夕食後、妻が疲れて横になっていました。そのとき、ふすまをへだてた隣の部屋では子どもたちがビデオを観ていました。 「テレビの音がうるさくて休めない」と妻が言ったので、ぼくは音量を小さくしました。 しばらくして妻は、「テレビをむこうの部屋に移動させよう」と言い出しました。それから、大晦日の夜中の模様替えが始まりました。 荷物置き場のようになっていた部屋を片付けます。物置やクローゼットに、これから捨てる予定だった古いコンピューターなどをしまい、さらに、使わなくなっていた二段ベッドも解体してベランダへ運びました。そして、テレビを台とともに置きましたが、小さい部屋だったので、どうしても近い距離から観ることになってしまいました。 これではいけないと、子どもたちの寝室兼遊び場となっていたその隣の部屋を、テレビ部屋とすることにしました。そこで、子どもたちの絵本やおもちゃの入っている棚を、荷物置き場のようになっていた部屋に運びました。それから、荷物部屋のソファを新テレビ部屋へ。 そうこうしているうちに、夜も更け、疲れてきて、ぼくは妻や子どもたちにやつあたりをし、いやいやながら作業を進めていました。 「嫌ならそう言ってほしいし、やるならきびきびやって、早く終わらせてほしい」 そう言われ、ぼくははっとしました。そのとおりだと思ったのです。結局ぼくは、テレビに子守をさせ、一緒に遊んであげようともしていませんでした。家事などで忙しいのであればしかたないと妻は思い、模様替えが始まったのでしたが、そういうことを考えず、いらいらしてだらだら作業をしていた自分のふるまいが恥ずかしくなりました。ごめんね。
できるだけ、子どもたちと関わってあげること。それができないときは、妻の居心地がいいように工夫すること。それがぼくの、しなければならないことでした。
なんとかテレビ部屋は完成しました。妻はだいぶ疲れてしまいました。でも、じゅうぶんな距離を隔ててテレビとソファを配置することができました。 居間にはテレビがなくなったと思っていましたが、妻は「ダイニングとリビングが分離されただけだよ。今までテレビのあったところがダイニング専用になって、今テレビのあるところがリビングになったんだよ」と言いました。なるほど。 さて、このテレビ部屋にはすごい効果があったのです。この続きは明日。
2004年12月30日(木) |
年賀状と妊婦好みのにんじん |
妻がすばらしい年賀状を作ってくれました。少しでも早く出そうと思い、二人でせっせと宛名書きをしていました。 子どもたちは、向こうでごっこ遊びに夢中です。 「家族ごっこしよう」「りすごっこがいい」などと不思議な会話が聞こえてきます。 書き終えると、さっそく投函しに行くことにしました。今日は、最高気温が3度という、とても寒い日です。子どもたちに、スノーコンビ、手袋、帽子、脚絆、長くつを着せて出かけました。ぼくは、右手に犬の綱を持ち、左手で妻の手を握ります。 妻は言いました。 「妊娠してると、手がつなげていいね」 少し散歩をしていると、あまりに寒いためか、「おなかが痛くなってきた」と言うので帰りました。丈の長いコートが必要です。
元旦にホームページの表紙に、年賀状の図案をアップします。お楽しみに。
【料理メモ】有機ニンジンの使いまわし(妊婦好み) ①皮を厚くむいて小さく切り、レモンやみかんをしぼって、ミキサーにかけて、絞ってジュースに。 ②皮はのちにごぼうときんぴらに。 ③しぼりかすをパン生地に入れてニンジンパンに。 ④また、りんごと甘く煮付けて、ジャムにしてスコーンにのせて。 ⑤それでも残ったらハンバーグの生地に入れる。
特ににんじんは、有機のものが、そうでないものと味がきわだって違います。皮もどんどん使えますし。
子どもたちの通う保育園へ、「保育参加」をしに行きました。保育参加とは、保育園でいつもの生活を送る子どもと一緒に親がすごし、保育園の様子を知ろう、というものです。ずっと前から何度も「保育参加して」と子どもたちにせがまれていたのですが、なかなか行けないでいたのです。もうすぐ娘が卒園なので、思いきって休みをとりました。 本来ならば、1人の子どもと朝から夕まで一緒にいるのが基本とのことでしたが、午前中しか時間がとれず、また、子どもが2人いるので、行ったり来たりすることにしました。
まず、3人で登園し、そのまま息子のクラスで、木のビーズにひもをとおしたり、絵本を読んだりしてすごしました。息子はすっかり甘えてぼくのそばにいました。普段の様子を見るというのは難しいなと思いました。 それから、息子は庭で雪遊びをしに行くというときに、娘のクラスに移動しました。今日は大掃除の日で、部屋の荷物をすべて別室に移して、掃除機とぞうきんをかけるという本格的なものでした。ぼくは、20人ほどの小さな人たちと一緒になって、積み木や棚を運びました。5、6歳児とはいえ、大勢いるとけっこうはかどるものです。娘はぼくが来たのが嬉しいようで、機嫌よくにこにこしていました。
