林心平の自宅出産日記

2005年03月15日(火) 自宅出産日記を引越しするかもしれません

林心平の自宅出産日記 に書いてみました。そちらをご覧下さい。



2005年03月14日(月) まーちゃんの食事と大誕生パーティーの余韻

 最近、まーちゃんは食後、2回も吐きました。それも、かなり大量でした。

 ぷーちゃんは、赤ちゃんの時からそういうことがしばしばあり、ぼくたちも慣れていました。例えば、おっぱいを息もつかずに一気飲みして噴水のように吐いたり、隠れてバターをかじって吐いたりしていました。
 けれど、まーちゃんは食べ過ぎて吐くようなことはありませんでした。それなのに、2回も吐いたので、体調が悪いのに違いないと思いました。最近、仕事が忙しく、朝早くから夜遅くまで保育園に預けていたのがいけなかったのでしょうか。
 ただ、吐いてしまうとけろっとして、元気に遊んではいました。

 こんなとき、頼りにしている本があります。松田道雄『定本 育児の百科』(岩波書店)です。1人目のぷーちゃんが生まれたばかりの頃、赤ちゃんについて何もわかりませんでした。親が来るわけでもないので、妻と二人で試行錯誤の毎日でした。
 赤ちゃんを沐浴させるとき、耳に水か入ったら中耳炎になってしまうのではないかと、一時期は神経質になっていました。そんなとき、この本の中に、「沐浴時に注意しなければならないことは、火傷をさせないことであり、耳に水が多少入ってもどうということはない」というようなことが書いてあり、ずいぶん気持ちが楽になりました。
 それ以来、困ったときに開くのです。

 さて、今回わかったのは次のようなことです。
・ 3〜4歳の頃は、年間で体重が1.5〜2kgくらいしか増えないのでそれほどご飯を食べない。
・ 吐いて熱がなく、元気に遊んでいる時は、食べすぎただけのことがある。
そう考えると、思い当たる節がありました。まーちゃんは、いつも、食事の前に「おなかすいた」と言って、なにかしらのおやつを食べます。それなのに、ぼくは、「ちゃんとご飯を食べなさい」と言い、時には「そんなにご飯をたべないのなら、おやつはあげません」と怒って泣かせたりもしていました。すると、まーちゃんはしかたなく、食事を口に詰め込んでいました。だから、吐いた原因は「食べさせすぎ」だったのかもしれません。
 最近、子どもたちは病気続きだったので、栄養をつけなければ、と思ってばかりいました。

 すると、ちゃんとおやつについての記述もありました。
「ごはんを食べないくせに、おやつはいくらでも食べますと、母親はいう。だが、ごはんを食べないから、不足するカロリーをおやつの糖分でおぎなうのである。それなら、もっとごはんを食べればいいと思うのは、おとなのかんがえ方である。この年齢の子は、そんなにたくさん、ごはんを食べられないのだ。」
 そうだったのか。おやつは必要なものだったのだ。まーちゃんにまかせていれば、おやつを食べて、ごはんはそこそこ食べて、というふうになっていたでしょう。そして、それがきっと、今のまーちゃんにもっとも適した食事の方法だったのでしょう。
 また、この本に教えられました。

 それからというもの、まーちゃんにまかせるようになりました。まーちゃんはおやつをよく食べ、食事中はずっとおしゃべりをして、その合間にごはんをいくらか食べています。
 でも、今まで、ぼくがさんざんおこってきたせいでしょう。まーちゃんは、おやつをたくさん食べることがいけないことだと思っているようで、「あと1個だけにするからね」と言いながら食べています。ごめんね、まーちゃん。
 でも、ときどき、目を離したすきにバナナを一気に5本食べたりして、驚かせられます。それはそれでよいのでしょうか。悩みは続きます。

