Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 「F1速報」からの回答
2002年05月31日(金)

 5月17日のVoiceで、「F1速報」という雑誌の編集部に抗議文を出すといって、翌日ぐらいに抗議文をメールで送ったのですが、先週の土曜日に編集長直々にお返事のメールが届きました。

 予想していたとおり、僕以外にも実に様々な読者から抗議文が送られていたようで、編集部でも色々考えさせられた出来事だったと書かれていました。僕の講義の内容は、オーストリアグランプリ号の6〜7ページの見開きで、ジャーナリストの偏った私見を載せるべきではないと言うものでしたが、だいたいの内容では、編集長からのお返事は、顕著に受け止めるというものでした。

 で、その件についてはモナコグランプリ号でも特集を組むと言うことだったので、買ってきて読んでみたら、手のひらを返したように、チームオーダーを批判する内容となっていました。もちろん書かれたのはオーストリア号で問題の文章を書いたジャーナリストとは別の方でしたが。
 編集部内でも、大方の意見は、チームオーダーに反対というものでした。まあ、僕が言いたかったのは、チームオーダーを批判しろと言うことではなく、チームオーダーに関しても、F1に対する見方にしても、様々な見方や考え方があるわけで、どれが正しくて、どれが間違っているというのは決められない問題であり、それを、影響力を持つモータースポーツ雑誌の誌面で、どちらか偏った結論を、はっきりと言いきってしまうのは良くないと言うことだったのですけどね。




 F1モナコグランプリレポート
2002年05月30日(木)

●「F1第7戦モナコグランプリ」をアップ

 今回は「それゆけ!マコ・ハッキネン」のアップを優先したので遅くなってしまいましたが、久々に見応えのある白熱したレース展開となった、F1第7戦モナコグランプリのレポートをようやくアップいたしました。今回は約1年振りに優勝を飾ったクルサード、そして2位に終わったものの、モナコマイスターとしての貫禄を見せたシューマッハ、さらには今回もクラッシュしてしまった佐藤琢磨に焦点を当ててお送りいたします。

 前回のオーストリアグランプリのレポートでは、皆さんからの様々な貴重なご意見をいただき、大変感謝しております。今回のレポートについても、皆さんが読んで思ったこと、感じたことなどを、ぜひBarM−NESTにお寄せ下さい。あなたからの熱いご意見をお待ちしております。




 M-NESTが贈るビッグプロジェクト
2002年05月29日(水)

 「マツダイラ」という本格F1小説を執筆中です。
 これはマツダイラ自動車という架空の自動車メーカーがF1に参戦するというストーリーなのですが、実はプレイステーション用ゲームソフト「F1チーム運営シミュレーション(96年版)」というゲームがありまして、このゲームは自分がF1チームのオーナーになって、エンジンやガソリン、タイヤ、スポンサーなどを選び、さらに残った予算内でドライバーと契約を交わし、レースやマシン開発を繰り返しながらF1チームを運営していくというゲームなのです。「マツダイラ」とは、このゲームの結果を基にフィクションの小説を書いていくというものなのです。

 ゲームでは自分は開発やテストを命令してマシンの性能を上げ、レースではコンピューターのドライバーが勝手にレースをしてくれるので、マシンのセッティングやピットインのタイミング、さらにペース配分などの指示をし、そのレースの結果によってスポンサーが増えたり入賞して賞金をもらったりしてチームの財政が潤ったり、逆に成績が悪いとスポンサーが減り、さらにはマシンの修復などで出費がかさみ財政が苦しくなったりしていくわけですが、小説ではこの結果をふまえつつも、さらにゲームにはない、それぞれのドライバーやチーム内の人間模様などを描き、ギャグなしシリアスの、ドキュメンタリータッチの作品にしたいと思っています。

 フィクションではありますが、F1の結果は僕が勝手に好きなように決められるわけではなく、僕自身もゲームでの成績に頼る他ないので、ある意味リアルなドキュメンタリーになるのではないかと思っています。公開はまだ先になりますが、必ず公開しますので、お楽しみに。




 「ガタカ」のDVDを買う
2002年05月28日(火)

 「ガタカ」というDVDの映画を買いました。一度見たことがある作品で、何度でも見たいような作品だけDVDで買うようにしていて、現在「トップガン」、「ブレードランナー(最終版)」、「パーフェクト・ストーム」、「ターミネーター2」、「アサシン」、「60セカンズ」を持っているのですが、今回買った「ガタカ」は、中でも特にお気に入りの映画の1つです。