それから昼食時間になりました。再び息子の部屋に戻り、一緒に給食を食べました。息子は、自分でお椀に入ったおつゆをゆっくりと運び、お行儀よく座り、煎り卵なども上手におはしで食べ、一番に食べ終わり、自分で食器をさげ、みかんをむいて食べ、ぼくにもむいてくれ、着替えて昼寝の支度をしました。これらは、うちはほとんどしないことでしたので、ぼくはびっくりしました。 中でも、おはしづかいの上手なことといったら、ありませんでした。保育園のおはしは小さく、先が細くよく合わさるものでした。いいおはしがあれば、うちでも使うかもしれないと思いました。
早々と食べ終わった息子は、ホールでけっこう激しくはしごに登ったり、跳び箱からとびおりたりして遊びました。娘はこま回しをしました。昼寝の時間になり、ぼくは帰らなければならなくなりました。 「帰らないで」と言われるかなとおもいましたが、息子はふとんに入りながら、満足した表情でぼくに向かって ばいばいをしました。
用を済ませ、夕方になって、お迎えに行くと、娘は「今日は楽しかった。また、保育参加に来てね」と言いました。 いつもは、ただ、朝送って、夕方に迎えに行くだけなのですが、子どもたちの日常はこうやって保育園の中でも流れているのだということがよくわかりました。ぼくも、楽しかったよ。
2004年12月27日(月) |
教会ともちつき 後編 |
中学生くらいの女の子が子どもたちの食べっぷりに感心していました。それから、「おもち丸めたい?」と子どもたちにききました。うなずく子どもたちの手をひいて、厨房の前でつきあがったおもちを丸めている人たちのところに連れて行きました。人差し指と親指の間からむにゅっと出したおもちをちぎって、丸めていきます。 そのうちに、外に呼ばれて、もちつきを見に行きました。息子が見ていると、「つきたておいしいよ」と言ってちぎってくれました。息子は手にべたべたついたつきたてのおもちを食べていました。食べ終わってから手を洗いにいくと、「手が痛い」と言いました。 「どうしたの」 「おもちと一緒に手をかじっちゃったの」 かわいそうに、小さな手を見ると確かに少し、けがをしていました。そこで、そろそろ帰ろうとすると、おみやげのもちまでいただきました。 献金のかごがあったので、持っていた小銭を集めて750円入れました。
一つ思ったのは、若い人たちと年配の方たちが一緒にもちをついたり、丸めたり、食べたりしているというのはいいなあということです。そんな中でも、うちの子どもたちは最年少で、喜ばれていました。もし、子どもたちがいなかったら、ぼくたちは今日のようには入りこめなかったでしょう。 みんな、おなかいっぱいになりました。
2004年12月26日(日) |
教会ともちつき 前編 |
日曜日なので、コープまで、家族そろって歩いて食料の買出しに出かけました。すべって転ばないように、ぼくが妻の手をしっかりと握って歩きます。すると、いつもはそれぞれぼくたちに手をひかれている子どもたちが、二人で手をつなぎました。保育園での散歩のときは、二人一組で手をつないで歩くので、そうしたようです。小さな人たちが、助けあっていっしょうけんめい歩く様子がとてもかわいらしかったです。
買い物が済んで家の近くまで戻ってきたとき、近所の教会の前で、うすと杵でもちつきをやっていました。子どもたちに見せてあげようと近くまで行くと、牧師さんらしい、詰襟のような服を着た人が声をかけてくれました。 「よかったら、中にどうぞ。おもち、食べていってください」 そんなことを言われるとは思ってもみなかったので驚きましたが、言われるがままに中に入りました。 教会の中には、たくさんの人がテーブルについて、お雑煮やお汁粉を食べていました。席に案内されると、すかさず大福とお茶を持ってきてくれました。つきたての大福は、それはそれはやわらかく、おいしいものでした。それから雑煮、お汁粉、クッキーと子どもたちももりもり食べました。 先ほどの牧師さんがやってきて、隣に座りました。別の人が牧師さんに 「とおりすがりの人ですか?」とたずねたので、ぼくが 「とおりすがりです」とこたえると、笑っていました。 「毎年おもちをついているんですが、余ると私のうちで、私はここに住んでいるんですが、3日間くらい食べ続けるんです。たくさんあるってことは、いいことですけどね。だから、たくさん食べていってください」
それにしても、教会でもちつきをするとは知りませんでした。でも、考えてみると、日本の教会なのですから、何もおかしなことではないのかもしれません。
昨日は7か月の定期健診に、かぜのなおった助産婦さんが来てくれました。助産婦さんが来ると、どうも、まーちゃんははしゃいでしまいます。室内で三輪車を乗り回し、助産婦さんの周りをぐるぐる回ったりしています。 助産婦さんは妻のおなかを両手ではさむようにして、探っていました。 「胎盤もわるいところでなく、ついてます。背中がこっち向きですね」 今のところ、逆子ではないようでした。 「赤ちゃん小さいから、羊水の中にいますから、いつ、ひっくりかえるかもしれません。車に乗るときは、手でおなかを押さえてください。歩くのはいいけど、乗り物には気をつけて」と言われました。