 妻は、昨日の大誕生パーティーの余韻のまま1日をすごしていたようで、すこぶる上機嫌でした。今までしたことのない他人のホームページへの書き込みをしたりしました。人見知りで恥ずかしがりやなのに、こんなことをするとは、よっぽど気持ちが前向きになっている証拠です。いいことです。
 昼に電話した時、「余韻がまったく減らない」と言っていました。
 また、その前向きな気分のおかげで楽しいホームページにも出会い、紹介してくれました。
フクダカヨ絵日記です。夜、2人で眺めては、幸福な気持ちになりました。



2005年03月13日(日) 大誕生パーティーが開催される 38週5日目

 3/4の日記についての訂正があります。法律上、事業主と労働組合との協定があれば、
「労働者の配偶者で当該育児休業申出に係る子の親であるものが、常態として当該子を養育することができるものとして厚生労働省令で定める者に該当する場合における当該労働者」
を育児休業の対象外とすることができるのだそうです。
 明日、総務の人に言わなければなりません。
 そういえば、おととい、昨年入ってきたばかりの若者に手伝ってもらって仕事をしていたのですが、その人にこんなことを言われました。
「産休とるんですか」
「産休じゃないよ。育児休暇だよ。でも、そのことよく知ってるね」
「うわさになってますよ」
 そんなことになっているとは、思ってもみませんでした。でも、申請第1号なのですから、みな、関心があるのかもしれません。若者は続けてこう言ったのです。
「制度があるのなら、とったらいいって思います。ぼくもとりたいです」
「そうだよ。前例ができれば、もっと、当たり前のことになるよ」とぼくはこたえました。
 

 さて、ここからが本題です。
 本当の誕生日は3/14なのですが、今日は、日曜日なので妻の大誕生パーティーを開催しました。なにしろ、家族だけでケーキを食べる、といったものではなく、友人を呼んで、盛大にお祝いをするのです。
 2月も中頃になると、妻は、「今年の誕生日はどんなかなあ」とひとり言を言いはじめます。妻は、バレンタインデーという日は、「私の誕生日まであと1か月になった日」としか認識していません。当然、3/14はホワイトデーではなく、「私の誕生日」だと思っています。それなのに、世間ではチョコレートだのケーキだのと騒いでいるので、いよいよ対抗意識が燃え盛るようで、ぼくとしても、お祝いに力が入るのです。昨日の夜は、3時まで、料理の下ごしらえをしていました。

 いよいよ当日です。掃除をすませ、朝ごはんを食べてから、ぼくは子どもたちと最後の買出しに出かけました。昨日は、バスに乗って大買出しに出かけましたので、今日はその補足のようなものでしたが、重要な品が残っていたのです。
 デパートにつくと、食料品売り場は、まさにホワイトデーまっさかり。数々のお菓子を求める、たくさんの人でにぎわっていました。両手に子どもたちをひきつれ、その中に分け入っていきました。買ったものは、カステラ2本でした。

 家に戻ると、次々にお客様がいらして、いよいよ大誕生パーティーが開始されました。
 本日の献立は、妊婦向けに和食にいたしました。

鶏の丸(がん)の鍋仕立て・・・鶏の丸、しいたけ、ちくわぶ、たけのこ、大根、かぶ、春菊
  辰巳芳子『あなたのために』より
菜飯天ばら・・・あさり、ねぎ、大根とかぶの葉、ご飯
  辰巳芳子『辰巳芳子の旬を味わう』より
キャベツとセロリの甘酢漬け

 デザートは、ケーキです。さきほど買ってきたカステラと、昨日用意した生クリームといちごを使って、ドーム型にしたてます。食卓の上で、みんなでわーわー言いながら、よってたかって作ってもらいました。クリームを泡立てる班、いちごを切る班、カステラを切って、ガラスのボールに敷きつめる班、それぞれの力によって、カステラがケーキに変身していきます。子どもたちもやる気まんまんで、いちごを切りました。
 こうして、とても立派に大きい、いちごケーキができました。食卓について、ろうそくに火をともしました。まーちゃんは、いっしょうけんめい、ろうそくの効果を高めようとして、カーテンを閉めて回りました。それから、「ハッピーバースデー」の歌を歌いました。妻は、まるで、はじめて友達を呼んで家で誕生会を開いてもらった人のように、素直に嬉しそうに笑っていました。