 話が複雑でどんな内容なのか説明するのが面倒なのでジャケットの解説文を丸写ししますと、「DNA操作で生まれた“適正者”だけが優遇される近未来。“不適正者”として自然出産で生まれた若者が適正者になりすまして宇宙へ旅立とうとするが……。『トゥルーマン・ショー』のアンドリュー・ニコル監督のSFサスペンス。不適正者として見限られた若者ビンセントを『トレーニング・デイ』のイーサン・ホーク、恋人のアイリーンを実生活でイーサン・ホークと夫婦関係にある『パルプ・フィクション』のユマ・サマーンが熱演しているほかに、彼に適正者のIDと身体的痕跡(毛髪、皮膚、尿など)を提供する半身不随の若者を演じたジュード・ロウ(『A.I.』)のクールな美青年ぶりにも注目。社会からはじき出された二人が、結束して不可能に挑戦する姿をマイケル・ナイマンの音楽が鮮烈にあぶり出す。」

 ……というお話です。近未来なのにファッションや車、建物などが妙にレトロで、しかもスーツのままロケットに乗り込むというのがスタイリッシュ!超おすすめの1作です。映画通のMaxiさんの評価はいかに?




 解読不能な日本語
2002年05月27日(月)

 先週うちの両親が中国・内モンゴルに旅行に行き、ジャスミン茶をお土産に買ってきてくれたお話はしましたが、そのジャスミン茶を早速飲もうとしたところ、何と中国で販売されているお茶にもかかわらず、箱の横にご親切に日本語でお茶の入れ方が書いてあるではありませんか!
 ところが、なかなか気が利いているじゃないかと感心して読んでみてびっくり。ではその日本語で書かれたジャスミン茶の入れ方を、書かれているとおりに全文ご紹介しましょう。

「飲み方:コツブに3〜4ダラムの茶葉ち入れて、沸とぅしたぉ湯ちさしてがら、飲むことができます。また三分の一のぉ茶た残した時、もう一回ぉ湯たさしてくださこ。一回の分茶葉に三回ぉ湯ちさしても、まだ飲ぉことができます。」

 わけわからんわいっ!めちゃくちゃな日本語を堂々と豪華な金色のパッケージに載せるんじゃない!誰が書いとんねんこの文章!だいたい何でところどころ平仮名が小文字やねん!

 ……だれかこの不思議な日本語を解読できる方、ご一報下さい。




 「それゆけ!マコ・ハッキネン」公開!
2002年05月26日(日)

●「F1パロディ」のコーナーを開設!

 「FORMULA1」のページに、新たに「F1パロディ」のコーナーを開設しました。さらにその第一弾として、Maxiさんの掲示板で連載させていただいていたF1パロディの金字塔(?)「それゆけ!マコ・ハッキネン」という作品を10話分まとめて集約版として載せました。F1を知らない方にはさっぱりわからない内容ですが、ま、暇つぶしにでも読んでください。

 さて、話は変わってF1モナコグランプリ!いやー面白かったですねえ!モナコは現在唯一の市街地コース、コース幅も狭く両側はガードレールに囲まれ、抜くに抜けないF1屈指の難関コース。スタートでまず2番手スタートのクルサードがトップに立ち、ポールポジションのモントーヤが2位、そして優勝候補のミハエル・シューマッハ3位、ラルフ・シューマッハ4位と、この4台が数周に渡って数珠繋ぎとなり、モナコ特有の大接近戦を繰り広げました。
 一番速かったのはミハエル・シューマッハでしたが、モナコではまず抜けないため、結局スタートでトップに立ったクルサードが絶妙なピットインもあって最後までトップを譲らずモナコ2勝目、クルサードの意地が光りました。

 このモナコグランプリ決勝の模様は、今週アップするレポートで詳しくお伝えいたします。お楽しみに




 静岡で初めてF1予選を放送
2002年05月25日(土)

 静岡で初めて、F1モナコグランプリの予選を放送していました。普通静岡では予選はやってくれないんですけど、どういう風の吹き回しなんでしょうかねえ。やっぱり日本期待の佐藤琢磨と、トヨタの影響なんでしょうかねえ。この調子で毎戦予選をやってくれるといいのになあ。でもたぶん今回は伝統のモナコグランプリ60回記念だから時別にやってくれたんだろうなあ。

 しかし、予選時間が1時間なのに対し放送時間は45分、しかもその前の番組の「すぽると!」で結果を知らされてしまったので、ちょっとがっかりでした。まあそれでも、大本命といわれたミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が3番手、そして何と今シーズン低迷していたマクラーレンのデビッド・クルサードが2番手、さらにポールポジションはF1参戦2年目のファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズ・BMW)!これは明日の決勝、特にスタートが楽しみです!




