妻は大学院生です。通常、博士課程は3年間が正規の課程です。それを超えると、留年ということになり、余分に授業料を払わなければなりません。しかし、最近、長期履修制度というものができました。これは、働いていたり、育児をしていたり、介護をしていたりする場合、最大6年まで課程をのばして、研究と生活の両立を支援するというものです。授業利用は3年分を6年間で払えばいいことになります。
このたび、妻は、この制度に申請することにしました。理由としては、もうすぐ生まれる子どもの育児と、ぷーちゃんのぜんそくの看病です。2月は、ほんとうにたいへんでした。今後も、また発作が起こることが想定されるため、看病できる体制を作っておこうと考えたのです。 大学の窓口に申請理由を書いた書類を提出すると、「申請理由を証明するために、母子手帳のコピーとぷーちゃんが慢性的なぜんそくで看病が必要であるという、医者の診断書を出すように」と言われました。母子手帳はすぐにコピーできますが、ぷーちゃんは「慢性的なぜんそくで看病が必要」という状態ではありません。風邪やインフルエンザから、再び発作を起こす可能性が高いということなのです。その旨を、窓口の担当者に伝え、そのような診断書は書いてもらえないだろうと言いました。 すると、 「それでは、申請理由は育児だけということになりますね。ただし、普通の育児、出産なら認定は難しいです。「保育園に預けたり、大学を休学したりして対処してください」と言われました。 まったく、何のためにこの制度を作ったのでしょうか。学問と家庭を両立させるため制度があり、その趣旨にのっとって申請している人がいるのに、これではまるで、申請をしりぞけようとしているようではありませんか。
まったく、保育園にいても、水ぼうそう、インフルエンザ、そのほか感染するもの(皮膚炎や結膜炎さえも)にかかると、医者の登園許可が出るまで休まなければなりません。しかも、これらはしばしば保育園由来で流行するのです。しかも保育園は病気が流行した後も、もとから決まっていた予定通りのスケジュールで動くので、今回のように病み上がりで登園すると、行事が待っていて、また病気になってしまうこともあります。 しかも行事等が優先されて、土曜など預ってもらえないこともあります。こうして、1、2週間単位で保育園に預けられないこともざらです。 こんなもろもろのことに、大学の休学で対応できるのでしょうか。これが本当に「少子化対策」なのですか。育児している主婦でも勉強するのを応援する制度ではないのですか。 ぷーちゃんがぜんそくでなくても子育て事情はたいへんなのに。それを保育園や休学で対処しろと言うのは本当に母親1人に育児をおしつけています。 休学だって申請期間が決まっているし、子どもの急な病気のことなどを考えていては予定が立ちません。だから休学では対処できません。それでも地道に勉強したいから長期履修を頼んでいるのに。 怒りながらつづく
2005年02月27日(日) |
機嫌のわるいまーちゃん |
ぷーちゃんは、もうすぐ小学校入学です。保育園も卒園します。しーちゃんは、もうすぐ生まれてきます。しーちゃんのための買い物や部屋の整理に親たちは大忙しです。 まーちゃんは? まーちゃんは?
どうもこのところ、まーちゃんの機嫌がわるいのです。朝、起きたとたん不機嫌で、「抱っこして」とぼくのところに来ます。ぼくが抱っこしてあげようとすると、くるりときびすを返して妻のところにかけて行き、」「抱っこしてくれなかったー」と訴えます。万事がそんな調子で、何をしてもされても、文句を言っています。 はじめは、寝不足のせいかと思っていました。でも、妻は言いました。 「まーちゃんだけ、何もないんじゃないかな。他の子どもたちは忙しくなっているのに、まーちゃんは何もなくて、しかも、ずっと一緒だったのに、保育園からぷーちゃんがいなくなってしまうことが不安なんじゃないかな。まーちゃんも、上のクラスに進級するんだし」
そうかもしれません。まーちゃんが生まれるとき、ぼくたちは、ぷーちゃんに対して気をつかっていました。不安なんじゃないかな、さみしくなってないかな、と。でも、今、まーちゃんに対しての心配りに欠けていた気がします。日々の忙しさにかまけて、まーちゃんのそばにいてあげなかったように思いました。 そこで、できるだけ、毎日子どもたちと遊ぶ時間を作ることにしました。保育園から帰ってきて、ご飯を作って食べると、すぐ寝る時間になってしまいます。だから、意識して時間を確保しないと子どもたちに満足感を与えられなくなってしまいます。 それから、今日、日曜日の夕方から、バスに乗ってプールに行こうと、妻が提案しました。どうしても手に通す浮き輪がほしいというまーちゃんの願いもかなえてあげ、温水プールで遊び、帰りにはインド人のカレー屋さんで辛くないカレーを食べました。 子ども好きのインド人がまーちゃんにいろいろ話しかけてくれ、まーちゃんもそれにいっしょうけんめい答え、ぷーちゃんと一緒に店内のブランコにも乗せてもらいました。 「また、温泉とカレー屋さん行こうね」とまーちゃんは言い、カレー屋さんのチラシを何度も眺めていました。そして、ベッドに入った瞬間に眠ってしまいました。
