林心平の自宅出産日記

2004年11月26日(金) ハウシュカ博士

 帰宅すると、パンのいい匂いがしました。なんと、妻がアンパンを焼いていたのです。あんこは、先日ぼくが小豆を煮て冷凍していたものを煮詰めただけ、と言っていたものの、それでもアンパンを焼くとは、人生に対して前向きでしかも元気でないとできないことです。つまり、妻の体調がいいということであり、嬉しくなりました。最近は、まめに料理をしてくれています。
 先日の子どもの食事をめぐる話し合い以後、夕食は軽めになっています。例えば、アンパンと大豆ココアとりんごとケフィアヨーグルトといった感じです。準備が簡単なので、早く食べられ、子どもたちも早く就寝できます。子どもたちも朝は食欲があり、よく食べ、今のところうまくいっています。

 足浴については、ドクターハウシュカの入浴剤というものを「クロワッサンの店」で買ってあり、お風呂で使っていました。その説明書をよく読むと、「足浴に最適」と書いてあったので、それをキャップに1杯バケツに入れ、そこにお湯を入れて使っています。15分くらいつかってもらったあとに、軽く足の裏をもんでいます。かかとと足首は、素人の妊婦に対するマッサージでは、避けたほうがよさそうなので、それ以外をもみます。

 就寝前には、マッサージオイルで腰をさすります。
 しかし、それにしても、どうしてあんなに体が冷えやすいのでしょうか。しばしば驚くほど腰が冷えています。冷えは、妊婦には何より禁物だということなので、湯たんぽを使ったりもしていますが、ぼくには本当に、あの冷えは驚きです。

 それから、肌荒れの原因らしきものについて、妻が思いつきました。洗濯洗剤です。ずっと、粉石けんを使ってきたのですが、どうも、衣類が黄ばんで臭うので、生まれて初めていただいたお中元の合成洗剤を使ってみました。すると、衣類が白く、臭いもなくなってきたので、しばらく使っていたのです。そのせいではないか、と言うのです。
 折りしも新聞に、「粉石けんでの上手な洗濯の仕方」がのっていたので、そのとおり、お湯をはった洗濯機にまず、粉石けんだけを入れて5分ほど回してから洗濯すると、臭くありませんでした。しばらく、この方法で試してみようと思っています。
 粉石けんのパッケージを見ると、ちゃんと同じ方法が書いてありました。今までちゃんと読んでいなかったのでした。



2004年11月24日(水) 子どもたちの食事

 夕食時、子どもたちがいっしょうけんめい食べていないことが多く、そのたびにぼくたちは「ちゃんと食べなさい」と注意していました。けれど、妻は言いました。
「夕食やめようか」
よく話してみると、「あまりおなかがすいていないのだろうし、2時間もすれば寝るのだから、夕食はおにぎりとか、パンとかでいいのではないか」ということでした。
 ぼくも、それでいいような気がしてきました。
「食べるってことは、自分のためのことなんだから、食べたくないのに注意して食べさせることもないよ。『食べなさい』って言われて食べる子どもなんて、世界にはそんなにいないはずだよ」と子どもたちに言いました。
 子どもたちは、「ちゃんと食べるよ」と泣きながら、たくさん食べていました。けれど、本当に、ぼくは無理に食べる必要はないのだし、これか活動するという朝食に力を入れたほうがいいんじゃないだろうか、と思いました。
 明日の朝は魚でも焼いて、夜は簡単にしてみるつもりです。



2004年11月23日(火) 言われたことばかりしているのではないか

 ここ数日、妻の機嫌が悪かったのです。それをぼくは、顔の肌荒れがなおりつつあるためもあって、粉をふきはじめているせいだと思っていました。しかし、いらいらの原因はぼくにあったようでした。
「よーさんはいつも、後手後手なんだよ。腰が痛いって言っても、『うん』としか言わなかったり、『できることはあまりない』だなんて言って、何もやさしくしてくれない。私だったら、お風呂沸かしたり、サロンパス買ってきたり、いろいろ考えて行動する。この前、よーさんがおなかが痛いって言ったとき、保険証と飲み物を持って迎えに行ってあげたでしょう。よーさんは、言われてからしかしないし、言われたことだってちゃんとやってない」
 返す言葉もありませんでした。

