆかりの駿府公園(駿府城跡地)で行われる「静岡桜祭り」でも開花が間に合わず7分咲きだったようです。で、暖かい陽気に恵まれた先週土曜日、ちょうどおばあちゃんの法事の日に満開になったのですが、その後日曜、月曜と雨が続き、あっという間に桜が散ってしまいました。ちなみに今日も静岡は雨模様です。明日も雨のようです。

 先日Voiceで、僕が洗車をしてから1〜2日のうちに雨が降る確率は80%だったというお話をしましたが、先週金曜日に、確かに僕は洗車をしました。しかし!桜が早々に散ってしまったのは僕のせいではありませんからッ!皆さん、決して抗議のメールを送って来ないでください!

 しかし……マジであっという間に散ってしまいましたなあ桜……。今年は全くお花見をする間もありませんでした。どなたか無事にお花見をされた方はいらっしゃいますか?



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 静岡市、政令指定都市に
2005年04月11日(月)

 そうそう、すっかり忘れていたのですが、昨年の4月に清水市と静岡市が合併して新「静岡市」になり、全国で最も大きな市(当時)が誕生したのですが、昨年10月27日に静岡市を政令指定都市と指定する政令が公布され、静岡市は今月1日より政令指定都市に移行しました。この移行にともない、静岡市は3区に分区することとなりますが、3区の区名が次のように決定しました。

●静岡市葵区
 旧静岡市区域のうち、旧長田村の区域を除く、おおむねJR線以北の区域。
●静岡市駿河区
 旧静岡市区域のうち、旧長田村の区域を含む、おおむねJR線以南の区域。
●静岡市清水区
 旧清水市の区域。

 なのでうちの住所も、4月1日から変わっていました。今までは「静岡市○○町」だったのが、うちは駿河区になるので、「静岡市駿河区○○町」となります。このせいでうちの書類や名刺など、住所が入った様々なものを作り直さなくてはいけなくなります。……はあ、めんどくさ……。


静岡市の区分け(黄色は別の市町村)



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 降水確率80%
2005年04月10日(日)

 今日の静岡の降水確率ではありません。僕はシェルの「おまかせ君倶楽部」という会員に入っているので、毎月3回までの手洗いフッ素洗車と年3回のオイル交換が無料なので、洗車は梅雨時でも月に3回洗車しなければ損になってしまいます。
 で、昨日は法事でおばあちゃんを僕のクルマに乗せることになっていたので、その前の日の一昨日洗車したのですが、昨日は気持ちいいくらいのいいお天気でしたが、今日は昨日の天気が嘘のように雨模様となってしまいました。

 そこで、「おまかせ君倶楽部」の洗車記録と洗車した日の天気を照らし合わせてみると、何と驚くべきことに!僕が洗車した1〜2日のうちに雨が降る確率は約80%であることが判明しました!何と言うことだ!僕が雨男だと言うことが、データ的に立証されてしまったではないか……。



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 おばちゃんに最後の孝行
2005年04月09日(土)

 今日はおばあちゃんの四十九日の法要だったのですが、お墓のあるお寺はクルマで2時間ほどの静波というところにあります。なので静岡のおばあちゃんちにS2000で朝9時に行って、おばあちゃんを乗せて静波に向かいました。

 実は、S2000でおばあちゃんちにも行ったことがあるし、年賀状にもS2000の写真を載せて毎年送っていたので、おばあちゃんは僕がS2000に乗っていることを知っているのですが、おばあちゃんは常々僕のS2000に乗りたがっていました。僕もいつかおばあちゃんをS2000に乗せてあげたいなあと思っていましたが、残念ながらS2000はバリアフリーとはほど遠い乗り物なので、どうしてもおばあちゃんをS2000に乗せることは難しかったんですね。