 夜になると、パーティーには来られない遠方の友人からもお祝いが届きました。まるで、スターのようです。

 まず、妻の後輩から、ワインが2本届きました。手紙には、「素敵な誕生日を迎えていることでしょうが、そこに添えてください」と素敵な言葉が書かれていました。30歳をすぎて、こんなにお祝いをしてもらえる人って、そんなにいないのではないでしょうか。

 次に、意外なところからお祝いの言葉が届きました。ぼくがメールをあけると、妻宛のメールが届いていました。それは、なんと、はるばるアフリカからのものでした。妻の同級生で、現在はチュニジアで働いている友人からの「お誕生日おめでとう」でした。
 しかも、この「自宅出産日記」を読んでいて、妻の誕生日のことを思い出したと書いてありました。「思い出した」というところがみそだと思います。妻の友人で、妻の誕生日がいつだか知らない人はいないのです。
 ともあれ、なんだか、ぼくまで嬉しくなってしまいました。どうもありがとう。素晴らしい誕生日になりました。

 ちょっと待てよ。本当の誕生日は明日でした。妻は「明日はどうやって過ごそうかな」と言っています。



2005年03月12日(土) ぬれたけど、ぬれてない

 ファジーバンズの使用感について、まーちゃん(3歳11か月)本人が、真夜中にこう言っていました。
「おしっこでた。おむつ、ぬれたけど、ぬれてない。わからないんだよね」
まーちゃんは、ぷーちゃんと違って、寝起きがいいというか、目が覚めた瞬間から意識がはっきりしています。今までは、さらしのごく普通のおむつをしていました。おしっこが出ると、おむつがぬれて、おそらく嫌な感じになるのでしょう。
「おしっこでたから、おむつ換えて」
とはっきりと頼んできます。
 昨晩、初めてファジーバンズをつけたまーちゃんは、おしっこがでたという認識はあったのでしょう。しかし、いつものように、ぬれて嫌な感じがなかったようなのです。そこで、発せられた言葉が「ぬれたけど、ぬれてない」だったのです。
 これは、おむつについて、使用者がはっきりと意見を述べた、貴重な証言なのではないでしょうか。ファジーバンズを脱がせてみると、肌に触れる部分は確かにさらさらしていましたが、ポケット部分の中敷きはしっかりと濡れていました。
 思わずぼくは、中敷きだけ換えようとしたのですが、妻に
「全部換えて」と言われてしまいました。それくらい、さらさらだったのです。
 すごいぞ。ファジーバンズ。
 ぷーちゃん(6歳2か月)も、
「おむつしてみたい」と言い出しました。

 子どもたちが『こんにちは、長くつ下のピッピ』
を読んでいました。ピッピは一人暮らしの女の子ですが、家の中で猿と馬を飼っています。どうも、それが素敵だと、まーちゃんは思ったようなのです。読み終わってから、こう言いました。
まーちゃん「きりんやりすやうさぎなどの動物を飼いたい」
妻「きりんは難しいんじゃない?」
まーちゃん「きりんはマンションだからだめなんだね。一軒家なら飼えるけどね」
妻「そうかもしれないね」
まーちゃん「お母さんのいなくなったサイなら飼えるね」
妻「へぇー、そうなんだ」
 なんとも不思議な会話でした。でも、「お母さんのいなくなったサイ」というのは、何だか気になります。飼ってあげたいような気もします。



2005年03月11日(金) まーちゃんの笑み 38週3日目

 妻は、しーちゃんの新しい服や母乳パッドを使用前に洗いました。それから、まーちゃん用の大きいファジーバンズも購入し、洗ってくれたので使ってみました。しーちゃん用の小さな色とりどりの新しいおむつを見て、「まーちゃんもしてみたい」と言っていたのです。
 真新しいおむつをつけたまーちゃんは、実にうれしそうにとろけるような笑みを浮かべて、「気持ちいいよ」と言っていました。スナップもたくさんあり、ベストフィットポジションを選べるので、体にぴったり付けられ、でも、きつくない様子でした。
 今まで使っていたおむつカバーは、長年使ううちにマジックテープが劣化したり、取れたりしてきました。また、サイズも100センチまでしかなかったので、だんだんきつくなってきました。でも、ファジーバンズなら余裕があります。
 さて、実際におしっこをしたらどうなるのか、今晩が楽しみです。まーちゃんはぐっすりと眠っています。