2005年02月26日(土) |
妊婦から産婦になるときに必要なもの |
この話は、ここに書こうか書くまいか迷いました。なにぶん、自分のことではないので、どこまで書いたものかと思ったのです。そこで妻に相談すると、「自宅出産日記らしい話だから、ぜひ書くように」と言われたので、書くことにしました。
出産後に必要なものとして、助産婦さんに言われたものの1つに、産褥ナプキンがありました。それは、脱脂綿やタオルなどと同じように、ぼくたちが自分でそろえておかなければならないものです。 インターネットで「産褥ナプキン」を検索しても、病院で用意してもらったという話ばかりで、一般には販売されていないようでした。ただ、「お産パッド」なら通信販売されているようでした。
ちなみに、1人目を助産所で生んだときは、助産所で用意してもらった産褥ショーツと産褥ナプキンを使っていたのですが、すっかりかぶれてしまいました。かぶれが腰全体にひろがって、おむつかぶれの薬を塗られて、ひどくかわいそうでした。 2人目を自宅で生んだときは、そういうものは何もなく、普通の下着に子どものコンパクトおむつをはさんで使っていました。しかし、しばしば漏れて、休めませんでした。 ですから、今度は、過去2回の経験をふまえて、新たな方策をとることにしました。それは、「布ナプキン作戦」です。これは、あくまでもお産用のナプキンではないのですが、できるだけ大型強力かつ快適なものを選んで買うことにしました。 ただ、それだけでは不安が残ったので、吸収体入りのおむつライナーというものを買いました。
おむつと一緒に布ナプキンも注文しておいたのですが、それが今日、届きました。おむつはカラフルでふわふわでとってもよさそうです。布ナプキンが産婦に安眠をもたらしてくれるといいのですが。
ついに臨月になりました。 子どもたちは、今度は風邪で2人とも熱を出して、また1週間ほど保育園を休んでしまいました。初日はぼくが仕事を休んで病院に連れて行きました。先日とは違う型のインフルエンザにかかったかもしれないと思ったからです。でも、風邪でした。 そのため、先延ばしになっていた助産婦さんの検診も、またまた延期にせざるえなくなりました。そのことを電話で伝えると、助産婦さんは「念のため、病院へ行って、エコーで赤ちゃんをみてもらってください」と言いました。 けれど、子どもたちが元気になるまではそれもできないのです。
翌日からぼくは出勤し、妻は大きなおなかを抱えながら頑張ってくれました。ぼくがためてしまっていた洗濯物を大車輪で片付けてくれもしました。 そして、そのような状況のなかでも、新しい人のための準備を進めていきました。妻がインターネットでいろいろ調べてくれた結果、新しいおむつを注文することにしました。 それはファジーバンズというものです。
妻は、1か月にわたる看病生活で疲れぎみです。なんとか生活を立て直して、赤ちゃんを迎えられるようにしなければなりません。頑張りどころです。 しっかりしなければ。
デパートのポイントが2倍つくときに、子どもの家具を買おうと、妻は狙っています。ただし、予算が限られているため、何が必要か、長く使えそうか、よくよく考えています。服をしまうためのチェストか、それとも棚か、と迷い、結局はまーちゃんの勉強机にしようと考えました。 先日、ぷーちゃんの机を買ったのですが、そこに、描きかけの絵などをぷーちゃんは置きます。まーちゃんも置く場所がないので、同じところに置きます。その結果、2人の物は混沌と混ざり合ってしまいます。今は、それでもよいのですが、小学校に入ったらそうもいかないでしょう。だから、ここは思いきって、まーちゃんにも同じ机を買ってあげようかと思ったのです。
新しい家具を導入するためには、不要なものを捨てなければなりません。昼休みに仕事場から妻に電話したら、 「新しい家具を買っても置く場所がないので、使わなくなったコンピューターやいらない布団などを捨てるように」と指示されました。 ぼくは、ゴミ収集センターに電話したり、コンピューターのメーカーに連絡したりと、「2月中に部屋をすっきりさせるプロジェクト」を発動させたのでした。