「体重はもっと増えてもいいですね」と言われました。 体重については、妻の努力により、7か月後期現在で、3kg増にとどまっています。そのことを妻は、少し、心配していました。もっと増えた方がいいのではないかと思っていたのだそうです。でも、『分娩台よさようなら』によると、7か月まででせいぜい3kg増までにとどめることと書いてあったので、やはり、これでよいのだと一安心しました。 のちに妻は、「前はずいぶん体重が増えたよね」と言いました。ぼくは、 「ストレスのせいじゃない? 1人目は、お金のない不安と、初めての出産に対する不安、2人目は、ハードに働いていたことによるストレスとお金のなさ。あれっ、結局いつもお金がないんだね」とこたえました。
次回は、1月の末に病院で定期健診を受けてから、助産婦さんに連絡することになりました。 助産婦さんが帰るとき、四国の妻の実家から送ってきたうどんをおすそわけしました。すると、助産婦さんは 「いつも手ぶらですみません」とおっしゃいました。けれど、先日は自宅でとれたというブドウを持ってきてくれました。それに、検診をしにくるのに、おみやげを持ってこないのは当たり前です。 翌々日になって、助産婦さんより、わかさぎの佃煮が届きました。ぼくたちは、たいへん恐縮しつつお礼の電話をかけました。特に、年配の方に贈り物をするときは、よく考えなければならないなと、つくづく思いました。
2004年12月22日の朝日新聞夕刊よりの抜粋。 「フランス農相から財務相に11月末に転じたエルベ・ゲマールさん(44)は、甘いマスクと8人の子持ちで知られる。対仏投資庁長官の妻クララさん(44)との間に17歳から7歳の3男5女。2人は何もあきらめずに、すべてを手にしつつある。/週刊誌パリマッチによると、財務相は毎朝6時に起床。下の子2人を起こし、朝食を用意し、学校まで送る。長官の方は仕事柄、国外出張が絶えない。夫の協力なしでは8人は難しかった。」
妻は、この記事をぼくに見せて言いました。 「すごいでしょう。この『何もあきらめずに、すべてを手にしつつある』というところ読んでよ」 確かにすごい。僕たちの合言葉は、「子どもを言い訳にしない人生をおくる」というものです。「子どもがいるから、これはできない」と言わないで、やりたいことはやる、ということです。 でも、この信条のかなり高いレベルの実現者の存在を知って、とても勇気づけられました。そして、あらためて、ぼくたちも自分の野望を実現させることを誓ったのでした。 「まずは、6時に起きたら?」 「う、うん」 (たしかに、朝の時間に余裕があまりなくなってきていたのでした。)
うちのご飯体系はしばしば変わります。普通は、朝は普通で、昼は外で、夜はしっかりとといった感じでしょうか。最近うちでは、朝は妻が食べないことが多いのですが、ぼくと子どもたちで「ご飯、みそ汁、納豆卵」あるいは「北海道産小麦粉のパン、大豆ごまココア、お弁当のおかず少々」を食べ、昼は子どもたちは保育園での給食、ぼくは前夜に仕込んでおいたお弁当、妻は朝の残りとお弁当のおかずを食べ、夜は皆で軽めに、チャーハンとみそ汁、おにぎりとみそ汁、モツ煮込みうどん、スコーンと紅茶といった感じです。
妻は、いいかげんなぼくと違って、いつも、「次、何を食べるか」ということを気にしています。昼休みに、職場から電話をかけると、必ず、「今日の夜、何食べようか」ときかれます。 「ご飯が残っているからチャーハンにしよう」などと答えるのですが、最近のコンセプトは「食べたいものを食べる」です。 先日、「徹子の部屋」に出ていた100歳の料理研究家が、自分の食生活に対する信条として、「食べたいものを食べること」と述べていました。「100歳の料理研究家」という存在は、とてつもない説得力を持っていました。
今日は、「何、食べたい?」ときかれたとき、 「スパゲッティ」とこたえました。 「ええっ、お米じゃないの?」と妻は、本気で驚いていました。ぼくが、稲作に関する仕事をしているからです。 「スパゲッティ、好きなんだよ」とぼくは言いました。でも、もちろん、お米も好きですよ。
2004年12月17日(金) |
クリスマス・ページェント |