 しかし、今日はようやく、おばあちゃんを僕のS2000に乗せることができました。一緒に同行した僕の叔父さん(=おばあちゃんの息子=母の弟)の膝の上におばあちゃんを載せて静波までの約2時間ドライブしました。静波にはおじいちゃんのお墓があり、親戚も住んでいるので、おばあちゃんもよく知っている道です。だからきっとおばあちゃんも見慣れた道を僕のS2000の横に乗って、懐かしがっていたことでしょう。今日の四十九日の法要が終わって、ようやくおばあちゃんは仏様になるので、仏様になってしまう前におばあちゃんに最後の孝行ができてよかったです。

 法要が終わると、おばあちゃんのお骨はおじいちゃんのお墓に一緒に埋葬されるのですが、今までおじいちゃんのお骨は、骨壺に入ったままお墓の中に埋葬されていたんですね。ところが、今回はまずおじいちゃんのお骨を骨壺から出し、直接お墓の中の土の上に蒔いて、さらにそこへおばあちゃんのお骨を直に蒔いてしまいます。つまり、おじいちゃんとおばあちゃんのお骨は、お墓の中で混ざり合ってしまったと言うことですね。
 僕が小学校4年生の時に亡くなったおじいちゃんは、今まで骨壺の中で寂しい思いをしてきたと思いますが、今日はようやく狭い骨壺から出してもらって、おばあちゃんと夫婦一緒になることができました。とっても素敵なことですよね。おばあちゃんは向こうで、久しぶりにおじいちゃんと再会するんだろうなあ。



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 Happy Birthday to 釈迦
2005年04月08日(金)

 今日4月8日は、釈迦さんの誕生日ですね。……いえ、「釈迦」というHNの方のことではありません。仏教のご本尊として信仰されている、お釈迦様のことです。
 お釈迦様は約2500〜2600年前に生きた方で、80歳まで生きたそうです。今でこそ80歳以上の方も珍しくないですが、平均寿命が短かったであろう紀元前の80歳といったら、現在の120歳ぐらいの感覚だったのではないでしょうか。

 さて、釈迦如来像には座っているものや立っているものなど、いくつかのポーズをしているものが存在しているのですが、全国の仏教のお寺などで毎年今日4月8日のお釈迦様の誕生日にまつられる「誕生日如来」という釈迦如来像は、片方の人差し指で天を指し、もう一方の人差し指で地面を指しているのだそうです。これは「天にも地にも我1人」という意味を表しており、お釈迦様自身だけではなく、すべての生き物は天にも地にも1人しか存在していないということを言っています。つまり、すべての生命は唯一無二のものであり、尊い存在であるということです。だから命を粗末にしてはいけないと言うわけですね。人の命を奪うことは言うに及ばず、自分自身の命も大切にしなければいけません。

 しかし、人間を始めすべての生き物は、生きていく上で他の生き物を殺めなくてはならないという宿命を背負っています。我々人間も、生きていくために肉や魚を食べますよね。この行為は一見お釈迦様の教えに反しているようにも思われます。しかし、お釈迦様の教えは、そういった人間が生きていく上で犯してしまう「煩悩」を、完全に禁止しているわけではありません。つまり、もちろん人殺しや自殺はいけませんが、生きていくために必要不可欠な殺生は、ほどほどにせよということです。そしてその生きていくために必要不可欠な肉や魚などの食べ物を粗末にせず、感謝の気持ちを込めて食しなさいということですね。

 皆さんは、食べ物を粗末にせず、感謝の気持ちを込めて食べていますか?



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 観た映画を次から次へと思い出す
2005年04月07日(木)

 先日「PRIVATE」のページにアップしたばかりの「CINEMA DATA BASE」ですが、今日もまた「あ!そういえばあれも観たんだった!あ!あれも!」などと、ふとした時に観たんだけどリストに入れ忘れている映画を思い出し、Excelに入れてはソートし直してHTMLに書き出してアップし直すということを、公開してからほぼ毎日のようにしているような気がします。