 妻は、いよいよ大きくなったおなかを抱えてたくさん歩いたため、昨日はさんざん掃除もしましたし、今日は疲れ気味の様子です。
 連日ぼくの仕事が忙しかったため、子どもたちを保育園に預ける時間も長くなっており、子どもたちも疲れ気味です。朝早かったり、夜遅かったり、無理をさせてしまいました。昨晩はまーちゃんが吐いてしまいました。今日も、食欲が今ひとつです。明日はやっとお休みです。
 みんなが頑張ってくれたおかげで仕事はとてもうまくいきました。ありがとう。



2005年03月10日(木) 新月 38週2日目

 やっと、助産婦さんに来ていただけました。実に、2か月半ぶりでした。予定の時間よりも遅れてってきた、助産婦さんは、
「昨日の夜中からお産が続けて2件あったんです」と言いました。なんと、昨日からずっと働きづめなのでした。
 まず、「産む場所を見せてください」と言われました。暖房機は足元に置くことなどを提案してくれ、用意したものをチェックしました。しーちゃんの産着とか、ちゃんとセットして置いてよかったです。
 哺乳瓶やタオルなども近くに置いておくようにと言われました。懸案の産褥ナプキンも、こちらで用意した布ナプキンでよいと言われました。

 それから検診です。おなかの下のほうを両手で持ってもみながら
「まだここがくらくらとしています。まだ下がってません。私が次に来て、内診するのは、来週の土日でいいみたい」とのことでした。まだだったんだ。
 それから、ドップラーです。今日は、歩いていらしたため、いつもとは違う小さな機械でした。
「正常です」
しーちゃんの心音をみんなで聞いていると、ま−ちゃんは首を縦に振ってリズムをとっていました。
助産婦さんは「赤ちゃん指しゃぶったり、あくびしたりしているよ」と子どもたちに言いました。
 助産婦さんは妻に言いました。
「前に産んだときはあおむけだった?」
「はい」
「どうしてもずっとあおむけにならなくちゃならないというわけではないのね。早くからそうすると、横隔膜が苦しくなって、腰も痛くなる。今度は自由にしましょう。横になっても大丈夫。ずっと横だと頭がいびつになってしまうけど。よつんばいもいいんですよ」
 妻はうなずいていました。まだ、助産婦さんの話は続きます。
「一日30分くらいあぐらかいて、ひざを下に押してください。骨盤が開くところが開きやすくなります。足湯を20〜30分くらい、35度くらいのをしてください。足は温かい方がいいです。子宮口が柔らかくなるので。赤ちゃんもそんなに大きくないから大丈夫。お産近くなったら、前は、まえぶれがあったでしょう。何かあったら電話ください。いないということは絶対ありませんから。転送電話にしてありますから」

 なんと大変な仕事なのでしょうか。夜、妻と調べると、今日は新月なのでした。だから、出産が続いたに違いないと思いました。ぷーちゃんの生まれたのは、満月の日でした。そして、その日は助産所も、出産したお母さんと赤ちゃんで満室だったのです。
 それ以来、満月あるいは新月に生まれやすいのではないかと思っていたのです。インターネットでは、「新月と満月の1日前と3日後に生まれやすい」とありました。
 となると、次の満月は3月26日です。予定日は23日。どうもそのへんになるかもしれません。



2005年03月09日(水) りかにかんむりをたださず 38週!