娘が保育園で、毎年恒例のクリスマスの聖誕劇をすることになりました。今年は年長なので中心的な役割を演じます。会場が狭いのでこれまで妻は行ったことがありませんでしたが、今年は晴れ舞台なので、行くと言いました。ぼくが一度帰宅し、手をつないでいけば、凍りついた横断歩道も渡っていけるでしょう。 17時45。分には保育園に行かなければならなかったのですが、17時すぎに頼まれた仕事があり、職場を出たのが17時20分になってしまいました。それから走って走って帰ると、家についたのが17時35分でした。ドアを開けると、すっかり身支度の整った妻が、息子の着替えも袋に詰めて待っていました。ぼくは、妻のやる気を感じ、少なからず感動しました。今日は、少しだけおしゃれをしていく日なのです。 なんとか間に合って、妻と息子とともに会場へ。娘は先に行って、出演準備をしています。「この行事は、厳かな雰囲気の中でおこなわれます」と先生が言いました。いよいよ開演です。イエスが馬小屋でうまれるまでのお話です。
開始早々、前のお母さんたちのカメラのフラッシュがばちばちたかれました。カメラとビデオを両手に持って操作している人もいました。そこには「厳かな雰囲気」はひとつもありませんでした。 対照的に、子どもたちは真剣そのもので、彼らの緊張によって、舞台の上は「厳かな雰囲気」に満ちていました。 ぼくは、とりたてて信仰はないのだけれど、そして、カメラを手にした人たちの信仰についても知らないけれど、この子どもたちの気持ちを受けとめられない大人たちに対して、いらいらしました。 ぼくたちは家では写真をよく撮りますが、こんなときは、カメラをもってきません。ちゃんと、保育園のほうで写真を撮り、後日販売してくれることになっています。
子どもたちの間では、ひらひらした白い服を着る、天使の役が人気だったそうですが、娘はそれを友達にゆずり、博士の役になっていました。三人の博士の最後尾をつとめる娘は、見るからに緊張していました。博士が1人ずつ宝物をうまれたばかりのイエスに捧げる場面では、1人ずつのセリフと動きがあり、博士の見せ場でした。娘は3番めの博士だったので、前の2人の場面が終わるのを、舞台の上で待っていなければなりませんでした。そのときのこわばった表情には、こちらも緊張させられましたが、娘は立派にやりどけました。 ぼくたちはほっとして、それから嬉しくなって、「上手だったね」と妻と言いあいました。
無事に劇が終わると、娘たちはキャンドルサービスの火と、献金の箱を持って客席を回りました。新潟やイラクに募金するのでした。皆、前日に配られていた献金袋にお金を包んで箱に入れていました。ところが、ぼくは、お金を準備するのをすっかり忘れていました。こんなに素晴らしい劇を見せてもらったのに、子どもたちがまじめな気持ちでいっしょうけんめい取り組んだのに、ぼくは忘れていました。 「袋はともかく、お金は?」 と妻に言われましたが、財布さえ持っていませんでした。歩いて出勤し、お弁当を持っていくので、財布を持っていなくても別に困らないのです。「社会人としていかがなものか」と言われそうですが、事実、持っていなかったのです。 幸いというか、娘は向こうの客席の列を回っており、こちらには来ませんでした。献金の箱を持った子どもが来たとき、ぼくは息子の世話をしているようにして、その子どものほうを見ないようにしていました。ごめんね。 妻は、疲れたようでしたが、久しぶりの外出と、娘の頑張りを喜んでいました。 翌日、娘と息子とともに、改めて保育園に献金を持っていきました。
3歳の息子が何の脈絡もなく、妻に「ばか」と小さな声で言いました。それを聞いて、妻はひどくおちこんみました。そんな年齢のときに、そんなことを言うなんてと考えると、悲しくなってしまったそうで、「お母さんをやめる」と言って、寝てしまいました。息子はあやまっていましたが、 「たいへんな思いをして生んで、育ててきたのに、今までのことが無駄みたい。お母さんに『ばか』って言うなんて」と言われていました。 ぼくは、息子にあやまるようにうながしていました。「ばか」だなんて言ってはいけないのだと、教えていたのです。その様子を見ていて、妻は、ぼくも自分の味方になってくれない、息子の応援をしている、と思ってしまい、ますます悲しくなってしまいました。ぼくは、妻と一緒に息子のことを怒っていなかったのです。
翌日、ぼくは仕事に、子どもたちは保育園に行きましたが、妻は寝たままでした。昼間、電話をかけても妻は出ませんでした。困難は重なるもので、仕事でミスが見つかり、残業を余儀なくされ、いつもより2時間も遅くなって、子どもたちと帰宅しました。 妻は、すぐには息子と話しませんでした。「お母さんをやめる」と言ったのに、それほど息子がこたえていない様子だったからです。 息子は泣き出し、やっと妻と向かいあうことができました。 「『ばか』って言われて悲しくなって、お母さんやめようと思ったんだよ」 「もう『ばか』って言わないよ。ごめんね」 それから妻は言いました。 「1日中、何もしないで泣いてばかりいたの。お茶をいれるのもめんどうで、みかんばかり食べて、おしっこ製造機になってた」 「おしっこ製造機」というものが何なのか、結婚する前に妻にたずねたことがありました。それは、ただ水分をとっておしっこをすることしかしていない状態のことだと説明しながら、手帳に絵を書いてくれました。それは、ボタンのついた箱の上にじょうご状の部品がついており、箱の下からは管がだらしなく出ている、といったものでした。上のじょうごからお茶などをそそぐと、下の管からおしっこが出る仕組みで、そのおしっこを受ける容器すらなく、ただ、垂れ流してしまうのだそうです。その絵のことを思い出しました。 妻の一日を思うと、ぼくもつらくなりました。それから、おなかを痛めた妻の立場に立って考えてはいなかったと思いました。命をかけて生んだ子どもに、まだ小さいうちに『ばか』と言われたのに、ぼくは妻ほどショックを受けていなかったのです。