 ちなみに今日新たにリストに加えたのは「あずみ」「陰陽師2」そして「月はどっちに出ている」です。「あずみ」と「陰陽師2」は比較的最近の作品で、WOWOWで放送されていたものを観たのですが、「月はどっちに出ている」はずいぶん前にテレビで観た映画で、岸谷五郎とルビー・モレノが共演している1993年の映画です。ルビー・モレノ、今どこで何をしているんでしょうねえ……。
 「あずみ」はテレビ欄でやることを知って、わざわざ観ました。というのも、別に上戸彩が好きだからというわけではなく(しいて言えばどうでもよい)、オダギリジョーのキザな美男子&冷酷な悪役ぶりを観てみたかったとうのもあるし、小山ゆうの原作が好きだからと言うこともありました。キャスト陣も豪華な顔ぶれが揃っていて、なかなか面白いと思いました。そして竹中直人は、やっぱり竹中直人でした。伊武雅刀もやっぱり伊武雅刀でした。北村一輝なんてちょんまげしていつもの演技をしているだけという感じでした。オダギリジョーの壊れっぷりはなかなかよかったですな。
 「陰陽師2」はたまたまやっていたのを観ただけだったのですが、1作目だと思っていたら2作目だったようです。だいたいシリーズものの映画というと2作目はやや出来が落ちる傾向にありますが、「陰陽師2」はイマイチだったので、もしかしたら1作目はもう少し面白かったりするんでしょうか……。



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 地味〜にマイナーチェンジ
2005年04月06日(水)

 気付かれた方はどれぐらいいらっしゃいますでしょうか、サイトを地味〜にマイナーチェンジしてみました。掲示板やチャットを除くすべてのページにあるリンクテキストのアンダーラインを消し去り、文字の色もVoiceの色に統一してみました。今まで結構リンクテキストのアンダーラインが見苦しかったり、デフォルトのリンクの色がちょっときつすぎたので、やはりシンプルで爽やかなM−NESTにはちょっと向かないと思い、仕事の合間にすべてのページにJAVAスクリプトを埋め込みました。多少はスッキリしたと思いませんか?

 それから、トップページも今までのトップページの前にもう1ページ挟み込むことにしました。これはですね、もうだいぶ前に告知したとおり、うちのアドレスが「m−nest.net」に変わったのですが、一応以前のアドレス(cute.to)でもアクセスできてしまうんですよ。で、僕としましてはすべて「m−nest.net」に統一してしまいたいので、「m−nest.net」からアクセスしてくださった方も、「cute.to」でアクセスしてくださった方も、一度同じ門をくぐっていただき、強制的に「m−nest.net」でトップページにジャンプさせるようにしたというわけです。
 うちのサイトに久しぶりに来られたりする方は、アドレスが「m−nest.net」に変わったことを知らないかもしれないので、新しいアドレスのアピールもかねて、アニメーションGIFで作ってみました。

 でも、まだなかなか浸透しないんですよねえ「m−nest.net」……。



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 好きな映画ベストワンツーを落札
2005年04月05日(火)

 今日は兼ねてから探していた「オールウェイズ」と「エンド・オブ・ザ・ワールド」の2本のDVDを、ヤフオクで落札しました。この2作品は先日Voiceで発表した「好きな映画ベスト50」の堂々1位と2位の作品で、とりあえずDVDショップや中古DVD屋などの店頭で探してみたのですが見つからず、ヤフオクでやっと見つけて手に入れることができました。

 「オールウェイズ」は1989年の映画で、スティーヴン・スピルバーグ監督、製作作品です。スピルバーグ監督が10年もの間暖めてきた愛の名作で、とにかく主演のリチャード・ドレイファスの渋さ、ホリー・ハンターの可愛らしさ、ジョン・グッドマンの人柄の良さ、そして何といってもオードリー・ヘップバーンの美しさが魅力的な作品です。ヘップバーンはこの作品が遺作となってしまったわけですが、その可憐さと美しさは年を重ねても損なうことなく、素敵な役でこの作品に登場しています。この作品は山火事専門の消防飛行隊のお話なのですが、森林火災中の飛行シーンなど見ごたえも充分です。これ程泣ける映画はめったにありませんね。しかし、Barでクハナさんもおっしゃっていましたが、同時期に「ゴースト」と公開が重なり話題を持っていかれ、結構知られてない人や観てない人、または好きじゃない人が多いのはショックですね。まあ、本気で人を好きになった事がない人には理解できない作品と言って良いでしょう。ラストが特に素晴らしいオススメナンバーワンの作品です。