 その晩、インターネットでアロマテラピーについて調べました。明日から足浴と腰のマッサージを日課とすることを提案しようと思いました。



2004年11月22日(月) ウーマンアローン

 仕事から帰ると、妻が「昨日読んだ『ウーマンアローン』とても感動したんだよ」と言って、その一節を読んでくれました。

「 銃、GPS、携帯衛星電話は、ユーコン川の川旅の三種の神器なのだという。
 人によっては、いつごろ雨が降るのかを予想できる気圧計を持って行く人もいる。
 私は、その三種の神器の一つさえも持っていなかった。そのことで友人を『無謀だ』と、不安にさせていた。
 しかし、だからといって、私の旅は無謀でも無茶でもない。
 私は私なりに、堅実な旅をしていた。
 私は、銃の代わりにギターを買った。
 衛星電話の代わりに、カヌーが遭難しても一ヶ月はサバイバルできるほどの水と保存食を積み込んだ。
 そして、GPSの代わりに地形図と小さなコンパスを買った。
(中略)
 私の旅は、全てのことに100%を超えていた。120%いや、それ以上でなければ、荒野の中では命とりになる。
 考えること、決断の迅速さ、勇気、多くのことに、100%以上のものが要求される。
(中略)
 緊張の糸がピンと張りすぎて、気疲れすることもあったが、そのうち、緊張とリラックスのバランスというものも理解できるようになった。
 ハイテクノロジー機器は、確かにすばらしい。
 しかし、テクノロジーは、そんなに信頼してよいものなのだろうか?
 どんなにその機器を上手に使うことができるとしても、もしも、それが壊れた時に、自分の力と知恵と感覚を使うことができなければ、それは何よりも危険なことだ。私は、テクノロジーに頼りすぎて、その知恵や感覚を失ってしまうのが最も怖かった。」
『ウーマンアローン』(廣川まさき/集英社 1575円)2004年より

 ここまで読んで、妻は言った。
「私の自宅出産も、『ウーマンアローン』だって思ったの。私、いつも、緊張してる。このまえ、夜中にかゆくて、よーさんを起こしたとき、よーさん寝ぼけてたでしょう。そのこと、怒ったよね。それから、『夫には産めないのだし、たいしたことはできない』だなんて掲示板に書いてたこと、無責任だって言ったけど、やっぱり産むのは私だって思ったの。今日は、顔が粉ふきいもみたいになったんだよ。だから椿オイルを塗ったんだけど、かゆいのだってよーさんじゃなくて私だし。もし、お医者さんにかかっていても、そのお医者さんが休みの日に産まれることになったらどうなる? 結局、知らない他のお医者さんになってしまうでしょう。『自分の力と知恵と感覚を使うことができなければ、それは何よりも危険なことだ』っていうのは、そのまま出産にあてはまるのだと思う。自宅出産は、私の『ウーマンアローン』なんだよ」

 ぼくは、この言葉をきいて、逆に勇気づけられ、妻をますます信頼したのでした。
 それから、夫には産めないけれど、できることもたくさんあるのだと、あらためて思いました。
 『ウーマンアローン』も読みたくなりました。



2004年11月21日(日) ユーコン川のこと

 カナダの北のほうにユーコン川という大河が流れています。

 『ウーマンアローン』(廣川まさき/集英社 1575円)2004年、という本を妻が読みました。ユーコン川を1人でカヌーで旅した女性の旅行記です。
 読み終わってから、妻は、ぼくを呼んで、近くにいておなかの赤ちゃんのことを考えてほしい、と言いました。そこでぼくは、しばらくおなかをさすっていました。
 どうも、いつもと様子が違う。しばらくして妻は言いました。
「同じ年くらいの人が、ユーコンに行った。私も行きたいと思っていたのに、今は、寝てばかり」
 ぼくは、以前、知り合いに連れられて、ユーコン川をカヌーでくだったことがあります。それ以来、妻は、自分も行きたいと言っていたのです。
「でも、それぞれの人生でしょう。もし、妊娠していなくても、ぜんそく持ちだったら1人で行けないでしょう」
「うん。でも、昔は元気で体力にも自信があったから、今でも冒険に対するあこがれがあるみたい」
妻は、大学生のとき、ワンダーフォーゲル部で活躍していたのです。
「ぼくと一緒だったら行けるでしょう。子どもたちが大きくなったら、きっと、2人で行こう」
 そう言うと、妻は元気になりました。元気を取り戻した妻は、とっておきのレモンケーキをもりもり食べ、りんごまで食べました。
 つられて食べたぼくも、すっかり食べ過ぎてしまいました。
 でも、ユーコン川のことは忘れずにいようと思いました。