それから妻は和風スパゲッティを作ってくれ、皆で遅い夕食を食べました。残り物のいわしの梅煮とセロリとえのきだけの、不思議とおいしいものでした。 食事の支度をしているときから寝るときまで、息子は妻に対してとても気をつかって、いろいろと話しかけ、精一杯楽しい気持ちにさせようと努力していました。いつもなら、すぐ、けろっと忘れたようになってしまうのですが、今日は違っていました。息子にも妻の思いが伝わったのでしょう。 今までのことは、無駄じゃないよ。
2004年12月13日(月) |
年末の買い物のてんまつ |
珍しく、じつに珍しく、使い道の決まっていないお金がいくらかありました。 「欲しい物ある?」と妻がきいてきました。 「あるよ。食費かな」 「そんな漠然としたものじゃ、だめだよ。私はね、ぷーちゃんのビーズキットを作るためのペンチとニッパーでしょ、画材でしょ、ボーズ社のラジオでしょ、カシミアのコートでしょ、ボネコ社の居間用加湿器でしょ、旭川のクリーマリー農夢のチーズでしよ、余市の稲船ファームのジャムでしょ、愛媛の渓筋ベジタブルのおもちと干ししいたけでしょ、それからそれから・・・・。」 「じゃあ、何から買うか考えよう」 「早い者勝ちだよ。よーさんも、食費だなんて言っても、具体的じゃないとだめだよ」 カタログ好きの妻は、ふだんから、何がほしいかよく考えているので、こんなときは、めっぽう強いのでした。
とは言え、年越しのため、みんなで買い物に出かけました。まず、いつも引き売りに来てもらっている、自然食品店の店舗まで行くことにしました。道路が凍りついてつるつる滑るので、はじめはタクシーに乗ろうかと考えていましたが、散歩をしたいとの妻の意見を取り入れてバス停まで歩いていきました。折りよくやってきた、小樽行きの高速バスに乗り、円山で降りました。 自然食品点では、「ドライ・加工品セール」をやっており、乾物や雑貨が1割引になっていました。粉石けんやコーヒー、紅茶、煮干、シャツ、調味料などを買いました。明日が引き売りの日なので、家まで届けてもらうよう頼みました。 それから再びバスに乗って、東急百貨店へ。催事場では、ちょうど、ビーズフェアが開催されており、ペンチとニッパーもありました。子どもたちのリクエストで、クリスマスツリーのオーナメントのビーズキットも買いました。妻が、ぷーちゃんにガラス玉の髪しばりも選んであげました。 昼食を食べてから、買い物午後の部です。子どもたちの手袋、マフラー、クリスマス会用に新しいシャツを買いました。それから食料品売り場で、しばらく切らしていてつらい思いをしていた小麦粉、みりん、料理酒など。トマト缶を買おうとしたら、「イタリアから来て98円なんて安すぎる」と妻が言ったので、長野産トマトジュースを一箱、料理用に買いました。安すぎるものは、必ずどこかで「搾取」が行なわれているのだと思います。生産、流通、あるいは環境から。ですから、そういうものは、買わないようにしようということにしているのです。 お正月の田作りのために、小ぶりの食べる煮干も買いました。
そんなわけで、ほとんどのお金がなくなってしまいました。妻も、子どもたちも、よくがんばって歩きました。くたびれたけれど、食料が充実して、家庭に安心感が満ちてきました。 夜、いろいろ片付けていたら寝るのが遅くなってしまったこともあり、翌朝、妻は頭痛に悩まされましたが、「前向きに対処する」と言って、くるみパンバター蜂蜜がけとヨーグルトの朝食を食べました。そして、再び眠り、なんとか乗り切ったようです。
夕方、引き売りの車がやってきて、びっくりしました。昨日店舗で買ったものと一緒に、「ドライ・加工品セール」として先週頼んでおいたものが届いたのですが、その中にも煮干が入っていました。注文していたのを忘れて、店で買ってしまったのです。300g入りの煮干が2袋。賞味期限は1月ていど。他に、田作り用食べる煮干だってあります。 さあ、どうする。 このてんまつについては、ホームページの「おかわり通信」に書くことにしましょう。もう少し待ってください
2004年12月10日(金) |
夫と子ども、居酒屋へ |