 おととい助産婦さんが来る予定だったのですが、朝、電話がかかってきて「天気が荒れ模様なので延期したい」と言われました。そこで、木曜日に来てもらうことになりました。

 妻がはりきっていたアンケートの入力バイトは、途中でやめることになりました。職場において、直属の課長はむしろ、「やってもらったら?」と言っていたのですが、どうも、横槍が入ったようでした。その主旨はこんな感じです。
「林君は最近、奥さんの体調が悪いと言って、仕事をたくさん休んでいた。それなのに、今、奥さんが入力の仕事をしているらしい。そんなのはおかしい。実際には、林君自身が残業時間中に入力して、給料を二重取りしているのではないか」
 これは、まったくのでたらめです。まず、ぼくが仕事を休んだのは、ほとんどが子どもたちの病気のためです。妻は雪道の上を、子どもの手を引いて病院に連れて行くことはできません。そのため、ぼくが連れていかなければならなかったのです。
 それから、給料の二重取りなど、せこいことはしません。もし、それをするならば、もっと巧妙にできます。何も、妻の名をかたったりはせずに、知りあいの大学院生に発注したことにしたほうが発覚しにくいでしょう。(妻いわく、「それだって、ちっとも巧妙じゃありません」)
 しかし、そもそも、そこまでしてお金がほしいのならば、昨夏にひともんちゃくあった選挙問題をうまくこなしていたでしょう。ぼくは、参議院議員の候補者の集会に出たり、ビラをまいたりすることを上司から指示されたのですが、「嫌です」と断っていました。
 そのことについて、つい先日も、別の部の部長から「選挙に協力しないのはいいけれど、上には行けないことを覚悟した方がいい」と言われました。出世コースを外れていると、サラリーマンになって、 たった1年半で宣告されるなんて、お金のほしい人がすることではありません。
 それに、現在は、無給である育児休暇をわざわざ取ろうとしています。申請書さえ作られていないような環境のもとでです。きっと、このことでも部長からの呼び出しがあるでしょう。

 でも、「李下に冠を正さず」です。
 うちには、『日本語であそぼ』という教育テレビの番組の、週めくりカレンダーがあります。毎週「名文」が紹介されています。先週は、「りかにかんむりをたださず 故事成語」とありました。ぼくは、この意味がわからず妻にたずねていたのです。
「『疑わしいことをしてはいけないよ』という意味だよ」と妻は教えてくれました。1週間にわたって、毎日、「りかにかんむりをたださず 故事成語」を読んでいたのに、ぼくは、すっかり、疑われるようなことをしていました。
 故事成語もあなどれないものです。
 そう思って、今週の「名文」をめくってみると、
「ぬきあし さしあし しのびあし 慣用句」でした。
 何かがぼくたちに、迫っているのでしょうか。注意しなければ。

 同時に保育園の卒園式における写真問題も持ちあがっていました。これは、卒園式の日に卒園児たちの写真をビデオにして上映する、という父母発案の企画のことです。そのために、保育園で撮った写真を使うのですが、「途中入園の人は、それ以前の写真を0歳から毎年5枚ずつ持ってきてください」と言われたのです。
 今、ぼくたちの手元には入園以前の写真がありません。ですから、このままでは、ぷーちゃんだけ入園前の写真がないままに編集されてしまい、当日、ぷーちゃんにさみしい思いをさせてしまうと心配でした。
 そのことをビデオ製作を担当している、ぷーちゃんの同級生の母親に伝えました。すると、「途中入園の子どもたちの写真が少ないので、入園以前の写真を持ってきてくれるように頼んだのです。ぷーちゃんについては、事情はわかりました。ぷーちゃんが悲しくならないように、配慮してうまく作るからまかせてほしい」との返事でした。
 ぼくは、「みんな、入園してからの写真を使うということにしてもらえないか」と言ったのですが、
「そうすると、今まで徹夜でしてきた作業が無駄になって腹が立つ」と言われました。
これが「配慮」する人の言い草なのでしょうか。
 とうとう「もう、卒園式には出ないことにします」とまでぼくは言い、このやりとりをあきらめかけていたときに、妻が問題を整理してくれました。