2004年11月15日(月) 肌荒れとメロンパン工場

 ここ1週間ほど妻の肌荒れがひどくなっています。以前、産後に顔に赤いぶつぶつができたことがありました。そのときと同じような感じになったのですが、今回は、体中にひろがってきました。
 ぼくが仕事から帰ると、妻の顔はだいぶでこぼこになっていました。とても驚いたのですが、妻は普通にふるまっていました。しかし、しばらくすると
「今日はひどくなってきて、とても落ち込んでいたので、頑張って普通にふるまおうとしていたの」と言いました。それから、妻は言いました。
「子どもたちがとても食べたがっている、メロンパンを作ろう」
 もう、夜になっていましたが、妻はメロンパンを作ることによって、元気を取り戻そうとしているようでした。子どもたちも一緒にまきこんでの、メロンパン作りが始まりました。
 生地はホームベーカリーに作ってもらい、1次発酵をすませてから、妻が上に乗せるクッキー生地を作ったので、それを娘がのばし、それを息子が砂糖の上に置いて砂糖をつけ、それをぼくがパン生地のうえに乗せて成形しました。メロンパン工場の設立です。
 子どもたちはだんだんと上手になっていきました。少々時間がかかってだれぎみの生地でしたが、翌朝、皆で食べたメロンパンの味は格別でした。
 それから毎日、子どもたちは帰宅すると必ず
「まだ、メロンパンある?」ときくのでした。
 でも、まだ、肌荒れは続いています。



2004年11月12日(金) 悪いお弁当の例

 最近、妻は、朝食は皆で一緒に「ご飯、卵かけ納豆、みそ汁」とか「トースト、ヨーグルト、大豆ココア」などを食べています。1人で食べる昼食はごく簡単に、鉄分クッキーなどですませ、夕食はしっかりと、最近は料理もしてくれ、食べています。つまり、ぼくにとっては、妻の昼食を作らなくてよくなったのです。これが、よくなかったのです。
 
 ぼくは、最近、どうもおなかの具合がよくなかったのですが、今朝、ひどくおなかをこわしてしまいました。すっかりまいってしまって、仕事の昼休みに病院に行きました。妻が保険証を持ってきてくれて、一緒に行きました。結局、かぜだが、もう回復にむかっているとのことでした。そういえば、先日、下の子が熱を出していました。おむつかえの後などに、よく、手をあらわなかったのかもしれません。
 診察が終わったとき、妻が言いました。
「お昼はどうするの?」
「お弁当を持ってきてるから、どこかで食べようかな」
「何を持ってきたの?」
「昨日の煮びたしと、今朝の納豆の残り」
「納豆って、生卵をかけたやつ?」
「うん」
「それって、いたみやすいし、とってもおなかによくないよ。コンビニにそんなお弁当が売ってたら、すぐ、保健所がやってくるよ。私が食べるお昼だったら、朝だってぱっと起きて、ちゃんと作るでしょう。自分の体も気をつけないといけないよ」
「はい。ごめんなさい。ちゃんと作るよ」
 またまた、夫、反省する、でした。

 それから、奮発して、二人で外食することにしました。
「何食べたい? 治りかけているなら、好きなもの食べたらいいよ」
「うん。でも、雑炊とかうどんとかがいい。とんかつとかは食べたいと思わない。体がおなかにやさしいものを欲しているみたい」
 それから、二人して、鍋焼きうどんを食べたのでした。
「夜は、雑炊作るからね」ありがとう。



2004年11月07日(日) 2回目の検診と六花亭と銀杏

 1回目の検診から1月たった日曜日の朝、再び助産婦さんに来ていただきました。家族総出で部屋の中を片付け、犬をベランダの小屋に入れたところで、チャイムが鳴りました。前回の検診のときは、子どもたちは昼寝中だったのですが、今日はばっちり起きています。
 助産婦さんは、家の庭でとれたというブドウを持ってきてくれました。子どもたちがはしゃいでいるので、まずは、ブドウを皿に入れました。夢中で食べはじめ、一時、静かになりました。
 