 Mako、レーシングコックピットを開発
2002年05月24日(金)

 プレイステーション2のレースゲーム「グランツーリスモ3」に対応したレーシングコントローラー「GTフォース」というハンドルとペダル型のコントローラーを持っているのですが、今まではテーブルにハンドルを取り付けて、普通のイスに座ってブレーキとアクセルのペダルを踏んで操作していたんですけども、これだと端から見ると昔の足で漕ぐタイプのミシンみたいで格好悪いなあと思いつつ遊んでいました。

 オプションで本物のレース用バケットシートを製造しているスパルコというメーカーが出しているレーシングコックピットが売られていて、これに「GTフォース」を取り付けるとゲーセンのように実車のドライビングポジションに限りなく近い形で遊べるのですが、こちらは6万円と本物のバケットシート並みに高く(実際シートの部分は実車にも装着可能らしいので、本物のスパルコのシートだと言っていい)、さらにマッサージチェア並みに大きいので置く場所もなく、仕方がないのでうちにある一人用ソファー(リクライニング可能)の高さに合う、少し重めの小さなテーブルを買ってきました。

 試してみると、位置的には問題ないのですがやはりペダルが動いてしまうので、大きなコンパネにペダルを固定し、そのコンパネの上にソファーを置いて、自分の体重でペダルを動かないようにするという画期的なアイディアで、見事に自作レーシングコックピットを完成させました。我ながら大発明だと思いました。

 「発明将軍ダウンタウン」にでも出てみようかな。……え!?あの番組、とっくに終わってる?




 ミカ・ハッキネン現る
2002年05月23日(木)

 今シーズン1年間の休養をしているF1ドライバー、ミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)が久々にパドックに姿を現しました。

 来シーズンの去就などは全く触れられていませんでしたが、2週間以内には結論を出すということだったので、楽しみでもあり不安でもあります。ハッキネンと入れ替わりでマクラーレン入りした同じフィンランド人ドライバー、キミ・ライコネンのマネージャーになるという噂も出ているだけに不安です。それに親しい関係者の話によると、ハッキネンが来年F1に復帰することはないだろうとコメントしていることもあり、どうやら雲行きが怪しくなってきました。とりあえず2週間以内に行われるであろう発表を待とうと思います。

 それにしてもハッキネンの長男のヒューゴ君は可愛かった。1歳半だそうですが、大きくなったものです。




 両親が内モンゴルから帰国
2002年05月21日(火)

 両親が中国の内モンゴルから帰ってきました。大きなスーツケースを持っていったので駅まで向かいに行って来ました。
 牛乳で作られた白いキャラメルのようなお菓子をおたくさん買ってきてくれたのですが、どれも見事にマズかったです。ただ一緒に買ってきてくれたウーロン茶、ジャスミン茶、プーアル茶は、本場だけあっておいしかったです。父が写真を大量に撮ってきたのですが、まあ写真で見ただけでも広大な草原で、日本にはまずない光景でした。
 でも北京市街はビルが建ち並んでいて、日本の光景とあまり変わらないように思いました。ただ東京と比べると、道がとても広くて高層ビルも密集していないので、北京の方が住みやすそうな印象を受けました。

 他に天安門や、紫禁城にも入り、かのラストエンペラー溥儀の甥とお袋が写真を撮ったようです。甥の人も「溥儀の甥」という肩書きしかなく、客寄せに使われていて哀れだったようです。




 YahooBBに憤慨
2002年05月20日(月)

 昨日お話ししたYahoo!BBの件ですが、申し込み解除の手続きが完了したらメールで通知されることになっていたのですが、一向にそのメールは来ていません。ところが、Yahoo!のHP上のステータスを見てみると、すでに解除が完了しているようでした。

 通知メールよこさんかい!

 それで、やっと再申し込みができるようになったのですが、今度は何と、空きポートがないと言われてしまいました。電話で問い合わせてみると、申し込みが殺到しているために増設が追いつかないと言うことでした。

 おいおい!どうしてこうなっちゃうんだよ!そっちが余計なものを勧めるから一旦申し込みを解除する羽目になったんじゃないか!申し込み解除で待たされて、やっともう一度申し込みができるようになって、あとは10営業日待てば開通と思ったら、申し込みできないんかい!ふざけるな〜っ!それだったら余計なものを勧めないで、初めから最初の申し込みで進めてくれれば今頃は余裕でADSLしてたんじゃないか!




 YahooBBに振り回される
2002年05月19日(日)

 先週の水曜日ぐらいから続いていた雨も、ようやく上がってきたみたいです。今日も夕方ぐらいまで仕事でしたが、夜はゆっくりと「笑う犬の発見」を見ることができました。また明日から大物の仕事が入ってくるので、今日はゆっくり寝て、明日に備えようと思います。

 自宅のネットは未だにできません。前にも書きましたが、YahooBBにADSLの申し込みをしたら、確認の電話の際に別のプランを勧められて、それに切り替えるために一旦申し込み解除をしたのですが、それがえらい時間がかかって、長い人は2ヶ月ぐらい待たされるそうです。おかげでそれが終わらないことには新たに申し込みができなくて手の打ちようがありません。ゴールデンウィーク前にADSLを導入してHPのページを増やす計画がどんどん狂ってきてしまっています。