 「エンド・オブ・ザ・ワールド」については昨年の11月21日のVoiceでも紹介していますので詳しくはそちらを参照していただきたいのですが、この作品は、逆に非常に重すぎてあまりオススメできない作品ではありますが、核戦争の恐ろしさに真っ正面から取り組んだ作品はこの作品をおいて他にないでしょう。原作はネヴィル・シュートの終末SFの古典「渚にて」で、映画も原題は「ON THE BEACH」です。59年にグレゴリー・ペック主演で映画化されましたが、この作品は舞台となるオーストラリアの製作で長編TVムービーとしてリメイクされたものです。
 21世紀初頭、アメリカと中国の間で起きた核戦争は北半球を壊滅しただけでなく、残る南半球にも放射能の脅威を残しました。唯一生き延びた米原潜の一行は最後の楽園となったオーストラリアに上陸しますが、再び出航の命令が下ります。北半球のどこかから正体不明のメールが送られてきたのです。しかし、万に一つの可能性を求めて北上する彼らの前には、忌むべき核の戦禍が広がっていました……。堂々3時間半(完全版)にも及ぶ悲壮なドラマは、細かいディテールやキャラクター描写を得て胸に迫ります。この映画はTVムービーとして製作されたものですが、この作品こそ、アカデミー賞に燦然と輝くべき作品といえるでしょう。


「オールウェイズ」



「エンド・オブ・ザ・ワールド」



「エンド・オブ・ザ・ワールド」違い


 ところで、話は変わりまして、先日公開したばかりの「PRIVATE」にある「CINEMA DATA BASE」ですが、新たに入れ忘れている作品を思い出し、チャップリン作品、「この子の七つのお祝いに」「スターシップトゥルーパーズ」「タイムマシン」「ホームアローン」「ドラゴンヘッド」などを追加しました。まだまだ観たのに入れ忘れている作品がありそうだなあ……。



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 DVD録画最終報告
2005年04月04日(月)

 長きに渡ってMacによるDVD録画に関する問題を書いてきましたが、今回、一つの結論に到達することができましたので、ご報告いたします。

 まず、映像をDVD−Rに書き込む際には、編集した映像ファイルをMPEG2という形式にエンコードしなくてはならないのですが、この作業に6時間〜9時間ほどかかってしまいます。なのでビデオ信号を最初からMPEG2形式で取り込めばエンコードの必要がなくなるわけですが、結論から言いますと、これはMacでは不可能でした。しかし、先日ご紹介した「FFmpegX」というソフトを使うことで、編集した映像をMPEG2形式で保存することはできるようになりました。ただし、保存する際にやはり6時間〜9時間ほど時間がかかってしまうので、結果として同じことになります。

 次に、通常MacからDVD−Rに書き込むには、約1時間30分ほどしか映像を記録できないのですが、これは「FFmpegX」で、2時間を超える映像でも記録できるようにはなりました。このソフトは映像の長さによって圧縮率を自動で調整してくれるので、例えば2時間15分の映像だったとしたら、2時間15分の映像が1枚のDVD−Rに入るように自動的に調整して圧縮してくれるので、極端な話、3時間でも4時間でも1枚のDVDに記録することができるということです。ただし、映像の時間が長ければ長いほど圧縮する率が増えてくるわけですから、当然画像はどんどん劣化してしまいます。

 すなわち、2時間を超える映像を1枚のDVDに収めることはできるようになりましたが、1枚のDVDを作るために6時間〜9時間を要するというのは、しかたがないということですね。さすがにこれではMacを24時間つけっぱなしにしなくては今後溜まったビデオをDVD化することなどできませんから、いずれデッキ型のDVDレコーダーの購入も検討しています。