 ベッドに横たわった妻の検診をしようとするとき、助産婦さんは何かを探していました。下の子は、いつのまにか、メジャーを手にしていました。それはうちのメジャーではありませんでした。それを見て、
「これを探していたんですよ」と助産婦さんは言いました。 
「メジャー、おもしろいんですね。ひっぱって、戻ってこなくなるんです。残ったのは、これ、1つだけ」
どうやら、これまで何人もの子どもに、メジャーをのばしたり縮めたりされてきたようです。
 胴囲、子宮底長の計測をし、ぼくが書記となって母子手帳に書き込みました。それから、
「赤ちゃんの音を聞かせてあげましょう」と言いました。子どもたちは
「聞きたい。聞きたい」と喜びました。
エコーの機械を妻のおなかにあてると、「くわんくわんくわん」と心音が聞こえました。子どもたちは、わかったようなわからないような顔をしていました。
「おなかにぶつかっちゃだめよ。早く生まれちゃうからね。みんな、待っててねえ。おねえちゃんも、おなかの中にいたんだよ」
 それから妻は、助産婦さんに言われて目をあかんべえのときのようにし、舌を上にあげました。
「眼底も赤くて、舌の裏も青くないので貧血は大丈夫です」
よかった。
 特に異常もなく、次も、1か月後ということになりました。

 さて、今日の予定は終わりましたが、まだ、11時です。お昼にも昼寝にも早いので、散歩に行くことにしました。ちょっと遠方まで足を伸ばし、六花亭の直営店まで行くことにしました。六花亭は素晴らしい菓子店で、岩波新書の磯部晶策 『食品を見わける』の「良い食品」の4条件にかなった、ごく良心的なお菓子を作っています。デパートや空港にお店はたくさんありますが、直営店にだけ、ケーキがあり、無料のコーヒーとともに楽しめるようになっているのです。
 子どもたちのたっての願いで、子どもたちは自転車で行くことにしました。下の子は、まだこげないのでぼくが押して行きます。犬は妻が連れて行きます。
 途中で交通量が多くなるところがあるので、その前に自転車を降り、隣に犬もつないでおきました。子どもたちが犬に向かって、「いい子さんでねー」とかいつまでも呼びかけているので、犬もずいぶんと吠えました。結局、ぼくだけが一度引き返し、犬によく言い含めました。
 六花亭では、肉まん、ほたてまん、ガトーショコラ、シフォン、モンブラン、レアチーズケーキを頼み、大人はコーヒー、子どもたちは水筒に持参したレモネードを飲みました。しめて、1300円でした。おみやげも買い、喫茶店でもないのにたっぷり1時間も長居し、犬のところまで戻り、皆で帰りました。
 帰り道、イチョウの紅葉がまっさかりで、たくさんの人々が銀杏を拾っていました。上の子が拾いたいというので、しばし拾いました。素手で集めていると、火バサミを手にしたおじさんがやってきて、「手がかぶれるよ」と言いながら、すばやく、火バサミで拾っていました。

 落ち葉が山盛りになっているところでは葉っぱのかけあいをし、たっぷりと散歩を堪能して家に着きました。銀杏は、茶碗蒸しにすることにしました。最初、ペンチで殻をつぶそうとしたら、すっかり実までひしゃげてしまいました。次に、フライパンで煎ってから割ると、うまくいきました。
 大きなガラスの器で作った巨大茶碗蒸し、具は他に里芋、春菊、ヤーコンです。ヤーコンは食感が異なり、余計でしたが、ねっとりとした銀杏には、子どもたちも喜びました。昼寝をしなかったので、入浴後、ぱったりと眠った子どもたちでした。妻は、くっついて眠る二人の写真を撮りました。
 たくさん歩き、おいしいものも食べ、充実の日曜日に、妻もぼくも満足でした。