 自炊・洗濯
2002年05月18日(土)

 今週は土日ともに仕事です。両親が木曜日から中国は内モンゴルへ旅行に行っているので、ご飯もあてにできないので久しぶりに自炊生活をしています。料理はごく一般的なものならそつなく作れるのですが、それにしてもこのところ自炊らしい自炊はしていなかったので、味噌汁のだしを取ったり、チャーハンを作ったりと、なかなか楽しくやっていました。

 それから、洗濯物もずいぶん溜まって、自宅のアパートには洗濯機がなく、いつも実家に持っていって洗濯してもらっていたのですが親もいないし天気も悪いので、脱水まで自分でやって、干せないので乾燥だけコインランドリーの乾燥機を使ってやりました。乾燥機は楽でいいなあ。




 「F1速報」の西山氏はシロウトか?
2002年05月17日(金)

 「F1速報」という雑誌のオーストリアグランプリ号を買いました。その中の6〜7ページの見開きの記事を読んで、私は目を疑いました。

 そこでは大まかに要約すると「今回のフェラーリのチームオーダーは間違ってはいない。悪いのはそんな行為に走らせてしまう不甲斐ないライバルチームである。」と堂々と言い切っているのです。この記事ははっきり言ってF1という、プロのスポーツではありながら、モータースポーツとしては世界最高峰のれっきとした「世界選手権」、つまり1シーズンでどのドライバーがもっとも強いかを競う世界競技であることを否定するものであり、さらにフェラーリの八百長行為を正当化しているものです。

 記事にはこれを書いたジャーナリストの名が添えられていますから、当然このような批判を受けることを覚悟しているのでしょうからあえて名前を出しますが、この記事を書いた西山氏は、自分の偏った私見を堂々と、モータースポーツの情報を正確に伝えるという義務を有している雑誌の中で書いているのです。
 私たちのような個人運営サイトの中で偏った私見を述べたり、西山氏の本心の中で自分の考えを持つことは自由ですが、全国で販売され、F1情報誌としてはかなりの売り上げ部数を誇る「F1速報」にこんな記事を載せるのはF1情報誌としてあるまじきことです。これでは低脳な芸能ゴシップ誌と同じです。「F1速報」に載った記事がどれほどの影響力を持つかということを「F1速報」の編集部はわかっていないのだろうか。F1にそれほど詳しくない人が西山氏の偏った記事を読んだら「へえ、あの行為は許される行為なんだ」と刷り込まれてしまうではないか。

 これは明らかにマスメディアの不当な情報操作です。さらに、読んでいただければわかると思いますが、この記事には西山氏の、プロのモータースポーツジャーナリストとはとても思えないような見当違いなことも書かれています。私は「F1速報」に抗議するつもりです。




 腐ったフェラーリを許すまじ
2002年05月16日(木)

●「F1第6戦オーストリアグランプリ」をアップ

 F1ファンの気持ちを踏みにじり暴挙に走ったフェラーリを、超激辛で批判しています。フェラーリのチームオーダー問題に多くのスペースを割いていますが、ジャック・ビルヌーヴの久々に光った走りやジョーダンの明暗を分けたレース展開なども特集しております。

 今回はかなり突っ込んだレポート内容になっておりますが、これをお読みになられた方々のご意見をお聞きしたいと思っております。特にフェラーリファンの方にぜひ読んでもらいたい。メールでもBarM−NESTでも結構です。「私も同感だ」「いや、私はそうは思わない」などなど、あなたが率直に感じたことをぜひお寄せ下さいませ。




 S2000の純正BBSホイール
2002年05月15日(水)

 S2000のタイヤには通常、純正のホンダの「H」マークが入ったホイールが装着されているのですが、昨日紹介した「ハイパーレヴ」のS2000ビデオによると何とオプションでBBS社のホイールがあるそうなのです。BBSといっても「掲示板」のことではありませんよ。F1でもフェラーリが使用しているホイールメーカーのことです。
 ビデオで見る限り見た目は純正のホイールに近い形で、BBSのロゴもなく「H」マークも健在なのですが、ビデオの中で飯田章が純正とBBSとで走り比べていて、彼曰く挙動や居住性が全く変わるのだそうです。

 しかしノーマルの足回りでホイールを換えただけで、そんなに挙動が著しく変わるものなのでしょうかね?車をチューンナップしていく上では、まず足回りから固めていくのが一般的なのですが、僕の友達のカー吉サトルは「ホイールを換えるのならやっぱり車高も落とさなきゃ」というのです。ですが僕は普段街で普通に運転したいので、車高は絶対に下げたくないのです。でもホイールだけ換えるのは格好悪いんでしょうか。このオプションのBBSホイールは一件純正ホイールにしか見えないし、密かに実はBBSホイールだという奥ゆかしさがシブイと思うのですが。