ぼくが大学院生のときに受給していた奨学金の、奨学生の集いへ行ってきました。現在の奨学生と修了生と東京から来た奨学金財団の人と、大学関係の人が集まる交流会です。金曜の夜、居酒屋です。 数少ない奨学生の義務として、1年に1回の集いへの参加を求められていたため、奨学生だった3年間は、子どもたちとともに参加しました。そして、修了して就職した今も、子どもたちと行ったのです。 当初はぼくだけが行くつもりだったのですが、前日になって、子どもたちも連れて行ってあげようということにしました。居酒屋で子どもたちはジュースをたくさん飲み、わずか2時間のあいだに5回もトイレに行きました。 帰宅すると、妻は元気に迎えてくれました。そこまではよかったのです。
こどもたちが寝たあと、妻は「おなかがすいた」と言いました。一人の夕食には、雑炊を作って食べたとのことでした。眠れないと言うので、うどんを少し、ゆでました。まだおなかがすいていると言うので、おもちを焼いてクリームチーズをのせてのりで包みました。それでもおなかがすいたと言うので、「これで最後だよ」と言ってチョコレートををあげました。それでも、もう一つ食べました。「もう、やめなよ」と言いましたが、満足できないと言われました。 「一人で食べてもつまらない」と言うので、また、うどんをゆでて二人で食べました。 それから妻は言いました。 「急に、今晩は一人で家にいて、一人でご飯を食べることになったでしょう。さみしくて、ストレスだったみたい」 そんなこと、ぼくはあまり考えていませんでした。食べ過ぎて太ることはいけないことなのですが、今日はどうにもとめられませんでした。原因はぼくたちが不在だったことでした。いつもよりも3時間帰宅が遅かっただけでしたが、それがこんなにも妻のストレスになっていたとは思いもよりませんでした。 妊娠中で気持ちも普段とは違っているとは言え、家を留守にするときは気をつけなければいけないなと思いました。前もって心の準備ができるようにしておくとか、手立てを考えなければなりません。 裏返せば、僕たちの存在が妻にとって大切なものであるということの証明ではあるのですが、妊婦さんにとって太らないことはとても大切なので、ストレスには注意が必要です。 一緒にご飯を食べることの大切さを改めて思いました。
今、仕事でこみいった計算をしています。そのため、めずらしくまとまった残業をしました。今日は、保育園には19時までの延長保育をお願いしていました。18時半には職場を出るつもりでしたので、妻にはぼくが子どもたちのお迎えに行くと伝えておきました。 しかし、18時20分になって大きな間違いが見つかり、それを解決しなければならなくなりました。そこであわてて妻に電話をかけました。 「もう少しかかりそうなんだけど、お迎えいける?」 「電気つけるのにも腰が痛いし、急に言われても無理。凍った道路の上を妊婦に急がせるつもり?」 ごめんね。 結局、18時50分に仕事は片づき、保育園には少しだけ遅れるとあやまりの電話をいれました。それから子どもたちを迎えに行って、家に帰りました。 「今日はごめんね。無理言って」 「1時間くらい前に言ってくれたらいいけど、急には無理だよ。頼らないで」うん、ごめんね。いいよ。 それから急いで夕食の支度にとりかかろうとしました。 すると、ご飯は炊けており、鍋にはシチューができていました。妻はすっかり料理をしてくれていたのでした。 夕食後、明日のお弁当の用意をしようとしたら、妻が「オーブンの中を見てごらん」と言いました。オーブンのふたを開けると、なんと、マカロニグラタンが入っていました。しかも、妻が家で食べる分と、ぼくがお弁当として持って行く分と、2つに小分けにしてありました。 ありがとう。
それから、子どもたちを寝かしつけて、妻にマッサージをして、台所を片づけて、妻と一緒に洗濯物を干すと、もう0時半でした。妻は言いました。 「自分の時間がほしくないの。さっさと家事をしないと、時間は作れないよ。最近、読書もあまりしていないし、ホームページの更新も進んでいないし。これじゃあ、ただ毎日すぎてくだけだよ。だからといって、夜更かしして寝坊すると、皆が迷惑する。将来に向けて勉強したりしなくていいの。そう思って、料理だってしておいたのに。私が妊娠したからといって、それを言い訳にしてさぼってない? もっといっしようけんめいしていたでしょう。よーさんは、妊娠していないでしょう。マッサージしてもらっても、そのあとに家事をしていたら、うるさくて休めないし、こうして手伝ってしまうし。今忙しかったら、しーちゃん生まれたらどうなるの。もっと忙しくなるんだよ」 そう言われてみると、たしかにぼくは、忙しい忙しいと思っていました。けれど、妻が妊娠しても、ぼくの生活は実際にはそれほど変わらないはずです。 「わかった。そうだね。11時半までにすべて片づける。そうすれば1時間は自分の時間が持てるもの。将来につながる本を読んだり、ホームページを更新したりする」
助産婦さんから、風邪をひいてしまってうつすといけないから、日曜日の検診の予約はキャンセルしてほしいと電話がありました。今月は無料券で病院へ行ってもらってもいいですよ、とのことでしたが、妻は、「それなら今月の検診はやめてもいいかな。3000円ほかのことに使えるし」と言いました。