2004年11月04日(木) 妊婦さん、雨の中、稲穂を求めて進む 後編

 電車に乗ってバスに乗り換えて一息ついたときのことです。バスの窓ガラスに雨滴があたりました。傘は持ってきておらず、嫌な雨でした。空は曇っており、すぐにはやみそうもありませんでした。妊婦さんと5歳、3歳児とぼくの4人組みは雨の中を行かなければならないようでした。
 インターネットで検討をつけておいたバス停で降り、小走りで行きました。けれど、歩いても歩いてもIさんの直売所は見えませんでした。車で何十回も来たところなので、間違うはずもないと思っていましたが、不安になってきました。
 ぼくが適当に道を曲がろうとするのを妻は止め、人に聞くことにしました。すると、やはり間違えてはおらず、そのまままっすぐ行けばいいとのことでした。以前は車で来ていたので、歩くとけっこう距離があるということをわかっていませんでした。
 すっかり濡れながらも、直売所にたどりつきました。Iさんに聞くと、もう1つ先のバス停のほうがよかったとのことでした。みんな、ごめんよ。
 はたして、稲穂を出してきてくれました。
「もち米だけど」と言いながら渡された稲穂の大束は、「実りが悪い」などいう言葉はちっとも似合わない、立派なものでした。やっぱりね。

 それから、ヤーコン、トマトケチャップ、ルッコラ、春菊、ニシン漬けを買いました。妻がおずおずと「南瓜は、重いよね」と言うので、「持っていってあげるよ」と言いました。大豆と大根をおみやげにいただきました。
「休んでいきませんか」と言われるままに、家に寄らせていただくと、子どもたちは早速2階にかけあがりました。上の子はこの家を覚えており、下の子は覚えていないながらもついていったようでした。2階には子ども部屋があり、I家の娘さんに、それから、ずっと遊んでもらっていました。
 ぼくと妻は居間で、黒米のお茶をいただき、I家の人々に助産婦さんにお会いできたお礼などを伝えました。醤油作りの話などを聞いていると、雨に濡れたことも忘れることができました。
I家の人々は、文字通り地に足の着いた暮らしをしています。そのため、同じ大地の上に「この人たちがいる」と思うだけで、自分も確かな暮らしをしようと思える、指針のような人たちなのです。
 帰りは駅まで車で送ってもらいました。電車は混んでいる快速を避け、各駅停車に乗ると、ゆっくり座れました。網棚の上では、稲穂が揺れ、子どもたちとぼくはおみやげのおまんじゅうをほおばりました。妻は、食べませんでした。体重管理のため、頑張っています。



2004年11月03日(水) 妊婦さん、雨の中、稲穂を求めて進む 前編

 ホームページの「おかわり通信」の中で「バケツ稲」のレポートを書いていました。無事に実って、子どもたちと稲刈りもしたのですが、それから一騒動がありました。
 刈り取った稲穂を束ねて、ベランダに干して、はさがけをしていました。時間のあるときに、脱穀しようと思っていました。娘も、「お米にしようね」と楽しみにしていました。しかし、忙しさにかまけて、なかなかとりかかることができませんでした。

 ある日、ベランダの床に、もみが散らばっていました。手にとって見ると、米はなく、もみがらだけになっていました。あたりにはたくさん散らばっています。妻が言いました。
「そういえば、最近、ベランダにすずめがたくさん来てたよ」
「それだ。すずめがお米を食べたんだよ」
稲穂には、あまりお米は残っていませんでした。ぼくは、娘に言いました。
「お米、すずめが食べちゃったんだよ。すずめにえさをあげたいって言っていたでしょう。だから、いいよね」
「お米にしたかった」と娘はとても残念がりました。ぼくの思っていた以上に、お米に期待を寄せていたようです。そんなやり取りを見ていた妻が言いました。
「Iさんに電話してみて。稲があるかもしれないよ」
 Iさんというのは、助産婦さん探しのとっかかりに登場してきた方で、直売所をやっている農家です。休日も昼近くになっていましたが、娘の気持ちをくんだ妻はやる気でした。

 そこで、Iさんに電話をかけました。事情を説明して、
「稲穂をわけていただけませんか」とお願いすると
「稲はあるんだけど、実があまり入っていないかもしれないんですよ」
「それでもいいです。今日、野菜の買い物を兼ねて行きますので、お願いします」
 妻に、実入りのことを伝えると、
「そうは言っても、プロだからね。きっと、うちのバケツ稲よりもいいに決まってるよ」
 そんなわけで、急遽、でかけることにしました。車を持っていないるので、電車とバスを乗り継いでの小旅行です。でも、もう昼近かったので、ご飯を食べて、子どもたちに昼寝をさせてから行くことにしました。 つづく


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