 ま、サトルはまず見た目から気にするタイプなので、僕とはクルマに対するスタンスも美学も違うんですけどね。もちろん彼の美学も理解できますが。でも気合い入れて「頭文字D」みたいに攻めるわけでもないのに、わざわざ高い金を出して見た目だけ格好良くしてもねえ……乗りにくくなるわ段差を登れなくなるわ貧乏になるわで、デメリットばかりのような気がします。




 S2000本とビデオを買う
2002年05月14日(火)

 ニューズ出版から出ている「ハイパーレヴ」という雑誌の車種別チューニング&ドレスアップガイドシリーズにS2000のものがあるのですが、本屋さんで注文していたそれが届き、早速読みふけっていました。

 1冊丸ごとS2000の本で、S2000に最適なチューンナップ方法やチューニングパーツの情報が豊富で、さらにSpoon、HKS、5ZIGENなどの有名どころを始め、様々なチューンショップのデモカーが掲載されていて読み応えがありました。

 そしてこの本と共に同じく「ハイパーレヴ」のS2000ビデオを購入したのですが、こちらも1時間オールS2000だけのビデオで、s20000開発責任者の話や、高橋国光のワインディング・インプレッション、さらに飯田章の限界サーキットアタック(車載カメラによるコースガイド付き)とその後のインテグラ・タイプR(98)との3ラップ勝負など、豪華な内容でS2000の魅力を余すところなく紹介されていました。このビデオと本を見て、S2000がいっそう好きになりました。

 これはいい買い物をしたなあ。ダ●ングして保存用と普段見る用に分けよーっと。




 最低のオーストリアグランプリ
2002年05月13日(月)

 昨日のF1第6戦オーストリアグランプリほどがっかりしたレースは、2000年のアメリカグランプリ以来です。まさかフェラーリが今年もバリチェロに対してチームオーダーを出すとはねえ。今回のことでフェラーリには本当に失望しました。

 今週中にアップするF1レポートでは、徹底的にフェラーリを批判しようと思っています。多くのフェラーリファンの方の中にも、今回ばかりはフェラーリの行動に疑問を持った方が大勢いらっしゃると思いますが、はっきり言って今年のF1は、もはやスポーツではありません。そしてフェラーリの今回の行為は、チャンピオン獲得のために命を懸けて戦うドライバーたちと、レースを求めている観客や世界中のF1ファンに対する冒涜です。レポートをお楽しみに。




 9・11の写真展
2002年05月12日(日)

 「崩れゆく兵士」で有名なロバート・キャパらが設立し、ユージン・スミスなど名だたる会員を排出してきた世界最高の報道写真家集団「マグナム」が捉えた歴史的証言写真展「ニューヨーク・セプテンバー11」に行って来ました。

 「ニューヨーク・セプテンバー11」とはその名の通り昨年9月11日に起きたアメリカの同時多発テロの写真展で、その恐ろしさとあっけなさがひしひしと伝わってくる作品ばかりでした。それぞれの写真には、撮影者のコメントがキャプションとして添えられているのですが、その中のスティーヴ・マッカリー氏の「タワーの崩壊を目にして、誰も後粟立つ恐怖に襲われ、瞬時に、本能的に、私たちの生活が二度と再び元には戻らないことを悟った」というコメントが印象的でした。

 新潮社から同題の写真集が2800円で出版されています。この写真集の価格には、テロで逝去または負傷された市民や救助隊、消防隊員の家族を支援する基金への寄付金が含まれています。あの悲劇を忘れないためにも、ぜひお買い求め下さい。




 雨が好き
2002年05月11日(土)

 今日は本来ならば休みなのですが、仕事が残っていたのでそれを片づけていました。昨日から今日にかけて静岡はずっと雨模様。でも仕事をしているときは、こういう天気の方が落ち着いて仕事ができます。さらさらとした雨の音と、時折車が通るときの水しぶきの音などが、神経を集中させてくれています。

 昔から雨は嫌いではなかったです。雨の日に車を運転するのも好きだし、街の建物や木々、それに空全体が灰色に包まれて神秘的にすら思えます。もちろん車を降りるときや歩くときは濡れるのでいやですけど、窓ガラス越しに見る雨の風景はいいものです。公園や家庭園芸の花壇で咲いている草花が雨に濡れている光景も、晴れの日に見る時以上に美しいと感じることがあります。こんな僕って暗いでしょうか?