今朝起きると、妻は頭が痛いと言っていました。どうやら、寝不足のせいのようです。『本のすすめ』の表紙作り、模様替えと、連日忙しい日々が続きました。 平日は朝ゆっくり寝ていればいいのですが、土日はそうもいきません。子どもたちがひばりのように早起きだからです。夜中まで模様替えをしていたとしても、朝はどうしてもゆっくり寝ていられず、疲れはたまっていきました。 加えて、頭痛を誘発するのは、ストレスからの解放です。何かほっとしたときに、血管が拡張して痛くなるのです。昨日は、助産婦さんが来るはずでした。それまでに模様替えを終わらせて、部屋をきれいにしておこうと頑張っていたのです。しかし、結局、来ませんでした。そのとき、気が抜けてしまったのです。 そんなことが重なって、頭痛になってしまいました。まぶしいと痛がるので暗い中、それでも空腹は頭痛によくないので、妻は朝食のにんじんパンにルッコラとゆで豚をはさんだサンドイッチを食べました。
ぼくは、昨日夜更かしをして、数日来、忙しさのあまり読まずにいた新聞に目を通し、ついつい『ミステリ十二か月』を読み、それからこの日記を更新しました。そのため、すっかり寝坊をしてしまい、あわてて犬の散歩に行き掃除をして、妻のお世話もそこそこに、子どもたちと家を出ました。 夕方、家に帰ると「ナッツが食べたい」と妻が言いました。そういうことがあるものです。実は、今日、オーストラリアに出張していた部長がおみやげに、マカダミアナッツ・チョコレートをくれたのです。チョコは血管を拡張させる食べ物なのですが、それよりも食べたいものを食べて元気になった方がいいと、コーヒータイムにしました。 「休まなくちゃと思っていたんだけど、頭が痛くて、一日眠れなかったんだよ」と妻は言いました。夜は、足裏、てのひら、腰、肩、首とマッサージのフルコースをしたのですが、その時にこう言われました。 「『しまっていこーっ』って言いながら、マッサージして」 「ええっ。それは誰に対して言うの?」とぼくがたずねると 「首の筋肉とか、拡張している頭の血管にだよ」とのことでした。そこでぼくは、 「しまっていこーっ」とか「しっかりするんだ。ゆるみっぱなしじゃないか」とか「そろそろ仕事に戻ってくれなきゃ困るよ。いつまでもこんなんでどうする」などと頭の血管に呼びかけながらマッサージを続けました。 そのかいあってか、妻はいくぶん元気をとりもどしました。 「よく眠れるために、少し働く」と言って、明日のお弁当用の肉じゃがを0時すぎから作ってくれました。辰巳芳子さんの本にある、素材の味を生かすための調味料の味が芯までしみていない肉じゃがというもので、なかなかその発想は新鮮なのでした。 今、部屋はしょうゆと砂糖のいい香りでいっぱいです。
2004年12月05日(日) |
もよおしそうな人もいれば無事に産んだ人もあり |
先日、帰宅すると一心不乱に机に向かっている妻の姿がありました。一日中、『本のすすめ』の表紙作りに没頭していたのです。 『本のすすめ』というのは、個人で作っている隔月刊の、本を紹介する小冊子です。第14号ができました。毎号、妻が表紙を作ってくれているのですが、今回も素敵なものを描いてくれました。
この週末は、部屋の大模様替えが敢行されました。だいたいぼくはものぐさなたちなので、めったなことでは、模様替えをしようなどと考えつきません。反対に、妻は、よりよいものを求めて、納得がいくまでとことんやるタイプなので、妊娠していようが、ものすごい勢いで家具の配置換えなどに着手します。 金曜日に帰宅すると、部屋の様子がまるで変わっていました。本棚は解体され移動し、中の本は全て出され、ダイニングテーブルの向きは変わり、ぼくの重たい机の場所も変わっていました。いったい、これが妊婦さんのやったことなのでしょうか。 「テレビを観るときの向きが気になっていたの」と妻は言いました。たしかに、前回の模様替えの結果、テレビに対して斜めに向き合うようなことになっていました。それを改善するべく、妻はこの重労働をなしとげたようでした。 土曜日は朝から夜中の2時まで、模様替えの続きでした。子どもたちの二段ベッドは解体され、別の部屋に移動させられ組み立てられ再び解体され移動させられ、本棚は移動しました。おかげでぼくの書斎コーナー兼洗濯物干し場が居間の一角に確保され、押入れの中にあった、岩波少年文庫たちも本棚に並べられました。 妻は、起き上がれないほどの腰痛になってしまいましたが、それでも満足そうでした。