ビデオ編集の仕方に2通りあります。
1.保育園の写真だけで編集する。
→途中入園した子の写真が少ない
対応策:入園前の写真も使う

2.入園前の写真も含め編集する。
→ぷーちゃんの入園前の写真がない
対応策:なんとかごまかす

編集している人はぷーちゃんをごまかす方法で編集を進めています。
1の場合、入園前の写真も使うという明確な方法を提示しています。
しかし2については、任せて下さいの一点張りです。明確な対応策を示されていないので、こちらが心配するのは当然だと思います。

 なるほど、明快です。ぼくはほとほと感心して、このまま、先方にメールを送りました。すると、「そんなことを言われておどろきました。 ごまかしてなんかいません」という返事が来ました。それでも、結局は、「1.保育園の写真だけで編集する」という方法を選択してくれました。そして、
途中入園した子、中にはぷーちゃんよりもずいぶんあとになって入ってきた人もいるのですが、については、入園してからの写真をたくさん使うという方向性を示してくれました。
「そうしますから、お願いですから、卒園式には来てください」とまで言われてしまいました。
「でも、生まれちゃったら行けないかもしれません」と言うと、さらに
「もし、保育園の送り迎えができないのでしたら、私が迎えに行きますから」とまで言われてしまいました。

 以上のことが、同じ日に起こった出来事でした。
最近、忙しくて余裕がなくて、いろいろなところで衝突しているのかもしれません。
帰宅すると、妻が豚肉のピカタ、ブロッコリーとトマトソース添え、ポタージュ・ボン・ファムを作ってくれており、それはおそらく、今晩、世界一おいしい晩ごはんであると思われ、ずいぶん元気になりました。



2005年03月07日(月) 忙しい日々2005 37週と6日

 もうすぐ妻の誕生日がやってきます。しーちゃんの誕生日とどちらが先に来るのでしょうか。友人を呼んで、誕生パーティーを開くことにしました。
「パーティーの最中にもよおしたらどうしよう」と妻は言っています。

 今月から来月にかけて、わがやは予定が目白押しです。
3/13 妻の誕生パーティー
3/20 ぷーちゃんの保育園卒園式
3/23 しーちゃんの予定日
4/1 ぷーちゃんの小学校入学受付
 今、ぼくたちは出産準備、しーちゃんの受け入れ準備、妻の大学院の長期履修制度申請、ぼくの育児休暇申請、ぷーちゃんの入学準備、育児休暇前に仕事を片づけておくこと、に毎日邁進しています。
 同時に妻は、自分の誕生日プレゼント購入費用を稼ぎ出すため、ぼくの職場からのアンケート入力バイトに精を出しています。
 
 そんな状況の中、保育園の卒園式の準備というものが、保育園と父母の双方からそれぞれ進められています。毎日の保育園の送り迎えのたびに、「0歳からの写真を毎年5枚ずつ貸してください」「10人の子どもにメッセージを書いてください」「合唱の練習に来てください」などと他のお母さん方に言われます。
 でも、はっきり言って、そのことまで頭が回りません。ですから、いろいろ催促されることが、大きなプレッシャーとなっています。
 そもそも、仕事に通うために保育園に預けているのに、保育園の行事に振り回されています。やりたい人がやりたいことをやるということに異論はないのですが、できない人もいるのだということをわかってほしいです。
 このままでは、ぷーちゃんだけに、何の準備もしてあげられないまま、卒園式にのぞみ、ぷーちゃんにさみしい思いをさせてしまいそうです。いっそのこと、卒園式に出るのをやめようかと思いはじめました。
 お願いですから、かんべんしてください。



2005年03月06日(日) 助産婦さんが来るはずだった日 37週と5日

 助産婦さんが午後来るので、午前中は妻と掃除に励みました。しーちゃんを迎える準備でもあるので、ふだんは洗うことのない、電灯のかさなどもすべて取り外してぴかぴかにしました。家の中が明るくなって驚くくらいでした。
 そうこうしていると、助産婦さんから電話がかかってきました。
「今、もうすぐ生まれそうなお宅に来ていまして、今日はそちらに行けそうにないのです。2、3日のうちに行きますから」
 そういうことであれば仕方ありません。ぼくたちはいっそう掃除に励むことにしました。妻は汚れている壁紙をせっけんとハブラシできれいにしていました。
 しーちゃんがいつやってきてもいいように、おむつかえ台を設置し、着替えも産着の中に下着までセットし、洗ったファジーバンズも整理しました。
 そうしているうちに日が暮れてしまいました。子どもたちも、普通の掃除でないと思ったのかどうか、そう不満ももらさずに2人で本を読んだり、ビデオを観たりしていました。それから、新しく届いたベビーカーに順番に乗って遊びました。