 さて、今日はF1オーストリアグランプリの予選、そして明日は決勝です。F1も雨でも降って荒れてくれると面白いんだけどなあ。もし晴れたらまたシューマッハの独走だろうし。




 写真をコピー機で引き伸ばす
2002年05月10日(金)

 昨日は月一度のカメラーズの日、この前撮ってきた写真の中からいいものをピックアップしてコンビニのカラーコピーでA4に引き伸ばして持っていったのですが、やっぱり引き伸ばすといいですね。いい写真のように見えてしまうのが不思議です。

 58枚ほど引き伸ばしてファイルに入れて持っていったのですが、早速主幹に見せたところ、何枚かはいい写真があるけど、まだまだ構図が甘いと言うことでした。うーん、言われてみればごもっともです。
 それから、カメラーズは20代前半の女の子が多いのですが、彼女たちの作品を見せてもらうと、みんな上手い!構図とか技術云々と言うより、若さがあふれているなあと思いました。それに若い女の子だから被写体も僕なら気にもとめないようなものも多く、やっぱりアンテナが発達しているんだなあと実感しました。といっても、僕は自分の撮りたいものを貫いてスタイルも変えずに撮り続けていくつもりなので、ま、僕は僕なりに、僕らしい作品を撮り続けていきたいと思います。

 構図に関しては、被写体を撮る前に、どの角度から撮るのが一番いいのかとかをよく観察し、またファインダーもちゃんと見て、もう少しじっくりと考えて撮りたいと思います。ちなみに僕は風景や花を撮るのが好きです。風景といっても、ノスタルジックな雰囲気の写真を撮りたいなあと思っています。この前はカラーだったので、今度はモノクロに挑戦です。モノクロは色がないから逆に、見る人に色々な想像力をかき立たせるのだそうです。




 ジル・ビルヌーヴ没後20周年
2002年05月09日(木)

 20年前の今日、1982年5月9日に行われたF1ベルギーグランプリ(ゾルター)予選で、伝説的F1ドライバー、ジル・ビルヌーヴ(フェラーリ)が事故死しました。

 ジル・ビルヌーヴとはご存じジャック・ビルヌーヴ(BAR・ホンダ)の父で、ワールドチャンピオンこそなれませんでしたが、そのアグレッシヴな走りはファンを魅了し、「記録より記憶に残るドライバー」と言われ、またF1における90年代最大の損失がアイルトン・セナであるのに対し、80年代最大の損失はジル・ビルヌーヴであると言われました。

 フェラーリは今年のサンマリノグランプリ(イモラ)で、ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロによって地元では2度目となるワンツーフィニッシュを達成しましたが、フェラーリ初の地元ワンツーは、ジル・ビルヌーヴとディディエ・ピローニによるものでした。
 しかし、このときのワンツーフィニッシュは非常に皮肉なものでした。レース終盤ワンツー体制を固めたフェラーリは両ドライバーにスローダウンを命じました。しかしスローダウンしたトップのビルヌーヴを、チームオーダーを無視したピローニがオーバーテイクしてしまったのです。ビルヌーヴはピローニを抜き返して再びスローダウンするも、ピローニはまたもビルヌーヴをオーバーテイクし、結局ピローニが優勝することとなってしまいました。それ以降ビルヌーヴはピローニと一言も言葉を交わさず、迎えた次戦ベルギーグランプリの予選中、ビルヌーヴは前のマシンと接触、彼は宙を舞い、そしてシートごと車外に放り出されて死亡しました。

 さらに皮肉なことに、ピローニも西ドイツグランプリで同じような事故で両足を複雑骨折し、その選手生命が絶たれてしまうことになりました。




 M-NESTが誇る秀作を準備中
2002年05月08日(水)

 Maxiさんの掲示板で昨年の暮れ頃まで連載していた「それゆけ!マコ・ハッキネン」というF1パロディを集約版としてまとめています。本当は4月中に公開する予定だったのですが、自宅でネットができなくなってしまったので大幅に予定がずれ込んでしまいました。まもなく「FORMULA1」のページにアップする予定なのでお楽しみに。

 知らない方のために解説しますと、「それゆけ!マコ・ハッキネン」はF1をファンタジーロールプレイングゲームの世界に置き換えたお話で、まあしょーもない読み物です。F1を知っている方でないとさっぱりわからないような内容ですが、ま、興味のある方は暇つぶしにでも読んでください。ちなみに集約版の方は連載時と違い挿し絵があるのですが、挿し絵の方は必見ですよ!この作品にはもったいないぐらいの秀作です!




 連休明け
2002年05月07日(火)

 今日から仕事です。心配していた仕事の入りもなかなかよく、今日だけで3本の仕事が入ったのでホッとしました。

 普通なら休み明けは仕事なんかしたくないのでしょうけど、自営業ではそうも言ってられません。とにかく毎日少しでも多く仕事をこなしていくしかありません。
 おかげで今日は「整形美人」と「春らんまん」のドラマ2本は見られませんでしたが、その後の浜ちゃん司会のスポーツバラエティ「ジャンクスポーツ」は何とか見られたので良かった。

 今週はうちのカレンダー上では土日も休みなので、能率よく仕事をこなして何とか週末休めるように頑張りたいです。




 昔住んでいた団地を撮影
2002年05月06日(月)