日曜日は、助産婦さんが来る、定期健診の日でした。朝10時の約束でした。電話の音で起こされると、もう、9時でした。昨日の模様替えですっかりくたびれてしまい、子どもたちも起きていたのに、すっかり眠っていたようです。 あわてて電話に出ようとすると、そばにいた子どもの髪を踏んづけてしまったようでした。 「痛いよ」と言われましたが、それにはこたえず、走って電話に出ると助産婦さんからでした。 「今、別のお宅に来ているんですが、もよおしそうなんです。お産が早くすんだら、午後から行けますが、来週にしていただいてもいいですし。ご都合はいかがですか。平日じゃあ、ないほうがいいんですか」 ぼくはあわてた。「もよおしそう」だなんて人がいるのに、早く返事をしなくちゃ。手帳はどこだ。ない。カレンダーはどこだ。壁にかかってない。あわてて走っていって、カレンダーを子ども部屋で見つけました。模様替えの最中に、子どもたちに持ち去られていたのです。 「お待たせしました。来週の日曜日にしてください。」 「わかりました。それじゃあ、日曜日の10時に予約、ということにしましょう。ごめんください」 なんだか、寝起きだったせいもありましたが、知らない人のお産にあわててしまいました。対照的に、助産婦さんはいつもとまったく変わらない、ゆっくりとした口調でした。そこにベテランさを感じました。
自宅出産を希望されていたイギリスの雑把さんが、無事に自宅でお産をされたそうです。おめでとうございます。 その知らせには「楽しかった」と書いてありました。それを読み、妻はしみじみと 「安産は自分でつくるものなんだね。雑把さんは、たくさん勉強もして、散歩もいっぱいしたんだね。私も、腰痛だって愚痴を言っていないで頑張ろう」 と言いました。 それから、もくもくと自転車こぎにとりくんでいました。
外は大雪です。すっかり真っ白になった、お隣の邸宅の庭の雪明りがきれいだったので、照明を消して、夕食を食べました。
妻が、「夜、翌日の料理をする」と宣言しました。なかなか早起きはできないので、朝、料理をすることはできない。夕食は簡単にした。だから、今のままでは何もできない。けれど、家族の健康が気にかかる。ぼくは、自分のお弁当となると、いいかげんなものを作りがちである。だから、夜、作りたいとのことでした。 そこで一緒に作ったのが、朝食用に「豚バラと大根とにんじんの煮込み」、昼食用に「厚揚げと豚バラとニンニクの芽とたまねぎのいため煮」でした。つまり、豚バラ肉ブロックを解凍したのです。これで明日は大助かりです。
それにともない、朝のスケジュールを立て直しました。最近、遅刻ぎりぎりの出勤が常態化しつつあったのです。 6時20分~起床、犬の散歩、6時40分~掃除、子どもたちを起こす、7時~朝食と弁当の準備(前夜の作業により時間が短縮されました)、7時20分~いただきます、7時40分~朝食の後片付け(子どもたちはまだ食事中)、8時~身支度、8時20分~いってきます、保育園経由で出勤。 なんと、初日は予定通りに進行し、始業17分前にゆうゆう出勤できました。時間に余裕があると、子どもたちにも優しくできました。
さて、最近、朝日新聞の社説で連続して、少子化が取り上げられていました。ぼくは、少子化については、一概に対策が必要である、とは言えないと思っています。それは、地球規模で考えると、人口増によって環境破壊が進んでいるからです。 けれど、ぼくたちは子どもをたくさんほしいと思っています。人口は増加している地域と減少している地域があって、人がいないがゆえに、保全できなくなっている環境もあります。また、何よりも自分たちの子どもたちに、そのような問題意識を持ってもらい、それを周りの人にも伝えていくようにできれば、そのほうが環境問題に貢献することになるのではないか、と考えたのです。 そのような理屈とは別の面、例えば子どもたちがかわいいなど、もたくさんありますが。
少子化対策といっても、現実に子育て中のぼくたちにしてみれば、つまりは育児支援ということです。育児手当が手厚くなったら助かるし、育児休暇をとっても給与が保証されていれば安心です。 周りを見ていても、男性は働きすぎです。残業するのが習慣となっていますし、妻の出産時に3日間とっていいことになっている特別有給休暇さえも、帝王切開当日の1日しかとらない人がいます。女性が出産後も復職できるようにし、その分男性の仕事を減らすようにできないものでしょうか。ぼくの職場では、女性は結婚したらやめることになっています。
このようなことを考えていたら、収入減をおそれて、とらない方向に気持ちが傾いていた育児休暇や、育児のための短縮勤務なども検討しようという気になってきました。おそらく誰も活用したことはないだろうけれど、そのような制度はすでに明文化されています。そう簡単に世の中は変わらないだろうけれど、自分が動かなければ何も変わらないでしょう。 男性にとっても、女性にとっても、出産も育児も仕事もしやすい社会にしていけば、きっと、いろいろな問題を解決することができるはずです。親による児童虐待のニュースを耳にするたび、心が痛みますが、ぼくにもできることがあるのではないかと思い始めました。 頑張ろう。
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