今日から35週、ということは1週間たてば、臨月ということになります。ここのところ、ぐんぐんおなかが大きくなってきて、腰痛もひどく、何をするにもたいへんそうです。 ぼくと妻は食卓では、長いすに並んで座っているのですが、昨日、 その長いすがずいぶんと食卓テーブルから離れたところにありました。 「どうしたの?」ときくと、妻は「おなかが大きくなってきたから、テーブルといすの間に入りにくくなったの」と言いました。 食事の時、妻はその大きくあいたスペースに入って、いすに座り、「いすを押してくれる?」とぼくに言いました。 食事が終わると、妻は再び、いすを大きく後ろに引きます。しかも長いすなので、扇状に回転します。たぶん、45度くらいです。ぼくが立つときには、それを机と平行に戻します。そして、そのたびに足元にいる犬のチロは「なんだ、なんだ」と出てきます。
巣作りは続いています。妻は、今、子どもたちがいる部屋を片付けなければ、しーちゃんの居場所を作れないと思っています。そして、居場所を作らないと、しーちゃんの世話ができないと考えています。 しかも、4月から上の子が小学校に入学するということも、巣作りを迅速かつ強力に進める原動力となっています。それはぼくの物にも及んでおり、帰宅すると、雑然と棚に突っ込んであったぼくの本が大きさ別、そしてなんと内容別に整理されて、きちんと並んでいました。妻は、 「片付けていたら、よーさんが何に興味を持っているかがよくわかったよ。農業・環境・物語・戦争だった。」と言いました。そして、確かにそのテーマごとに本は並んでいました。 ティム・オブライエンの本が物語と戦争の境界に置いてあるのが、絶妙で、なかなかやるなと思いました。
今回、ぷーちゃんはすっかりぜんそくの発作をおこしてしまいました。たしかにインフルエンザはぜんそく発作のきっかけになりやすいのだそうですが、ぼくが気をつけてケアしてあげれば、ベッドに寝かせようとしてから午前三時まで、ずっとせきこんでいるというような、ひどいことにはならずにすんだはずでした。寒い中、外に連れ出したり、部屋がほこりっぽかったり、まったく対応が悪かったのです。こんなこと、二度とないようにしよう。 妻にインフルエンザがうつらなくて、ほんとうによかったです。お医者さんに、「必ずうつります」と言われたまーちゃんにも、うつりませんでした。まーちゃんは、よく食べ、よく笑っています。
今日は、やっと、皆、元気になったので、映画「ハウルの動く城」を観にいきました。子どもたちと映画館に行くのは初めてです。お行儀よくシートに座っているのを見ていると、ずいぶん成長したのだなと感じました。 中学生のときに「天空の城ラピュタ」を1人で観にいったことを思い出し、あれから20年近くもたっていることと、あのときは自分の子どもと映画を観にいくことなど、つゆほども考えていなかったことに思いをはせました。
妻は、自称「巣作り」を始めました。もう、1か月もたてば、しーちゃんが生まれてきます。その準備のため、模様替えをしています。ベッドの配置を変えたり、使わなくなったコンピューターを捨てたり、子どもたちのおもちゃの収納を考えたりして、新しい人の居場所を作っています。
ここ数日、インフルエンザに引き続き、ぷーちゃんがぜんそくになり困難な時が続いていました。 今、2/11(金)が終わったところですが、ようやく落ち着いてきました。詳しくは追って書きます。
妻は、今日、久しぶりに自転車こぎ運動をしました。連日の深夜に及ぶ看病のために、すっかり疲れていたのですが、前向きに乗り越えようとしたのです。 それから、今日は、子どもたちが、大きくなった妻のおなかを見ていたら、しーちゃんが波打つようにしきりに何度も動きました。子どもたちの声に反応したようです。その様子を見て、まーちゃんは 「くらげみたい」と言っていました。
この2週間の激動の日々を経て、ぼくは、家族との暮らしを見つめなおしたような気がしています。今までは、忙しいということを前面に立て、毎日をこなしていたようなところがありました。けれど、今は、家族をかけがえのない、とてもいとしい存在だと感じており、妻や子どもたちに対して、手を抜くことなくいっしょうけんめい接して暮らしていきたいと思っています。
2005年02月09日(水) |
インフルエンザの嵐が吹き荒れる |
3日前からぷーちゃんはせきが出るようになり、昨日の夕方、熱が出ました。夜間急病センターへ行くとインフルエンザA型との診断。薬をもらって飲むと、今朝はすっかり熱が下がっていました。 あらためてかかりつけの小児科へ行き、せきの薬ももらいました。 それ以来熱は上がっていませんが、夜になると咳こんでおり、今日はなかなか眠れませんでした。ぜんそくの傾向があるのかもしれません。 まーちゃんにうつることが心配ですが、今のところ、いつもより元気なくらいです。
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