 今日は早速オートフォーカスの一眼レフカメラ「EOS7」を持って、僕が幼少時代に住んでいた団地へ行って写真を撮ってきました。団地といっても広大な団地で、しかも現在はかなり老朽化しているので、撮影スポットとしては最適の場所でした。

 昔遊んでいた公園には木や雑草が生い茂っていて、ブランコや滑り台などの遊具が撤去されていたのがちょっと寂しかったですが、考えてみれば僕が生まれた年が第2次ベビーブームで、その後少子化が進んでいったのだから、この団地にも公園で遊ぶような子供がいなくなって来たんだなあと思いました。また、子供頃探検した雑木林などがなくなってしまったのも結構寂しかったです。

 僕の友達に聞くと、小学校1年ぐらいまでのことはほとんど覚えていないという人が多いですが、僕はこの団地で過ごした頃、近くの川でカエルやイモリ、それにザリガニなどを捕ったり、雑木林で蝉を捕まえたり、川の土手で松ぼっくりを集めたりして遊んだ刺激的な記憶がたくさんあったので、今でもよく覚えています。今回ここで写真を撮り、充実した一日を過ごしました。




 一眼レフカメラ「EOS7」
2002年05月05日(日)

 最近オートフォーカスの一眼レフカメラ「EOS7」を手に入れました。これまで僕が使っていたカメラはペンタックスの「SL」という昭和30年代に出た、一眼レフだけどフルマニュアルで、露出計も内蔵されていないのでいちいち別の露出計で露出を測定してからカメラの露出とシャッタースピードを設定しなくてはならないという骨董カメラだったのですが、それなりに風格もあり、なかなか味のある写真が撮れるので気に入っていました。

 でもレンズは当然広角じゃないし、動くものを撮影しようとするとなかなかピントを合わせられなくて結構苦労していました。それに比べて、やっぱりオートフォーカスはいい!半押しすれば自動的にピントが合ってくれるし、「EOS7」にはAIサーボという機能が搭載されていて動くものに常にピントを合わせ続けてくれるので、動物やモータースポーツを撮るのには最適です。

 このところ写真らしい写真を全然撮っていませんでしたが、これからはまたカメラ熱が上がりそうです。




 昨シーズンのCART総集編を観る
2002年05月04日(土)

 ビデオに録画してあった昨シーズンのCART総集編を今更見ました。名門チーム・ペンスキーのジル・ド・フェランが2年連続でチャンピオンになったのは知っていたのですが、シーズン序盤から中盤まではド・フェランがなかなかポイントを稼いでいなかったので「こんな調子で首位に登ってこられるのか?」と思っていましたが、CARTは1シーズンにだいたい20戦ほどレースが行われ、しかも優勝すると20ポイントも獲得でき、12位までポイント圏内ということもあり、優勝できなくてもコンスタンスに入賞していればチャンスはあるんだなあと実感しました。
 実際昨シーズンはポイントリーダーが何人かに入れ替わり、CARTというカテゴリー自体、オーバルコースが多いので毎戦最後まで誰が優勝するのかわからない状況だから、ポイントリーダーになっても全く予想は付かないんだなあとつくづく思いました。

 昨シーズンはシーズン終盤に97、98年に2年連続でチャンピオンに輝いたアレックス・ザナルディ(当時チップ・ガナッシュ)が、両足切断の大事故に遭い選手生命を絶たれてしまったのがとても残念でした。そして昨年チャンピオンに輝いたチーム・ペンスキーがドライバーズチャンピオンのド・フェランとともに別シリーズに行ってしまったのも残念です。

 今年はホンダ最後の年だし、ターボ禁止になるし、今後のCARTが心配です。がんばれアンドレッティ!がんばれトレーシー!そしてがんばれモレノ!……あ、もちろん虎と信ちゃんもね。




 昔の自分の曲をリメイク
2002年05月03日(金)

 僕はシンセサイザーで作曲をしているのですが、昔作った曲をリメイクしようと試みています。シンセサイザーを使った作曲は小学校3年の頃からやっていたので、もうかれこれ16年以上やっていますが、これまで作ってきた曲は約3000曲以上にも及びます。そのうちプライベートで作った曲の中で、何曲か気に入っている曲をもう一度作り直す作業は、僕にとってはとても刺激的なことです。

 過去に作った曲というものは、作った当時の自分のスタイルがあるので、今聴くと結構気に入らないものが多いですが、昔は演奏方法やアレンジ、コード進行やメロディなど、色々実験していたりしてなかなか面白いことをやっていたんだなあと思ったりもします。

 現在は極力無駄な贅肉はそぎ落として、シンプルにシンプルにと心掛けているのですが、リズム主体の曲が増えてきて、逆に昔の方がいいメロディを作っていたように感じます。このメロディを今の自分が手を加えるとしたらどんな曲に仕上がるのか、自分自身興味深いものがあります。