 妻は、「こんなに体を動かしていたら生まれちゃうね」と笑っていました。「でも、まだおなかがとがっているから、もう少しかかるかな」とも言いました。
 最近は、足に静脈瘤ができており、最近おろそかになっていた足裏マッサージをしっかりしてあげなければと思いました。
  しーちゃん、みんな待ってるよ。



2005年03月04日(金) 育児休暇申出書の作成 37週と3日

 育児休暇を職場に申し出た翌日のことです。総務の人がぼくの机にやってきました。
「育児休暇の申出書が今までなかったので、作りましたから、これを書いて出してください」
と言って、「育児休暇・育児勤務申出書」という1枚の紙を渡してくれました。
 やはり、申し出る人などいないと考え、様式など作っていなかったのです。ちなみに、「育児勤務」というのは、育児のために短縮勤務をする制度で、その分給料は減る、という内容のものです。こちらも、とった人はいないとのことでした。
 そこで、早速記入していったのですが、1つ気になることがありました。「配偶者が常態として子を養育できない理由」を書かなければならないことになっていた点です。たしかに職場の「育児休暇取扱要領」という文書によると、「配偶者が常態として子を養育できる者」は育児休暇がとれないことになっています。しかし、これはおかしなことなのです。育児休暇をとるための条件は、法的には以下の2点だけです。

イ  同一の事業主に引き続き雇用された期間が1年以上あること
ロ  子が1歳に達する日を超えて雇用が継続することが見込まれること

 ですから、要件に「配偶者が常態として子を養育できないこと」などと勝手に入れて、その適用枠をせばめることは、違法なことです。その点がひっかかったので、法律の内容と、厚生労働省の申出書例を添付した上で、「配偶者が常態として子を養育できない理由」は書く必要がありませんとコメントもつけて、申出書を課長に出しました。
 課長は驚いて、「総務が出していいって言ったのか?」と言いました。今度は、課長も手続きを進めていかざるをえないでしょう。

 仕事の帰りに、薬屋さんに寄り、先日注文しておいた脱脂綿を買って帰りました。「50gの脱脂綿を7個下さい」と言ったら、薬屋さんは少し驚いていました。そして在庫が足りなかったので、取り寄せてもらったのです。



2005年03月03日(木) 妻、やっと病院へ。夫は育児休暇を申し出る。 37週と2日

 子どもたちが病気続きで、ずっと助産婦さんの検診も受けられませんでした。助産婦さんから電話がかかってきて、次の日曜日に来てくれることになりました。
 その前に、一度、病院に行ってくださいと言われていたので、妻は、やっと、病院へ行きました。1月にその病院に行ってから、今まで誰にも診せていないということに、お医者さんは驚いたそうです。
 感染症の検査を受け、その結果が出るのは1週間後ということでした。
「それまでに生まれないといいね」とお医者さんは言いました。
 
 いろいろ迷ったのですが、2か月間の育児休暇を申請することにしました。育児休業給付制度によって、3割は給料が保障されそうですが、それでも経済的な問題は大きいものです。それでも、3か月くらいすれば、しーちゃんにも昼夜の区別が出てきて生活のリズムも生まれるだろうから、それまで何とか乗り切ろうという計画です。ほんとうは、3か月間とかあるいは半年とかとれればいいのですが。