 うーん、最初からデッキ型にしておけばよかったか……。



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 F1大異変!
2005年04月03日(日)

 今日はF1第3戦バーレーングランプリの決勝が開催されましたが、いや〜びっくりですねえ。まさかフェラーリが2台ともリタイヤしてしまうとは……。
 開幕戦オーストラリア、第2戦マレーシアと昨年の改良型マシンで臨んだ王者フェラーリでしたが、その開幕2戦でルーベンス・バリチェロが8ポイント、皇帝ミハエル・シューマッハに至っては何とわずか2ポイントしか得ることができず、さらにその開幕2戦でルノーが連勝し、フェルナンド・アロンソが18ポイントも稼いで大きく水をあけられてしまいました。フェラーリはこの結果を受けて、当初第5戦スペイングランプリから投入予定だった新型車を、急遽予定を早めて今回の第3戦マレーシアグランプリから投入したわけですが、まだマシンが完全に信頼性を確保できていない状態での実戦投入が仇となり、2台揃ってメカニカルトラブルに見舞われてリタイヤしてしまうという最悪の結果に終わってしまいました。
 今回のフェラーリの決断は、大きなリスクを取ってきたことになりますね。何といっても、予定よりも40日も早く実戦導入させなくてはならなかったわけですからねえ。この結果ランキングは、ルノーのアロンソが連勝して28ポイントの首位、2戦連続で2位フィニッシュしたトヨタのトゥルーリが16ポイントの2位、開幕戦で優勝したルノーのフィジケラが3位と続き、フェラーリ勢は開幕戦で2位フィニッシュしたバリチェロが6位、ミハエル・シューマッハはわずか2ポイントで13位と、タイトル争いでは大きく出遅れてしまいました。
 ちなみにミハエル・シューマッハは今回、2001年のドイツグランプリでのメカニカル・トラブルによるリタイア以来、約100戦振りのメカニカル・トラブルでのリタイアとなります。

 昨年はシューマッハの一人勝ちが続いてしまい、タイトル争いも早いうちに決まってしまったので非常に退屈なシーズンでしたが、今年は本当に大波乱のシーズンになりそうですね。僕としては、シューマッハも今までの強さを維持しつつ、他のドライバーやマシンがそれに追いつき、コース上で一騎打ちを演じてシューマッハをうち負かすような展開を期待しているのですが、今年のフェラーリは今のところまったく戦闘力を発揮できず、非常に極端な展開ですね。レース内容は3戦とも、フェラーリが中盤に沈んだりコース上から姿を消してしまうのを後目にルノーが独走し、退屈なレースでしたね。

 しましまあ、次の第4戦サンマリノグランプリはフェラーリの本拠地ですし、開幕まで3週間の猶予もありますから、フェラーリも今回の結果を踏まえてニューマシンを改良し、万全の体制を整えてくることと思います。そして問題をすべて解決したフェラーリとシューマッハは、きっと再び昨年のような強さを取り戻し、また表彰台の常連になっていくことでしょう。そう言う意味で言えば、開幕3戦のフェラーリの出遅れは、タイトル争いにおいては他のライバルチームにとっていいハンディになったんじゃないでしょうかね。
 ヨーロッパラウンド開幕から、フェラーリとシューマッハがどこまで追い上げてくるかが見物です。そして僕自身の予想では、それでも最終的にシューマッハとフェラーリが今年もタイトルを獲得するのではないかと踏んでいます。



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 エイプリルフールの有力な由来
2005年04月02日(土)

 さて、昨日はエイプリルフールに関する諸説の一部をご紹介しましたが、そもそもエイプリルフールの風習は、大正時代に西洋から日本に伝来して広まりまったそうです。エイプリルフールの由来はどれも諸説あり、正確な由来は未詳ですが、有力とされている由来は、グレゴリオ暦導入説だそうです。その昔、フランスでは、3月25日を新年とし、4月1日まで祭りを開催していました。しかし、1564年にフランス国王シャルル9世によってグレゴリオ暦が採用され、1月1日が新年となりました。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として馬鹿騒ぎをするようになったのが、エイプリルフールの起源と言われています。