 ドラマ「ビッグマネー」をまとめ観
2002年05月02日(木)

 昨日と今日で、貯まっていたドラマ「ビッグマネー」の3話分をビデオでまとめて見たのですが、意外に面白かったですね。今回のクールは恋愛ものやサスペンスものが多く、この手の痛快系のドラマが少なかったので、これはこれで3話とも気持ちよく見られました。

 主人公の長瀬智也が株で億万長者になった植木等に見込まれ、株で大儲けしていくという内容なのですが、展開としては昔やっていた織田裕二主演の「お金がない!」に近いものがあります。ま、一言で言えば就職難でフリーターをやっていた若者が大金持ちになっていくというシンデレラボーイの話ですかね。不況の今だからこそ活気が出るドラマだと思います。

 共演しているネプチューンの原田泰造もやり手のビジネスマンの役で、元々キザな演技は得意だからかなかなか好演しています。今日の夜には第4話が放映されるのですが、今回は子供の天才株師(おそらく植木等の孫と見た!)に長瀬がコッペパン……もとい、コテンパンにやられるらしいので楽しみです。

 でも僕はギャンブルは一切やらないので、実際に株に手を出すことはないだろうなあ。買えないし。




 アイルトン・セナの略歴
2002年05月01日(水)

●「F1第5戦スペイングランプリ」をアップ

 1994年の今日、F1サンマリノグランプリの決勝で、英雄アイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)が34歳の若さでこの世を去りました。

 セナは1984年に下位チームだったトールマン・ハートからF1にデビューし、この年にいきなり6位入賞2回、モナコでの2位を含む表彰台3回の成績を残し、早くもF1で頭角を現しました。翌85年からは名門ロータスに移籍し、移籍後2戦目の第2戦ポルトガルグランプリで初優勝を飾り、さらに第10戦オーストリアグランプリから第14戦ヨーロッパグランプリまで5戦連続で表彰台に登り、その内第13戦ベルギーグランプリでは2回目の優勝を果たしました。

 86〜87年の2年間では4回の優勝を含む計16回の表彰台を獲得し、88年、セナはいよいよトップチームであるマクラーレン・ホンダに移籍し、自身初のワールドチャンピオンに輝きました。その後最強のホンダエンジンと共に90〜91年にも2年連続でワールドタイトルを獲得し、セナのF1での地位は不動のものとなりました。しかし1992年にセナの愛したホンダがF1から撤退、セナは2年後の1994年、自身4度目のタイトルを目指し、この頃最強を誇っていたウィリアムズ・ルノーに移籍しました。

 しかしこの年のセナは、開幕戦ブラジルグランプリと第2戦パシフィックグランプリで2戦連続でポールポジションを獲得するも、決勝ではいずれもリタイヤを喫し、シーズン序盤からタイトル争いに暗雲が立ちこめます。ちなみにこの開幕2戦で連続優勝を果たしたのは、若きミハエル・シューマッハ(当時ベネトン・フォード)でした。そしてその2週間後、あの悪夢の週末といわれた第3戦サンマリノグランプリはやってきました。

 金曜日のフリーセッションで起こったルーベンス・バリチェロ(当時ジョーダン・ハート)の、鼻の骨を折るほどの激しいクラッシュに始まり、土曜日の予選ではF1デビューわずか3戦目のローランド・ラッツェンバーガー(シムテック・フォード)がクラッシュにより死亡するという悲しい事故が起こりました。そして5月1日の決勝、近年のF1でもっとも悲しい出来事が起こりました。3戦連続でポールポジションからスタートしたアイルトン・セナはトップをキープしたまま周回を重ね、シューマッハとの激しいバトルを繰り広げながらも最後までトップを譲ることなく、7周目に高速タンブレロ・コーナーの壁に激突し、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
 コース上で、しかもトップのまま逝ってしまったというのが、いかにもセナらしい最期だったような気がします。1994年サンマリノグランプリは、色々なことが起こりすぎました。このグランプリで3連勝を飾ったシューマッハでしたが、そのポディウムは深い悲しみに包まれていました。
 そしてこの事故により、イモラサーキットの名物であった高速タンブレロコーナーはシケインへと大きく変貌し、その他様々な点でF1の安全性が飛躍的に向上していくこととなりました。

 セナの亡き後、ミハエル・シューマッハがこの年と翌95年に2年連続でワールドチャンピオンに輝き、1996年にはフェラーリに移籍し、その後現在までF1をリードし続けています。思えば8年前の今日が、近年のF1の歴史では最大の世代交代の瞬間でした。ただその世代交代がセナの死によってではなく、チャンピオンシップを通して、シューマッハがセナに堂々と打ち勝って引き継がれていって欲しかったと、未だに悔やまれてなりません。おそらくあの事故が起こらなかったとしても、シューマッハはセナを超えられたに違いありません。


≪過去 未来≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加