 職場には「育児休暇制度」があるのですが、その申出書というものが作られていないようでした。つまり、申し出者がいないだろうと思われているふしがありました。そこで、厚生労働省のホームページから、申出書の例をダウンロードして、書き込み、総務部へ提出することにしました。そのために、まず、上司である課長に提出しました。
 受け取ると課長は、
「これか。きっと取れないぞ。総務に行ってくる」と書類を持っていきました。しばらくすると、そのまま書類を持ち帰ってきて、課長は自分の机の引き出しにはしまいこみました。そして、課長は言いました。
「これはまだ出すなと言われている。あとで、総務が話しに来るだろう。きっとできないぞ。それでも覚悟の上でやるのか。法律ではそうなっていっも、組織としてできないことがあるっていうのわかるだろ」
「いえ法律で決まっていたら、組織はやらなくちゃいけないんじゃないですか」とぼくはこたえました。
「それは、正論だよ。でも、できないことがあるってのわからないか。それでもがんばるのか」と課長は言いました。
「はい。がんばったほうがいいと思います」
「おまえ、公務員になったほうがいいんじゃないのか」

 当然の権利なのに、認められないなんてことがあるわけがありません。そのことを課長はちっともわかっていないのでした。ぼくが組織に取らせてもらうのではなく、ぼくが取りたいと言ったら組織は断れないことになっているのです。



2005年03月01日(火) 長期履修制度 後編

 それでも、大学の窓口の担当者に怒っても、ぼくたちに何の益もないことはわかっていました。その人には、長期履修制度認定についての決定権などないのです。のちに開催される教授会というところで決められることであり、その人は、教授会に提出する書類をそろえるのが仕事なのです。しかし、同じその仕事をするにしても、学生を応援しようとしてのぞむ人と、できるだけ自分の仕事を少なくするために申請をしりぞけようとする人がいます。この人は後者でした。
 ですから、ぼくたちのとるべき方策は、とにかく我慢して、教授会までたどりつくことでした。教授会には、妻のことを理解し応援してくれる、心強い指導教官がいます。

 そこで、まず、ぷーちゃんのかかっていたお医者さんに相談することにしました。電話をかけて、こみいった事情を説明し、診断書をお願いしました。「慢性的なぜんそく」だなんてことはかけないでしょうが、「再発の可能性がある」くらいは書いてくれるかもしれないと思ったのです。
 すると、二つ返事で「もちろん書きますよ」と言ってくれました。
 そこで、そのお医者さんに行くと、あいかわらず、せきこんでいる子どもたちがたくさんいました。
「この1年に何回くらい発作がありましたか」
「1、2回ですね」と言うと、
「それではこんな感じで役に立ちますか。気管支喘息で、これまで年に数回の発作があり、今後も再発の可能性が高い」
と言われました。
 これは、予想していた以上に役に立つものでした。
 応援してくれる人もいるのだなあと、ほっとしたひとときでした。

 さて、この診断書と母子手帳の表紙のコピーを窓口に出すと、翌朝、電話がかかってきました。
「母子手帳の中の、出産予定日の書いてあるページのコピーもください」
やれやれやれ。母子手帳の表紙には発行年月日が記載されています。母子手帳は「妊娠証明書」がなければ発行してもらえません。だから、「これは立派な証明です」と言いたくなりましたが、「わかりました」と大人らしい返事をしました。
 家に帰り、母子手帳を借りようとすると、妻が言いました。
「このページには検査結果がたくさん書いてあって、個人情報だよ。出したくない」
もっともなことでした。どうして、教授会で妻の血液の成分などが公表されなければならないのでしょうか。それに、予定日の欄は、ただ本人が自分で書き込んだにすぎないのでした。
 窓口に電話し、「個人情報なので出したくありません」と言うと、「予定日の欄以外は隠してもらっていいですよ」と言われたので、「でも、何の証明もないただの手書きですよ」と言うと、「あらそうだったかしら。うーん。それなら、出さなくてよいです」とやっと、言われました。

 まったく、今、ぼくたちはとても忙しいのです。もうすぐ、しーちゃんが生まれるのです。予定日まで3週間ちょっとです。
 たのみますよ。長期履修制度。


 < 過去  INDEX  


林心平 [メール] [林心平のホームページ]