 この他、インドでは、春分から3月末日まで修行を行うが、終わるとすぐに迷いが生じる事から、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったという説や、古代の神話、聖書の話に基づくものといった説もあります。


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 エイプリルフール
2005年04月01日(金)

 エイプリルフールとは、毎年4月1日には人をからかうような、害のない嘘をついてもよい日として日本でも定着している風習ですよね。この日には、新聞やインターネットで趣向を凝らしたネタが一斉に公開されますが、最近は、まじめな記事の中にもネタが入っていることがあるので、注意が必要ですね。さて、このエイプリルフールの由来には、様々な説があるんですけが、今回は、その中の一つをご紹介いたしましょう。15世紀頃の北欧の一国スウェーデンでの話です。

 スウェーデン北部の小さな貧しい村に、教会が1つだけありました。その教会には、オルセンという老神父がおり、村の人々からの信頼も厚く、素晴らしい神父でした。
 ある夜、そのオルセン神父の教会へ、少年がやって来ました。「こんな夜更けに子供がどんな用か」とオルセン神父が聞くと、少年は「懺悔しに来た」とのことでした。そして、その少年は、オルセン神父にこう言いました。

「僕には病気で目の見えない姉がいます。小さい頃から視力が無く、苦労してきましたが、そんな姉が明日結婚することになりました。僕は目の見えない姉に『明日のために素晴らしい衣装を用意してある。また、明日は皆が祝福してくれる盛大な式が行われる』と告げました。でも、僕の家は貧しく、僕や両親がいくら働こうと、そのような盛大な式を催すことはできません。僕が今日、目の見えない姉を騙す嘘をついてしまったことをお許しください。そして、家に帰った後、僕は姉に同じ嘘をつきます。罪だと知りながら姉に嘘をついてしまう僕をお許しください。でも、僕は神様に約束します。たとえ衣装がどんなに汚くても、たとえ祝福してくれる人が少なくても、姉が自分の衣装がとても素敵で、そして大勢の人が祝福してくれていると錯覚するようなパーティーを演出すると。」

 オルセン神父は、その少年に言いました。
「君が姉に嘘をつくのをためらう必要はない。今日という日は、神様が私たちに『嘘をついても許される日』として与えてくれた一日なんだ。だから、君が今日やったこと(嘘をついたこと)に対して、神様は君を罰しない。今日これからやること(嘘をつくこと)に対して、神様は君を咎めない。君は姉に『あなたが着るドレスは美しく素晴らしいものであり、あなたのために盛大なパーティーが催される』と告げてもよいのです。さあ、お行きなさい」
 少年は自宅に帰り、オルセン神父に言われた通り、姉にドレスがいかに豪華で素敵なものか、どれだけ盛大なパーティーが開かれるか、告げました。

 その日の深夜、オルセン神父が突然少年の家にやってきて言いました。
「こんばんは。君の神様に頼まれてやって来たんだ。神様からのプレゼントを受け取ってくれ。君のお姉さんの明日のドレスと、もう一つ、盛大なパーティーのための費用だ」オルセン神父は少年にドレスと大金を手渡し、そして帰り際に言いました。
「ああ、そうそう。『嘘をついても許される日』は今日だけだ。明日の結婚式の日には、君はお姉さんに真実を言わねばならない。『あなたの着るドレスは美しく、そしてあなたのために盛大な式が行われている』と」そう言い残して、オルセン神父は少年の家を去ったそうです。
 翌日、少年の姉の結婚式が行われました。美しいドレスを身に纏った盲目の女性が主役の、盛大な結婚式でした。

 オルセン神父が「嘘をついても許される日」と少年に言った日が4月1日。そして少年の姉の結婚式が行われた日が、その翌日4月2日だったそうです。そういうわけで、4月1日は現在も「嘘をついても許される日=エイプリルフール」として残されており、また、4月2日は本当は「嘘を真実にする日」という習慣もあるんですが、日本では誰も行ってないようです。悲しいですね。

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